はてなキーワード: イノベーションとは
撮った写真はlightroomで現像して何も考えずにgoogleフォトへとアルバム単位でアップする。
そうすれば、どこにいても自分の撮った写真を確認することができる。
iPad Proの液晶が占めるサイズは197mm×263mmで、写真サイズでいうところの六つ切り(203mm×254mm)とほぼ同等だ。
Lサイズ、KGサイズ、2Lサイズ、六つ切りと並べてみれば、説得力の違いは言うまでもない。
アップロードの際、容量無制限のサービスを利用した場合は1ファイルあたり1600万画素(EOS5D Mark3を使っている自分の場合4898×3265)に圧縮されるが、iPad Proの解像度は2732×2048なのでドットバイドット以上の解像度が維持されていことになる。
そこに来て液晶の色彩は折り紙つきのappleだ。信用して問題ない。
今までのどんな携帯デバイスでも見ることができなかった、まつげ一本一本からさらに一歩踏み込んだ感情を読み取ることができる。
細かく書き分けられた人々の表情から読み取れる情報は、まるで自分がそこにいるような錯覚さえもたらしてくれる。
それらが写真を拡大することなく、開いた状態で一度に目に飛び込んでくるのだ。
この情報量の多さは今までに経験したことのない感動を生み出してくれるはずだ。
ちなみに重量は723g。
Air2の437gに比べれば確かに重いが、iPad4の652gを持ち歩いていた自分にしてみればその差は些細だ。
200g減らして携帯性を取るか、たった70g増えただけで飛躍的に向上する感動を取るか、選択は当然自由だ。
しかし断言できることは、一度このサイズの写真を手元で楽しむことを覚えてしまえば、もう元には戻れないということだ。
ペンもキーボードもまだまだ届く見込みはないが、もうすでに自分の生活にイノベーションが起き始めていることを実感している。
購入を迷っているならiPad Proで写真を見てはいけない。
ライフスタイルに変化を必要としないあなたには高い買い物になってしまうに違いない。
わたしもこれ以上フォトグラファーとしてのライバルを増やしたくはないのだ。
どうかappleのonline storeで在庫の確認なんてしないでほしい。
なんて、一度こういうの書いてみたかったんだよな。かなりそれっぽいと思うけどどう?
・ちょっと詩的な響きを入れる
いいじゃないか。
並大抵の覚悟ではできることではない。
わざわざそんなことをしなくても十分得るものは得たのに。
それでもなお書くというのは並大抵の勇気ではない。
競争考みたいなつまらない本を出した時はこの人ほんとに終わったかと思ったけど
そんなことはなかった。とても嬉しい。
だからこの本は買う。買って読む。
読んでみておかしいなと思ったらちゃんと指摘するし
ハックルさんの読み方がさすがだと思ったらちゃんと絶賛させてもらう。
ところで。
ラノベ企画の続報はどうなっておりますか http://info.nicovideo.jp/seiga/hucklenovel/
もうイラストレーターが決まってから2年経つんですがまだですか?
ライトノベルの書き方をブロマガで一生懸命書かれてましたがついに終わったということはもうすぐ出るって思ってていいんですよね?
もしかしてラノベ出る前に「ラノベの書き方の教科書」って本出したりしないですよね。
でもラノベは頑張ってくれないと困る。
ラノベの話が出てくるまで、今まではずっと岩崎夏海さんのことは
企画者としては優秀でも文章が本当に退屈でつまらない人だと思って読んでました。
もしドラ読んでもエースの系譜読んでもチャボよんでもいっつも同じ。
わかってる立場の人間が思わせぶりな言い方で人をけむにまくような話ばかり。もっとまっすぐ伝わる書き方できないのかとやきもきさせられる。
本人はいろんなことをよくわかってるんだろうけれどそれを他人に理解してもらうことを諦めてて、
それで自分の殻に閉じこもっていろいろ先回りして言い訳して自分を守ってるいけすかねえ野郎だと思ってました。
理解してもらおうと言う努力は放棄して相手に理解してもらおう受け入れてもらおうという甘えがすごいにじみ出てた。
そんなに自分が何でもわかってるつもりでいたいならそうやってずっと頭髪あたりが裸の王様やってろと。
でもそんな岩崎さんがラノベに挑戦すると聞いて、そういう殻を取り払って
ダイレクトに読者とつながりあうものを書こうって考えられてるのを見てすごい嬉しかったのです。
それは、ある意味でもしドラなんかよりずっと難産だろうと思います。
どこまで岩崎夏海が頭髪以外の部分をさらけ出せるかという挑戦だと受け止めています。
その意気込みをブロマガでたくさんたくさん書いてくれて、私の期待はもう有頂天なわけです。
その挑戦の結果が、たとえストーリーとしてつまらなかったりテーマ性外して売れなかったりしても構わないのです。
ただ、岩崎夏海が、どれだけ真剣に読者に向き合ってくれてるかのほうが大事です。
少なくとも出さずじまいは絶対に許されないし、変に奇を衒って作者が鎧を着てるような作品だったとしても私は嘆き悲しむでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20151114213250
そうそう、半月以上はてブ活動なしだった、ハックルさんが物凄い勢いで2get 関係者の岩間よいこさん(三ヶ月活動なし)が続いて3getしててあらら~と思った。それをしないと上がらない状態になってるんだなぁ。 https://t.co/ZNdLhW42Tx— fut573 (@fut573) 2015, 11月 14
私はこの人の貪欲さが本当に好きで好きでしょうがないです。
今は文化人枠としては完全にオワコン化したけど不動産業で成功してるよねハックルさん。
この本きっかけにまた何回かテレビに出してもらえるだろうから頑張って欲しいね。
一発屋の定義一生懸命語って、僕は一発屋じゃないのでもしドラ2は絶対に出さないのだ(キリッっていってたのにまさに自らが定義した一発屋のポジションにまんまと戻ってきたと思うと感慨深いね。
これで売れたら笑うけど売れなかったらタイトル以外は評価されなかったってことになるわけだけどよく出す気になったな。
ぶっちゃけもしドラ買うような層はイノベーションに興味ないと思うけど本人はどういうつもりなんだろうね。
今回も何万部売るつもりか宣言してくださいよ―。
http://www.pref.osaka.lg.jp/hisho/tijinitei/index.html
AIGジャパン・ホールディング株式会社ロバート・ノディンCEOとの面談
http://mainichi.jp/select/news/20151107k0000m020093000c.html
6日、大阪市内で記者団に対し「日本は自然災害が多い。保険会社としてリスク管理を第一義的に追求したい」と説明
http://www.aig.com/chartisint/internet/japan/ja/files/151106AJH_tcm807-707447.pdf
増田さんは後乗せサクサクってキャッチフレーズを聞いたことはありませんか?
