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2021-04-26

anond:20210426174012

日本人評価するのは、お勉強して難しい言葉を覚えた偉そうな人ではない。

現場で汗を流している人が一番尊いよ。

iPSの山中教授だって自分の足でマラソンに参加して研究寄付金を集めてる。

そういう所を日本人尊敬してるんだ。

他の教授だってそう。

地方オープンキャンパスに行ったら、東大博士教授が汗を流しながらプレートで焼きそば焼いて、お昼ご飯お土産として訪問してくれた高校生に配ってる。

そういう教授なら余所者だろうと、地元の町のおっちゃん達も尊敬する。

2021-03-18

anond:20210317232633

ぎゃーーーえらすぎる!!!!がんばって!!!!!!

情強からいらん情報かもしれんが塾講師からアドバイス

学校から受験に関する情報が得られない代わりに、有名予備校に行く、チューター担任みたいな予備校社員とか大学生とかがつくのだ)や講師と話しまくる、自習室使いまくる、覚えられて話しかけられるようになれば教えてもらいやすいし通うモチベができやすい(予備校に通いきれずいなくなっちゃ浪人の子とかはやっぱクラス一言発言していないんだ)、年離れてると目立つから逆にチャンス!あと大学オープンキャンパスとかでも受験相談できるから活用を!最後赤本

2021-03-03

マーチにも落ちる人間だったのに早慶首席になれた

運良く早慶の某文系学部首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。

私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。

思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験ロト6。(マークシート場合)

元々高3の夏まではマーチ指定校推薦で行こうとしてた。(高校偏差値が高くなかったので早慶指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。

浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったか受験勉強全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。

寝不足センターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲバレンタインイベを完走するなどした。

その後模試感覚マーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。

その後1,2週間があき、早慶受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。

そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカ勉強不足の私には難しかたから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシート記述混合)

そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることな予備校にも行かずに何故か早慶入学模試高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。

その後ちゃん卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌にらめっこ。

長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的したことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。

とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。

自己満備忘録でした。

(追記)

首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。

卒論は…ゴミの塊ができました。

2021-03-02

anond:20210301134423

Fランク大学教員だけは高学歴海外大の博士号持ちもいるんだけど、オープンキャンパス教職員一丸となって取り組む。

来てくれた高校生サービスでふるまう焼きそば屋台

そばを焼くは博士持ちのおじさん、おばさん、お姉やん、お兄やんたち。

鉄緑会出や東大出もいる。

教授が焼いた焼きそばは一味違う。

一本一本に魂がこもってる。

CNSの味、ポンチ絵の味、科研費の味がする。

2021-03-01

旧帝大助教普段何をしているのか」を読んで

https://anond.hatelabo.jp/20210228234557

を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。

自分勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。

全体的な感想

各所で反響があったようですが、基本的には過酷労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分労働環境過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思いますしかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います

研究指導 

記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます

授業・学生実験

このあたりは大学学科依存で若手教員負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。

私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員しか出来なくて、どの部分は技官TA学生担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力必要(だが多くの学科でされていない)だと思います

学内業務研究室の雑務

このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパス運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます

論文査読

この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文価値判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています

予算申請

科研費はもちろん、プロジェクト予算、色々な財団助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生バイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分時間を買えるので、ここは力を入れてやっています募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります

学会関連のおしごと

基本、断っています個人的感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。

自分研究

さて、残りの時間自分研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間あいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。

さいごに

随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます過酷環境業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピー研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度から科研費等の研究費を一部自分給料にあてることも出来るようになり、大学教員待遇は良くなってきている部分もあります予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員自分研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。

anond:20210228234557

自分は中堅私立大学の若手講師だけど、毎週こんな感じ。

授業(内部7コマ外部2コマ)15時間

授業準備 各30分〜4時間 ざっくり15時間

学務 (教授会・各種委員会学部学科会議・その他雑務)4〜15時間

学生指導 3〜10時間程度

イレギュラーな学務(オープンキャンパス入試作問・入試監督)0-10時間

イレギュラーな教務(合宿など)

学務系がたまに色々圧迫してくる。教授会委員会学部会議むちゃくちゃ伸びたりすることもある。あと学生生活指導系とか地味にいろいろ削られる。

研究時間は土日で確保してはいる。自主的読書会とかをする時間はなかなか持てない。

でも普通企業で働くのと違って、夏休み春休みが長くて授業負担もなくなるから、その時期に一気に研究できるのがいいかな。

2021-02-28

旧帝大助教普段何をしているのか

30代前半で旧帝大助教 (任期無し)。我ながら、この業界では勝ち組と呼ばれる部類だと思う。

日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。

研究指導 (12 時間/週)

私の在籍する研究室に居る学生のうち 8 名 に対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを週に 1 時間半行うため、トータルで週 12 時間となる。

