はてなキーワード: 祈りとは
本家が40巻かけても描ききれなかった「憧れと現実、師弟愛と守破離、変わる決意と変わらぬ決意」の要素を半分以下の15巻で綺麗に描ききってしまった。
本家が下地を整えてくれた上にジャンプ+という打ち切りプレッシャーの少ない場所でのびのびとやれたおかげもあるのでしょうが、それにしたって物凄いことです。
日本中を飛び回るスーパーヒーローとしての決め台詞「私が来た」に対しての、地域密着型ヒーローとしての決め台詞「俺がいる」。この2つのヒーロー像が一人の少年の中で渦巻くことにより、世界を救う戦いと最愛を守る戦いに同時に挑ませることになっているのも面白いですね。
憧れの人に近づきたいというキラキラした雲を掴むような願いではなく、すぐ側にいる誰かを助けたいという気持ちの小さな積み重ねが光り輝く未来へつながるというストーリーも実に少年漫画として気持ちが良かった。
なにより私が評価しているのは、「俺がいる」がただの狂人の言葉で終わらないことです。
最初こそ迷惑なオッサンの決め台詞だった「俺がいる」は、次第に頼もしいヒーローの言葉となり、素朴なる祈りともなり、そして何よりも熱い誓いともなっていく、この過程の中で航一と読者の中でヒーローのあり方に対するステレオタイプな憧れが姿を変え、「何を守りたくて力を振るうのか」というかより本質的な問へと変わっていく構成が本当に巧みだ。
ヒーローとはなにか、どういったヒーローになりたいのか、なぜヒーローになりたいのか、なぜヒーローが必要なのか、ヒーロー社会の根源に流れる問が一人の少年の背中越しに一つの道として描かれる。
「個性社会におけるヒーローのあり方とはなにか」という難問に、ヴィジランテ(非合法ヒーロー)というタイトルを冠するにふさわしいだけの完璧な解答をしてみせたとても素晴らしい作品でした。
物凄い売れている。
そもそもヒロアカが売れていたからヴィジランテが生まれたわけですから。
ですが、一つの漫画として、少なくとも「ヒーローとはなにかへの回答」としては、ヴィジランテの方が一枚上手だったと私は思います。
最近Xのトレンドに「ひまそらあかね」関連のワードがほぼ常に張り付いている。
一応知らない人のために書いておくと、ひまそらあかね氏は2024/7/7の都知事選立候補者。
一般社団法人Colaboの会計不正問題などをはじめとする社会問題に積極的に活動しており、
いわゆる「闇を暴く」系の行動力・発言力が何倍もあるバージョンと表現すればいいだろうか。
その行動力の高さから支持する人も多い一方で、口の悪さにも定評があり、
また「琴葉茜」を彷彿とさせるオリジナル(と称する)キャラクターを使用していることもあいまって
多数のアンチを生み出している。
当然ながら上記で追及されている人権団体の支持者からも忌み嫌われている。
そんなひまそら氏だが、先日「政策集」と称するnote記事を公開した。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1
この記事に対する評価は、「やはりひまそら氏は素晴らしい!!」と手放しで称賛する声、
「こんなの政策じゃない」ととりあえず否定する声、とだいたい二極化である。
私は後者寄りなのだが、ひまそら氏の公約への否定の声は、中身のどこが問題であるのかを触れた
そこで、当該公約についての問題点を指摘しようというのが本記事の趣旨である。
批判内容について、他の場所ですでに追加の説明があるということもあり得るが、そこはご容赦いただきたい。
①公金チューチューを無くす
これがひまそら氏の最大の過去の功績であり、最大のテーマであろう。
「公金チューチュー」とは、要するに団体が不正に都から金銭支援を得ることなのだが、
それらの「公金不正問題を追及」できるのは「僕だけ」とした上で、「探し出して駆逐する」という内容である。
「公金チューチュー」は無くすべきであると思うし、その駆逐は都民にとって有益なことでもあると思う。
第一に、知事は会計監督権を有するので、いわゆる「公金チューチュー」の洗い出し・修正指示自体は可能であろう。
しかし、「公金不正問題を追及するのはしがらみのある既存の政治家には難し」い中、これらの問題に歯止めをかけることは可能であろうか。
知事の権限による予算案の再議については、地方自治法第176条に定められており、
議決から十日以内であれば再議に付することが可能であるが、出席議員の3分の2が賛成すればその議決は確定する。
すなわち、ひまそら氏が「公金チューチュー」を無くすためには、少なくとも
必要がある。これを実現するだけの人をひまそら氏は集められるだろうか?
