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はてなキーワード: 社会人とは

2023-06-10

合理的に考えて今死ぬのって勿体無いですかね

24男性

ITエンジニア

年収510万

身長171

彼女なし

新宿渋谷五反田あたりが行動圏

MARCH関関同立出身 学部

フツメン彼女歴1人の童貞

社会人になって仕事はもう飽きたし、家族クズしかいないし、友達0人、彼女できないし(マッチングアプリゴミ)、趣味はないし、生きてて楽しみがないんだよね。若干死ぬの勿体無い気がするが、何せ生きててつまらないんだよね。

周りは野球観戦だの、サウナだの、キャンプだの何が楽しいのか全くわからんぞ。

周りの年上見てると何がそんなに楽しくて生きてるかわからんし、この先 生きてても日本社会未来暗いし、どうなんだろ。

すげぇ生きててつまらん、なんかないかね。知恵貸してくれおじさんたち。

anond:20230610150912

キモいのが悪いんやで

キモくて暴力とか最悪やん

つーか社会人にもなってイジメって職場治安悪すぎだろ

ポエム土曜日の朝ジョナサンにて

土曜日の朝、10:30までにジョナサンに駆け込む

目的ドリンクバースープバー付きのモーニング

今日は、シャキシャキキャベツベーコンエッグサンドモーニング(税込879円)

食べながら、パソコン開いてPC作業というか、今この日記も書いているけどそんな感じ。

ここのジョナサンは家から徒歩5分。本当に5分の距離

いつも10:15とか10:20とかギリギリで家を出て、モーニング間に合うかダッシュで戦うこともしばしば。

平日の夜も23時過ぎまでやってるので、在宅仕事終わりにジョナサン転職活動の準備したり

ジム終わりに行ったりとかなりお世話になっている。

もうかれこれ3年くらいかな。

月に少なくとも2,3回は通う。

そんなに通ってくると、自然店員さんの顔を覚えてくる

・土日の朝にいるおばちゃん

・平日・土日問わずいつもいる茶髪のお兄ちゃん

そして

土日にいる学生お姉ちゃん

がいなくなった。

いつもマスクで顔わかんなかったけど、黒髪学生お姉ちゃん最近見かけないな。

ふと思った

6月ってことは、社会人になったり環境が変わったのかな?

普通にバイトやめたのかな?

季節の移り変わりと、人の移り変わりについてふと思った土曜日11

(決してストーカー目的とか、店員さんに話しかけたりとかはしておりません。)

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

2023-06-09

社会人とは ジャイアンのび太 となること

わが社の製品アプリシエイトしろ営業を行う

のび太には無理

文学部哀れ書いた人です。

はじめに

想像以上に燃えてた(笑) https://anond.hatelabo.jp/20230609153447

追記しても文字数切れちゃうので新しく書きました。

残りの学生生活を楽しみながら有意義に過ごし、皆様のように自立して生きていけるような社会人になれるよう頑張ります

文学部サイコ〜!

文学部に行けば未来が明るい!!!!!!!!

文学部でよかった!

文学部だけどラッキーなことに納得就活できました!

文学部の授業面白い

文学部行きたいと思って入ったよ〜!

文学部検討してみてね!!!!!!!!!

文学部元ネタ歴史神話推しバックボーンわかるよ〜!

文学部より理系の方が理路整然文章書けるよ〜!

文学部なのにオモコロみたいな文章書けなくてごめん!

文学部勉強して一般企業入ろうと大学入ったよ!

おもんない、つまんないってブクマ?でコメントするのなんで?笑

最終的に自分意思やで!文学部意思があるならいいと思うよ!私は文学部個人的にはありがたいことに満足就活できました!のポジティブで締めたつもりでした。宗教論争を増田でしちゃダメだな〜って思いました。文系云々に関するトピックというか学部叩きはタブーぽいですね。

今まで思ったこネットに放ちたいな〜と思って書いたもの匿名性の高いここにしたのですが、記事に対するリプ?だけじゃなくブクマでもご意見書けるのですね(^^)

以下いただいて印象に残ったご意見

社会に出てないガキが就活経験した如きでベラベラ語るな

すみません(><) 諸先輩方の意見たいへん参考になりました。これから頑張っておもしれ〜大人になれたらなと思います

○長い、読みづらい、読まない、途中でやめた

ワードで書いたものをそのままコピペしたので増田での1行の長さとかわからずに読みづらくなってしまいました。初めて書いたのではてな技法?とかも初耳でした。大幅に改編するのは恥ずかしかったのでちょっとだけ改行入れたりしました(><)チャットGPT今北産業みたいにしてくれた人ありがとうございます。著者属性とか文章雰囲気で辞めた人は正解ですよ〜。無料で読める文章のいいところですから。有料記事だったらどんだけキモくても最後まで読んじゃいがちですよね。

○なんで広告志望で文学部なのかが分からん

→人の数だけ受験があるから

○学んだことや就活での経験を活かして簡潔に書けるとよかったね

あなたベストオブハイパーちくちく言葉第1位です!これから頑張ります!!!!!