基本的に、私がやれば 2 週間で片付くような作業に 2 年くらい費やす学生が大半だ。旧帝大とは言え、自力英語論文の読解や、プログラムバグ取りができない学生の方が標準的なので、これはまあ仕方がない。これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組む他ない。

研究室内の輪読会 (3 時間/週)

専門書を学生だけで読むのはハードルが高く消化不良にしかならないため、解説役として教員が参加する必要がある。私は 2 種類の輪読会に参加し、各 1 時間半を費やしている。

研究室の中間発表会 (4 時間/週)

学生研究の進捗を研究メンバー全員で確認するための会。他の教員から指導学生テーマについて意見をもらう貴重な機会。

学生実験 (8 時間/週)

学部学生向けの実験科目を二つ担当している。各およそ 4 時間で、週 8 時間。午後が丸々つぶれて体力的にもしんどいが、これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組むしかない。

なお、昔は助手二人で一つの実験だけ面倒を見るという体制だった (らしい) のが、いまは助教一人で二つ担当しているので、負担は 4 倍になっている。

学内委員会など雑務 (3 時間/週)

大学学内には教員でローテーションしている様々な雑務存在する。例えば広報なら、ホームページ管理からオープンキャンパスの準備まで幅広いお仕事がある。これで賃金をいただいている以上 、真摯に (以下略

研究室内の雑務 (3 時間/週)

研究室の環境整備は若手教員仕事である実験ハードウェアソフトウェア調達メンテナンス学生使用物品やアカウント管理などなど、細かい仕事がいろいろある。

学会関連の雑務 (3 時間/週)

学会運営 (研究会の準備など) は主に大学教員ボランティアでやっている。もちろん実行部隊は若手である。昔と違って若手が少ないので、所属する複数学会運営雑務をこなさなければならない。私の 3 時間/週はかなり負担の軽い部類と思われる。

論文査読 (4 時間/週)

査読付き学術誌の品質担保しているのは当然、ボランティア査読である基本的に、自分論文掲載された論文から査読依頼は、引き受ける道義的義務があると思う (自分論文ボランティアで丁寧に査読してもらったわけなので)。

毎週あるわけではないが、月に 16 時間くらいは査読に費やしている (これは少ない方だと思う)。

まとめ

ということで、以上の項目の合計で 1 週間の所定労働時間 (8 時間 × 5日 = 40 時間) は終わりである

え?自分研究

毎日 3 時間ずつ残業して、土日も 8 時間ずつ出勤すれば週に 31 時間研究時間が確保できますよ。いつも脳みそクラクラで死にそうになるけどね。

おまけ

上記を読んで何か違和感を覚えなかっただろうか。そう、私は若手助教にも関わらず、「教授雑用」を押し付けられていないのである

これは私のボス聖人君子 (SSレア) なので、「若い人は研究時間を確保しなさい」と言って、雑用を全部自分でやってくださるのである

多くの助教は、教授押し付けられた雑用残業時間を食いつぶしてしまうらしい。しかし、これは決して教授がサボっているというわけではないということを強調しておきたい。そもそも教授自身も異様に忙しいので、並みの事務処理能力では、手助けなしに雑務をこなしきれないという悲しい現実があるのだ。

2021-01-19

「なんでも調べられること」に疲れた

インターネットは便利だ。行きたい場所への道を教えてくれるし、近くにどんなお店があるかもわかる。支払いだってスマホ1つでできるし、遠く離れた友達の近況だって見られる。わからないことを検索バーに打ち込めば、答えのある大体のことがわかる。

インターネットは本当に便利だと思うし、この恩恵を捨てようなんてさらさら思わない。

ただ最近、この大体「なんでも調べられること」に疲れてきた気がする。

私は中学生から携帯電話をもちはじめ、高校生の頃にはスマホももっていた。家にパソコンもあり、デジタルネイティブとは言わなくても、そこそこデジタルに染まってきた年代だと思う。

学校の調べ学習でもインターネットを使うのは当たり前だったし、大学会社も、インターネットがあることが前提で回っている。なんなら受ける大学インターネットで調べて決めたし(遠方だったかオープンキャンパスには行かず、学部偏差値で決めた)、就職活動でも転職活動でもアプリを介してやりとりしていた。

こんなに恩恵を受けておきながら、何が不満なのか、何に疲れたのかといえば、「調べたらわかるかもしれない」という呪縛に、である

例えば転職先。どこの会社にいったら本当に幸せになれるのかなんて誰にもわからない(そもそも幸せとは何か?の定義曖昧である)。ただ、インターネットには「それらしい答え」がたくさんある。この業界がいい、この会社がいい、みんなは知らないけどこんな隠れ優良企業が!……調べたら調べるほど、書いた人が良いと信じている答えが出てくる。それが自分にとっての答えかなんてわからないのに、つい読んでしまう。そうして決断した後、会社に不満があったとき、他の人が書いた記事意見を見て「もっと〇〇を重視すればよりよい会社が見つけられたかもしれない……」と思ってしまう。

