はてなキーワード: 唐突とは
カラリと溶けるアイスコーヒーの氷
>溶けた氷が鳴らす音だということは理解に易いですが擬音で想像力を狭めるより状況で読者の音を想像させたほうがよいでしょう
・アイスコーヒーが氷のとけたことを、薄いガラスを鳴らして知らせる など
私と彼の関係も打ち解けると良いんだけど、、
>前述に絡めて表現する場合、音がなることに沿うのがよいのではないでしょうか
・私は、時間が彼との関係が打ち解けたと呼び鈴を鳴らすのを待ってる など
苦味ばかりが目立って愛情の実をすり潰すばかり
>コーヒーの記述からの表現だと思いますが苦味の登場が唐突ではないでしょうか まず最初のアイスコーヒーが他人のものではなく自分のものだと言及するとよいかも
・私のまだ口を付けていないアイスコーヒーは、苦味の記憶がストローまでの距離を愛情で満たさない など
>熱かったというのは通常のコーヒーの淹れ方で今回アイスコーヒーしかでていない文脈からは唐突ではないでしょうか
あの夢も目の醒めるようなカフェイン。
>カフェインは血行を促進するもので目が覚めるのは副作用的で個人差があるため、自分が目覚めるのにカフェインが必要だとするのはどうでしょうか 冷たいコーヒーにもカフェインは含まれています
・氷なんかじゃ冷やせない熱いカフェイン
私と彼の関係も採算を考えれば違ってたのかな。。
>彼をもてなすエンターテイメントに自分も加わるという視点の転換はそれまでの自分視点からでは唐突かもしれません 思い出の状態と今の彼の違いをだしてみてはどうでしょう
・あの日から溶け出していったのは二人の間にコーヒーみたいな色の影なのかな など
>子供にドリップコーヒーはまだはやいですね サードガールという漫画で大人ぶってブレンドを頼んで苦味に苦しむという描写が思い出されます
特にケモナーってわけでもなかったけど無料だったし絵も気に入ったので、とりあえずエンディングだけは一通り見てのネタバレ駄文。
システムなど基本的なことに関しては、既読スキップなど最低限のUIはあり、ストレスはそこまでたまらなかった。まあそこまで複雑なシステムがあるゲームでもないしこのくらいでも十分。
翻訳に関してはかなりレベル高い。ところどころ安定しない一人称や、誤字が見られるものの読むぶんには問題ないレベル。
あと現地宗教や特産物、地名など地域に根づいたポンと出されても全くわからない要素に関して用語集があるのも非常によかった。
ストーリーに関しては、一回目は何も考えずにプレイした結果(後のトゥルーエンド見るに、誘導されたのかもしれないけど)唐突に車にはねられ、並行世界的場所で先輩と二人幸せに暮らすとかいうエンドでさっぱりわけがわからなかった。正直トゥルーエンド見た今もよくわからない。
そのデータでいくつかエンディング見た後、結局雲豹に関してさっぱりわからなかったり、ストーリーが気になったので攻略を見てプレイ。そうして順繰りに各キャラエンド、そしてトゥルーエンド見ていった。
そうした全体の感想としては、ストーリー前半部のイチャイチャや分岐パートに関してはまあそっち系の興味もないこともあって流してたけど、後半の雲豹に襲われる辺りからの展開は物語に引き込まれた。
それまで伏線を生かした逆転もあり話が盛り上がって、その後の雲豹が襲ってきた理由や先輩の正体も意外性があり楽しめた。
まとめとしては、無料とは思えないレベルで纏まっており、そっち系に興味ない自分でも頼んでプレイすることができた。
あと、キャラクターとしては、やっぱり長年見守ってくれてたりピンチに頼りになったりとかっこよくて世話焼きな虎爺が一番好き。
ブチ切れ増田を書いて邪気が抜けたので良かったところさがし箇条書き
・むかついたらすぐラッパ吹きたがる高坂さんw
・リズ鳥のソロパートなのはみぞれの煮え切らなさがあーもう! みたいな(普通なら絶対しないチョイスだけど空気読まない人なのでやっちゃうw 悪意ナシw)
・久美子はおそらく強引に誘われた側で「あー」(麗奈がそうなるのはわかるけど、吹いちゃうとまずいんじゃないかなーでもまいっかあ)的なw
・なかよし川の安定感パナイ
・作中もっとも強固な絆を持ってるんじゃないかというぐらいのケンカップルぶり
・慮りつつ言うべきときは言っちゃう優子と彼女の強すぎる正論をフォローする夏紀
・同じ大学よかったですね最高かよ!
・作中の良心を一手に引き受ける剣崎ちゃん! 梨々花ですぅ! とは言わない
・号泣しちゃうのは実は唐突感あるんだけど、あーこの子これだけ本気だったんだなあというのがすっと伝わってくる間のとり方すき。演出ゲロうまですわ
・映像に関しては、見ている側が一意的な感想を抱かないように(見ているひとそれぞれの解釈を許すような)ゆらぎを敢えて残してある感じがよかった。演出家としての山田尚子はすなおにすげーなと思う
・音もすごかった。特に冒頭。あの違和感すら覚える過剰に作られた足音が否が応でも見ている側を作品に引きずり込む。あそこは違和感と心地よさでこれから始まる物語への期待がわきおこってときめいた
本編見てから批評サイト見てみたらもう色々納得いかないことがあるけど発言力のない人間だから適当に書きなぐる
批評とか書いちゃうような自称映画通様は恐らく前作が素晴らしくエンターテイメントだったことに対し、監督が変わっていることで「これはもう絶対劣化だから」と決め打ちして見ているのだろう
そんな感想抱かないだろう。
巨大怪獣と巨大ロボなら殴り合いと大破壊だろう。それがなきゃ米のないおにぎりみたいなもんだ。
巨大ロボにロマンを抱くならそんなところよりも「グラビティスリング」「双剣」「鞭」「モーニングスター」「可動式銃座」もうこれだけで万々歳だろう。
しかもそれぞれがきちんと魅せる動きをした上で、前作以上に各イェーガーごとの役割の差別化がはっきりとしている。
サンダークラウドフォーメーションとは別の形の3人乗りで、銃座は後ろもカバー出来る完全仕様、落ちる薬莢も轟音できちんと仕上げた点についてはもう声をあげて賞賛したかった。
前作と同じテーマ曲を流すのも、前作と同じテーマ曲だからこそ意味があるんじゃないか
襲撃受けてフルボッコにされてもうダメだーって空気になっているところに「まだ戦える」というところであの曲、それこそが熱いんじゃないか
時代が変わるような新兵器ではない、基本的には同じイェーガーで「もう一度立ち上がる」
俺達のイェーガーがもう一度!
