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はてなキーワード: 日差しとは

2020-05-31

財布が無くなった

 中学二年生の夏、とある地方都市で小さな事件が起きた。少し動けば汗ばむくらいの日差しが降り注いでいて、移動のたびに頻繁に上着の脱ぎ着を繰り返していたので、自分の持ち物がどこにあるかという注意が散漫になっていたかもしれない。僕の財布が見当たらなかった。

 僕たちは特に何をするわけでもなく、どこに行くわけでもなく、なんとなく公園で遊んでいた。公園といっても小中学校のグラウンド程度のものであり、8分に1回来る快速バス停留所が隣接するような、比較的人の行き来のある公園だった。

 僕は自分の財布が無くなったことに気づくや否や、自分の血の気がすっと引くのを感じた。しかし次の瞬間、僕はこれまでの行動を思い返していた。1時間前にスーパーに寄ってじゃがりこを買った。だから1時間前は財布を持っていたはずだ。これは間違いない。その後はーー

 公園バス停で友達3人でじゃがりこを分け合っていた。バッグからじゃがりこを取り出したまま、バックを閉めた記憶はなかった。周りに怪しい人はいなかったか・・・。一人だけいた。浮浪者の男が一人、隣のベンチに座っていたことを思い出した。

 バス停の方に視線を移すと、先ほどと同じように男は座っていた。僕は少しだけ自分の血が煮えるような体温の上昇を感じた。走るでもなく、でも出来る限り早歩きで近づいて、僕はあえて男に尋ねた。

すみません、ここら辺で財布の落とし物を見ませんでしたか。」

僕は人の顔色を読むのには昔から自信があった。だから僕はこの質問で8割は何らかの収穫が得られると思っていた。

「お兄ちゃん、財布落としちゃったの。一緒に探そうか」

彼はむしろ心配そうな顔をしてこう言った。この野郎、白々しい。どうせボロが出てくると思いながらとりあえずその臭い芝居に付き合うことにした。

しか10分経っても財布が出てくることは無かった。浮浪者の男は警察に紛失届を出すことをすすめた。そのポケットの中、少し見てもいいですかという言葉が喉まで出かかるのを抑えて、押し殺した。とりあえず警察に行き、状況を説明しよう。何か動いてくれるかもしれない。

その公園から100mのところに交番があった。僕は経緯を全て説明し、紛失届を書いた。すぐに探してくれるでもない、警官のなんともにえきらない態度に僕の怒りは収まらない。

僕はじゃがりこと一緒に買った爽健美茶を飲もうと、バッグの奥に手を伸ばした。





















財布があった。

ホームレスおっちゃん、本当に疑ってごめん。

2020-05-28

おお、神様

昼寝しても良いでしょうか。

日差しがポカポカして来ました。

2020-05-26

バジル膨らんだ

バジルを撒いてから1日。天気は曇りのち雨。

夜見てみたら種がゼリー状に膨らんでた。水はあげてたけど、水はけ悪めの土なのを心配して少量だけだったので、雨が降ってくれてよかったのかもしれない。明日日差しは少なそうだけど上手く芽が出るといいな〜。

Solanum carolinense(ワルナスビ)のこと教えてくれた人ありがとう、調べてみてコンパニオンプランツって考え方があるのを初めて知った。和名がワルすぎて笑ったし、英名ソドムリンゴとか悪魔トマトとかボロクソ言われててもう1回笑った。

とりあえず今年はバジルの鉢ひとつだけで十分かなと思うけど、将来的には鉢を増やしてコンパニオンプランツを並べたりもしてみたいな〜。夢が広がる。まだ芽も出てないけど。

2020-05-15

新しい暗黙の乗車ルール

うちの会社4月から基本は在宅勤務、パートさん派遣さんシフト勤務だった。自分は在宅だったが諸事情があり久々に電車乗って会社に行った。

電車はすいてて座席も半分くらいは空いてる。JR総武線各駅停車の朝の時間では考えられない光景ラッキー、と思って空いてる席に座った。高架を走る総武線の窓から春らしい日差しが降りそそぐ。換気のために空けられた窓から都会の空気が入り込む。朝の電車ってこんなに気持ちいいんだ。コロナ後もこの乗車率が続いたらいいのに…

会社にいったらパートのおばちゃん世間話してた「みんなわざわざ1つずつ席開けて座ってるのに、若い子は気付かずその間に座ってくるのよ!で隣に座られたお爺さんが嫌がって席立ったのにそれも気付いてないんだから気遣いが出来ないのよね~」って話してた。ゲッ!って思った。

