何者かになりたいという話になると、大抵は有名になりたいとか何かで成功したいみたいな話になりがちだけど
そうじゃなくて
「あるコミュニティの中でポジションを獲得する」というのが根源的な「何者かになる」ことだと思っている
例えば学校のクラスの中で一番おもしろい奴とか、クラスの中で一番頭がいい奴とか
そういう認識がクラスの中の皆の中に共通認識として存在することがその人にとってアイデンティティになる
人間にとって社会性や社会的役割に対する渇望というものは強いもので
この発想は持論だけど
そう考えると「何者かになりたい」はつまり「アイデンティティが欲しい」となり「現状アイデンティティが欠如している」となる
ざっくり言えばそれは「自分がモブ過ぎて辛い」とか「誰かの役に立ててなく、尊敬もされていなくて辛い」となる
およそ最小の「何者か」は誰かの知人だと思う、あとは趣味とか特技とか好みとか
例えば誰かとの関係について考えると
「Aさんの知人」より「Aさんの友人」がより強くて、「Aさんのパートナー」「Aさんの家族」のように徐々に強くなっていくと思う
例えば好きなものについて考えると
「お酒が好き」より「お酒に詳しい」がより強くて、「お酒のプロ」「お酒の仕事をしている」「お酒のインフルエンサー」「お酒の専門家」と徐々に強くなっていくと思う
こういうのって強くなるほど他のコミュニティでもアイデンティティを確立しやすいんだよね
強さについてもっと考えてみると
1人あたりの認識の強さx人数 だろうか
「Aさんの知人」より「Aさんの恋人」の方が強いだろうし
「クラスで一番足が速い」より「全国で一番足が速い」の方が強いだろうし
そのポジションは有限なんだ
より妥当なラインは「Aさんの恋人」とか「Bちゃんの親」のようなポジションだろうし
そこで強い結束ができれば「何者かになる」は成功するんだと思う
逆にそれができない人、要は満たされない非モテとかコミュ障とかが「何者かになりたい」と強い存在を目指してしまう
このアイデンティティへの渇望って、人生の時々や個人によって差が大きいと思う
例えばアニメ・ゲーム・映画・スポーツなどで誰かに感情移入してるときなんかは
コンテンツがそれを肩代わりしてくれるので擬似的に満足してしまうことがある
しかしふとした瞬間に自分に何もないことに気づいて途方にくれるんだと思う
自分より強い人が現れたり、コミュニティが解散したり、自分が去るケースがあるからだ
アイデンティティが「1人の強さx人数」によって変動し、かつポジションが有限だとすれば
複数のコミュニティに所属してそれぞれの場所で工夫してポジション取りをするのが一番効率がいい
そもそもポジションというのは皆から与えられるものだから、「コミュニティの中で一番強い」というのは皆に認識させる必要がある
そのためにはそれなりのコミュニケーション能力が必要だし、そもそもコミュニケーションが生まれなければならない
あとは「一番煙たいやつ」みたいなマイナスの評価もあり得るから難しい
コミュニケーションしてくれないのが最もキツイ、だから無視は精神的に来る
そうなってくるとやはりどこへ行っても通用する分かりやすいバッチが欲しくなる
容姿・筋肉・身長・奇抜な格好・トレードマークのような見た目があれば一番楽なんだけど
案外難しいのは「金持ち」という属性だ、使い方次第でマイナスになる
あとは似たりよったりな面子で集まるとモブ化しやすいというのもある
東大生だって、東大生のグループに入ってしまえば東大生という属性は通用しなくなる
それなら却って中卒とかの方が良い
しかし似たような面子の方が話がはずむというのもまた事実なんだ
そこが難しい
強さというのは何も一方向だとは限らない
愛されてるというのはこの渇望に対する裏技だと思う
あらゆる要素において「あなたが一番だ」と言われ続けるのは渇きを抑えるのに十分だと思う
逆にそれが無いとか、そういう経験がないのは大きなハンデだと思う
会社のお山の対象上司に困ってるんだが彼は何者かになれたのだろうか。