戦闘が昼の場面になったのは今回一番大きな変化だったが、前作の時点で既に「暗い所で大きい物が殴り合ってるばっかりで絵面が退屈」というような意見はあったし、それこそ今作で明るくしなければそれぞれの新兵器も見辛く、同じような絵面で淡々と「もう見た」を観客に押し付ける事になってしまう。恐らく今回も夜戦だった場合、前作から映像流用してもバレないだろう。
変形して飛び回ったり遠隔操作のビットからビーム撃ったりするような超兵器が使われない以上戦闘の展開自体は偏りがちなので舞台の見せ方を変えるのは当然である。
明るくなった事で誰が攻撃した、誰が吹っ飛ばされたと認識しやすくなったことで4vs3の乱戦でも安心して追えるようにもなったのだ。前作では暗い中での戦いであったかわりに世界から集まったということで国籍による認識が出来たわけだが今回はそういう話ではないのだ。
とりあえず他にも色んな批判とかあるだろうがこの三点に文句を言っている奴は「監督が変わったから」で叩いているだけの通ぶりたいマンだ
・克服描写ないのにいつのまにか克服してるトラウマ(前作であっさりマコがローリーと適合したのに通ずるスカスカ感)。これ詳しく描写しないならそのシーンはいらない。
・過去の特撮へのオマージュとか言いつつ東京の街にある看板が日本語表記と中国語表記が混在している事。見ててやすっぽすぎた。オマージュにしては浅い。
・シャオ産業社屋で逃げたばかりのニュートンがいつのまにか東京の特等席で戦闘を見てる唐突感
・ローリーが出てない事に触れなかった事。一応死んだらしいけど、触れてくれないからいつか出てくるのかとワクワクしてたらかすりもせずに終わったのは残念だった。
この辺りは前作でも気になったけど、映画という限られた時間でまとめなくてはいけない弊害でもあるのか。
でも決戦前のジェイクの演説はクソかっこよかったしシャオは髪下ろしたらめっちゃ美人だったしヴィクトリアの「次は大きいイェーガーを作れ」も感動物だし
凄く面白かったよ
その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。
いつものようにSが近寄ってくる。
1名はすでに履歴書で確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。
Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社でペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。
少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。
しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。
準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。
ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。
あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。
そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらいの食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。
この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。
「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」
そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋でテーブルを囲うことになった。
はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。
Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。
僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバルの従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大でストレートに交わっていた。
世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。
こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。
聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。
ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。
「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」
よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。
Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。
すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。
Sと新人女性2名、自分と店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。
タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。
それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。
いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。
「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」
こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。
酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。
「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分の根性を見直してこい!」
自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所にはいかない。
お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要な儀式だと譲らないからだ。
居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。
しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。
怒りにまかせて身を翻し駅前のタクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。
Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。
それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。
このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。
唐突に孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話のアドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。
Hである理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。
しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。
「すまない。特別に理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」
「今から来る?」
色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。
何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。
その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。
仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。
