はてなキーワード: ブロガーとは
これはあんまりにも簡単にまとめ過ぎだと思った。だから問題点を整理したい。
まず虚構新聞についてだが、虚構新聞に関しては一貫して「態度の問題」だと思っている。
「おもしろくない」「住み分けろ」という批判ははっきり言って無意味なもので、そんな批判が通用してしまうなら
インターネットの人々はみな自分の「おもしろさ」を絶えず気にして、自分の所属するクラスタに閉じも篭もってしまう。
私はずっと健常者のそのような焼き畑農業的な、未来の無くなる、人の行動を制限する言説には反対してきた。
私はインターネットでドヤ顔を見たいのである。カオスを見たいのである。みなが「住み分け」をするのならインターネットをやる意味が無くなってしまう。
ことこそがインターネットをやる喜びだ。それが嫌ならmixiにでも行けばいい。
虚構新聞がいくらつまらなかろうが、釣りをしようが、基本的にそれに罪は無い。
たとえばアグネスちゃんに対する侮辱記事でもそうだが、「あんな記事を書くってことはそれなりの覚悟をしたんだろうな」
と、第三者は思うわけである。「おっ虚構が喧嘩するのか」とテンションが上がって来るのである。
ところがユニセフが「ちょっとー!男子ー!」程度の抗議の声を挙げると虚構は音速のスピードで亀のように首を引っ込める。
その後は自分のホーム(ツイッター)でずぅうううっとグチグチグチグチ、自分の仲間を相手に「おれ悪くないやんな?」「全然ついてへんや~ん」
と愚痴を言うのである。ツイッターは公開されてるので、我々はそれを読める。そうすると我々は「なんと卑劣な男なんだ・・・」という感想を抱いてしまうのだ。
「自称人権家」などと、かなりの侮辱の言葉を使っておきながら、ユニセフが少し腰を上げると「怖い怖い!まったく・・・風刺も許されないのか・・・(困惑)」。とか言ってるのだ。
「その程度の覚悟しかないのなら、最初から名無しでやっとれ!」というのが私の感想だ。
2ちゃんねらーが名無しで自称人権家と揶揄するのは良い。だが名前を出してやるのならそれなりの責任感を持て。
自分を前面に押し出しますけど責任は2ちゃんねらー並みで、なんてのは許されないはずだ。
これは大彗星ショッカーのようなサードブロガーや、体調わる子を筆頭とするはてな女子にも言えることである。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
といった他者disや、無神経で中途半端な思考を、デトックスと称して、世界に公開してるわけである。
もちろん年収○○万円の男も、結婚してない奴も、30代のOLもブチ切れるわけである。
年収○○万円の男や、結婚してない奴や、30代のOLの友人が居る人たちも怒る。「俺の友達はそんなこと言われるほど悪いことしてねぇ!」
するとどうだろう。
「なんかみんな怒ってて怖いぽよ・・・」
「ここは私のブログです。好きなことを言って良いはずです」
ところが、はてなユーザーとしては
「え、それなりのことを言ったんだから喧嘩するつもりだったんでしょ・・・?」と、肩すかしを食らうわけである。
「あれ、え・・・?誰かをdisってそれで終わり・・・?disりっぱなしジャーマン・・・?」
となるのである。はてなユーザーから見れば、彼らはとても不可解な存在だ。
「炎上するのが嫌ならそんなこと言わなければいいのでは・・・?」
しかしはてな女子は懲りずに、誰かをdisる記事を上げ続ける。そして炎上し、「何でみんな怒ってるの・・・?」を繰り返すのである。
これではコントである。だから一部のユーザーは、「PV数を上げるための釣りでは?」と疑念を抱きはじめる。当たり前である。
ところがどうも彼らは釣りをしているようではなさそうだ。
彼らはナチュラルボーンで誰かの悪口を言い、そして殴られて涙目になるのである。
虚構新聞は殴られる前にツイッターに引っ込むが、サードブロガーやはてな女子たちは引っ込まず、殴られるがままである。
はっきり言って頭が痛くなる光景だ。
20、30、40代のオッサンオバサンが、「誰かの悪口を言ったら返ってきますよ」という基本的なこともわからずにインターネットをやっているのである。
つまり、虚構新聞と一部のサードブロガー、一部のはてな女子の問題というのは共通していて、それは「態度の問題」なのである。
「名前を出してそれなりのことを言うのならそれなりの態度を示せ。それが嫌なら匿名で。」というのが私の意見である。
さて、淫夢であるが、これは匿名文化である。そして私のスタンスとしては、「匿名文化とは悪質で無責任で良い」というものだ。
今、かつての2ちゃんねるの匂いを少しでも残しているのは淫夢のみであり、このゴキブリと暴走族を混ぜたような集団を私は愛している。なぜなら
ことを私は苦に感じないからである。全く知らない人から全く知らない知識をブチ込まれる、こういう体験をできるのは実は淫夢文化である。
最近のインターネットはそういう体験をどんどんできなくなっている。健常者が増え、グーグルとアマゾンが幅を利かせている。
「あなたにおすすめ」「あなたに合ってるのはこれ」と押し付けてこられて、視界が狭くなっているのが今のインターネットである。
そういう環境において、淫夢のような集団はとても貴重だと感じている。
ただ、昨今においてはツイッターなどの影響もあり、ゴキブリにも暴走族にもなる覚悟もないのに淫夢民を自称する中高生大学生が増えてきている。
彼らは健常者であり、濃ゆく汚かった淫夢文化をどんどん綺麗に薄めていっているという現状はある。
2ちゃんねるがとても薄い場になってしまったように、淫夢も薄い集団になっていくのだろうという予想は既にしている。
以上が私の考える、虚構新聞と淫夢とサードブロガーの問題点である。
私がインターネットで要求するものは、クオリティでも住み分けでもなく人々の態度や覚悟である。
ところが昨今炎上する虚構新聞、サードブロガー、はてな女子は、いずれも態度や覚悟がなっていない。
態度や覚悟さえあれば、いくらでも好きなことを言って良い世界であるのにも関わらずだ。
「誰かの悪口は言いますけど私の悪口はやめてください」はいくらインターネットでも筋が通らないはずだ(匿名になるしかない)。
体調わる子ももう少しふてぶてしかったら、とても面白いブロガーになったのに、虚構と同じ類のナイーブさを露呈してはてなから退場していった。
今後第二第三のわる子やはてな女子を生み出さないためにも、この「態度と覚悟の問題」は言い続けていこうと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20131223150721
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
この2つの記事に共通しているのは、「池田仮名には伝える気がない」というものである。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
「池田仮名には伝える気が無い」というこれらの指摘には私も同意する。池田仮名は村上春樹なのである。
村上春樹といえば「パンチを打ってこない作家」として私は認識している。
何か強い主張や信念の発露を期待して読むと、これは見事に裏切られる作家である。
池田仮名氏の記事もこれに近い。不必要な予防線が多く、何が言いたいのかわからない。また最後に「ま、俺はマジになってないけどね」と言いだすところもソックリである。
その記事でも結局最後まで私にパンチが放たれることはなかった。
数々の事実誤認と「判断基準はぼくの内心」を前提にした批判を書いた増田の中では最終的に以下の定義に落ち着いたそうです。人が作った言葉にその定義を上書きすれば名誉回復の余地がなくて無敵ですね。ここまで「言葉」について軽視する人に「ブロガーとは〜」と言われていたのかと脱力しました。
これらの批判はパンチではない。グサッと来ないのである。
まず自分の内心に価値基準があるのは当たり前のことであり、何を言っているのかよくわからない。
またサードブロガーの定義が上書きされたことを怒っているが、そもそも私には定義などどうでもいい。
定義がどう変遷しようが、私はサードブロガーらしき人間たちが嫌いなのだから。
名誉の問題についても私の責任であるかのように書かれているが、名誉回復くらいは自分でしてほしいものである。
池田氏は記事でまた延々とサードブロガーの定義や歴史について説明しているがあまり意味が無いのだ。
「新しい」は「あらたしい」です!と主張しているようなものだ。
もともと、はてな民はブログを書いたり、ブックマークを付けていたわけ。
そこに俺達は古い人間とは違うねんってやってきたのがサードブロガー。
なんだよサードって(笑)
ところがやってることはパクリ、釣りみたいな記事、低レベルなまとめ、はてな運営とブコメに対する愚痴。
まあ何人かは生き残るだろうけど。
まるでニコ生の生主みたいだから、いっそネットラジオとか向いてるんじゃないの?
