はてなキーワード: 薄氷とは
コミュ力だよね
しかも超高度な
メンバー同士の会話でどのような発言をしたとしても、メンバーから嫌われたり、関係が壊れたりすることがなく、安心して自分の意見や考えを言える状態のことを言います。
これ、めちゃくちゃ高度なコミュニケーションだよね
全肯定すれば良いだけってわけでもない(それは心理的安全性が担保された組織ではなくただのぬるま湯組織と言われてた)
メンバーが間違っている時は間違っていることを伝えないといけないし、メンバー内で意見が完全に相反した場合はどちらかの意見は却下しないといけない
多分これは指摘する側=上司だけじゃ達成できなくて言われる側の心構えも求められていると思う
言われる側が極度にネガティブ思考だと多分どれだけ優しく言っても否定された時点でもう意見を言うことに躊躇し出すと思う
その教本にはこの場合はこう言うといったいろんな例が書かれていると思う
ただ、コミュニケーションの怖いところはそうして勉強して一生懸命築き上げた関係性がたった一言迂闊なことを言っただけで簡単に崩れてしまうこと
そして大抵やり直しが効かない
そんな薄氷の上を歩き続けるような高度で緻密なコミュニケーションを現代人は求められている
富、名声、力・・・この世のすべてを手に入れた企業Googleがこの超難しいコミュニケーションを提唱した世はまさに大コミュ力時代!
生まれつきの心臓病で、ずっと投薬しながら生きながらえてるんだが、小学生くらいのときに、「この病気のひとはみんな早死する。18とかまでにだいたい死ぬ」と言われた。
そしていま、21歳。
余命使い切って3年経つ。
すぐ死ぬもんだと思って死ぬほど適当に生きてしまった。小学生の時から「あと6年かあ」とか思いながら生きているから。
実感もないので「俺18で死ぬんだぜ」とか言って友達泣かせたりしたのも、全部嘘になってしまった。
俺はこれからどうすればいいんだろう。
目標もないし、やりたいことも正直ない。
スポーツ一家に生まれて、なのに運動は心臓病でドクターストップがかけられているとなると、俺に残ったのは出来の悪い頭とヒョロヒョロのもやしボディだけ。
余命で死んでおきたかった。
3年間のオーバーランはずっとそればかり考えてる。
俺はいま、コインの表を出し続けているみたいな、薄氷の上みたいな、そんな命なのかもしれない。
余命は超えてからのほうが怖い。
この3年も、振り返ると無駄ばかりで、有意義に過ごせたのかもしれない。
喋っているときに急に落ちて、「〜してるんだ」の「る」で落ちた。
明確に覚えてる。死ぬ瞬間、最後まで残ってるのは聴覚とかいう説があるけど、多分合ってる。
俺が顔面を床に叩きつける寸前の、自分の声が「る」で止まったことだけを覚えてる。
死ぬ瞬間も多分こうなんだろう。
怖すぎる。
俺がしなきゃいけないのは終活じゃないのか。
嫌すぎる。
どっちも嫌すぎる。
寝るのが怖い。
死ぬ瞬間と似ている。
俺ってどうすればいいんだ。
引くところ引けたからだと思うよ。あの辺りまでは国力がなかったから一歩間違えば国が滅びるって危機感があったから。
日露戦争だってホント薄氷の勝利だった。賠償金も取れなかったから日比谷暴動とか起きている。
日本って調子がいいと自称思っているときはストッパー聞かずに暴走する。上層の連中のなあなあで精神論ばかり叫び下層民は本当に死に追いやられる。最悪になるまでやめることはない。
その象徴と言えるのが第2次世界大戦であり、とくにインパール作戦。
危機感ないんだろうね。とくに、自民は何をやっても、野党をネットで叩いていれば絶対選挙に勝つと思ってるんだろう。まあ、立憲民主党も野党第一党でそれなりに議員は当選できるし、なにか適当に批判してあらが出た時に政権取れると甘ったれてる感じはするな。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
当たり前だけども当事者になるのと報道されているのを見るのとは全然違った。
事件被害者になるということは、ただただマイナスのことしかなく、失うものがすごく多いということがよくわかった。