加えて、これは「公金チューチュー」が織り込まれた予算案を否決するための必要条件である。
知事には予算案の提出権限があるが、それを通すためには議会の承認を得る必要がある。
それができずに知事と議会で膠着状態が続けば、当然ながら困るのは都民である。
Colaboについてひまそら氏が記事を公開し始めたのが2022年9月、いわゆる「WBPC」の4団体へと拡大したのが同年12月である。
一団体にこれだけの時間をかけていると、「駆逐」にはどれだけの時間を要するのであろうか。
当然、一次資料の入手しやすさ、話題性が高いことによる引き延ばし戦略などもあろうかとは思うが、
どの程度の期間で精査を完了するかについては、是非スケジュールを出していただきたいものである。
さらに、ひまそら氏は公金不正問題に関して、「抜本的改革」を行うとしているが、
その具体的な内容については触れていない。
現状では、予算については監督権を有する知事と、その補助機関である監査委員・監査事務局、
それにもかかわらず、暇空茜氏が追及している問題については、これまで取り上げられることが無かったのは
何に起因しており、「第二、第三の暇空茜」を生み出さないようにするためにはどうすれば良いのか。
「のり弁」のない公文書の開示は確かに一つの手段とはいえるだろうが、それが「抜本的」であり、
必要十分であろうか。
還元そのものは良いとは思うのだが、いくつか問題点を指摘したい。
地域振興のためにデジタルクーポンを発行している自治体は多数存在する。
例えば、兵庫県養父市では市民1人あたり3,500円をのデジタルクーポンを支給している。
(これはカードを利用したもので、ひまそら氏が挙げているアプリを利用したものではないことは留意が必要)
他にも「デジタルクーポン 自治体」で検索すれば、プラットフォームが多数ヒットする。
このことからも、デジタルクーポンの発行自体はなんら目新しいものではないと言えよう。
ひまそら氏は、「映画どれでも1回無料チケット」や「ファミレスどこでも家族一人につき千円チケット」
映画に興味が無い人は映画を見に行かないであろうし、健康に極めてうるさい人はファミレスに行かないであろう。
映画、ファミレスは「多くの人が喜ぶであろうもの」として挙げたのであろうと推測される。
これがたとえば「ジム」や「エステ」、「釣り用品」など、よりニッチなものになればどうだろうか。
これら全てに喜べる都民はどれだけいるだろうか。
であれば、用途を限定せず、都内の対象店舗であれば何にでも使えるクーポンとした方が良いのではないだろうか。
わざわざ用途を限定したクーポンを発行することに合理性はあるのだろうか。
たとえ広いジャンルの決定であっても、必ず恣意性は生じるものである。
このような恣意的な決め方では、利用者のみでなく、企業からも不平不満の声があがることが
容易に想像可能であるが、どのように対応する予定なのだろうか。
なお、ルール策定において「利権癒着防止」を行うと掲げているが、
その具体的な方策についてはやはり述べられていない。
ひまそら氏は自身の経験を活かし、「東京都クーポンアプリを設計運用」すると述べている。
まず、地方自治法149条に規定される職務には該当しないと思われる。
また、地方自治法142条は、知事が自治体の請負人となることを禁止している。
恐らく法的な抜け道のようなものはいくらでもあるとは思われるが、ご教示を願いたいところである。
システムの設計運用の仕事自体を否定するつもりはさらさらない。必要な仕事である。
ひまそら氏の肝入りの政策だからこそ深く入り込みたいという考えも分からなくはない。
だが、それが知事としてあるべき姿なのか。
知事が公共工事最前線でショベルカーを運転していたら、その仕事がどれだけ素晴らしいものでも
「知事が何をやっているんだ」と思うであろう。構造としては同じようなことだと思う。
先述したが、そもそもアプリについては既存のプラットフォームは複数存在している。
はっきり言えば車輪の再発明である。これらのプラットフォームに勝るような新奇性・安全性を
担保できるのであろうか。
また、「ソーシャルゲームの設計・運営」と「クーポンアプリの設計運用」は大きく異なるように思われる。
この点については特に疎いので強い言葉は避けるが、経験は活きるとしても
それほど簡単に応用が利くものであるかは、専門家諸氏に伺いたい。
③政治献金の一切を受け取りません。
ただし、掲げる政策としては弱いように感じられる。
しかし、これによって「癒着」が無くなるかといえば話は別である。
他の都議会議員が献金を受け取っていれば「癒着」が生まれる可能性はある。
この可能性をどのように消すのか。「公金チューチュー」の項でも述べたが、
また、ひまそら氏は裁判のためにカンパを募っているが、これは紛れもなく献金である。
もちろん政治活動のための献金ではないため政治献金とは言えないが、
知事としてカンパに申し込んだ人に利する行為をすれば、紛れもない「癒着」といえよう。
ひまそら氏には、カンパに申し込んだ方々に利する行為は決してしない、と明言をお願いしたい。
なお、上記カンパの募集をしているひまそら氏が、自己財源で政治活動を行えるのかは
疑問の残るところではあるが、批判すべき内容ではないだろう。
一点目は、ひまそら氏を否定する方々へ。
気に入らない候補者だからといって、頭ごなしに否定するべきではない。
それができないなら黙っておいた方がいい。
二点目は、ひまそら氏を支持する方々へ。
さすがに盲目的に肯定しすぎではないか。私が批判した内容は一回でも頭に浮かんだのか。
この記事の内容を見て、じっくり考えてみてほしい。
私も的外れな批判をしているかもしれないので、もしもそうであれば指摘してほしいし、
真っ当だと思えば支持者として批判してほしい。
それができず、「小池/蓮舫/石丸陣営の仕込んだサゲ記事だ!」というのであれば、もう何も言うまい。
三点目はひまそらあかね氏へ。
政策の策定にあたって恐らくリーガルチェックはかけているとは思うが、
本記事での批判については、YouTubeやらXやらnoteやらでぶっ叩いていただいても構わないので、
疑問を解決する方向なり、方針を修正する方向なりで動いていただけると幸甚である。
普段の口の悪さを2段階ぐらい下げていただけるとよりありがたい。
その上で、これまで否定こそあれ、批判が少なかったことには警戒心を抱いていただきたい。