これは20年位前に日清が天ぷらそばをリニューアルした際に作られたフレーズです
カップラーメンの具は湯を入れる前に入れておくもの、という当時の常識があったわけですが
ブヨブヨになった天ぷらを皆「なんか違うな」と思ってたわけですよ
「でも即席めんってそういうもんだよな。仕方ないな」と諦めてたわけですよ
そこに登場したシンプルな発想の転換
「3分待ったせいでブヨブヨになる?じゃあ、後から乗せればいいんじゃね?」
これが大当たりして一気に「カップラーメンの具は湯を入れる前に入れておくもの」という既成概念がひっくり返ったんです
その後は「じゃあスープを後から入れてもいいんじゃね?」「後から入れる具と先に入れておく具、二つ付けてもいいんじゃね?」
みたいに加速しちゃって、もう説明書を読まないとまともに作れなくなっちゃいましたけどね!
はてブほか、アド(=広告)広告掲載システムを喜んで使っているやつらは多い。
しかし、彼らは自分たちが「割れ厨」と同じことをしている自覚が無いのだろうか。
割れ厨とは、漫画・アニメ・ゲームなどのコンテンツやソフトウェアを正当な対価を支払わずに
無料で入手している人たちのことを指すのは御存知の通り。
このワードのポイントは、「正当な表現環境維持を行わず」、「無邪気に経済環境として利用」しているという点だ。
殆どの広告システム使用者は、自分の行動が割れ厨の行為と類似していることに無自覚である。
http://anond.hatelabo.jp/20150919145704
~~~~~~~~(改変煽り終わり)~~~~~~~~
Webの成立と普及により、コンテンツを届けるコストが劇的に下がった。それまでは印刷して配送するか、限られた放送枠を獲得するなどしなければならなかった。
この制約を新たな技術によって打ち破り、世界中で個々が保有する異なる計算機環境を接続してコミュニケーション可能にするために、Web(ないしインターネット)は通信ネットワークを相互接続するプロトコルとデータを表現する各種フォーマット定義によって基礎付けられている。(RFCをぐぐれ)
ここで合意されているのは情報をやり取りする方法であって、どんな情報を届けるのか、情報がどのように生まれてどのように使われるかについては制約は無い。そこをどう使うかは自由であり、そこにイノベーションの源泉があり、それがインターネットというものだ。もちろん各国の法はあり、そこに住まう人のWeb利用行動は制約を受ける。しかしそれはWebの決め事ではない。
~~~~~
「Webに広告を載せよう」うん。そのアイディアはいいかもしれない。もちろんそれも自由だ。
「広告のみをフィルターするシステムを作ってみよう」うん。もちろんそれも自由だ。
最も重要なのは、世界中の必要な人が容易に情報を提供し取得できること。
~~~~~
「サービスは無料ではない」を声高に叫ぶのであれば、会員制のシステムを構築して、ただ乗りを排除するために各国の法に依拠すればいい。何故そうしないのか?それはWeb上のガードされていないコンテンツであれば人々が気軽にアクセスすることを利用しているよね。
維持発展のためには資金も必要だからWeb広告という手段を否定はしない。しかしWeb広告というのは、気軽に情報授受ができるWebという環境がまず先にあって、その上に微妙なバランスで成り立っているビジネスモデルであるということを忘れないでほしい。
5年位使っていた電波目覚まし時計が電池の液漏れでこわれてしまったので、新しいものを買おうと思い、ネットで下調べをした。
いままで使っていた、比較的シンプルなデザインの製品は生産終了となっており、別のものを探さなくてはならないことがわかった。時計メーカーのサイトやAmazonで30分くらい探し続けて、驚いた。
どのメーカーのデザインも、30年位前から全く変わっていないように見えるのだ。というか、ばーちゃんの家に行くと置いてあった昭和40年代の時計と大差ないように見える。
http://www.seiko-clock.co.jp/product
http://www.rhythm.co.jp/search/result2.php?category_id=03011
置き時計たちの、この「昭和テイスト」はいったい何なのだろう。
自動車や携帯電話のデザインに比べると、驚くほど変化に乏しいように見える。
電波時計になったりして、内部の機構は進化しているはずなのに、デザインだけは、昭和のアパートの畳の上に置いてあるとしっくりくるものばかりだ。
置き時計のデザインは、変わらないことが求められているのだろうか。つまり、消費者が昔ながらのデザインを求めているから、古臭いものが売れ続けて、デザイン上のイノベーションが起きないのだろうか。それとも、置き時計はもともと利幅の薄い商品なので、デザインを変えて消費者に訴えかけるだけのコストをメーカーの側が払わないから、競争原理が働かないのだろうか。
朝ネットを見てたら、なんとなく気になった記事があったので読み進めて見た。
学習障害をもつ人の方がイノベーションを起こす確率がずば抜けて高い、ということだが、
"チームにはそれをさせず、奪ったボールはすべてレイアップで得点するという方法で勝利していき、試合のほとんどが4-0、6-0、8-0などの完封試合でした。"
これ、サッカーとか野球とかなら分かるスコアなのだが、バスケットでこのスコアになるって
どういう状況なのだろうか?
