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はてなキーワード: 高度経済成長とは

2022-01-20

三畳紀世代「俺達の時代はスゴかったんだぜ!畳は三畳しかなかったけどな!」

ジュラ紀世代「そうそう…、高度経済成長期だったよねぇ…」

白亜紀世代「俺達もスゴかったんだぜ!八代亜紀とか!」

氷河期世代マンモスサーベルタイガーしか友達がいなかった、つらかった…😢」

ざっくりと言うと世の中がイケイドンドンになっているときには人々は開放的になる。

バブル期を頂点とする高度経済成長時代はそのような時期だった。

テレビ文化も全盛期でどれだけ「枠」をぶち壊せるか?が面白さだった。

 

たいして世の中が低迷しだすと、人々はどんどんと抑圧的になる。

昨今のちょっとしたジョーク通用しない現象などはそれを象徴している。

 

これは単なる時代の流れなので、これでもって世の中が進歩しているとか考えている人がいるのなら間違っている。

バブル期に「おバカ」が進化していくのを最先端だと思っていたのも間違っているし

昨今の閉じられた世界が新しい秩序だと考えるのも間違っている。

そこにあるのはただの流行であり、いずれはシーソーのように反動が始まる。

2022-01-14

anond:20220114180709

どん底まで落ちるまで助けなくて、

どん底まで落ちたので、這い上がることも不可能になってしまってるわけで、

やっぱり、制度自体おかしいんだよね…

今の時代全然合ってない

政治家司法立法も、いつまでも頭の中が戦後から高度経済成長期のままなんで、

時代とともに法律も変わるべきということが分かってない

2022-01-10

anond:20220110022529

清潔感のかけらもない会社の50代の無能おっさん結婚してて子供もいるとか聞くと驚く

ボンクラポンコツでも結婚して子供も作れるような世の中じゃないと高度経済成長みたいなことは起きないし、

逆に言うとそう言うことができたから急速に所得と消費を増やすことができたんだろうなあって思った

2021-12-31

あなたの体に、両親の血は1滴も入っていない」

これこそネットの力が発揮すると思うけどな。

https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401

墨田産院の跡地周辺を歩く江蔵智さん=東京都墨田

 下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)

 ▽取り違えの発端

 日本高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。

 

赤ちゃんのころの江蔵さん

産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。

 出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。

 Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区暮らした。

 ▽「家族の誰とも似ていない」

 「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃ子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。

 お盆正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。

 中学卒業後は家を出て、浅草おしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手貿易関係など仕事転々としたが、時代高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。

育ててくれた父親(右)と子どもの頃の江蔵さん

 10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社設立仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。

 ▽親子としてはありえない血液型

 転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。

 「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。

 約7年後の2004年、福岡市仕事拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液提供した。

 ▽「あの看護婦かしら」

 約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。

 「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」 

 衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」

 母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。

 すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都担当部署電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査損害賠償を求める訴訟東京地裁に起こした。

育ててくれた母親(左)と子どもの頃の江蔵さん(中央

 ▽「過失は重大。人生を狂わされた」

 05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。

 江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決正反対結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。

 上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。

 ▽60人の候補者、誰ひとり拒まず

 それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。

 半年ほどかけ、約100人ピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。

 反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。

 

墨田区が開示した「戸籍受付帳」。個人情報の部分は黒塗り

 ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。

 ▽該当者は黒塗り100人の中に

 頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシー理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟東京地裁に再び起こした。

 育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。

 ▽「産んだ子どもに会えるなら、遠くからでも」

 

東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都

 その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初訴訟に提出した陳述書で明かしている。

 「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」

 母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。

 「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」

 江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。

2021-12-25

息子のおもちゃを探すと、新幹線といえば今ははやぶさになってることに気づく。

自分子供の頃は新幹線といえば、こだまとかのぞみだった。流線型のぞみは憧れだった。

今も新幹線イラストとかは、富士山にのぞみなことが多いけど、はやぶさで育った世代になったらグリーンの車体こそが新幹線になるんだろうか。

JR東海リニアもそうだけど、白を基調にしたデザインが多く、自分たちが築いてきた新幹線パブリックイメージを守るようなデザインが多い気がする。高度経済成長象徴だった新幹線を作ったのは我々だという自負心すら感じる守りのデザイン

おもちゃラインナップを見ると、はやぶさドクターイエローこまちかがやきカラフルな車体が人気のよう。新幹線と聞いて最初に頭に浮かぶのが白ではなく、緑や赤になる日も近いのかなと思っている。

