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2023-05-23

anond:20230523081437

女性の脳は、話を聞くだけでも自分自身感情が揺さぶられるので、

他人から共感を求める話しを聞くのが楽しいし、自分共感を求める話をするのが楽しい

ところが男性の話しは、事実関係淡々と話すだけなので、共感ポイントが分からないし、

どこをどう共感したらよいのか分からずに、つまらなく聞こえる。

2023-05-19

すずめの戸締りは駄作だけど嫌いになれない理由

君の名は」は、東日本大震災を事前に知って回避したらどうなるかっていう話。題材を変えているだけで、あれは不謹慎な話でもある。

街が破壊される描写東日本大震災元ネタ日本でウケたのは、皆東日本大震災経験して、あの空気感を思い出して心が揺さぶられるから

東日本大震災で誰も死ななかったら?という、もう起きてしまった事に対して過去否定する話。

面白いけれど、でも心の底から好きにはなれない。


「天気の子」は、ポリコレ社会に対してのアンチテーゼ元ネタだった。ポリコレ大事に思っている人は苦々しいだろうし、

責任のある立場で色々犠牲にしてきた大人批判されているようで気持ちよくないだろう。

東日本大震災から離れつつ、相次ぐ自然災害を「異常」だと言うことと、社会正義を1つに定めることを重ねた。

青空(正しい世界)よりも俺はひな(間違っているが信じている存在)がいい!天気(社会)なんて狂ったままでいい(間違ったままでいい)んだ!(だって世界は元々間違っているのだから)」

という主人公言葉は痺れた。個人主義の皮を被った全体主義に対する強い批判のように感じた。


「すずめの戸締り」は正直駄作だった。ネタが尽きたんだろう。イケメン声優は下手糞だし、話も先が読めるし、感情移入できないし、テーマ性も問いかけるだけで終わっている。

結果的ダイジン世界の為に犠牲になり、すずめはダイジンをうちの子じゃないと言い放ち。

ただこれは、「君の名は」が「あったことをなかったことにする」、つまり「3本脚の椅子を4本に」ということはせず、傷ついたものは傷ついたまま、あったことはあったまま、

前に向かって歩くと言うテーマには、平凡なストーリーが合っていた。

3部作を閉じるにあたり、始めてしまった「嘘」を「閉じる」、贖罪の為にこの作品を作ったと考えれば納得できる。いつか新海のインタビューで「君の名は、は一時の傷を癒す絆創膏のようなもの」という言葉を見た気がする。

新海はその傷痕を傷痕のまま、絆創膏を剥がす痛みをこの映画で描きたかったのだろう。l

勿論それは君の名のように劇的ではなく、天気の子のように動的でもない。


源氏物語を書いた紫式部は、仏教説話によると地獄に落ちたらしい。

現実に向き合うべきなのに、人の心を惑わし夢の世界に閉じ込めたと。

新海誠はその点、物語の扉を閉じてみる人を夢の世界から引き揚げた。すずめの戸締りは駄作だけど、新海誠は嫌いになれない理由がそれだ。

2023-05-16

K2のほうがK2より面白いじゃん

これ言うと怒られそうだけどさ。

だって本当に面白いんだもん。

スピード感が凄いし展開の先が読めない。

手術は成功したはずなのに患者ボロボロになる展開さえも、普通医療漫画にはない心の芯に迫るエネルギーがある。

主人公必死に頑張ったのに駄目だったよ悔しい……で読者は確かに共感するけどさ、恐怖の手術を終えたはずなのに後遺症リスク回避しきれてなかったのだ……の方がより強いエネルギーミラーニューロンが揺さぶられるね。

医療漫画は悪役が出ないか面白い

医療漫画は皆善人でも事件が起きるからネタ切れがなくて強い?

そんなの嘘だね。

自覚のない最凶の悪魔たちが暴れまわる医療事故漫画こそがエンタメの枠を超えた究極のコンテンツ

2023-05-12

anond:20230511234918

育児本と母親教室には「生後1ヶ月以内は子供を外に出すな、床もあげるな(=療養中の自覚をもて)」っていわれるよ

一ヶ月たったからお宮参りにいこうってのはその解除祝いね

そして今コロナインフルまた増えてるよね

乳児コロナ予防注射うてません

うかつに外でて母親がたおれると全員共倒れ旦那転職とかも可能性あるわけよ

基本的注射がひととおりおわってから保育園とか検討になるとおもう

さらにいえば……まいいか

 