今の支持者だけでは選挙に勝てないのは明白なのだから、より支持層を広げなければならないが
その下地ができていない。政策を見てくれてさえいないのだから。
とても良い話だったのでトラバを書かせて下さい。
「犬より下か」の書き出しで「お犬様が上に決まっているだろう!」と一瞬思ってしまったけど(すいません)、動物を愛する心を持った大変素晴らしい増田で感銘を受けました。
結婚前にも彼女さん家に沢山あそびに行って、新しい家族として覚えてもらったら良いと思います。
犬が亡くなって結婚した後も、二人の思い出として犬は生き続け、二人の絆の一つになってくれるでしょう。
わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
とても良い話だったのでトラバを書かせて下さい。
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わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
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「犬より下か」の書き出しで「お犬様が上に決まっているだろう!」と一瞬思ってしまったけど(すいません)、動物を愛する心を持った大変素晴らしい増田で感銘を受けました。
結婚前にも彼女さん家に沢山あそびに行って、新しい家族として覚えてもらったら良いと思います。
犬が亡くなって結婚した後も、二人の思い出として犬は生き続け、二人の絆の一つになってくれるでしょう。
わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
あるところに三人のモテない独身男性がいました。田中一郎、山田二郎、鈴木三郎。彼らは高校時代からの友人で、それぞれ違った背景を持っていますが、女性との交際歴がない点で共通していました。
一郎は内閣総理大臣の長男であり、エリート官僚として働いていますが、女性との交際歴はゼロ。二郎は東大卒の天才プログラマーで、年収は高いものの社交的ではなく恋愛経験は皆無。三郎は成功した投資家で億万長者ですが、女性とは縁遠い生活を送っていました。
ある日、三人がいつものようにカフェで集まっていると、元気な小学生の女の子、舞響(まいきょう)美月が駆け寄ってきました。彼女は退魔師の家系に生まれ、舞響大天という神様を信仰していると話しました。美月は町で起こっている奇妙な現象に困っており、三人に助けを求めたのです。
「おじさんたち、助けて!最近、町で変なことがいっぱい起こってるの。おじいちゃんもお父さんも忙しくて、私だけじゃどうにもできないの」と美月は真剣な眼差しで言いました。
三人は驚きながらも、美月の熱意に押されて、彼女の頼みを聞くことにしました。こうして、三人と美月の奇妙な冒険が始まったのです。
美月の案内で、三人は町のあちこちを調査しました。奇妙な現象の一つは、古い廃墟での怪しい光や音でした。美月の祖父から聞いた話によれば、そこには悪霊が封じられている可能性が高いとのことでした。
廃墟に到着した三人と美月は、不気味な雰囲気に圧倒されながらも中に入る決意をしました。中に入ると、そこには古びた祭壇と奇妙な模様が刻まれた床がありました。美月は持ってきた退魔道具を取り出し、準備を始めました。
美月の指示に従い、三人は祭壇の周りに配置されました。美月が舞響大天に祈りを捧げ、呪文を唱え始めると、祭壇が輝き始め、部屋全体が震えました。三人は恐怖に怯えながらも、美月を信じて立ち続けました。
突然、祭壇の上に黒い影が現れ、悪霊が姿を現しました。美月は退魔の剣を振りかざし、悪霊に立ち向かいました。一郎、二郎、三郎は美月を守るため、力を合わせて悪霊に立ち向かいました。
激しい戦いの末、美月は退魔の剣を悪霊に突き立て、封印を施しました。悪霊は悲鳴を上げながら消え去り、廃墟は静けさを取り戻しました。三人は疲れ果てましたが、美月は笑顔で言いました。「ありがとう、おじさんたち。これで町は安全だよ!」
しかし、その後、町では別の不幸が訪れました。美月が悪霊との戦いで力を使い果たしたため、彼女の体には大きな負担がかかっていました。彼女は徐々に体調を崩し、入院することになりました。医師の診断によれば、美月の回復は難しいというものでした。
三人の弱者男性は、美月を救うことができたものの、彼女の健康を犠牲にしてしまったことに心を痛めました。彼らは美月の見舞いに通い続けましたが、彼女の体調は改善せず、次第に意識も失われていきました。
ある日、美月の病室で、彼女の家族が集まりました。三人はその場に立ち尽くし、何もできない自分たちに無力さを感じました。美月の父親は三人に感謝の言葉を述べましたが、その瞳には深い悲しみが宿っていました。
美月が息を引き取ったその日、三人は静かに病室を後にしました。彼らはそれぞれの生活に戻りましたが、心の中には美月との思い出が深く刻まれていました。
三人は友情を深めながらも、再び同じようなことが起こらないようにと誓いました。彼らは定期的に美月の墓を訪れ、彼女の冥福を祈りました。美月との永遠の別れを受け入れながらも、彼女の勇気と優しさを忘れないように心に刻んでいました。
しかし、美月の両親は三人に対して深い恨みを抱いていました。彼らは三人が美月を無理に危険な状況に巻き込んだと信じ、娘の死の責任を追及しました。三人は町の人々からも冷たい視線を受け、孤立していきました。
そもそもセックスって別に気持ちよく無いんだよね、睡眠時間も削られるし。メリットといえば自分で気持ちよくなってる相手の姿を見て精神的に満足するくらい。
シリンジ法を男性側から提案するのはすごくありがたいし偉いと思います。別にセックスしたくない側からすれば精子の輸送経路なんてチンコを経由しようがシリンジだろうが何でもいいので。
>思えば付き合い始めてから妻から誘ってもらう事など殆どなかった
これが奥さん側の気持ちの全てだと思います。そもそもしたいと思ったことがない人は誘うこともしません。
これは奥さんに伝えましたか?こういうこと言われたら嬉しいと思いますし、幸せな気持ちになるのであればしてもいいかなと思うかもしれませんね。
別に見下してませんよ。
あなた方が勝手にコンプレックスを刺激されて見下されたような気持ちになっているのではないでしょうか?