結婚生活には満足している。
それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。
ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。
「30分あれば着きます。」
それだけいって電話を切った。
Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。
相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。
今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。
テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒だけがいたずらに消費されていった。
気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。
何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。
”申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”
「誰にメールですか?」
Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。
Hも「そう。」とだけ答える。
「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」
子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。
自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。
猛烈な後悔が押し寄せる。
涙で目の前はかすみ、アルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。
周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。
いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。
身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。
今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。
死にゆくときさえも後悔で終わっていく自分の人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。
ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気が身体へと流れ込んできた。
肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。
涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。
音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。
カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。
僕は一度死ぬことが出来た。
後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。
まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。
ちょっとした習い事で彼女とは出会った。顔はNMBの山本彩に似ていて、見た目はクールだが内面はうるさいほどしゃべってよく笑う陽気な子だった。特別仲が良いわけではなく、挨拶を交わすくらいの仲だけど、僕はよく彼女の姿を目で追っていた。習い事は年齢が上の人が多かったけれど、美人な彼女は男女問わず色んな人に好かれていて、いつも場を明るくしていた。
通い始めてから半年ほどで僕は飛行機の距離に転勤になってしまったのでそのまま辞めた。
転勤してから3ヶ月後くらいに、習い事の先生の作品が僕の住んでいる街の小さな展示会で展示されることになったと知った。特に思い入れがあったわけではないが、新しい街で友達もいなく、暇なので行くことにした。そこに彼女の姿があった。
正直びっくりした。転勤先は地元からかなり遠いし、以前展示されたこともある作品だったから、わざわざこのために来るとも考えられないから旅行なのだろうか。覚えてくれているか不安だったけれど、声をかけてみた。彼女は満開の笑顔を僕に向けて「うわ~増田さんおひさしぶりです!もちろん覚えていますよ!」と返してくれた。一人で来ているから暇だったら夜会わないか?と唐突に誘われた。「○○駅の2番出口に19時半で!」と言い残して彼女は去っていった。
時間ぴったりにその駅に降り立った。指定された駅は繁華街の最寄り駅で、念の為僕は直前に調べた地元の料理が食べられる飲み屋を予約しておいた。5分ほど待ったが彼女は現れない。LINEの交換すらしていなくて、連絡先は何も知らないので待つしかないな、と思っていると遠くから「増田さ~ん!」と大声で叫びながら走ってくる彼女の姿が見えた。
「連絡先わからないから出会えなかったらどうしようかと思った!」笑いながら彼女が言った。聞くと、この駅に2番出口があるかどうかも知らなかったらしい。「ドラマみたいな待ち合わせをしてみたくて。」そう笑う彼女がとてつもなく可愛くて、まさに恋に落ちる音がした。今までほぼ知らなかったお互いのことについて話し合い、美味しい料理と地酒でとても酔っ払った。
結局その夜、完全に酔った僕たちは気付いたら僕の家にいた。翌朝彼女はケロッとしていて「楽しかった!」と言われた。僕は酔うとフィニッシュできないので、夜のことを指しているのではないだろうなと思いつつ、泊まりもしなかったホテルに荷物を取りに行くという彼女と仕事に行くため別れた。
これが3年前。
それから3年間の間、彼女は僕の住む街に4~5回遊びにきて、中間地点で旅行にも行った。俺が出張や年末年始、友人の結婚式などで地元に戻ると2人で会う約束をして、当然のようにホテルに泊まる。街を歩くときも彼女のほうから腕を組んできたりして、傍から見ればカップルにしか見えない。
でも僕たちの間では一度たりとも、この微妙な関係性についての話題が出たことがない。不自然なくらいに。こんなに美人で性格も良くて、きっと彼氏がいるのかもしれないと何回も思ったことがある。
地元で彼女の友達を交えて遊んだことも何回かあるし、食事や旅費も基本は割り勘だからお金目当てでもないはず。(彼女のほうが裕福な家柄だし、僕より稼いでいるんじゃないだろうか。)
そんな2つ年上の彼女は今年29歳になる。
正直、彼女と結婚しても良いとすら思っている。でもきっと付き合おう、などといい出したら彼女は僕の元をさらりと去ってしまうのが簡単に想像できる。
彼女にとって僕は何なんだろう。
何がしたくて僕と一緒にいるんだろう。
タイトルのままです。レズビアンの要素を含むので苦手な方、嫌悪感をお持ちの方はブラウザバックお願いします。
※追記:わんわん泣きながら衝動のままに書きなぐったので文章めちゃくちゃだわ
半年近く付き合ってきた彼女に振られました。唐突に距離を置きたいと言われたのが2週間前の話で、だけどその時点で別れるのかと不安がる私に「別れるかどうかは分からないけど、それを考え直す期間だから悲観的にならないで欲しい」「出来れば私も別れたくないと思ってるよ、だから距離を置くの」と伝えてくれたのでなら私に出来ることは信じて待つことだけだと思って、待っていたんです。
彼女とは、具体的な同棲の話も、結婚の話もしていて、早ければ来年にもお互い今の家から引っ越して同棲がスタートするかという状況で、気軽に会うには少し遠い距離に住んでいる私たちは、月に一度のデートがやっとだったので、私は彼女との同棲をすごく楽しみにしていました。今年頑張れば一緒に住める、今のお仕事を頑張ってお金を貯めなくちゃって。
一昨日、?一昨昨日、?分かりません、彼女に、「私のことまだ好き?」と聞かれました。もちろん大好きに決まってるじゃないですか。
すきだよって答えた私に「そっか」って返事をくれた彼女に。嫌な予感がしました。