この情勢になって誰かに話しを直接聞いてもらえることもなかなか難しいので、余計辛い。
家族に話せばいいと思われるかもしれないが、ただでさえ心配かけているのに「死にたい」なんてとても言えない。
死にたいが死ぬわけにはいけないので、仕事はやらなくてはならない(というか稼がなければならない)。
こちらはただの被害者なのに会社に正直に話したら仕事を干されてしまった。
今後迷惑をかける可能性もあるだろうと思って正直に話をしたが、失敗だったかもしれない。
もし従業員が被害に会って、その報告を受け、その従業員を大切に思うのならどうしたいかきちんと話を聞いてあげて欲しい。
休ませたほうがいいだろう、仕事を減らしてあげたほうがいいだろうと勝手に判断して仕事を取り上げるようなことはしないほうが良いと思う。
もちろん会社にとって重要な仕事を任せていたら、難しい判断をしなければいけないこともあるとは思う。(本業とは別に個人事業もやってるので少しはわかる)
ただその場合は(嘘でも)「あなたのことが大事だから、そのような判断をした」ということが伝えわらないと、(なにかあってもこの会社は助けてくれないんだな)と思われてしまうと思う。
ある事件被害者は迷惑がかかるから退職を申し出たところ、「(事件に立ち向かうには)働いているということが重要だ」と強く引き止められたらしい。
会社はカウンセラーではないので、従業員のプライベートのケアまでする必要はないようにも思うが、被害者の心をより傷つけるようなことはしないで欲しい。
あと家族も被害者がどんな心理状態にあるのか考えて行動してあげて欲しい。
被害者は自己評価が地に落ちている(少なくとも私は)ので、ちょっとした言動で酷く傷ついてしまう。
薄氷の上にいるような状態なので、あとで後悔をするようなことがないように。
たぶん家族や会社が事件被害者にどのように接すればいいかは、インターネット上や本が出ている気がするのでまずはそれを読んでみるのがいいんじゃないかなと思います。
報道されるような事件の被害者になったひとは想像を絶する目にあっていると思う。
自分が被害にあった事件は大したものではないのにも関わらずこんなに死にたくなるのに、ちゃんと生きてて本当に尊敬する。
最初はただ事件にあったことに呆然としたというか恐怖しか感じていなかったが、小さなことだけれども二次被害にもあって、加害者への憎悪が湧いている。
こちらは死にたくなっているのにのうのうと生きてるなんて許せない。
吐き出せばちょっとは気持ちが薄れるかなと思いましたが、やっぱりまだ死にたいです。
いままで少しづつ積み上げてきたものが他者によって簡単に壊されてしまうなんて想像もしていませんでしたが、まずは「死なない」という選択を毎日し続けて、時間が解決することを願っています。
事件被害者でなくても、こんな情勢で死にたいと思っているひとはやっぱり増えていると思うので、死ぬ前に(繋がりにくいらしいけど)いのちの電話でも増田でも「死にたい」と吐き出して欲しいと思って書きました。
いずれにしても、元増田の「気持ち」が「就活で上手く行かなくて劣等感を持ってた"都会の民間企業の総合職"に対する合理化(防衛機制)」であることなんて2秒で分かるし、しょうもない「ワークショップ」(それ自体がフェイクだったとしてもとにかく何らかの表面的な交流だろう)の結果で無理矢理作り出した合理化なんて薄氷にも程があるってことも5秒くらいで分かることなわけで、そんなことで元増田の心の課題は何も解決しないこともみんな分かってると思うけど。
元増田が本当に心の課題を解決したいんだったら、さっさと「都会の民間企業の総合職」に転職でもすればいいわけよ。
親がどうとか家族がどうとか、地方を離れられない理由があるのかは分からんけど、結局最低でもそれをやらない限り、しょっぱい優越感で無理矢理納得させようとしても無理だろ。
どこまで自分を言い表しても
絶えず浮かび上がる恐怖本能
自分が判断し行動することすべてにおいて否定的な感情感覚衝動思考が
止めどなく現れ、結局こうなるんだ。
将来のやりたくないことが多すぎてもういやになっちゃって。
