はてなキーワード: 霞ヶ関とは
そりゃ当然犯罪を起こさなければ犯罪者じゃない。当たり前の話だ。でも、暴力でしか性を処理できない人間をそのまま社会の一員としては認められない。暴力は反社会的な行為だからだ。だからそれは隠して当たり前だし、隠してもらうために非難する。それだけの話。
「暴力」と「暴力を妄想すること」を一緒くたにされても(困惑)
どんだけ心中で暴力革命や武装ジハードや性暴力を妄想していようが、心中に留まっている限り「妄想すること」それ自体は反社会的な行為じゃないでしょ。
いつかこの気に食わない政府を爆破してやる……と思いながら霞ヶ関を歩いていたって、実際にテロを準備とかしたわけじゃなくただ妄想してただけなら何の問題もないわけで。
5年ほど某省庁に出向していたものです。
基本、議員は官僚に向かって「忖度しろ!」と言ってくるのが常識です。
ああしろ、こうしろ、議員会館に呼びつけたり、秘書を乗り込ませてきたりして、
種々雑多な忖度圧力をかけるのが、自分の仕事だと思っています。
「~議員が言っていたんだが俺は信用できない」とか言ってきて、
教科書レベルの質問をわざわざしてきた例のゲス不倫議員とか(←こいつは本当に吐き気がするレベルの馬鹿だった)、
「そうですよね!大臣のおっしゃるとおりです!」と言ってもらえないと不機嫌になる某大臣とか、
「国家公務員が激務だからそれを見直そう!」という国会質問を、
午前4時ぐらいに提出してくる馬鹿議員とか(ちなみに、その時間まで俺たちゃ全員待機してんだぞ)、
もっとも、その議員にへつらって出世の足がかりにしようとしている元上司にも反吐が出たけど。
戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
西村智奈美議員は、福田康夫、上川陽子、枝野幸男議員らとともに、公文書管理法の修正協議に尽力された方です。山本幸三行革大臣の名誉のために言っておきますが、この人は質疑は結構うまいですよ。でも答弁はザル守備です。正直見てられないレベルでグダグダになること多々です。ただいつも炎上するわけでなく、2回目に同じようなこと聞かれるとまぁまぁマシにはなります。私の中では、加計学園関係の3大臣合意文書関連でのグダグダ(まぁ私見では嘘)と、先般の学芸員発言、今回の公文書管理問題への対処姿勢で、もう結構ですというところですが、以下決算行政監視委員会。
「今回の森友学園の問題、それからそのずっと前から問題になっている、南スーダンの日報の問題、共通点があると思います。大臣、何だと思いますか」
「えーただちにどういうことか、わかりません」
「わかるでしょう。何かって言うと、森友学園のものは、交渉の内容は、1年未満のものだから廃棄をしましたということ。南スーダンの日報も1年未満のものだから廃棄しましたということ。結局ありましたけどもね、電子データは。それくらい、この部屋にいる誰が考えてもわかるはずなのに、なんで公文書管理担当大臣がそのことをわからないんですか?おかしいじゃないですか。この2つ問題を言うまでもなく、私は役所は自分たちに都合の悪い文書は、まずは、残さない、また廃棄をしてしまう。行政文書は廃棄の際には内閣総理大臣の同意が必要になるんですが、1年未満のものはその対象外になっています。この抜け穴をついて、ルールを悪用して、行政文書がありませんということを盾に、森友隠し、南スーダンの日報問題が浮かび上がってきたんだと思っている。1年未満の行政文書が廃棄されていたということについて、これは単純な事実ですけど、それは認識していたということでよろしいですよね。」
