はてなキーワード: トレードマークとは
どうすんのこれ...
from:DARTHREIDER 税金 OR 公金 - Twitter検索 / Twitter
税金使って政治主導で国際的にやってるイベントと民間で対策考えてやってるイベントを同列で考える人が1人でも減ることを切に願います!
僕は公的、税金が投入されるような施策に対してチェックするようにしてます。民間のイベント(夏祭りでも帰省でも)が実施できるように環境を整えるのも行政の責任です。その責任をまず果たして欲しい。だから五輪の話をしているのと行政は視聴率ではなく、感染の実態に向き合って欲しいです。
ううむ、まだ国をあげて税金投入してるイベントと民間のイベントを同じだと言ってる人だらけだなぁ。そりゃ統治は楽だわな。
午後9:44 · 2021年8月21日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/DARTHREIDER/status/1429061911631462405
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
開催するという意思決定をしてしまうと、損害が大きすぎて民間の一企業としては中止はできない。
そんなプランBなしの大博打を #fujirockfestival の主催者は打ったわけです。
イベントを愛する方々が、馬鹿な決断をしたものだと音楽を愛するひとりとしてガッカリしております。
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
皆さん、ご自身には、お身内には、ごひいき界隈には目が曇る。それにもガッカリしています。
皆さんとは誰でしょうか?僕ですか?
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
出演されコメントを出されている方、補償がないので中止できないと弁護する方皆さんです。
中止できないプランに突き進む恐ろしさを、主催者経営者は考慮すべきです。
今まで積み重ねてきた #フジロック の歴史を台無しにする愚行だとガッカリしています。
それを何故僕に言ってるのでしょうか?
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
『国をあげて税金投入してるイベントと民間のイベントを同じだと言ってる人だらけだなぁ。』
とおっしゃったので。
#フジロック に税金は投入していませんが、撤退プランなく進軍、感染拡大の不利益(金銭も含む)は国民が等しく被る点では、オリンピックの感情優位体質と何ら変わりません。
税金を投入してる、してないで変わるという話ですよ。僕にとっては全く違うんですが、それを同じと考える人がいれば行政は楽だと言ってます。
さざん
@2D7WPJKVfR3x4th
税金を投入すべきところにしていない、最適な再配分は全く行われていない。
酷い状況だと私も思います。
それでも、中止できないイベントを企画・開催すべきではなかった。
ダースさんに絡むつもりはなかったです。ただただ フジロック開催が残念で。
僕は税金を払ってるので五輪開催の有無については話せますよ。そこそこが“本質“で、あとは感情の話です。残念なのは分かりますが僕に言われてもそれこそ残念です…
Moritomo Ayako さざ波の泡粒
@_a_t_d_
せめて税金使う方は
医療に回して欲しい。
始めから
思ってたから
捨てきれない思い。
あ、でも、オリンピックは税金使った民間イベントだからあれか。どっちだ。
↓
国も支援「開催できる道探っていきたい」
新型コロナで影響を受けた公演を支援するため、経済産業省が3日間で9000万円を補助しました。
「国としても事業者や自治体との間に立って、関係者の理解を丁寧に得ながら、公演が開催できる道を探っていきたい。感染が収まっていくことが前提になるが、屋外、屋内、人数などさまざまなパターンごとに、どのような感染対策をすれば安全に開催できるのか、実証実験を重ねながら、データを採っていきたいと考えている」
News Up フジロックから考える コロナ禍の“分断” | 新型コロナウイルス | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013223231000.html
ダースレイダー(DARTHREIDER)(本名:和田 礼〔わだ れい〕、1977年4月11日 - )は日本のヒップホップミュージシャン・トラックメーカー。
フランス、パリ生まれ[1]。4歳までをパリ、6〜10歳はロンドンで過ごす[1][2]。父は朝日新聞ヨーロッパ総局長や論説副主幹を歴任した和田俊。祖父は『キューポラのある街』や『戦争と人間』を手掛けた映画プロデューサーの大塚和[3]。
小4の夏休みに帰国し明星学園小学校へ転入[2]。武蔵中学校・高等学校を卒業後[4]、駿台予備校お茶の水校での浪人を経て、東京大学文科II類に進学。同科類の学生の多くは経済学部へ進学するが、数学が得意ではなかったため3年次の進学振り分けでは文学部東洋史学科を選択した。しかし、所属した桜井由躬雄のゼミで求められたオランダ語文献の読解に挫折し大学を中退する[5][1]。
1998年に「MICADELIC」のメンバーとして活動を始め、P-VINE、CUTTING EDGE、ビクターに作品を残す。東大在学中の23歳でアルバムデビュー[6]。2004年にレーベルDa.Me.Recordsを立ち上げ[1]、KEN THE 390、COMA-CHI、TARO SOUL、環ROYなどを輩出。高速回転頭脳とHIPHOPをはじめとする音楽愛に溢れたスタイルでのMCにも定評あり、「DMC」や「B BOY PARK」、3on3から民放の『流派-R』(テレビ東京)・SPACESHOWER TV・NHK・『BAZOOKA!!!』「高校生RAP選手権」(BSスカパー!)など様々なメディアに出演。
2010年6月、クラブでのMCの直前に脳梗塞で倒れ1ヶ月の入院を余儀なくされる。入院中の検査で糖尿病に罹患していることも発覚。合併症により左眼を失明するも、のちに現場復帰[1]。以後、その左眼につけた眼帯(自身が立ち上げた眼帯ブランド「OGK」のもの[7][6]。)がトレードマークとなっている。2014年4月末より、MC漢率いる鎖グループ傘下のレーベルBLACK SWANの代表兼所属MCに就任。
2015年6月頃よりギターレスファンクバンド、「THE BASSONS」の活動を開始[8]。
2017年7月、鎖グループを退社。同年9月『NEWS RAP JAPAN』(AbemaTV)にて共演していたプチ鹿島の勧めによりオフィス北野に入社。