2021-12-11

山田商店

山田商店

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

山田商店(やまだしょうてん)とは、大阪市本拠地を置く化学商社。1856年に大阪市南船場山田権左ェ門が開いた山田商店を源流とし、以降今日に至るまで重工業軍需産業を中心に日本トップ企業として君臨し続けている。戦後財閥解体後も生き延びており、現在住友グループに属しているものの、その影響力は未だ健在である。なお、旧三菱グループ総帥岩崎弥太郎親族経営に参加しているため、両派閥間の関係は極めて良好とされている。

歴史. 創業期~戦前まで.(以上2つはリンク先参照のこと)

概要. 創業者であった山田左衛門大阪で米穀商を営む傍ら、南船場豪商たちと共に鴻池善右衛門蔵屋敷から近い場所倉庫を借り受けて商品販売を始めた。これが山田商店の始まりであり、その後徐々に店舗を拡大していったことでも知られている。そして明治に入ると米相場への投機を行い巨万の財を成した。また一方では海運業にも進出し、近代における日本商船隊の設立に大きく寄与した。他にも銀行保険事業への進出など金融面でも多大な功績を残したことから大阪財界の重鎮と称せられるに至った。

しか第一次世界大戦により好景気が訪れると、その影響を受けて急速に成長していった。この流れの中で山田商店もまた順調に業績を伸ばしていき、大戦終結時には日本代表する大商社へと成長した。しかしながら1929年世界恐慌きっかけにして世界経済全体が停滞すると、相対的山田商店の業績も大きく落ち込んだ。それでも何とか持ちこたえていたものの、太平洋戦争突入すると物資不足によって多くの企業が苦境に立たされる中で、山田商店をはじめとする関西資本系の大企業は逆に大きく躍進していくことになった。

戦争末期になると山田商店を始めとする関西系の大企業経営陣の多くは徴兵されてしまい、代わりに軍人出身の者が後釜を埋めるようになった。戦後になって彼らの多くが戦犯容疑で逮捕されたものの、軍需品生産などのノウハウを持つ人材を失うことを嫌ったGHQの指示もあって不起訴処分となったことで山田商店をはじめとした関西企業の存続が確定した。その後は朝鮮戦争勃発の影響による特需復興を遂げていくとともに、高度経済成長期を迎えることになる。この時も山田商店をはじめ関西資本大株主たちは多額の利益を上げ続けたが、バブル期不動産投資の失敗を機に債務が増大したことバブル崩壊後に破綻することとなった。それでも同社の株式は依然として高値を維持し続けており、依然として日本経済に大きな影響を与えていることは間違いない。

現在、同社では新規採用を行っていないために社員ほとんどは定年退職者か再雇用者であり、現役の社員数は最盛期の半分以下となっている。そのため現在では社内政治において発言力を有する人間はおらず、会長職にある人物を除く全ての取締役たちが社長以下の役員たちと同格の地位にありながら決定事項には従わなければならないという異常な状態になっている。これは会社トップに立つ人間実質的会長山田嘉吉しかいないためであるとされており、実際に彼は自身権力を使って様々な便宜を図ってきたとされる。ただしその一方でこうした独裁的な体制に対して反発する人間も少なくなく、現在でも対立が続いている状況だと言われている。

2021-12-06

anond:20211206230314

でも思想的には芥なんとかの方が遥かに薄っぺらいと思った

人間は遥かに容易に国家かに守って貰いたがるし、自分は大きな国家の一員だという事をアイデンティティにしたがるよな

ネット見てればわかるわけで、芥なんとかの言う個人とか芸術って、60年代から高度経済成長に伴う豊かな社会の中で、

まれたお坊ちゃん達が見ていた自由に生きれる幻想に過ぎなかったわけで、三島由紀夫の方が遥かに現実的人間理解だった

芥もいわゆるサブカル芸術界隈の人間だけど、平田オリザコロナで騒いでたみたいに、

あい人種こそヤバくなったら誰よりも国家経済的支援を求めて、国家人権とか弾圧しても良いか愚民どもをコントロールしろって騒ぐよな

50年後の答え合わせとしてみると、学生運動かに被れてた左翼系の言論人が言う、自由国家から自律した個人っていうのがいかにしょーもない幻想だったかよくわかるよね

2021-11-29

anond:20211127075659

高度経済成長期の1960~70年代にかけて、道路から路面電車排除されてきたんだよね。

その理由自動車にとって邪魔から、要するに生産性が低くなるから

江ノ島電鉄の一部区間にも路面電車として走る場所があるけど、確かにあれは邪魔だよ。

2021-11-28

絵本「ちいさいおうち」あらすじω(I)