○(涙)で説明した気になってる

すみません(涙)

文学部の割に文章が...

→ごめん(><)

就活学部を結びつけるなよ

→私が会社を決められたのはなんとなく将来の夢を高校生の時に持った上で学部を決定してブレずに勉強できたからなのかなと振り返って思いました。この学部大学卒業してから就職したいと高校の時に思ったので就職学部を結びつけるような学部選びになりました。

主語デカ

→ごめん(><)文学部やめとけ→文学部考えてる人は読んでね的な意図でしたが真面目な高校生増田なんて読んでないなとネットに放ってから思いました。文学部生の数だけ人生があるもんね。みんな偉いです。

○この人他学部でも変わらなさそう

→わかる〜心の声をネットでクソデカ声でぶちまけてる時点でお察しですよね^_^

○その文章(笑)から就活うまくいかない/社会性に問題あるからうまくいかない

ES広告/マスコミ/映像はウケがよく(通過できて)、歴史の長いメーカーダメダメでした。そこでメーカーは向いていないんだなと思いました。/好きな授業を好きなだけとって、学校遠いのでサークル部活入らずだった結果授業やグルワでは話すけどそれ以外では他人みたいな関係しかできなかったです。インターンで知り合った人や高校時代の友人と楽しくできたので困ったことはありませんでした。出席も課題自分で全部できる人だったらこういうタイプ意外にいそうだけどな〜。

○どの学部学問でも本読めば解決するんじゃね?

→たしカニ〜〜。

○お前は実家都会だし大学行ってるからじゅうぶんに上位、スペック高いよ

→どうしてもTwitter就活界隈や受験界隈を見たり自称進出身の背景があったり、高学歴ハイパーガクチカが集う業界を志望していたりしたのがあって自分のことを上位層だと認識していなかったです。生まれた家はすごく恵まれているなと感じています、進学先に文句を言わず大学に行かせてくれたことも含めてこれから親にたくさん優しくしていきたいです。

コメント欄の文学部卒の方へ

現在大学卒業されて社会でご活躍のことと推察いたします。先輩方のように自分の力で生活できるようにこれから頑張ります。私の代わりにいいとこ書いてくれた人もありがとうございます文学部でよかったな〜とより思います

別に読めるよ〜って書いてくれた人

→逆に貴方の読むスキルが高いんですよ〜!

木簡読める?

→読めないです。木簡をはじめくずし字文章が読めるのは文学部の中でもさら国文歴史専攻で、その上で中世らへんを専門としていないと読めないと思います。米主さんは相当努力されたのですね。


さいごに

文学部哀れ増田は私の怪文書ブクマコメント記事へのリプを合わせて完成すると思いますピークが終わった頃に本来読んで欲しかった受験生とかそのパパとママが読んで進路決定の一助にしてくれればと思います。色々なコメントがつくほどに進路を考えるヒントが増えるんじゃないでしょうか。不快にされた方がいたらごめんなさい。

たくさんご意見ありがとうございました!

ロム専に戻ります!!!!!!!!!!!

Twitterでつぶやいたそこのお前!!!!!

就活経験したくらいで文学部は止めとけとかクソ浅いはてな増田読んで共感性羞恥でしにそう。いやー、これくらいの経験で語っちゃうよね分かるー。

文学部でいいよ。俺は文学部新卒エンジニアだしとくに不自由ない。文系とか理系とかはCSやってから言え」は米欄で言え!!!!!!!!!!!!!!!!!数弱からしたら文学部SEはかっこいいし私には絶対できないすごい仕事だと思うから仕事頑張ってな(^_−)−☆