でも歩ける前でもおんぶして外にいったら風にあてただけで疲れて寝るから、「そんなんじゃ外に連れて行けないじゃん」というのは一理はある 言い方にしろ大部分ははずれだけどな

自動車にのせれば振動騒音で寝る子もいるが今のハイブリッドはわりとしずかだしな

さぶられっこ症候群とか本当に個別個性がはっきりでてて手探りで、命にかかわる時期だからむずかしいよ

人間取説たる「育児書」の分厚さといったらびっくりするよ

保育園おちた日本死ねってのはこの辛さから出てた言葉だとおもう

2023-05-11

捕鯨について新しい考えを教えてください

ChatGPT:

ウミガメによる逆捕鯨

捕鯨の従来の概念を覆すアイデアとして、ウミガメを利用した逆捕鯨を考えてみましょう。通常、捕鯨では人間が船を使って鯨を追い、捕獲しますが、このアイデアでは逆に鯨が人間を追い、捕まえるという発想です。

具体的には、特別に訓練された巨大なウミガメ使用します。これらのウミガメは、人間認識し、高速で泳ぎ、特殊装置を使って捕鯨船を追跡します。ウミガメが船に追いつくと、巨大な鰭を使って船を引っ張り、船体を揺さぶったり転覆させたりすることができます

また、ウミガメ特殊装置を使って、船からネットトラップを展開し、人間を捕らえることも可能です。捕獲された人間一時的ウミガメ背中に乗り、その後適切な場所に移されるか、エンターテイメントの一環としてリリースされるか、もしくは科学的な研究目的で利用されるかもしれません。

え、怖い…AI人類反旗を翻している…?

あと鯨が人間を追いって言ってるのにウミガメしか活躍してないの草

2023-05-07

anond:20230506205659

俺さ、いわゆる白よりグレーゾーンなんだけどさ、流石に人生辛いし西洋医学パワー使おうと思ってた所はあったんだよ。

人生で何回か医者かかってその度に「いやお前には要らんだろ」って止められたんだけど、まあゆーてシャブ漬けで儲けてる奴らもいるっぽいからソイツら出るまでガチャやろっかなって。

でもコレ見て「お前に薬はいらんだろ」の意味がわかったわ。

異常すぎるよお前。

精神面というよりも身体感覚のものバグってるとしか思えん。

ウンチしてお尻拭かないと尻穴にウンチ感覚が残り続けることに対して何も感じないってことでしょ?

というかパンツウンチついてたらその臭いで周りからウンチ漏らしてるって思われるんじゃないかって怖くなるでしょ。

その感覚がないっていうのは、他人からどう思われるのかが気にならないし自分が今どうなってるのかも気にならないってことじゃん。

それってつまりは、「自分精神」が「肉体感覚」「人間社会」の2つから完全に独立してるってことでしょ。

もう無敵じゃん。

二重の感覚麻痺によって世界を全て外側に追いやってる。

ある種の天才だろ。

俺にそんなのはない。

普通の人が簡単にできることが簡単には出来ないけど、それをやらないで生きていくことに耐えられないからやるだけやってる状態だ。

強いて言うなら友達ゼロ恋人ゼロ・酒ゼロギャンブルゼロ暮らしてるのが一部の人からみたら僧侶並みの生活なんかも知れんが、俺はそういった精神を不必要なまでに揺さぶものに耐えられないんだ。

でもさ、それってやっぱ普通範疇っていうか、白よりグレーゾーンしかないんだってよく分かったわ。

だって何となく理解されるから

でもウンチしてお尻拭かないは絶対理解されないと思う。

赤ん坊ですらウンコしたらオムツ変えろって泣き出すのに、大人ウンコまみれのパンツを履いて暮らしてるのって凄い光景だよ。

たとえばロケット戦闘機パイロットは下手にオナラ我慢して体内のガスが膨れたらマズいからブーブーブリブリしながら空を舞うっていうけど、それはそういう世界暮らしてる特別な生き物の話じゃん。

地に足をつけたまま宙空に暮らす生物と同じ生態を維持してるとか未知の存在じゃん。

本当凄まじいな。

俺はこのレベルじゃないし、このレベルじゃないと薬は要らないって言うなら本当にそうなんだろうな

2023-05-06

コロナ禍は楽しかった

言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である

5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHO緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。

自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。

日常が突如として非日常になる感覚

台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント

何気ない国際ニュースひとつとして武漢新型肺炎(当時は肺炎フォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースカットインされる、まさにスリラー映画SF漫画の導入にありそうなシークエンス

年を越して2020年武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARS新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮限定的な影響で終息すると考えていたと思う。