ネットは無料で出来て、怒りは貧乏人の娯楽ですので、こうやってイライラするのも楽しみの一つなのかもしれませんが
そんな悪癖からは一度離れて、運動することをお勧めします。ジムで汗を流しましょう。お金がないなら家で自重トレーニングしましょう。
犬。お前が死んでから、もうすぐ5年が経とうとしています。5年も経つのに、いまだに私はお前を忘れることができず、毎日のようにお前の名を呼んでしまいます。
犬。お前が我が家に来た日に割と大きな地震が起こりました。段ボールに入れられたお前ごと家族みんなが外に逃げ出しましたが、お前には何のこっちゃだったと思います。あと、家に来たばかりのお前はまだ両耳が垂れていて、それを抜きにしても可愛すぎて最初は七味と名付けられる予定が満場一致で棄却されたことをお前は知らないでしょう。
犬。お前は人のズボンの裾を噛むのが好きでしたね。そのせいで私のジーンズは裾がズタボロでしたが悪い気はしませんでした。お前がポケモンの攻略本を齧り尽くしてしまった時はさすがに泣きました。けど、お前の噛み癖はいつの間にかなくなっていましたね。
犬。お前の体力が無尽蔵の頃、私を散歩に連れ出して2時間も歩きましたね。互いが互いに譲らず、時には私が折れ、時にはお前が折れてを繰り返しての長時間の散歩でした。家族は私たちが行方不明になったと言って、警察に通報する一歩手前だったそうです。
犬。お前の耳かき係は私でしたね。お前は耳が痒くなると、私の前に来てわざとらしく耳を掻き、「ん"〜〜〜〜っ」と声を上げてアピールをしていましたね。私が耳かき用のウエットティッシュを取った後、待ってましたとばかりにあぐらをかく私の股に顔を突っ込み、耳掃除をさせてくれたこと、信用されているのだと感じてちょっと嬉しかったです。
犬。お前は撫でられるのが好きな犬でした。新聞を読む人間に撫でてほしくて新聞の上に居座ったこと。人間の小脇に頭を突っ込んで味噌汁をぶちまけさせたこと。撫でてくれないと吠えてアピールをしたこと。撫でたら撫でたで「そこは違う」とガウガウしてきた時のこと。犬と一緒に生活をする際の嬉しい出来事のひとつでした。
犬。お前は人間のご飯も大好きな犬でした。けど、塩分過多になったり与えてはならない食材が使われていたので与えることはできませんでした。しかし、犬よ。お前は背後からひっそりと近づき、隙あらば飛びついて盗み食いを働きましたね。私のトーストを丸ごと一枚食べた際のお前の顔は北大路欣也のようでした。
犬。お前がMAXおデブちゃんになった時、確か18キロの大台を記録しましたね。玄関の昇り降りができず、情けなく人に助けを求める姿は可愛かったですが、さすがに太りすぎました。お前の重さに家族の腰が負け、壊れたことも今では良き思い出です。
犬。夏になるとお前の息遣いでクーラーをつけるか否かを決めてしました。例え人間が快適に過ごしていても、お前が暑そうにしたらクーラーをつける。でも、お前がいなくなった今は30℃を越えない限りはクーラーをつけません。今、これを書いている時は34℃ですがクーラーはついていません。
犬。夏にお前と散歩に行く時、人間は一度裸足になりました。お前と共に外に出る前に素足でアスファルトの熱さを感じ、お前の肉球が火傷してしまわないかを確認するためです。だからなのでしょうか。真夏の昼間に犬を散歩させている人間を見ると殺意が芽生えます。
犬。お前は人間がサッカー観戦している時、誰からも相手にされないと分かると骨っ子をカジカジしたり、ふて寝をしていましたね。そして、ゴールが決まり人間が盛り上がると共に声を上げて暴れ回りました。多分、お前は意味が分かっていなかったと思いますが、お前のその反応は間違っていません。あと、人間はチャンスシーンになるとお前のおててを握ってお祈りをしていました。
犬。私が就職で一人暮らしを始めた頃、毎日のようにお前の写真をせがみました。やっぱり犬のいない生活は寂しいと思ったのです。あと、お前のご飯は私がお金を出していました。でもお前はそのことも知らず、毎日2食のご飯をモリモリと食べていましたね。ちなみに、1ヶ月5000円でした。
犬。お前はケツのポリープが爆発して手術をしましたね。手術の際にケツ毛を刈られ、結果として毛根も刈られて死ぬまで毛は生えてきませんでしたね。
犬。お前は私が帰省しても歓迎のひとつもしませんでしたね。最初の頃は私を不審者と見做し、吠え散らかしていましたが歳を重ねるごとに吠えることはなくなりました。けど、私を見るたびに「だれ?!」という顔をされたことは未だに納得していません。
犬。お前が死ぬ1週間ほど前、家族から連絡が来ました。お前がもう余命僅かであると知らされて、車を飛ばして会いにいったことを覚えていますか。半年ぶりに会ったお前の頭が車のシフトレバーほどの小ささになったことに私は驚き、こんなにも年老いたのかと愕然としました。以前のお前の頭は、少なくとも手のひらでは収まりきらないくらい大きかった。それがもうこんなに小さいなんて。
犬。お前は死ぬ前に何も食べられなくなっていたみたいですね。私がお前に会うために帰った日、千と千尋の神隠しで千が竜の姿になったハクにしたように、人間が口を開け、口の中にご飯を入れることでしかご飯を食べられませんでした。それだけ、お前は弱っていたんですね。
犬。お前が死んだのは、私がお前に会いに行ってから3日経った日でした。お前が死んだ時、私は仕事をしていました。社用車の中で一人で泣きました。社会人になって初めて泣きました。人生の半分以上を共に過ごした犬でした。語り尽くせないほどの思い出がたくさんあります。今もスマホのフォルダにはお前の写真がたくさんあります。なのに、お前の葬式に立ち会えなかったことを今でもすごく後悔しています。
犬。死ぬ前のお前と最後の挨拶はしたけれど、死んだ後の最期のお別れを言えずに骨となったお前と対面した私を許してください。
犬。お前が死んだ後、夢を見ました。死んだはずのお前が、みんなが集まる部屋にやってくる夢です。私が「お前、死んだはずじゃ」と言うと、お前はまるで自分が死んだことに気づいていなかったのか、「そうだったわ。俺、死んでたわ」みたいな顔をして私の前から立ち去る夢です。目が覚めた後、私は悲しくて泣きました。
犬。お前が死んでから何度も他のコーギーを見てはお前に似ているかどうかの話をしてしまいます。新しく迎え入れようかとも思いました。でも、私はお前がいい。新しく迎え入れるとしても、お前がいい。お前でなければ駄目なのです。お前でなければ、迎え入れることなどできません。お前の代わりはいない。だから、お前のケージがあったところには、今もお前の仏壇が置かれています。お前が寂しくないように、誰かが何かしらのお裾分けをしています。お前の大好きなお菓子も、生前は食べられなかったポテチもチョコレートもケーキも置いています。死んだ後なら、何を食べても問題はないでしょう。