なんでそんなに未来を見てしまうのか今を生きることができないのか
でも今ココに向けたら向けたで未来はこれでどうにかなるのかという不安が
止めどなく溢れてきて視界と意識がジャックされて思考がタイムスリップしてあり得る
表現せども、口に出しても
止めどなくひたすらあふれ出でる源泉のようで
蓋を閉じることもかなわなければそれに意識を向けず無視するのも難しいの。
一度最悪なifを考えてしまったらもうそれが現実に起こり得るかのようで
僕の遺伝子で設計された死を防ぐための行動が自分の人生で死ぬまでにやりたいことを
阻んでしまってる。
恐怖本能の意のままにされてる。
限りなく低い。
圧倒的に進化が追い付いていない。
前頭葉を介することが出来ず
こんな人生を俺は望んじゃいない。
幾度となく度重なる自己批判が湧いてくる。
知った言葉の中で難しそうな言葉を選んで書くことによって自分はこんなに
言語知性があるんだと思い込んでやってるのか?そんな
みたいな。
思考が沢山、それこそ無限ともいえるほどに出てきてそれが真実だと捉えて
何一つ現実に、周りに周囲に、皆に世界に影響を与えることもできずに
何一つ介入できず、ただただ席に座り傍観者のように自分や周りを見ている。
一切の合理的な行動を取らずただただ気分や感情にさらされコントロールされる自分を
唯々見ることしかできないで
ここに行きたいんだけどこいつらが脅すからその目的地に着けないみたいな。
でも実際はハイジャックは実銃じゃなくて、脅しはするけど打てずに害を加えることもできない臆病者であることを知っているにもかかわらずに
それらの知識があるにも関わらずそれに対する有効な手立てを打てない自分が腹立たしくて
ちょっと進んだと思ったら下がる。
そしてその下がる要因を突き止めることが出来ずなんども考え思考し施策し実行し
すごい勢いで後退して…
それを何度も何度も繰り返して
ありとあらゆる精神的苦痛を味わいしゃぶりつくし噛み砕き飲み干しても次から次へと責め苦が
なだれ込んできて咀嚼することも困難になって息すらまともにできずただただ絶望に瀕して
嗚咽を漏らすだけの人形になってて。
分かってるのに理解してるのになぜか体が動かない。
そんな気分でさ。
例えるならさ、ロボットを操縦しててさ。
右手を動かすレバーをひっきりなしにあげさげしてるのにうんともすんとも言わないイメージ。
なによりこれだけ自分の状況を言葉に置き換えたとしても、この連休中に
自分のためになることを9割出来ていない自分が変わることは無くて
過去を悔やみ未来を嘆き今に生きず、ただ最悪のifを永遠とヘッドマウントディスプレイを被って見せられてる感覚でさ。
乗り越えたいのに無視したいのに、
それでも俺は人と絡みたい人と関わりを持ちたい良い影響を与えたい良い関係を築きたい。
良い介入をしたい、ただただ世界をよりよくしたい。
そう思ってるのに思ってるのに何もできずただただ嘆くことしかできない自分はこれ以上何ができるんだと。
わかってるよ。やる、出来なくても全力でやって死ぬってことは決めてる。
ただただ、ただただできない。やれない。行動ができない。不安すぎて、恐怖が強すぎて。
この行動をしたら誰かに批判されるのではないか否定されるのではないか
拒否されるのでは拒絶されるのではいじめられるのでは馬鹿にされるのでは
軽蔑され侮辱されるのでは、痛めつけられるのでは人権を剥奪されるような惨い行いをされるのでは
そういう不安で恐怖で何も考えられなくなる感覚が多々あってね。
最近やっとそれを感じなくなったと思ったら自分が突然制御不可能になって。
未来に起こる多大なるストレスに不安を抱いて今に生きれず今の時間を有効活用できず
有効活用できないから未来が良くならず良くならないから未来を憂い今に生きれず
この負のループを描いてるのも間近で見て何とかしなきゃって言ってるのになにもできない。
こういうたとえ話や状況を把握して言語化してるのにも関わらず、
まともな認知機能を行使するまでもなくただひたすら遺伝的に設計された進化する上で必要
な要素を組み込まれたタンパク質等で構成された肉塊が意思を持たず単調なプログラミングの元動いてる