それとも、もうやってる?
こんな実生活に関係しない事で、私を含めて多少なりとも熱くなれて良かったじゃんというところです。そうして「無駄な時間」「無駄な怒り」「無駄な苛立ち」が消費されたわけですが、その効用については語りません。今日もアイロニーを感じながらダンスを踊り続けるのです。たった数ヶ月の間に数々の呪詛を受け続け、変質し続けた「サードブロガー」という言葉に祝福を。
こうやって最後に「無駄なことごくろーさん」とスカす人間に、言葉についての意識をどうこう言われたくはない。
そういうすかした態度がサードブロガーという言葉を守りきれなかった原因ではないのか。
池田氏や他のサードブロガーたちについてまだまだ言いたいことはあるが、今回はここで終わらせておく。
記事の中身は風まかせ
IDをみせぬように生きていたいだけさ
書き連ねて私は私喉がカラカラそんな記事こそすべて
一度キメたら止められぬ
アカウントも凍るような記事を書きたいだけさ
誰よりも私は私身バレぎりぎりトラバの嵐の中で
真面と狂気のヘブン
そんな記事こそ好きさモンスター
恐らく、決定的な罰を受けない限り理解できない小学生脳なんだろう。
SEO対策とかでブラックハットとかホワイトハット言ってるのと同じ原理だな。
全てやったもん勝ち。
自分も同レベルの事をしているにも関わらず、相手の批判場所だけ見つけ、攻撃。
自分については突かれたら逃げるだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/12/15/005657
ここで本人が意味不明に批判してるのがブーメランだということを未だに認めない。
捨て垢で批判コメントがついてる。このコメントを書くためだけに作ったアカウント……有名なブログともなると、わざわざそこまでする人が出てくるのかー…
というツイートが有り、コレに対し、
ブログ主は
とほざいてる。そもそもその前のツイートが批判なのか同情なのかすら分からんが、なんだ、本気で自分は全く別の正しいことをやってると
信じこんでるのか。。。
ほんと質悪いわ。
はてな村で政党を作ってみるのはどうだろうか。あぁだ、こうだといっていても、クリエイトできる立場にならないとできないことはたくさんあるはず。はてな村で寄付を集めて、はてな村で存在感のある人に選挙に出てもらって、はてな村の民意を伝えてもらうのだ。
石破が正論だろ。恫喝って言う方がおかしいし、捜査・処罰対象に関してそこまで暴走してしまうほど、日本の平和精神ってやわなものだったのかね。
左翼の諸君。
戦前は朝日が国民を煽って国は引くに引けなくなった。もし、かりに戦前のマスコミが一環として戦争反対を訴えていればあんなことにはならなかったんじゃないかね。
左翼引っ込め。
自民党の石破茂幹事長は12日、ニッポン放送ラジオ「高嶋ひでたけのあさラジ!」に出演し、
秘密保護法の「特定秘密」が報道された場合について「『大勢の人が死にました』と言うと、どうなるのか」と述べ、
石破氏は「『知る権利』だと言って合法的な方法で知って外へ出すと、国の安全に影響があるとわかっているが、
『報道の自由』だということで報道する。処罰対象にならない。でも『大勢の人が死にました』と言うと、どうなるのか」と発言。
報道機関も捜査・処罰対象となる法律の仕組みをごまかしながら、報道機関をどう喝しました。
秘密保護法が戦前の治安維持法を復活させかねないとの批判について
「今度の(法律)は秘密を取り扱う公務員が強い責任感を持ち、漏らした場合には重い処罰がかかるという、
公務員に向けた法律だ。国民を取り締まるための治安維持法と同列視するのは少しどうなのか」と述べ、
民間人や市民活動家、ブロガーも含めて国民を広く処罰対象とする秘密保護法の危険を隠ぺいしました。
ソース しんぶん赤旗 自民・石破氏また どう喝「特定秘密報道で大勢が死んだらどうなる」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-13/2013121302_02_1.html
以前、ブログ飯(2013/6/21発売)という本を買って読んでみた。
読んだ感想としては、至極まっとうなことが書かれているなと思ったと同時に
なんかどっかでみたことがある内容というか既視感というのを感じた。
んで、今日たまたま昔読んでいたブログ記事をもう一度読み返していたんだけど
ブログ飯の2章から3章に書かれていることと、内容というか切り口がほとんど一緒だったのよ。
その記事がこれ
アクセスがたくさん集まるブログを作るための12の心得(とりあえず) | WP-D
http://wp-d.org/2012/12/03/1382/
今回気づいたのを例に挙げるとこんな感じ。
http://books.google.co.jp/books?id=y4idKC8DLqcC&hl=ja&source=gbs_navlinks_s
WP-D
言葉は悪いですが「馬鹿になれるくらい好きなこと」をやり続けることが大切です。AKBでもガンダムでもゲームでもなんでもいいんです。時間を忘れて没頭できるぐらいのモノをテーマにすることで、あなたの情熱や躍動感が感じられる文章になります。そんなブログには自然と人が集まってくるもんです。
ブログ飯
言葉は悪いですが「馬鹿になれるくらい好きなこと」をやり続けることが大切です。AKB48でも、ガンダムでも、ゲームでも、対象はなんでもいいのです。時間を忘れて没頭できるぐらい“好きなもの”をテーマにすることで、あなたのブログは唯一無二の情報がたくさん詰まった、「お客を呼べる」ブログになります。
WP-D
誰に何をどうやって伝えるか
「なぜそのブログをあなたが始める必要があるのか」「誰にあなたのメッセージを伝えたいのか」「どのような表現手法であなたのメッセージを分かりやすく伝えるのか」ということを考えてみましょう
ブログ飯
誰に何をどうやって伝えるか
●「なぜそのブログをあなたが始める必要があるのか」 ●「誰にあなたのメッセージを伝えたいのか」 ●「どのような表現手法であなたのメッセージを分かりやすく伝えるのか」
WP-D
ブログを始める理由なんてなんでも構いません。備忘録として記録に残しておきたい、美味しいランチを食べたので紹介したい、自分の持っている知識・経験をシェアしたい、同じ趣味の仲間と交流したい、お金を稼ぎたい、自分の思想を広めていきたい。最初はこのような理由で充分です。ブログを更新し続けていくと、次第にあなたの考え方やキャラクターが文章ににじみ出てきます。それがあなたの個性ですし、その個性を受け入れてくれた人がブログのファンになってくれます。
ブログ飯
ブログを始める理由自体は、さほど重要ではありません。備忘録として記録に残しておきたい、美味しいランチを食べたので紹介したい、自分の持っている知識・経験をシェアしたい、同じ趣味の仲間と交流したい、お金を稼ぎたい、自分の思想を広めていきたい。最初はこのような理由で十分です。
ブログを更新し続けていくと、次第にあなたの考え方やキャラクターが文章ににじみ出てきます。それがあなたの個性ですし、その個性を受け入れてくれた人がブログのファンになってくれます。
WP-D
例えば「銀座に勤務していてランチの場所を探している会社員」や「勤務時間外でいかに自分の時間を上手に創りだすか悩んでいる会社員」、「新しい技術の実装をしたいと考えているプログラマー」、「アクセスアップの方法を探しているブロガー」、「アフィリエイトで稼いで会社を辞めたいと思っている人」等々、世の中には多種多様の考えを持っている人が存在します。こちらもターゲット層向けに書こうと意識しておくだけで、表現方法が変わってきます。
ブログ飯