(追記)すみませんESSEに直しました。元の記事リンクも貼りました。ご指摘ありがとうございました。

(追追記)社会性を心配している人向けに少し書き足しました。

転職することにした

地銀 法人営業メガ 本部職 に転職することにした。

せっかくなので備忘録代わりに人生初の増田を書いてみる。

多分需要はない。

自分の事

九州の方の私文卒。独身彼女なし。フツメン(と自分では思っている)。24歳。

話すのは好きだが営業よりは事務の方が好き。

早く結婚したいので、誰か付き合ってください。

新卒転職に至るまで

新卒就活

2021卒。社会人3年目。

大学の時の就活全然ちゃんとやってなかった。内定も1社だけで、そこしかからなかったからそこにした。

まあ、地元じゃ名が知れた第一地銀だったし周りからは「おー、○銀か!すごいじゃん!」みたいな感じだったけど、内心ミスったなあとは思ってた。

入社

地元地銀入社したはずが、グループの隣県の銀行に配属。辞令出された時は、「え、どこそれ?」的な感じ。

・初期配属は超当たりだったなとは思う。支店長次長も先輩も人間性良かったし。

支店では銀行事務をやってて、かつ特殊店舗だったからそっちの仕事も少しやりつつ。

 

・2年目から営業社長のとこ行って「お金いらんですか?」って聞くやつ。正直仕事の進め方とかが結構裁量だったから辛かった。事務みたいに業務内容がハッキリしてる方が向いてるなあとこの時感じる。

・よくマックでサボったりしてた。

・3年目で初の転勤。今の勤務地は2ヶ月。仕事内容も引き続き法人営業

転職活動

 正直「転職したい!」っていう強い気持ちはなかった。(そもそも職歴的に厳しいだろうとは思ってたし。)

 GW中に転職サイト見て「お、これええやん」ポチーみたいな感じで転職活動始めた。ちなみに転職活動の軸は以下1点のみ。

①ストラクチャードファイナンスができる

転職するにあたって、最重要視していたのがこれ。そもそも転職しようと思ったのは、専門性(市場価値)上げたいと思ったから。

・あと、現職でストファイに似た案件も触ってるから書類通りやすいかなぁと思ったのもある。

 んで、エージェントから連絡。職歴添削された上で8社応募、5社書類通過。

 最終的にメガの1社から内定たから他行はお断りして転職活動終了。

 思い立ってから内定受諾までちょうど1ヶ月ぐらいだと思う。中々スピード感あった気がする。

転職活動を通して

・中途市場は非常に活発。

→(多少の経験あったとしても)3年目の自分採用するぐらいだから、今は新卒より中途の図になってるんだろうなぁと。(金融だけ?)

・中途でメガに入るなら今

新聞にもあるようにメガは中途に力を入れてるってホントなんだなと感じた。今後数年がメガ狙うチャンスかも?もちろん部署職歴にもよるとは思う。

銀行ってそもそもどうなの?

→そこは迷ったけど、別にメーカーとかコンサルに興味がなかった。専門性磨くなら今やってるストファイ極めたいなって思ったから。

あと、同じ銀行なら地銀よりメガバンクにいた方が今後選択肢が広がるかなって思った。

今後

メガバンクに入社することにはなったけど、定年まで居座ることはないと思う。

個人的には最終的に地元近くの金融機関にリターンするのもアリかなと。自分の中でのキャリアプラン

地銀メガ→外銀、日系IBD等→地元金融機関

って勝手に考えてる。もちろん変わる可能性は十分にあるけど。

なんだかんだ地元に帰りたい欲はやっぱりある東京に骨を埋めたいとも今のところは思わないしね。

結論

入社9月から、まだなんとも言えない。だけど、一歩踏み出してみて良かったと(現時点では)思ってる。給料福利厚生も良くなるしね。

女 26歳 いい大学を出て年収800万の大企業勤務だけど生きるのが辛い

自分でも恵まれ環境だと認識しているが、本当に毎日仕事が辛い。楽しくない。

  

社会人になる前から躁鬱になったり発達障害だったり、でなんだかんだ年に10回以上は心療内科に通っている。

その症状が会社での地位が上がり、若手から中堅になり、ストレスが増えれば増えるほど、ひどくなってきている。

  

からなんでもできた。目の前のことをそこそこ一生懸命に頑張るだけで、誰よりも良い評価をもらえた。ただそれは地方公立学校という限られた環境で。

受験戦争の前に勉強に飽きてしまった。満足に努力せずにそこそこ良い大学に行ってしまたことがきっかけで、悪い癖がついた。努力をしなくても大丈夫っていう。

その流れで、手先と口の器用さと、初速の勢いだけでこれまで生きてきた。でももうそれも飽きた。当たり前のことを当たり前に頑張り続けるのがしんどい

  