生命体になってる気がしてさ。
それはもう虫と変わらないんじゃないかなって思ってさ。
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
アンジャッシュの渡部のスキャンダルや、東出しかり、なぜ多くの芸能人は、いつも自分の仕事を棒に振るほどの愚行を犯すのか理解に苦しむ。
一般人と違って、自身のイメージが仕事に直結する、自分の存在そのものが「商品」で、価値を上げるも下げるも自分次第なわけで、それは強みでもありリスクでもあるのがわかっているはずだ。
また、過去に仲間や多くの芸能人たちが数々のやらかしをやってきているのを身近に見てきて、なぜバレるのか、誰からバレるのか、LINEでのやり取りはやばいとか、相手への口止め含めて徹底的にに証拠は残さないとか、誰がどこで狙っているのかetc.過去の同業の芸能人たちのスキャンダルに沢山のケーススタディが溢れているのに、同じことを繰り返す。
渡部に関して言えば、好き嫌いはともかく、自分のキャラをよく分析できていて、イメージ作りをかなりうまく構築してきた、自己プロデュース能力に長けたタレントだと思っていた。
アンジャッシュのすれ違いネタにあるよく練れられたと感じさせるネタや、グルメ方面への活路による成功、佐々木希との結婚、夫婦でCM出演という好イメージ作りと、反面、「実はクズ」という有吉弘行によるネガティブなイメージも世間からの嫌悪感の逃げ口にうまく利用できていたと思う。
にもかかわらずだ。
芸能人のイメージなんて、薄氷を踏むほど危ういものであることは、一般人の我々よりも、自分自身がよくわかっているだろうし、バレた時の代償の大きさをなぜ考えて生きれないのか、渡部みたいな小賢しそうな人間ゆえに、余計に不思議に思う。
京アニの自社レーベル「KAエスマ文庫」の新人賞から出てきた和風ファンタジー。荒削りだけど面白かった。
主人公はYAMA育ちの少年で、「典薬寮の魔女」と渾名される少女の護衛を命ぜられる。宮廷で医薬を司る官衙に勤める彼女が情熱を燃やすのは、薬殺を阻止すること。そんな彼女に付き従う少年は、次第に宮中を舞台にした陰謀の渦中に巻き込まれていく……という、和風ファンタジーでミステリとサスペンスをやっている作品。
個人的には、キャラ立てが弱かったのと、主人公の扱いがなんか変、というのを感じた。
まずはキャラ立て。主人公が仕える雪代という少女は典薬寮の魔女と呼ばれていて、実際にクライマックスで壮大な陰謀を暴き出し敵を追い詰めるわけだけど、そこに至るまでに周囲から魔女呼ばわりされたり過去に解決した事件の話をされたりはするのに肝心のリアルタイムで解決した事件がメインの陰謀しか描かれてないからちょっと物足りない。
他作品を引っ張り出すのは気が引けるけど、たとえば〈古典部〉シリーズの第1作『氷菓』だと、主人公である奉太郎が小さな謎をいくつか解決した上で、大きな謎に挑む、という感じになっているから、奉太郎が周囲の人たちから一目置かれてたり嫉妬されてたりするというのが納得できるようになってるし、最後の謎が引き立つんだよね。
もちろん本格ミステリだとキャラよりも謎解きがメインになるから、それまでの実績がちっとも描かれない探偵役がいきなり大きな謎を解いてもいいんだけど、本作はキャラも重視しているように見えるからそれだけだとちょっと不足かなって。
主人公の扱いがなんか変、について。護衛用の人材として連れて来られたやつを助手としてこき使うまではまあいいとして、そいつに医学の知識を勉強しろと言って教育を受けさせるのはマジで謎だった。護衛を敵の襲撃もないのにヘトヘトにしてどうするの……? なんのためにこいつ連れてきたんだよって思っちゃうな。
あと前半で出てくるやつがどう考えても陰謀の関係者だったのは「ですよねーーーーーー」って感じだった。まああからさまに怪しかったからね、しょうがないね。あのポジションのキャラは誰が書いても怪しくならざるを得ないよな……