"レイアップで得点する"という具体例をあげているので、恐らくソースがあるのだと思い探して見ると、
http://www.sfgate.com/sports/article/Owner-Ranadive-pushes-technology-for-Warriors-2831861.php
その中に、
"He proceeded to take a group of seventh- and eighth-graders to the National Junior Basketball national championship tournament. Distressed by the basketball norm of retreating past half court before starting to play defense, Ranadive directed his team to use a full-court press the entire game. His team created turnovers in the backcourt consistently and scored easy layups off the steals."
という記載あり、恐らくこの部分が該当の内容になるのだとは思うのだが、
点数については何も書いていない。
(私がよく読み込めておらず見落としている可能性もある)
(ただ、元記事の末文には"※今回の記事はマルコム・グラッドウェルの「逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密」という本を参考にしました。素晴らしい本なので是非読んでみて下さい。"と書いてあるので、
該当の本の中に点数について記載があるのかもしれない)
4-0,6-0,8-0という点数で勝ち上がるチームがあるなら是非一度見てみたいものだが、
それとも、元の本が間違っているのだろうか?
本の内容見たことある人は教えて下さい。
「男性必見!松屋銀座バイヤーが教える「この時期、ビジネスシャツの下には何を着るべきか?」
http://next.rikunabi.com/journal/entry/20150818
この記事の方は写真の格好で炎天下の真夏東京の外を歩かれてるわけ?それってどうなの?この格好と立派なお髭で真夏にご訪問頂いたら、私だったら、うっ、となるけどな。
たしかにイギリス人はYシャツの下に何も着ないよ。それは英国の気候があってのこと。普通に生活していたら汗かく機会なんてないから。
BBC Weatherでロンドンの気温調べた?今日8月19日の最高気温22度、最低気温14度だよ。8月のこの時期でだよ?
朝の通勤時間とかさ、暑いんじゃないよ。寒いんだよ。8月でだよ?
「そもそも半そでシャツを着る習慣があるのは日本と米国ぐらい。国際基準で見れば、ドレスコードに反した服装です。」
半そでシャツを着る習慣がない?そりゃそうだよ。カジュアル服だって半袖の登場機会なんて1年に1週間あるかないか。しかも室内入ったら寒いくらい冷えている。
でも、私もビジネスの半そでシャツは格好いいとは思わない。これだけはこの方の言っていることに同意で、袖口が開きすぎている。7部袖くらいの洒落たクールビズYシャツの登場待ちかな。
日本では、欧州人はジャケットを脱がないという話も良く耳にする。全然そんなことない。単なる俗説。
オフィス(一応シティーだ)では脱いでいる人のほうが多い。シワになるし仕事しにくいからね。ただし私は英国では脱がない。オフィスが寒いから。
オフィシャルな場では当然ジャケット着用だが、これは日本でも同じじゃん。
「ビジネスで日本を訪れる海外のビジネスパーソンは例外なく国際的なファッション基準を守り、真夏であろうがネクタイを締め、スーツを着用しています。」
私は英国人をつれて真夏の東京にも出張する。東京に行き慣れない英国人は普通に英国と同じ格好でいくわけ。
知らないから。日本がどれだけ暑くてジメッとしているか。当然事前に言うわけ。東京は暑いからイギリスと同じ格好は絶対ダメだよ、クールビズというのがあってね、と。
彼らも37度とか知らないわけじゃないんだ。スペインとかそのくらいの温度になるからね。でもカラッとしてるんだよ。日本ほど汗かかないわけ。そういうの想像しているわけ。
結果、外歩いたりするとシャツがビショビショになる。シャツの下に下着着ないから、スケスケになる。見ていて見苦しいったらありゃしない。ただそこまではレアケース。
だって彼らは炎天下に外歩かないから。電車乗って駅から歩くとか少ないから。基本全部タクシー移動だから。なんとかなるわけ。
それでもオフィスが暑いわけ。日本は。ロンドンのオフィスは20度台前半。だって外の最高気温もそんな感じだし。
日本は28度とかなわけでしょ。だから暑いわけ。彼らは暑い暑い言うわけ。ここが同じ暑い国でもシンガポールとかとは決定的に違うわけ。
シンガポールのオフィスとかキンキンじゃないですか。キンキン。
で、日本人のクールビズを見て、日本ではやっぱりコレだと分かって、次からは真似するわけ。ジャケットなし、ノーネクタイね。
それが日本のコードだと知れば、彼らもそれに抵抗はないわけ。イギリスでもオフィスではだいたいその格好だから。
これが英国人の夏の格好の実態ね。何が言いたいかと言うと気候が劇的に違うのよ。それを無視して本場ではこうだからミーの言うとおりにしなさい、と言っても滑稽でしかないわけ。
そりゃスーツは訪問着かもしれないけど、パーティー出るわけじゃないんだから、サスティナブルなものじゃないとダメでしょう。
クールビズが始まった当初はみんなカッターシャツのボタンを空けてて、しかも丸首の下着がのぞいていたりしてさ、そりゃ見るに耐えなかったけど、今はVネックの下着になり、
ボタンダウンで襟の高いシャツを着るようになって見られるようになったじゃない。次は格好いい半そでシャツを開発する番だと思うんだよ。
服飾業界にいるなら、本場ではこうだからコレが正式ですなんてアヤシイ本場論で服を売ろうとするんじゃなくてさ、日本の気候にあった夏の服装を格好良くして欲しいわけ。
所得課税より資産課税のほうが今の時代に向いているんじゃないかな。
資産課税をするとキャピタルフライト(資本逃避)が起こって、円は暴落するかもしれないけど