恋愛や、人間関係も同様だ。どんな人と結婚したらいいか、みんなに好かれるにはどうしたらいいか……インターネットどころか、世界中の誰も正解なんてわからないのに、ついインターネットに答えを求め、うまく行かなかったときに「もっと調べればよかった」となる。調べてもわからないとわかっていても、心のどこかで「調べないと後悔しそう」と思ってしまうのである。そうして納得して決めたはずなのに、失敗すると調べが足りなかったと、無限にある情報から必要ものを見つけられなかった無能さに後悔してしまう。

明確な答えがあるものは、いくらでも調べたら良い。首相名前とか、公園への行き方とか。

ただ、本来答えがないことも調べられてしまう現状に疲れてしまった。調べなければ良いだけだが、それだと怠惰だと言われてしまいそうで怖い。

後悔しないためにはどうしたらいいのか。また検索バーに 【後悔しない 生き方】と入れてしまう。

2020-10-27

地方都市部教育格差

https://anond.hatelabo.jp/20201026003439

バズってる増田を読んだ。

日本海側の3万人クラス田舎出身人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。

大卒で就ける仕事ロールモデルがいない件

元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業イメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人ロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。

医師→都会から来る偉い先生か町1番の秀才

公務員市役所職員(官僚なにそれ?)

金融信金さん(都銀外資系存在しない)

弁護士ドラマ世界の住人

工学部卒のエンジニア→箔のついた工業高校出の現場作業員

建築士→箔のついた大工さん

研究者少年マンガサポートキャラコナン阿笠博士的な発明家ぽい人

その他商社マン広告代理店とかの文系花型の仕事司法書士公認会計士等の仕業そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!

見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方高校生認識ってマジでこんなもんだと思うよ。

公立中学校の劣悪さ

個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校ダメダメ動物園状態英語リーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブ教科書を燃やしたりする馬鹿かいしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシン過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地中高一貫受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫自体が無かったりするのがザラなんで。

学習方法や教材の情報の無さ

コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策全面的高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任地方国立数学科院卒の経歴で、難関大学入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身ちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。

まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋ジュンク堂的な大型書店があって多種多様参考書を手に取って見れらし、進学校存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウエピソードを聞いたりできそうだし。

そんなわけで

俺も普通に地方は不利だと思うよ。特に県庁所在地以外。

2020-10-03

兵庫県立大学大学院 情報科学研究科 博士前期課程2021年入学一般入試

兵庫県立大学大学院 情報科学研究科 2021年入学一般入試 受験

2021年度開設であるので、今年度は全く情報なし。

この冬に予定されている院試受験者と、来年度以降の受験者のために内容をメモしておく。

前提として私の背景は下記となる

入試

研究科のページから教員一覧に目を通して、やりたい研究に近い研究室で学生ウェルカム感のあるウェブページもつ先生に連絡した。

そのあとオープンキャンパスに出席し、そこでの座談会で事前に連絡させてもらった先生と話したが、どうも研究テーマ研究室とミスマッチ感がでていたので、その先生に他の先生を紹介してもらった。最終的には、紹介してもらった先生第一希望受験申し込みをおこなった。

研究計画書

つの項目について2ページ以内で書かないといけない。

いわゆる"研究計画書"・"論文"みたいな仰々しいフォーマットではなく、見出しフォント大きく、太字にして、必要なところはリスト形式にして、と、口頭試問前提の読みやすさ重視のフォーマットにした。

例えるならGitHubのREADMEのようなフォーマットで書いた。といっても下記については一般的なレポート記法に従った

志望動機

半ページ強を使った。内容としてはざっくり下記の3点を記載した。

現在もしくはこれまでに専門的に取り組んだ研究(例えば卒業研究)等の概要

半ページ弱使った。卒業研究はどうも書きづらかったので、幸い長いこと取り組んでいるプロジェクト研究ではない)があり、そのプロジェクトについて、研究ぽいとこだけ抽出して概略を書いた。

博士前期課程修了後に希望する進路

2行程度書いた。博士後期課程行きたいけど、そのとき金銭事情にもよるから未定ということを書いた。

入学後に取り組みたい研究について

2枚目丸々1ページを使った。

構成研究テーマ名・背景・方法・成果

背景・方法・成果で1/4ずつ、加えて残りの1/4に研究テーマの概略図(パワポ1枚みたいな)を載せた。

下手なこと書いて口頭試問で痛い目に合わないことを意識して、とにかく専門用語・具体的なアルゴリズム名は避けるようにした。

統計機械学習なら、平均・分散までしか使わない。SVMディープラーニングなんて言葉は避ける。可能な限り高校生でも知っていそうな言葉だけ使うようにした。そうすると参考文献を書く必要もなくなり全体的にスッキリした体裁になった。といいつつ専門用語まったくないのも薄っぺらい気がしたので、確実に解説できる1語だけを記載して、その1語には参考文献の番号振って、ページ末端に小さいフォントで参考文献を記載した。

