はてなキーワード: 高度経済成長とは
・"歴史は韻を踏む"、"類似している"と表現し、共通点も具体的に述べ、その上で今後起こるであろうことを類推したまで。安易な"同一視"ではないことが分かるよう、こうして慎重に言葉を選んで筋道立てて書いたつもりだが、伝わらなくて残念だ。
・面白がっているのではなく、今の政権の言動に危機感を抱きつつも、長い目で見た時の社会の良識や自浄作用のようなものをある程度は信じているんだよ。
・とはいえ、日本ほどの高齢化社会は人類史上初の事態だ。ピラミッドどころか肩の張りだした壺のような形になった人口構成は、日本社会が危機に対応する力、危機から立ち直る力を急速に奪っていく。中国の覇権主義も日本にとって脅威となる。内憂外患は当分晴れそうもない。四半世紀単位で見れば、最悪の場合、日本では財政危機が起きたり、民主制が消滅したり、戦争や内乱で国家が分裂したり消滅したりする事態もあり得ると自分は思っている。もっとマイルドな未来が実現してほしいと願っているが、高度経済成長期のような右肩上がりではなく、最善でもどちらかといえば右肩下がりの時期が続くことはまず間違いない。
日本人が一個人として出来ることは限られていると自覚した上で、個々人は身の振り方をよく考えるべきだろう。ミクロな現象はマクロな現象に対して正面からぶつかったら勝てないのだから。政府の馬鹿げた言動には可能な限り掣肘を入れていく一方で、いざという時にどこでも暮らしていけるような備えと強かさが欲しい。
【同一視】
《名・ス他》差があると考えず、おなじと見なして取り扱うこと。
Oxford Languagesの定義
【類推】
《名・ス他》一方が他方と似る(幾つかの)点に基づいて、(既知の一方から)他方の有様を全体的に推し測ること。類比⑵。アナロジー。
「―解釈」
Oxford Languagesの定義
なんか事あるごとに旧日本軍の失敗事例持ち出すのってどうなんですかね。右も左も日本はあのころから何も変わってないみたいなことばっかり言って、政府批判して面白がってる。インパールがどうのとか言うのって聞き飽きてきたな。安易にあの時代を現在と同一視していいのかな。
小山田圭吾さんが辞任した。
東京オリンピック2020はオリンピックの成功というプロジェクトに向けて国民が団結して協力するという状況ではない。高度経済成長期だった1964年の東京オリンピックとは異なる。
価値観が多様化したとも言えるし、日本社会の階層化が進んだとも言えると思う。
少なくともみんなでオリンピックを盛り上げようという気持ちはない。
それどころか、国民は少なからずオリンピックに反感を抱いている。
言わばガソリンが気化して充満している状態なので、ちょっとした火の気で爆発する空気感があり、佐野健二郎、森元などが炎上してしまった。
障害者への強烈な虐待を雑誌で自慢するという特異な嗜好を持つ人間がパラリンピックの楽曲を登用するという決断は言わばガソリンが気化して充満している隣の部屋でファイアーダンスを行うようなもので、最初から炎上必至だった。
野球だと9回に抑えで出てきたクローザーが20点取られたような感じ。
組織委員会にはまだ隠しダマがあると思う。
「私の言葉で読者の皆さまに伝えたく思い、こうして筆をとっ」たという文章。
https://note.digital.go.jp/n/nefb0c246a4db
まず目に入ってくるのが、彼自身がキーボード打ってますよの写真。
斜め前から、斜め後ろから、どってことない写真が2枚もあるのは、現国会議員で彼くらいの人間が自分でキーボードを打つということが珍しいことを意味している。。。。
2020年5月、国会審議中にワニが大蛇にかみつかれたりする動画をタブレットで見ていたくらいなんだから、それくらいアピールしてくれなくてもわかる。
よく見ると、背景には御影石らしき素材に「デジタル改革」と彫られた謎の板。
このあたりはさすがに地上波のデジタル化に反対していただけある。
今では国会審議中にタブレットでデジタル映像化されたワニに夢中らしい。
そして
「日本はこんなもんじゃない」ということをもう一度国民と共有したい
という最高のパンチライン。
「こんなもん」というのは、日本のデジタル、いや経済的な後退を意味しているのだろう。その自覚はあるらしい。「もう一度国民と共有したい」というのは、戦後復興や高度経済成長期のイメージなのか。
なかなかにすごい。
筆で!! よく見てみると「ハンコ」押してあるやん!!!