例えば「銀座に勤務していてランチの場所を探している会社員」や「勤務時間外でいかに自分の時間を上手に作りだすか悩んでいる会社員」、「新しい技術の実装をしたいと考えているプログラマー」、「沖縄旅行を予定していてオススメの観光スポットを探している夫婦」、「アクセスアップの方法を探しているブロガー」、「アフィリエイトで稼いで会社を辞めたいと思っている人」等々、世の中には多種多様の考えを持っている人が存在します。こちらもターゲット層向けに書こうと意識しておくだけで、表現方法が変わってきます。
WP-D
いきなり全く正反対のカテゴリに入ってみろとは言いませんが、週刊少年ジャンプが好きな人だったらマガジンを読んでみる。マクドナルドが好きだったらバーガーキングに行ってみる。このように隣合うようなカテゴリを覗いてみる事で、全く違う体験や共通するポイント、両者の違いなどを感じることができます。もう少し枠を広げて、ハンバーガー業界の店を全て回ってみてもいいでしょう。この比較自体もネタになりますし、成功している店舗の共通点を見つけることもできるでしょう。自分の居心地の良い小さなコミュニティに閉じこもっているだけでは決して得ることができない体験を、カテゴリの壁を越えることで学び取ることができるのです。
ブログ飯
例えば、「週刊少年ジャンプ」が好きな人だったら「週刊少年マガジン」も読んでみる。「マクドナルド」ばかりだったら、時には「バーガーキング」に行ってみる。このように、隣り合うカテゴリを覗いてみることで、全く違う体験ができるかもしれません。逆に同じ体験であれば、共通するのはどこかを考えると、そのジャンル全体の特性をより深く理解することにつながるでしょう。逆に同じ体験であれば、共通するのはどこかを考えると、そのジャンル全体の特性をより深く理解することにつながるでしょう。「バーガーキング」だけに満足せず、もう少し活動範囲を広げて、ハンバーガーをメインにしたファストフード店全てを回ってみてもいいでしょう。ここまでやれば、この行為自体がすでにブログのネタになります。
WP-D
ブログにアクセスが集まらないと悩んでいる人は、他の人と同じような内容を載せていたりしませんか?一つの事象を大多数の人と同じ視点で見て、そのまま記事にしていませんか?そのような一般的な内容のブログをわざわざ読みに行きたいと思いますか?他人との違いを恐れずに、むしろ他人との差こそが価値になるということを認識し、あなた独自の見解を交えた記事を書いていきましょう。
ブログ飯
ブログにアクセスが集まらないと悩んでいる人は、他の人と同じような内容を載せていたりしませんか? 一つの事象を大多数の人と同じ視点で見て、そのまま記事にしていませんか? そのような一般的な内容のブログをわざわざ読みに行きたいと思いますか? 他人との違いを恐れずに、むしろ他人との差こそが価値になるということを認識し、あなた独自の見解を交えた記事を書いていきましょう。
他にもいっぱいあったのだが、余りにも多すぎて書ききれない。
もちろん、本に書いてあるのはすべて同じというわけではないのだけど
http://d.hatena.ne.jp/chuunenh/20131211/1386766614
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
承認欲求!
承 認 欲 求!!!!
また懐かしい言葉ですね。shとみたら勝手に指が承認欲求って打ち込んでしまうくらい、書いた記憶がございます。そう、はしごたんがはてな村に君臨していた頃のお話でございます。
はてなダイアリーがはてなブログに変わって人が流入し、何やら色々リセットされたようですが、基本的にやってることは昔のまま。サードブロガーとか洒落た名前を冠しておられるようですが、その昔にはてな村のステージで喧嘩をしていたあの人達が世代交代しただけではないかと村人は思うのであります。
昔のはてな村にはそんなものが溢れておりました。そしてそれこそがイナゴの大好物だったのでございます。隙をみつけたイナゴは、まず先陣三匹が隙から皮を食い破り、続く怒涛のイナゴたちがブロガーの自意識を食い破ってかれらを発狂させます。そうして何人のブロガーが腐海に沈んだことか…
ちなみに隙のない文章はプロでもそうそう書けないものなので、ブログが流行り始めた頃からネットには「隙だらけ」の文書があふれていました。当時のブログはどこもたいていトラックバック機能を有しておりましたが、これが機能していたとはいいがたく、また今よりもサービス間の連結は疎であったため、自浄作用がはたらきませんでした。しかし、2005年、はてなブックマークがリリース。これにより大量発生したイナゴがゴミを食い荒らし、ゴミをまき散らしうるブログを潰していったのです。これこそが、はてな村が敬遠された理由でした。イナゴにとってはゴミですが、ブロガーにとってそれは宝だったからです。
彼らが自分のブログ・文章を批判されると凄く傷ついてしまうのは、
彼らにとって、「自分のブログ・文章」は、「自分そのもの」だからなのではないかと思っている。
対してやまもとのような古参民は違う。「 自分の信念・感情・思考 → (変換) → 自分の文章・自分が提出したデータ 」にしている。
残念ながら、自分の信念や感情と文章を切り離せるのは一部のプロあるいは釣り師のみ。あのumedamochioでさえ書評を批判されて発狂したのです。基本的に人は、文章と自分を切り離せません。切り離せると思っているのは幻想に過ぎず、またかれあるいはかのじょがそれを無視するだけの尊大な人間であるためなのです。
しかしどうも新参ネット民やデジタルネイティブはそうではないようなのだ。
彼らはまず自分の人格・個人をババーン!と世界に大公表して、それから情報のやり取りを始めるのではないのだろうか。
これは明らかに誤謬ですね。
はてなイナゴとともにはてな村で踊り狂った一族は、個人の内面をまずさらけ出していました。イナゴはそれが大好物だったので、あっという間に飛びつき、貪り食ったものです。そしてそれに火を放つものがおり、さらにイナゴがどこかから飛んでくる。それがはてな村でした。この騒動のなかでひとつ残った言葉が、承認欲求。まるで南無阿弥陀仏を唱えるが如く、一時期は承認欲求の文字がどこでもつぶやかれていたことを懐かしく思います。
思うに、はてなブックマーク時代以前は、mixiのようなSNSで個人情報を垂れ流すか、オープンな全く自分の尻尾を掴ませないか、そのどちらかしかなかったのです。mixi似つかれた人々は穴蔵から這い出し、オープンな世界で自由を謳歌したかのように見えましたが、個人情報を守れど自分自身の中核を守るすべは知らなかったのです。個人情報さえ守れていれば、大丈夫。彼らはそんなふうに思い、SNSの中と同じような活動を使用としました。そしてネットイナゴに食いつくされたのでした。しかもネットイナゴは彼らにとって見ればまさに承認であり、欲求を満たしてくれる救いでもあったのです。
データのやりとりのみを行う方法を知っているのは、SNS発生以前、ブログ黎明期よりもまえにオープンな場所でそだった野生児だけでありましょう。野生児と非野生児はコミュニケーションが取れないものです。そして野生児は少数派なのです。
ちなみに2005年のはてなブックマークリリース後、2006年から2007年にかけてはてなが盛り上がった頃、はてな村界隈ではこのような人々が活躍していました。例に出したのは一部です。どこに入れたらいいかわからなかったネコプさんとかは省いています(あとはいろいろ忘れた)。あとはてな村の外側には大学生自治寮やギーク平原、狼集落などが点在しておりました。
この後、はてな村は別都市の興隆や再開発によって解体・分解しております。とくに2007年以降は、突っ込まれるのは面倒だが承認欲求がほしい人々は増田へ、キャッキャウフフしたい人々はTwitterへと移民していき、イナゴも人の流れに従ってあちこちへ分散していってしまいました。そしてはてな村は生き残った強者だけがつぶやく廃村となったのであります。