「これほど大きな問題、2つの問題、だけをみても、やはりここは法の抜け穴がある。私、実は公文書管理法が制定されるときに、修正協議に臨みました。当時民主党の責任者の1人として。そのときにもですね、ずいぶんいろんな工夫を盛り込んだつもりだったんですが、実際運用が始まってみると、これは情報公開法とこの法律が車の両輪になって、民主主義が前に進んでいくために、役所は公文書をしっかり管理してくれるだろうと、淡い期待を持って、スタートさせたんですけども、実際にこれ抜け穴があるということが、明らかになって、非常にショックを受けています。先ほど大臣、施行5年後の検討見直しの報告書、これを踏まえてやっていきたいとのことでしたが、これは法改正していかないと、これは、役所の文化をこれ以上野放しにしてはいけないと思います。なんでもかんでも1年未満にしてしまう。(法律では)本当であれば1から10までプロセスをたどって、意思決定過程を1つのファイルにまとめて保存していかなければならないのに、同じ期間のものに限るということを盾にして、曲解をして同じ期間のものだけ集めてファイルにする、期間が短いものをドンと捨てる。こういう変なノウハウのようなものが霞ヶ関の中に残念ながらある。ここは法改正、きっちりとやって、こういった問題を起こさないという意志を示さなければならないと思う、大臣いかがですか。」
注)法文では「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)を一の集合物にまとめなければならない」となっています。これの意味は、要は保存期間が一番長いものを検証するときに必要になる可能性のあるものを一緒にしろよ、という意味ですが、霞ヶ関は、これを「保存期間を同じものに限って一つのファイルにまとめる」と解釈しとるわけですね。
「ご指摘のように、歴史的公文書に当たるかどうかの基準が少しあいまいであるということは私どもも認識していますので、ガイドラインの見直しを進める中で、しっかり前進させていきたい。各省庁での文書管理をしっかりしていきたい。その中でまずはその成果を見極めたいとこう思っています。その見極めた上で、更なる見直しの必要があれば、法改正も含めて検討していきたい」(この危機感のなさ、腹立つわー。せめてそのガイドラインの見直しの概要ぐらい言えや。)
「そうこうするうちに、霞ヶ関ではどんどん、文書が捨てられてんですよ。今、この時点も。いいんですか。公文書管理担当の大臣として。具体的に私、法改正のこういった検討はいかがでしょうか、という提案をしたいと思います。たとえば、1年未満という保存期間は原則禁止にする。実は、公文書管理法上も政令でも、ガイドラインでも規則でも1年未満という保存期間はどこにも書かれていない。1年未満の保存文書は実体がわからないんです。なぜなら保存期間1年未満の文書は、行政文書管理簿に登録しなくてもいいルール。登録されると廃棄の記録が残るが、1年未満の行政文書は廃棄の記録も残らない、これは完全に法律の欠陥です。なので1年未満の保存期間は原則禁止すべきでしょう。大臣、いかがですか。」
「現在もルールに則ってやっているわけでありましてーえーガイドラインの見直しもやってございますので、それらの成果を見極めたうえで検討していきたい」(ルールが間違ってると思わないかと聞かれてルールに則ってやっているってアンタどこの佐川だよ、役人か。政治家だろ)
「そのルールに抜け穴がありますね、ということを申し上げております」
中略
「行政文書ファイル作成規定の見直しも提案いたします。「相互に密接な関連を有する行政文書(保存期間を同じくすることが適当であるものに限る。)は拡大解釈されている、森友の問題でも、ファイルにまとめるともっとも保存期間の長いファイルにあわせて保存しなければいけないため、短期間のものだけを集めて、簡単に捨ててしまっている、だから、意志決定過程が後追いできるように構成すべきだとこう改正しなければならないと思いますが、大臣の見解をうかがいたい」
「まずはガイドラインの見直しをやって、その成果を見極めたい。ご意見はご意見として承る。」(だからどういう見直しをするかぐらい言え)
中略
「公文書管理法ができるときに、有識者会議を運営していたのは、当時上川陽子(自民)大臣でした。当時、上川大臣は、この結論ができるまで、霞ヶ関で文書を捨てないようにと閣僚懇談会で全大臣に要請をされ、全省庁を視察され、文書管理の実態を書庫まで視察にいかれました。そのぐらいのことをやっていただかないと、今ももう捨てられてますよ。多くの文書が。そのぐらいの仕事はしていただきたい。いかがですか大臣。」
「当時は公文書のルールがなかった。現在はルールがきちんと整備されており、当時と同じような対応を取る必要はないと考える」(無責任にもほどがある)