あと、提案手法評価方法だけはすごい意識した。このあたりは"研究計画書の書き方"で、グーグル検索してもらったほうが詳しい。

小論文

会場は大きめのホール受験生は30名ほど。多くの受験生はスーツだったが、Tシャツジーンズ受験生もいた。試験当日の座席配置と合格発表の番号を見るに私服受験生も受かっていた。

問題は2問でた。

必答1問 A4 1枚

"研究科で何を学んで何に活かすか"みたいなテーマだった。私は具体的な志望業界があるので、データ分析に関する研究をして、その業界研究職でこういう仕事がしたいということを書いた。

選択1問 A4 1枚

テーマから選ぶ

  1. あなた企業データ分析業務の立ち上げをすることになった、社内で人を集めるか or 外注するか どちらか選びその理由を書け
  2. データ収集-データ処理-アルゴリズム-可視化を通じて、社会課題をどう解決するか。
  3. 生体情報が普及した場合医療現場はどう変わるか
  4. 企業情報漏えいをなくすためにはどうするべきか

私は2を選んだ。具体的なシチュエーションを想定したうえで、下記のような観点で、ストーリーを作った。AIビジネス/ビッグデータビジネスの事例の本で読んだことを項目にあてはめて回答した。

口頭試問

待合室として教室に移動させられる。1人30分で、口頭試問は3会場あって1人ずつ呼ばれる。試験時間は当日に案内があった。一番遅い人は4時間待ちだと思う。待合室は比較的出入り自由。待合室にスタッフがいるわけでもない。自分試験時間に待合室にいればよいと案内あったが、途中、試験時間時間変更があった。受験生は各々スマホいじったり、トイレにたったり、おそらく外出もしていた。すごい暇なのでスマホの充電は十分にしていったほうがいいと思う。

試験会場は少し狭めの教室希望をだした先生+3~4名の先生方が長机に並んでいて、その前にパイプ椅子がおかれているような形式先生方はおそらくコース混合だったと思う。

希望先生から研究計画書に書いた統計用語から発展した内容の用語について説明できるかという質問があり、教室の黒板を使って説明した。たまたま口頭試問対策でヤマはってた質問だったが、対策していなければ答えられない用語だった。必修講義統計基礎レベルではでてこない用語で、統計応用レベル教科書でこんなこと書いてたなという内容を説明した。といっても決して"専門書"レベル範囲ではないので、私が勉強不足なだけかもしれない。分からないことは分からないで通して、しどろもどろになりつつ自己採点100点満点中40点ぐらいの説明になった

そのあと他の先生方も含めて、いろいろ質問を浴びせられた、なぜこの研究科を選んだのかとか、なぜこのテーマをやるのか、どうやるのかとか面接に近い感じ、研究計画書に書いた、これまでの研究希望進路についてはとくに聞かれなかった。終始、なごやかな雰囲気ではあった。

こんな雑多なメモだが、役に立つと嬉しい。

2020-09-05

エロマンガ先生が好きな小学生

 不意に思い出したどうでもいい話を書く。

 高校生の時、パソコン部に所属していた。オープンキャンパスがあると、私の部活では体験に来た小学生(中高一貫だったので小学生が来る)の好きなキャラクターやら動物やらを聞き出してコピーし、ラミネートして渡していた。当時からネットから拾った画像コピーして渡すのはグレーな気がしていたが、まあお金を受け取っているわけではないので目をつむっていた。

 あるオーキャンの時に、題名のように言う小学生が現れた。私はアニメほとんど見ないオタクではあるが、何のアニメが今期やっているかは知っていた。いや〜オタクじゃない後輩とかがこの子担当してたらびっくりされただろうな〜、かく言う自分も驚いた、初対面の人に言いにくいアニメタイトルをすっと言っちゃうのだものパソコン部の体験に来る子はオタク比較的多い。今まででも東方とか初音ミクとかハイキューとか選ぶ子もいた。エロマンガ先生が好きって言った子には驚いたが、人に言うのが憚れるアニメを好きになっても、臆せず言える環境になったのは素晴らしいなとも思った。私の生まれ時代別にオタク迫害されるとかなかったが(むしろクラスの中心人物ほどアニメ漫画好きが多かった)、昔の価値観から変わっているのを目の当たりにするとちゃん進歩するものだなあと感じる。

 ちなみに、学校パソコンなのでエロマンガ先生センシティブワードとして弾かれて当然何も画像が出なかった。AVとか出てきたら小学生トラウマになりかねない……。あとコピーされた一番人気のキャラクターはすみっコぐらしでした。