犬。お前がいなくなって、人間はお出かけしてもすぐに帰って来たり、毎日早起きをしたり、悪天候の日も外に出る必要はなくなりました。お前の抜け毛で服がとんでもなく汚くなることも、お前の襲撃に怯えながらご飯を食べることも、床に雑誌や新聞を置いても良くなりました。でも、お前がいないと寂しい。やっぱりお前がいないと寂しいよ。5年が経つ今でも、お前に会いたい。
先週の日曜。
コンビニへ行くために人通りの少ない道を歩いてたらマンションの玄関で這いつくばって地面を叩いてる若い男がいたのよ。
びっくりして周りを見渡したらおじさんがじーっとその人を見てたのね。
その時俺は勝手に
おじさん=お父さん
と決めつけてしまったのよ。なんかあって駄々こねてんのかなーって。過去にそういう場面を見たことがあったから。
なんか変だなーって思ったけど、そのままコンビニ向かってしまった。今思えば、ここでおじさんに一言確認すればよかった。
でもコンビニに到着した瞬間、
「よくよく考えてみるとあれ障害者だったのか?あのおじさんが家族だって確認もしてないし、もしかしてヤバいんじゃないか?」
さっきのおじさんが救急隊と話してたからおじさんが救急車を呼んだらしい。
面倒ごとに巻き込まれたくない、知らない人と話したくない、という理由で勝手に自分に都合のいいストーリーを作り上げて人の命を危険に晒してしまった。
俺が咄嗟に動いて救急車呼んでたら、あの若者はおじさんが呼ぶより数分早く病院に行けたかもしれない。
以前、牛丼屋の前で倒れている人がいたときは助けられたから俺は咄嗟に行動できる人間なんだって思ってたけど違った。その時は周りに誰もいなかったから動けただけだった。
人の目があるだけで動けなくなってしまう情けない自分に気づいてしまった。
俺は妊婦の方や高齢者に席を譲るのも緊張するんだ。ちゃんと譲ってるけど譲る前にめっちゃ気合い入れて譲ってる。
人の目を気にせず正しいことができる人間にならなければ。
火の鳥に、主人公の肉体が朽ちてからも霊体(?)になって、新たに発生した文明を見守ってる話があった。
なんか雨乞いの儀式を見て、「それは祈りが通じたんじゃなく、火によって上昇気流が発生しただけなのに……」って科学的知識から神様目線でこぼすシーンがあった気がする。
あれ未だに納得いってない。
焚き火程度で雨が降るなら、山火事なんか起きた途端に鎮火するじゃん。小学生ながらにそんな訳ないやんって思った。
なんなら、これがいつか生命になればいいね的な感じで何かしらの物質をひとつまみだけ海に撒いて本当に生命が誕生したのもあんまり納得いってない。
まあこっちは本当にそれきっかけで生物が誕生したのか作中で言及されてたか覚えてないけど。
現実でもそこは色々な推測があるらしいし。インテリジェントデザインにしても、じゃあその存在はどうやって生まれたんだよって話だし、本当に奇跡的な偶然で誕生したのかも分からんけど。
一度目(本当に一度目か?)にたまたま今のような世界が形作られたというのなら、今こうやって存在する世界が何より証拠だし、まあそういう偶然もあるのかなって思えなくもない。ただやっぱり二度も同じ運命を辿るとは到底思えない。
100回お祈りされましたな
プロダクトのドキュメントはそういう理解でいいんだけど、取引先や同僚との指定や要求のやりとりは言語ベースなんで
救いがほしい。救いって何?幸せとは。カップスープをかき混ぜながら、渦の真ん中を見つめている。救いとは幸せなの?一瞬のまばゆい光なの?まばゆい光に包まれて、自我を失いながらたゆたうこと?そんな刹那な感覚なの?渦に巻かれた光がキラキラ形を変える。分厚いマグカップはほんのり温かい。私が欲しいのは光なのか温度なのか、あるいはまた別のものなのか。スープに口を近づけると、湯気が目を包む。あたたかい、しかし救いとは違う。飲むとスープは胃に落ちる。今度は胃が温かい。あ、これが救いかもしれない。救いは体の内側を温めてくれることだ。現実的にこれを得るにはどうすればいいのだろう。考えると眠くなってきた。カップスープの中の光に吸い込まれて、光だけの世界に行けたらどれほど楽だろう。眩い万華鏡の世界を落ちていく。明るくて永遠で無意味な、時間と体を持て余し、やがてどうでも良くなって、ただ光だけがある。そんな世界によろけた精神を温かなお湯が連れ戻す。ああ、ここだ。この世界が私の住む場所だ。救いはここに。見失うことなかれ。定刻に、祈りを込めて用いよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080227
https://web.archive.org/web/20170710060735/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201205
「キミは、ハイ、コレ。」って渡されたので、多分漫画家つながり。
はるばる和歌山から参加した別の友人に、プレゼントしておきました。
ちなみに、一等賞は「生ハム脚ごと!!」だったのですよ~。
結婚パーティーはいつも、主催者の個性が感じられて楽しいです。
久々の友人にも会えて嬉しかった。ほんとにおめでとう~!
おめでたい続きで、お友達の作家さんが「講談社漫画賞」を受賞されまして。
字画多過ぎるかな?と、漫画賞名はずしたら、シンプル過ぎるプレートに
なっちゃいましたけど。まずはささやかに。祭りはこれからですよ!
ちなみに、テリーヌ専門のお店だったのです。
なんて色鮮やかで繊細な!女性で集うのに、ぴったりなお店でしたよ。
地味な生活に戻りまーす。
2
日記---
うちに、ニャンコが来ましたよー。
やたら懐っこくて、仔犬みたい。こんなもの??
グーグー寝ているよ。
肉球♡
どうでもいいけど、家の階段から軽く滑り落ちて、尾骶骨打ちました。(私が)
血出とるがな。こんなんばっかり。
2
日記---
最近、ライアン・ゴズリングが好き過ぎて、オロオロしながら
「ドライヴ」と「スーパー・チューズデー」をハシゴしてきましたよ。
下絵頑張るぜ!週間なのにな。
役によって、ものすごくカッコ良く見える時と、心底情けなくカッコ悪く見える時とが両方あって、
(旬のイケメンに対してなんだか失礼)、コロコロ全く別人に見えたりもして、
そこがスゴイな~って思うのですよ。好き。
単純に、出演作が軒並み好みだってのもあるんですけど。
生々しくて、ある意味とってもエグいんだけど、
尚更「キラキラした瞬間」が胸に焼きついて離れない。
同時に終わる恋なんてない、罪悪感と執着と惨めさと、愛着と嫌悪感。
古くて新しい、スタイリッシュでキッチュな、ちょっと不思議な映像美。
実は、血みどろ超苦手なので、ビクビクしながら薄目開けて観ましたよ~。
もう一度確認したいシーンが数ヵ所あるんだけど、多分もう観れない。。
精神的に痛いのは平気なんだけど、物理的に痛いのはイタイイタイ!