ここまで文句を書き連ねてきたけど、美点も言っとかないとフェアじゃない。京アニの自社レーベルでやってる以上は当然なんだけど、映像がすごい映えそう。平安時代っぽい都に聳え立つ人工の山、そこに築かれた宮廷、動き回る貴人たちといった都会的な情景と、山奥を走り抜ける少年、荘園に侵入しようとする騎馬の者たち、といったファンタジックな情景が入り混じって、京アニの絵柄で再現されたらとても美しそうだと思った。実際に選評でも
と書かれているので、やっぱりそういうのも重視して選んでるんだろうな。上で書いたように、本筋の事件以外を解決する描写が少なすぎて物足りないので、前半部分にアニオリのエピソードいくつか入れたら1クールアニメになりそう(小並感)。
さて、物語の展開とかではなく些細な点への指摘を。これは好みの問題なんだけど、地の文とかで見知らぬ用語が出てきたときに、それをカッコ書きで説明されると割と萎えるものがある。
いや説明が必要ならそれは地の文でしてほしいし、多少わかんなくても読むのに支障はないわけだし、ファンタジーにわからん言葉が出てくるのはある程度前提なわけですよ。わからん言葉があれば飛ばして読むか辞書で調べるかするし、なんなら咄嗟にわからん言葉が多少出てきた方がファンタジーって感じがして好みだから(自分の日常から離れた世界が描かれてるんだから知らない言葉はあって当然)、カッコ書きで言葉の意味を説明するとかいう野暮はあんまりしないでほしいなというお気持ちがある。
たとえば「刑部省(司法、裁判、刑罰、監獄を管轄する)」「検断(裁判にかけること)」(48頁)なんて、そりゃどちらも耳に馴染んだ言葉ではないかもしれないけど字面で意味がなんとなくわかるし、わからなくてもこの先の理解に別に支障はないんだよね。
「補任(官職を受け取ること)」(111頁)だって歴史に興味があれば知っている語彙だし、知ってなくても読み飛ばせる。「遷任(異動)」(129頁)も左遷を言い渡されるシーンなんだから字面と文脈でわかるでしょ……
さらに、上で挙げたような現代人に馴染みの薄い言葉に説明が要るのはまだわかるとして、基礎的な語彙にカッコ書きで説明されてると、なんというか「この単語にカッコ書きするってことは作者にとってはこの単語は馴染みのないものなのか」というのがわかっちゃって「おいおい……」って感じになるんだよね。
「厨(厨房)、厠(便所)」(66頁)は別に説明要らないだろ! 厠なんて時代もののファンタジー読んでたら普通に出てくるし(西洋風ファンタジーでも使うでしょこのくらい)、厨は音で聞かされたらわかんないかもしれないけど字を見れば意味はわかるわけで。
「茣蓙(敷物)」(108頁)はちょっとビックリした。ええと……ゴザ、見たことありません? ホームセンターで普通に売ってない? 俺、夏場は卓袱台の下にゴザ敷いてるよ? 畳の部屋で暮らしたことがあればゴザなんて誰でも知ってるでしょって思ったけど、ひょっとして最近の人ってそもそも畳の部屋に馴染みが……ない……?
(あ、でもホムセンとかでもカナ表記しか見たことがなくて、家族との会話とかでは音でしか知らないので、こんな漢字を使うんだというのは知らなかった。ひとつ勉強になった)
作者さんはあとがきで「ふと『日本人って日本のことあんまり知らないよね?』と疑問を抱いた」(380頁)って書いてるけど、あ、ほんとに知らなかったんですねという感がありありと出ているので逆に納得してしまった。そりゃ、ゴザに説明が要ると判断する人からすれば補任とかも謎の用語に見えるんだろうな……
まあカッコ書きされてる注釈は映像化するときには特に説明とかされない感じなんだろうな、と思うので、些細なことと言えば些細なことではあるのだけれど。
ところで、本作を読んで気に入ったのなら、沢村凛『黄金の王 白銀の王』(角川文庫)も勧めたい。『典薬寮の魔女』と同様に上代日本風の異世界を舞台にした作品で、陰謀渦巻く宮廷の物語なのだけれど、薬殺阻止を掲げる『典薬寮の魔女』と違って『黄金の王 白銀の王』の主人公たちが目指すのは「内戦を終わらせる」こと。何十年も氏族対立が続いた国で、憎しみ合う2つの氏族の若き長同士が、事あるごとに紛争を再燃させて敵対氏族を根絶やしにしようとする味方を抑えながら戦争を終わらせるために薄氷の上を歩き続けるお話です。凡百の戦争ものよりも遥かにハラハラドキドキさせられる作品。