2020-08-21

私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪い言葉についてだ。

彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。

どうかこのブログ担任アカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。

本題に入る前に私と高校、そして担任について説明をする。

私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的担任も変わらなかった。

まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。

当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。

校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校ほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。

こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内女子大を中心に巡った。

オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。

私は今のところの第1志望担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。

「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」

ます志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差し勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。

これが1つ目の呪いになった。

2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も

私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪い言葉についてだ。

彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。

どうかこのブログ担任アカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。

本題に入る前に私と高校、そして担任について説明をする。

私は去年まで高校生だった。まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼ばれる子はいなかった。

当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。

校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校ほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだから

そんな女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内女子大を中心に巡った。

その後

・「」

高校生活の間1度も担任クラスメンバーが変わったことは無い。

アカウント名前はsangetsukitan

2020-03-02

anond:20200301173451

目標が具体的に決まってないから今やることも具体的に決まらないのかなって印象。オープンキャンパス行って研究の話聞いてみたり、論文検索して実際にどういう研究存在して行われているのか調べてみて、『これやりたい!』って具体的なものが見つかると行動しやすくなるんじゃないかな。

何系の研究者になりたいのかわからんけど、情報工学系なら研究室でホームページ持ってて、ウチの研究室こういう研究してるんです〜って公開してる研究室も多いよ。研究者になるなら研究室に入って……は通る道なわけだし、今のうちに調べてみたら面白いかもしれないよ。

2019-12-06

anond:20191127201601今年京都芸術大学オープンキャンパスに行った際に、色んな先生が「最近日本画から任天堂就職する人が増えている。日本画デザインや造形と違って芸術観点視点モチーフも他と全然うから、新鮮な発想や想像力ゲーム制作デザインができる。任天堂側もそういう人材を求めているので、京都芸術大学などの日本画科を採用することが多い」と話していた。だから別に東藝にこだわらなくてもいいと思う。ついでに、高校3年間は色んな人の話を聞いて視野を広げることができるし、美術科は特にそう。生徒みんな美術が好きだし上手な人も多いから刺激にもなるし、現役で美術に携わってる先生から指導してもらえて話も聞けるからとりあえず美術科がある高校に入って、合ってなかったら中退する。とかの方がいいと思う。拙い文で申し訳ない。応援してます

2019-11-28

anond:20191128085742

元増田です。

藝大デザイン科を卒業された経験者の方からご回答をいただけてとても嬉しいです!

1~4までの項目を熟読しました。

同窓生のうち2~4人、率にして大体5~10%が任天堂就職されるというのは、やはりさすが藝大は驚異的な就職倍率ですね。

デザイン科45人中の5~10%ですから、いずれにせよ過酷競争であることに変わりはないですが、しか私大と比べるとパーセンテージとしては圧倒的数値かと。

参考になりました。

藝大の倍率低下によって現役合格率が上がっているのは私にとって嬉しい追い風ですね。

ただ勉強の出来る受験生も増えているということで、学科を抜かりなくやっていこうかと。

また、藝大と私大における機材と制作環境の違いはとてもよくわかります。藝大・武蔵美多摩美オープンキャンパスに行ったことがあるのですが、私大二校の華々しい制作環境と比べると藝大はミニマム環境で、良くも悪くも国立という点が出ていましたね。特にデザイン科のMACなど、機材に期待はしません。お話しいただいたように、日本最高レベルの同期と切磋琢磨して制作できる環境が藝大の何よりのメリットだと考えています

藝大進学を「選択肢としては現実的だと思う。」と言ってくださるのはとてもありがたいです。

高3夏時点での実力判定で厳しいものがあったとしても、その年は藝大専願で受けるかと思いますが、もし入試に失敗した場合は1浪目で私大も併願し受験する柔軟さを持ち保険としたいと思います

ありがとうございました!

2019-08-27

量子力学って難しいですか?

中学1年ですが、大学オープンキャンパス量子力学の話を聞きました。トンネル効果という話が不思議面白かったのと、シュレディンガー方程式波動関数がなんだかすごそうだという感想です。

シュレディンガー方程式について調べてみましたが、よく分かりませんでした。本屋量子力学の本を立ち読みしてみましたが、シュレディンガー方程式というものがある、と、突然説明があったので、量子力学勉強する前にシュレディンガー方程式別に勉強しなければならないのでしょうか?

例えば勉強の流れとしては、

中学数学高校数学大学数学シュレディンガー方程式学問量子力学トンネル効果学問

のような感じで勉強すればいいのでしょうか?