「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりから記憶している。

マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。

日常じわじわ崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。

生活環境の激変、ステイホーム

自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言生活のすべてが自宅に集約されることになった。

幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。

とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。

仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonヨドバシアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。

通勤という概念消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯カメラオフオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。

通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。

ハイスピードで変容していく社会

この三年間、世界コロナを中心に回っていた。政治経済は当然のこと、社会活動家族の営み、個人価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。

コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触絶対悪となった。

他人との物理的な接触特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。

飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。

国民微妙サイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。

公衆衛生経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラート東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応国民共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。

毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。

他にも、欧米諸国での大混乱や中国ゼロコロナ政策対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。

無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。

ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。

それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。

2023-05-05

anond:20230504091422

あー似てる

私も45独身早慶どちらか、彼氏なし。年収も1200万。

山口真由さんのニュースに心揺さぶられてるGW

2023-05-03

anond:20230503021511

>大学受験を迎える中で精神面をゆさぶりたくないしなあ

ほんと、これ。

実の親じゃない カミングアウト 時期 方法

さっきTwitterで、実の親じゃないって両親から告白されてびっくりー!って呟いてる人を見かけて、ずっと目を背け続けてきたけど自分もそろそろ言わなきゃなーーって思ってめちゃくちゃ憂鬱

子どもたちの実の両親と祖母増田にとっての兄、兄嫁、母)は上の子が1歳下の子が0歳のとき交通事故で死んじゃった(祖父もっと前に病気で死んでる)ので代わりに育ててきたんだけど、自分のことを母親だと信じてる子たちに本当のこと言えなくて、シングルマザーのふりをして過ごしてズルズル16年経っちゃった。

でもさ、なんかの拍子に戸籍とかとられちゃったらバレるじゃん。

さすがにバレる前にこっちから言いたいんだけど、めっちゃ言いにくい〜〜。気まずい〜。タイミングも分かんない〜。

昔は義務教育が終わったら言おうと思っていたけど、いざ子どもたちが高校生になってみると今はまだ多感な時期だしなー、などと思ってしまい言えず。

ならばと成人(18歳)を区切りにすることを考えても、大学受験を迎える中で精神面をゆさぶりたくないしなあ、とか。次の区切り20歳就活の時期だしなあ、とか。言い訳ばっかり考えちゃうんだよね。

やっぱ両親が本当は死んでるって知ったらショックだよなあ。言い出せないよー、はあ。

適切なタイミングと切り出し方を知りたいよ〜。誰か〜〜アドバイスくれよ〜〜。


追記

アドバイス実体ありがとう〜!

やっぱり早い方がいいよなあーー。分かってる、分かってるんだけど……。

上にはタイミングが分かんないって書いたけど、本音は本当の事を話して子どもたちとギクシャクしてしまったらどうしようって思って、怖くて勇気が出なくてずっと後回しにしちゃってただけなんだ。。こんな大事な事なのにね、本当に情けないですすみません

ここに書いてちょっと背中を押してもらえた気がするよ。みんなありがとね。

でもやっぱり高校生のうちに言うのは難しい…から、下の子大学受験が終わったタイミングで言おうと思う。頑張ります


もっかい追記

なんかめちゃ褒められててムズムズする、ありがとう

でもきっと同じ立場になったら誰だってしのごの言っていられないと思うので、そんな褒められるほどのことじゃないかも…。

事故自分大学卒業直前のことで、学費は親が払い終えてくれていたし、就活も終わってたか金銭的な苦労はそれほどなかったよ。

子育て最初こそ波乱だったけど、大学の友人たちが代わりばんこで手伝いにきてくれたり、就職してからは社宅に住んでいたのもあって先輩家族管理人さんたちが気にかけて色々と手助けしてくれたので、みんなが思うほど大変ではなかった…と思う。

子どもたちが小さい時に一度だけ父親のことを聞かれたことがあるんだけど、「遠いところにいて、今はまだ会えないよ」って答えてから父親の話はされなくなった。

子どもなりに思うところはあったんだと思う。どう答えるのが正解だったのかは今でも分かんないな。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-29