ココロ社さん
メレ子さん
はまちお兄ちゃん(Hamachiya2):猟師
てらじさん(TERRAZI):Operaの人だがたまにはてな村に絡む
シナ千代兄さんの場合はてなの図解まとめ人なのだが、なんかはてな村とは適度に距離をおいている感じがする。多分メタだからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060217/p1
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20060912/p1
あたりは今でもそのままって感じ。
パル氏(pal-9999):的の外れた男女論のためたびたびブクマで炎上。思想はマッチョ。本人は炎上商法のつもりではないのかも
萌え理の人(sirout2):ライフハック系。あんまりはてな村ではない気もする
タケルンバ卿(takerunba):ライフハック系。でもなんか非モテあたりと親和性が高かった気がする
にちのさん(nitino):メンタルヘルス
まさおさん(Masao_hate):非コミュ
ulululunさん:こじらせ
republic1963氏:非モテ
フルカツ氏(furukatsu):非モテ急進派
じゃんくま氏(junkMA):単著もないのに
ここらへんが動くとohnosakikoさんがメタエントリを生成
ともむん氏(tomo-moon):ミサンドリ→結婚後おとなしくなってたが最近は鬼女として復活か
えっけんさん(ekken):なんかよくわからないが炎上してるとまとめに飛んでくる人
蟹亭主さん(kanimaster):揉みごとの人
加野瀬氏(kanose):なにしてるかよくわからないが村長らしい ←すみません素で名前間違えました
花見川氏(ch1248):何故か炎上する武闘派。非モテ(非コミュ?)から後にニコ動画系へ
ふぁー/ぴーは/ぴゃーさん(pha):この頃はネオニート一年生だった
の、のぶたんのこと忘れたわけじゃないんだからね!でもなんとなくれぶたんとセットです。
ファーレンハイト周りのズイショとか下痢腹の馴れ合いブログに馬鹿な男と女が群がる様子が人気エントリに出ていて目障りだ。
「付き合わないとヤレないなんてダサい」とか自信持って主張する部分にも呆れる。
付き合わないとヤラないっていった女は「お前とはエッチする気ねーから」って意味だよ。
こちとら女子大生だって頭おかしいヤリチンから身を守る必要があるんだよ。オブラートに包んで言ってやってるんだよ
そもそも私の周りにはそんなヤリチンいないから私は今まで健全なお付き合いで暮らしていけている。っていうか普通そうだろ?
健全で安全なエッチにのみ気持ちよい愛情あるエッチは生まれるんだ。ファーレンハイト、お前はそこを分かっていない。
はてなであんなブログが人気エントリになっているのを見ると、性病持ってる危険性のある人間がはてなには多いのか?と思ってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20131210194845 に引き続き論じていく。
では、サードブロガーたちが、釣り・PV稼ぎ・キャラ作りをやっていると仮定して、なぜそれらの行為がいけないのかを説明する。
まず、私の前記事を基に、いろいろと考えてくれた人がいる。
「釣り記事」と「かわいい女の子」とには、共通点があるのかも - ただの通りすがり
http://anon.isc5.com/2013/12/turikiji-kawaii.html
人気のある女子になるために、演技をすべきなんでしょうか?そういう疑問を抱く人もでてくるだろうけど、
そんなの誰もわからないというか、演技したほうが有利なのは事実だと思うけど・・。
本当の自分自身でなくて、演技の部分を好かれても、満足できるの?こういう感じで、いろいろ誘導的な話をしても、
まあ、純粋な僕の気持ち(心)を裏切ったなという部分はあるとは思う
でも、騙されていてもイイと思う人もいるのは事実だとは思う。
裏切られた気持ちというのも微妙な感じだと思う。
私はネット上でのステルスマーケティングやアフィリエイトブログを憎んでいる。
ステルスマーケティングやアフィリエイト目的の記事・発言は、誠実さに著しく欠けているからである。
誠実さとは何か、という話になるが、それは「ブログ論争 個人的まとめ」で
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
と書いたように、心から溢れ出たもの、その人の「真」が出たものに私は誠実さを感じる。
だからたとえばネトウヨの罵詈雑言も長文陰謀論も、その発言の正誤・質は置いておいても、その人の「真」が出ているという点で、私は誠実さを感じる。
ステルスマーケティングをする者やアフィリエイトブロガーは心から文章を書いているだろうか。何か一本通った信念を持っているだろうか。
信念というのは別に堅苦しく考える必要は無い。思想・スタンスなどはコロコロ変わって良いものだ。ただ、
「その文章を書いたとき、それを言ったとき、俺は本気だったのだ」
と言えるだろうか。ステマ業者やアフィブロガーにそれは感じない。彼らは時流を読み、人の流れを読み、
それに最適の発言(自分たちにとって都合がよくなるように・お金の流れが産まれるように、大声で叫ぶ)をしているだけだ。
私はそういう彼らを 「演技をしている」 「狡猾な」 「インターネットには必要の無い」 人間だと考える。
であることは間違いない。私のような考えをする人間はこれからもっと減っていく。
私はこの類のことを考えるとき、いつも「トゥルーマンショー」という映画を思い出す。
ジム・キャリー演じる主人公トゥルーマンという男性が居る。この男性の住んでいる地域は超特大の撮影セットである。
彼の妻も彼の友人も、みな役者である。演技で付き合っているのである。それを知らないのはトゥルーマンだけなのだ。
私は、これをなんと悲しい映画なのだろうと思った。また、西洋の映画に見られる「人がほんとにされて悲しいこと・人が体験して本当に悲しくなることは何か」
をよく描けている映画だと思っている。
友達だと思って、一緒にお酒を飲んで笑い合って、こいつは親友だ、そう信じていた友達が役者だったのである。
ステマ業者やアフィリエイターがやっていることは、我々インターネットユーザー1人1人をトゥルーマンにすることである。
我々は彼らによって分断されつつある。アニメについて本当に楽しく語っているとき、サッカーについて熱く語っているとき、
我々は心の隅で思わなければならない。「こいつもしかして商売で俺と話してるのかな」
だから私はステルスマーケティングやアフィリエイトブログを憎んでいるし、もしサードブロガーがそのような業者もしくは「お金目的の個人」であり、
だからあのようなハチャメチャな記事を書いているのだとするならば、
私はもっと彼らを苛烈に攻撃するだろう。しかし今のところ彼らにそのような悪意は無いと私は見なしている(彼らは単に文章力が無く、かつ成り上がりたいだけなのである)。
狙わずに隙のある日本語書く人って意外と少なくない気がする。外から見て筋の通らない言動をする人も/それが本気だから性質が悪い、と言うこともあるわけで。
http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131210#bookmark-172779102
万が一彼らが業者だったとして、はてなもそのような「商用人種」ばかりになってしまうのなら、私のような「妖怪」はまた失望に襲われるだけだ。
私たちは2ちゃんねるでも、ニコニコ動画でも、いろんなサイトで、そのような「真」を表さない商用人種ばかりになっていく光景を見てきた。
私たち妖怪の住処はどんどん無くなってきているし、妖怪から商用人種(一般人・健常者)に転身する人もたくさん見てきた。