私と彼女は元々毎日頻繁にLINEで会話をし、空いた時間があれば電話をし、可能な限りの時間をお互いに使って来ました。私はそれがすごくすきで、幸せで、何より安心できて、例え早寝の彼女がそうそうに寝落ちて寝息だけが聞こえる通話になってしまっても、寂しいけど、でも、そんな穏やかな時間が幸せだなぁなんて思っていました。私のあげられる限りの時間も、愛情も、全部全部彼女にあげたくて、彼女の為に生きていたくて、彼女がいるから頑張れて、彼女がいてくれるから幸せでした。私の中の一番はいつだって彼女で、少しすぎたワガママに困っても、それでも叶えられる限りは叶えたいと思えていました。友達を大事にする彼女に沢山たくさん嫉妬しました。私の中の一番はいつだって彼女なのに、彼女の中には大事なものが沢山あって、あくまで恋人として大事なのは私でも、私が一番ではなかったから。そういうところで嫌と言うほど疲れさせちゃったんだろうなって思います。付き合ってた時は、面倒くさいことを言う私に面倒くさそうな反応をする彼女に「面倒くさい?」と聞くと「面倒くさい、でもいいんだよ、それで嫌いになったりしないから」って言ってくれてたのに。でも嫌いになったとは言われてないから嘘ではないのかな。
距離を置いて、関係を、自分の気持ちを、見直した結果、彼女の中で私は恋人ではなくて友達だったらしいのです。友達の方がしっくりくる、疲れちゃった、恋愛感情とは違う、でもあなたのことは嫌いになったわけじゃないから連絡取れなくなるのは嫌だ、これまで通りLINEしたりあって遊んだりしたい、友達として付き合っていきたい、あなたの望むような恋人にはなれない、おはようもおやすみも言わなくても私は平気なくらい薄情だったから別れようと思った、エトセトラ、エトセトラ、。
距離を置かれ初めてLINEの頻度が減った時点で、正直私はいつも通りを保てなくなっていました。
いつもならすぐに返事が返ってくる時間に全く返事がない、返ってきても返信までに今までに比べたら長い時間が空いている、毎日の電話がない、「すき」と言われない、負担になるのが怖くて「すき」と言えない。文章にしてしまえばたったこれだけなのに、依存している自覚はあります、彼女が好きだと言っていた曲がシャッフルでかかって泣いて、何もしていないのに気づいたら泣いていて、通知もないのにLINEを開いては泣いて、通知音に過敏に反応しては彼女からの連絡でないと泣いて、やっと来た彼女の返信がなんであれ泣いて、返信をしながら泣いて。もう何年も辞められていたリストカットに気がついたら手を出していました。泣きながら切ってはそんなことをしている自分が情けなくて、自己嫌悪に襲われて泣いて。眠りたいのに眠れなくて、食欲も無くて、ずっと胃がきしんでは少し気持ち悪くて。それでもたまにでもくる彼女からのLINEが、おはようもおやすみも言い忘れられていても、「うん」とか、「そっか」だけでも嬉しくて嬉しくて、信じて待とうって、ボロボロだけど、頑張ろうって、待ってました。
結局改めて恋人を辞めたいと告げられて、腐ったことばかりしか言えない私に「そういうのがストレスだった」「そういうところに疲れちゃった」なんて言われて、最後には「もういい、全部終わり」「あなたとのことを嫌な思い出にする気はない」「付き合えて楽しかったよ」「今までありがとう」。その後仕事に行った彼女からの返信はまだありません。2週間前のあいだ、気づいたら泣いているような、ぽろぽろと細くわずかな涙なんかじゃなくて、今も画面がよく見えない涙でいっぱいです。私まで今までありがとうなんて言ってしまったら本当に全部終わっちゃう気がして言えなくて、悔しくて、やるせなくて、しんどくて、つらくて、当たり散らすみたいに嫌なことだけLINEで送ってしまった私がいます。ごめんね、ごめん、本当に大好きなんです。大好きだったなんて言いません、大好きなんです、今後もずっと友達としていたいという彼女に「どんだけ残酷なんだよ」と思わず送ってしまったけど、「あなたはいいよね、」なんて調子のことしか言えてないけど、切り捨てられたんだなって思ってしまってるけど、それでも世界で一番大好きなんです。
付き合い始めたときに、「私の生涯を貰って下さい」って私、言ったよね。ずっとずっと、本気でした。私なんかいつ振られてもおかしくない、付き合ってもらえてるのが奇跡だって思う反面、あなたとならこのまま歩んでいけると、私の生涯をかけて愛したいひとだと、この先もずっとあなたといるのだろうと思っていました。伝えるのが下手だと前置きした上で、だけど愛されるより愛したいからきっと私の方がすきだよと伝えてくれたあなたが、だいすきで、付き合ってすぐの頃にはもう本気で同棲考えてる、重いよね、なんて言ったあなたに、酷く安心したのを覚えてる。だって、私、めちゃくちゃ重いもん。もらう愛も、重い方が嬉しくてたまらない私だよ、ネットの友達とオフで会うのを嫌がったあなたと揉めながら、結局わがままを聞いて私予定をキャンセルしたよね。あなたが喜んでくれるならそれでいいやって本気で思ったの。あなたがいてくれたら私はそれで充分幸せなのに。ごめんね、友達としてじゃ嫌なの、わがままだよね、わかってる、だけど、だって、わたし、私のこと彼女にしてくれたあなたのことを一番知ってる。すきだよって言ってくれて、戯れにキスをして、はにかんで笑うあなたを知ってる。友達になったら、そんなあなたはもういないんだよ、。ゆっくり2人だけで過ごして幸せだねって笑って揃いの指輪を嵌めた手を繋いでカメラを構えたら私の肩に頭を預けて寄せてくれるあなたは、友達じゃなくて、恋人のあなたでしょ。
ごめんね、ごめんね、たくさん疲れさせて、苦しい思いさせちゃったね、愛情って言葉で縛り付けて、自由を奪う選択肢を選ばせちゃってたね、たくさん愛してくれたのに、ずっと不安な私でごめんね、欲張りで我儘な私でごめんね、だいすきです、ずっと、今はまだ声を上げて泣くのが精一杯だけど、もう少し落ち着けたら、その時はたくさんありがとうって言わせてください。
この言葉を多用する人にとっては、セクハラも痴漢も強姦も同列なのだと思う
性犯罪者 or そうじゃない人 という分け方なんだ
二元論的な人が怖い
性以外もあると思う
右か、左か
善か、悪か
そのグレードに対して疎いとか、危機回避とか、そもそも「◯◯か、そうじゃないか」に意義があると思っているとか
グレードで考えられるほど頭が良くないというケースも有る
特に「100点以外は0点と同じ」というような、ボーダーラインが極端な位置にある二元論者だ
話が通じないし、常に彼らは疑心暗鬼だ
徐々に変わるなら分かるが、唐突に烈火の如く怒ったりするので本当に怖い
誰かにふと「あいつは白ではなく黒だ」と囁かれたら、その日から世界は変わってしまうのかもしれない
オセロの色が一気に変わるように、皆の視線が変わるのかもしれない
私はグレーが好きだ
20年近く前に読んだマンガです。タイトルが全く思い出せない。
友達とマイナーマンガの話をしていたときに唐突に思い出した内容です。アニメ化なんてされるほど有名でもなく、恐らく打ち切りにあったはずです。両者とも読んだ記憶は持っているものの、肝心のタイトルは全く不明。二人が覚えていることで共通しているものをいくつかピックアップしました。
クレカが十得ナイフのごとく様々なツールとして活用できるので、小学生にはとてもおもしろく感じたのかもしれません。ただ、タイトルやストーリーに印象が残っていないことから、マンガとしての出来はあまり芳しくなかったのではと思っています。
「大切に思う人の大切に思うものを大切に思う。」
大切に思ってる人はその人が大切に思っているもので成り立ってきたのだから、たとえ自分がそれを好きになることが出来なくても大切に思いましょうということ。
俺は、田舎でやること無さすぎて土日は庭先で一人バーベキューやってる実家暮らしのサラリーマン。
娘が大きくなったら家族でキャンプに行きたいと妻が買いそろえたバーベキュー用品をフル活用して今年に入って20回はバーベキューをしている。
同居中の父母は流石に飽きて付き合ってくれなくなっていた。
昨日会社から帰宅したら隣県で働いている弟(不定休)が実家に帰ってきていた。
定時上がりでやることなさすぎる俺は唐突に月曜日からバーベキューをしてはいけない理由が無いことに気づいて炭に火を入れた。
庭先に出しっぱなしにしているバーベキューコンロにアシナガバチが巣を作りかけているのを蹴飛ばして追い払い火起こし器の中で完璧に火の入ったオガ炭を
コンロにぶち込んで作りかけの巣を焼き払った。
ビール片手に冷蔵庫で行き場を無くしたタラと野菜をホイル焼きにしてバーベキュー用に冷凍常備している手羽中を焼いて弟に振舞った。
無口な弟とは特に会話は無かったが、焼けた具材を美味しそうに食べていた。ただ夜で寒かったのもあってビール一缶空けたところで弟は自室に退散してしまった。
家の中では父と母と娘が暖房の効いた室内で俺が焼いたホイル焼きをおかずに晩御飯を食べている。
庭先に一人残された俺は何をするでもなく熾火をただじっと見つめていた。
・私はコナンマニアというわけではなく、小さい頃TVアニメを観ていたり、思い立ったら新刊を買ったり本誌を読んだり、金ローや年イチの映画を観る程度の知識です。
我々読者は、公安警察官・降谷零がトリプルフェイスを持つことを知っている。
安室透=降谷零=バーボンと知っている、つまり読者と同じ視点の人間は主要人物に限られている。
大多数、つまりモブは、「彼のなりきるキャラクター」にしか知らないのではないのだろうか。
「降谷零」は、幼くは零くん・ゼロと呼ばれ、公安警察として働く生身の人間。
では「安室透」は?