2018年4月末をもってオフィス北野を退社。7月20日から吉田正樹事務所の所属となった[9]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
濡れ衣を着せられて追われる身となった元特殊部隊の兵士4人組が、追っ手MPの目をかいくぐりながら人助けの便利屋稼業をする痛快アクションドラマである。市民からの依頼で司直の手が及ばない悪を懲らしめるという意味では「仕掛人」や「ハングマン」などに近いが、もっとカラッとしていてコメディタッチのアメリカンテイストなドラマである。
Aチームの魅力を語り始めたらきりがないのでやめておくが、小田急線の通り魔事件にからんでAチームの中で私が大好きなとあるエピソードを思い出したので書き留めておく。
敵のアジトがある埠頭だか倉庫街だかで今、Aチームの面々は捕われている。そこに至るいきさつは忘れた。Aチームは一話完結の番組なので毎回ストーリーは独立していて、いちいち覚えていられない。とにかく物語の山場でだいたいAチームは絶体絶命のピンチに陥る、そういうものなのだ。
敵の前で縄で縛り上げられ自由を奪われながらも、Aチームのリーダー・ハンニバルは余裕の笑みである。焦るメンバーたちの前でもハンニバルはいつも泰然自若として頼もしい。そして実際にたいていのピンチは彼の知略で切り抜けられてしまうのである。ちなみにハンニバル役のジョージ・ペパードは『ティファニーで朝食を』でヘプバーンの相手役をやった俳優である。落差がすごい。
ハンニバルの余裕の笑みは内心に勝算があってのことである。現場に積まれたドラム缶のひとつから可燃性の油が漏れ出し、Aチームの面々のほうへ流れてきつつあるのを視界の片隅で捉えていたのだ。敵は勝利を確信してすっかり油断している。勝ち誇る敵の頭領に、ハンニバルは「最期の一服」をせがむ。葉巻がハンニバルのトレードマークなのである(ちなみに俳優としてのジョージ・ペパードも愛煙家で、1994年に肺がんで亡くなっている)。
最期の一服くらいいいだろうと、敵はハンニバルに葉巻をくわえさせ、火をつけてやる。
不敵にほほえみながら葉巻を愉しみ、敵に軽口を叩いたのち、やおらハンニバルは火のついた葉巻をプッと吹き飛ばして、流れ出ている油だまりに落とした。
ジュッ
消えちゃった。起死回生になるはずの一手がずっこけである。爆笑した。
あてがはずれたハンニバルの表情が忘れられない。たぶん羽佐間道夫も「あらっ…?」みたいなとぼけた吹き替えをあてていたはずである。
もちろんこのあとAチームはピンチを逃れて勝利するのだが、どうやって勝ったは覚えていない(こういう場合は別働隊として動いていたクレイジー・モンキーが救援してくれることが多い)。
何者かになりたいという話になると、大抵は有名になりたいとか何かで成功したいみたいな話になりがちだけど
そうじゃなくて
「あるコミュニティの中でポジションを獲得する」というのが根源的な「何者かになる」ことだと思っている
例えば学校のクラスの中で一番おもしろい奴とか、クラスの中で一番頭がいい奴とか
そういう認識がクラスの中の皆の中に共通認識として存在することがその人にとってアイデンティティになる
人間にとって社会性や社会的役割に対する渇望というものは強いもので
この発想は持論だけど
そう考えると「何者かになりたい」はつまり「アイデンティティが欲しい」となり「現状アイデンティティが欠如している」となる
ざっくり言えばそれは「自分がモブ過ぎて辛い」とか「誰かの役に立ててなく、尊敬もされていなくて辛い」となる
およそ最小の「何者か」は誰かの知人だと思う、あとは趣味とか特技とか好みとか
例えば誰かとの関係について考えると
「Aさんの知人」より「Aさんの友人」がより強くて、「Aさんのパートナー」「Aさんの家族」のように徐々に強くなっていくと思う
例えば好きなものについて考えると
「お酒が好き」より「お酒に詳しい」がより強くて、「お酒のプロ」「お酒の仕事をしている」「お酒のインフルエンサー」「お酒の専門家」と徐々に強くなっていくと思う
こういうのって強くなるほど他のコミュニティでもアイデンティティを確立しやすいんだよね
強さについてもっと考えてみると
1人あたりの認識の強さx人数 だろうか
「Aさんの知人」より「Aさんの恋人」の方が強いだろうし
「クラスで一番足が速い」より「全国で一番足が速い」の方が強いだろうし
そのポジションは有限なんだ
より妥当なラインは「Aさんの恋人」とか「Bちゃんの親」のようなポジションだろうし
そこで強い結束ができれば「何者かになる」は成功するんだと思う
逆にそれができない人、要は満たされない非モテとかコミュ障とかが「何者かになりたい」と強い存在を目指してしまう
このアイデンティティへの渇望って、人生の時々や個人によって差が大きいと思う
例えばアニメ・ゲーム・映画・スポーツなどで誰かに感情移入してるときなんかは
コンテンツがそれを肩代わりしてくれるので擬似的に満足してしまうことがある
しかしふとした瞬間に自分に何もないことに気づいて途方にくれるんだと思う
自分より強い人が現れたり、コミュニティが解散したり、自分が去るケースがあるからだ
アイデンティティが「1人の強さx人数」によって変動し、かつポジションが有限だとすれば
複数のコミュニティに所属してそれぞれの場所で工夫してポジション取りをするのが一番効率がいい
そもそもポジションというのは皆から与えられるものだから、「コミュニティの中で一番強い」というのは皆に認識させる必要がある
そのためにはそれなりのコミュニケーション能力が必要だし、そもそもコミュニケーションが生まれなければならない
あとは「一番煙たいやつ」みたいなマイナスの評価もあり得るから難しい
コミュニケーションしてくれないのが最もキツイ、だから無視は精神的に来る
そうなってくるとやはりどこへ行っても通用する分かりやすいバッチが欲しくなる
容姿・筋肉・身長・奇抜な格好・トレードマークのような見た目があれば一番楽なんだけど
案外難しいのは「金持ち」という属性だ、使い方次第でマイナスになる
あとは似たりよったりな面子で集まるとモブ化しやすいというのもある
東大生だって、東大生のグループに入ってしまえば東大生という属性は通用しなくなる
それなら却って中卒とかの方が良い
しかし似たような面子の方が話がはずむというのもまた事実なんだ
そこが難しい
強さというのは何も一方向だとは限らない
愛されてるというのはこの渇望に対する裏技だと思う
あらゆる要素において「あなたが一番だ」と言われ続けるのは渇きを抑えるのに十分だと思う
逆にそれが無いとか、そういう経験がないのは大きなハンデだと思う
男の乗用車の前を横切ろうとした黒い影は、一瞬だけヘッドライトの明かりに照らし出された後、車体の下で厭な音を立てて消えた。
轢いてしまった。避ける余裕は無かった。