おうちは小さかったが、

高度経済成長によって周囲が都会になり、

バブル景気地価が最高潮になった頃に売却

郊外に大きなおうちを購入し、

広々としたおへやに贅沢にガンプラコレクションディスプレイ

書棚だけしかない図書室も設けた

図書室には海外の専門書や学会誌を揃え、

まんだらけのようなショップ高値が付くアイテムも所蔵

庭には複数の🐶を放し飼いにし、贅沢な犬小屋DIYして、

今日からここがおまえのおおきいおうちだ!」

と言うと、犬は犬小屋で寝はじめた

なるほどケンネル

しかし、猫アレルギーの私は猫は飼わなかった

というか、猫○ね

そして、田舎は人目につかないので、近所の麻を栽培している麻生さんからマリファナを購入し、

危険ドラッグ覚醒剤へとレベルアップし、

黒いアルフォードで都会から郊外の自宅へ女たちを輸送しては、

乱交パーティーをするようになる

私はMetallicaバージョンの"Whiskey in the jar"が大好きだし、

あのMVみたいなパーティーを毎週開催するに至った

しかし、やがて歳をとり、老人と呼ばれる世代になり、

しかしながら、郊外田舎ではクルマのない生活は成り立たない

自転車で行ける距離に食料が買える店はないのである

やがて老人は黒いアルフォードで逆走のような危険運転行為を繰り返すようになり、

ある日、ぼんやり考え事をしながら運転していたら、

見通しの良い直線道路にあるバス停歩道に突っ込んでしまい、

バスを待っている人達轢死させ、大勢の負傷者を出してしま

なんてことだ…、ちいさいおうちを売るべきではなかった…

後悔先に勃たずである

しかし、郊外のおおきいおうちの所有者は上級国民だったため、

事件のその日の夜に釈放、おおきいおうちにかえされる

テレビ新聞メディア上級国民であることを知ると実名報道を避けるようになる

釈放された彼はおおきいおうちに戻ると、東南アジアへの逃亡の準備をする

これまで一度でいいから、東南アジア児童買春をしたかった

スワイパー村のような場所に行くのが夢だった

老人はそう思いながら、おおきいおうちを見捨て、

成田空港から海外逃亡へ旅立ったのだった

2021-11-24

やっぱり消費税おかしいよ

買ったら消費税、売ったら所得税取られる。

100円の流通に対して消費税所得税で結局35円くらい税金で持ってかれてる気がする。

その35円分のいったいどれだけ社会に戻ってるんだろう。

65円分で次回100円分のもの流通させるには売る側がその35円分の価値を生み出さなきゃいけない。え、前回の135%の成長、できるものなの?

国は二重取りしてるから経済回せば回すほど税金ガッポガッポだけど、社会はその分ガンガン疲弊してく気がする。ちょっと前まで「消費税欲しいなら税を下げてでも経済ブン回した方がいいのでは?」って思ってたんだけど、二重取りだから回せば回すほど社会負担は増すような気がしてる。おれの生活はどんどんキツくなる。

なんでこんな疲弊してるのに消費税なくならないの?

高度経済成長時代って消費税0%じゃなかった?

もうカレンダーも配ってくれないしオマケも見なくなった。おにぎりの薄さを見て慄く。冷食やお弁当の1食が少ない。クーポン券も100円分だったのが1万円利用時に100円使える、とかに変更されるしATM手数料無料の回数は減り、入金にすら手数料を取られるようになった。不景気しか感じない。

そもそも政治家は財源財源って言うけど、桜とか政党助成金とか文通費とかから出したらいいんじゃないの。まず自分たちのとこからお金集めなよ。生活保護とかなんかそういうやり方なんでしょ。支援受けたいなら貯金が1万切ったらにしてとか、どんなに関係性が悪かろうとDV被害があろうとも血縁に金の無心が必須だとか、車もエアコンもあったらダメだとか。同じレベルで是非。そのレベルで切り詰めてから消費税の話して欲しい。

ことのついでなんだけど、国会答弁でまともに回答しないの、裁判で言う法廷侮辱罪とかにならないの? 一発で議員権限剥奪レッドカード出ればいいのにな。

2021-11-21

anond:20211121014426

最近もう戦後は終わったなって気がする。もう戦後復興という名の高度経済成長はしなそうだし。

2021-11-04

なぜ団塊刹那的に生きるのか

母が脳腫瘍に倒れた。父は警備のアルバイトを辞めて、母の看病というか、介護に尽くすつもりらしい。がん保険にも入っておらず、両親とも大した貯蓄もない。

彼らを眺めていて気になるのは、この世代の備えるチカラの無さだ。車椅子のことすら想像していない階段だらけの家、ローンははおろか、車検代、消耗品代、ひいては燃料代さえ払えるか疑問なハイオク車。

自分の家庭だけかと思っていたが、両親が怪しくなってから注意するようになってみると、何処の家庭にもある。これらは高度経済成長からバブル景気の頃に社会人経験した世代負の遺産だ。