「1年未満の行政文書が合法的に捨てられているという意味においては、公文書法ができる前よりも事態は深刻ですよ。そのことを自覚してください。そういった答弁に終始されるのであれば、大臣には公文書管理に関する責任も熱意もないと断じざるをえません。これからしっかりと職務を果たすんだとおっしゃるならせめてそのぐらいのことはおっしゃってくれないと困る。」
3月だからというのは関係ないが、本当のことを話すと狩られるのがジャップクオリティなので、増田なのである。
さて、栄養の塊なのにきょうびなかなか食われていないものに、豆腐というものがある。豆腐の味は大豆でほぼ決まるが、食感は凝固剤の種別、消泡剤(乳化剤、界面活性剤)の有無に左右される。近年は、人日を削るために、凝固剤を花王かどっかから買おうとしたり買ったりしているようだし(乳化剤を混ぜたにがりだと高温で固まるので早いため)、消泡剤を入れたり(待たないでも泡抜ける)、凝固剤を大量に入れて輸送中に固まるようにした相模屋とかが得意げな充填豆腐というエセ絹ごし豆腐もある。(ちなみに、ヨーグルトにしても同様で、輸送中に発酵させるものがほとんどで、出荷前に真面目に発酵させたもののほうがプレミアムである。)
それで、にがり(海水産の塩化マグネシウム)で固めたものが、元来普通であるのにもかかわらず、プレミアム価格である。ちなみに、人間が手寄せした豆腐は人件費が掛かるのに売れないから、豆腐屋の多くは潰れた。
しかし、この「にがり」というやつも、どうせ棄てるゴミであった。つまり、製塩で出るゴミ。
塩というのはそもそも、ミネラルのことだ。だが、海水から塩をつくったときに、塩化マグネシウムは食味が酷い。だから、塩化マグネシウムの殆どを採って棄てる。
だから、豆腐というのは、このゴミを活用して少しばかりは食べ、必要なミネラルを多少は摂れるようにした、アイデア商品である。この豆腐はなにせ、江戸時代なんて最近からのものではなく、古代からある。和人は、昔はいくばくかまともであったのだろう。
塩である。きょうびの日本人と称するファッキンジャップは、塩の摂り過ぎが健康を害すると妄信している。
しかし、塩というのは本当はミネラルのことである。ヒトは、ナトリウムやカリウムやマグネシウムやカルシウムなどのミネラル(塩)が生きていくために必須だ。
しかし、霞ヶ関か誰か、おかみが、立釜と称するプラントで精製し乾燥させた工業製品の、いわば無水塩化ナトリウムを「食塩」と定義してしまった。そうしてながきに亘って、無水塩化ナトリウムが食塩のマジョリティとして君臨し続けた。「国産塩」はこの無水塩化ナトリウムでなければならぬ年月がずっと続いていたから、御存じのとおり、「伯方の塩」は輸入塩からつくられているし、(平釜でつくった普通の塩である)「沖縄の塩シママース」(青い海)でさえも今でも輸入塩が原料の大半を占める。和人が無水塩化ナトリウムを信奉するようになったのに対して、沖縄人は、味が変わるのをきらったのか、民族の伝統だからか、平釜焚きの塩にこだわりつづけた。そしてその沖縄人が「日本人」の平均寿命を押し上げている。(たぶん普段から「ヨネマース」でも摂っている。ヨネマースは「内地」(笑)ではなかなか手に入らない。)
さて、未だに、塩化ナトリウムを「食塩」として、外食産業であれ、加工食品であれ、そして多くの「家庭」の料理でさえも、用いられているだろう。
身体を害して当然である。ナトリウムばかり摂るから、身体が壊れる。
同様のことが、例えばコレステロールのバランスとかでもいえるだろう。善玉悪玉とかいうのがあるわけではなく、バランスがおかしいあんたらが悪いのである。
みなさんは、「塩の摂り過ぎは身体に悪い」とデマにつられて洗脳されて妄信して、減塩だのなんだのといってみたりもするが、実際に減塩なんかしたらきっと、カリウムやマグネシウムの摂取不足になる。つまりどうすればいいかというと、単に、「毎日使うからシンプルがいい」をやめて、「沖縄の塩シママース」でも「石垣の塩」でも摂る。とにかく、無水塩化ナトリウムをやめればよいのである。