確かに経済回さないと経済で死ぬ人がバンバン出かねないという面では緊急事態宣言は解けるなら解くに限るとしても。
GW明けで世の中の人の動きが「どうしても仕事に行かないといけない人」の分がどこまで影響が出たかを見極めるにはあしたくらいまでは様子を見たほうが良かったが気しないでもない。
どうにせよ、緊急事態宣言を解いてもいきなり元の生活には戻れず。
かつての「地雷を踏んだらサヨウナラ」とか「薄氷の上を歩く」に例えるような綱渡りのようなコントロールはいつまで続くのやら。
緊急事態宣言解除でしたいことは様々だけど、まずは歯科検診かな。
本来はGWの恒例だったけど、今年は歯科医師会の要請に従って見送りしてるのと、最近歯茎周りに若干の違和感が見られるので、それは自粛しなくてもバチは当たらないだろう。多分。
湯浅「自己責任論の時期は終わった。本人が悪いんだ、我慢がたりないんだと言っても、
ホームレスで亡くなる人もいるので、そこをもっと建設的に話していかないと」
金「ちょっと待って! 湯浅さんの言う事を聞いていると、今は大変だから皆で知恵を絞らなければならないのは確かだけど、
この人たちが大変だからということだけが全面的に押し出されて、同情論と救済論だけがほとんどの言論を占めているのは間違いだと思う。
やっぱりこの人たちがここまで至ったプロセスというかストーリーも必要だ。さもなければ若い人は学ばない。
自己責任の部分もあるのだと言う事をやっぱり言わなくては世の中は変わらない」
「今はどの国も薄氷を踏むような時代。自分自身の力で生き残らなくてはいけない。能力のない人間が生き残れないのは仕方がない。
それを助けろというのは間違っている」(金美齢)
https://5ch-ranking.com/cache/view/poverty/1472970519 anond:20200422163006
観戦爆発しても
kiyo_hiko 仕事で顧客や上司に合わせてく努力して、まれに自己主張するようにしたら心理的に楽になって仕事も速く終わって評価もあがって時間余らすようになったけどな…性愛は経験無いからわからん
まれに自己主張する、仕事の場面で上司とかに合わせる努力するのは健全な範囲ではないのかな。合わせない合わせられないとかなり干される危険と隣り合わせというか契約が切れる時期に来たら切られる可能性限りなく高いでしょ。中小はね。
自己主張するととたんに敵対視とか仕事で合わせるくらいならともかく、プライベートな時間もプライベートな身体の事情や身体そのものも犯される危険と隣り合わせで薄氷踏んでいかなきゃならんのが女性の場合都市伝説とか希な状況ではなかった、現在ですら場所により当たり前の現状なわけでね。仕事やコミュニティにより若い男性でもそういうのはあるんじゃないの?
危機の出始めにはよくあることだが、ニュースやSNSを見ているといまだに妙な楽観論が支配している。4月にはウイルス騒ぎが収束し、日経平均株価は20500円前後で底入れし、間もなく景気も回復するなんてことを言う専門家も少なくない。だが、そんな可能性は万が一にも無くて、少なくとも東日本大震災級、悪くてリーマンショック級の不況が来るのは確実なのだが、企業業績や経済指標などに具体的に反映されないと私たちは危機として認識できないものなのだろう。
コロナショックは、超グローバル社会と感染症とが組み合わさった未曾有の事態だが、今後の日本経済で展開されるシナリオは過去の経済危機の経験からだいたい想像はつく。リーマンショックの時は、金融機関へのショックを起点として、不動産→耐久消費財(自動車など)→消費財→小売り・外食へとショックが伝播していった。今回は実体経済にまずショックが起き、人とモノの流れが国内的、国際的に滞り、そこからいろいろな過程へ伝播していくプロセスとなっている。
3月上旬の今、飲食店、ホテル、テーマパーク、スポーツジム、イベント、旅行業、ホテル、百貨店といった個人消費分野がすでに深刻な打撃を受けている。