プライベートも順調で、結婚して夫婦仲はかなり良い。友達もいる。趣味もある。

ただ仕事けが辛い。動けない。

  

でも、地位待遇も、自分みたいな弱い人間にとってとても良い条件の仕事だとは思うから、やめられない。

anond:20230609091948

体育大学卒業生は昔から変わらず営業職に行くぞ

体力があってゴリゴリ働く、最低限の礼儀、社交性がある、上の言うことには絶対服従

と、社畜適性が高い

体育会系って言ってみれば軍隊式だから日本企業風土にはかなり合ってんだよね

音大芸大と同じく専門性は活かせないけど、社会人やる土台ができてる

anond:20230609063417

社会人としても家庭人としても優秀な妻」

初手から身内のことをこんな風に書いてたら伝わるものも伝わらんがな

ただでさえ我が子自慢は煙たがられるのに

追記あり子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせた

私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。

首都圏在住、夫婦ともにフルタイム勤務。

なぜ書くのか

子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい

子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。

そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。

じゃあ子供を持つ喜びとは何か?

この感覚をわかってほしいんだよ

うちの子は、保育園のお迎えや、仕事から帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔ダッシュでつっこんでくる。

誰かの人生にここまで重要になれるとは…

承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。

結婚家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。

うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。

結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。

ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。

子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。

そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!

生理的な影響もあると思う。

子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。

おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか個人の感想だけど。

彼女ママ友は百八人までおるぞ

さらに近所のコミュニティに繋がれるというのも大きい。

子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。

私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!

妻の1/10も真似できていないが、コミュ障陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。

私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。

学びもあるんだ

我が子が知識道徳習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。

仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。

それからフィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。

何を選ぶのか?

人の生き方というのは様々だ。親になるだけが人生ではない。

だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタク趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。

個人的感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい

おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感

子供初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。

子供プラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。

人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?

それはとても楽しいからだ。

子育て支援は足りるのか

まず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所無償医療提供されるのはすごいことだ。

そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。

保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・

近隣の認可保育所活動食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。

私は日本の子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してから失業も少なく、子供犯罪にかかわるリスクも低い。

金銭問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。

調べて、決断すべき

子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。

若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。

補足:良い事ばかりではない

親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。

行政には、こういった世帯への支援を手厚く行ってほしい。

社会福祉は真に困っている世帯への支援を優先してほしい。

世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…

それから時間は本当に足りない。

時間残業、長距離通勤介護などで時間が無い場合育児の困難さはかなり上がると思う。

キャリア犠牲になると思う。我が家夫婦ともにそこは受け入れているが。

追記

読んでくれた人

いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます

この界隈で見かけない意見言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。

内容が薄い、つたわらない

説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。

ごめんなさい。

愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。

大事なことを書き忘れた。

世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…

彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。

妻も幸せだと確信できるしね。

家事やってるの?