とうぜん彼らが健康を損ねれば、それを支えるのはその子ども達だ。

彼らは、自分未来永劫健康で、最期の瞬間まで矍鑠(かくしゃく)と生活できるものと信じている。

から、車のローンを子供が肩代わりするだとか、通院の毎に子供仕事を休んで階段上り下りを補助するだとか言った将来をまったく想像していない。

彼らのような世代を生んだのは、高度経済成長、そして退職前に味わったバブル経済雰囲気にほかならない。

当時は高卒ですら入社して一年から賃金支給され、驚くことに賞与まで支給される者もいたらしい。

その後も常に右肩上がり経済経験、かれらの両親は常に健康で、ある日突然に亡くなり、退職金だけで住宅ローンの相当量の返済が終わっていたのだ。

あなた方のような世代、つまり借金まみれで大学院を修了して、ようやく職に就き、そこから耐えること2年目頃にやっと賃金支給が始まり博士号がなければ賞与はなし、博士号があれば今度は職がなし、退職金など夢のまた夢の人々からすれば、団塊世代は正に黄金世代であった。

当然、このような時代を過ごした団塊世代に、将来に備えるという習慣などない。更に運の悪いことに、彼らの過ごした時代女性社会進出もどきが進み、企業女性をどう扱っていいかからないまま雇入れ、もてあそんだ時期に当たる。

企業若い女性にどのように働かせてよいか解らず、簡素仕事を割り当てて男性比肩する賃金を払い続けた。しかし、女性は重責を負う立場まで昇進することなく家庭に入る。

すると彼女らは、世間男性自分たちと同じように、お茶くみや領収書検算、社内郵便係をして一日過ごしていると勘違いし始める。このなまじ中途半端に働いていた団塊世代女性は、たちが悪い。

家庭に入った元・社会人もどき女性たちは、自分世間並みの苦労をしてきたと勘違いしたまま、家計を握る。暴君誕生だ。

彼女らは、夫が健康に稼ぎ続け、夫は大した苦労もなく稼いでると思い込み、65歳を超えても同じ待遇再就職すると信じ込んで、夫の僅かな稼ぎを使い込む。

挙げ句海外旅行、高額な(自称)無農薬有機野菜通販階段だらけのうさぎ小屋、年をとったら使いこなせない分不相応な高級乗用車……次々と浪費をし続ける。

そう、団塊の浪費はこの主婦らによって行われ、右肩上がりの将来を妄想する団塊会社員どもが放置したものなのだ

2021-11-01

いわゆる働き世代である35歳男性船員が自民維新へ票を投じた理由

はてな界隈では珍しいであろう船員という職業へ就いている35歳男性である私は小選挙区自民比例区維新へ票を投じた。

我が海運業界ははてな界隈の一部の者たちが知るように、第二次世界大戦終結後の復興高度経済成長期に時の政権による暴虐非道対応によって自民党へ対し相当な恨みつらみを持つ業界である
即ち、私たち海運業界は両手を挙げて自民党を支持することはなく、毎度毎度警戒心をもって自民党のやることなすことを見ているというのが海運業界の慣例的な姿勢である
「また裏切られるのではないか?」という疑念は早々に晴れるものではない。

ただ、勘違いしてならないのは私たち船員は海事学生であった頃から本邦の物流を支える基礎土台であることを骨の髄にまで叩き込まれることが常であり、このような指導姿勢はもはや宗教と言っても良いレベルで「我々海運業界こそが島国日本経済を支え、その滅私奉公は誇り高いものである」と船員ならば誰しもが心のどこかでこのような思想信仰している傾向があると言える。
まり我々はどこまでいっても「お国のため」「国民のため」「未来のため」と思って仕事をしているのだ。だからこそ今回議席数を減らしてしまった野党へ言おう、


「キサマら日本軍事戦争させるつもりか!」と。


本邦は島国であることは幼稚園保育園児でも知っている常識的な立地条件であり、経済が立ち行かなくなりモノを失った島国が行き着く先は他国から奪うしか無いのだぞ。
これを極論だと言うのは愛を知らぬ者か、愛を受けるだけしかしてこなかった者だろう。
愛する者が居る者たちに問う。愛する家族が子が友人が仲間が食えなくなったとき赤の他人ことなんぞ関係あるか?自分が食えなかったとしても愛する者へ食うものを与えるだろう?食うものが無ければ奪うだろう?自分が悪役に、人殺しになりさえすれば愛する者が食えると言うなら選択肢は1つだろう?