はてなも妖怪の住処でなくなるのなら、それはとても悲しいことだ。
話は変わるが、この文章の前半で挙げたネトウヨのことであるが、最近は「カズヤチャンネル」「テキサスおやじ」とか「竹田うんぬん」が
目立っているが、どうも彼らにも「ネトウヨビジネス」疑惑が持ち上がっているらしい(ビジネス右翼なのでは?と)。
そういうふうに、人のやることなすことを何でも「ビジネスなのでは?」などと疑いたくはないのである。
そういう風に、いちいち他者を疑わざるをえない世界にしたのはステマ業者とアフィブロガーであり、だから私は彼らを憎悪しているのである。
黒っぽいレトリックを駆使してPVを稼いでいるブロガーは、どこでブログを書いてもウンコまみれになるのでは - シロクマの屑籠と誤読解説"黒っぽいレトリックを駆使してPVを稼いでいるブロガーは、どこでブログを書いてもウンコまみれになるのでは" - 斗比主閲子の姑日記
シロクマさんは平常運転中ですが、お相手はどうもひどいですね。この方、一度関わりあうとめんどくさそうだし、自分のブログは妙な話題で汚したくないのでこちらで書きました。わたしの意見はこちらに書いたことに尽きますので、もし議論したかったら他の方々とどうぞ→ブログ主さま。
自分が書いた記事の誤読解説をどや顔で書いてるのみて、びっくりしたわ(ま、でもそこまで馬鹿じゃないよね、余裕な振りして顔真っ赤にしてるんだよね、でもそれはそれで、いったんこらえずに書いちゃうのも、お茶めかもね)。
この人のブログ、一時期はてな女子に登録されてたし、ファンでもなければ「あ、女性なんだな」と思うだろ。自分ははてなを愛してるんだ!行間読めばわかる!って、そんなこと読み取ってやるほどほかの人は暇じゃないから。他人は自分のファンじゃないし、好意的に読んでもらえないのが当たり前ですよ。人に客観的な視点で文章添削されたことないのかな、この人。論文出してリジェクトくらったり、仕事でプレゼンしたり文書提出したりすると、自分よがりな文章書いても通じないってわかるけど。(ちなみに、ここで「添削されたことあります!誤読です!」とか言っても、馬鹿さらすだけだからね、気をつけてね)。
個人的には、こういう人の存在、困るんだねぇ。ブログ全体の方向性としては、言いたいこと、わかるわけよ。ある種の女性の側にたちたいという思いも。ただ、むやみにけんか腰だし、ウイットがないし無駄に上から目線。意見が同じ人は一緒に文句がいえてキモチいいかもしれないけど、意見が違う人からは「うわ、絡むとめんどくさ」って感じになる。確かにこの人が絡む相手、びみょーな人は多いけど、そこまで叩かれるほどでもないし、叩き方もねちっこくて。
同じ意見の人間だけでダマになって、愚痴いってスッキリしたい!という人だったらいいのかもしれないけど。自分はいろんな立場の人と一緒に働くからさ。意見の差を強調して、対立構造作られても困んのよ。そういうことは、井戸端でやってくれるかな、と思う。後ろ弾撃たれてる感じ。
やっぱり、マッチョ&批判系ブログというのは、軽妙さと頭のよさが必要だと思うのよねぇ。下手するとうざくなるじゃん。
やまもといちろうさんみたいに危ない話題にもガンガン突っ込む馬力と鉄面皮さ(やまもとさんはうざいっちゃうざいが、またそこがいい)。イケハヤみたいに、ゾンビのように立ち上がる懲りなさと、論理の隙に垣間見える愛嬌でもいいけどね。イケハヤとか、石でうたれる姿勢がキリスト化しているし、もはや神様。
炎上はいいけど、もっとエンターテイメントな炎上がほしい。小町も誤読と空回りと極端な意見ばかりだけどさ、yomoyomoさんが取り上げる小町的な感じの、集合的な芸としての炎上ならいい。はてなには出せない妙味がある。でも、こういう中途半端な人が持ち上げられんの、美しくないし、つまんね。なんか、一本調子なんだよねー。もっと華麗な展開が見たいですよねー。
はてブをリングサイドとして、2013年買ってよかったもの合戦が始まった。
後出しのほうが、質は上がっていくだろうから(例えば使っている写真を張るとか)
今あえて最底辺から苦言を呈する。
ブロガーたるもの無知蒙昧な衆愚を啓蒙する高い志を持ってもらいたいからだ。
今よりも高い水準を要求して余りある能力をお持ちだと信ずるからだ。
これはつまり、我儘というやつだ。
アタリマエのことは省いて欲しい
TIPSは血肉があってこそ
「自動車買ったら世界が変わったよ!やっぱレンタカーともタクシーとも違うな!」
どうだろう。
発言した人間との関係性で反応は異なるだろうが、余程でなければ苦笑いだろう。
もちろん、これが電気自動車であるとか、もっと言えば明治時代に馬車から乗換えた元公卿とかなら判らんでもない。
今あえてルンバを出す価値や、MBAを出す価値が有るだろうか。
アタリマエのことの集合体が意味を持つTwitterのさえずりとは違うだろう。
一つ一つのさえずりは小さくとも、バルスの大合唱は世界を揺るがす。
しかし、ブロガーは合唱団の一員ではなく、孤高の演奏家だろう。
大衆に紛れて声を上げる煽動者ではなく、先導者であって欲しい。
余程のことがなければ、それはそっと追記すれば良いだけだ。
そもそもコンナ偉そうなことを書く価値があると感じたのは、このブコメだ。
現物の写真を撮ってるのに他のサイトとかぶってるという指摘すごいなー。独自性を出すためにチョイスを変えるとか本末転倒だし、記事書くためにわざわざ別の何かを買ってくれば満足なのかな。
実に鋭い切り口で本質を見せてくれる。鋭すぎて傷の治りが早そうだ。
オレのリストは他人とかぶってるつまり通り一遍のリストだと婉曲的に表現するときに僕も使いたいと思う。
珍奇なものをワザワザ買ってくれば良いのか?という所が凄い。素晴らしい腕をお持ちだ。
なかなか返す刀で「オレはどうせワザワザ買ってこないと他人と被る普通の感性だよ≒オマエはどうなんだよ」とは言えない。
精進したいと思う。
つまり、買ってよかったものリストというのは、その人間を表すものだ。
なかなか買えない高いものを買ったからレビューしてやろう、というのも人間性だ。
安くてちょっとしたものでも生活が変わったならそれをリストに加えて欲しい。
そうすれば「安くてチョットしてものをリストに加える人」なんだと判る。
他人の本棚を覗くような、その人となりを如実に表すバロメーターだ。
TIZEN特集の雑誌が並んでいようとも、Nokiaの仕様書やMeeGo解説書があればその人への評価を改めるだろう。
高くて良い物を買って高いだけあって良かったと叫ぶのは我々で良い。
2013年を総括する、彼にとってこんな1年だったと示して欲しい。
前半Disったように聞こえると本義ではないため、弁明しておこうと思う。
N-Styles(あれっくすさん)のリストは後半流れるように素晴らしい。
人からモノをプレゼントされる人柄、それに引きづられるように泥縄で増えるグッズ、
さすが老舗、(通称)人間がダメになるソファの写真で如何にもなダメさを魅せつけておいて、
Vitantonio マイボトルブレンダーの写真に、テーブルの角のクッションを映し込む感性。
年会費1万円のアメックスゴールドカードに入っても旧料金法人会員プランがお得なのは、
コレこそがあれっくすさんの2013年を振り返り、2014年を感じさせるリストだと言える。
ルンバが見たいのではない、遅刻しないコツからあれっくすさんを観たいのだ。
「床に物を置かなくなる」みたいなのは、Twitterで我々愚民が呟けば良い。
Amazonのリンクを我々が踏むのは、「まとめ」を見たからではない。
購入を通じてブロガーと一つになりたいという
雨後の筍のごとく2013年買ってよかったものリストがまだ出てくるんだろうが、
取り敢えずで書いたそのリストにはそのブロガーそのものが出るぞ。
心せよ、
クソみたいなまとめ記事や愚痴でしかない記事くらいしか見かけないのだがこれが個人ブロガーとやらいうやつなのだろうか?