いっぱいやってるよ!以上。

家事からめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピード半端ない

省力化しつつ爆速食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。

私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ

面倒なことについて

とにかく時間

・土日に休めない

 子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。

子供時間を割けない罪悪感

 我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供放置してしまときは焦る。過保護かな。

仕事への関心が薄くなる

子供、妻、仕事と3番手に降格だから仕方ないね

心を広く持てるようになったような気もするが…

これ以外は人によって違うかな。

親同士の子育て方針の違いとかね。

子供が一人ということもあって、お金の面は気にしていない。

パパ友ママ友

パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。

この先

子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。

バイク

コミュ障陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。

ここリアルだな。

私は、暖気運転を兼ねて、エンジンの反応を確かめながらゆっくり走り出す瞬間とかしゅき。

さっきマン汁が結べたんですよ

こういうの、思い出すんですよ

10年以上前2ちゃんROMってた頃、ニュー速VIPとかで

「〇〇だけど質問ある?」

っていう板を見たこ

あれずっとやってみたかったんだ

でも高校生だった当時、ガキが来んなとか、ツマンネとか、半年ROMれとか怒られるの怖くてね、言われる前にROMってた

でもいざこういうとき

「あ、こういうのでスレ立てたい」

って思っても、もう今の匿名掲示板ルールとか分かんないんだ

大人になったらなったで今のルールで怒られるのが怖い

いくつになっても顔が見えない他人に怒られたり、心がキュッとするような言葉を投げられるのは嫌だ

全然分からん、だからもう今、匿名でなんか書くってなると増田ですよ、ここしか思いつかなくて

大人になったな、って思うんですよ

「さっきマン汁が結べたけど質問ある?」

ってスレ、立てたかったな、って思うんですよ

結べたんですよ、マン

結べると思いますわたしもさっきまで結べるもんだと思ってなかったんです

でも結べたんですよ

風呂に入るとき、湯船に浸かる前にとりあえず股間を洗う

それがちゃんとした暮らしをする者の嗜みというか、後から同じ湯船に浸かる家族への礼儀ってもんで

で、ちゃんと湯で股間を洗おうとしたら、タンポンの紐みたいに“しらたき”が出てた

股間から“しらたき”が出てることある?あの、白いこんにゃくのちゅるちゅるしたやつ

最近うちの献立すき焼き採用されたもんで、“しらたき”は最近食べたか記憶に新しいけど、女人の股間からは出ないよ“しらたき”は

まあ、十中八九マン汁ですよ

知人の女医が昔言ってたけど、卵胞期にマン汁って「みよ〜ん」ってなるらしいね

今はもうすっかり交流がないけど、でも「卵胞期だからマン汁がすっげぇ伸びる!!!」ってTwitter投稿してたことは覚えてる

今、そのツイートが活きました

みなさんも活用できるといいな、この知識

で、“しらたき”を改めて見直し

「これ引き抜いたら視界真っ暗になって死ぬかな!?そこに視神経はないだろ、そりゃそうだ!ガハハ!紐切り!プッ(鎬昂昇)」

とか思って(口には一切出していない)引き抜いた

すごい“しらたき”だった

こんなにマン汁が“しらたき”になること人生でないな、と思った

液体じゃないんですよ、普通「汁」って液体と形容できる流動性があるはずなんだけど、垂れない、はねない、手につかな〜い!(レインボーアート)だった

手に持って指に巻き付けられる、これは人類史上でも類を見ない、とても貴重なマン汁だ…!と研究者の顔になって、入浴そっちのけで“しらたき”マン汁を見ることに励んだ

でもさぁ、そこで気づいたんよ

「液体じゃなければ結べるんじゃない…?!」

って

なんでそんなこと思いつくんだよ

でも思いついてしまたから仕方ない、やってみるよ

普通に、結べた

そりゃ〜そうじゃ“しらたき”だもん、結べないわけないよな

いや、“しらたき”じゃない、マン汁だよこれは

………マン汁を結んだのか?!わたしは?!

若干の高揚感があった、「マン汁を結べた!!!!!!」って

マン汁を結ぶ」って聞いたことないもん、そんな、あの可愛くておしゃれなアニメーションMVに使いがちな令和の流行曲のタイトルみたいな…

友達やあの卵胞期マン汁びよ〜ん女医でも「マン汁を結ん」でないんじゃない?!?!!いや、女医はあるかも…

でも、その高揚感も一瞬のものだった

ここまで14回「マン汁」って単語キーボードで打ち込んでますが、ちゃんとした大人ですよ

「なにやってんだろう…」がすぐ来ちゃうんです

結べたマン汁はすぐに排水口に流しました、こういうのは自分クローンにお別れを告げるようなセンチメンタルを感じます

でもやっぱり、ここまでで16回「マン汁」って単語キーボードで打ち込んでるので、ちゃんとしてないんですよ、マン汁(18回目)もニヤけながら結んだし

「こんなおもしろエピソードをどこで言おう?!」がすぐ来ちゃうんです

なんて哀れなおもしろ奴隷、ゲットしたおもしろエピソードを新鮮なうちに放流したい気持ちに囚われる、哀しき、おもしろピエロ

しかし、一応ちゃん社会で働き、普通自動車免許も持ち、お酒も飲める年齢の社会人ですので、友人が沢山いるSNSに書くことは思い留まりました

VIO脱毛して、陰毛ハート型にしたんだ〜♡」はギリ言っていい、個人的には詳しく聞いてみたくもある、けど、マン汁は、言えない 体液はさ、ちょっとネ……

ところでハート型の陰毛って脱毛デザイン表に結構掲載されてるけど、あれどの層の需要なんだろう

淫紋の文脈なのかな、湘南美容外科クリニックサキュバス院?

