はてなキーワード: 佐々木俊尚とは
それは単に個人差あると思うというか、大半は男女とも表面的な付き合いしかしていない
なんならその友人(?)関係を維持するコスト払うメリットあるの?くらいのレベルの付き合いだからでは?
自分は困った時に助け合える友人がいるけど年がら年中会ってないし飛行機が必要な距離だし
趣味もぜんぜん違うし仕事も違うし年収も違うしあるある話もせんよ
あるのは時間と信頼の積み重ねだけだよ
具体的に少し書くと、自分は高校時代、学費自分で払ってた+進学費用自分で貯めてたので
昼飯代が勿体無くて食わなかったんだけど、友人がいつも弁当恵んでくれていたよ
みんなでどっか遊びに行こうぜってなった時もお金が勿体無くて躊躇してたら全額友人が払ってくれてたよ
でも友人の家は小金持ちどころかむしろ経済的に厳しめで週5〜6でバイトしてたよ
加えて友人はバイト代は全額自分では使えず家に生活費としていくらか入れてたよ
だけど弁当恵んでくれたし遊ぶ時は助けてくれたよ
そんな感じだったから、現在、年収が違って食の好みが違っても遊ぶ時に困らんよ
出せる方が出してるよ。それがお互い当然だから
もう一人の友人の方は特定できる要素が多過ぎるので書けることだけ書くと
通常口にしないお互いの家の事情知ってるけど、そのことで愚痴りあったり語り合ったこと一度もないよ
あと友人は常に異性がいないとダメなタイプで、まったく異性の気配を感じない自分のことを同性愛者だと思ってるよ(なお違います)
異性がいないとダメなタイプだけど武勇伝語りとかパートナーの愚痴とかいっさいなしないよ(触れてはいけない話題扱いされてる草)
だけど中学時代からいまにたるまでずっと友人で物理的に距離があるけどお互いの近況報告はお互いにしてるよ
自分のスケジュールが無茶目でも地元に帰った時は必ず時間を作ってくれるよ
ただ、セーフティーネット・ビジネスチャンスとして友人を見た場合は、
親友というよりも、ゆるく広く表面的な付き合いの方がセーフティーネット・ビジネスチャンスして機能しやすいらしいよ
【佐々木俊尚】友だち関係を広げていくことが、新しい時代のセーフティネットになる
https://www.any-times.com/blog/15755/
いろんなところでいろんな人と知り合い、その関係がだんだん輪のようにつながっていくんです。仲良くなったマンション仲介の不動産営業マンと友人になり、一緒にキャンプに行くようになりました。自家用車を買ったカーディーラーの人と仲良くなり、料理が上手だというので、引っ越ししたときのホームパーティーで料理を作ってもらったこともあります。そのうちエニタイムズでお仕事を頼んで、それで友だちになるってのもたぶん当たり前になってくるんじゃないかな。
仕事の関係か、プライベートの関係か、なんてことは、もはやどうでもいいんじゃないかと思います。仕事で知り合って、個人的に仲良くなった友だちもいる。友だちと盛りあがって、一緒に仕事をはじめることもある。会社員だって、同じです。日本でも政府が正社員の副業を後押しする時代ですよ?正業か副業か、はたまた遊びかという境界がなくなってきているんです。
そういう友だちの関係を住んでいるところ、働いている先にこだわらずに広げていくことは、新しい時代のセーフティネットになっていくのではないかと思います。仕事をしているような、遊んでいるような。そういうのって、ブラブラ遊んで生きてるように見えるかもしれません。でもブラブラしているからこそ、いろんなネットワークとつながることが可能で、実はそちらのほうがひょっとしたら安定しているんじゃないでしょうか。
ひとつの会社にぶら下がって閉鎖的な人間関係の中で生きているよりも、たくさんの仕事をしてブラブラのほうが安定している。まあ収入は安定しませんが、それでも友人がたくさんいれば何とかなるかなという安心感もある。そういう意味では、いい時代になったともいえますね。
このニュースについても冒頭取り上げるつもりです
未明、児相が女児を門前払い 窓口職員「警察に相談を」https://t.co/c707sNFxu0 https://t.co/6MyEr753xK— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2020年2月19日
怒ってる人多いけど、児相をNPOに委託しボランティアに頼った時点で予想できた事態だと思う。多様な逃げ場としてのNPOは大切だけど、警察と並ぶ最後の砦である児相は専従の専門職員が担うべきでは。/児相の相談員「冗談だと思った」神戸の女児追い返し https://t.co/iPbs2JgIxo— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2020年2月20日
この問題に関していえば、当時の児童ポルノ禁止法の時がそうなのだけど、反対派の人達はそれこそ規制の弊害もあるけど、実在児童保護がおなざりになっている点は本当に問題視していたからこそ、厚労省管轄にする事や予算をつける事を指摘していたにも関わらず、当時単純所持規制や創作物規制を都合良く進めようとしていた某NPOや某募金団体及び某宗教団体等はこれらの声をガン無視して、自分達の都合の良い規制や罰則強化ばかり行っていたんだよね。
そしてその時は主にオタクや規制に反対する人達は一般人が主だったのは事実としてあったし、当時本来なら声を挙げるべきだったNPOとかからは指摘する声はほぼなかったんだよね。
当時は表立って反対できる雰囲気ではなかったのは事実としてあるけど、本来声を挙げるべきだったこの人達の声がなかったのは本当にダメだったと思うよ。
だから当時の経緯を知っていれば、NPOに怒る人が多いのは当たり前だとしか思わないし、そんな経緯があるからこそ山田太郎議員も子供庁設立に奔走する羽目になっているのもあるのだからね。
しかし何でもボランティアに頼ろうとするのは本当に問題だよね。
この問題に限らず、国家がこれをしだすと経済的に回らなくなるのは当時から指摘されていた事なのにね。
国家だからこそ、きちんと予算をつけて、今はボランティアをしている様な方々にも本来ならば雇い給与なりバイト料を支払うべきなんだよ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 66 | 12485 | 189.2 | 51.5 |
01 | 52 | 4378 | 84.2 | 45.5 |
02 | 45 | 4794 | 106.5 | 56 |
03 | 34 | 4440 | 130.6 | 37.5 |
04 | 20 | 5890 | 294.5 | 129 |
05 | 13 | 1319 | 101.5 | 51 |
06 | 23 | 2343 | 101.9 | 53 |
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09 | 129 | 6923 | 53.7 | 30 |
10 | 152 | 9342 | 61.5 | 33.5 |