で、そんなレベルの記事しか書けないのにネガコメ怖いとか言い出してるようだけど。
単に馬鹿にされてるだけだと思うよ。
純粋に。
もともと体調わる子氏は、私がここで語っているように http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131209#bookmark-172528838
『身近な個人的体験を、みなが分かる普遍的な問題へと文章で昇華できる人』だと思っていた。
しかし11月になってから雲行きは怪しくなる。扇動的なインパクト重視の見出しが増え、
記事の内容も「で、結局なにが言いたい?」と首をかしげざるをえないようなものが増えた。
自身の偏見や思い込みを「何か」に変換することなく、ありのまま、そのままだだ漏らしているのである。
そのあまりの稚拙さに「これは釣りだ」「PV稼ぎだ」なる批判が噴出したが、私はそうは思わなかった。
私は少なくとも彼女が表出させているものに「悪意」感じ取ることはなかった。彼女は天然であり素なのである。
彼女がなぜそう変わってしまったのか。私は、彼女はサードブロガーの悪しき流れに飲み込まれて自分を失ってしまったのだろうと
考える。次に、サードブロガーとは何かを語る。
このブログの主「池田仮名」が10月頃にわけのわからないブログカースト論とブログ論を語り始めた。
彼のように、「はてなでの自分の立ち位置」と「ブログとは何か」を語りだすサードブロガーなる集団が突如現れ、はてなの中心となった。
彼らの醸し出す違和感は強烈であり、はてなユーザーの間でもたちまち話題となる。
サードとかフォースとか言ってる人たち
私としてはサードブロガーとはただの承認欲求ゾンビであり、ブログ材料が承認欲求以外に無いので、すぐブログ論や仲間内の楽屋話に
持って行かざるをえない、「ほんとはブログを書く必要の無い人」たちだと思っている。
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
自身の心のコップから溢れ出たものなら、その文章には価値がある。私はそういう生きたブログを読みたい。
サードだのなんだのと自分を規定してわけのわからない小手先の技術論、「これだけPV稼ぎました!」「ブログを書き続けるコツ」
そういうものを書くのは彼らの自由だが、間違ってもはてなの世界の中心に居てはいけない。
泡沫ブログ
サードブロガーの所業を見て、「ブログって、文章を書くって、そういうことだっけ?」とはてなユーザーたちも疑問を持ち始める。
自殺宣言をしたりはてなブログにふざけんじゃねぇとか言ったり、ブックマークコメントに全部返信したいとか、まぁ文章を読んでもわかるが
サードブロガーの中でも承認欲求が一番強いと思われる。とても人懐っこい。
この人はもしかしたらまつたけより酷いというか、「自分」を前面に押し出してる割には
ショッカーさん自身の「人間性」が全く見えてこず、そこらのまとめサイトとクオリティが全然変わらない。
彼らに共通するのは、
・「成り上がりたい」のが見え見えということ(自意識だだ漏れ)
・「文章を書けてない」ということ。
まつたけやショッカーの文章力は特に酷い。あれは文章ではなくお喋りである。匿名ダイアリーの方がきちんと文章を書けている。
私はときおりコンビニ店長が恋しくなる。彼に対する好悪はともかくとして、彼はきちんと文章を書けていた。
また彼の「書かざるをえない」情熱も伝わってきたし(晩節はそうでもなかったけど)、コンビニから世界を眺めるあの視点は我々にとってとても楽しかった。
ああいう貴重なブログ読み体験を我々はできなくなってきている。
続き→http://anond.hatelabo.jp/20131210194845
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131225120055
はてなの店先に並んだ いろんなブログを見ていた 人それぞれ好みはあるけど どれもみんなステキだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで はてブの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのにボンクラブックマーカーは どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにそれなのに 意地悪になりたがる?
そうさ僕らは 世界に一人だけのブロガー 一人一人違うネタを持つ その話題を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
小さい話題や大きな話題 一つとして同じものはないから アルファブロガーにならなくてもいい もともと特別なThird Blogger
http://kotoripiyopiyo.tumblr.com/post/69280042242 (えいっ:電車の中で電話してもいいじゃん - 小鳥メモメモ)
僕としては「え? いまさらそんなこと言ってんの?」という話でしかない。
携帯電話が急速に普及したのは今からざっと12、3年前。当時僕は高校生だった。
で、その頃も「電車内での通話は是か非か」という論争があった。
高校生の僕も自分なりに考えてみて、出した結論は「やっぱりダメでしょ」だった。
つまり、十数年前の並の高校生でもちょっと考えて分かったことを、今の大人たちが蒸し返してあーだこーだ言っている。
挙句の果てには、海外では云々、とか言っている人もいる。日本の話をしてんだろ。
なんで「電車内での通話」がダメなのか、高校生の頭で考えたことを整理しつつ説明しよう。
たとえば友人と二人で電車に乗って会話していたとする。自分も、友人も、同じ「車内という空間」にいる。「同じ空間」を「共有」している。
だから、ちょっと声のトーンが大きいと思ったらお互い小声にすることもできるし、場合によっては中断するという判断もできる。
降りる人が通る際にも、「お前邪魔になってんぞ」とお互い声を掛け合ってよけることができる。(できていない奴も普通にいるけど、話を進める)
一方で、携帯電話での通話。
通話相手は、その空間にいない人間だ。なので、相手とは「車内の空間」を「共有」していない。
電波状況が悪くなったり、電車の騒音に遮られたりすると、声のボリュームが大きくなってくる。それだけならまだしも、単に会話が盛り上がってきただけで、自分がどこにいるのかも忘れて、無意識に声がでかくなってくる。
降りる人に気づかずに通路やドア前を塞いでいることに気付かなくなったりもする。
つまり、通話した瞬間、その空間の外につながった瞬間に、その人は「車内という空間」を共有しなくなる。
逆に、周りの人間=「同じ空間を共有する赤の他人」から見れば、車内で通話している人は、車内という空間に「別の空間」を持ち込んできた人間、ということになる。
では、「外の空間につながる」のはなにも通話だけではない、スマホやタブレット、ゲーム機、新聞や本だって「外の空間につながる」ことではないか、と思うかもしれない。
あるいは、友人と2人で、あるいは大人数で話が盛り上がって周りが見えていない、「同じ空間を共有できていない」人間だっていくらでもいるではないか、と思うだろう。
その通りだ。それらもすべて同じ空間にいる人間に対して注意力が散漫になる可能性をはらんでいる。
しかし本やスマホだったらいったん目を離すのはわりと簡単だ。大人数の会話だったら誰か一人が気を利かせて声をかければいい。(ゲームは中断しづらいので、座っている時以外はしないほうがいい)
一方で通話の場合、いちいち周りに気をつかって会話を中断するのも難しい。なぜなら通話相手は「同じ空間を共有していない」から。
そもそも、その都度通話を中断するくらいなら、電車から降りてから改めてかけ直したほうが手っ取り早いだろう。
結論。
何よりも優先するべきは「同じ空間」を「共有」している人たち、周りの乗客であるはずだ。
通話にかぎらず、スマホやタブレット、ゲーム機、新聞や本、友人同士との会話、それらも、「同じ空間を赤の他人と共有すること」をまず優先しなければならない。
その中でも、とくに通話に関しては、それを行うのがより難しいので極力控えたほうがいい。
だから電車内に限ったことではない。たとえば、人混みを歩きながら通話するのも、人混みという空間を赤の他人と共有することを優先できなくなるので、やめておいたほうがいい。
というのが、十数年前の並の高校生が考えて出した結論だ。
以下余談。
・・・それにしても、「自分の中では当たり前のこと」をこうして文章にするとびっくりする分量になった。
コンスタントに更新するブロガーさんのご苦労が少し分かった気がする。
今回はkotoripiyopiyoさんに反対する意見を書いたけど、好きなブロガーさんなのでちょっと書くのをためらった。
でも、長年の僕の行動規範にかかわることなので、これだけは異を唱えたいと思ったのだ。
たしかに、もっと社会が寛容になればいいと思う。でも、寛容な社会とマナーとは決してぶつからないとも思う。
もう一ヶ月くらいたっちゃった話なんだけどさ。
というお話に対して、
イケダハヤトさんがWordPressからlivedoorブログへ移行したらしいが理由が無知全開でビビったので注意喚起!真似はオススメしない! | Web論
というツッコミがございまして。そのとおりです。
3桁万pvに満たないブログサイトのサーバ代が2、3万かかってましたとかいう言説を自ら晒すというのは、
その真偽がもしも真であればそのスジに詳しい人から見りゃ大変良いお客様ですし、