知らない間にそんな暗黙の乗車ルールがうまれていたとは…

久々に電車乗る人、気をつけてね。

2020-04-18

在宅勤務、つながらないネット、こんなときでも風俗行きたいけど我慢

四月十八日(土)

久々に日記を書く。

今週、初めて週五回のテレワークをフルに行ったが無事に終わった。同居人とは「ちょっと来ておくれ」「今仕事中だタコ」「緊急事態なんだよスカポンタン」「なんだとデコスケ」というテレワークをする家庭ではお決まりのやり取りを一通り行い、もろもろの協定が結ばれた。台所を使う時間とか、大声での会話を控える場所とか、そんなものだ。幸い同居人一言余計だが協力的なので、大変助かっている。

自分テレワークをすることが決まる直前の通勤電車は、横浜から東京へ向かう混雑するはずのものであったが、行きも帰りも座ることができる状態で、その異常さに不安を覚えると同時に、テレワークができるならコロナとか関係なく最初からやればよかったじゃん? という気持ちにもなっている。もちろん、泥縄式に決められたテレワークで大変な思いをしている人も多いのだろうが、これを機に在宅勤務が増えるといい、災い転じて福としてほしい、と素朴に考えている。

とはいえ、かくいう自分も先ほど今週は業務が無事に終わったと述べたが、実のところそうでもない。まず、自宅マンションネット環境があまりよろしくない。在宅勤務が増えたために集合住宅全体の通信量が増えたせいで、やや重くなっている気がする。そのうえ、家庭内でもWi-fiを使う人間が増えたので、回線がぷつぷつと切れる。これについては、新しいルーターを導入することが決まった。

最大の問題は、職場サーバが非常に重くなっていることだ。うちではVDI、つまり個々人の端末ではなくてサーバデータが入っていて、そこにアクセスして仕事をする仕組みになっているのだが、急に在宅勤務が増えたためにサーバ対応できず、しょっちゅうフリーズするようになった。クリックをしても受け付けず、やがて待機画面になる。IT担当が急遽、VDI画面の解像度を落した設定にして通信量を減らしたことで多少は改善されたが、それでもアクセスが集中する始業時刻になると非常にもたつくので困っている。

現に、当社では全社員が出社する曜日と一部しか出社しない曜日があるのだが、明らかに出社人数が多いときほど動作が重いので、こちらにできることはほとんどない。ただ、動作が重くなってきたら一度VDIを切断するとか、気晴らしの紅茶を入れるとか、妹の作ったケーキをかっ食らうとか、その程度しかやりようがない。

慣れない職場環境ストレスを溜めないために、毎朝一時間ほど近所を散歩してから業務を始めている。本来なら電車の中で読書をする時間なのだが、それよりは日照量を確保することを選んだ。幸い、これからは気温が上昇していくし日差しも十分に強いので、気持ちのいい朝を過ごすことができる。花壇も満開だし野草も花盛りだ。それに、ジョギングを始める前はウォーキングをしていたため近所の土地勘があり、適当散歩ルートを五つ見つけてある。それを月曜日から金曜日に割り振れば、曜日感覚も保つことができるだろう。

しかしながら、これでも運動不足のせいだろうか、よくわからない夢を見て三時ごろに目を覚ますことが頻繁にある。そのあと眠れるといいのだが、大抵は床についてもほとんど意識が途切れない。起きてパソコンをするくらいなら、眠れないまま横になっているほうがましだとは言うけれども、退屈ではある。

一応、休日にもジョギングをしてはいるのだが、やはり休日都内に出掛けて美術鑑賞ができないせいかもしれない。そう考えると、原因は案外精神的なものにあるのかもしれず、それはどうしようもなさそうだ。自宅に積んである図録の類を眺めて自分を慰めるしかない。こういう具合に、美術映画の鑑賞、友人との食事会ができないことで、じわじわダメージを受けている。なお悪いことに、自宅周辺の有隣堂紀伊国屋書店が軒並み閉鎖され、職場周辺の書店も全滅したので、月に一度の本社勤務のときに出ても本が買えない。まだ近所のブックオフがかろうじて生きているが、ここが閉鎖したらかなり気持ちダメージがあるだろう。とっととキンドルを導入すればいいのだろうが、一日ディスプレイを眺めているような仕事なので、休みときくらいは目を大事にするために画面から離れたいし、書店をだらだらとうろつく時間は、自分にとっては絵画鑑賞と同じくらいに大切な時間なのだ