[]デススト

結局また再開した

ただ運ぶだけでいいってのが放置ゲーに似た気楽さがあるかも

多分効率やらさぶくえ全部クリアとか目指すとストレスになるからメインだけ進めてるけど

たまーにボスとかあるけど、基本バトルないかスキル要求されないのもラクだわ

からってわけじゃないけど、小島監督自慰ゲーっていうのは必ずしも悪いことじゃないんじゃないかと思った

コナミっていう内部で自分趣味前回で売り上げ度外視だったら問題だけど今は自分会社で全部自分責任もってやってるわけだし

それに全く売れてないこともなくて売り上げ自体結構いいらしいしね

メタルギアあん自分にあわないと思ってたけど逆にこっちはいいわ

バトルやらステルスあんま気にしなくていいか

ステルスはほんときらいなのよ

メタルギア限らず他のゲームでもいろいろあるけど

ぱっと思い出すのはグラビティデイズかなー

能力自由自在に移動できるのが強みのゲームで徒歩でステルスゲーさせられたのはほんまストレスだったわ

2023-04-26

anond:20230426143948

揺らいだ上にこっちを揺さぶってくる様なマンさんとかマジ勘弁なのでやはり今後のためにも別れるしかないな。

2023-04-25

anond:20230425133330

サウナとかもそういうのちょっと感じる

館内着でうろうろしてる腐ったおっさんロッカーで着替えて出てきた時には

まるで別人みたいなパリっとした雰囲気に生まれ変わってチェックアウトしていく様子は

同じ男だけどもちょっと気持ちが揺さぶられる部分がある

2023-04-23

さぶたはがれるのおっそ

ちっちぇえのに3週間もかかったわ

まじでやべえなちゆのうりょく

まあまともなもんくってねーしストレスあるし睡眠たりてねーからしかたねーってのもあるんだろうけど

2023-04-20

なぜ芸術家左翼になるのか?

坂本龍一の死後、彼の音楽評価の以外の部分で、反原発左翼的志向ダブスタ糞親父という評価Twitterでみかけた。

同意意味か分からないがfav/RTともにそこそこあったので目にした人もいたかと思う

さて、本題である坂本龍一に限らず、音楽家や芸術家はなぜ左翼的思考発言が多いのだろうか?

今、自分サイコパスという10年前のアニメを見ていた、ちょうど12である

この回では作中での世界反社会的思考を持つ音楽家がこのようなセリフをするのである

(大雑把に略)『(このクソみたいな社会にみんな気が付いてない)でも、わたしたち音楽はきっと大きな力になるわ!みんなのこころを動かすことができる、あたしたちの音楽世界を変えるのよ!』

しかたらこれなのか?芸術家音楽家として人の心を揺さぶる、動かす者たちが持つ衝動が形を変え、左翼的思考発言になるのだろうか?

2023-04-16

切り傷すり傷には絆創膏ではなくキズパワーパッドを貼ろう

傷口を洗ったあと、できるだけ早めにキズパワーパッドを貼ろう

その方が絆創膏より早くきれいに治るよ

さぶたを作って治すのは10年以上前治療法だから、やめよう

今は湿潤療法が主流だ

防水加工のものを買えば、風呂も入れる

キズパワーパッドでなくても似た商品なら大丈夫

一家に一箱持っておこう!

なんでこれを書いたかというと、自分がさっきすり傷を作ってしまったので、家に常備していてよかったと思ったか

マツコ会議最新回でマツコが「印度とかアフリカとか自分想像出来ないようなものがある場所に行ってしまうと、脳天直撃を食らう可能性がある」と言っていた

しか

たぶん大丈夫

人間五十年と言うが、Around50ともなると本当に体も心も全く別物になってしまう。余裕であと30年生きるとしても、実際のところは人として終焉を迎えているんだと思う

現代人間は「マイナス20歳くらい」の感覚があるので割と精神も肉体も若いはいるが

実年齢に沿っている人だと「ああ…終わりだな」と実感してるはずだ

ほんで、冒頭に述べた様な「衝撃的な物事」を見聞き体験したとしても「感性が死んでいてボンヤリとしか感じ取れない」状態になっている。全てが茫洋としている

マツコ会議最新回はかつて年商100億を誇ったビジネスマン唐突出家したという話だったんだが

わざわざ出家して心の平穏を求めずとも、人生末期を迎えている人間は「何に関しても心を揺さぶられることが無くなってしまっている」のだ

熱意が無いのは哀しいことだけれども、代わりに平坦な心で居られる

そら、一応生きているので瞬発的な喜怒哀楽は多少あるだろうが、持続性が無い

「あー…」という感じで粛々と残りの人生を歩んでいる

精神肉体マイナス20歳のAround50以外は、もはや何も生み出さないし新規のことに着手したりしない

全て惰性

から北極行っても南極行っても一時的に興奮するかもしれないが(それよりもその行程で「どんだけ時間かかるんだ」との思いの方が強いかもしれない)