その結果さらに製造業は強くなって、労働者の賃金はドルベースで安定すると思うんだよね。
輸入品が値上がりして輸出しても儲からなくなるっていう、なんだかアレな論議があるけど
全部ドルベースで見れば、円が下がれば特に極端に下がれば輸出には強くなるんだよね。
所得税を0で資産課税をかなりキツメにしちまえば、どれだけ高所得でも宵越しの金を持ち越さずぱぱーっと使って景気は物凄く良くなる。
格差ってのは資産ストックの差が殆どだと思うので、そこに課税しちまえば一発でフラットな社会になるんじゃないかな。
周りを見る限り、格差はこれからもどんどん拡大していくと思うんだよね。
友人たちの子供は超絶な金持ちとして、資産を受け継ぎ資本主義にうまく立ちまわるチートのようなプレイ教育を受けて
金融立国や今やっている過剰流動性でインフレ政策で経済成長って結局
金持ちがより天文学的な金額を稼ぎ、今の人たちはちょっと落ちぶれるか何も変わらないっていう世の中がずーっと続いて
20年後、ほらやっぱり経済成長して豊かな国になりましたよね?だからこれからもこれでやっていきましょうっていう風にしか見えない。
最終的には格差を是正する為に自滅する戦争でリセットを押すしかないんじゃないって気がする。
それよりかは多少の代償を払っても資産課税でうまく潤滑に資本が回る社会にしたほうがいいじゃないかって思うんだ。
タンス貯金に関しては、マネーの電子化により一発補足ができるのではないでしょうか。
外国人になってしまった元日本人のシンガポール人の富豪さんは、日本においてある資産だけ課税すればいいんじゃないでしょうか。
キャピタルフライトしてしまえばその分円は落ちるので、また稼ぎやすくなってあぶく銭がキャッチボール的に高速回転するはずです。
よって資本利益率は高くなるでしょうから、資産課税覚悟で投資したい人は増えて帳尻が合うはずと希望的観測をしておきます。
資産は隠されるってのはその通りで、現物に交換して貯蔵しようとか考えるはずですね。
所得もそれと同じで税務署がそのために必死になって、調査しているのではないでしょうか。
商取引を全部電子化してしまえば、課税逃れは難しくなるんじゃないかなー
大きな変化には革命が必要なのはそうでしょうね。革命って響きはかっこいいけど殺し合いですよね~。
なんか革命以外にうまい方法はないんでしょうかね。ひとつはローマ時代にならって
素晴らしい洞察だと思います。ミニマリストと消費税のくだりは痺れました。
政治の世界はグローバル化で資本逃避を過度に恐れているように思います。
だからこそ法人税減税、所得減税、相続税減税の方向にプレッシャーがかかっているのだと思います。
だからあえて主張したいのですが、資本逃避ウェルカムの方向で政策を行ったほうが面白いんじゃないかと。
資本逃避を許容すれば、相続税も所得税も法人税も好きな様に決められます。
現状はスイスやシンガポール、ニューヨーク、ロンドン、香港のような小型のグローバル都市や国家に有利な体型となっています。
彼らとしのぎを削って、税金のダンピング競争をしたところで不毛な結末しか見えてこないと思います。
結果国は栄えても、多数の貧民とごく少数の巨万の富を持った富豪という形ですね。
GDPが増えても、凡人は豊かになれない。資本逃避を恐れる限り、相続課税の強化は無理でむしろ低減させていくしかない。
相続税を今のままだと金持ちはどんどん逃げていくし、現に今のキャピタルゲイン課税なんてシンガポールに行く気にさせるには
十分な同期になりえます。
それに友人たちの資産の増え具合を見ているに、教育程度で使える範疇じゃないんですよね。年収億とか稼いでそれが
福利で増えて、それがうん十年はたまたうん百年続くわけですよ。もうわけのわからん増え具合ですよ。
それなら資本逃避させてでも金が回るようにして、凡人が豊かな社会のほうがいいじゃないかなーって思ったわけです。
ストックを削らせて、フローを増やす(回す)ということですね。
最後にこのような過激な政策を本気で日本で行った場合、屍が広がる未来となるかこの世の楽園となるかは分かりません。
だからこそ本来は、地方分権でいろいろ実験ができる仕組みにした方がいいと思うんだよね。
会社という組織はそのミニマム版でいろいろな多様性ができていると思うんだけど、国家で会社に相当する
無茶やイノベーションを実験できる、嫌だったらすぐ辞めて他の会社に行けるような地方組織ってないんだよね。
8/3 追記
そうじゃなくってもっとエゲツない富裕層が複利の魔法でとてつもない
勢いでお金を増やしているんですよ。そういった層にはインフレもパワー不足
複利の魔力にはパワー不足
ポジショントークとしては資産数百億とか数千億数兆円もっている方々を
資産課税でご退場して頂けたらより投資案件の利回りが上がると思うんだよね
身近で富裕層を見るにつけ住む世界が違いすぎるし、圧倒的なチートプレイをひしひし感じるわけです
お前ら信じられるか
イケメンで好青年で嫁がいて資産数十億持っている奴が本当にいるんだよ
それも一人じゃない 今時10億円持っているのはなんでもないんだよ
俺の周りにもポツポツいる。
100億の投資家仲間はいないが25億の投資家なら会って話した事もある
今まで以上の格差、チートプレイを身につけた奴らがますます知識武装して
よりマッチョにさらに激しく複利のエンジンを加速させて行っているんだよね
そこで努力が云々とか頑張れば報われる的な
インセンティブがなくなりうんたらとかそういうのは対象が少額過ぎて
圧倒的な複利のパワーには虚しく響き渡るだけなように思えるんだよね
結構真面目なビジネスの相談があるのだが、各種オンラインストレージに対応したクラウドダウンロードサービスって作ったらかなり金になるんじゃなかろうか。
というのは、rapidgatorとかuploaded.netとかってサービスから色々ダウンロードする人は少なく無いと思うんだ。
かといってスマホにファイルダウンロードするのもあとで移動とか面倒臭いし、外出先の転送制限なんてあっというまに越えかねない恐ろしさがある。
そこで、そうしたストレージサービスのデータをダウンロードできるオンラインストレージを作るんだ。
そうすれば端末に直接データをダウンロードする必要もないし、時間のあるときにオンラインストレージにファイルを貯めて置けるだろ?