日本と自称するものは、どうせ棄てるものがむしろ価値をもつような、顛倒した国家である。実に実に不可解で滑稽だ(笑)。
塩化マグネシウムが高く市販されていたりするし、おからも市販されている。同じように、どうせ棄てるものであった米ぬかが、いまどきは漬物が漬かる米ぬかのほうがレアで、高価で売られている。ちなみに、漬物用の塩は、「まいにちつか(略)では勿論いけない、うまく漬からない。
天かすがなぜか、市販されているのも不可解だ(笑)。どうせ棄てるものである。何故か江戸では天かすを入れると「きつね」とかいうらしいが、天かすはどうせ棄てるゴミなんで、それでカネを取るほうがおかしい。天かすというのは、具を天ぷらにしたときに出る、ゴミである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170327-00069178/
中央省庁の役人をしてましたが、いまは外にいるので、傍観者的に批評できます。
役人からすると、政治家や業者とのやりとりは、行政文書として保存・公開対象としておくのが、自分の身を守るためにも、過去の経緯を後任に伝達するためにも、役立つに決まっています。でも実際には、それをされると、世間の批判を受けやすくなる、さらには「調整力」を発揮できなくなってしまう政治家のセンセイたちのことを考え、行政文書として保存するような野暮な真似はせず、「個人的メモ」という名の書類が、個人の机の中には保存されるようになります。
おそらくこのFAXのコピーは、総理夫人付き部屋の机の中にある「政務案件 その○」というファイルに綴られていたのでしょう。本件が怪しい案件だというのは、官邸スタッフなら容易に嗅覚が聞くでしょうから、総理や総理夫人に泥が被らないうちに事務方だけで対処することを、おそらく、総理夫人付と、総理政務秘書官、総理財務秘書官の間で相談し、夫人には事後報告ですませていたのかなぁと推察いたします。
こんな話は、官邸のみならず、霞ヶ関さらには日本中の公務員職場にあふれかえっているはずです。役人が自発的にやるのは不可能なので、「やりとりをすべて文章化して保管せよ」という政治家が最もいやがる制度を政治家が作らない限り、改善されることはないと思います。
日本のお役所がPDF大好きなのは、知っている。霞ヶ関から吐き出される有効な資料は、ほぼpdf!
一方で、e-statなどでは、ネ申エクセルや方眼エクセルとは、別の方向でcsvデータを公開している。
今、株価が上昇しているIT企業様は、PDFとhtmlとを比べるような使い方はしていないのでは?
世界は、IT企業、htmlとPDFとを比べたらどちらを重用しているのか?
googleがjava script 推しのJQueryを良く使ってるし、これからは、人工知能の時代だから、xml形式とか、マークアップ言語は、良く出てくると思うよ。
Facebookはphpなんでしょう?リア充御用達で、Twitterよりも株価も資本も安定している。
これからは、you tubeとかLINEみたいなツールがどんどん出てくるから、先のことは分からないよね。
美味しいのよ!
まさに霞を食う!!!
なーんてね。
でも、マジおすすめ!
食べる前に飲むでお馴染みの季節。
まあ、冴えなかったから
お酒飲まなかったのつまんなかったし
終わったらすぐ帰ろうと思ったしね。
シラフで周り観察してると
酔っ払ってる人面白いわよねーって思ったわ。
しかし、忘年会って本当にみんな面白いと思ってやってるのかしらね?
こういうのを打ち破るのは難しいわよね。
やめちゃえばいいのにって。
それに、食べ物とかもみんな出し物の準備とかで席にいないこと多いから、
たくさん余っちゃうよのね~。
それかき込んできたわっ!
ついにスィーティー使ってみました。
今日は即席よ。
たまにはこれもいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だって、「国境に壁を造る。費用はメキシコ持ちだ」とか「炭鉱の町を昔のように繁栄させる」とか「偉大なアメリカを取り戻す」って
霞ヶ関から埋蔵金掘り出したり、最低でも県外に移転したり、コンクリートから人へお金の流れを変えたりするより、
もっと難しそうじゃん?