夜の闇の中、男の運転する車が走っていたのは、道路照明灯も無い山中に在る、曲がりくねった峠道だった。車道の両側に設置されたガードレールの向こうには、ただ鬱蒼とした森が繁茂していた。
こんな人家も見当たらない山中にも、ノラ猫はいるのだろうかと男は思った。その猫の姿は、ヘッドライトに照らし出された時間がほんの一瞬であったにも関わらず、男の網膜と脳に明瞭に焼き付けられた。
仔猫を咥えて車道を渡ろうとした母猫。明るい光によって一時的に白く変化したアスファルト舗装の路面の上で、猫の母仔の姿は不思議なほど黒々としていた。
そして、男の車の方を向いた母猫の眼に反射したヘッドライトの光は、フロントガラスと眼を通過して彼の心を突き刺し、獣とは云えど生命を奪ってしまったという、逃れ難い罪悪感を刻み付けた。
しかし、車を停められるような路肩の空間が無かったことに加えて、夜の暗い山道を一刻も早く抜け出したかったがために、男は一時的に車を停めることも無く走り去った。出来ることならば速やかに、猫を轢いた場所から遠ざかりたかった。もしも街中で起きた出来事ならば、男は可能な限りアクセルを踏み込んだことだろう。しかし、初めて通る曲がりくねった夜の峠道が、それを赦さなかった。男は不本意ながら、控えめな速度で乗用車を走らせるしかなかった。
忘れるんだ。いちいち些細な出来事に心を奪われていたら、運転ミスをして事故を起こしてしまう。たかが獣の一匹や二匹を轢いたぐらいで、それが何だと言うのか。そう自分に言い聞かせながら。
きっと、あの母猫は、予期していなかった明るい光に照らされたことで、恐慌を来たして道の真ん中に立ち止まってしまったのだろう。馬鹿な獣め。そのまま走り抜ければ、お前は轢かれずに済んだのだ。馬鹿な獣め。お前が悪いんだ。俺は悪くない。馬鹿な獣め。お前の仔猫が死んだのは、お前のせいだ。お前が悪いんだ。俺は悪くない。俺は悪くない。馬鹿な獣め。
しかし、一旦芽生えた罪悪感は、それを拭い去ろうとすればするほど、猫を轢いた場所から遠ざかるほど大きくなり、男の心の中で、どす黒い滲みとなって広がっていった。
「ぬわあああん」
何だ。今、聞こえたのは何だ。いや、本当に何かを聞いたのか。気の所為ではないのか。
「ぬわあああああん」
聞こえた。
聞こえただけではなく、男には見えた。
男を追跡してくる二つの眼が、明々と車のバックミラーに映し出されたのを。
その双眼は、今や光を反射してではなく、それらが自ら、禍々しいほどに眩しい光を放っていた。
「ぬわわわああああああんん」
恨みを込めた鳴き声のようなものが、男には聞こえた。それがくぐもって聞こえたのは、我が仔を口に咥えているからであろうか。男の車を背後から追うものの前面には、生気が抜けた何かが、力無く垂れ下がっているように男には見えた。
「ぬわわわああああああんん」
「あああああああああああああああ!」
恐ろしい鳴き声を、男は聞きたくなかった。しかし、両手で車のハンドルを握っていては耳を塞ぐこともできず、已む無く男は、あらん限りの大声で叫ぶことで、その鳴き声を掻き消そうと試みた。
道路照明灯も無い、曲がりくねった夜の峠道を、男は車を走らせ続けた。しかし、曲がりくねった道だから速度を抑えているとはいえ、それでも少なくとも数十キロの速度が出ていた。そのはずなのに、男の運転する車は一向に、背後から追い迫る何かを振り切ることが出来そうになかった。
いつになったら、この峠道を走り抜けられるのだろうか。この峠道には、果たして終わりはあるのだろうか。この夜は、終わるのだろうか。あの猫から、逃げることは出来るのだろうか。自分は、正気を失わずにいられるのだろうか。
答えを持たないまま、男は夜の峠道を走り続けた。
* * *
トラックの運転手は、前方を走る乗用車に向かって大きなダミ声で毒づいたが、その声は相手に届いていない様子だった。沢山の積載物を載せたトラックで山道を走行するのは、只でさえ気を遣う。それが夜で、曲がりくねった峠道となれば尚更である。それに加えて、ノロノロ運転をする前方車両と遭遇したのだから、いっそうトラックの運転手の苛立ちも募った。
トラックの運転手は、何度もヘッドライトをハイビームに切り替えてパッシングし、何度もクラクションを鳴らした。それなのに、前方を走る乗用車の運転手は、後方を確認することも無ければ、脇に退けて道を譲ることもしなかった。リアウィンドウから見える乗用車の運転手は、何やら頭を振りながら声を出しているようにトラックの運転手には見えた。カーオーディオで音楽でも流して、歌でも歌っているのか、後方車両の存在に気づいていない様子だった。
迷惑な話だ。早く道が分かれて、この乗用車と行き先が別になるといいのに。しかし、あいにく一本道が続き、このままトラックは暫く乗用車の後を着いて行くしかなかった。
苛立ちを募らせた運転手を乗せて、乗用車の後を走るトラックには、仔猫を咥えた母猫の姿を記号化した運送会社のトレードマークが、黒々と印されていた。フロントバンパーには、走行中に何処からか飛んで来た、黒く汚れた小さな布切れが引っ掛かって、力無く揺れていた。
* * *
男の乗用車の前を横切ろうとした黒い影は、一瞬だけヘッドライトの明かりに照らし出された後、車体の下で厭な音を立てて消えた。
轢いてしまった。避ける余裕は無かった。
夜の闇の中、男の運転する車が走っていたのは、道路照明灯も無い山中に在る、曲がりくねった峠道だった。車道の両側に設置されたガードレールの向こうには、ただ鬱蒼とした森が繁茂していた。
日常系のサブジャンルとして最も注目されているのが女子高生が男の趣味をやるタイプ――『けいおん!』や『ゆるキャン△』、今季だと『スーパーカブ』がある。
女子高生が鉄道ファンをやる漫画がまんがタイムきららMAXに掲載されている。
その名も『初恋*れ~るとりっぷ』。作者は永山ゆうのん。作者の名前なら『Summer Pockets』で知った人もいるはず。
タイトルが示す通り、仙台を舞台に鉄道と旅行をテーマにした4コマ漫画。仙台にある駅や観光スポットから踏切まで出てくる。
現在は、きららアニメと深いつながりのある叡山電鉄とのコラボで描き下ろし小冊子が配布されており、ヨドバシカメラマルチメディア仙台では壁面がれ~るとりっぷ仕様になっている。
単行本の20ページまで電子書籍サイトで公開されているが、ニコニコ漫画では1巻の1話から8話まで公開されている。
初恋*れ〜るとりっぷ / 永山ゆうのん おすすめ無料漫画 - ニコニコ漫画
天満そらは、小さい頃に電車の中で面倒を見てくれた「お姉さん」を追って鐘ノ台高校に入学。しかし、その「お姉さん」はすでに高校を卒業していることに気づき落胆していたところでまひろ先生に出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
鉄道は苦手だが、なんだかんだで部活を楽しんで克服してきている。