これに納得できない者たちは知っているか?我が海運業界は「憲法改正に反対していない」ことを。我が海運業界は「憲法改悪に反対している」ことを。
何故かわかるか?日本はいわゆる地政学上の概念シーパワー論を重視する傾向にあり(島国から必然的にそうなる)、日本が無謀なことにアメリカ戦争を吹っ掛けたのはアメリカ日本の海運シーレーンを掌握しようとしたからだ。
日本のモノが無くなる危機へ対して起こったのが太平洋戦争であり、そもそも第一次世界大戦ロシア物流橋頭堡を作ろうとしたのがロシア南下政策なのだよ。
更に言えば日本戦国時代が興った有力な説を知っているか?冷害による飢饉だぞ?食うものが無いか他国から奪えと内戦をやったんだよ。
何故、海運業界が憲法改正に反対せず改悪に反対するか、それはシーレーンを守るための保険をとっているからに他ならないんだ。

SDGsによって国内産業が致命的な状況へ陥るかも知れない、経済冗談抜きで崩壊するかも知れない、島国日本がモノを失うかも知れないというとき野党キサマらは何をやっているんだ?戦争をそんなにしたいのか?島国日本海上自衛隊員の数が足りなくなった際に誰へ、何処の業界へまず赤紙が届くかキサマら理解してないのか?


妻と子が居る船員の私に赤紙が届くようになった情勢下では私の選択肢は1つしか無いんだよ!悪役に!人殺しになるという選択肢しか無いんだよ!


目下重要なのはEU排ガス規制への対策
EU排ガス規制製造段階から既定値以上のCO2が発生が確認されると著しく輸入を制限するというものであり、化石燃料を用いる自動車などの工業製品クリティカルに影響してくる部分だ(CAFE規制)。
忘れちゃならないのは、EUAppleGoogleなどへも厳しい姿勢を取ることが有名であり、現在CO2規制ではハードウェアのみを対象としているものの、これがソフトウェア規制拡大しないという保証が何処にもないことだ。

大規模なサーバー網を抱えるWebサービスの消費電力へ対しCO2規制が入った場合にどうなるかははてな界隈の者たちのほうが詳しいのではないか
ある日いきなり「アナタのところのWebサービスEU規制により増税罰金対象です」と通達される日が来ないとでも本気で思うのか?
当然その対策AWSGoogle Cloud、Microsoft AzureAkamaiCloudFlareなどは価格を上げるだろう。
リモートワーカーにも他人事ではなくなってくるかもな。

EU規制によって自国産保護をすることへ間違いなく旨味を覚えいる状況で、よく調べもせず何でもかんでも新自由主義などとレッテルを貼って無自覚EU自国産保護政策を後押しする者たちの体たらくには開いた口が塞がらないし、それ以前に今回の選挙で間違いなく重要であった経済分野を主軸と捉えられず、桜を見る会モリカケ夫婦別姓同性婚が最重要のような言動をしていた者たちへは「本当に労働者か?!」と疑いの目すら持ちたくなってしまう。
冗談抜きで仕事無くなる可能性のある動きが世界で行われている状況で、公文書偽造問題を精査することが第一声という党に民意が見えていると本当に思うのか?
私たち仕事を守る気は無いのか?!」と「コイツら何にもわかっちゃ居ねぇ!」と目を見開いてしまった多くの国民は愚かなのか?

このような状況で18歳以降の若者自民を支持するのは当たり前だろうが!
就職氷河期世代に聞きたい、18歳・21歳の子たちは自分就職未来が掛かっているのに経済の話を第一声にしなかった党へ入れると思うか?自民へ恨みつらみを持つ就職氷河期世代からこそ理解できるはずだ。
アナタたちがご丁寧にも就職氷河期の話を一杯してくれたお陰で若者経済無頓着政党を支持しないという選択を取ったんだよ。アナタたちのようになりたくないから!

自民議席数が思ったよりも減らない?むしろ維新が増えたお陰で悪化した?そりゃ維新も増えるだろうよ!
明確に経済のことを第一声として打ち出してくるこの2党へ託すしか無いんだから・・・

もう一度言おう、我が海運業界の命題日本経済を支えることにある。
野党は目を覚まして欲しい、民意へよく耳を傾けて欲しい、そして今回野党へ投じた者はその働きかけを私と共にして欲しい。

自然に溢れ、街並みが綺麗で、歴史もあって、飯は美味い、私はそんな祖国日本が大好きで、そこへ暮らす同胞を不幸にしたくはないのだ。

自民一党独裁のような状況はよろしくないが、今の野党日本は任せられない。
からこそ野党を育てよう、野党惨敗した理由説明し、野党にこうして欲しかったと語り合い、野党へ声を届けよう。

次は自民に勝とう。

2021-10-31

小沢といい甘利といい、与野党を問わず老人にノーを突きつける選挙になってるな

結局高度経済成長を築いてきた実績のある世代は既に死に絶えて

今の老人世代は30年の不況しか次世代に残せなかった

結果論で見るとあまりありがたくない世代からな。

2021-10-23

anond:20211021233326

まあ、現在日本封建時代みたいだよねーとは自分も思ってる。

一部の特権階級複数の異性を囲い、平民は一夫一妻制、その下は結婚なんて夢のまた夢で男は春画女郎お金を使い、女は女郎に身を落とす...

