はてなキーワード: チャボとは
保育園の頃、クラスの女子が2つに分かれて園庭で何か争ってた。
私はその時チャボ小屋眺めててその流れに乗り遅れた。本当にいつの間にか、気づいた時には喧嘩が始まってた。
おっとりした子のグループとハキハキした子のグループに自然と分かれてて、凄いなって思った。自然に、こんなにきれいに分かれるんだなって。
で、私は誘われてないことに気づいた。
多数決で争ってて、人数が拮抗してるらしい。大声で叫んでるからわかる。
チャボ小屋は園庭の角にある。遮蔽物もない。あの子達から私が見えているはずなのに、誘われない。7対7とかであと一人で決着はつくのに。
べつにチャボ見たいからいいもんと思いながらチャボに向き直った。
あの頃から私は要らなかった。
鶏は江戸時代から食用となり品種改良や料理本が出るようになった
戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらした[42]。江戸時代初期の寛永4年(1627年)にオランダ商館一行が江戸へ参府した際には道中でニワトリと鶏卵が用意されたという[43]。
江戸時代には無精卵が孵化しない事が知られるようになり、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリが飼われるようになった。寛永3年(1626年)に後水尾天皇が二条城へ行幸した際には鶏卵を用いた「卵ふわふわ」が出され[44]、寛永20年(1643年)の料理書『料理物語』では鶏卵を用いた各種の料理や菓子が記されている[45]。また、江戸初期には海外交易が盛んとなっており、朱印船によって軍鶏、チャボ、烏骨鶏が日本へと移入された[41]。
江戸時代中期以降、都市生活者となった武士が狩猟をする事が少なくなり、野鳥があまり食べられなくなり、代わって鶏肉が食べられるようになった。文化年間以降京都や大阪、江戸において食されるようになったとの記述が「守貞漫稿」にある[46]。料理書において鶏肉・鶏卵が登場し、1785年には「万宝料理秘密箱」という鶏卵の料理書も出版されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA
いいじゃないか。
並大抵の覚悟ではできることではない。
わざわざそんなことをしなくても十分得るものは得たのに。
それでもなお書くというのは並大抵の勇気ではない。
競争考みたいなつまらない本を出した時はこの人ほんとに終わったかと思ったけど
そんなことはなかった。とても嬉しい。
だからこの本は買う。買って読む。
読んでみておかしいなと思ったらちゃんと指摘するし
ハックルさんの読み方がさすがだと思ったらちゃんと絶賛させてもらう。
ところで。
ラノベ企画の続報はどうなっておりますか http://info.nicovideo.jp/seiga/hucklenovel/
もうイラストレーターが決まってから2年経つんですがまだですか?
ライトノベルの書き方をブロマガで一生懸命書かれてましたがついに終わったということはもうすぐ出るって思ってていいんですよね?
もしかしてラノベ出る前に「ラノベの書き方の教科書」って本出したりしないですよね。
でもラノベは頑張ってくれないと困る。
ラノベの話が出てくるまで、今まではずっと岩崎夏海さんのことは
企画者としては優秀でも文章が本当に退屈でつまらない人だと思って読んでました。
もしドラ読んでもエースの系譜読んでもチャボよんでもいっつも同じ。
わかってる立場の人間が思わせぶりな言い方で人をけむにまくような話ばかり。もっとまっすぐ伝わる書き方できないのかとやきもきさせられる。
本人はいろんなことをよくわかってるんだろうけれどそれを他人に理解してもらうことを諦めてて、
それで自分の殻に閉じこもっていろいろ先回りして言い訳して自分を守ってるいけすかねえ野郎だと思ってました。
理解してもらおうと言う努力は放棄して相手に理解してもらおう受け入れてもらおうという甘えがすごいにじみ出てた。
そんなに自分が何でもわかってるつもりでいたいならそうやってずっと頭髪あたりが裸の王様やってろと。
でもそんな岩崎さんがラノベに挑戦すると聞いて、そういう殻を取り払って
ダイレクトに読者とつながりあうものを書こうって考えられてるのを見てすごい嬉しかったのです。
それは、ある意味でもしドラなんかよりずっと難産だろうと思います。
どこまで岩崎夏海が頭髪以外の部分をさらけ出せるかという挑戦だと受け止めています。
その意気込みをブロマガでたくさんたくさん書いてくれて、私の期待はもう有頂天なわけです。
その挑戦の結果が、たとえストーリーとしてつまらなかったりテーマ性外して売れなかったりしても構わないのです。
ただ、岩崎夏海が、どれだけ真剣に読者に向き合ってくれてるかのほうが大事です。
少なくとも出さずじまいは絶対に許されないし、変に奇を衒って作者が鎧を着てるような作品だったとしても私は嘆き悲しむでしょう。