11 | 163 | 9506 | 58.3 | 33 |
12 | 160 | 12088 | 75.6 | 35 |
13 | 140 | 9850 | 70.4 | 27.5 |
14 | 152 | 11366 | 74.8 | 40 |
15 | 141 | 6057 | 43.0 | 28 |
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1日 | 2369 | 201447 | 85.0 | 35 |
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6671245(1969)
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
「いや、書類送検だと容疑者だと呼ばないんっすよ」と逃げてたハフポストと佐々木俊尚を俺は信用しない。
「山口達也メンバー」とメディアが報じる理由が3分で分かる(ハフポスト)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/25/tatsuya-yamaguchi_a_23419826/
書類送検で逮捕ではないので、容疑者呼称は使わないんですよね。(佐々木俊尚)
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/989281429598109696
山口のときも、読売とか赤旗は書類送検でも容疑者って言ってんだよ。てことは、結局そこはお前らのさじ加減ってことじゃねえか。
NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20180807_734722.html
アンケート結果はリンク先を見てもらうとして、どういう識者がどの総理を選んだのかをまとめてみる
(※ただし、それぞれの識者がどの順位にしたのかは表記されていないので不明)
(※あと3人選んだ人がいないように見えるんで、全部列挙されていないのかもしれない)
私たちはどうつながっていけばいいのか<広く弱くつながって生きる>佐々木俊尚/小野美由紀 - 幻冬舎plus
佐々木 それはね、ポリティカル・コレクトネスの議論ってすごくあるんだけど、たとえばLGBT、たとえばゲイを「気持ち悪い」と内心で思ってしまう自由はあるのです。。ただ、それを口に出すのはまた別。ただし内面にあるその気持ち悪いと思う気持ちは許容する。そしてゲイの人がいることは絶対に否定しない。そこの両立をさせることがたぶん一番大事で、そこで無理矢理、いやいや、ゲイは気持ち悪くないだろ。ちゃんと理解しろよというのはやりすぎだよねというね。マイノリティに対する違和感というのはみんな持っているわけです。その違和感をなかったことにするのも、それはそれで人間の本質的には無理があるかなという、そういう話ですよね。
最前列にいたお客さん ゲイなんか普通の人間関係だったらつき合えるけど、俺に恋愛感情を抱かれたら、気持ち悪いってことですよね。
佐々木 まあ、そうでしょうね。それは個人の自由。ただ、それを口に出すのは良くないということと、そういう気持ちがあることを逆に否定するのも良くないというね。そういうことだと思います。
確かにゲイにいい印象はもっていないのかもしれませんが、発言そのものは単に佐々木氏の言ってることを確認してるだけでしょう。
「ゲイを気持ち悪いと思ってしまう理由は、俺に恋愛感情を抱かれたらと考えてしまうからですよね」と。
この場合の「俺」というのはおじさん本人ではなく、たとえ話に出てきた「ゲイを気持ち悪いと思ってしまう人」を指しているので、このおじさんが自意識過剰というわけでもありません。
そしてこれが「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話(小野 美由紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)では、
「ゲイがいるのは勝手だけど、俺のことを好きになられたら気持ち悪いって話だよ」
目の前の初老の男性がそう叫んだのは、佐々木俊尚さんとの八重洲ブックセンターでのトークイベント終了2分前、話題が「多様性」に及んだ時のことだった。
こうなっています。
制限速度50kmhの道路だと、実際にはだいたい60〜65kmで流れてる。50kmで走ると混雑の原因になり周囲もイライラ、事故の可能性も。しかし80kmで走るとオービスに引っかかるので、ドライバーは60〜75kmぐらいの狭い幅で速度を保たなきゃいけなくて意外にこれは難易度高いですよね。— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) January 30, 2018
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制限速度は守るべき vs 流れに合わせるべき
俺はどちらかというと前者で今やれることがあるとすれば制限速度を上げるよう関係機関に訴えることくらいかなと思ってる
少なくともやれることがある状況で「みんな守ってないしいいでしょ」という気持ちにはなりにくい
最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。
先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界は科学だろう、という思いは変らない。
余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分が積極的にフォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体が不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。
あらかじめ書いておくと、自分の見解は、「ニセ科学批判とネトウヨは本来、つながらない」である。しかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。
なお、あくまで自分の観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンスや統計的な根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。
ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。
3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリの左派な左巻健男が石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたかは想像に難くない。