偽であればまあライターとして提灯ぽいことしなきゃならないこともありますよねってことで、
攻撃喰らってAdsense停止されたけど、「Fluct」使ってたから何とかセーフ : ihayato.書店
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/24864
Adsenseの停止は、ブロガーにとって基本的に大ダメージです。
そう。ikedahayatoブログは2013年12月現在もいまだに広告はgoogle adsenseではない別のやつをはってあるようです。
念のため言っておくと、上のまとめ記事では「プレミアムアドセンス問題」とか書いてありますが問題ということではありません。
googleと組んだポータルサイトが、傘下のブログやらまとめサイトやらに対してお得かつ安全な広告収入をもたらしますよ
「理由」を語っていらっしゃるとのことですがですが、adsenseに関しては言及がありません。不思議ですね。
むこう数ヶ月の間ときおり拝見することにして、その際にソースに
google_ad_client = 'ca-livedoor-blogmedia_js';とかgoogle_ad_channel = 'blog999';
みたいな文字列が見られるようになったら、まあ、やっぱりお金は大切だよなということだと思うんです。
書き終えて見返してみたら、正確には、ブログについて一言いっとくか、
ではなく、ブログ移転について一言いっとくか、というタイトルにすべきでした。
お詫びして訂正いたします。
単にもてはやされてるブロガーが嫌なだけなんだから、もう、はてな自体見ないしか方法は無いっしょ。
どんなにフィルターかけようが何しようがもうサービスとしては質を保つのは無理もんで、
現状のブクマの付き方とかで良し悪しを判断するしか無いわけで。
それ以外でもTwitterでもなんでもgoogleで検索しても、嫌なブログが目に入ってくるのは否めないが、
まあ、下手な与太話みたいなブログは間違えて開いたら直ぐ消す様にして。
普通になんか必要な情報探すだけならそんな変なのひっかからないでしょ(アフィが強い物とかそういうのは駄目だけど。)
増田がブロガー嫌い、って言ってるけど、要するにそういうの沢山見るようにしてるからだよね。
おれもまあ、人のこと言えず、最初はそういうのちょこちょこ見だして、はてブも参考にしてりするようになって来て、
んで、最近、同じようにらいふはっくだのぶろがーだの、ホントにキモいし嫌な気分にはなってるけど。
最初、RSSで色んなブログとか登録してて、んで、ある時からそれだとあふれるからはてブとかキュレーション系だけに切り替えてたけど、
最近、それだと逆に偏る様になって来たから、やっぱり必要なサイトのRSSはきちんと登録しておいて、
はてブとかはホントにざーっと見逃してもいいから適当に流す様にだけするようにしてる。
なんとなく、タイトルで客寄せしようとするのも分かる様になってくると余計なの開かなくなるし。
後は新着ブクマとかでも特定のブログとか簡単にブロック出来たらいいんだけどね。。。(新着ブクマもRSSで取ってるんだけど、そいうのできんのかな?)
これは分かるわ。てか、ブコメしてるのも同じことだからね、ある意味。
いや、結構な人がかけて書いてるよね、少なくとも、毎日の様に炎上してる人たちってほとんどホントに仕事してない人たちじゃん?
はてなの上位有名人って皆人生失敗した人たちじゃないの?キチリン、もとい、ちきりんとかいう人だけが人生上がり後に書いてるみたいな感じで。
(でもまあ、ホントに同じ様な道で上がってる人はこんなくだらない形で表に出たいなんて思わないだろうし、仕事結局上手く行かない所があってまだ人生に欲求不満なんだろうけどね。)
具体例を挙げよと言われても遠慮します。
特定秘密保護法案に賛成することにした
http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20131205
という d:id:aliliput さんのブログを読んだ。トラックバックを見る限りでは、誰もまとまった記事として答えていないような気がする。
自分は法に関して詳しくないし、国会の議論もよく追えていないので、きっと(というか必ず)誤りもあるのだろうけど、自分の頭の整理という位置付けで、匿名ブログに書き込んでみたいと思う。誤っている部分について、誰かが指摘してくれれば幸いであるなあと思う。
別表のうち
場所 | 修正前 | 修正後 |
---|---|---|
三 特定有害活動の防止に関する事項 ロ | 特定有害活動の防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報 | 特定有害活動の防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報 |
四 テロリズムの防止に関する事項 ロ | テロリズムの防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報 | テロリズムの防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報 |
の太字で強調した部分だと思います。
これは、法律独特の「又は」「若しくは」の使い分けルールによります。
"or"を表現するとき、単独であれば「又は」を使い、「若しくは」は使いません。ただし、"or"が入れ子になった場合は、大きな入れ子を区切る"or"には「又は」を使い、小さな入れ子を区切る"or"には「若しくは」を使うことになっています。
特定有害活動の防止に関し収集した「国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報」又は「『外国の政府』若しくは『国際機関』からの情報」
という感じになると思います。
(あれ、≪特定有害活動の防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する「重要な情報」又は「『外国の政府』若しくは『国際機関』からの情報」≫かなあ…修正案で付け加えられた部分なんだから、前者の方が正しいはずだけど)
この「又は」「若しくは」の使い分けは、12条2項1号のテロリズムの定義のところでかなり議論になっていて、以前 http://anond.hatelabo.jp/20131202003513 でわかりやすく解説してくれた方がいました。
(しかしながら、上記のリンクにある内田樹氏がこれとは異なる読み方をしているように、大変分かりづらく誤解を生みやすい書き方ではあり、ツイッターでも、現役の弁護士と思われる方が「、」の位置がおかしいなどとの批判をしているのを見ました。ややこしいのは確かで、本当にそうすんなり理解してよいのか迷う部分があります。)
※ちなみに、大変失礼ながら、元記事で書かれている「…関する重要な情報若しくは外国の政府」は、「又は」の誤りでは
特定秘密の指定および保護期間の延長に関しては内閣が細かくチェックし、有識者の意見も取り入れるべきとされています。特定秘密の指定において監査機関がない、との意見はありますが、本法においては内閣がその役割を果たすことになっています。なお、特定秘密自体は内閣以外の行政機関でも指定が可能です。
これについては、元々の案では、内閣の承認は必要なく、政府内での検討で改善した部分のようです(ですが、個別の秘密について、保護期間延長そのものには有識者には諮られないのではないでしょうか。また、内閣は、一応、全ての特定秘密には自由には接触できないこととなっているようであり(6条1項「利用する必要があると認めたとき」に他の行政機関に提供できるとあるため。4条5項、18条4項の書き方は、自由にはアクセスできないことが前提となっているように思える)、「細かくチェック」ということも少し違うのではないかと思います)。
4条
3 指定の有効期間は、通じて三十年を超えることができない。
4 前項の規定にかかわらず、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務を全うする観点に立っても、なお指定に係る情報を公にしないことが現に我が国及び国民の安全を確保するためにやむを得ないものであることについて、その理由を示して、内閣の承認を得た場合は、行政機関の長は、当該指定の有効期間を、通じて三十年を超えて延長することができる。ただし、次の各号に掲げる事項に関する情報を除き、指定の有効期間は、通じて六十年を超えることができない。
18条
1 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。
2 政府は、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
基準を作るということは恣意的な運用を排除するもので、これが法定されたことは評価されるべきだと思います。
しかし、批判としては、そもそも内閣は行政の内部で取り仕切るところであって、行政の行為を行政が承認したところで、十分な抑止力にならないんじゃないかというものがありうるのではないかと思います。
また、識者の意見というのは、どのような識者を選定するかによってけっこう如何ようにも作り上げられるものではないかと思いますし、政府は識者の意見に拘束されるわけではないです。
特定秘密の情報媒体には「特定秘密ですよ~」との表示がされるので、うっかり知ってしまう恐れはなさそうです。気をつけろ、特定秘密印だ!