1
本・映画---
花とハーブの種をいっぱい買いました。
今からこれらを屋上の芝生の上に、てきとうにふり撒く(蒔く、じゃなく、撒く)
あとは勝手に逞しく、すくすく育ってくれたらいいのになあ~~~と
雑草が、すくすく育ってるので、ハーブだってすくすく育つ。。ハズ。
たぶん、頼めば芝生を張りかえて貰えると思うんだけど、
1
日記---
んもー頭からはなれなくってですねえ。。
私、洋楽疎いので、誰の曲だか分からんで。メモも取らずに帰って来ちゃって、
しまった~失敗した~~って思ってたんですが。
たまたま、レンタル借中の映画「Crazy,Stupid,Love」を観てたら、
barのシーンで聞き覚えのあるその曲が。。。!
Miike Snowの「ANIMAL(Mark Ronson Remix)」って曲でした。
これを聴いたら、あっという間にリゾート気分ですヨ!
おそらく私だけ。パブロフの犬的に。
当分ヘビロテだな~。
アーティスト名「Miike」は、三池崇史監督由来だそうですね。
三池監督と言えば、大森南朋出演「殺し屋イチ」ですよ。。(脱線)
映画「Crazy,~~~」も、キュートでみっともなくて愛しくて切なくて、大好き。
ちょっと出来過ぎなストーリー展開なんだけど、可愛いから無問題。
かわいい最強。
少年少女カップル?の、ラストシーンが、ちょっとたまんないです。
2
本・映画---
皆、元気かなあ?
表面的には、淡々としてたと思うけど。
自意識過剰だったんだろうな。
ほとんどそれで、カタがつくような。
今もまだ、残ってるとこあるけど。
餃子作ること。(食べるのにハマってるわけじゃない。)
市販の方が美味しくて、ムキ―!\(◎o◎)/!(負けず嫌い)
あとは、ライアン・ゴズリング。
写真上手になりたいなあ。
もっと美味しそうに撮ったり、綺麗に撮ったりしたい
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
ありがとうございました。
色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、
私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、
きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。
この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係を再確認し、
ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることは
ありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、
ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。
ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります。
「セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。
自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい
という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、
ドラマ化のお話をいただき、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただきながら、
最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。
「セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない
作品であることと、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただいた結果として、
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、
まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、
原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して
大変失礼な条件だということは理解していましたので、
「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに
何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
・漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。
・個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた
別人のようなキャラクターに変更される。
・「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、
大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、
納得のいくお返事はいただけない。
といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口は
プロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として
どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、
残念ですが私達には知る術はなく、
当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という
その頃には私も相当疲弊していました。
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、
結果として、日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は
9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、
脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、
という解決策となりました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、
ドラマの制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画とドラマを愛してくださった
2024.1.26
※こちらのブログ、10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…
なので今回、X(旧Twitter)新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます。
@ashihara_hina
お仕事---
テストです
----
実は今発売中の『cocohana1月号』予告にミスがありまして。
本当に申し訳ないです。
夏くらいから体調崩してばっかりなので、しっかりリセット出来ると良いなあ~。
あとは、ずっとお世話になってたcocohanaの担当さんが他誌に異動されて
cocohanaでの初めての担当替えがありました。さすがに寂しいなあ~。
色々有難うございました!
1
お仕事---
3冊同時に発売中です~!!
「Bread&Butter]2巻は、水色に近いエメラルドグリーンの表紙です。
可愛く仕上げて頂いて、とても嬉しい。
2巻は「フレンチ・トースト」「イースト菌」「プレッツエル」「パン・サプライズ」ですよ~。
あと、「芦原妃名子傑作集・1・記憶」と「芦原妃名子傑作集・2・祈り」も同時発売です。
これ、一応私の20周年記念本なのですよ。なのでほぼ過去作で構成されてます。既刊コミックス未収録の新作は「乞う女」と「スゴロク」のみなので、どうぞお間違えの無い様、お気をつけくださいませ~。
途中お休みもしてるので、20周年といっても若干サバ読んでる気がしないでもないですが、、
一作一作コメントも書いてますので、興味のある方は手にとってみてくださいね。
1
お仕事---
2014.07.16 Wednesday02:13
原稿終わった~~! とりあえず、いっぱい遊ぶ!
1
おやつ---
2014.07.06 Sunday00:36
7月19日(土)発売です!
どうぞよろしく~。
詳細はまた後ほど。
1
お仕事---
2014.06.08 Sunday04:44
ほったらかしてました。ごめんなさい、、、。
ずっと調子のおかしかったPCを買い換えて、すさまじくメカオンチの私は
えーーっと、まず・・今発売中のCocohanaには、私のパン漫画は載っていないのですが、
私自身は特にお休みを取っていたわけではなくって、小学館さんでの別の読み切りを描いておりました。
なぜか、、なぜか、、「ビッグコミック オリジナル」に載りますよ!!
少女マンガ絵ど真ん中の、私の漫画が!なぜか!オリジナルに、、!!
昔、うちのお父ちゃんが読んでたよ、、。今も読んでるか知らないけど、黙っとこ。
なんでオリジナルに描くことになったかは、たいした理由もないんですけど、省略。
ちょっとした珍事件ですので、興味のある方は是非読んでみてくださいね。
パン漫画は、なるべく「業」とか「欲」とかを排除しながら描いてるのですけど
(出来るだけ「優しいモノ」を、、との注文を頂いてスタートした漫画なので)
「Bread&Butter」は、6月28日発売Cocohana8月号より巻頭カラーで再開です!
あ、あと、「砂時計」1~3巻(デジタル版)が、6月18日まで無料で読めるみたいです。
未読の方は是非、この機会にご覧くださいませー。
少し前、小学館の編集さんに、美味しいパンを沢山いただきました。
美味しい、、。へんしゅうさん皆やさしい、、悲しス。
1
お仕事---
2014.03.22 Saturday05:07
「Bread&Butter」第1巻☆3月25日発売です!