ピンクの髪を水色のリボンでくくったツインテール。いつも、ニーハイソックスを履いている。
小さい頃、電車の中で泣いていた自分の面倒を見てくれた「お姉さん」を探すために、とわちゃんとともに鐘ノ台高校に入学。「お姉さん」からもらった切符を大切にしている。
しかし、この「お姉さん」の話は8年前で、すでに高校を卒業していた。そのことに気づき落胆しているところでまひろ先生と出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と思い出の切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
最初は、まひろ先生のために頑張る健気な女の子という印象だったが、話が進むうちに「オタサーの姫」、いや「オタサーの百合姫」と呼ばれそうな気がしてきた。
女子高生が特定の趣味をやる作品は、おっさんの美少女化もとい、鉄オタの美少女化と言われる風潮があるけど、そらちゃんに限っては正真正銘の女の子に違いない。
鐘ノ台高校の教師。担当教科は美術。鉄道部と美術部の顧問を掛け持ちしている。
廃部寸前の鉄道部の部員探しに奔走していたところ、そらととわに出会う。
筋金入りの鉄道ファンで、部室にはまひろ先生のコレクションがいっぱいある。
校内の服装は不思議な国のアリスを彷彿させる。金髪碧眼に青いカチューシャ、青いワンピースに白いエプロン、そして、黒い車掌かばん。
そらちゃんが探していた「お姉さん」の正体。しかし、正体が分かったときの出落ち感が半端ない。なぜなら、見た目があまりにも幼いから。そらちゃんと同い年に見える。
作中でもその見た目の幼さが言及されて高校の制服を着るネタがあるけど、高校生どころか、小学生に見える。
だから、まひろ先生の初登場シーンでは、ツッコミのコメントが殺到するに違いない。こんな感じで。
「合法」
「お姉さんとは何なのか」
「とわちゃんのほうがよっぽどお姉さんだろ」「いや、あれはママだろ」
『テニスの王子様』や『スラムダンク』とコラボしたら大変なことになりそう。おっさんたちが多人数で一人の幼女を囲む構図が見えて色々と危ない。
おそらく、作者の性癖が最も現れているキャラ。前作にも見た目の幼い教師が出てきたし、作者の看板娘には飛び級した教師もいる。
まず、きららでは女子学生の部活や日常を描く作品で、メインキャラの教師はまず見かけない。
また、見た目の幼い女子学生がそのまま教師になったキャラは、きららでも非常に珍しい。少なくともアニメ化したきらら作品ではまずいない。
きららには、たいてい年不相応に見た目が幼いキャラが必ずと言っていいほど出てくる。しかし、教師になると、年相応の見た目でどころか、メインの女子学生よりも大きめの体型になる。
したがって、まひろ先生は、きららでは割と斬新なキャラだと言える。
見た目が幼く、性格も子どもっぽいが、面倒見が良いため、そこに母性を感じるかもしれない。
黒髪ロングのおっとりお姉さんだが、別に鬼畜要素があるわけではない。
料理を食べることも作ることも好きな健啖家。それが高じて、入部後には駅弁に詳しい駅弁鉄になる。
恋愛感情に敏感で、百合ップルを見るのが好き。そらちゃんを応援している。
ゆるキャンだと、各務原なでしこと犬山あおいを足して割ったような感じ。
まひろ先生の妹。
姉とは対照的に年相応の見た目で、長い金髪を赤いリボンでくくってポニーテールにしている。
最初は、鉄道の知識が豊富でないと鉄道部に入れないと勘違いしていたが、そらちゃんととわちゃんに説得され、鉄道部に入部する。
時刻表が大好きな時刻表鉄。部活では時刻表を読んで暗記している。
強気な性格で、作中のツッコミ役。ただし、本人も少し抜けているところもある。
姉のまひろ先生に憧れているが素直になれず、ツンツンしている。
地下鉄でそらちゃんと乗っているとき、まひろ先生への好意をそらちゃんとの秘密にするために「おねえちゃんだいすき同盟」を組む。
おとなしい性格で、語尾に「~だよ」と付けるのが口癖。
発車メロディや電車のモーター音に詳しい音鉄。その他、鉄道知識にも詳しい。鉄道の話になると、まれにオタク特有の早口になる。
最初は、鉄道趣味は一人で楽しむものだと考えていて鉄道部から距離をとっていたが、鉄道が苦手なのに入部したそらちゃんに興味を示し入部。廃部寸前の鉄道部を救った。
普段の表情と感情を露わになったときの表情のギャップが魅力。それが最も現れた1巻の温泉回や2巻の横浜回は必見。
ごちうさやきんモザにも言えるけど、かわいい女の子がかわいい事をする漫画を読むと、読んでいるだけで幸せになれる。
まひろ先生が出てきたとき「幼すぎんだろ…」と突っ込んだけど、この子がそらちゃんが憧れている「お姉さん」の正体だと分かると「お姉さんとは何なのか」と言いたくなった。
そらちゃんは、恋と鉄道を頑張る健気な女の子という印象だったけど、2巻で人間関係が進んでいくにつれて、ある意味ヤバいと感じた。
琥珀ちゃんは、普段の表情と感情を露わにしたときの表情のギャップがたまらない。1巻の温泉回と2巻の横浜回は必見。
「鉄道と旅行というテーマ」と「かわいい女の子がかわいい事をする」という塩梅がちゃんとできている。
きららの部活ものは後者に傾倒してテーマがおろそかになりがちだと言われるけど、だからといって前者に傾倒すると「オタクの早口言葉」や「学校の居眠り授業」のようになってしまう。
この漫画は読んでいるだけで幸福感が得られると前述したけど、鉄道ファンからの評価も高い。連載開始時点で聖地巡礼する人が出てくるレベル。
ちなみに、いまのところ撮り鉄は出ていない。
どちらかというと鉄道よりも旅行の要素のほうが大きいかな。まさに『かわいい世界の車窓から』。
鉄道をテーマにしていると、どうしても鉄道界隈の人間が読む漫画だと思われがちだ。
しかし、鉄道界隈にいない人でも十分に楽しめる作品だ。癒やされる。かわいい女の子たちのかわいいやり取りを見るのが好きな人は、ぜひ読んでもらいたいところだ。
見る!メチャクチャ見る。しかもキャラデザなんかを似せないといけないからかなりわかりやすい。
これもかなりよくある印象。
わりとどうでもいい…
だから何?感強し
ミステリはまあ全部そうといえばそうなんだけど、特にレギュラーキャラとか探偵・助手ポジの人の場合。すげえよくある、というか仕方ないかこれは…
ありますねえ…発覚からSFに持っていくとET的な感じになり、歴史とかを絡めると伝奇ホラーになる印象ある
○ッ○○○○○以来の定番!逆にあんまり見ないような気すらする…いや、やっぱ見るかなあ。感動モノと絡めてくること多いけど「またこれか…」でその感動が消えること多し
タイムトラベルものなんかでよくあるパターン。うまくやるとかなりカッコいい!でもよく見る
これはあんまり見ないな。まあでもあなただった!って言われてもいや違うし…としか言えないというのはある
何?