特定秘密が記載された書類がすべて特定機密と表示されているとは限らないと思います(行政機関が管理する書類Aには特定秘密との記載があり、そのコピーBには何らかの理由で特定秘密との記載がない場合、Bには記載がないので、Bに掲載された情報は特定秘密ではないとはならないと思います)。そもそも、特定機密との表示があったところで、入手する前に知る手段なんてないんじゃないかと。
結局30年が最大なのかそうでないのか解釈が割れるところだと思いますが、なぜわざわざ第三項と第四項を分けているのか分からないです。法律においてはこういう書き方は一般的なのでしょうか?その意図するところは何でしょうか。
上に掲げた4条の部分ですが、延長ができるのは原則30年、内閣の承認があれば60年(例外あり)ということだと思います。はじめに原則をかいて、次の項で例外を定めるのは、一般的なんじゃないかなあ。ちなみに、http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi で「前項の規定にかかわらず」で、対象を「憲法、法律、政令、勅令」として検索すると、431件がヒットします。意外に少ないか。
22条の部分ですが
2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。
気になるのは、「専ら公益を図る目的を有し」なければ、法令違反又は不当な方法によるものでなくとも、「正当な業務による行為」(これも法律用語で、違法性阻却理由のひとつとされているものです http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%BD%93%E8%A1%8C%E7%82%BA )ではないし、そもそも「公益を図る目的を有し」ていて「法令違反」でなくとも、「著しく不当な方法」であればアウト、ということです。特に「著しく不当な方法」ってなんだろうと思います。
(法令違反であっても、たとえば、「関係者以外立入禁止」の公務員宿舎に押しかけて取材した場合もアウトなのか、そりゃ倫理的にどうなのというのはあっても、厳罰を科されるような話なのか、という問題もあります)
この点はもうひとつ、ブロガーとか研究者・大学教授とかが含まれないという点も気になります。
反対派の皆様のご意見は
「そりゃー条文を好意的に解釈したら安全安心なんだろ?でもそうじゃない!政府なんか信用できるか、あいつらはどんな風に恣意的に運用するかわかったものじゃない!!」
なんですよね?
この「条文の精査は意味がなくなります」というのはよくわからないところでした。成立前の法案の精査というのは、テレビゲームのテストプレイ(たとえが古い?)みたいなもので、予期しない操作をしても、ちゃんと予想通りの反応を返すかどうかをシミュレーションしながら行うものべきではないかと思います。つまり、運用者がどんなに変な奴でも、そんなにおかしなことは起こらないようにすべきと思うのです。あからさまに法を誤読して行政が行われることがひとまずない点では、みんな政府を信用していると思います。法律違反とはいえない範囲で恣意的な解釈をされることを、反対派の人たちは恐れているのだと思います。
「内閣だって行政機関なんだから、行政機関同士チェックが甘くなるだろ!」というご意見がありますが、この「行政機関同士だからチェックが甘くなる」のは何故なのかがわからないです。
内閣(総理大臣)は選挙で選ばれていてコロコロ変ったりしますが、行政機関職員の大半は公務員として雇用された方々で選良ではありません。官公庁ひとつとっても、内閣と完全に利害が一致しているとは思えない事例が多々あります。なぜ行政機関同士だとチェックが甘くなるのでしょうか?
うまく説明できるかわからないけれど、内閣と官公庁の利害は当然完全には一致しないけれど、いつも一致しないわけではないと思います。行政機関同士というより、内閣は行政機関のトップです。また、内閣が政治的な思惑で指定する特定秘密があった場合がどうなのかという問題があります。政権交代があって、それが暴露されれば良いかもしれませんが、必ずそうなるとも限りません(まず、日本はコロコロ内閣が変わったりしていません。自民党が野党であった時期は、55年体制が崩壊して以降すらも結構長いです。また、政権交代があったとして(たとえばA党からB党に政権交代がなされたとして)、政権交代には関係のない少数者Cにのみ有利な情報は開示されるだろうかというと、そうはならないのではないかという懸念が残ります。
内閣が60年を超えて持っていた情報へのアクセスで逮捕されたとき、その情報が60年を超えて特定秘密として指定されていたことを証明できれば、その人は無罪になると思いますが、仮にそうであっても、政府が自ら60年を超えて特定秘密であることを証明したりするでしょうか…というのはちょっとあり得づらい話かな。でも、テストプレイはそういうことまで見越してやるべきではないかと思います。
(本法違反を問う裁判では、その特定秘密がどのような内容なのか、裁判官にも弁護人にも知らされずに進められる場合があるとされているようです。検察官が特定秘密といえば、それが本当に特定秘密かどうかを議論することもできず判決するということもありうるとか、たしか)
おいおい、意識高かったら「たまご倶楽部とか情弱www」ってなるだろ
そして、ライフハックブロガー様を見習ってのライフハック妊婦生活、ライフハック子育て、をするだろう。
ライフハックブロガー様が、紙おむつなんて高い。こんな風に洗ってきちんと使えばこんなに節約!こんなに便利!こんなに子供に優しい!と歌えば布おむつを。
ライフハックブロガー様が、布おむつなんて逆にコスト高い。洗う時間などのコストを考えればこんなに高コスト!布おむつを使うなんてコスパ悪すぎ!と歌えば紙おむつを。
意識が高い人達は、より不正確な馬鹿が発信するものを信じて信仰して行く宗教なんだから、「たまご倶楽部」なんてれっきとした情報雑誌なんて読む訳がなかろう?