宜しくお願い致します
1
お仕事---
悲しい出来事がありました。。
土曜の最終で「ダラス・バイヤーズクラブ」を観て、余韻冷めやらぬまま売店のレジに行き
「パンフレットください、、」とつぶやいたら不透明の袋に入ったパンフレットをお姉さんに手渡され
中身を確かめないまま自宅に帰って袋から取り出してみましたら。。
なんでやねーーーーん!(500円返して~~~!)
せっかくなので「マチューテ・キルズ」のパンフレット読みましたけども、
私が観たのは「ダラス・バイヤーズクラブ」です。ハイ。
マシュー・マコノヒーもジャレッド・レトも凄かった。
描かれるのは、「生」に対するあまりに真っ直ぐな執着心。
「執着心」って、あまり聞き心地の良い言葉ではないけど、やっぱりもの凄いエネルギーを生むんですよね。
屈折してると痛々しく映るけど、ストレートな執着が爆発する様は、むしろ爽快。
主人公はあくまで自己中で自業自得で貪欲で、だけど彼のエネルギーが周囲を巻き込んで救済し感謝され、そのこと自体に戸惑いながら少しづつ他者との絆を得て行く描かれ方が、とても良かった。
自堕落な過去の自分を全て否定して、綺麗に生まれ変わったわけではないんですよね。
差別する側だった人間が、差別される側に転げ落ちる様は、「第9地区」と被るな。
パンフレット、、、。声が、小さかったのかな。
もっと腹の底から声を出して、強くたくましく生きようと思います。
うちのお姉ちゃん家に子ニャンコがやって来ました!
1
本・映画---
「オンリー・ゴッド」観てきました。
「復讐モノ」だと思ってたけど、違ってた。「親殺し」が主軸。
「ドライヴ」より私は好きでした。
母親より更に偉大な「神」が、新たな依存先に見えなくもないけれど。。
戦いを挑んでコテンパンにやられて裁かれて赦されて、救われたのかな?
「親殺し」はどうしてもパターン化してしまうけど、それほど普遍的なテーマなのかもしれないです。
バイオレンス描写より、KARAOKEシーンのがインパクトでかかった。
一人殺したら、腕一本。マイルールに則って無感情に淡々と人を裁いていく様は、
「神様」って言うよりも、「法」とか「規則」とか、そんな感じ。
人に勧めにくい。私は好きだけど。 <h3>o- **</h3>
パンをチマチマいっぱい描きました。
デザイナーさんが考えてくれたカバーデザインがとっても可愛いので、
仕上がりが楽しみです♪
「Bread&Butter」コミックス第1巻は、3月末発売予定です!
また、改めてお知らせしますね。
[芦原ブログ魚拓コピペ]2014.2.2〜2024.1.26
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
ありがとうございました。
色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、
私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、
きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。
この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係を再確認し、
ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることは
ありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、
ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。
ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります。
「セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。
自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい
という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、
ドラマ化のお話をいただき、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただきながら、
最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。
「セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない
作品であることと、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただいた結果として、
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、
まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、
原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して
大変失礼な条件だということは理解していましたので、
「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに
何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。
・漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。
・個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた
別人のようなキャラクターに変更される。
・「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、
私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、
大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、
納得のいくお返事はいただけない。
といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口は
プロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として
どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、
残念ですが私達には知る術はなく、
当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という
その頃には私も相当疲弊していました。
そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は
8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、
私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。
特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、
ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、
「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフを
「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、
といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、
それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が
数回繰り返されたと聞いています。
最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との
指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。
ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、
本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、
何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。
9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、
時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、
当初の条件としてお伝えしていた通り、
「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、
結果として、日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は
9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、
脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、
という解決策となりました。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、
ドラマの制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画とドラマを愛してくださった
2024.1.26
※こちらのブログ、10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…
なので今回、X(旧Twitter)新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます。
@ashihara_hina
お仕事---
テストです
----
実は今発売中の『cocohana1月号』予告にミスがありまして。
本当に申し訳ないです。
夏くらいから体調崩してばっかりなので、しっかりリセット出来ると良いなあ~。
あとは、ずっとお世話になってたcocohanaの担当さんが他誌に異動されて
cocohanaでの初めての担当替えがありました。さすがに寂しいなあ~。
色々有難うございました!
1
お仕事---
3冊同時に発売中です~!!
「Bread&Butter]2巻は、水色に近いエメラルドグリーンの表紙です。
可愛く仕上げて頂いて、とても嬉しい。
2巻は「フレンチ・トースト」「イースト菌」「プレッツエル」「パン・サプライズ」ですよ~。
あと、「芦原妃名子傑作集・1・記憶」と「芦原妃名子傑作集・2・祈り」も同時発売です。
これ、一応私の20周年記念本なのですよ。なのでほぼ過去作で構成されてます。既刊コミックス未収録の新作は「乞う女」と「スゴロク」のみなので、どうぞお間違えの無い様、お気をつけくださいませ~。
途中お休みもしてるので、20周年といっても若干サバ読んでる気がしないでもないですが、、
一作一作コメントも書いてますので、興味のある方は手にとってみてくださいね。
1
お仕事---
2014.07.16 Wednesday02:13
原稿終わった~~! とりあえず、いっぱい遊ぶ!
1
おやつ---
2014.07.06 Sunday00:36
7月19日(土)発売です!
どうぞよろしく~。
詳細はまた後ほど。
1
お仕事---
2014.06.08 Sunday04:44
ほったらかしてました。ごめんなさい、、、。
ずっと調子のおかしかったPCを買い換えて、すさまじくメカオンチの私は
えーーっと、まず・・今発売中のCocohanaには、私のパン漫画は載っていないのですが、
私自身は特にお休みを取っていたわけではなくって、小学館さんでの別の読み切りを描いておりました。
なぜか、、なぜか、、「ビッグコミック オリジナル」に載りますよ!!
少女マンガ絵ど真ん中の、私の漫画が!なぜか!オリジナルに、、!!
