国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換 文科省が素案提示
http://www.sankei.com/life/news/150528/lif1505280016-n1.html
地方国立大学の中の人(教員)ですが、中の人の感想としてこれはやむを得ない感が強い。
まず無駄な混乱を防ぐためにも、人文系の学問の重要性云々の話は論点ではないことは明言しておきたい。
どんな学問だって崇高で立派だと思う。そこに優劣はない(と思いたい)。
しかし、それで飯を食ってる教員、授業料で負担している学生、税金で負担している国民がいる以上、
経済的活動としてどの程度の研究・教育活動の規模が適正かという議論はあってしかるべきだと思う。
どうして規模縮小が仕方ないと思うか、理由を考えた。
一方で、大学に入りさえすれば、就職がなんとかなると思ってる人が多すぎて困ってる。
メディアのニュースの取り上げ方からしても、大学卒業=適切な就職先が見つかるべき。
といういささか謎な前提を皆受けれいている気がする。
まあ社会的に見て若者の労働力化を進めるという立場からすれば妥当な価値観なんだろうけど。
本来的には、大学(とくに人文系)っていうのは社会の価値を見直すという側面があるから、
就職などという現世は忘れて、人類の高みを目指して謎修行しますとか、放浪してしまうとか
そういう人が出てきてもいいはずでそういうのが本来の大学だろうと思う。
しかし現場では、国立大学に入学できたんだから、就職先はそれなりのところに落ち着くだろうという期待を
そのギャップが今の大学の抱える課題の大きな要因だと思うことが多い。
大学の中の人は、そこを都合よく使い分けていて、すこしズルいなと思う。
高校生に期待だけ持たせて、3年後に厳しい就職活動を経験させてしまうことを繰り返してる。
そういうことを受験前の高校生に説明してあげないと詐欺っぽいと思う。
その説明を十分に行った上で、いまの定員が満たせるんだったらそのままでいいんじゃないかな。
一方で、理系の一部の学問分野で学べば、プログラミングや機械の設計など
とてもわかりやすすぎる技能獲得ができるわけで、そういったライバルに対して
獲得できる能力の社会的アピールという点で、圧倒的に負けてるとも思う。
教授会という学問自治を盾にした会議がある。まあはっきり言って実に議論がくだらない。
そこである程度教員集団が合意しなければ、組織的な意思決定が出来ないようになっている。
端的に言って、大変な時間をかけて、ろくでもない意思決定をしてる(個人の感想です)。
一方ネットが普及して、人々が知識や技能を獲得するという教育本来のプロセスに
かつてないイノベーションが起きつつある。特に高等教育の分野で、専門的な知識の獲得で顕著である。
にもかかわらず、テクノロジーを理解している人が人文系には少ない上に、
伝統を重視しているのか、意思決定できないのかよくわからないけど、
まあこれは人文系に限った話とは限らないのだが、人文系の酷さは
「社会に合わせて変わろう!」という方がどうかしているんだろう。
それなりに善処しようと頑張ってる人も多い。
一方で、理系の一部の学問分野で学べば、プログラミングや機械の設計など とてもわかりやすすぎる技能獲得ができるわけで、 理系たって殆どのところじゃ学部レベルじゃまともな...
学士、修士は就職予備校だよ。 なんでいつまでも国民の大半が米作ってる 時代の認識の奴多いの?
http://anond.hatelabo.jp/20150529022019 まず無駄な混乱を防ぐためにも、人文系の学問の重要性云々の話は論点ではないことは明言しておきたい。 どんな学問だって崇高で立派だと思う。そこ...