また、世界の製造業の中枢である中国の工場稼働停止が、各国の製造業のサプライチェーンに深刻な影響を与えている(これは早晩正常化するだろう)。
これから何が起こるのか。年内ぐらいでありそうないくつかのシナリオについて、整理したものを書きおこしておく。
●リーマン・ショック時の「トヨタ・ショック(2008年11月の下方修正)」のような、代表的企業の業績下振れショックが3月下旬~4月末の株式市場を直撃する。
●個人消費の縮小に続き、春先から企業投資にもブレーキがかかる。機械受注や民間建設受注の前年比マイナス幅が大きくなる。また、広告出稿量も低迷する。
●4月初め、歓送迎会シーズンなのに居酒屋ガラ空きの映像がテレビに流される。
●金融円滑化法が事実上復活したにもかかわらず、中小の旅行代理店や飲食店、旅館、イベント会社の倒産が前年比で急増する。加えて、さらに図体の大きな業態(空運会社など)でも信用危機が取り沙汰され、金融界に緊張感が高まる。
●インバウンドによって支えられてきた地方経済の困窮ぶりが併せて問題になる。貸し倒れ懸念の高まりとともに、ただでさえ暗かった地方銀行の先行きがさらに暗くなり、再編機運がいっそう増す。
●東京五輪の中止か延期をIOCが発表する。もし予定通りの開催となったにしても来訪する観客数は想定を大きく割り込み、旅行、ホテル業界が目論んでいた2020年下半期の回復シナリオが完全崩壊する。
●日経平均株価が15000円を意識した流れへ向かう中、株価を買い支えてきた日銀やGPIFの含み損に批判の目が向けられる。
●「派遣切り」が相次ぎ、派遣労働者の活動が落ち込む。相前後して鬼女板が往年の勢いを取り戻す。
●「餃子の王将」「マクドナルド」ブームが再来する、既存店売上高の前年比増加率が2桁を超える月が続く。
●ホテルの建設中断があちこちで起きる。五輪の見込みが外れ、今やホテルは完全に供給過剰になり、経営悪化に耐えられなくなった事業者の中から、手元資金確保のためのホテル物件投げ売りが起こる。そのいくつかは財務基盤の厚い財閥系デベがマンション用地としてハゲタカのように拾いあさっていく。
●もともと薄氷を踏むようだった構造不況業種も、リストラや業界再編の動きを一段と加速させる。例えば、百貨店や百貨店への出店を主とする従来型アパレル(三陽商会やオンワード)。
●10月の臨時国会では、インバウンド依存型経済の功罪が議論になるとともに、巨大な補正予算が組まれ、消沈するインバウンド需要の埋め合わせを財政で行おうとする。消費減税や、疲弊する地方の振興、特定の市場への振興策などが景気対策の玉として注目される。
●景気刺激策として政府は新たにどんな市場を振興したがるだろう。これについては予想がつかない。ただ、リーマンショック時はエコカー補助金、家電エコポイントとして実現された。自動車や電機業界のロビーイング能力は今回も健在だろう。
●大胆な財政・金融政策パッケージによる景気回復を前面に打ち出したドナルド・トランプの再選が決まる。
●安倍晋三4選への道が険しくなる。この道が絶たれた場合、政権がレームダック化するため、「ポスト安倍」に向けた自民党各派、公明党、野党の動向が2021年政治の焦点となる。
三島由紀夫のエッセイで読んだんですが、我々の人生は薄氷の上で踊っているようなもので、いつ予想外にも氷が割れるか分からない、みたいな話。
そういう災厄は、成功者にも敗残者にもその他の中間層にも一定の確率で平等に降り注ぐのです。
具体例を出して申し訳ないんですが、学歴と仕事の出世では日本一だった農水省の事務次官は家庭が崩壊したし、某農水大臣は汚職を抱え込まされて首を吊ったし、美貌と学歴に恵まれた高橋まつりさんは(穿った見方をすれば、高すぎるプライドが仇となって)悲惨な死に方をしました。
才能とか頭脳とかに恵まれた成功者でも哀れな人生の末路を辿ってしまう人がいる一方で、けして裕福でも突出した能力があるわけでもないから、話題性が無いので表には出ないけど、最愛の人と結婚出来て家庭生活が幸せでしょうがないみたいな人々もたまによくいます。(ソースは増田)