そういうことで、「スレ立て」の文化にも再度乗れず、友人の前で体液の話をすることを憚る僅かばかりの理性がはたらいた結果、初増田でしらたきマン汁について書きました

匿名でなんてものを人様に見せてんだ、明日仕事のひともいるだろうに…

でも、わたし明日普通大人として会社へ働きに出ます

もう20回も「マン汁」って書いてしまいましたが、きっと明日社会でうまくやれます

みなさんも社会でうまくやれるよう、お祈りいたしま

グッドラックしらたき

メメントマン

2023-06-08

恋愛だけ一切かすりもしない半生が身に染みた話

アラサー最近一人暮らしを始めたが、自分が意外と寂しがり屋であることに気づいた。

家に常に一人ぼっちでいるということは、適性がないと意外とつらいものだ。

家族仲がそれほど悪くもなく、それなりに日常会話をしていた家から出てきたからというのもあるかもしれない。


こうなると恋人同棲なんかをして一緒に過ごしたり、なんなら結婚なんかも考えたいが、これまでの人生でそういった浮いた話とは一切無縁だった。


自慢っぽくなってしまうかもしれないが、自分はいわゆる「陰キャ」に分類される存在だが、それなりに幸せ人生を送ってきたという自負がある。


かい病気けがはしたものの、なんだかんだ今まで健康で生きてきている身体を持っている。

友人は多いわけではないが、心から信頼できると胸を張って言える仲の相手が数人いる。

仕事中学生のころからあこがれていた業界に入り、出向という形ではあるものの、業界トップクラス会社で働き、年収も同年代平均より上。

趣味オタク的なものだが充実しており、休日は頻繁に出かけている。


しかしこれまでの人生、驚くほど「恋愛」というものに縁がなく、街中で見かけるいわゆる「カップル」などはどういった経緯でそのような関係になったのか想像すら追いつかない。


これで「自分恋愛には興味がない」などという人間だったら納得がいくかもしれないが、全然そんなことはなく、幼いころから思春期までもそれなりに片思いを重ねて、「恋人がほしいなぁ」などといまだにほざくような人間で、そのすべてを空振り続けてきたのである

たまにネット上などで見かける、「恋愛経験が無い奴は人気者やほとんど話したことない相手を狙ったり、高望みしすぎる」などという論説については、好きになる相手による話なので、あてはまるときももちろんあったが、クラスカースト的に自分と同格(と言っては相手に失礼かもしれないが)で、それなりに親しく話をするような相手だったこともある。

それでもたったの一度ですら成就するという経験を経ることはなく、現在に至ってしまっている。


もちろんこうなる原因は自分自分のいる環境に何かしら原因はあることはわかっている。

顔や身長など、体質の自分ではどうにもならない部分や、性格・身だしなみ・ファッション出会いの場などの努力次第でリカバリーできる要素など、思い当たることはたくさんある。