帰ってきたら「あー…行ってきた。行ってきた。疲れた」で、心裡に変革を起こすようなことは無いだろう

宇宙とかまで行けたら凄そうだけど(そもそも行くための訓練で「いや、そこまでせんでもいいし」と思ってやめると思うけど)、それでもダメそうだもんなー

この状態、良いのか悪いのか。まあ、どうでもいいが

(つーかもしかしてそんなふうに思うのは歳のせいというよりも精神やられてるのかな。ほんと心が動かない。医者には鬱状態って言われたけれども

幸か不幸か強く「死にたい」とかも思わなくなったから、やっぱり歳のせいで繊細さが無くなったんだと思うわ

みんなこんなもんじゃないのかな)

血の轍

最新話をリアルタイムで追いかけてるけど、物語が後半になってから辛さの質が変わってきた。

漫画としては面白く無くなっている。これは作者も自覚的意図的だと思う。

前半はドラマ連続で、これでもかと感情を揺さぶ出来事が立て続けに起きていた。

後半はその真逆で、現実がひたすらそこに横たわり、感情の起伏がゼロになる。表情筋死ぬ

どうすんだ、これ。

2023-04-11

2003年4月11日菊池百子が死んだ

ずっと忘れていた。

いや、脳の奥に生乾きのかさぶたのようなものがじっとりとこびりついて、ふとした時に思い出したりはしていた。

なぜだか、それが昨日になって出てきた

そうかもう20年以上経っていたか

百子はJava言語技術者だった。いや、技術者か分からないがJavaを学ぶ25歳の若い女性だった。

百子とはJavaHouseで出会った。

当時Java言語J2EEの登場により大きな注目を集めており、エンタープライズ用途で稼働していた業務アプリケーションWEBベースJavaアプリケーションへのリプレースする事が大きな需要を生んでおり、VBDelphi又はバックエンドとしてのCOBOL等で活躍していたエンジニア技術転換を求められていた

現在も大して変わらんないかもしれないが、業務エンジニアコンピューターサイエンスを学んだ者は少なかった。

文系出身で(数学としての)関数代数ちゃん理解しているのか怪しいような者も数多く居り、当然ながらオブジェクト指向言語に戸惑う者も多かった。自分がそうだった。

当時の技術コミュニティはいくつかはあったが、古くからあったがどれも敷居が高かった。

fj.comp.lang.* (ネットニュース:現在意味が異なる)は正当な技術者も多かったが初心者が書き込める雰囲気が無かったり過疎っていた。ニフティサーブPC-VAN等のパソコン通信(当時既にサービス名が変わっていたかもしれないがみんな昔の名前で読んでいた)をベースにしたもの歴史があったが、老害が偉そうにしているフォーラムも多く、やがて廃れていった。

そうした中で初心者熟練者も和気あいあいと活発な議論が行われていたのが、JavaHouseというメーリングリストコミュニティだった。

主催者現在インターネットセキュリティの大物左翼として時折世間ビビらせまくっている、ひろみちゅ先生こと高木浩光氏。当時既に産総研研究者になっていたとはいえあくま個人手弁当運用していた。無料で誰でも自由に入退会ができるコミュニティであり、他に行き場のなさを感じた初心者Javaエンジニアたちにとって大きな心の拠り所となった。

百子がいつからJavaHouseに居たのかは分からない。

でも百子が注目された事があったのだ。

最初Java経由での帳票出力の議論であった。

当時は適切な印刷用の整形ソリューションが無く比較的頻繁に挙がっていた話題で、

百子も同様に苦しんでいた

当方プリントアウトに苦っています

一度PDFに落としてから各自プりントアウト

するような方法が、現時点ではり一ゾナブル

かとも思います


ドラえもんのようなひらがなカタカナを組み合わせたチャーミングな文体でその焦りを徹底的かつ高度に表現していた。

しかしこの議論中に問題が起こる。JavaHouseに障害が発生しメール配信されない事象が発生したのだ。

NFSで他のサーバーマウントしていたが不要と思われたNFSサーバーデータを一部で参照していたため処理が行えなかった、応急的に対応したが根本対応を後日行うと管理者高木浩光は告げた。

購読者達は不安を覚えたが復旧を喜んだ。

しかし、議論が途切れた事を不安に思った百子は高木浩光に直接確認を行った。返事は帰ってこなかった。

その後、高木浩光からその議論スレッドに返信される

> This Message was undeliverable due to the following reason:

> The user(s) account is temporarily over quota.