ここまで書いてふと思ったのだが、自室で業務睡眠の両方を行うので、精神オンオフの切り替えがうまくいっていないのかもわからない。それで眠りが浅い。

しかし、自分はまだいい。医師薬剤師の友人は、第一線で働いていないとしても不安になる話ばかり聞かされていることだろうし、現在どれくらい危険事態なのかひしひしと感じているはずで、そのストレスは大変なものだ。

こういうわけで、他人との接触ほとんどできないために、失恋からそろそろ立ち直って婚活を始めるか、と思ったのだが、そのためのハードルが非常に高くなっている。どうせ数か月は休みたいと思っていたので、夏までに始めればいいか、と思っていたのだけれど、米大学の悲観的な予測によればこの事態が数年続くとのことで、そうなると待ってばかりもいられない。とりあえず、事態の推移を見守ってからにはなるが、夏になったら資料請求をし、話だけでも聞きに行きたい。

それと、もう一つの濃厚接触である風俗産業だが、店舗によって対応が違う。自分がひいきにしていたハレ系ブランドヘルスなんかは、過剰サービス要求に対する厳しい態度や、店舗防災グッズを置くなど元からコンプライアンス意識が高かったのだが、緊急事態宣言が出た時点で全店舗の閉鎖を決めていた。一方で短縮営業にとどまるヘルスもあるし、ソープランドに至っては管轄する法令が違うせいだろうか、いつもと同じように営業していた。回春マッサージをはじめとしたデリヘル営業しているところが多い。ちなみに、お気に入りバニーガールバー最初のうちこそ通常通りに営業していたが、緊急事態宣言が出て一週間後、五月六日まで閉鎖となった。世間空気に押されたかたちだろうか。未曽有の事態のため政府も混乱している面もあるのだが、政府も具体的な指示をするというよりは指針を示すにとどまっているため、現場対応のずれが見られている、ということなのだろう。

こうして、ほとんどの趣味が封じられた以上、心底ソープランドに行きたいのだが、わざわざ危険なことをしに行くのも馬鹿げている。そういうわけで、ひたすらエロ動画を見ている。内容はもちろんソープランド系だが、時折回マッサージ系か、混浴で裸を見せつけて女性発情させ、襲われるものだ。どうも受け身ばかりでよくないと思うのだが、仕事能動的にしていると、なんだか受け身になりたく思う。これは人によって違うかもしれない。仕事ストレスたまるとお尻ペンペンしながら後ろからしたくなる人もきっといる。まったく、こんな卑猥空想ばかりしてしま自分あさましく思われる。匿名とはいえこんなところに垂れ流しにしている。そして、十万円支給と聞いて思い浮かぶのはソープランドばかりだ。自由に出歩けるようになったなら、投資するとか資格を取るとか、もっとましなことを考えられるようになるだろうか。

ところで、どうせなら日本でもpornhubとかの有料サービス無料にするとかしてくれたらいいのに、と思う。外国人美女エロチャットをしたい。そういえば日本アダルトビデオ配信ってどうなったんだっけ、と調べてみたらソフトオンデマンド無料配信3月末までであった。というか、あれもサーバが落ちたんじゃなかったか

まとまらないが、外はひどい雨だ。ジョギング明日だろう。

2020-04-10

通勤してても、この春は確かに幸せ

二番煎じです。

「在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春」

https://anond.hatelabo.jp/20200404142511

この話を読んで、筆を取りたくなりました。

とはいえ、私は前述の増田とは大違い。

共に過ごす家族などいないし、なにより職場への通勤は逃れられなかった人間

3月から時短営業はしているけれども、緊急事態宣言前後特に何かが変わることはなかった、そんな都内職場で働くテレオペです。

対面での接客の機会が失われた今、私たち仕事は大忙し。

ネットカフェのような仕切りだけがソーシャルディスタンスな、そんなオフィスに何十人も詰められて今日電話に出ています私たちクラスターとなる日は遠くない。たぶんきっと。