ダウンロードしたいファイル一覧を登録したら、あとはスマホでダウンロードの操作を繰り返し、あとで時間があるときにでもデスクトップにまとめてダウンロードすればいいんだ。
こういうアップローダーのめんどくさいのは、いちいちダウンロードする度にボット判定のための文字入力をさせられることだ。
これなんかもスマホに通知だして入力させられたらかなり効率よくものが運ぶと思うんだ。
たとえば人気のダウンロードファイルとか検知させたら、それこそ改めて取りに行かせるよりサジェストしてそこにあるデータダウンロードさせちまえば実のところ、そんなにサーバー容量は圧迫されないんじゃないか?
法律のこととかわからないけど、P2P廃れた今、盛り上がりつつファイルダウンロード界隈にかなりのイノベーションをもたらすと思うのだがどうか。
広告収入想像しただけでもかなりやばいことになると思うのだがどうか。
※追記
なんだい。テクノロジーの話をしているだけだよ。
ダウンロード代行ストレージみたいのってなんでなかったんだろうなってこと。
しかもプレミアムアカウントに登録するとBOT判定の文字入力をオペレーターが代行します、みたいな感じで、逆に文字入力してくれる人は1ワード0.5円くらいもらえますなんてやればさらに盛り上がりそう。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1303481
これからの世の中では、日本人は、出身大学によって次のように2階級に分かれることになる。
いわゆる「スーパーグローバル大学(トップ型)」に在籍中・卒業生の皆さんおめでとう。
北海道大、東北大、筑波大、東京大、東京医科歯科大、東京工業大、
名古屋大、京都大、大阪大、広島大、九州大、慶応義塾大、早稲田大
(文系しかない一橋大学がスーパーグローバル大学から外れたことも最近の安倍政権の方針と極めて整合的だ)
上記以外の大学に入った人。仮面浪人をしてでも上記の大学に入りましょう。
G型大学に入らない限り、あなたの子供は「下級国民」と呼ばれ続けることになる。
女性が男を見る目も変わるだろう。「彼、イケメンだけどL型大卒か・・・」
ママ友の集まり等でもL型の家庭の奥さんは肩身の狭い思いをすることになる。
大学入試でどこを受験するかは、これまでより遙かに人生へのインパクトを与える。
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という無知なコメントがありますが、それはナイーブすぎる認識。全然違う。
のような先端の研究を念頭に置いて基礎教育をするわけ。合成高分子、ナノマシン、iPS、サイバニクス、などなど、先端の研究をやっている教員自身が教える。
「一般社会が大卒者に大学教育の内容を期待することはあんまりない」なんて書いている人がいるけど、それは、あんたがそういう企業に行っているのか、あるいは、あんたが大学でサボっていたんだよ。もしくは文系だったのか?
上記のような、イノベーションの核になるような知見を学ぶわけではなく、職業訓練学校のようなカリキュラムが望まれているんだよね。
会社で何か面白いことをやろうとしても、広報観点とか、ゆくゆくは法務観点とかでNGとなることが多い。
尖ったことをやろうと思えば、それを面白いと思う人もいるかもしれないけれど、同時に「目障りだ」とか「不愉快だ」と思うつまらない人たちがいて、法務とか広報はいつでもそっちの人たちの見方だ。
やれ「レピュテーイションリスクが」とか「内規上の観点としては」とか、よくわからない理由でストップがかかる。
かといって、連中に「じゃあ面白い対案はあるのか?」と聞くだけ無駄で、「管轄外なので」「うちらが決めたルールに従った上で」とか
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」なんていう唄もあったけれども、
このままでは日本のイノベーションは法律屋に殺されていくのじゃないかと危惧する。
クリエイティブとは、ある意味ルールとかレギュレーションから溢れる部分もあるわけで、
ある意味、賭けだ。
国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示
http://www.sankei.com/life/news/150528/lif1505280016-n1.html
地方国立大学の中の人(教員)ですが、中の人の感想としてこれはやむを得ない感が強い。
まず無駄な混乱を防ぐためにも、人文系の学問の重要性云々の話は論点ではないことは明言しておきたい。
どんな学問だって崇高で立派だと思う。そこに優劣はない(と思いたい)。
しかし、それで飯を食ってる教員、授業料で負担している学生、税金で負担している国民がいる以上、
経済的活動としてどの程度の研究・教育活動の規模が適正かという議論はあってしかるべきだと思う。
どうして規模縮小が仕方ないと思うか、理由を考えた。
一方で、大学に入りさえすれば、就職がなんとかなると思ってる人が多すぎて困ってる。
メディアのニュースの取り上げ方からしても、大学卒業=適切な就職先が見つかるべき。
といういささか謎な前提を皆受けれいている気がする。
まあ社会的に見て若者の労働力化を進めるという立場からすれば妥当な価値観なんだろうけど。
本来的には、大学(とくに人文系)っていうのは社会の価値を見直すという側面があるから、
就職などという現世は忘れて、人類の高みを目指して謎修行しますとか、放浪してしまうとか
そういう人が出てきてもいいはずでそういうのが本来の大学だろうと思う。
しかし現場では、国立大学に入学できたんだから、就職先はそれなりのところに落ち着くだろうという期待を
そのギャップが今の大学の抱える課題の大きな要因だと思うことが多い。
大学の中の人は、そこを都合よく使い分けていて、すこしズルいなと思う。
高校生に期待だけ持たせて、3年後に厳しい就職活動を経験させてしまうことを繰り返してる。
そういうことを受験前の高校生に説明してあげないと詐欺っぽいと思う。
その説明を十分に行った上で、いまの定員が満たせるんだったらそのままでいいんじゃないかな。
一方で、理系の一部の学問分野で学べば、プログラミングや機械の設計など
とてもわかりやすすぎる技能獲得ができるわけで、そういったライバルに対して
獲得できる能力の社会的アピールという点で、圧倒的に負けてるとも思う。
教授会という学問自治を盾にした会議がある。まあはっきり言って実に議論がくだらない。
そこである程度教員集団が合意しなければ、組織的な意思決定が出来ないようになっている。
端的に言って、大変な時間をかけて、ろくでもない意思決定をしてる(個人の感想です)。
一方ネットが普及して、人々が知識や技能を獲得するという教育本来のプロセスに
かつてないイノベーションが起きつつある。特に高等教育の分野で、専門的な知識の獲得で顕著である。
にもかかわらず、テクノロジーを理解している人が人文系には少ない上に、
伝統を重視しているのか、意思決定できないのかよくわからないけど、
まあこれは人文系に限った話とは限らないのだが、人文系の酷さは
「社会に合わせて変わろう!」という方がどうかしているんだろう。
それなりに善処しようと頑張ってる人も多い。
トラバついていたのに気がつくのが遅れました。ごめんなさい。届かないかもしれませんが、お答えさせていただきます。
なんで中長期的に見れば増収になるって言えるの?