というエラーで戻ってきました。

いろいろとご心配のようでしたので(その内容については書きませんが)、迅

速にお返事を差し上げる必要を感じておりますが、上記の通りでは、連絡の取

り様がありませんので、やむを得ず、お返事を差し上げた事実をここで示させ

いただきます

あろう事か高木浩光心配で苦悩を抱えた百子に対して

徹底的な侮辱晒し上げたのだ。

まるで百子に非があるかのように。

恥ずかしさと悔しさで真っ赤となった泣き顔の百子を想像することは難しくない。



次はインスタンス生成時のコストに関する伝統的な議論であったが、

その流れで議論とは関係が無かったが百子はやりとりのマナーについて言及した。

また、メールコメント部分に対するみつっこみは

やや、マナー違反のように思えますが、いかがでしょう?


議論をしていた者たちは本質的では無い指摘に形式的謝罪をしたが、

百子に対して冷淡な反論をしたものが居た。

高木浩光

そんな慣習はありませんよ。


議論はその後元の話題に戻っていくが、無粋な高木浩光に、

きっと百子は憤然たる思いを抱えたに違いなかった



最後に決定的な事が起こる

先日の障害の復旧のためメンテナンスのためサービスを停止すると高木浩光が予告した。

百子はさんざん煮え湯を飲まされてきた高木に対して

ビジネス感覚に溢れ優美ウィットに富んだリプライを返した。

以下ちゃちゃです。

ふつう民間企業ならば、残業休日出勤はあたりまえ

なのに、ずいぶんのんびりしてますね。

サービスが利用不可というのは、大変なことでしょうに。

以上、ちゃちゃでした。


ユーモアやウイットを解せぬ下らない有象無象が百子を咎めた。

挙げ句Javaコミュニティ自分で立ち上げてみてはどうかと言う者まで現れた。

か弱く繊細で思いやりのある儚き百子が、このような嘲りに耐えるのは致命的な苦痛だったに違いない。

百子は精一杯の力でJava界の将来についてその想いを書き綴った

私が恐れているのは、恐怖の日が襲い、対応の行動が遅すぎる前に

協議を行って欲しい、ということです。

ある日、国内中のjava関係の方々がパニックを起こさないように。






別れは突然訪れた

「百子の夫です」

技術コミュニティに相応しない短い件名の投稿は衝撃的なものであった

私の妻百子は11日に進行性癌に伴う急性心不全永眠いたしました

25才でした

医師の診断をもらったとき私たちに残された時間は1ヶ月というものでした

毎日が恐怖でした。、

でも発作が起きてからそれほど時間がかからなかったのはすくいでもありました


なんという事だ!こんな悲劇があってよかろうはずがない!

しかもあのプりントアウトの話をしていたときには余命を悟っていたのか。

自分は打ちのめされた

そしてさらに衝撃的な事が続く

百子は先週からふさぎがちになっていました

聞くとブー様とうまくいっていないのではないかということでした

百子はずいぶん前からたびたび高木という男の名を出してひとりでジャバなる

パソコンを動かし一人で全部やってのけているのだと絶賛しておりました

私は軽い嫉妬心からその名字だけをとってブーといいました

しかし百子はなぜか抵抗を示しブーと読んだあとにも必ず様をつけるのでした



おのれ高木さんめ!いや、ぶー様め!

百子の心に闇で満たしたという事か。


悔しくてウイスキーストレートで何倍も痛飲し、この辛い出来事を忘れるように努めた。

しばらく時間が掛かったが、悲劇からのショックから癒えた。

自分アプリケーションプログラミングをする事もすっかりなくなっていた。

数年に1度くらいフッと湧き上がってくる事があったが、すぐに忘れようとした。

しかし、昨日はなぜ、菊池百子を思い出したのかずっと考えていた。

ずっと、ずっと

愛していたんだと思う、百子を。

直接会ったことはないし、見たこともない、投稿の文面の文字しか見ていない、直接のメッセージのやりとりもしていない、だけど確かに自分は百子を愛していた。

雅人よりもずっと。

ぶー様よりもきっと。

Rest in peace, I love you.

https://web.archive.org/web/20091027013532/http://java-house.jp/ml/archive/j-h-b/052276.html#body