あるねえ…これもまあ仕方ない感はある。そういうイメージの職だし
これは別カテゴリか?
これもタイムトラベルものなんかでよくみる気がする。トレードマーク的なアイテムが目に入ったり呼び名でわかったりするやつ
格闘漫画の登場シーンなんかですげえよくみる印象。読者はすでに強いと知ってるキャラであえてこの演出をやるパターンも頻出?
これ忘れてた。クソ多くてイヤになってくる。キングダムお前のことだぞ
こっちも多いし男女平等か?
地味によく見る。ホッコリエピソードになりがち
これもわりとあるな。唯一神というよりは多神教の土地神のことが多いけど、そういえば聖書で神がハトになってるのってこれなのか?
美女が魔法が解けてシワシワのババアになったりするやつ!男版もまあまあある印象。老人だったと分かった後も引き続き登場するパターンは少ない(その場で死ぬなりしてフェードアウトしがち)が、年齢だけ高くて見た目が若いパターンだとそうでもない。
そんなに見ないけどなくはない。ハウルの序盤なんかにもあるな。
(前)
https://anond.hatelabo.jp/20191209210931
演出:のがみかずお
霧間誠一のもとに届いた一通の手紙。その手紙には、自らの死を予言する言葉とともに、霧間誠一への感謝が綴られていた。
霧間誠一の本と出会ったことで、ずっと隠してきた生まれもった才能を少しずつ世に現そうと考え、その結果、社会の敵となってしまったことから、最後にお礼を述べるために手紙を送ったという。
この手紙のことが気になった霧間誠一が、友人である榊原弦に調査を依頼すると、手紙の差し出し人は手紙を送った翌日に命を落としており、彼には本当に不思議な能力があったことが明らかになる。
原作4話「パブリック・エナミー・ナンバーワン」及び5話「虫」前半に相当。
この構成では「パブリック〜」はかなり割りを食いそうなものだが、出来事自体の省略は意外なほど少ない。元々が短い章であり、霧間誠一の内面での考察等が多めだからだろう。
霧間誠一と水乃星透子の出会い。
セリフ含めて流れは概ね原作通り。ただ、原作では「少女」の正体は章終盤まで伏せているが、アニメはここで既に水乃星の顔を見せている。どうせ声の問題で隠しようがないので、これで正解だろう。
また、原作のこの時の誠一の容貌は「どう見ても怪しい不審人物」となっているが、無精髭こそ生えているもののそこまでではない。
原作の初読時にも、それまでの巻で(架空の)著書の引用やエピソードから形成されていた尖った印象からすると、本人は物腰が柔らかくて意外に感じたことを思い出した。
「かなりの美人さん」というか、あざといほどのかわいらしさ。「黒っぽい服を着ていて、長い髪の毛を額の真ん中で分けて」という記述にも忠実。高校生時同様、黒ストを着用している。一種のトレードマークか。
誠一が受け取った読者からの手紙が、本人の声で読み上げられる。
アニメ本編内はもちろん、原作でもこの時点では名前は不明の少年だが、エンドクレジットでは後の「エンブリオ」で明かされる「キョウ」の名前で記載されている。これは「エンブリオ」も何らかのメディア展開があり得るのではと、一部で期待されたのだが……
誠一の友人であることは分かるだろうが、格闘家で凪と谷口正樹の師匠、という情報はアニメ本編だけからはさすがに伝わりづらい。出番がここだけなので、分からなくても特に問題はないのだが。
中学生からさらに順当に幼くした、という印象。エプロンをしていることから、この後の夕飯は凪の作ったもの。
当番制なのかもしれないし、誠一の生活力の無さの表現でも別にいいのだが、小学生の娘が洗い物をしているのを座って見ている父親という図は、どこかの方面から怒られそうで心配になる。
死を覚悟した誠一が、いざという時は弦を頼れと凪に告げる会話はカット。
アバンの続き。基本的に二人が会話するだけのパートだが、何度か水乃星が誠一との距離を変化させる動きがアクセントになっている。
ハッとする水乃星。
オリジナルの質問。この後に、本来はもう少し前の位置にあった誠一からの質問を問い返しとして置くことで、水乃星の名乗りで前半を締める構成になっている。
水乃星といえば笑顔だが、ここでの表情はどうしても「ドヤ顔」と呼びたくなる。幼い頃からラスボスはラスボス、という貫禄としてアリ。
というテロップをここで出せれば最高だったのだが、英題どころか章タイトルそのものが未使用ではしかたない。
原作の章構成自体にある程度そういう意図があるとはいえ、霧間誠一の死を媒介にして「パブリック〜」から「虫」へ自然に繋ぐのは上手い。
振動能力による内臓破壊という説明は特に無し。「笑わない」編で表向きの死因(「胃穿孔による内臓溶解」)が語られることもなかった。
原作では「笑わない」で既出のセリフだが、アニメはここが初めて。
隠れ場所を「書斎の隣の書庫室」から変更したことで、遥かにインパクトがある画になった。
原作でこのとき回想していたのは、キョウの死に際の方。そちらもすぐ後に回想がある。
原作ではこの時点で既に黒いつなぎを着ているが、聞き込みなどをする格好ではないと判断したのか、黄色いパーカー等に変更。
佐々木の表向きの立場の名刺。第一食品という会社名はオリジナル。
原作では、強化された視力で500メートル先の二人もはっきり視認、というシーンだが、普通の距離になってる?