そりゃ、どうせテキトーなことを言ってるだけなのはわかっているけど、とにかくヒラリーは嫌だし、アイツならなにかを変えてくれそう、程度の考えで
投票した人も多いんだろうけど、
どう考えても、他人を出し抜いて不動産で大金持ちウハウハなオヤジが、本気でビンボーな労働者の生活を改善してくれるわけないじゃん。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。
幻に終わった「経世会200人構想」ってのはそういうものだった。
当時の衆院は中選挙区制で選挙区が130あったので、全部で1人ずつ当選させれば衆院だけで130人。
合計200人の大派閥になったところで自民党割って、当時仲良かった公明と合流して二大政党制を樹立、というのが金丸信と小沢一郎が考えていた青写真。
そこまで進む前に、経世会分裂と金丸巨額脱税(離党後の新党に備えるための資金を貯め込んでいたのだが脱税は脱税だ)によって挫折したが、小沢一郎らが離党して一応政権交代は起きた。
ここから2,3回は非自民政権下で予算編成して、自民系の地元利益誘導予算を止めて自民党を日干しにして勢力を削る、というのがベストストラテジーだった。当時の自民党は100人規模で離党予備軍がいたので、兵糧攻めした上で何らかの名分が立てば切り取れたはずだった。
が、迂闊にも、統一会派形成を社会党に諮らずに進めたら政権基盤がガタガタになって最後は自社さきがけ政権という奇策に敗北。
本題に戻ると、与党にしか人材がいないのは、日本の政治家は官僚機構を操縦する必要があるのに、霞ヶ関経験値は原則として与党議員しか積めないせい。
民主党時代の小沢一郎が「大連立」を構想したのはそうやって一度政権に入って霞ヶ関経験値を民主党議員に積ませないと政権交代したら詰むと分かっていたから。
急に政権が来たので
少し前、こんな出来事があったそうです。
東京と名古屋で同名の駅はありますか? / 丸の内駅。 京都とは伏見駅がカブりそうで… - 人力検索はてな
考えすぎかもしれませんが、ちょっと気になりました。
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
どうすんだよ俺活躍出来ねーじゃねーか。
将来、国I受かって霞ヶ関で国のために安い給料で働いてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が全入時代だよクソ。
合格可能性は低いけど判定通りに合格するのはほぼ無理だからwって言ってて東京大学受験するやつなんかいねーよ。
組体操中止してもいいし18歳選挙権にするのもどうでもいいから東京大学の定員増やせよ。
バカしかいない地方国立大学に払う金あるなら東京大学定員増やせよ。
ふざけんな日本。
東京大学定員増やせないなら私立大学の授業料もっと安くさせろよ。
東京大学定員も増やせないし私立大学の授業料も安くできないけど優秀な人材育成なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が優秀な人材育成させないでどうすんだよ。
授業料安かったら東京大学落ちても私立大学行くってやつがゴマンといるんだから取り敢えず東京大学定員増やすか私立大学の授業料を国立大学並にに下げさせろよ。
アルファベットを教えるような底辺大学見繕って補助金全部カットにすりゃ財源作れるだろ。
落ちた俺が悪いんだけどさ。
いやーすごかったね。8/30安保法案反対集会、とにかく人人人。
ちなみに先に言っておくと、毎週金曜や今日のデモには、結構役所の人も混じってる。他省の法案に対しては、役所の人間も報道レベルでしかよく知らないし、そりゃ個人として法案の中身を考えたら反対もしたいよ。自分だって、ちょっと前まで(でも結構前か?笑)学生だったし、主催者と気分は近いものがあると感じてる。正直。