自分もいろいろ試して改善できないかと奮闘したことがあったが、実を結んだことはない。

どう変えていけばいいかなどという答えは、当然ながら恋愛には存在しないのである


思えばこれまでの人生、好感を得るだけであればそれなりに経験してきているが、「恋愛対象」に入った経験は無かったかもしれない。

もちろん、体感なので相手の方が内心では入っていたなんてことがある可能性も0ではないが、少なくともそれが伝わってきた経験は0だ。

親切に接する、それなりに楽しく過ごすといったことはあっても、相手から子供か老人と話しているような気分になっていたことであろう。

そんなだから好きな相手がいつの間にか恋人を作っていた経験も少なくない。


そんな人生を送っているうちに「学校」という「何もしなくても多くの出会いがある場所」を卒業してしまい、社会に出ることになった。

社会人生活の忙しさや、それと引き換えに得る金銭的、社会的な自由さを言い訳に、恋愛のことに目を向けるのを先延ばしにしてしまった。

これはそれなりに後悔している。

そもそも一人暮らしを始めるのが遅かったのもあるが、この年になって急に「寂しい寂しい」言い出してしまっては、気持ち悪いだけである


そうは言っても寂しいのは事実なので、パートナーを探したいが、周回遅れな現状では、何か行動を起こさなければ出会いがあるわけがない。

こんな時に友人を頼れればいいのだが、残念ながら類は友を呼ぶとでも言うのか、恋愛遍歴でいえば似たり寄ったりなので参考にならない。


結局出会いを探したいのだが、そう思うたびにこれまでの恋愛がかすりもしなかった人生が、「お前に恋愛は無理だ」と鎖のように巻き付き、一歩踏み出すのを妨害してくる。


誰でもいい、どうか背中を押してほしい。

大丈夫からやってみろと」という根拠のない励ましでもいい。

「こういう方法出会いが探せるぞ」という具体的なアドバイスでもいい。

「似た経歴だけど自分はこうして恋愛ができた」という実際のエピソードでもいい。

どうか一歩を踏み出すきっかけを作ってほしい。


強がるのはやめて、「寂しい」「恋愛したい」と声をあげるから、助けてほしい。

これまでの人生での恋愛を取り戻すなんてことは無理でも、これから人生希望を作ってほしい。


追記

大した理由もなく伏せてたけど性別の話が出てるので、男です。

anond:20230608124446

ありがとうございます

書いてなかったんですが、もう更新辞退していて退職予定です。

別の職場でもこんな毎朝定例MTGあるのか…?私のメンタル弱すぎるのか…?と不安になりまして…。

全体朝礼や週末のMTGはこれまでもありましたが、タスク管理業務内容、進捗の突っ込みを毎朝やる環境は初めてだったんですよね。

MTG耐えられてる社会人すごすぎますね…。

お前ら「SESなら社会経験なし三十路ニートでも雇ってもらえる」

SES「未経験歓迎!社会人経験一年以上ある方!」

SES「未経験歓迎!学歴不問!キャリア形成のため29歳まで!」

ほんとホラッチョだよなぁお前ら……

パンツうんこ

アラサー女なんだけど、ちゃんと拭いてるつもりなのに時々パンツうんこが付く。

そういう時は洗濯機に入れる前に手洗いするんだけど、洗いながら“社会人の女がパンツうんこ付けるって何よ…”とすごく落ち込む。

でも多分パンツうんこ付けてんのわたしだけじゃないよね?きっと結構みんな時々ついちゃうもんだよね?

毎朝のミーティングがつらい

のらりくらりと派遣していてこの二年間ミーティングなんて参加しなかったのに、上長からの指示で部内のミーティングに参加するようになった。

ミーティングではそれぞれの今日タスク上長確認して突っ込みを入れたり入れなかったりをする内容。

 

この30分のミーティングのためにタスクを追加したり削除して、詳細欄に上長がわかるように記入して、進行中か今日タスクのどちらかに移動させる。

仕事が多い・少ないと指摘されないくらいのちょうどいいタスク量に仕上げる。

 

これが思いの外ストレスで寝る前なんかに明日タスク何にしよう…」と悩む羽目になる。

他の社員の前で指摘されるのもストレスだ。「この仕事なんでこうなってるの?」とか突っ込み入れられた時は涙ぐんでしまった。

毎朝のことだからいつも怯えている。

何より私だけが派遣なので、部内の人間雑談してる時とか輪に入れてない気がしてしんどい。これまでは指揮命令から指示された内容を黙々とこなすだけだったのに。

社会人はこういうミーティングにどうやって慣れたの?正社員だとこれが当たり前なのかな…しんどい

2023-06-07

転職して格差を知った

新卒で3年勤めた地銀からメーカー転職した。

同じ課で歳が近い女性社員上位互換すぎてつらい。

彼女高専卒の正社員社会人4年目、たぶん23歳。

高専だし頭いいんだろうとは思っていたけど、育ちの違いを感じてしまう。

大卒なのに専業主婦のお母さん、経営者のお父さん、室内飼いのゴールデンレトリバー、二十歳のお祝いに新車(しか普通車)。

普通サラリーマンの両親、勉強きじゃなかったけど高卒で働くしか選択肢が無かったし、車も自分お金で買うしか無かった私。

彼女毎日3〜4時間くらい残業してから1時間ジム運動して、毎朝自分でお弁当作ってると聞いた時は別の人種だと思った。

彼女になりたいわけではないが、なんだか見たくないものを見てしまった気分。

anond:20230607095943

まず、

・それらは空想上の物語である

商業主義にのっかった、社会人子供に関連商品を購買してもらって自らの糧とするメシの種に過ぎない

対象視聴者である子供が家庭でどう視聴するかは保護者に委ねられており、なおかつ保護者監督下で視聴されるものであるという前提条件のもとに放映されている

・直前の条件に守られることは子供権利でありその子供の保護者義務である

…これらを踏まえて、それでも同じことを主張できるのか?