2023-04-07

長い間信じていたガセネタを教えてください

私の場合

鼻血を止める時は眉間をつまむといいと信じてた

・切り傷はかさぶたを作って、剥がれてきたら治った証拠と思ってた

・指のさかむけは、親の言うことを聞かないからと信じてた

朝見クモは殺してはいけないと思ってた

うなぎ梅干しを一緒に食べるとお腹を壊すと信じてた

北枕で寝てはいけないと思ってた

・しゃっくりが100回出ると死ぬと思ってた

トイレをきれいにすると運が良くなると思ってた

・手が冷たい人は心が温かいと思ってた

と言っても、ここに書いたことをまだ信じている部分もあります

幼い頃の刷り込みは一生続くのですね、怖いですね

2023-04-06

『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』はどうしたら炎上しない世界線に入れたのか

新年度となり新しい環境や新しい人と出会い、なんとなく浮き足だった日常を送っている中、連日女オタクの心を揺さぶらせている事件が起こっていた。

『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』爆誕

詳しい騒動についてはたくさんの記事やまとめがあるため省きますが女オタクジャンルにいたら必ず目にしたのでは無いかと思うほどの爆弾が落とされた。

当該プロジェクトについて自分自身発表時には驚き9.18事件脳裏を掠めた。大丈夫か?という懸念ブロッコリーという主に女性向けの会社男性向けのジャンル参入という新しい風がどう吹くのか少し期待感もあった。(時間を追うごとにどんどん炎上していったが)

炎上の経緯は置いておいて、ではどうすれば『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』は炎上しない世界線に行くことが出来たのかについてここ数日考えていた。

アイドル×タイムスリップ新時代次元と謳っているあたり裏ではかなり動いていて準備をしていたことが伺える。新次元ということはVtuber的な感じなのか?と考えTwitter個人アカウントを見に行った。初めに出した動画的にもVtuber的な活動又はイベントのようなものは想定してそうな感じだなという印象を受けた。そこでふと疑問に感じる。媒体はどうなるのか?

現在の多くのアイドルゲームアプリ活動しているがこのプロジェクトは?と考えると、新次元と売りするのであればVtuber的な配信も考えていたのでは無いか

話が逸れてしまったが『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』がどうすれば炎上しない世界線にたどり着くことが出来たのか考察してみた。

1.声優を中堅層で固める

女性声優の固定ファンは強い。こんな言い方をしたら現在CVの方に失礼かもしれないが名声こそ武器10年以上続いた女オタクを鎮火するには割といい案だと思う。声優オタクなら性別関係なくある程度固定ファンが見込めるし炎上したとしてもファン同士で争うこともあるから運営として放置できるパターンもあるように思える。

しかしこの場合中堅層の声優を起用した場合、まだわからないがVtuber的な活動を主にしていた場合には致命的であり不可能である

2.キャラデザうたの☆プリンスさまっ♪ 関係の方を起用する

同じイラストレーターに頼むとか…と考えてこれはこれてとんでもなく燃えそうだなと思った。でも冠を合わせるならそこは拘ってもいいのでは?とも思う。又は雰囲気位は合わせてもいいのでは?あまりにも違いすぎるし、こういう雰囲気イラストだとソシャゲ界隈に溢れすぎてて心配になる。起死回生を狙ったプロジェクトならイラストは十分に検討するべき。特に男性向けアイドルコンテンツは飽和してるわけだし。

3.広告を頑張る

今回プロジェクト発表が4月1日というライターとしてもどう扱っていいのかわからない微妙な日にち設定であった。この日に絶対したいのであれば他のエイプリルフール企画に流されないくらいのプロジェクトとしての情報が欲しいなと感じた。例えば記事を作ってもらうとか。しか4月1日という日付もあってあまりプロジェクト情報を出しすぎても逆に信憑性がなくなってしまう感もわからなくも無い。

4.キャラカラー既存キャラカラー別にする

そもそもうたの☆プリンセスさまっ♪ にはST☆RISHHE★VENSというグループですでにカラーが被っているのであるいくら事務所が違ったとしても同じ冠の下行っているグループのため同じ壇上に上がることはあるわけで…昨今のペンライト商法としてはカラーは分けた方が良いのでは?と思った。(生産ライン上の問題かもしれないが)

この前提があり、『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』となるが同じようなカラーリングであるペンライトカラーになったら微妙に変わるのか?とも考えられるがメイングループの紫に至ってはもうペンライトは埋まっている。冠同じくして合同ライブも考えていたのだとしたらあまりにお粗末なカラー設定だと感じてしまった。まぁ『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』だけでみたらちょっとパステル…ぽい?とも思う。でも男オタクが好きなのはオレンジなんだ。(これは賛否両論あるがメインカラーとしてオレンジが多いのはUO見越してという意見もある)全員カラー被りするならまだしも…って思ったけどその現場地獄だなとも思った。