俺の考えでは、消費税というのは消費の度にうんざりさせられるものだから、消費が冷えるのは自明だし、その効果は永続的に思えるのだけど。
それとラッファー曲線の右側にいるか左側にいるかって、何か実証されてるのかな?
あんたの主張は日本は左側に居るってことなんでしょう?言い出したのはあんたなんだから、先にそれを論証するのが筋なのでは?
もっと言うと、ラッファー曲線って消費税は関係ないのでは?消費税100%でも税収はゼロにはならないんだから、当てはまらないでしょ?
確かにラッファカーブそのものじゃないですな。短絡しました。ごめんなさい。
他方、消費額×消費税率で、税率の伸びを消費額の減が相殺してなお余るから税収が減る、ってのはラッファカーブの考えの敷衍とは言えるんじゃないかな。ラッファカーブの眼目は、どこかに税収の極限があって、その左側では税率が低いゆえに税収が下がり、右側では課税標準が低いゆえに税収が下がるってことなので。
で、日本は左側にいるってことの論証は、日本の国民負担率が世界的には低い方(消費税だけで言うなら、付加価値税の税率が低い方)だ、ってことでとりあえずは足りませんか?
BIなんて財源が絶対に確保できないと思うから考えるだけ無駄だと思うんだが、それは置いといて、
宇宙人の謎の技術を駆使してなんとかBIを導入できたとしたら少なくとも生活保護や年金は廃止できるんでしょ?
じゃあ、それで良いのでは?
BIで「采配の仕事」とやらがなくなると書かれていたので、なくならないと指摘しただけですので。財源が確保できないから現実的でない、というのには同意です。
ここが一番よくわからなかった。逆に元増田の意見はすごく理解できた。
大企業の方が中小企業より国際的な取引が大きくて、輸出も当然大きいよね?
この時点で日本で消費増税されても大企業は相対的にダメージは少ないと思える。
さらに中小企業からすれば大企業はお客様なんだから、消費税を価格に転嫁しずらい。
(下請け企業は増税分を値引きさせられてて辛いって話は誰でも知ってるよね?あんたは知らないの?)
でも大企業は輸出戻し税を受け取れるから、実質的には仕入れ値が値引きされる分だけ安くなるってことにならない?
輸出分は、「転嫁しずらい」どころか制度的にまったく転嫁できないから戻し税があるわけで。続くトラバでも指摘されてたと思うけど、戻し税がなかったら下請けイジメはもっとひどくなるよ、きっと。うちがまったく転嫁できないんだから、お前らにだってびた一文払えん、って。
とまれ、元の文章でも書いたけど、どっちも払うか、どっちも払わないかが理屈だから、世界中のどこの付加価値税を見たって、輸出戻し税的なものは必ずあります。日本だけなくすの?
あと、消費税はベンチャー企業のイノベーションを阻害して大企業の緩慢なペースに世の中を合わせる効果があるってのは、
かなり斬新な意見で感心したんだけど、あんたはどう思う?
国際比較で付加価値税率と起業率の関係を調べるのでもなんでもいいけど、何かしらのエビデンスが伴ってからですかねぇ、まともに取り合うとすれば。元々の話は、大企業は生活必需品を扱っているから云々ってものだったけど、バズワード的にいえばコモディティ化してるというかレッドオーシャンというか、その手の分野だということになるんで、一般論としていえば、完全競争市場に近くて生活必需品の方がしんどいんじゃないんですかね。ついでにいうと、消費税には悪名高い免税点制度があるんで、他国の付加価値税に比べるとベンチャーに有利だと思うよ。
横からすまん。どちらも興味深く読ませてもらった。
1.税収の増減を考えるときに増税後の1年だけ考えてどうする。増税した年に景気悪化で税収が下がったところで、景気循環を均して中長期的に見れば増収になるに決まってるだろ。そうでないというなら、現在の日本がラッファカーブの右側にいることを論証せよ。
なんで中長期的に見れば増収になるって言えるの?
俺の考えでは、消費税というのは消費の度にうんざりさせられるものだから、消費が冷えるのは自明だし、その効果は永続的に思えるのだけど。
それとラッファー曲線の右側にいるか左側にいるかって、何か実証されてるのかな?
あんたの主張は日本は左側に居るってことなんでしょう?言い出したのはあんたなんだから、先にそれを論証するのが筋なのでは?
もっと言うと、ラッファー曲線って消費税は関係ないのでは?消費税100%でも税収はゼロにはならないんだから、当てはまらないでしょ?
2.BIを入れたって、生活保護や年金の代替にはなっても、健康保険や介護保険の代替にはならん(正確に言うと、世のBI論者がいう規模では)。
BIなんて財源が絶対に確保できないと思うから考えるだけ無駄だと思うんだが、それは置いといて、
宇宙人の謎の技術を駆使してなんとかBIを導入できたとしたら少なくとも生活保護や年金は廃止できるんでしょ?
じゃあ、それで良いのでは?