元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なからず割合がただのウヨアカウントであり、人権問題に危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。
ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベースに意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的にニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。
こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。
この層、とひとくちにいっても、いくつかある。
まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲の唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。
言っちゃあ何だが、科学は正義である。しかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。
正義の暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。
一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑や偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。
ところが、ネットは理系の研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタやアニメ談義が話が合うという理由で高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。
これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかし、本来の意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。
そうすると、本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。
(この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。
後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要なカテゴリーかもしれない。
ネトウヨの定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近の人間が大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベルの定義みたいなものだ。物語シリーズはラノベかとか三毛猫ホームズはラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。
しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。
ジャンルは違うけれど、所謂「キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。
ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。
RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。
ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイートの文章そのものであるかツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言を属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意を判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。
さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイートを自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うから、ニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。
ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合は問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。
ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン、水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分が左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団は原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である。状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。
こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。
先日ツイッターで問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーがリフレとニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨの定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。
経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。
ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。
なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字を勘定してイメージしやすい「ロジカル」なものだからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。
これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレで経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業は給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済が大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。
昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。
それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。
ここ10年くらいのインターネットの歴史は、ノンポリが政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。
1970年ごろの学生運動家だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。
俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。
http://anond.hatelabo.jp/20170226130630
この主張に異論はないが・・
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
こういう紹介の仕方は、同時なにがベタでなにがネタだったのか誤解を招くのでは。
REV 「思想を立ち上げ時代を変えた人(極めて稀)」と、「変わっていく時代を感じて(たまたまかもしれないが)、表現したり、論評したり、上手い名前を作った人」と、区別がつきにくかったりする
kotobukitaisha 今から10年前くらいって、「オタク」というワードは、蔑まれながらも一定の地位が出来つつあって、人に何かを語らせたくなる言葉だった。地方自治体が地域振興に萌えキャラを作る今は、そういう熱はないけど。
t714431169 この人とか非モテ論壇とか、イヤな時代でしたねえ。「純粋さ」「潔癖さ」は持ち上げるもんじゃない。ジャンル違いだけど佐々木俊尚と同じ箱かなー。/ 時代と寝た人として、賞味期限の短さはむしろ勲章では。
本田透は喪男を自称していたが、当時の喪男板とその周辺は今の2chと違って紛争が絶えなかった。独身男性板から分裂し、さらにモテたい男性板、孤独な男性板などに細分化しているのも内紛の結果である。
はァ?…根っからの反フェミだけど本田透は死ぬほど嫌いですが何か?(苛)
あの男の本質は所詮「極左のフェミニスト」に過ぎん。単にそのフェミにすらミサンドリー喰らっていじ
人大杉な時代の喪男板の内紛とはおおまかに言えば「宅間守はネ申」「女ども死ね」「俺を愛さぬ世界は滅びろ」みたいな喪男道覚悟系、はてな風にいうなら非モテロリストと、「二次元があれば幸福」「モテないものはしょうがない」みたいなオタク系とのdisり合いである。テロ派の勢力はまだまだ強く、またテロ派を生み出すような世間のモテ派的空気(「恋愛しなければならない、できない者は人格破綻者。」「努力すればモテるはず」「孤独な者は一生不幸」等)もまだまだ強かった。オタク系の喪男としてはどちらも大変うっとうしかった。テロ派もモテ派も同じような批判(「お前らは世捨て人」、「人間やめてる」、「やせがまんしてるだけだろ」等)をしてくるので、両者はコインの裏表だろうと思っていた。実際テロ派は世間を批判していたがルサンチマンがあるのは世間の価値観にどっぷりつかっていたからなのだ。そうこうしているうちに、本田透のサイト「しろはた」が立ち上がり、オタク系の主張を集めたような本、電波男が出版されたのである。そこで形勢はオタク系に一気に傾いた。これはこれで電波男の売り上げが~とか世間様的評価を利用している感があるのだが。
要するに、本田透が教祖で多くの信者がいたわけではない。喪男板住民にとってポジティブに言えば「本田透はわしらが育てた」のであり、ネガティブに言えば「パクられた」のである。
『電波男』を真に受けたのって、現在アラサーの世代だけだという話をされたが、たしかにそうなりそうな感じはある。『電波男』のあとにきたのは、オタク恋愛マニュアル本ブームだったしなあ
でんぱおとこに、まじになっちゃって、どうするの /「かつて、ネタ・メタ扱いされていたものが後発世代にはマジになる」を地で行くような捉え方だと言いたいが、当時もマジになっちゃってる人は結構いたなぁ。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/835815900590686208
電波男以降、明らかにオタク系が優勢になったので鞍替えや新参もあっただろうと思うが、しろはたと喪板についての私の記憶は上記の通りであり、間に受けるもまじもない。むしろテロ派やモテ派の恋愛原理主義に対する相対化、ネタ化の機能を果たし、且つ喪男における安全な適応作法を提示したのがオタク系であり電波男である。
なので、電波男やら喪男を指してパラノイックなるものを言われても正直困る。脱オタとか言ってた人(id:p_shirokuma)のほうが全然ベタだったのでないか。当時については。
『電波男』を書いた本人は、もはや『電波男』の話などしなくなっているが、ここにきて『電波男』の主張を本気でする人が出てくるのは、昔の人が適当に書いた本を元に宗教が立ち上がったりするようなものなのだろうか
tukanpo-kazuki 若い男性がしれっと自然に何の気負いもなく恋愛から離れていってる現代において、暑苦しく「脱恋愛!」とか「解脱!」とか叫ぶ本田徹は時代遅れになった。生まれるのが早すぎたのかもね。
二次元もいらないという現在にあって電波男をガチで受け止められてもそれはそれで正直困る。ありもしないものについて「脱!」と叫ぶことは逆効果にもなりそうだ(とはいえいまだにベタな恋愛至上主義者もいるにはいるようなので仕方ない気もするが)。
suna_kago 実のところよく知らないけれど、10年前と比べて情報技術などが進歩した現在、彼が唱えたユートピア思想(二次元主義)は当時よりも現実味があるのかもしれない。
反電波男勢の方々は、二次元もいらないという風潮をもって電波男の主張の失効を唱えるかもしれないが、電波男の主張がはるかに追い抜かれた今となっては(なったからこそ)カウンターとしてでも脱~のためでもなくより一層純粋に二次元に没入できる、ベタに電波男的な時代になったとも言えるのではないか。
先日「電車で見ず知らずの女性の名前を知る方法」という記事を投稿した増田です。
個々のコメントについては皆さんそれぞれのお考えですから私からコメントは致しません。ただ実体験に基づいた記事であることだけは申し添えておきます。
トップブコメの運動と瞑想と野菜350グラムの人、言及ありがとうございました。
敬意を表して私のiPhoneも「xevraのiPhone」と名付けました。
また、いくつかのWebメディアでも取り上げていただきました。自分が書いた増田のスクショをニュースで見るという、奇妙な体験もさせていただきました。
これを機に自分のiPhoneのAirDropとデバイス名を確認された方が少しでもいらしたのなら幸いです。