バーボンと同じく潜入捜査のための身分であるが、一般社会に溶け込んでいるという点で、異質である。
「任務の一環として」サンドイッチを作り、笑顔を貼り付け、店の前を掃き、コストコらしき店へ行き、そしてJKを魅了してしまう。
バーボンのほうが、なまじ目的と組織内の身分が明確化されているために、よっぽど解りやすい存在である。
彼はある時突然米花町へやってきて居付き、仕事をし交流を持ち、周囲に慕われている。
いつか「安室透」としての彼はいなくなるはずだが、彼を「私立探偵でウエイターの安室さん」だと思っている人々は、そんなことは知る由もない。
この状況と似た映画がある。
1968年のイタリア映画、パゾリーニ監督の『テオレマ』である。
ミラノ郊外に住む、工場経営者であるブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。
そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。
作中で「男」が何者かは一切語られない。
この物語、まさに「安室透の別の顔を知らぬ者」、米花町の人々の視点である。
この視点の人物は、梓さんかもしれない。安室透を慕うJKかもしれない。マスターかも知れないし、ピンチを助けてもらっている少年探偵団かも知れない。
周囲の人物に、「素敵でかっこいいお兄さん」として振る舞い、優しく触れて期待させていったあげく、忽然と姿を消すのである。
ここまで「安室透」について述べてきたが、彼の空虚さと取り巻く関係は、そのままある少年に当てはまる。
むしろ、毛利家に深く関わり、数々の困難を共にするうちに断ちがたい絆を得ているという点では、コナンのほうがよっぽど『テオレマ』らしい。
コナンを失った少年探偵団はどうなる?毛利家は?園子は?蘭は?
高木刑事や目暮警部も、耐え難い喪失感に襲われるのではないのではないだろうか。
コナンも造られた存在である。異なるのは、安室透は任務のためであり、コナンは元に戻る方法を探るためであるという点。
そこにポアロのウエイトレスで安室透の同僚、梓さんを加えてもいい。
青山先生は、主要人物の心がうまくまとまっていく様子はきっと描いてくれるだろう。
ただ、数え切れないほどの事件で登場した人々の心情の機微までは描かれないはずである。
2日に一度は殺人事件!?『名探偵コナン』のコナンは、あまりにも事件に遭遇しすぎではないか? | ダ・ヴィンチニュース
「『眠りの小五郎』さんと一緒にいた坊や、どうしているかしら…」「どうやら、行方不明みたいです」
こんな会話が交わされているかもしれない。そして、入れ替わりに新一が戻ってくるわけである。
果たして、皆が「コナン」に感じていた魅力を「新一」が埋められるのだろうか。
「安室透」に至っては、かけがえのない魅力を持った青年が忽然と消えるわけだから、ポジションを埋められる人間は存在しない。
彼に憧れを抱いていた人間は、永遠に彼の幻影を追い続けるわけである。
そこには、崩壊が待っているのかもしれない。
少なくとも、灰原を含め3人が確実にいなくなることが決まっている米花町は、異常な街なのである。
新一への伝書鳩…という役目もあろうが、新一は声以外登場しない。コナンが頼られている。そして、安室透は自然に生活をしながら、「自分の恋人」を護る。
新一が元に戻っていれば?安室透がただの公安警察のひとりとして、警備任務につくだけだったら?生まれ得ないシナリオだった。
「いつか壊れる日常」だと改めて認識させられた。待っているのは『テオレマ』のような結末ではないかと感じたのだ。
そして、二人のコンビネーション。
一般的には、「正義か、真実か。」コナンと安室透の対比と対決と共闘が、テーマであり見所とされていたが…。
共通した「造られた存在」を生きるもの。周りを偽る空虚な存在。そして周りを虜にする存在。
目的が終わればこの姿を捨てるが、その目的は限られた人間しか知らないため、周りを切り捨てるしかない運命。
そんなものが共通しているからこそ、分かり合えたものがあったのではないかと考えた。
「ウソつき…」
「君に言われたくはないさ…」
のセリフに集約されているのではないだろうか。
勝手に感じたあむあず(安室透×榎本梓)みについて語って締めくくりたい。
テキパキした手際にそう感じたのかもしれないが、実に唐突な会話である。
世辞を言うべき相手でもない。
普段の接し方を見ていても、どちらかの不毛な片想い…という感じでもなく、平等に良好な関係を築いているようである。
梓さんも、前述のセリフに照れるでもなく、風評被害を恐れて警戒するのみであった。
「降谷零」として、梓さんに好意があるかもしれない。
「安室透」によって抑えられているから、あの程度の露見で済んでいるのだ。
そんなふうに感じられた。
若い男女が親しく働いているのだから、そんな関係になる機会もあるかもしれない。
けれども、梓さんが「降谷零」を知る日は来るのだろうか。
「僕の恋人は…この国さ!」と言い切っていた。
【僕】とは、誰のことだったのだろうか。バーボンではなかろう。降谷零として、そのままの意味で言ったのであろうか。
「安室透」としては、“恋人”を作るわけにはいかなかったのであろうか。
ひとつひとつを愛せないから、まるごと愛するしかない不器用さと取るのは、曲解になるだろうか。
一人の女をだめにした 一人の男の日暮れ時
この歌詞のように、和製『テオレマ』的別れを与え、「安室透」は消えていくのかもしれない。
先日幼馴染みの友人達に上記の一件の後初めて会った。友人と他愛ない話をしながらドライブしたり、ウィンドウショッピングをする時間はとても楽しいはずなのだ。
今回は友人と話をしている間、唐突にに自己否定と自分を責め立てる思考が始まるのが辛かった。
「話したら最後、みんなお前から離れていくぞ、お前はそんな事をしたんだ」そう考えてしまった。
冷静に考えれば、馬鹿馬鹿しいと思えるのだが、始まってしまうとまるで自分一人だけが汚物になったかのような感覚に陥り、友人達と笑顔で会話に参加出来ているのか猛烈に不安になるのだ。
性欲は女にもあるのはわかるし、それが正常で悪いことでもないのは百も承知だし、自分の中にも多少なりともあるのは以前から知っていたのだが、それでも未だに嫌悪してしまう。
もうここまで来ると強迫観念なのかもしれないと、書き出してみて思った。解消するにはどうしたら良いのだろうか…
(p.s:先日の追記に暖かいコメントありがとうございます。自分が思った以上に中々根が深いです。また吐き出させてください、こういった場でないと書けないので…)