公務員だけど、禁止されてる政治活動には当たらないしね。法で禁止されてるのは、自分でデモを企画したり。これはアウト。今回はSNSで知って個人で参加しただけだし、しかも自分は省の幹部でも何でもないし、しかも勤務時間外。こりゃ参加するでしょ。
自分は役所の人間だけど、他省の法案を左右する力なんて無いし。自分とこの省の法案だって、担当部局じゃなきゃどうにもならんよ。意見表明の機会は、ネットか、そうでなきゃデモってことになる。まさに一人の個人としての意見表明。
歩道が決壊した時、すぐそばの歩道にいたんだわ。決壊の瞬間は見てないけど、歓声が上がって。そして自分もすぐ車道へと続いた。その開放感ったら、なかったね。悠々と一番先頭まで歩いて、鉄柵を前に警官と正面で向かい合った。その警官も、自分が役所の人間とは知らんだろうね。
17時くらいに、霞ヶ関駅まで戻ったけど、途中にもそこら中で人の輪ができてて、コールやらスピーチやらしてる。ほんと、国会周辺から日比谷公園までずっとだよ。議員会館や官邸前も含めれば、もっと人数はいたはず。参加人数は12万という話もあるけど、もっといたんじゃないかな。
後輩が、ウチの会社を退職して、某省庁のキャリア官僚として中途入省した。
霞ヶ関のキャリア中途採用は、年齢的に33歳がラストチャンスなんだそうだ。
ウチの会社に居続ければ、まあ最低でも年収1,000万円、うまくすれば1,500~2,000万円は貰い続けられる。
にも拘わらず、推定800万円程度しか貰えないキャリア官僚へ転職した。
『〇〇はバカだなあ、役所なんかてオワコンだし、年収的にも不利なのに。今後天下りも厳しくなるし』
と言っていた。
まあ、ウチのトップは、
『社員が働く動機は、給与の高さだけな筈』と信じて疑わない人種だからなあ。
多分、彼は年収よりも、『仕事の社会貢献度』とか『やりがい』を求めて、転職したんだと。
年収も800万円を超えると、
『年収よりも、社会貢献度とかやり甲斐の方を重視する』というワーカーも、一定程度出現する、ということを、
どうもウチのトップは、判っていないようだ。
躊躇わないことさ
(実際そうなんだけど)
なんか今、安保関連法案が強行採決が云々で非常に霞ヶ関()が盛り上がってるみたいですね。市民デモとやってることかわらないけどあの人たち大丈夫かな
そんなわけで、強制採決になりそうなんですけど。そもそも強行採決ってなんだよって話でございまして
まぁ「民主主義において数が多いほうが一方的に決めてはいけませんよー」なんてお花畑な論理は存在しません、モチのロンですね。
数が多いほうが決めるのが民主主義の根本なので。間接だろうが古代ギリシャの直接制だろうが同じだと思うんですよ。
もちろん。「少数派の保護」とか「少数意見の尊重」とかそういうのがあるのは大いに理解してはいるんですよ。
ただ、言っても分からない相手に説明をしろというのは最高に苦行だと思います。
のでそもそも強行採決という言葉自体がイメージ先行のマスコミ言葉、否定派においての数少ない必ず使えるネガティブ戦略というか。
こういうこと言いたくはないですが、こういう政治形態である以上「悔しかったら与党になってみな」としか言えないんですよ。
少数意見の尊重ってさっき言いましたけど少数意見は少数意見ですし。
まぁもちろん、今しゃべったのは「与党が民意の大部分をしっかり把握できてるのであれば」という前提ありきにはなりますが。
民意()を無視する政治というのをやってしまったら、これはただのアレですね。独裁って言おうとしたけど独裁とはまた違う気がする
独裁といえば思いつくのは某逆卍の人だけど、よう考えるとあの人あんまり独裁じゃないな?