日本の歴史でそうじゃなかったのは高度経済成長期の一時期だけだったみたいな説はあるんだけどさ。

地方に行けば幸せかはわからん

人手不足から共働きデフォだと思うけれど、その濃厚な人間関係になじめないなら向いていないんだろうなと思うし。

2021-10-05

anond:20211005093327

>そうなんだ! 見てなかったけど、逆にその仕立てでよく「なぜ文革が起きたのか」が説明できたもんだな。

から、全くしてないんだよね。時間がないせいもあったのかもしれないけど、毛沢東独裁政治がずっと続いた、というストーリーの中にふわっとまとめて誤魔化していた。そもそも文革天安門事件で突如沸き起こった下からの群集的な運動中国社会の一面なんだけど、これが独裁政治とどう整合的に説明できるのかも全くない。他にもニクソン訪中などの外交や国際情勢についてもほぼ触れていなかった。最近NHK中国特集にはあまり期待してなかったけど、予想以上にひどかった。

そもそも毛沢東時代を暗黒化する歴史観も古くて、初等教育制度確立鉄道道路インフラの整備、感染症の撲滅などが急速に進み、その後の高度経済成長を準備した時代であったことも正当に評価しなきゃだめだろうと思う。

2021-10-01

anond:20211001111028

物価が値上がりしても、同時に消費者賃金も上がり続けていれば問題ない。

1960年代高度経済成長期には、それと同じことが起きていた。

今は賃金頭打ちから生産コスト増による値上げだけが起きている。

2021-09-24

ジョニーデップ主演『MINAMATA-ミナマタ-』を観てきた

テーマは深刻なんだけど、ジョニーデップの持ち味の出た、面白い映画だった。


どうでもいいことだけど、昔からなぜか、

ジョニー・デップのことをしょっちゅうジョニーディップと言い間違えてきた。

これは、バングラデシュのことを、バングラディッシュと言い間違えるより恥ずかしいことだと思っている。

そのジョニーデップが写真家ユージン・スミスを演じる?というのが、

パイレーツオブカリビアンイメージがこびり付いた身には全く想像がつかない。

興味本位で観に行ったら、本人としか思えないユージン・スミスぶりに、おお、と感動してしまった(あったことはないけど)。

ユージン・スミスのことは、というと

この映画を見るまでほとんど何も知らなかったので、どういう背景があって、あの写真が生まれたのか、垣間見られてちょっと感銘を受けたりもした。

映画で描かれているユージン・スミスは、アル中で薬中。過去のいろいろで、メンタルをやられて写真家としてのモチベーションどん底にあった頃のユージン・スミスだ。

一方、フォトジャーナリズムを標ぼうしたものの、売上が上がらず、次第に、魂を売るかのような大衆迎合的な記事広告を載せ始めた、落ち目写真「ライフ」が背景として描かれている。