感染対策はしているものの、業務遂行されます自分社会歯車しかないのだと、改めて気付かされる日々。

お金を稼ぐため、生きるために、命を危険晒すという矛盾の中を泳ぐ春。

けれど、歯車にも心はあったのだと気付かされたのも事実

時短営業なので、早番だと夕方の日のあるうちには帰れます

7時に家を出て、15時には仕事が終わる、このサイクルに何か見覚えがあるなと思ったら、ああ、これ、10年前に体験した高校生時代と同じサイクルなんですね。

健やかに眠りにつき、体を養うことのできる日々。

日の出る前に家を出て、ビルの中で日が傾くのを見つめつつ、日が沈む頃に帰路に着く今までの生活が嘘のよう。

時短営業とは言いつつ、人が本来、1日に活動をする量というのは、この程度が適切なんじゃないかと思ってしまう。

忙しさに擦り切れていた去年までの春と違って、今年の春は、皮肉にも心に余裕があります。まだ日のある仕事からの帰り道に、ふと見上げると、いろんなことに気づくのです。

桜の花びらのその薄さ。

アブラナの花が放つ甘い香りの重み。

肌を撫でる風の暖かさ。

そして、柔らかく包み込むような春の夕方日差し


何年もオフィスの中から小さく見つめるだけだった春の風景たち。

その春の風景の中に、今年は私も紛れている。

ただそれだけで、どうしようもなく嬉しくて悲しくなるのです。

もう何年も忘れていたような感覚を、この時短生活の中で取り戻しています

学生時代最後に、私が失っていた、春を愛でる感受性

こういう感覚を、また取り戻せる日が来るとは思わなくて。

まだ私にも人の心が残っていたことを知って、なんだか訳もわからず涙が出てきてしまう。

校則を破ってブレザーの下にパーカーを着込んだかつての春の日を、ここ数日ずっと思い出しています




大きな危機がやってきているのだとはわかっているのだけれども、眼前に広がる春の日は嘘偽りなく麗らかで、こんな日がいつまでも続けばいいのにと思ってしまう。

この世界恐慌は早く鎮まってほしい。死者も苦しむ人もこれ以上は増えずにいてほしい。そんな気持ちはもちろん私の中にある。

けれども私個人というミクロ視点で今の生活を見つめると、人生で一番穏やかな日々を送れているのは今なのではないかと思う。



春の夕方日差しの中で、ふと、思ってしまったんです。

「ああ、ここで終わってしまってもいいな」と。

死が明確に、近くまで迫っているこのご時世に、そんなことを言うのは本当に不謹慎なのだけれども。

ただ、こんなに心穏やかな春を、もう人生では得ることができないのだ、という事実が頭をよぎるたび、どうしようもなく、本当にどうしようもなく、悲しくてたまらない。

こんなに春の日は美しくて、幸せに満ち溢れたような姿をしているのに。



毎日、混雑する東京電車に乗り込んでいます。もうもはや、生きるために乗るのか死ぬために乗るのかわからない。

明日私も感染者となるかもしれない。

しかすると、5月を迎えられずに亡くなる可能だってある、危うい日々が続きます

けれど私も、はっきりと思うんです。

この春がきっと、人生で一番幸せな春です。

2020-04-07

非常事態宣言下の研究室

今日、出勤前に髪を切った。次はいつ切れるかわからぬ。

いままで気付かなかったが床屋の向かい和菓子屋があったのか。日差しを浴びながら買ったみたらし団子をほおばる。モチもち感があまじょっぱさと相まっておいしい。

大学に行くと多少人が減っているが教官室は通常営業だ。工学部なので実験系は残っている人が多い。

何となく惰性で来ていた院生たちを集め、「今日研究室解散各自生き残って再開後に会おう」的なことを伝え別れた。

一人ぽつんと夕日の差し込む研究室椅子腰かけて、学生が壁に貼ったアニメポスターやら机上に散らばった実験機材を見ながら物思いに耽った。

やっぱ学生相手は正直つらいな。現代研究学生を巻き込んで実験しながら成果を出さないとやっていけない。

研究室運営は苦手なのに、なんで大学教員なんてやってんだろ。

じつは自分は一人でこじんまり研究たかったんだよな。期せずしてそんな時間がやってきたけど、こんなに世間が騒がしいんじゃそんな気分にもなれないな。

まあ、学生教育をしているといいこともある。学生教員理解力不足と無力さを教えてくれる。まだまだ頭が足りねえぞと高慢の鼻をへし折ってくれる。

いいわけだけど、そう思うことにした。

当分授業も始まらないし、明日からどう過ごそう。

2020-03-29

中絶体験

ものすごい長文になってしまったが投下。

日曜の午後だった。整理が2週間近く遅れていた。

3週間ほど,体も熱っぽく胸も貼っていて,いつものPMSとは何か違うなとは思っていた。

でもまあ生理不順だろう,妊娠なんてしてないよねと検査してみたら,

まさか妊娠だった。

思い当たることは何もなかった・・・と胸をはって言えないのが情けないが,

まさかまさかだった。

これまで,避妊に甘かった自分を猛省した。

ゴムつけると痛いし気持ちよくないし,

中に出さなきゃOKでしょ,位に考えていた大アホな自分をぶん殴りたい。

慌ててパートナーに連絡を取る。

空港で登場手続き中だった彼,急遽行き先を変更して,会いに来てくれることになった。

翌朝一緒に病院へ行こうと決め,

互いの職場上司有給を取る旨連絡する。

病院はどこがいいの?