後の伏線だけあって、しっかり戸惑った演技になっている。
後ろ数文字は画面外。
年齢を聞かれた凪がしれっと26と答え、佐々木が「こけそうに」なる流れから変更。ギャグっぽくなり過ぎることを避けたのか、簡潔にして尺の節約か。
このセリフからの連想で凪が前話での来生とのやり取りを思い出し、さらに里香が凪たちと出会う直前の来生との遭遇を語る、という一連の流れはオリジナル。
原作の「君の父親を殺しているんだぞ」に相当する感情を込めた、硬い声。
原作では、凪が来生にたどり着く根拠がやや薄いので、来生自身が情報を与えておびき寄せたというアレンジで補強したものと思われる。
(次)
今年と来年の冬アニメ。共に前世紀スタートの長期シリーズであるライトノベル二作が再アニメ化される。
原作開始と初アニメ化にそれぞれ数年の開きがあるし、ジャンルは異世界ファンタジーと現代SF風味異能、オーフェンが出版社(レーベル)を富士見ファンタジア(KADOKAWA)からTOブックスに移籍した一方、ブギーポップは一貫して電撃(KADOKAWA)から刊行し続けている……
といった細々した違いは存在するものの、テン年代および令和の視点から言えば、大雑把に「かつてアニメ化された昔の人気ラノベ」と括ってしまってもいいだろう。ブギーポップの新作アニメは今年の1月から3月まで1クール18話が放送され、ちょうど一年をおいて来年の1月にオーフェンが放送開始予定となっている。
さて、上に掲げたタイトルについて。ここでの「差」というのは作品自体の評価ではなく、あくまで今のアニメおよびその関連企画の成功度合いについての話だが、果たしてどちらが格上なのか。
はっきり言ってしまうと、オーフェンが上、ブギーポップが下だ。現時点で既にオーフェンの新アニメ化企画は、原作読者の盛り上がりの点でブギーポップを大きくリードしているように見える。
オーフェンは肝心のアニメがまだ始まってすらいないというのに、なぜそんなことが言えるのか。アニメとその周辺における、両作品の「差」を見ていこう。
今回のアニメに合わせたブギーポップのコミカライズは、アニメ化発表のほぼ直後から開始。アニメ化の範囲である「VSイマジネーター」「夜明けのブギーポップ」の2エピソードが、それぞれ異なる作家により漫画化された。「イマジネーター」の方は、上下巻構成である原作の、上巻にあたる部分までをベースにした内容になっている(打ち切りなのか当初の予定通りなのかは不明)
作品としての出来自体は、いずれも適度に省略・再構成しつつ原作をなぞり、ビジュアル面ではアニメとも異なる独自の解釈が随所に見られるという、手堅い造りになってはいる。のだが、どうせならアニメ化しない人気エピソード、特に「パンドラ」「ペパーミントの魔術師」あたりをやって補完しても良かったのに、という気持ちもある。アニメ2期にでも回すつもりだったのかなあ……取らぬ狸の……
片やオーフェンの新規コミカライズは3本。本編と言える長編シリーズの「はぐれ旅」、短編コメディの「無謀編」、そして旧版では無謀編の一部だった「プレ編」が、やはりそれぞれ別の作家の手で描かれた。
作品数がブギーポップを上回っていること自体は、それほど大きなアドバンテージでもないだろう。特筆すべきは、「無謀編」の担当作家が、あのファンタジーコメディ「エルフを狩るモノたち」の矢上裕だということだ。
いや、実のところ自分はちゃんと読んだことはないけれど、それでも名前は知っているぐらいには有名な作品であり作家である。アニメ化もされたし。
もちろん、何でもかんでも有名ベテラン作家を連れてくればいいというものではないが、これに関しては、代表作の連載時期が富士見時代のオーフェンと重なっている同時代性や、コメディである無謀編との相性の良さからか、原作読者の反応も上々な人選だったようだ。
ベストマッチなビッグネームの起用でオーフェンがやや有利といったところだが、ここはまだ比較的、両作の差が小さい分野と言える。
ブギーポップはアニメ化に合わせる形で、アニメ化範囲の原作5巻を新装版(単行本)で刊行している。表紙を含むイラストはオリジナルのイラストレーターによる新規描きおろし。また、分量はごく短いあとがき程度のものだが、本文にも書き下ろしがある。
旧アニメと同時期に原作イラストレーター自ら手がけた、原作1巻「笑わない」のコミカライズもやはり新装版で再刊。最初の予定ではアニメ放送中に合わせるはずだった?のが、たび重なる延期で結局放送終了後になったものの、原作本編の新刊も一応出ている。
アニメ化作品の出版社側の動きとして、ノルマは十分以上に果たしているとは言えるだろう。が、優等生的な物足りなさを少々覚えてしまうのは自分だけだろうか。
それに対しオーフェンは、旧シリーズの新装版は数年前すでに刊行済み。TOブックス移籍後の新シリーズも本編はほぼ文庫化完了していたが、新シリーズの「番外編」と旧作「プレ編」が、それぞれ2巻ずつアニメ化発表後に文庫化されている。
また、アニメ開始目前の来月末には新作長編が出る予定も……と、この辺まではブギーポップとそんなに変わらない順当なラインナップとなっている。だがオーフェンにはもう一つ、目玉と言える一冊がある。
その名の通り、オーフェンに縁のある有名作家たちによる、公式二次創作?短編集。歴史のあるシリーズだけあって執筆陣もそうそうたるメンバーがそろっている。
「スレイヤーズ」の神坂一!(旧シリーズ時代には富士見の二枚看板。オーフェン作者と合作の経験もあり )
アニメ絶賛放送中!「本好きの下剋上」の香月美夜!(TOブックス仲間)
「デート・ア・ライブ」の橘公司!(ドラゴンマガジンにオーフェン短編を掲載したことも)
「僕は友達が少ない」「妹さえいればいい。」 の平坂読!(よく知らないがオーフェン好きなの?)
と、いっそ胸焼けを起こしそうなほどの豪華さだ。参った参った。
実のところ、ラノベがアニメ化する際などに他の有名作家を集めてこのような公式アンソロジーを出すことは、そこまで珍しいわけでもない。刊行期間の長い古参シリーズの場合はなおさらだ。それこそオーフェンの作者自身『スレイヤーズ 25周年あんそろじー』に寄稿しているし、最近の例では他に『されど罪人は竜と踊る: オルケストラ 』などもあった。
だからこそ、アンソロジーはもはや、出せる時にはとりあえず出しておくべき記念品みたいなものだと思うのだが……何でブギーポップは出さなかったんだろうか?あれだけ業界への大きな影響が(「〜以前・〜以降」だのと実態よりも過剰なほどに)強調して語られ、読者だったことを公言している現役人気作家もそれなりの数が存在しているシリーズだというのに。もったいないとしか言いようがない。
一応ブギーポップ側には、原作の出版社であるKADOKAWA以外なので厳密に言えばアニメ連動の出版ではないが(敢えて言うなら便乗)、批評誌「ユリイカ」での作者特集というものもあった。これも最初に企画を知った時には、公式アンソロジーと同じぐらいのインパクトを感じたし、実際インタビューや対談、書き下ろしの「竹泡対談」(読者にはお馴染みの会話形式SS)など、ファンにとって素直に価値のある部分も存在した。
ただ正直、作者本人以外の執筆陣がちょっと……それぞれの知名度や実績自体に問題があるわけではないんだけど、ブギーポップやその作者を語ってもらう時になぜ敢えてこれ?と疑問が残る人選で……言葉を選ばずに言うと、なんで西尾維新呼ばねぇの?ってこと。他のメフィスト賞作家は3人もいるのに!