ピューリッツァ賞を夢見て起死回生を図るべく、次の目標に選んだテーマが、当時、世界のあちこち問題化し始めた公害だった。

当時、すでにMINAMATAの名は世界でも、

日本辺境の地で奇病だの猫踊り病だのと言われ、長い間、対応がなされず蓋をされ続けてきた公害として知られていた。

この映画は、写真家として再起を図るユージン・スミスと逆転ホームランを狙う写真誌が、水俣病に目を付けるところから始まる。

いやー、こういう不純な動機、構図。なかなか良いと思う。

水俣の記録ドキュメンタリは、これまでも土本典昭NHK、いくつかみたことがあったけれども、この目線はいままでなかった。

外国人制作するとこうなのか。

この映画の見どころはなんといっても、ユージン・スミス写真家として、親としての葛藤を描くジョニーデップの演技。

日本にきたものの、途中でやる気をなくして投げ出してしまい、大切なはずのカメラまで現地の少年にあげてしまうシーンとか。

ジョニーデップは、本当にクズっぽいシーンがよく似合う。

ただ、残念でならないのは、ロケ地

違和感があったのでググったら、なんと日本ではない。観終わったあとに読んだ町山智浩コメントによると、セルビア・モンテネグロなのだという。

どうりで、海のシーンが逆光でぼんやりしているものが多かったわけだ。

漁民も、漁民たちが扱う魚も、明らかに違和感ありまくりで、端的に貧相だった。違うだろ。。もっと豊かな海を描いてほしかった。

あと、土本作品へのリスペクト、というのもひそかに注目していたのだけど、

まあ特にないのかな、という印象だった。

映画のなかで、アコーディオン少年が出てきた。

過去記録映画を観ていれば、モデルが誰なのか、すぐにピンとくる。

ここはやはり、あれだろう、船頭小唄だろう、と思ったのだけど

アコーディオン少年交流するシーンはなかった。

そのかわり、ユージン・スミスなついて、カメラに興味を示し、撮って遊ぶ天真爛漫な少年が描かれている。

しかし、考えてみれば、船頭小唄なんぞ奏でようものなら、そのメッセージ性が強烈すぎて、

物語邪魔してしまうだろうから日本の観客向けにはむしろないほうがいい、ということかもしれない。






映画クライマックスは、水俣病歴史で欠かすことのできない、大きな事件であるチッソ株主総会

そこからの流れはとてもテンポがよく、裁判によりチッソ補償を決定するまでの激動の動きが、

ユージン・スミスもっとも有名な写真である、「入浴する智子と母」の撮影シーンを織り込んで進んでゆく。

國村隼演じるチッソ社長人間味があって、いい味を出していた。土本作品など過去のドキュメンタリ映画ではなかなか見ることのできなかった加害者視点被害者と向き合い補償決断するチッソ社長の描かれ方は映画ならではであり、圧巻と言わざるを得ない。

見事な演出だと思う。

NHKアーカイブスでも視聴できる有名なチッソ株主総会は、1970年

スミス乱闘に巻き込まれて負傷した事件は翌年の東京本社での事件なので史実とはちょっと違うが、

そのようなリミックスにさして大きな違和感はなかった。


映画は、1973年チッソ補償決断し、川本輝夫映画では真田広之演じるミツオ)が裁判での勝訴をかみしめるところで終わる。

その後の水俣病の動きはわずかにエンドロールで触れられているに過ぎない。


この映画は、ベースの設定が雑誌ライフの復活とユージン・スミスの再起というテーマを背負っていたため、

チッソ責任を認め、補償に応じる、という、ここで終わりになるのは、それはそれでエンタメ的な収まりどころ、なのかもしれない。


しかし、現実水俣病歴史は、ある意味、まさにこの裁判勝訴と、それに続くチッソ補償協定とを契機に、

チッソVS被害者団体という構図から経済優先で被害を黙認する行政VS被害者という構図に大きく変化してゆく。

この映画が第2幕の終わりだとすれば、第3幕はスーパーヒーロー不在の、果てしなき国との闘いだ。

チッソ社長が除去された水をコップで飲んで見せたことで有名な、有機水銀除去サーキュレーター

効果がないのを知りつつ黙認してきた通産省を筆頭に、高度経済成長を錦の御旗に被害に蓋をし続けてきた行政悪業が明らかにされてゆく。

最終的に国の規制権限行使しなかった責任最高裁で認められたのは、それから四半世紀後の2004年


さらに一方で、1973年被害者の勝訴判決は、チッソ患者への補償の契機となったものの、その補償協定のものが、地域社会の新たな分断の出発点ともなった。

補償をするためには、患者が症状によって定義される必要があるのは自明の理だが、補償協定の1600万円を受け取るに値する症状という形で定義・整理されてしまったのだ。

当然、要件を満たない被害者足切りが始まるわけだ。

そして、さらに、さらに、さら問題は複雑化する。

そこに絡んでくるのが厚生省と当時の環境庁だ。国の定める、公健法上の患者認定基準が、チッソ患者団体との補償協定要件に連動してしまったのだ。

どういうことかというと、国は広範囲患者認定を推進するため、公害健康被害補償法により水俣病被害者認定制度を創設したが、

そこで認定された被害者は、73年に本来は一部の患者団体と締結した補償協定適用を受けることが認められ、1600万円を受け取ることができるようになる、という仕組みだった。

しかし、1600万という高額の補償が、結果的に、チッソ補償能力を超え、被害者認定の足かせとなってしまう。取りこぼされた多くの被害者今日に至るまで苦しんでいる、というのが、

映画のその後の世界なのだ2004年最高裁被害者要件を国の認定基準より緩く認定した、にもかかわらず、だ。

そして国の重要産業である化学工業、そしてチッソ賠償破産を食い止めるため国や県が金融支援をし続ける、という構図がこの映画の後に待ち構えている世界だ。

国は当然、実態調査疫学調査消極的で、というか一度もなされたことがない。

その意味では、映画エンディングシーンである勝訴判決は、実は新たな闘いの出発点ともいえるのが水俣病歴史だ。


そのことを思い返しながら、映画の話に戻ると、この映画の残念なところは、以下の点。

風景日本でない、不知火海が見えない、漁民がいまひとつリアリティがない

写真家出版社、一部の被害者闘争リーダーという限られた構図で、実態解明に尽力した熊大や問題放置した行政が出てこない

・だから、なぜ原因企業が折れて補償に応じたのに問題解決しないかみえてこない→多分世界中の公害類似のことが起きているだろう。

エンドロールで見せている世界公害リアリティを与えるためにはやはり行政視点をどこかに織り込まなければならなかったのでは。

ただ、だからといってつまらない映画では決してなかったし、満足感は高かった。みようによっては、セルビア・モンテネグロにしちゃあ頑張って日本漁村を描いた、ともいえる。