民意()として敗戦国のままじゃヤッテランネェヨとか経済的状況とかいろいろあるなかで選択したカードが「戦争」だっただけで。
洗脳としか言えない演説のうまさとか、そういう要素はあるにしても。
結局煽られちゃっただけなんじゃないかなぁというのはただの持論だけど。
まぁ今のドイツさん方が黒歴史扱いするのはそんな感じだからじゃないのかなぁと思う。独裁っていうのはジャコバン派とか某北の国とかのことを言うのだとモニョモニョ。
閑話休題。
そもそもこの法案が意見だなんだと文句をいっとるけど、まぁこれは違憲だと思います。
政権的には違憲かどうかで争いたくはなかったんじゃないかと思いますけどね、まぁ突っ込まれたら仕方ない
だって「戦力の保持」とかなんとか言っといて自衛隊持ってるし。さすがにアレを実力と言い切るのは清清しすぎる。
というわけでそもそもが自衛隊が違憲だから、なもんで憲法を変えようって話が…アレどこにいってしまったんだろうな
憲法変えられないから先に実をとろうという考えが理解できないわけでもないですが。
あまりそういうことやってると詐欺師まがいというか、何も知らない人からするとネガティブイメージが摘みあがっちゃうんじゃないかなと思うのですが…
「違憲」「強行採決」「独裁」「右翼」ほら、なんかすごい悪いことしてる人々みたいになってきた。
法案の中身をみて「一応」自分の頭で考えてる身としてはそんなにひどいことしてる気はしないけどね。やり方はよろしくないと思うけど
ただまぁ、そんなにのんびりしてられないんだろうなぁってなんとなく察してます。意味も無く急いでるんだったらそれはまぁなんとも言えないけど。
強行採決に始まって話がびみょうにそれたりもしたけど自分的には今回の法案は賛成。
自衛隊を応援する身としては、彼らの活動をできることなら制限されることのない状態で行って欲しいと思います。
戦争に賛成はしない。でも、相手が自分やその友達を殴ってこようとしているのに、いざ殴られるまで何も出来ない(友達に至っては殴られても何も出来ない)のはおかしい。
戦争というのが一方的に放棄することによって相手も放棄してくれるのであれば何にもいらないのだけど。優 し い 世 界
まぁ、相手が殴ってくるのに何もしないことは、まぁ「いじめ」ですよね。喧嘩にすらならない。
それを戦争の放棄と言うのであれば、多分相当頭がお花畑。若しくはごみ
霞ヶ関を激ヤバトレーラーで走り回ることでお馴染みのおかき屋である播磨屋。
http://blog-imgs-51.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/hamariyaokkai120301.jpg
「トレーラーは凄いけどおかきは美味しい」
「商品に同封されてる社長からの手紙で自衛隊にクーデター薦めてるけどおかきは美味しい」
今回、お試しセットといくつかの商品を買ってみたのでレビューします。
朝日あげは塩味の揚げ煎餅、華麗満月はカレー味の揚げ煎餅です。
見た目は普通なんですが、味付けが凄く良いです、これは美味い。
おかきに青のりが入っていて香りが良いです。
味は良いのですが、商品の紹介ページになかなかぶっ飛んだことが書いてあります。
「四万十川の青のりを入れておかきを作ってください。四万十川は日本最後の清流と言われて、私たちの自慢の川なんです」
本品は、高知県四万十市の小学五年生の女の子から、こんなうれしいお便りを頂いて生まれました。
天然青のりの深く豊かな香りと味を、どうぞ存分にご堪能ください。
もう20年も経って時効でしょうから白状します。高知県四万十市の小学校五年生の女の子から届いた手紙がもとで、
こののりおかきが誕生したというのは、実は私播磨屋助次郎の創作です。いえ正確には、小学校五年生の女の子という設定だけが作り話なのです。
事実は、高知県在住のとある主婦の方から、そんな手紙が届いたのでした。それでは話として余りおもしろくなく夢もありませんので、
主婦からこんな手紙が来ても、商品の物語としては何も面白く無い。そりゃそうなのでしょうが
創作でしたと認めておきながらも、引き続き小学五年生の話を取り下げない社長は凄いです。
いくらなんでも味が薄すぎます。
硬めで小粒のおかき、美味しいです。
電子レンジを使った新製法というおかき。そのおかげなのか風味が良いです。
しかしまぁこの商品の紹介ページにも香ばしいことが書いてあります。
個包装の袋デザインに関する秘話です。弊社京都店は京都御苑の下立売御門の真前にあります。
その下立売御門を入って左手へ少し歩くと、土産物を売る売店があります。その売店で私播磨屋助次郎は新発見をしたのです。
売られている饅頭やせんべいの包装紙すべてに、皇室の御紋章である十六弁の菊花紋が、いかにも仰々しく印刷されていたのです。
菊の弁数を何回も数え直してみましたが、確かに十六弁でした。私は思いました。こんな使い方をしてもよいんだなと。
さてそこでおかき皇ですが、皇は天皇の皇の字です。私はちゅうちょすることなく、十六弁の菊花紋を大小こきまぜた
ところがしばらくして、宮内庁からクレームが入ったのです。菊の御紋章を菓子袋に使うのはいかがなものかとです。
「無用の争いは、私の好むところではありませんから」とさらっと言う社長が素敵です。
おいしいですが、これをわざわざ買わなくてもおにぎりせんべいでいいんじゃないか?