いや「デジ道」とは。トドメを刺された。
このテキストのオワコン感についてはもうネット上で大喜利状態なので、もうおいておく。
最も闇深いのは、これを止めるスタッフ、修正する官僚がまわりにいないということを示してしまっていることだ。
だけど、それを公開する前に、いくらなんでもチェックしたり、助言する人くらいいるだろう。
「干したる庁」と揶揄されるように、やはり「脅し」が怖いのだろうか。
https://www.asahi.com/articles/ASP6Q6JLVP6QULFA01M.html
Wikipediaによると、1993年11月丸亀平井美術館を設立・館長に就任している。
2019年1月くらいまでは、香ばしいホームページがあったようだが、現在は404 Not Found
https://web.archive.org/web/20190126104957/http://www.rnc.co.jp/moto
2018年10月には、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)、情報通信技術(IT)政策担当大臣に就任。その直後に消されていることがわかる。
本当にまずい。色々忘れちゃいけない。
デジタル庁、頑張ってくれ。
そもそも何のためにがんばろうとするのか気になってくる話だな。
自分が何を望んでいるのか分からないと、なんとなく良さそう他者を真似しようとする。
高度経済成長期は頑張って作り上げたというか、望むことがあったんだろ。
嫌な仕事はパッと辞め、ほどほどの給料で自分の機嫌を取って生きるのがスタンダードになってきた。
高度経済成長期からバブル崩壊後、過去の栄光を求めて「がんばり」続けてきたひずみが露わになってきたここ10年。
「がんばらない」ことが最適解になった。
過去に「がんばって」作り上げた日本の技術的・文化的貯金はみるみる減っていき、「がんばっている」中国や韓国、その他の国どんどん抜かれていくだろう。
さみしい気もするが、自分は彼らのような頑張り方をできないし、あなたたちもできないでしょう。
かと言って「日本は終わった」と冷笑的・悲観的になるのもダサい。というかアンチ日本みたいなのがダサい。
ゆるやかに衰退する日本と我が身を、あるがままに受け入れる=アゲもサゲもしない、という精神こそが、成熟なのかも知れない。
これから始まるであろう「高度経済成長期」を、インターネットやスマホが既に完備している状態で楽しむことが出来るわけでしょ。
日本の高度経済成長期は1960年代~1970年代初頭までだったけど、当時はネットもスマホも何もなかった。
テレビですら白黒からカラーに置きかえられていた時期だったし。
当時にネットやスマホがあったら、日本の社会はまた違ったものになっていたのではないか。
日本の高度成長期は「交通戦争」と呼ばれていて、環境技術も安全技術も未発達の中で車を運転しなければならなかった。
当時の映像を見ていると、当時の車にはシートベルトが装備されていなかったくらいだ。
でも今の発展途上国の人たちは、50年前と比べると格段に進歩している車に乗りながら、高度経済成長期の明るい社会を生きていけるわけだし。
日本、そして世界のネット掲示板及び書き込みサービス民の皆様、こんばんは
https://anond.hatelabo.jp/20210606173116
の続き
だいたい本田未央競馬辞めるネタ問題は現代社会が国民の加虐性を膨張させてきたのも原因だろ。
https://twitter.com/momotar35639597/status/1401011532478046208?s=19
https://twitter.com/red_autism/status/1399844698861105152?s=19
https://twitter.com/ishiijunpei/status/1399681471963570181?s=19
親ですらその経済戦争のコマでしか子供を見てないようなのが下地思想…
そこから外れれば
加虐思考に染まってしまうようなのに近い情勢を生んでしまったんだよ。
番外。
https://twitter.com/search?q=honryaku%20%20since%3A2021-05-06%20%20until%3A2021-05-08&s=09
振る舞いや言動が胸糞悪い漫画バナー広告に出てくる毒婦や毒親みたいじゃないですか。
コイツはきらら原作漫画から何を学んだんだよ…(´• _ •` )
ストーリー上で問題が起きた時にどのようにしてキャラを動かして着地させたほうが良かったのかと検証・分析してこそ真のオタクなんじゃねえのか?
デレマスであのとき本田未央は、クールでドライな反応でほか2人を支えてれば良かったのか?