ジョニーデップのクズっぽいキャラは最高に楽しめたし、撮影に至るまでの信頼関係の醸成など背景がみえたのは、この映画の見どころだ。

(追記

https://anond.hatelabo.jp/20210929124437

日本人10人に1人は東京都在住で人口は多い

2016年時点で東京で暮らす人の55%が東京都出身で45%が地方出身者という

大学進学や就職に伴って上京してくる人が多いのは昔からだが地方から流入が年々減少している

高度経済成長時代の頃は東京都出身者が圧倒していたわけではなく地方出身者が多かったが

平成に入る頃には政治家芸能人東京都出身者が圧倒的に多くなったし経営者東京都出身者が多くなりつつあるが

政治芸能企業もつまらないものばかりになってしまった

洪水によって川上から肥沃な土が流れてくるように地方からいろいろな人材が集まってくるから東京は発展できた

みんな東京育ちになったことで街が痩せている

2021-09-22

大学生だが、日本未来に本当に希望が持てない

現在大学生をやっている者だ。

大学生活とコロナ禍がちょうど重なって楽しくないとかそういったことはもう諦めの域に入ったのでどうでもよい。

1番の問題は、日本という国そのものの将来に希望が持てずいることだ。

私たち世代は、生まれた時には高度経済成長バブルも既に遠い過去の物になり、義務教育では少子高齢化の話をされてきた。数年前(18歳になって)有権者として政治に参加できるようになったが、白票を投じるだけで国政に対する意見自体を持てないままだ。

少子高齢化、伸び続ける失われた10年(今は失われた30年なのか?)、その他社会問題が積み上がっているが、これらはほとんど全部が私たち世代がどうすることも出来ないうちに積み上がった問題だ。

まれた時点でそれらの問題存在していたし、選挙権を得るまでに解決兆しほとんどなかった。解決が難しい問題だし、上の世代の怠慢だと切り捨てることもできないだろう。ただ、積み上がった問題を突然有権者になって押し付けられてしまったというような感覚もある。

若者政治的無関心の理由の1つは、自分たち政治に関わる年齢になった時点でどうにもならない問題が積み上がっていることを成長過程で悟ったこと。また、それらが中高生の頃に見ていて解決されそうもなかったこと。これらの理由ではないかと思う。私自身はこういった理由政治への期待感が持てない。

どの政党が良い悪いではなく、日本問題政治解決される気がしない。

2021-09-16

日本公害歴史

バズってる「日本薬害歴史」の公害バージョン作ってみたよ。

 薬害歴史はてブhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/chou_kaorinn/status/1437974388062654468

足尾銅山鉱毒事件(1870年代)

政府古河鉱業「確かに鉱毒出したけど対策たからもうおしまい!」→谷中村農民「そうはいくか!ちゃん補償しろ!」→政府「お前らうるさいから消えろwww」→谷中村廃村村民強制退去

土呂砒素公害(1920年~)

宮崎県西臼杵郡高千穂町役人上級国民ヒ素粉塵災害なんて町の恥じゃ!隠蔽しろ!www」→50年後に住民西日本新聞被害告発してやっと被害が明るみに出る

イタイイタイ病(1955年~)

厚生省「過労か栄養失調じゃね?www」→「ごめん、鉱山から出たカドミウムが原因だった」

森永ヒ素ミルク中毒事件(1955年~)

厚生省「確かに森永ミルクが原因かもしれないが、明確な因果関係はないねwww」→森永(1970年)「ごめんなさい、やっぱりウチのせいでした」

水俣病(1956年~)

チッソ厚生省御用学者メチル水銀なんてない!そんなこと言い出す学者なんか日本に要らない!さっさと消えなwww」→「ごめんな、やっぱりチッソメチル水銀のせいだったわ」

四日市ぜんそく(1959年~)

三重県四日市市高度経済成長にはコンビナートがどうしても必要になるから我慢してくれwww喘息死ぬのは高齢者子供ほとんど死なないしwww」→「わりい、四日市乳児死亡率が全国1位、国内平均の2倍になってしまったwww」

カネミ油症事件(1968年~)

農水省「ダーク油(原因となった特殊な精製油)の提供なんか出来るかwwwおとといきやがれwww」→「ごめんな、あの時提供していれば・・・

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