話し合って,中絶することに決めたものの,

信頼できそうな病院を探すのにはかなり時間がかかった。

口コミサイトを読み漁り,移動中の彼にも調べてもらう。

ホームページできちんと手術の情報提供をしているところを3つほど選んで,

電話をかける。

日曜だからか,つながらない。

最後の3つ目でやっとつながり,翌朝の予約を入れることができた。

22時過ぎ,彼が到着。

不安なまま眠りにつく。

●診察,手術日決め

翌朝,予約時間より30分も早く病院へ到着。

受付にはまだ人がいない。

問診表に一通り記入し,診察の順番を待つ。

中絶希望の欄んにチェックを入れる。苦しい。

名前を呼ばれ,彼もいっしょに診察室へ入った。

担当は,ベテラン男性医師だった。

下着をとり,診察台へ座る。

カーテン越しに先生の気配。隣にはパートナーが入ってきてくれている。

「さて,赤ちゃんはいるかな?」と先生エコーを私のおなかにさしこむ。

あ,いるね。「見えますか?心臓がぽこんぽこんってしていますよ」

大きさは3ミリ,6週と3日だと言われる。

心臓が動いているの,見えるね」

赤ちゃん,いるんだ。

私たちは顔を見合わせた。言葉が出なかった。

別室で先生から手術の説明を受ける。

手術は麻酔で眠っている間に終わり,4時間ほどで日帰りでできる。

当日は,二人の署名押印をした同意書と,ショーツナプキンを持ってくるよう言われる。

手術費用は,妊娠週数が増えるごとに5千円ずつ高くなるらしい。

お互いの仕事の都合もあり,

結局,8週目の金曜日に手術を受けることに決めた。

金曜なら,週末,家で安静に過ごせる。

その後,採決と血圧などの検査があって,1時間ほどで終了。

保険がきかないので1万5千円の支払い,高い。

産んであげられる環境だったらよかったのにね。

結婚していたら,おめでとうって心から思えたのにね。

複雑な気持ちで,そんなことを話しながら家に帰った。

●手術まで

手術までの10日間ほど,体はゆるやかに変化していった。

妊娠6~8週目,つわりが出てくる時期だ。

激しい眠気,熱っぽさと体のだるさにはじまり

空腹時の吐き気,船酔いのような気持ち悪さと胸の張り。

初めて経験するつわりだった。

このまま産んであげられたら,と何度も考えた。

計算すると,出産予定日9月24日

それまでに婚姻届けを提出して,7月から産休に入って。。

家はどうしよう。仕事は?親にいつ話す?