特に、私がAirDropを悪用してプライバシー漁りをしているかのように書いてくださったITmediaニュースさんには感謝が絶えません。
お礼というわけでもないですが、hostsファイルに
の一行を加えさせていただきました。
そして、そのITmediaニュースの記事をTwitterで拡散してくださったWeb著名人のSさんも、ありがとうございました。
佐々木俊尚、お前だけは許さん。
佐々木俊尚が「集団的自衛こそが国際社会の軍事的常識」ってやってて(http://togetter.com/li/992818)
その「国際社会の軍事常識」で「戦争」を防げている国がないということも、国際的には常識だと思う。
彼の意見は「現実的」なようで、「現状をただ追認する意見」に過ぎない。「こうあるべき」を論じてる人に「仕方ないじゃん」という話しかしない。だから相手を切れさせる。
そこが、どれだけ丁寧に説明しても、突っかかっている人を説得できない理由だと思う。
また、
「集団的自衛や軍事力が戦争を生むと勘違いしている人は、それらが戦争を防いでいることに気付いていない」
というけれど、それはちょっと卑怯な論法だと思う。それを言っていいなら
「憲法9条で平和が守れるんですかと馬鹿にする人は、それを盾にして朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸戦争にも、日本の若者は行かなくて済んだことを忘れていますね」
という話も成り立つわけだよね。
歴史上の出来事は仮定を許さないのだから、「あったおかげで起きなかった」なんてことを言っていいなら、いくらでも勝手な主張はできる。このあたりにくると、もう詭弁比べになってしまってる。
佐々木さんは、だいたい、何かを論じようとすると、冷静に見えてすぐ感情的になり詭弁を振りかざし始める、そんな、論争が下手…を通り越して「論争できない人」としての馬脚を現すというのが、自分の中の彼のイメージ。おとなしくルポだけ書いていればいいと思う。
https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c
この話ね。まず、
1 技術が活かされてないと感じる
テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近は地上波デジタル放送によって双方向に対応したり、サブチャンネルによって各局複数の情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?
なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報はインターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。
地上波デジタル放送になって、テレビのチャンネルは複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?
サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダを複数持っていないと放送できない。MXは複数チャンネルを活用しているね。あとは、関東地区のキー局と関西地区の準キー局、あとはプロ野球のホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本は微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年、新聞・テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送の制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。
そのアイデアは面白い。HD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいものか認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料はPDFで役所のwebサイトに公開されているし、それを再生紙に印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。
ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表でカメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者が撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。
2 センセーショナリズムから抜け出していない
被災地の悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったものの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない
義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。
救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本の地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。
延々テレビ局のスタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと
バラエティ番組や情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間の放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?
もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。
4 正確性が疎かになっていること
テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争を意識するあまり、ネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。
これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正の設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。
とはいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。
正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞とテレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。