『スーパー戦隊データカードダス 快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』という、とんでもないゲームがキッズアーケードゲーム業界に降臨した。まだ遊んだことがないなら、ぜひ一度は遊ぶべし。そして、あなたはこう思うだろう「これってゲームなのか……?」と。
ゲーム史に残るトンデモないレベルのゲームだと思うが、おそらく大人が遊ぶことは少ないだろうから、ネット上には公式情報以外が残り続けるかどうか危うい。だから、どれだけ酷いゲームなのか、増田を使って記録を残させてもらう。
まずデータカードダスシリーズは、キッズ層をターゲットにしたカードを使用するアーケードゲーム。有名なところでは、何気にムシキング以上の売上を誇るキッズアーケードゲーム界の王者『ドラゴンボールヒーローズ』や、大きなお友達にも大人気の『アイカツ!』など。基本的には子供向けゲームなので、バランスは割と大味であり、レアカードがあれば無双できたりもするけども、大人も満足して遊べる内容が多い。それで、このスーパー戦隊のゲームもそんな内容だと思ってた。データカードダスシリーズは極端なハズレ作品は少ない。だからこそ、何であんな内容になっちゃったの、あれ……。
はっきりいうと、クソゲーという言葉は似合わない。なにせゲームとして全く成立してない。Wiiの『人生ゲーム』があまりにもの中身の無さから「ゲー無」「虚無ゲー」と呼ばれたりもしていたが、本作はそれに近い。ただし、中身の無さはこちらの方が遥かに上。とにかく一度遊んでみて欲しい。終始ポカーンとして顔で、筐体を眺めるだけになるから。
このゲームは簡単に言うと、ルパンレンジャーかパトレンジャーで敵を倒すゲーム。ただし、プレイヤーはそれぞれのレンジャーを操作するのではなく、応援というか形でバトルに介入することになる。応援は、ボタンの連打、レバーを回す、ボタンを押す、といった操作で行うことになる。本作がゲームとして成立していないのは、これらの介入要素がゲーム的な要素になっていないこと。ボタンの連打があれば、ボタンを連打するほど強くなる、またはスコアが伸びるというのが一般的なゲームだろう。しかしながら、本作は一定数連打をすればそれで終わり。連打を頑張っても、強くなることもなければ、スコアが伸びることもない。「おうえんポイント」というものがあるが、どれだけ押しても貰える量は変わらない(ちなみにおうえんポイントを集めると、ゲーム中でカードの排出候補が増える)。ボタンを押す、という動作についてもタイミングよくボタンを押させるなんて、普通のゲームに有りがちな要素もない。ボタンを押せ、と言われば、タイミングに関係なくとりあえず1度押せばそれでいい。あとは画面の中のレンジャーが勝手に戦ってくれる。それを見ているだけ。本当にただ見ているだけ。
ちなみにボタンを連打しないとレンジャーはピンチに陥ってしまう。どうなるんだとちょっとワクワクしていると、もう一方のレンジャーが助けに来てくれて勝手に倒してくれる(「おうえんポイント」はそれでも貰える)。レバーを回さないとどうなるか試してみると、勝手にレバーを回した扱いになって勝手にゲージが上がっていく。ボタンを押す行為も放っておくと、勝手にボタンを押した扱いになって戦闘が進んでいく。どうやら一切操作する必要すらないらしい。
レンジャーのバトルが終わると、次は敵がパワーアップしてくるので、こちらもロボットを繰り出して戦うことになる。そして唐突に100円の追加料金を要求される。あれ……? ボタン連打を2回、レバー回転、ボタンを押しを1回ずつしかやってないが、それでもう100円分のプレイは終わりのようだ。
なおロボットバトルも攻撃方法を選択したりするだけで、相性がどうとか攻撃力がどうとかゲーム的な要素は一切存在しない。
あと、いちばん大事なポイントだけど、本作にスコアの概念はない。もう一度言うぞ、スコアがない。ゲームとはなにか、ということを考えると、まずはコンピュータとの戦いだろう。スコアとはその戦いにおける指標だと俺は考える。もちろんスコアのないゲームはコンシューマーでならいくらでもあるだろうが、100円を入れて遊ぶアーケードゲームで、その概念がないということは一体何を目標に遊べば良いのか。
レンジャーを操って、気持ちよく戦えることか? ああでも、連打して応援することしかできないからな。ちなみに1プレイでできることは、前述の通りボタン連打が2回とレバー回転、ボタン押しが1回ずつだ。本当に見てるだけになるから。
もちろん「見てるだけ」という行為が楽しければそれでもいいかもしれない。例えば『プリパラ』は、ゲームとしては非常に単純な音ゲーであり、クリア目標を満たさないことの方が難しいレベルで簡単なゲームである。難易度選択もない。そんなゲームであっても、キャラの可愛らしさ、コーデの豊富さから、お気に入りのキャラにお気に入りの音楽でライブさせるのが楽しい、という点から絶大な支持を集めている。こういったゲームもありだろう。ちなみにそんなプリパラでもスコアの概念はあり、オンラインランキングでしのぎを削っている人もいるにはいるが。
話をスーパー戦隊に戻す。本作は見ていて楽しいかと言われると、それも難しい。もちろん自分がスーパー戦隊にあまり興味がないということもあるが、それ以前に戦いが黎明期のスマホゲーのように、静止画の一枚絵に向かって戦っているだけという恐ろしく手抜き内容になっている。レンジャー系は、他のデータカードダスと同じく3Dモデリングによる立体化がされているが(レンジャー側も1枚絵が多いが)、安っぽいCGでありこちらも手抜き感が酷い。
それと、データカードダスなので、当然カードが排出されたり、ゲーム内でスキャンして使えるが、ゲームの進行の説明が読み込ませたキャラに変わったり、前述の「おうえんポイント」がゲーム開始時にボーナスとして貰えるだけ。そんな効果しかないから1プレイに1枚しかスキャンできないし、カードを使用できる理由が恐ろしく乏しい。カード要素いらんだろ。
セーブ用のQRが印刷されたカードを作ることで、セーブもできるが、記録されるのは排出されたカードの種類のみ。セーブ要素もいらんわ。100円の無駄。
無駄、無駄と言い始めるとこんなゲー無を遊んでいる時間こそが本当に無駄だと思う。
しかしこんな酷いゲームがあったぞー!!と間違いなく話のネタになるのは間違いない。ぜひ1度遊んでみて欲しい。そしてこのゲームの酷さを実際に感じ取って欲しい。できれば友人と一緒に遊ぶか、酒が入った状態で、ゲラゲラ笑える状態で遊ぶのがベスト。1人で淡々と遊ぶとひたすら虚しいだけ。
個人的な感想ではあるが、おそらくこのゲームのヤバさに適うゲームは、それこそ『Big Rigs』レベルのアレなゲームくらいしかないと思う。『デスクリムゾン』のような伝説級クソゲーの方がまだ楽しめる。