色んな妄想をしてしまって,仕事も手につかなかった。

彼も相当に悩んだらしかった。

でも結局,飛行機2時間遠距離恋愛で,お互いキャリアも別々で,

すぐに結婚→同居→育児なんて,非現実的すぎる話だった。

看護師さんは「考えが変わったら,いつでも連絡してね」

と言ってくれた。

でも私たちは結局,中絶を選んだ。

●手術当日

同意書とお金必要ものを準備して,

彼に付き添ってもらい,病院へ。

順番が来て,診察室へ入る。

エコーでおなかを見ると,赤ちゃんは少し大きくなっていて,心臓は元気に拍動していた。

心臓,元気に動いているね」

もう決めたことなのに,心がとても痛んだ。ごめんね。

私がとても悲しそうな顔をしたからだろう,先生

「あまり言うとつらくなるからね。これくらいで」と言って手を止めた。

子宮はおなかの方に傾いているね」と言われる。

子宮位置に後屈とか個人差あるなんて初めて知った。

再度手術の説明を受け,支払いを済ませる。

手術費+診察費+赤ちゃんの埋葬費で合計12万円ほど。

手術は眠っている間に終わり,出血と軽い腹痛はあるかもしれないが,翌日から不通に生活できるとのこと。

性交渉は2週間ほど禁止らしい。入浴もNGシャワーは翌日から大丈夫とのこと。

看護師さんは,ビビりな私の質問にも丁寧に回答してくれて,

やっと安心できた。

9時半過ぎ,個室に荷物を置き,彼に見送られて手術室へ向かう。

手術は10時過ぎからだった。

15分くらいで終わる,難しい手術ではないという。

手術室で看護師さんが一人,淡々と準備を進めていく。

手術台に寝かされ,足を固定される。

筋肉注射のあと,点滴で麻酔がはじまる。

私は一瞬で意識を失った。

遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる,終わったらしい。

下腹部の鈍い痛みを感じつつもうろうとするなか,担架にのせられ個室のベッドへ運ばれる。

手術は無事に終わっていた。

ずっと悪夢を見ていたが,

目が覚めて気が付いたら彼が来ていて,昼過ぎになっていた。

最初に思ったのは,とにかくおしっこがしたい。

立ち上がろうとするもふらついてまともに立てない。

ほんの数メートル先のトイレに行くのも危ないというので,

おまるを持ってきてもらう。

ぐったりしている。体が鉛のように思い。

そのまま1時間ほどまた眠った。

二度目に目覚めたとき,気分はそれほど悪くなかった。

14時過ぎに病院を出た。

無事に終わってほっとした,それが一番だった。

遅めのランチに何を食べようか,彼と話しながらバス停までのゆるい坂道ゆっくり歩いた。

バスはすぐ北。

あたたか日差しのなか,バスに揺られてぼーっとしていたが,

突然,めまい吐き気に襲われた。

麻酔が抜けきっていなかったのだろうと思う。

何とも言えない気持ち悪さで,すぐバスから降りて横になりたかったが,そうもいかない。

何とかターミナル駅バスを降りてタクシーに乗り換え,家に着くとベッドに倒れこんだ。

述語は安静にね,としつこく言われたのに,私が甘かった。

おとなしく病院からタクシーで直帰すべきだった。

アルコールに弱い,もしくは全く飲めない体質の人は麻酔がききやすいらしい。

私がまさにそうで,しかも体力もないのだから,用心すべきだったのだ。

●術後の経過

翌朝,退庁はかなり良い。

が,昨日のこともあるので家でおとなしく過ごす。

術後の腹痛や出欠具合は個人差が大きいそうだが,私の場合はどちらもほとんどなかった。

体の熱っぽさが嘘のように消えていて,船酔いのようなつわりもさっぱり消失していた。

久しぶりに「体が自分だけのものになった感じがした。

術後は3日間ほど薬を飲み続ける。

支給収縮剤,痛み止め,抗生物質の3種類を一日4回。

薬を飲み切った翌日の夜,急に生理痛のような下腹部痛があった。

耐えられないほどではないが,生理痛が普段ほとんどない私にとっては,かなりしんどい痛みだったため,痛み止めを飲んだ。

調べてみたら,妊娠で大きくなった支給が元の大きさに戻ろうとするときにおこる,正常な痛みらしい,ほっとした。

市販の痛み止めは買っておいてよかった。

●1週間後

術後の回復状態を見るため,最後の診察へ。

診察台へ上がり,エコーの機会を挿入されるのも慣れたもんだ。

「うん,完璧ですね」

先生いわく,きれいに手術できていて回復も順調とのこと。

よかった。

最後の診察費を払い,病院を出た。

次,もしここに来ることがあれば,幸せ妊婦として期待。

●まとめ

膣外射精でも妊娠する(当たり前)

病院選びは慎重に,料金よりも安心感で選ぶ

・術後すぐはあまり動かないこと

・痛み止めは買っておいたほうがいい

・料金は8週目で総額14万ほど(診察費,薬代等含む)

2020-03-21

彼岸から祖母が亡くなる前のことを思い出した。

妙に冷たいのに日差しが入ってくる明るい病室で、呼吸器をつけて眠る祖母は、癌の痛み止めのモルヒネだか何だかのためにも意識ほとんどなくて、静かな吐息が死に向かう人間には思えずちぐはぐした印象を覚えたことをよく覚えてる。疲れて悲しい響きのする母と叔母の声を聞きながら、握った祖母のひんやりとしたやわらかい黄色くなった手と、漂う甘ったるくて少し吐き気を催すような匂いを一生忘れないと思う。

その後あっという間に亡くなった祖母葬式では、本当にきれいに化粧をしてもらって、ただただ眠ってるようにしか見えなかったのに、触れた頬はびっくりするほどかたくて冷たかった。葬式の前、叔父半年ほど前に亡くなっていたので、追いかけて逝ってしまったんだ、と冷静に考えていたけど、あれは立て続けの死に感情麻痺していたんだと思う。触れてやっと死を実感した。もう二度と目を覚まさない。当たり前のことをあの肌の冷たさでようやく理解して、本当に死んでしまったんだとぼろぼろ泣いた。

もう15年は経つだろうか。墓参りに来いという知らせかもしれない。

2020-03-06

世界の終わりで

すっかり安心して、深く眠ってしまったみたい。前回はまるで寝れなかったのに。

早朝に目が覚めた時も君はまだこちらを向いて眠っていた。ちょっとしかけたら起きてるみたいだった。かわいい顔にたくさん、キスの雨を降らせる。あなたの寝顔が好き。世界で一番きれい匂いが好き。あたたかい、春の日差し匂いがする。もう世界は終わるんじゃないかって思った。