オープンキャンパスの時に大学先生質問たかったのですが、質問の機会がありませんでした。

ネット量子力学の前に何を勉強すればいいのか調べると、色々な意見があって正解が分かりませんでした。

数学は得意で教科書は3年生の分まで勉強しました。高校数学はこれから始めようかと思ってます

2019-08-25

めしを食う日々(寿司)

飯を食うとうまい

わかる

日曜日の昼前、実家暮らしの俺は冷蔵庫にめぼしい食材が無い事を確認し、

服を着替え家から徒歩3分くら寿司へ向かった。

回転寿司くら寿司よりもスシローの方が好きだったが、家から一番近いスシローでも徒歩30分。

車の免許もない俺はくら寿司を選んだ。

店を訪れるのは久しぶりで、今回初一人回転寿司ということもあり、

普段通り過ぎるだけのカウンター席に座るドキドキ感はそれだけで寿司の美味さに加点される。

席に着くとまずお茶を淹れるルーティン。の前にメニューを見た。

「これは!!」

くら寿司メニューにとびこがあるではないか

実は俺はとびこブームの真っ最中なのである

スシローくら寿司の大きな違いはとびこの有無たったそれだけであり、寿司屋の善し悪しはそれで決まる。

俺は興奮気味にタッチパネルをねっとりとした指先でなぞり、とびこを2皿注文した。

カウンター席の一番端は休日の昼までも混雑を知らず、あとにやってきた父と娘の2人客も静かでとても快適だった。

そんなこんなで場の雰囲気を味わいながらお茶をすすっていると注文配達レーンにとびこと続いて注文していたえんがわフライドポテトが続々と到着した。

すこしとびこが皿に散らばっていたりしていたがそれも情緒

きょうのとびこ散らばり占いは絶好調だ。

口の中に放り込めばプチプチと元気な音が聞こえる。

少し多くつけすぎたワサビの行き場のない痛みが涙を誘う。

うまい

なんてうまいのだろう。

テンションがぶちあがり、隣に座った客の食べっぷりの良さも影響して1皿、また1皿と狭いカウンターに到着する。

7皿ほど食べ、最初に頼んだフライドポテトがよくも悪くも存在を主張してくるが、

この天ぷら盛りあわせ280円の(大葉つき)がどうしても食べたい…

でも、揚げ物をこんなに食べたら死んでしまう…

今年22の俺の胃は脆い。

天ぷらの盛り合わせが手元にあった。

正直これはよくばりだったとおもう。

最後デザートを食べくら寿司をあとにした。

いい店じゃないか

俺は満足げに腹を撫でまわしながら、原稿用にモンエナの500ml缶を買おうとローソンに寄った。

レジに並ぶと見覚えのある後ろ姿。

「お、おかん…?」

おかん家族アイスを買いに来ていた。

「俺のは…?」

あんたは爽」

わるくない。

そのまま一緒に帰ることにした。

あんたどこ行ってたの」

「そこのくら寿司

俺は最近食べるものに金をかけることの喜びに気付き、

休日はよく一人で外食をしている。

今日原稿が行き詰って心が折れそうになっていたこともあり、俺の大好きな寿司を食べに行ったというわけで。

「へえ、一人でくら寿司

「さすがに沢山は食べれなかったなあすぐお腹いっぱいになっちゃった

俺は満足げに腹をさすった。


「やっぱりおいしくなかったでしょ?」


「おいしくなかったでしょ?じゃないでしょ?」

飯を食べてきた人に向かって開口一番「おいしくないでしょ」と断言するなんてサイコパスか?

「なんでそんなこと言うの?わざわざ店へ行ってお腹いっぱい食べて帰ってきている人においしくないってどうしていうの?」

俺はさっきたべた寿司たちの為に反論した。

安価提供される寿司たちにはネタ薄っぺらい、少ない、美味しくないって暴言吐いてもいいのか?

(これらは全て俺の祖母回転寿司に行くと必ず言う言葉なのでなるべく一緒に飯を食べにいかないことにしている)