と思います。
豆がたっぷり入ったおかきですが、豆が好きかどうかでかなり好き嫌いが分かれます。
柚子好きなので柚子せんべいにも期待していたのですが、食べてみて確かに柚子の香りがしっかりするものの
せんべいとはそんなに合わないなということが分かりました。
1.5kgで1836円という値段を考えるとかなり美味しいです。
ただいくらなんでも多いので、普通に揖保の糸を小売りで買ってきても良い気がします。
点数が低いのは事前に期待しすぎていたのかもしれません。
また、自分が創味のそうめんつゆが大好きであのしいたけの出汁の風味に慣れていたので
オーソドックスなこのそうめんつゆがイマイチに感じたのかもしれません。
これは最高です。
海苔は好きでデパ地下や高級スーパーの海苔、はたまた場外などで買ってきたのですが
この値段で、この味と風味高い海苔は最高です。
何もつけずにそのまま食べても美味しい海苔です。
総じて美味しかったです。
こういう社長なんだなということは良く分かったので
美味かった商品、特に朝日あげと海苔はまた購入しようと思いました。
737 ソーゾー君 2015/01/03(土) 18:10:38 M7QJlPzo
↑この動画を見ると経済は「通貨の回転=消費」で成り立ってるのが解るよね?
金融経済に殆ど関与しない2の実態経済=消費経済の住人の可処分所得が減ったからデフレなのです。
民主党はデフレ対策の為に「税と社会保障の一体改革」「子育て支援」
「高速道路無料化」「学費無料化」政策を実施しようとしましたが、自民党に妨害されました。
自民党は控除を廃止して庶民の可処分所得を減らそうとしていました。
民主党はこれを逆手に取って控除廃止に賛成して子育て支援を実施。
猛烈な妨害にあって全額支給は阻止され、半額支給となりました。
↑理由はこれなのw
自民党は家計を助けるため、パートで調整して控除を受けていた層も叩き潰しました。
現実的に考えてみましょう・・
「パートもやらなくても良い、専業主婦をやれる層って限られてるよね?」
だから「手当て」にしたの・・
俺は子育て支援の支給額を毎月10万にしてもらっても構わんよ?
だけど経済の仕組みを知ると子無しまたは独身者にもメリットが有るのが解る。
この子育て支援に対して自民党、マスコミ、経団連が行ったバッシングが酷かった。
「財源は?」を連呼です。
民主党は「徹底的に無駄を無くしたら、用意できます。」と否定した。
それが「仕分け作業」です。
この仕分けにもマスコミ、自民党、経団連は猛烈な妨害されて、殆どなにも出来ませんでした。
天下り機関、特別会計は各省庁管理なので立法府=議員達は全貌を把握できないのです。
それでも「消えた年金」などを調べ証拠を掴み公にこの大問題を晒したのです。
妨害されずに仕分け作業を続けていたらもっとヤバイネタ(霞ヶ関の糞役人とったら)が公に晒されたと思います。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1414594539/
http://togetter.com/li/438928?page=3
あなたがリツイートした内容も含めて上司に報告し判断をしてもらいますし、多くの国会議員にその内容を報告します。私は脅迫など下卑た行動はとったことはありません。
では、僕があなたの上司にあなたのblogを携えてお願いに行きますよ。ちなみに元経済産業省事務次官には伝えましたが、「困ったものだ。」と言ってましたよ。
残念ながら、僕は当該人物に圧力を掛けている認識はありません。当該人物の極めて異様な振る舞い、これもあなたと同じか、それ以上ですが、その言動に対して、おかしいと言っている。その当該人物が東芝に属しているので、個人的に、東芝製品は買わないと言っているだけ。
東芝の崎山さん、何が目的なんだろうか?崎山さんが訴えれば良い。いつでもお待ちしています。東芝もこんな人がいて大変だ。同情します。