ウィルスで人が人を遠ざけているこの時代に、わたしは何度もキスをして、だいすきなあなたとHする。自虐的な君のツイートを思い出した。ああこのキスってわたしのことじゃん、かわいいな、とか思った。別にあなたがそれなりに知られてるひとじゃなくてもきっと好きだけど、まわりのみんなはなんも知らないんだろうな。不思議気持ちわたしも二人で会ってるときの君以外、何も知らない。知りたくもない。「誰にでもしてるんでしょう」「そんなことないよ」嘘でも否定してくれてありがとうね。会ってるときだけは一番に好きだよ。本当に綺麗な人だと思う。あたたかさに落ち着く。頭の中であなたの歌と、あなたに捧げた私の歌が交互に鳴っていた。

こんな終りみたいな関係は、本当に、胸が苦しくなるほど美しくて、せつない。最悪で最低で、どこか邦画くさい。

寝ても覚めても」を観に行って泣いたとき、私はこれを予感していたんだろうか。

2020-02-18

出張先でデリヘル呼んだ話

「旅の恥はかき捨て」とは言うが、出張先でデリヘルを呼ぶときは、解放感と寂しさが同居する言うなれば旅情ともいうべき感情を覚えることがある。

その当時、私は首都圏の零細編プロに勤めるしがないライターだった。出張先が能登半島と決まった時には、久しぶりの遠征に心躍る反面、アクセスの悪さにやや辟易したことを覚えている。何を隠そう、その当時、私は素人童貞であった。肩書き解説は他の文献に譲るとして、端的に言えば、ごくありふれた、さえない彼女なしの三十路前の男であった。

無事現地でクライアントと合流後、取材自体は滞りなく進んだ。関係者と軽い打ち上げをした後、事前に予約してもらっていた七尾市ホテルに泊まることとになった。七尾市和倉温泉という高級温泉街を有し、バブル経済華やかなりし頃は北陸有数の歓楽地であったそうだが、少なくとも駅前景色からはその面影は全く感じられなかった。

ホテル備えつけの温泉に浸かった後、外気にあたりたくなり外へ出る。能登地酒と熱い湯にあてられ、火照った身体に冬の外気が心地よい。時間はちょうど0時を回ったところ。ポケット煙草を取り出そうとしたところで、ふと、デリヘルを呼んでみようかと思い立った。

旅先の開放感と、久々の出張先で仕事を全うしたことへの安堵感がそうさせたのか。気づけば私はgoogleではじめにヒットしたお店に電話をかけていた。

すぐにボーイと思しき男性電話口に出た。七尾市ホテルにいることを伝えると、10分ほどでやってくるという。慌てて財布を取り出すと、諭吉がたったの一枚寂しそうにこちらを見ている。速やかに嬢の派遣を依頼すると同時に、最寄りのコンビニまで走る。現金調達して帰ってくると、ホテルの前には既に一台の黒いセダンが停まっていた。

近づいていくと、「〇〇さんですか?」と声をかけられ、車の中から二十代と思しき可愛らしい女性が現れた。彼女は、自分のことを『春華』と名乗った。連れ立って足早にホテルに入る。クライアント鉢合わせしたら最悪首が飛ぶなーと考えつつ、フロント男の若干の視線を感じながらそそくさとエレベーターに乗りこんだ。

無事に何事もなく部屋へ入って安堵する。春華が時間確認タイマーをセットする。素人童貞とは言え、私はどんな時にも紳士さを忘れない男だ。ホテルの一室で、互いに知らない者同士が邂逅するとき特有の気まずさのなか、精一杯何かしてあげようと彼女コートをかけようとしたが無難に断られる。間を持て余した私は、無意味自分荷物を移動したりバッグの中身を整頓したりした。そんなことをしている間に春華は速やかに全裸になりユニットバスへと消えていった。

程なくして「どうぞ~」という声が聞こえ、そこではじめて、私は思い出したように全裸になり、ユニットバスの扉を開けると、そこには全裸の春華がいた。

バスの中で体を洗ってもらう。特に、愚息の洗い方は丁寧だった。年齢を聞くと「二十歳です。」短く答える。実際には22,3だろうと思ったが、それ以上の詮索をしないのが紳士たるもの