4.輸出戻し税について、自分で「外国に売る分には日本の消費税がかからない、という事もあるが」って書いていることの意味がわかっているのか? 払う方では消費税を払っているのに、受け取る方では消費税相当額を受け取っていなかったら、輸出企業は身銭を切って消費税を払わなきゃならんだろうが。外国相手では買い手から受け取るわけにはいかないから、税額を戻してもらっているだけだ。どっちも払うか(国内取引)、どっちも払わないか(輸出)、いずれにしたって損得なし。
ここが一番よくわからなかった。逆に元増田の意見はすごく理解できた。
大企業の方が中小企業より国際的な取引が大きくて、輸出も当然大きいよね?
この時点で日本で消費増税されても大企業は相対的にダメージは少ないと思える。
さらに中小企業からすれば大企業はお客様なんだから、消費税を価格に転嫁しずらい。
(下請け企業は増税分を値引きさせられてて辛いって話は誰でも知ってるよね?あんたは知らないの?)
でも大企業は輸出戻し税を受け取れるから、実質的には仕入れ値が値引きされる分だけ安くなるってことにならない?
あと、消費税はベンチャー企業のイノベーションを阻害して大企業の緩慢なペースに世の中を合わせる効果があるってのは、
かなり斬新な意見で感心したんだけど、あんたはどう思う?
理系はてなーのみなさんは、MIRAIに関するさまざまな問題点の指摘をすでに目にしているだろう。
曰く、水素自動車に使われる水素は結局は電気で作るほかなく、その電気は化石燃料含めた既存の発電設備で作る。化石燃料をそのまま使う内燃機関車や、電気の段階でエネルギーを受け渡すEVより多段階のエネルギー変換をしているわけだから、そのぶんエネルギー効率が落ちている(実際、コストで比較するとHVやEVよりも燃費は悪い)。水素ステーションという社会的インフラ基盤を整備するコストも高い。液体ではなく気体を扱うわけだから設備にもそれだけ高い保安性能が要求される。1拠点で1億円かかると言われている。エネルギーロスがある技術に、多大な社会的投資が必要になる。
これらはすべて、MIRAIという車両の「川上」に属する問題だ。でも、MIRAI自体の問題について指摘した文章をあまり目にしていない。そこにこそ「MIRAI(FCV)には未来がない」ことの雄弁な証拠があるというのに。
なんでMIRAIには未来はないと思うのか。端的に、でかすぎ、重すぎなのだ。クラウンよりも5mm短くて横幅が15mmでかい。同サイズ以上。車重は2000kgオーバー。定員は4名で、後部座席の足元は前席下に入らない。トランクは狭小。これが、FCVに未来がないことの証拠だ。
そんなことがなぜ問題なのか。「初代の実験的販売車だからいいじゃないか。そのうち改善されていくだろう」。そうではない。たとえば初代プリウスはMIRAIより全長が600mm、横幅は100mm短く、車重は1200kg台で、定員5名だった。MIRAIより800kgも軽いのだ! 初代プリウスをあれだけコンパクトなパッケージにまとめたトヨタが、MIRAIでは会社の命運を賭けてもここまでのパッケージングしかできなかったということが、FCVの将来を暗示している。MIRAIはHVに比べても、積載している技術要素が多く、しかもそれぞれ小型軽量化するのが困難な技術的制約があるから、この大きさと重さになってしまっている。以下、それぞれの技術要素について言及する。
まずFCスタック、燃料電池部が重くてでかい。この重さと大きさでどうにか155psを確保した。2tを超える車重を動かすにはおっつかっつのレベルだ。しかも、その性能(重量出力比)を規定しているのが化学反応の領域なので、技術革新のペースが電子技術や機械技術よりも格段に遅い。これは燃料電池だけでなく、電池技術の一般的な命題として知られている。実用車として必要な出力を確保するには、大幅な小型化は難しいだろう。
高圧水素タンクも重くてでかい。でも、これ以上小さくすると650kmという内燃エンジン車の平均的航続距離を切ってしまう。タンク圧を上げればそれだけリスクが増す。現状でも水素自動車スタンドでは危険性を考慮し、専任オペレータがチャージしなければならない(=セルフ補充はできない)仕様なのだから、これ以上の高圧化の可能性はないだろう。そしてタンクの耐用年数は15年だ。しかも2年毎に定期点検が必要になり、一般の車検場では検査はできない。とてもエコだのサステナビリティだのを胸を張って主張できるような代物ではない。
水素ガスの供給系も重いしでかい。燃焼性の液体を発火プラグの直前で気化する内燃機関に比べて、気体を高圧タンクからスタックまで送り込むのだから、配管の気密性もポンプの性能も桁違いに保安基準が高く、それだけ重く大きくなる。これも技術的制約であり、簡単に解決できるようなものではない。ちなみにこの車には数ヵ所に水素ガスのガス漏れ検知装置がついている。
廃熱系も重くてでかい。水素自動車は水しか排出しない。つまり排ガス経由で廃熱を抜けない。しかし燃料電池部分はかなりの発熱を伴う。FCスタックで起きているのは、酸素と水素から電気と水と熱を作る反応だからだ。だからあの異形の巨大グリルが必要になり、その内部に大型のラジエーターが鎮座している。これも化学反応の特性に紐付けられた制約だから、技術革新で容易に克服できるものではない。
バッテリも、EVほどではないにしろ、それなりに重くてでかい。FCスタックだけでは柔軟な出力制御や回生はできない。だから大型の補助バッテリセルを積んでいる。FCスタック+モーター+バッテリというパワートレイン。これエンジン+モーター+バッテリとパラレルな、要はHV車と同じような構成なのだ。HV並みにパワートレインの構成が複雑で、構成部品も多い。しかも可燃性気体を扱うぶんだけ重く大きくなる。これは技術革新だけでどうにかできるような問題ではない。FCVという特定のテクノロジーの組み合わせによる、固有の限界、固有の制約というものがある。それがMIRAIの初期モデルの性能と価格を規定している。こう説明すれば、理系はてなーは直感的に「あっこれ、技術的に筋が悪いな」と感じるのではないだろうか。