帰ってきた。すごく嬉しい。
2002年の話。
ワールドカップが日本であって、地元の会場で日本代表の試合があった。
会場の外にいたから試合は見てないんだけど、入場してくる有名人を見てウキウキしたり、お客さんの歓声や悲鳴を聞いてた。
試合が終わるころ、先輩が「もう一生見れないんだぞ」的なことを言ってくれて、ホントはダメだけど試合を覗かせてもらった。
おお、中田浩二ってロングパスうまいんだなとか思ってたら、敗戦のホイッスルが鳴って、持ち場に戻った。
日当10000くらい?もっと少なかったかも。これがサッカーとの出会い。
同じころ、友人関係でいろいろあって、自己嫌悪と罪悪感に押しつぶされながら将来への不安がはっきりと見えてきてた。
1年か2年くらいヒキニート的な生活をしたり、社会にご迷惑をお掛けする形ではありながらも、
バイトやなんかでそれなりに社会復帰を果たした。社員になろうかとも思った。
それでも大人になり切れなかったので、モラトリアムとかいう知ったばっかりの概念を求めて海外へ飛んだ。
周りにはかっこいいこと嘯いても、逃げだというのは周知の事実だったと思う。歳も歳だし。
あっちに行ったら行ったでちっちゃい日本人コミュニティの中で自己顕示欲をまき散らしてて、
将来がぽっかりなんにもないことをひた隠すように、社会の細々したことを権威を持ち出して知った風なこと言って過ごした。
たくさんのかっこいい人に出会った。その中でも、一人、仏像のような人に出会った。
言葉に惚れて、逸話に惚れて、仕事ぶりに惚れた。親や先生や学校やバイトでは教わらなかった行動規範を見つけたような気がした。
地元を離れての初めての一人暮らし。と言ってもルームメイトは常にいたけど。友達はすぐにできるけど、
それでも心細さはあった。お酒とセックスに逃げた。あと、地元のとあるプロスポーツチームにはまった。
地元にいる間は、できてすぐ名前が変わったり、区が違ったり、やってたスポーツも違うから親近感もそれほどなかった。
それが、貪るように情報をあさるようになった。
海外からネットで地元のスポーツニュースやハイライトを見た。2ちゃんのスレに入り浸った。
時間が合えばストリーミングで試合を見た。チームの一人一人の顔やプレイぶりや練習風景が分かるようになると、
愛着がわくようになった。スタに足を運べるサポに比べたら、頭でっかちのふぁん(藁)だというのは理解してるんだけど、
それでも自分にとっては心細さを埋めてくれる存在になっていた。
チームの監督がコロコロ変わって、ブラジル人頼みのクソサッカー笑のあと日本人監督になった。
将来ある若手が移籍していく中、生え抜きの選手や元日本代表のベテランが活躍して、昇格争いをするようになった。
生え抜きの中に、やんちゃなやつがいた。スーパーサブ的に使われた後、チームの軸になった。
高校時代のクズエピソードのデマも、ああこいつならやりそうって思えるところが、なんとなく自分に重なって、
いろいろあって心機一転帰国する年に、チームは一部への昇格を決めた。
チームの挑戦と自分の挑戦が重なって、涙が出るほどうれしかったし、心強かった。
1シーズン目、ワールドカップイヤー。うちの10番が代表に選ばれた。試合には出なかったけど。
ワールドカップのあと、新生日本代表にあいつが選ばれて、試合に出た。出ただけだったが。
新社会人1年目の終わり、1部での2シーズン目が始まったころ、震災が起こった。
地元ではみんながあんな思いをしているのに、自分には募金することしかできない。
地元のニュースでは、チームの選手たちが自身が被災しながらもボランティア活動をしていることを伝えていた。
あのやんちゃなあいつも、いろいろとやっていたようで、心の底からうれしかった。
自分にできないことを、やってくれている。それも自分にはできないくらい大きな影響力で、
たくさんの人の支えになってくれていた。おこがましいけど、誇りに思った。
時間が流れ、なんとかシーズンが再開して、チームは好成績を残した。震災の笛wとか書かれても気にならなかった。
次のシーズンはずっと首位を走り、終盤まで優勝争いをした。その年の終わり、あいつは移籍していった。
さみしさと呆れと、ステップアップだったからうれしさもあった。
その後、チームは何とか残留し続け数年が経った。
自分にとってのチームは、2部時代は海外の、1部での躍進期は歯がゆさの、外部記憶装置みたいなもんだ。
特に2部時代の選手たちは、当時の心細さと相関して愛着が強い。妻と出会ったのもそのころだった。
当時のチームの中心にいたのが、あいつだ。
あいつは初めての移籍の後、さらに移籍したり2部でプレーしたりしつつ、昨年末で戦力外になっていた。
それが、今日、うちに帰ってくることが決まった。
海外に逃げていた自分を励ましてくれた、震災後の地元を支えてくれた、あいつが帰ってきた。
うちのバンディエラと笑顔で映ったツイッターの写真を見て、涙がこらえきれなかった。
今更こんなことを書くのは、たくさんのジャニーズや二次元三次元問わず、
アイドルが終わっていくのを見て、私も区切りをつけなければならないと感じたからです。
私はもともとデビュー組の、梶山くんよりもずっとずっと先輩の人が担当で、
梶山くんは「Jr.の中じゃ一番応援してる子」でしかなかった。
自担のことはほとんど崇拝に近い応援をしていて、とてもとても好きなのだけれど。
でも、なぜか今もこんなにも悲しい。
私は、梶山くんの最後の舞台を一度も見ることなく梶山くんは去っていった。
正直EXシアターはライブハウスだからジャニーズを見るのなんて向いてないのだけど、
それでも単独公演ならばと幾度か足を運んで、
後ろのほうがファンサもらえるんだなあなんて思った記憶がある。
ターンしたあとのドヤ顔が好きだった。
いろんな場面で頑張ってTJポーズをアピールしているところが好きだった。
楽しそうに笑顔で踊るところが好きだった。
でもかっこつけずに、全力で笑ったりするところが好きだった。
終演後に周りのファンはみんな泣いていて、泣き崩れていて、
友達のことを励ましながら私は、悲しいと思うけれどどこか他人事のように見つめていた。
ジャニアイのことは、チケットは外れたし湾岸のチケットは持っているし、
内容的にも今回は見送っていいだろうと思ってレポもほとんど見ずに毎日を過ごしていた。
その辺りから不穏な噂は、ゴシップに疎い私の耳にも届いていた。
信じなかった。信じないようにしていた。
くだらない噂を信じ込んで、梶山くんのことを汚したくはなかった。
私はすべてを後悔する。
今、時間を巻き戻せるとしたらいつの梶山くんに会いにいくだろう。
初めて見たとらじゅクリエ?