「お前はいつも細かいことに反応して!そうやっていつもいつも」

「ちがうだろ!言い方がおかしいだろ!」


言い合っている間に家についた

俺はそそくさと自室に戻り10分ほど泣いた。

くら寿司UX完璧だった。

またつらくなったら寿司を食べよう。そう思った。

1663円でこんな最高になれるなんて。

しかおかん一言で俺は

「まずい飯に1663円を払った馬鹿

になった。


数年前学生の頃、オープンキャンパスバイトをしていた時も同じようなことがあった。

バイトの日は学食をタダで食べることができた。

俺はうめうめと飯を食う。

学食の回転効率を突き詰めた飯は素朴な味わいで食べ盛りの学生の為に米は大盛りだ。

今日タダメシも美味かったぜ、と満足げに教室へ戻ると同じメニューを食べた教員がこう言うのだ。

あんまりおいしくなかったね」


俺は思う。

人は共感を得たいというのもわかる。

だがネガティブもの共感を得ようとするやつは何をやってもダメだ。

おいしくなかったならわざわざおいしくないと言葉にせず、黙っていてほしい。

そして仮にとんでもなく自分の口にあわないものを食べたとしても、違う言い方をするべきだと思う。

例えば、

このうどんは俺には味が薄すぎたとか

油が強すぎたねとか

兎に角なんにでもまずいと言うのはやめた方がいい。

独り言でも隣の客に聞こえたらそいつUXもたちまち下がってしまう。

その教員には言った。納得してくれた。

でも俺の家の人たちはそういう理屈通用しないタイプだ。

からまり家族外食もしなかったし、これからもしたくない。

きっとどんな店に行っても何かにかこつけてまずいまずいと言うのだろう。


結論

美味い飯は環境から

うまい飯を食える仲間、美味い飯が食える店。

大事にしてほしい。

2019-07-28

都内難易度がそこそこな国立医学部が無い

以前「子供の進路希望を、医学部から東大理一に変える方法」を相談した増田だが、

現在のところ、医学部志望からの翻意工作に失敗して、医学部志望になってしまってる。

今彼はロンドンサマースクールだが(こう書けば、どの高校なのか判る人には判る)、帰国すれば医学部オープンキャンパスに行くらしい。

日大医学部オープンキャンパスなんて、どう?」なんてのたまっているから、「日大なんて3000万円かかる、ムリムリ」と必死に諦め工作してる。

仕方ないので、彼は日程が合う滋賀医科大のオープンキャンパスに行くらしい。(大半の国立医学部オープンキャンパスは、サマースクールと日程バッティングしてる)

つくづく思うのだが、東京には「難易度がそんなにシビアじゃない国公立医学部が、少なすぎる」んじゃないのか?

23区内だと東大理三は無理ゲーだし、東京医科歯科大も難易度高すぎる。

となると横浜市医学部千葉大医学部しかない。横浜市大は金沢区で、23区からは通学に遠い。

本来埼玉県に国公立医学部があればいいのだが、埼玉県には無い

東京23区は、高い私大医学部は腐るほどあるのに、国公立医学部が少なすぎるんじゃないのか?

まあ、滋賀医科大に行って、琵琶湖下宿すればいいのかも知れないが。

2019-05-24

anond:20190524123116

俺が高校の頃東大オープンキャンパスで笑ったネタを教えてやろう

研究内容の説明をしているときに、「(その分野の専門用語)」って知ってますか?と言う。スタッフとして在籍していた大学院生先生が手を上げる。こんだけだ。オープンキャンパスくる学生なんてちょろいもんやで

わたし大学院生です。

今度高校生オープンキャンパス研究室見学に来ます

わたし高校生研究のことや学生生活のことを話します。

先生は「高校生を笑わせられるような説明をしてね」と要求しました。

むりだよ。

目の前の人と雑談して、共通話題で笑いあうのはできるけどさ、何人もの前で説明しながら笑いを取るって、エンターテイメントじゃん。

先生、ぼく、平凡なんです。

真面目に研究の話をしつつ、かつユーモアも取るって、むりですよ。

友達とか研究室メンバー他愛もない会話で爆笑を取ることなら、簡単なのに。

2019-03-30

浪人して失敗した話

高2の時から京大を目指していた。

県内ではトップ高校でそこそこテストの成績は良かったし、先生雰囲気が似合うと思うよと言われたし、オープンキャンパスに行ったときに入りたい研究室が見つかったからだ。

それでも、現役時代はどこか勉強に身が入らず案の定落ちた。浪人する気でいたし、早稲田には受かっていたか浪人したら流石に受かるでしょと心のどこかで思っていた。

いざ浪人してみると、予備校に通っていたが、授業が始まる時間高校の時より遅かったし、寝坊してもきっと家族が起こしてくれるからみたいに甘えているところもあったし、現役時代ほどではないにしろ、他の人よりも怠けることがあった。それでも成績は上がっていたし、校舎内の京大理系コースの上位10%には入っていたから、他の人はこんなに怠けてないしまずいだろうと思う反面、また早稲田も受かったし、どこか今年は受かるかなあと思っていた。

結果は不合格だった。

自分の考えの甘さの深刻さにやっと気が付いて、後期の大学を受けにいく新幹線の中ですごく泣いた。

親には二浪してもいいと言われたけど、正直、このまま実家にいて二浪目で生活を変えられる自信もなく、親元から離れて生活を始めないと変われないと思ったし、下宿して浪人もさせてというのはさすがにわがまま過ぎると思ったから、二浪せずに後期で受かった国立大学に行くことにした。

でも、引っ越しの準備が進むにつれて、もう京都には行けないんだなと思うとすごく悲しくなったし、このまま後期の大学に行くのは逃げなのかもしれないとも思ったし、親の「二浪してもいいよ」という言葉は、二浪してでも京大に行って欲しいということの裏返しだったんじゃないかと思うと申し訳なさがさらに募った。

結局、どうするのが良かったのかはまださっぱりわからないが、この間高3の時の担任先生と話してある程度は吹っ切れたから、この大学で頑張っていこうと思っている。それでも、引っ越し直前になっても上に書いたようなことを考えてしまう。