どうも全体的に、ユリイカに呼びやすい人材の中で、ブギーポップというかラノベについてまあ知っていないこともないぐらいの人々(&新アニメ関係者)をなんとな〜く集めたような、芯の定まらない生ぬるい印象を受ける特集になっていた。これではとても、夢の公式アンソロジーの代替にはなり得ない。
(ちなみに本拠地である電撃文庫のライトノベル誌「電撃文庫MAGAZINE」でもアニメ放送中にブギーポップ特集が掲載されたが、これはユリイカなど及びもつかない完全にスッカスカで虚夢of虚夢な内容だったらしい(自分は他人の評判を聞いて回避した))
オーフェンはアニメに先駆けて、今年の8月と11月に「舞台版」の公演を二度行っている。いわゆる2.5次元だ。
異世界ファンタジーというジャンル、そしてラノベの中でもセリフや行動には直接表れない微妙な感情や設定が特に多い原作という、2.5次元素人の感覚からするとかなり難しそうな題材ながら、ツイッター等での反応を見るに原作ファンには大好評だったようだ。客の入りなどの数字的なことは不明だが、生身の人間がラノベキャラを演じ、実際に観た読者をあれだけ満足させられたのなら、それだけで大成功と言っていいだろう。
また、スレイヤーズやフルメタルパニックと共に「富士見ファンタジア文庫レジェンド」の一つという扱いではあるものの、オーフェンはあの「パズル&ドラゴンズ」でのコラボ参戦も果たしている。今や、オタクカルチャーにおいてアニメに匹敵するほどの存在感を持つスマホゲーム。その中でもいまだトップクラスの人気&売上を誇るパズドラとのコラボなのだから、これはもう勝ち組と言わざるを得ない。
さて、そういったイベントめいた展開がブギーポップの方にも何かあっただろうか。
KADOKAWAラノベ原作アニメは、放送中のコラボ率がわりと高いので期待していたのだが……。後述するキャラデザイン変更の問題により、原作版とアニメ版どちらでの参戦になっても角が立つからという理由でどこも二の足を踏んだ、のかもしれない(あくまで憶測)
それ以外では……そう、「“不気味な色”グミ」の配布会があった!
TVアニメ「ブギーポップは笑わない」で、「夜明けのブギーポップ」編全4話を一挙放送する2時間特番が決定!それを記念して、アニメイト秋葉原店頭にて「“不気味な色”グミ」&「特製ポストカード」セットの配布会を開催致します
いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”グミ」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな味がしたんだろう「“不気味な色”グミ」!
ところで……「“不気味な色”グミ」って、何?(不気味=ブギーというキーワード以外特に原作とは関係がない)
それから、「“不気味な色”入浴剤」の配布会も忘れてはいけない。
アニメイト秋葉原本館でTVアニメ「ブギーポップは笑わない」のオンリーショップが開催決定!それを記念して、アニメイト秋葉原本館店頭にて「“不気味な色”入浴剤」&「特製ミニキャラカード」セットの配布会を開催致します
いや〜行きたかったな〜、「“不気味な色”入浴剤」配布会!首都圏に住んでたらな〜!どんな効能があったんだろう「“不気味な色”入浴剤」!
…………「“不気味な色”入浴剤」って、何???(原作無関係だが合成促進剤の風呂だと思って入ると楽しそう)
別に、「“不気味な色”グミ」や「“不気味な色”入浴剤」が必ずしも悪いということではない。いっそ「“不気味な色”まんじゅう」通称「ぶきまん」も作り、調子に乗って事業を拡大させ経営破綻に陥ったっていい。
ただ、そういう飛び道具的なネタは、「ファンが普通に喜ぶこと」を一通りやった上で、ダメ押しとして追加するのが筋ではないだろうか。
2.5次元やスマホゲーコラボだけがファンへのサービスとして正解ではないのはもちろんだ(ブギーポップは意外に2.5次元素材としては向いてるんじゃないかとは思うが)。それでも、グミや入浴剤の前にはやれること、やるべきことが他にいくらでもあったのでは、とつい思ってしまう。
公開済みのPVやキービジュアルなどを見る限り、今回のオーフェンアニメ化においては、単に基本的なデザインを踏襲するのみならず、原作イラストのテイストをかなり強く意識した画作りがされているようだ。これは周辺のメディア展開も同様で、前述のパズドラコラボにおいても原作イラストレーター自身がオーフェンのキャラ絵を一枚描きおろしている。
一方ブギーポップはアニメ化にあたって、「ブギーポップ」のコスチューム以外のほとんどのキャラクターデザインを、原作イラストとは別に本編での描写から新規に設定し直している。分かりやすいところでは、原作ではセーラー服だったメインキャラの制服がブレザーになったりしている。
このデザイン変更をめぐって、原作イラストレーターとアニメ制作会社との間でトラブルがあったことは周知の事実だろうから、今さらここで改めて説明はしない。
自分はこのデザイン変更自体は、他の多くの人々が考えるほどには、作品の致命的な傷だとは思っていない。たしかに原作ラノベの魅力にあのイラストが大きく関わっているのは事実だが、一つのアニメ作品として考えた時に、絶対に何があろうと譲れないポイントである、とまでは言い切れない。ラノベといえども小説であり本体はあくまで文章なので、ストーリー等の変更の方が重大な問題だ。
ただ、オリジナルストーリーだった前アニメに対し今回は原作をなぞるという基本方針のアニメ化において、わざわざ「原作通り」から外れる要素を持ち込むのであれば、それなりの根拠が必要にはなるだろう。変えるなら変えるで、原作イラストよりも明確に“カッコイイ”とか“カワイイ”といった、意図や売りが伝わるデザインであってほしい。
殘念ながら実際のアニメ版デザインからは、「なぜコレなのか」が感じ取れることは少なかった。敢えて言うなら、ややリアルに寄せたということにはなるのだろうが……「歪曲王」の耳が異常にデカい母子とか何がしたかったんだろう……
今回のブギーポップのアニメを原作エピソード単位で見た時に、世間一般での評価が最も厳しかったのは、やはり最初の「ブギーポップは笑わない」編だろう。
ただでさえ原作小説1巻を3話で消化する尺に余裕のない状況なのに、よりによって「間」を大事にする演出を選択してしまったせいで原作のセリフが大幅にカット。また、一つの出来事がそれぞれ別の人物の視点から語られる各章からなる原作を、なぜか更に視点が細かく移動し時系列が前後する構成に変更してしまったため、複雑さが無駄に加速することに。
これらはむしろ、原作読者よりも初見の視聴者の方に影響が大きく、キャラクターの感情について行けないとか、今のシーンがいつの出来事なのか分からなくて混乱するといった声が多く見られた。
そして何より、クライマックスのシーンでブギーポップがトレードマークである「口笛」を吹かないという、信じがたい改変。これには原作読者が大いに驚愕することになった。悪い意味で。
出合い頭で深い不信感を植え付けられたせいか、あるいは単にそのまま視聴者が大量に離れたのか。後半に、特番枠で4話一挙放送された「夜明けのブギーポップ」のような名エピソードが存在しても、作品全体の低評化は結局最後まで覆すことができないまま終わってしまった。
繰り返しになるが、オーフェンの方はまだアニメが放送開始していない上に、どういった構成になるのかも正式には判明していない。だがもしも大方の予想通り、順当に原作長編の一作目『我が呼び声に応えよ獣』を最初に持ってくるのであれば、やはりこのファーストエピソードの出来がアニメ化の成否を大きく左右することになるだろう。
原作ファンは、普通にやれば普通によく出来てるはずのこの話に、「口笛を吹かない」に匹敵するレベルの大大大チョンボ改変が混入しないことを祈っておくといい。でも、『獣』でそのぐらいクリティカルなポイントって何があるかな。「ブラックタイガー」のカットとか?