昔、うちのお父ちゃんが読んでたよ、、。今も読んでるか知らないけど、黙っとこ。
なんでオリジナルに描くことになったかは、たいした理由もないんですけど、省略。
ちょっとした珍事件ですので、興味のある方は是非読んでみてくださいね。
パン漫画は、なるべく「業」とか「欲」とかを排除しながら描いてるのですけど
(出来るだけ「優しいモノ」を、、との注文を頂いてスタートした漫画なので)
「Bread&Butter」は、6月28日発売Cocohana8月号より巻頭カラーで再開です!
あ、あと、「砂時計」1~3巻(デジタル版)が、6月18日まで無料で読めるみたいです。
未読の方は是非、この機会にご覧くださいませー。
少し前、小学館の編集さんに、美味しいパンを沢山いただきました。
美味しい、、。へんしゅうさん皆やさしい、、悲しス。
1
お仕事---
2014.03.22 Saturday05:07
「Bread&Butter」第1巻☆3月25日発売です!
宜しくお願い致します
1
お仕事---
悲しい出来事がありました。。
土曜の最終で「ダラス・バイヤーズクラブ」を観て、余韻冷めやらぬまま売店のレジに行き
「パンフレットください、、」とつぶやいたら不透明の袋に入ったパンフレットをお姉さんに手渡され
中身を確かめないまま自宅に帰って袋から取り出してみましたら。。
なんでやねーーーーん!(500円返して~~~!)
せっかくなので「マチューテ・キルズ」のパンフレット読みましたけども、
私が観たのは「ダラス・バイヤーズクラブ」です。ハイ。
マシュー・マコノヒーもジャレッド・レトも凄かった。
描かれるのは、「生」に対するあまりに真っ直ぐな執着心。
「執着心」って、あまり聞き心地の良い言葉ではないけど、やっぱりもの凄いエネルギーを生むんですよね。
屈折してると痛々しく映るけど、ストレートな執着が爆発する様は、むしろ爽快。
主人公はあくまで自己中で自業自得で貪欲で、だけど彼のエネルギーが周囲を巻き込んで救済し感謝され、そのこと自体に戸惑いながら少しづつ他者との絆を得て行く描かれ方が、とても良かった。
自堕落な過去の自分を全て否定して、綺麗に生まれ変わったわけではないんですよね。
差別する側だった人間が、差別される側に転げ落ちる様は、「第9地区」と被るな。
パンフレット、、、。声が、小さかったのかな。
もっと腹の底から声を出して、強くたくましく生きようと思います。
うちのお姉ちゃん家に子ニャンコがやって来ました!
1
本・映画---
「オンリー・ゴッド」観てきました。
「復讐モノ」だと思ってたけど、違ってた。「親殺し」が主軸。
「ドライヴ」より私は好きでした。
母親より更に偉大な「神」が、新たな依存先に見えなくもないけれど。。
戦いを挑んでコテンパンにやられて裁かれて赦されて、救われたのかな?
「親殺し」はどうしてもパターン化してしまうけど、それほど普遍的なテーマなのかもしれないです。
バイオレンス描写より、KARAOKEシーンのがインパクトでかかった。
一人殺したら、腕一本。マイルールに則って無感情に淡々と人を裁いていく様は、
「神様」って言うよりも、「法」とか「規則」とか、そんな感じ。
人に勧めにくい。私は好きだけど。 <h3>o- **</h3>
パンをチマチマいっぱい描きました。
デザイナーさんが考えてくれたカバーデザインがとっても可愛いので、
仕上がりが楽しみです♪
「Bread&Butter」コミックス第1巻は、3月末発売予定です!
また、改めてお知らせしますね。
ただただ、あなたの自律性と自立性、すなわち尊厳を冒さないように、侵入しないように自らを自制する事だけだ
何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。
その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。
隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。
単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
ただそれだけです。
理不尽に産み落とされ、苦しみ喘いで生きていき、恐怖と後悔に苛まれながら果てていくような、
そんな地獄が、現世には顕現している
「もう無理なのに ですか?」
「後でできないと 知ったら余計に 傷付くんじゃ…」
「そうかも しれません」
「でも 亮介君の 生き方は 亮介君に 決めさせて あげたいんです」
友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じています。セラピストは理論上は、非指示的であり続けましたが、一般の西欧のセラピストと同様、孤独な状態もしくは真空の状態の治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。
友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」
友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます。
―中略―
母性的尽力的配慮は相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮は相手を支配したり、奴隷化するものでしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります。
「人」ができることは、本当に少ない、殆どない
神でも仏でもならざる我々の手や腕は、あまりにも短く細い
半径85cmの範囲ですら「すくえない」のが、我々という生き物の現実なのだ
だから、できる事は祈り、願い、目の前にいる相手を「人」として扱う事だけなのだ
「物」ではない、「人」として
それは非常に難しい
生きていることは素晴らしい、働くことは凄い、人に優しくできるのは偉い、頑張っている人は美しい
それに沿って生きる事が善いとされる
苦しんでいるなら無理をしなくてもいい、休んでも良い、人にはできないこともある、人にはそれぞれの価値観がある
「やさしい」言葉がある
これも、また「正しい」のだろう
けど、何もかもに納得できないまま生きていくこともある
何が正しく、何が善く、何が良いものなのか分からずに、それでも人生が続いてしまうことがある
「裸も」
今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。
でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題が無いとたかをくくっていたんだ
ゴールはまだ見えない。あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。
一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った、その瞬間に都合よく存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気と書き棒とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。
そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。
ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからはもっと大変な毎日が続くだろう。でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もうダメだと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけ頑張って欲しい。
小さなころに見ていた者は、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気がつくのが遅すぎた。必要なものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でもまだすべてを失ったわけではなかった。
時間が過ぎて、僕の事は忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。
追伸。今までありがとう。
出来る事ならば、誰も憎まないで生きてください。
正しくないことは悪いことだったのか?
それでも正しさを追い求めたり、苦しむことは悪いことだったのか?
諦めたり、やっぱりあきらめきれないことが悪いことだったのか?
善悪の果実を植えておきながらも、そこから取って食べてはならないとも定める、矛盾したことにすら正しさを与える存在であったという
どうか、本当の幸いを与えた給え