始まったABC座2017、夢のハリウッドなんてまさにABC座で歌うためにあるんだろうという曲、
美勇人もいなくてそれでも楽しく明るく歌って踊るTravis Japanがそこにいた。
舞台には何度か入ったけれど一度も夢ハリをまともに見ることはできなかった。
なんなら、ずっとA.B.C-Zの出番であればいいと思った。
Travis Japanの現実を見なくて済むのだから。
結果、10月でじゅうぶん打ちのめされた私は湾岸のチケットを手放した。
もっと、今のTravis Japanを愛せる人が見にいくべきだと考えたから。
年末、自担を見にいったカウコンで、いくつかのJr.のユニット名がでてきてとても胸がざわついた。
そして思いがけずとらじゃがでてきて、東京ドームのステージで踊るなんて、
私は、梶山朝日くんがここにいたらどんな表情で踊っているだろうと考えて、
きっとクールな顔よりも、とびきりの笑顔で踊っているすがたまで見えてしまって、
自担に会えるのは年末最後だと整えたメイクがとけてなくなるくらい泣いていた。
某Gのペンラとうちわを持っているくせに、とらじゃで号泣している女なんて不審に思えただろう。
でも東京ドームという舞台は、誰よりも梶山くんにふさわしかった。
ダンスが、笑顔が、歌が、梶山朝日というアイドルが、かけがえなく素晴らしいものだったからだ。
私は梶山くんの終わり方は決していいものではなかったし、批判されて当然だと思っている。
現実がファンを打ちのめし、悲しませ、そしてなにより唐突だったからだ。
もう二度と、あんな辞め方を誰にもしてほしくはない。
梶山くんのことを好きにならなきゃよかったなあなんて、思うことだってある。
それでも、記憶の中で君はきらきらと踊っているから、私は許してしまう。
さて、梶山朝日くんは今、幸せでしょうか。幸せに、なったのでしょうか。
もう知る術はないけれど。
笑ってくれてありがとう。
私の中で君は、いつでも輝いていて、見ているとわくわくするような存在でした。
自担は初めて知った時にはすでにデビュー組で、たぶんもうアイドルを辞めないと思うから、
あんなにTravis Japanを、Travis Jr.を愛していた梶山くんがまさかいなくなるなんて思ってもいなかった。
踊るとアイドルで、笑うと最年少で、喋るとバカな男子な梶山くんをずっと応援していたかったんだ。
とらじゃからひとりずつ欠けていくメンバーに、不安に思わなかった日なんてない。
それでも梶山朝日くんは、グループの終焉までいるんじゃないかと思っていたよ。
君は自分の決定に、後悔する日がくるのでしょうか。
それでもずっとずっと幸せにいてくれますようにと願うことくらいいいかな?
Travis Japanはもう前を向いている。私も新しい気持ちで、あのこの面影があるTJポーズをしようと思う。
なんかやけに「なんでんかんでん」関連の記事がバズってる気がするんだけど、なんなんでしょう。
いや、みんなが好きなんならバズろうが構わないんだけど、それにしても不自然じゃないか?ずっと閑古鳥が鳴いていて6年前に特に惜しまれることなく閉店した店ですよ?
東京の豚骨ラーメンは俺が育てた!みたいな話がちょいちょい出てくるのも気持ち悪い。
人を殺す、人が殺されるというのは人間社会の規格定義の一つです。
人は死にますが、死ぬことについて殺されるとか殺すといった概念はもともとありません。
なので殺しても殺されてもいいも悪いもなく殺すということが存在しません。
捕食にあたって相手が死の状態になることはあります。生きたまま捕食したりすることもあります。
その死が得られる状態に行動することを殺すと定義して、なぜ社会では悪というかは手に入りにくさ、行使にあたっての条件の複雑さがあります。
容易に簡単に死を手に入れたり与えたりすることができては社会の構成を堆く積み上げられません。
自分の財産ひとつ守る手段について何重にも定義があるのですが、死一つですべて覆ります。
落とし物、拾い物、譲渡、権利、価値、公平性、それらが死で失わると値段もおいしさも価値もありがたみもすべて存在しなくなります。
自分がいまこの瞬間だけ生きるのについては捕食をするだけでよいのですが、何時間後かの食事、明日の予定、今年の目標などを策定するには生きていることが前提になります。
なので社会の中ではそれらの予定を必要とするものについて死がとても手に入りにくいものにされています。
多くの承認とほかの生きているものに対する取扱いなど、個人法人ともにそう簡単に生まれたり死んだりできません。
その手に入りにくいものについて稀に唐突に手に入れる場面があります。その希少性について排他的であることが悪です。
突然お金を得る機会があって大金持ちになることもあります。その希少性について排他的であると悪ですし、協調性をもって迎合することもあります。
死も社会の協調を重んじて選択せざるを得ない可能性も含んでいます。しかしそれは濫用すべきでないという定義は、お金をばらまくことについてと同じ距離感にあります。
とても手に入りにくい構造にしてある死について、そこに至る手段の殺すということはとても難易度が高いため
あきらめがむつかしさになり、あこがれがうつくしさになります。
個々の一人ずつがそれらを感受性に従い表現することが、善悪であったり美醜であったりします。
死ひとつにしても、ほかの生きているものに対する影響は生きているものの数だけあるので一概には言えませんが
死という存在の濃度は、土地によっても時間によってもそれぞれ異なり、ただ殺すということについてのみ