(続き)
ここもわかりづらいポイントだけど、同時にすげー面白い瞬間でもある。
まずタックルを食うと
↓
↓
その時点でその場には「倒れた奴」と「タックルを見舞った奴」がいる
↓
A、倒れた奴はプレーに関与できない。
タックルを見舞った奴も、一旦倒した相手を解放しないといけない、まだ2人だけの世界
↓
そこにタックルを喰った側、見舞った側のそれぞれの見方が応援に殺到してくる
↓
B、倒れた奴は計算外、ここで双方で1人ずつがポイントに到着すると「ラック」という押し合いになる。
この押し合いで許されるのは「真っ直ぐ押して相手を排除した上でボールを足で掻き出す」というもの
↓
問題はAの瞬間とその直後、倒れた奴を除いて、ボールを防衛したい相手が到着していない場合、ここ!
ここではちゃんと立ってる奴に限りボールを手で引っこ抜いていい!
↓
ただ、ここでレフェリーの解釈が登場するのが「何をもってボールを置く」とするかで、喰った側が倒れた時に膂力に任せて強引にボールを置き、その隙に味方が到着してB状態になればもうボールを引っこ抜く事はできない。
↓
この攻防が行われるのはわずか0.5秒から1秒程の間、ここでボールを引っこ抜くのはビッグプレーでそうそう出来るものではない
↓
オーストラリア代表のデービット・ポーコック選手で、グレーのヘッドキャップと「それ太腿じゃないんですか?」って言うくらい異様に太い腕がトレードマークだ。
彼は恐ろしいことに例え相手がオールブラックスでも、大根でも引き抜くかのようにスポンスポンとボールを引っこ抜いてしまう。
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ラグビープレーヤーに直接話を聞いた解説者によると、アレは「センスの世界」らしい。
運動でセンスというと、華麗なボールコントロールや鋭いパス、指先まで神経の行き届いたような身体運用を連想するが、「大男がやってくる前の一瞬で頭を突っ込んでボールを強奪する」というプレーの決めても「センス」というのが面白い。
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このポーコック選手は非常に目立つので、中継でも探しやすいと思う。
何より密集に彼がやってきた時、「真打登場か」というくらい周囲が色めき立つのですぐわかる。
オーストラリア戦では是非グレーのヘッドキャップに注目して欲しい。
ちなみに彼はジンバブエ生まれだが、幼い頃の情勢不安から両親と共にオーストラリアに移住したという経緯を持ち、そのライフストーリーからか、社会活動に熱心だ。
「激しいプレーは馬鹿だからできるんですよ」と言っていたが、「ウソつけ」と思う。
お前インテリじゃねーか。
「……分かりました。話を聞かせてください」
「では移動しながら説明しよう」
襟を正せ 背筋を伸ばせ
やれること やっていこう
まずは
服を少し変えるのだ 見る人の目も変わるだろ
色はワンポイント 明るめに
トレードマークをつけろ
己が着るのは制服じゃない
笠に着ろ 金があれば
声の高さが違うだけで 言葉が耳に残るだろ
抑揚を少し変えるだけ イメージ変わる
喋りは短く 簡潔に言え
要点だけ覚えてもらう
低く (低く)
高く (高く)
脳に擦り付けてやれ
振る舞いを細かく固めれば イメージも形作るさ
やれることからやり続ければ 票も集まるさ
「選挙において、重要なのは印象だ。握手はしっかりと、目を見て話せ。真摯な気持ちを相手の触覚と視覚に焼き付けるように」
とにかく少しでも良い印象を与えるために、ウサクの指導は一挙手一投足に及んだ。
傍から説明を聞いていてなるほどと思えるものもあれば、エビデンスがあるか怪しい心理的な方法論もあった。
「何か学生時代にやっていたこととか、今でも趣味程度にやっていることはあるか?」
「昔、体操をかじっていたので、その名残で運動するくらいですかね」
「よし、演説のパフォーマンスのためにいくつか技を練習しておけ」
「貴様、まさか坦々と喋っているだけで人々が自分を気にかけてくれると思っていないか? 皆に良い印象をもってもらうなら、それくらいのことはやれ」
「わ、分かりましたよ……はあ、まさか市長でいるためにこんなことするハメになるとは」
しかし市長は少しでも票に繋がるのならばと、訝しげに思いながらも技術を吸収していった。
女性器はイヤラシイ形をしているが、個人的にはもっともっとイヤラシイ形をしていてほしかったと思う。
一例を挙げると性的に興奮したら女性器から最長3mぐらいまで伸びるような
触手を出して男性器に絡み付き、膣内に引き込むといった機能が備わっていてもよかったのではなかろうか。
もし実際に女性器にそうした機能があったとしたら、私は小学6年生ぐらいの色白で髪が長くて大人しい、
赤いリボンとフリフリフリルの可愛い服がトレードマークの学校一の人気者の美少女小学生に生まれ変わりたい。
ついにはスカートの裾まで進出し恥ずかしい粘液まみれの触手が生々しい臭気を周囲に漂わせながら
斜め前の席に座っている好きな男子の股間に伸びてゆく場面をクラスメイト全員に見られてしまい、
遠い街の学校に転校したい。