公園クレーマーの俺が公園クレーマーの考えてることを書くぞ

子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった」


そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
まりから見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議存在だということになる。


日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。


次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマー公園クレーマー化するのは、一部の非常識利用者のせいである。
非常識利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。


さて、じゃあ早速冒頭の文章ニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこから問題だ。恐らくここで、普段公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和公園で、何が?」


これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。


じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマー気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマー気持ち理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。


(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい状態だが、便宜上許して欲しい)


俺が公園クレーマーになった原初きっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。


変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボンボン。ギャハハ。ボンボス。ギャハハ。ボン
規則リズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。


ここで、自明事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである
これは誰しもが陥りがちなこであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所である錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである


結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。


夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル
しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイ酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。


そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTok流行りの動画大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである


そのうち、夜に公園に来るすべての人間バカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園24時間警備システム化」してしまったのである


これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
あくま自分要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。


この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。


そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。


大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか
いつしかクレーム」を入れるようになったのだ。


ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなた想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなた想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。


さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?


まずこれらの疑問は、論理的である
だが、解決ではない。


引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホン耳栓というのは応急処置として有効であるしかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつルール自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体ストレスになってくるのだ。


そして最後
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である


公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ
だって公園は良いものである、という世間認識があるのだから
そして既に、公園クレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから
だって、もし街を歩いていてテレビ取材にあたり、「公園クレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所からねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
らくだが、インタビュー公園騒音肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。


とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくま公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマー立場から書いているだけである


ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
しかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。


だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたイメージする「公園」「公園騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなた公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである


何も公園クレーマー理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである


最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?


これはこれでデカテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園バカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。


だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人思想一種しかない。
あえて極端な例を言えば、過去ゲーム感覚万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である
学生の頃イジメを働いた人間社会人になって会社イジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である
そういう因果律人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。


何を言いたいかというと、そのツッコミだけは「効果的でない」ということだ。

2023-06-06

生きてて楽しい事はあるし生き甲斐みたいなのも持ってるけど、それ以上に面倒臭い事が多すぎる。

独身バカにしたくてたまらない人に言わせれば「責任のない人生特有の考えなんだろうね。

でも私は大人やら社会人やらの責任かいう謎ワードから活力を得られるほど社会性を内面化していない。

資本主義、というか賃金労働コミットする事に対して謎の忌避感がある。

さりとて働かなければそこそこ以上の生活はできない。そこそこ以上の生活はしたい。でも働くのも面倒くさい。

自殺をしよう。でも進撃が完結してからにしよう。エヴァが完結してからにしよう。

そんな考えを繰り返しながら生きてる。

別にいつ死んでもいいけど、せっかくならあれを待ってから死んでもいいかなと思う事で精神イニシアチブを取ってる。

今は再販されたみそきんを食べてから死のうかなと思ってる。おれは今みそきんに生かされている。

今までは漫画映画楽器、好きだったもの、憧れていたものに生かされていたけど、生きる事へのどうでもよさが如実に表れてきた。

20代ならまだギリ自殺してもかっこいいか死ぬなら早めに死にたいね。

この間足を床につけたままドアノブで首吊るってやつ試したんですけど、あれコツがあるみたいで苦しいだけでしたね。

10秒だかで気を失うとかネットで見たけど全然だった。

死ぬ気があるんだか分からん死にたがりピープルのふかす事はほんまアテにならんな。

首を吊るならハンパな事せずにちゃんプラプラ吊られた方が良いっぽいです。

50代独り身おじさんの自分語り

大学卒業就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり

母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職現在も勤務する私立病院事務職に就いた。この時41歳。

そこで知り合ったのが妻。

同い年でバツイチ看護師自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。

約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。

結婚して一年半で妻の病気骨盤に再発。医師から抗がん剤放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。

それから50歳の誕生日を一人で迎え今に至る。

結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。

なんで突然こんなこと書きたくなったのかわからないけど、明日も一日頑張るか。

2023年の目標が「拙速」に決定した

どうも俺は下手くそなうから高地を目指しすぎてしまっているらしい。

それはもっと上達してから挑むべきような場所であって、まずはとにかくがむしゃらに数をこなしていった方が良いことがわかった。

弱い35歳、気づくと社会人10年目であった……。

俺に足りないのは納期に対して余裕があるうちにクソのようにリテイクを喰らいまくる勇気だったらしい。

気づくのが遅すぎた。

給料分の仕事」だとか「立場に対しての責任」だとか「丁寧な仕事」だとか、そういった弱者向けの飴をコロコロ転がして自分を甘やかしていたのが人生の間違いだった。

から間に合うのかな?

この年になって今更「とにかくスピードだよ。仕事の量も現場人間も変えられねえならクオリティを下げる以外に納期を守る方法はねえよ」とか言い出して大丈夫なのかな……

anond:20230606195021

社会人とか言ってるけど月収20万未満の底辺派遣OLって落ち?

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