はっきり言って馬鹿げてる。
あんな奴は単細胞な感情持ってるただのシニカリストなコレクターだ、マジで。
番外2
事実上キュルルもカラカルも脚本の被害者であったことが証明され、けもフレ2コミカライズは「2」としてではなく
「けものフレンズ エピソードキュルル」という独立した作品に該当されるのかも知れない。
https://twitter.com/Tamalilis/status/1394574555335708676?s=19
話を戻す。
とにかく残機ゼロ思考や子供を経済競走のコマでしか見てないような、金メダル的なのを過剰に要求する教育の結果が
ヤムチャやオルガ、2005年日本シリーズのときの阪神をおちょくり、
それに立川で19歳のガキが社会規範の大義名分を名目として1人の女性の未来を破壊した事件なんて
これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う
しかしそれ(膨張・威圧・非人道主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う
理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う
胡錦濤は中華人民共和国国務院総理に指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会で問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差の是正と安定成長に努めた。胡錦濤が最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪や上海万博に代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業の民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有・公有経済の管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。
胡温体制で中国のGDP(国内総生産)は世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策は人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部と都市部を統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。
就任当初多くのヨーロッパやアメリカの為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道が規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道は国内外問わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。
しかし、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年のチベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定でインターネットの遮断も起きた[77][78][79][80][81]。
なお、2010年2月21日には人民日報が運営するミニブログ「人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言もメッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またこのとき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。
2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。
北京オリンピックと上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。
2008年8月、ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ(中央)と
2007年、ウラジーミル・プーチン(右)と
2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
胡は外交政策として、後述する日本や台湾の例にある通り江の外交政策の修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。
胡はアメリカ合衆国・中国・朝鮮民主主義人民共和国の三者協議とさらに近隣諸国の韓国・日本・ロシアも加えた6カ国協議を北京で主催するなど北朝鮮核問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手で経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国に仲介を要請した米国に対して江は二国間の問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日は対話を拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和的解決を基調としつつ北朝鮮への圧力の必要性も理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。
胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和と安全に寄与することを国際社会に保証するとし、世界の様々な地域に中国人民解放軍などから部隊を派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国は国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国が国連への影響力を利用して台湾(中華民国)との国交断絶をリベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア沖海賊対策では中国人民解放軍海軍の艦隊を派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国の海洋進出を推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京の中国・アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案でアディスアベバのアフリカ連合本部は中国の資金と企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国は米州ボリバル同盟や南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラやエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスのラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立会議で議長のベネズエラのウゴ・チャベス大統領は米国を批判して胡の祝電を読み上げている[101]。
また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高を活用してアジア・アフリカ・中南米の発展途上国(G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ・欧州・日本などの先進国(G7)にも対外投資を行う走出去を推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。
2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシアの首都クアラルンプールを観光したときのこと。
とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア。首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。
街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本の都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的な建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだと認識してきた。対して、クアラルンプールの都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区と現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシアの人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。
街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後の東京の雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽が容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやりと大学の講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちはタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。
「生産性の低い人」と言われる人も含めて「中流」になれるのが社会全体として安定するんじゃね。
高度経済成長、オートメーション化により「生産性の低い人」でも生産性があがり「中流」になれて内需が上がりまくった時代。
どうせ少子高齢化で労働力が少なくなるんだから、「生産性の低い人」も働いて自尊心を持ってそこそこ金稼いで、「金持ち(中流)喧嘩せず」で調子に乗るのがくらしやすい社会になるのでは?
※弊害も当然あるだろうが。
まぁこれは40人をまとめる経営者レベルではなく、もっと大きな社会の話だけどな。
言ってることはある意味正しいけど小さな組織の「正しさ」が必ずしも全体の益にはならないことは、「合成の誤謬」としてケインズ時代から言われてること。
「社会」の話と「企業経営」の話をごっちゃにして悪いな。でもお前もな。
※「高度経済成長時代」という古い単語をあえて使ったのは・・・・・・・・・「老害夢みるな」という反論は「知ってるよ」、まぁでもな。
まぁその夢の社会がよいと思ってるんだよ。ちなみに48才。高度経済成長時代は経験してない。
老害はもっと上の世代だと思うけど、・・・・・言い訳面倒だから略。
「うるせー小さな会社経営して金稼いでみろ。誰が社会のことなんて知るか」と言われれば社畜の俺にはいうことがない。けど、はてなだしな。言ってみた。
はたして「生産性が低い人」とか言われる人が幸せになれる社会はもうないのか。統計ないけど、社会の8割は「生産性低いんじゃね」。
専業主婦が一般的だったのは高度経済成長期の数十年、たった1世代でしかないという事実
よくあることなんだけど、今現在の社会的な慣習を永続的なものだとみんな勘違いしちゃうんだよ。
腕時計をするようになって1世代だが、携帯のせいで売り上げが3分の1に激減
社会人のたしなみと誰も疑ってなかったはずのものが、1世代であっけなく終了。
タバコと酒の消費量は戦後で1人あたり5倍くらいになってて、今みたいにパカパカ摂取するようになって1世代。
バカみたいな飲み会とかやってたのは実は団塊だけ。タバコは今のペースならあと0.5世代で滅ぶ。
自由恋愛も1〜2世代ですよね。だいたい告白という風習が少女漫画から広まったものじゃなかったっけ。1世代。
日本女性がブラジャーをつけるようになって1.5世代くらいか。
ほかにも「実はたった1世代」ってモノや慣習は無数にある。ちょっとこの事実にお前ら恐怖したほうがいいです。
だからまあ、なんも考えず親世代の真似をしようとするのはやめろ。無理だから。