だから値段も高い。補助金なしなら700万円オーバーだ。そこに、国民の皆様の血税が220万円注ぎ込まれて、やっと500万円程度になる。ちなみに初代プリウスは補助金なしで215万円だった。おわかりいただけただろうか。だからMIRAIには未来がないのだ。
2021年6月16日、ホンダ・クラリティFuel Cellの生産中止が発表された。ホンダ、FCV生産中止 販売低調で : 日本経済新聞 理由は販売低調。そりゃそうだ、高い(783万円)、でかい(全長4915mm・全幅1875mm)、買いにくい(リース専用)。2021年6月時点でも全国の水素ステーションの数は147箇所止まり。助成金たんまり乗せて官公庁と法人に買ってもらうしかマーケットがない。そもそもクルマとしてのユーティリティが乏しいFCVで、さらにあえてホンダ車を選ばなければならない自治体や企業はほとんどない。全世界での累計販売台数はわずか1900台だったそうだ。FCV全体を断念するわけではなくGM合弁でFCVは続けるということだが、あくまで保険的なムーブだろう。
もう一方のトヨタ・MIRAIはどうなったかといえば、こちらも累計販売1万台・国内販売3700台と全く振るわない状況だったが、2020年12月にガラッと雰囲気の変わった2代目が出てきた。https://toyota.jp/mirai これが実にお見事なのだ。といっても「これなら売れる! FCVの時代が来た!」という意味ではない。5年前にこの増田で書いた諸問題をまったく解決できないまま、それでも「FCVには将来性がある」という幻想を維持するために、針の穴に糸を通すようなコントロールで商品企画をやり直し、それにある程度成功している、ということだ。
どういうことか。まずボディサイズだ。レクサスLSと同じGA-Lプラットフォームを採用して、全長4975mm・全幅1885mmに。ちなみに初代は全長4890mm・全幅1815mmだった。初代よりひとまわりデカくなっているのである! 価格は? 細かくグレードを刻んで710万円〜860万円。こちらも高くなっている! 高圧タンクはどうなった? なんと3本に増槽している。しかも1本は運転席の真横に据え付けられている。
全幅1885mmにして、巨大なフロアトンネルにも水素タンクを入れて、750〜850kmという航続距離を確保。全長4975mmにして、ゴルフバッグ3個分のトランクを確保。大径タイヤを採用して地上高を上げ、タンク寸法を拡大。とにかく、全体をデカくすることでどうにかした。「技術的課題を解決しないという解決をした」ともいえる。
一方でトヨタはさすがだなと思うのは、そういう「FCVの限界に気づかせないための、ほぼ唯一の正解ルート」を新型MIRAIでちゃんと選んでることだ。上司に「お前、FCVなんとかしろや」と言われた時に現場が練ってくる商品企画としては、ほぼ100点満点といえる。つまり、デカさと高さを「これはあくまで高級車、ラグジュアリーカーなんですよ〜」という建て付けにすることで、「要素技術的に小型化・低価格化が困難」という自家用FCVの致命的欠点を希釈したのである。
自家用FCVの「デカい・狭い・高い問題」を誤魔化せるのは、もともとボディサイズが大きいスポーツ寄りの大型セダンか大型SUVぐらいしかない。だがエコカーの上得意である自治体や法人はSUVを買わない。だからMIRAIは「レクサスLSみたいな、スポーツ寄りの大型セダン」になった。2代目MIRAIは、顔つきこそスポーツカーっぽいが、シルエット的にはギリギリ自治体・法人用のショーファードリブンカーにも富裕層向けのドライバーズサルーンにも見えるし、実際に両方のニーズをそこそこ満たせるように作ってある。辻褄は合ってる。
ショーファードリブン用途に供するために、狭い車内で後部左右席をめいっぱい広く取った。だから後部中央席は実用に向かない。あくまで「5人定員」というカタログスペックのためのエマージェンシーシートだ。これはファミリーカーなら大きな欠点だが、ショーファードリブンやドライバーズサルーンなら別に困らない。ほとんど使わないから。辻褄は合ってる。
後部中央席を実際に使わない想定なら、フロアトンネルを大きくしてそこに水素タンクを増槽してもいいよね、となる。結果として航続距離が伸び、600km→850kmになった。これで水素ステーション不足の問題をある程度緩和できている。辻褄は合ってる。
ガッチガチの制約条件の中で唯一の正答を導く論理パズルみたいなことになってて、しかもちゃんと正解してる。さすがトヨタ。だがこれは「やっぱりFCVで大衆乗用車(5人乗り+5ナンバー)を作るのは無理でした」という事実上の敗北宣言でもある。やはりMIRAIには未来がないのだ。
おそらくトヨタも、自家用FCVという路線にはもう勝ち目が薄いと認識していると思う。そこで繰り出してきたのが水素エンジンという隠し球。技術的にはそう目新しくなく、過去にも複数メーカーが販売している。ただカーボンオフセットが問題視される以前は既存のガソリン内燃車に比べて全く優位性がなかったし、そもそも世の中に水素燃料のサプライチェーンが存在していないから普及することもなかった。
でもFCV普及が厳しくなった今、水素エンジン車は、既存自動車メーカーが手持ちの技術資源を使ってEV勢に対抗しうる希少な選択肢になる。内燃で培った基幹技術の多くを使い回せるので、今からでもイノベーションで先行するEV勢にキャッチアップしやすい。ミッション系ほか大手下請サプライヤーもそのまま連れて行ける。ガソリンに比べて重量エネルギー効率はかなり悪いが、お得意のHV機構と絡めれば何とか燃費も実用域まで持っていける可能性はある。官民を巻き込んだ水素ステーション全国展開というプロジェクトの延命もできる。モジュール化に不向きなので中長期ではEV勢に対してどうしても不利になっていくが、レガシーの技術を延命させて戦えるとこまで戦うというのも旧主派勢力の立派な戦略だ。3代目MIRAIは、出るとしたら普通の水素エンジンHV車に生まれ変わっているかもしれない。
(続きを書きました https://anond.hatelabo.jp/20210820195856