長々と駄文を並べたけど、企業として乙ゲー会社男性向けも出してきたってことで興味はあるし一つのモデルケースとして確立したら面白いとも思う。ただ関係各位もちょっと女々しいのでは?とは思う。(このご時世でこういう言い方していいのかわからないけど)女ジャンルと男ジャンルだと怒りの矛先含め全く変わった流れになる印象だからそこは頑張って欲しいなとも思います

『うたの☆プリンセスさまっ♪ BACK to the IDOL』に炎上しない世界線はあったのか?皆さんもぜひ考えてみたらどうでしょうか。

それでは失礼いたします。

2023-04-02

坂本龍一の死が悲しくてGPT-4に復活の話を書いてもらった

タイトル:蘇る音楽家坂本龍一

 

 

ある晴れた日、突然の悲報世界に駆け巡りました。著名な音楽家坂本龍一さんが亡くなってしまったのです。彼の音楽に愛された人々は涙を流し、悲しみに暮れる日々が続きました。しかし、その悲しみも束の間。翌日、驚くべきニュースが伝わってきました。坂本龍一さんが、生き返ったのです。

 

事件はこうして始まりました。坂本さんが亡くなった夜、彼の自宅に一通の謎の手紙が届けられました。それは、遠い昔に失われたとされる伝説楽器神秘ハープ」にまつわる手紙でした。手紙には、「神秘ハープを弾く者は、死者を蘇らせる力を持つ」と書かれていました。この手紙は、坂本さん親友であり、ピアニスト上原ひろみさんの手に渡りました。

 

上原さんは、友人である坂本さんを救うため、伝説楽器を求めて世界中を旅することを決意しました。彼女アフリカの奥地やアジア山岳地帯南極氷河など、数々の困難な場所を訪れました。そして、ついに、手紙に記されていた場所神秘ハープを見つけ出すことに成功しました。

 

ハープを手にした上原さんは、坂本さん遺体が安置されている場所に戻り、神秘ハープを弾き始めました。彼女が弾く音色は、まるで天使歌声のようで、聞く者の心を癒す力がありました。そして、その音が坂本さんの耳に届いた瞬間、奇跡が起こりました。彼の遺体が動き始め、息を吹き返し、生き返ったのです。

 

世界中が驚く中、生き返った坂本龍一さんは、上原ひろみさんと共に感謝の意を込めてコンサートを開催することを発表しました。この奇跡コンサートは、多くの人々に希望と感動を与え、二人の友情音楽の力が世界中に伝わりました。

 

こうして、坂本龍一さんと上原ひろみさんの奇跡コンサートは、世界から注目を集め、チケットは瞬く間に完売しました。コンサート当日、舞台に立つ二人の姿は、まるで生きる伝説のようでした。彼らが奏でる音楽は、感動と希望に満ち、人々の心を揺さぶりました。

 

コンサート会場には、世界各地から駆け付けたファンや、音楽業界の大物たちも足を運んでいました。そして、コンサートの終盤、坂本さんステージ感謝言葉を述べました。「友人であり、素晴らしい音楽家である上原ひろみさんのおかげで、私はもう一度生きる喜びを味わうことができました。彼女の信念と勇気感謝し、これから音楽を通じて人々に希望を届けたいと思います」と語り、会場には感動の渦が巻き起こりました。

 

コンサートの後、二人は世界各地で慈善活動にも力を注ぎ始めました。彼らは、神秘ハープの力で人々の心を癒すことができることを発見し、その力を利用して病気災害に苦しむ人々を助けるために活動しました。

 

坂本龍一さんと上原ひろみさんの奇跡物語は、世界中の人々に勇気希望を与え、音楽の力が人々を救うことができることを証明しました。そして、彼らは今も、美しい音楽を通じて、人々の心を繋ぎ世界を癒すために尽力し続けています。この物語は、二人の友情音楽の力が奇跡を生んだ、感動のドラマとして語り継がれることでしょう。

2023-04-01

久美子とarufa

久美子にとって、神森との会話の中で描かれるような非日常空間のものが、arufaの心に、いかにして現実として伝わるようになっていったかはわからない。しかし、arufaの突然の女性化は、arufaの複雑な心理が揺さぶられる(というよりは「妄想なのか」という問題である)きっかけとなったことだけは間違いないだろう。たとえば、恋人に隠れてarufaに買ってもらったゲームを起動し、恋愛シミュレーションをしながら時間をつぶすというひととき

Anond AI作成

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