2019-02-05

DV被害を受けていた母親を責めてはいけないのか

虐待されていた女の子が亡くなった事件で、DV被害を受けていたと言われる母親逮捕された。

「一人で子供を産み落とし、育てきれなかった母親逮捕され、往々にしてその相手は罪に問われないのに対し、

 なぜ直接の加害者である父親逮捕された上に、DV被害を受けていた母親逮捕されなければならないのか」

というような言説を見かけて、第三者的な私は確かにそうだなと思った。

DV被害を受けている中で、正常な思考が奪われているのだから、それは咎められない。

しかし一方で、被虐児としての私は、私の母親を責める気持ちを持ち続けている。

そもそもなぜあんな人と結婚したのか、婚姻生活継続したのか、途中逃げ出せたのになぜ逃げなかったのか。

私が過去に傷ついた分(かそれ以上)のpaybackは受けてほしい。

私は、大学で親元を離れるまでの間、父親から軽度の虐待を受けていたと思う。

「軽度」というのは、私が今日まで生きていられていることと、私よりひどい虐待を受けていた人がいるであろうことから飾り言葉としてつけただけであって、虐待の内容の軽重比べの意味ではない。

虐待を受けていた。」と言い切れないのは、両親の認識として、そして私の自認としても、ある時期まではそれらが「しつけ」であったからで、

また、私の中に今も尚あれらの経験を「虐待」と指してよいのかどうかという逡巡が多少なりとも残っているかである

それに、彼らが私に教育というものプレゼントしようとしてくれた事実自体には感謝しているのもある。

(ただ、彼らが私に授けたその教育のおかげで、私がそれらの経験が「虐待であるかもしれないことに気づけたのは、多少皮肉なことかもしれない。)

私の家庭は貧しかった上、母親も、父から今日で言うところの経済DVを受けていたし、連絡先は消され、友人との付き合いは禁止で、故郷からはるか離れた義理実家の近くで結婚以来何十年も暮らし地元に帰れるのは4,5年に1度であって、私の出来が悪いと言ってはお前のせいだと咎められ、夫婦喧嘩ときには青あざを作っていた。そういえば、確かに父親も外面はいい人であった。

重ね合わせてみれば存外似ている。

私は幼心に「それはおかしいし、なぜ別れないのか」と思っていて、小学4年の頃には母親父親の異常性を指摘したし、中学2年のある日「離婚を考えている」と言われた時にはいつ別れるのだろうかとわくわくした。結局その日は来ないまま今日に至るのだが。

そして、もしどうしても我慢できなくなったら、自分児童相談所に通告しようと思っていた私は、通告しないまま大人になった。

彼女がどうして、ダメな夫と別れられなかったのかというと、それは彼女に「完璧な私」と「完璧な家庭」と「完璧子供」という理想プライドがあったからで、反面、彼女には教養リテラシーもなかったかである

高校受験センター試験二次試験もすべて自分で準備した。母に少しは調べてほしいと依頼したが、彼女は何一つしなかった。「完璧子供」はそれくらい一人でできて当たり前であるし、「完璧な私」は何もしなくてよいのである

オープンキャンパス中に開催された高校生限定イベントに参加するため、喫茶店で待っていてと私が頼んだ待ち時間の2時間を、彼女コーヒー代の600円を節約するために炎天下の下で待ち、熱射病にかかり600円以上を無駄にした。

彼女子供学歴親族に吹聴する反面、子供の傷跡については誰にも相談しなかった。

もし仮に何かあったとき彼女を助けてくれる親族母親はいたが、私には父親母親しかいなかった。

当時、母は目の届く範囲では私をかばってくれたし、父親がいないところではよくしてくれた。それには心から感謝している。

でも、最終的には私が私を救うしかなかった。私が、私を救うために、家族との連絡を絶つということを含む、すべての選択責任を持って行って、今日まで生きながらえてきた。

大学で家から離れた私は、実家から遠いところで日々幸せ暮らしている。

ライトに言っても父親への恨みは根深いし、母親への軽蔑気持ちも心の底に澱としてたまっている。

当然ある種被害である母親への同情の気持ちはあるが、今のところ、彼女咎め気持ちが止んだことはない。

2019-01-03

過去の思い出に囚われてる

22歳女。社会人になってもうすぐ一年つのか。早いね

友達ほとんどいなくて彼氏もいない陰キャだよ。

過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。

どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。

結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。

毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。

すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。

修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。

オープンキャンパスに行ったとき真夏日差しギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。

大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。

初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。

一人で初めて旅行もした。奈良燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。

卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授感謝気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。

去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味社会人になってからやってない。

感情の起伏がなくなった。大人になるってこういうことなの?

自分以外の人間がすごい充実して煌めいて見える。

過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。

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