さて、ベッドに身体を仰向けによこたえ、非常にスムースな流れで、春華は私の愚息を口に含んだ。極めてスタンダードフェラチオである。愚息がぬらぬらとしたあたたかものに包まれ、大変に心地が良い。ただ、少々打ち上げで飲みすぎてしまったようだ。それなりの硬度には至るものの、一向に射精する前兆・気配がない。春華も焦りを感じはじめたのか、次第にストロークが大きくなり、それに伴い彼女の歯が軽く当たるようになったことで、愚息はいっそう前立腺門番を奥へと押しやってしまうのであった。

体勢に限界を感じた私は、体を横に倒し、極めて紳士的な態度で自分の手のひらに春華の頭をのせてやった。そうすることで、彼女がよりリラックスした体勢で愛撫に集中することができ、私も腰を動かすことで刺激をコントロールできる、一石二鳥の策略である。これで多少はマシになったものの、射精神様はまだ一向に降りてくる気配がない。

すでに彼女が口淫をはじめてから体感でおおよそ15分が経とうとしていた。それが意味することをデリヘル経験の諸兄姉にもわかりやす説明するのも紳士たる者の務めである。今回のプレイ時間契約上60分間の予定だが、実際のプレイ時間はその半分がせいぜいといったところ。タイマーは部屋に入った瞬間からスタートし、そこから互いの身を清め、ベッドインするのにおよそ15分、終了15分前にはタイマーが鳴り延長の是非を判断するので、実際のプレイ時間は30分にも満たないことも多い。したがって、その時点ですでにプレイ時間の半分が経過しようとしてた。

このまま続けてもらって射精できる可能性は低い。おそらくはやってできないことはないのだが、万が一逝けなかったときに、嬢の自尊心を著しく棄損してしまったり、自分の心に黒部の峡谷ばりに深いわだかまりを残すことになる。そんな未来絶対に避けたかった。

果たして私はそれを打破するイデアを持っていた。そして恥甲斐もなく、それを言葉にする軽薄さをも持ち合わせていたのだった。

「あの、、ちなみに、お金積んだら挿れさせてくれるとかってあります?」

彼女は即答した。

ゴムありなら一万でいいですよー」

「あ、それじゃ、お願いしまーす」

かくして私は令和はじめのセックス七尾デリヘル嬢と修めることとなったのである。なぜ私がコンドームを持参していたのかという点についてここでは触れないが、プレイの内容自体は、とりたてて特筆すべきことはなかったということを書き添えておく。

正常位で射精にいたり、そのままゆっくりと倒れ込む。いくばくかの満足感と虚脱感に身を委ねたのも束の間、終了のアラームが鋭く鳴り響いた。

「すごいタイミングですね。」と笑いながらユニットバスへ導かれ、再び火照った身体と愚息を丹念に洗ってもらう。ふと、春華の首元に光るネックレスが目に入った。無事に時間内に射精に至った達成感と、形だけとはいえ、挿入事後の妙な連帯感も手伝い、バスの中で少し雑談をした。以前は新宿ソープランドで働いていたこと。昨日に初めて七尾で出勤したが指名が一件も入らず店のボーイにめっちゃ謝られたこと。

そこで私には不覚にも、邪な思いが芽生えたのだった。それはすなわち、春華が七尾にきて初めてセックスした相手が私だったのはないかと。

恥を忍んで聞いてみた。

もしかして七尾にきてから初めてのセックスだったりします?」

彼女は少し言い淀み、それからしかしハッキリと

「いや、はじめてではないですね。」

と言った。

なんと。ということは本日すでに同様のケースが少なくとも1回はあったということか。内心動揺を隠せず、「そっか~。そうだよね〜」といった感じのとりあえずのリアクションを返しながら、どう繕ったものかと必死に思案していたところ、彼女は少しの沈黙の後、くしゃっと表情を崩して、こう言った。

「私、素直だから言っちゃうんですよねー。お店の人には、必ずそういう時は”はじめて”って答えた方がお客様は喜ぶからって言われてるのに。風俗嬢向いてないんだわー」

そのあけすけな笑顔に一瞬で引き込まれ、あまりの可笑しさに思わず、私はユニットバスはおろか部屋の外まで響き渡ろうかという声で大笑いしてしまった。彼女も「そんなに笑うことありますかー!?」と気恥ずかしそうに笑ってくれた。その時たしかに、彼女はどこにでもいる二十歳前後女の子の顔に戻っていた。

それからいろんな話をした。家族のこと、5人兄弟の長女であること。首のネックレスは二十歳の誕生日に弟からプレゼントされたものであること。以前は飲食店で働いていたこと。好きな音楽のこと。

彼女back numberが好きと言ったので、Spotify人気順再生した。まったく聞かない流行りの曲も、嘘をついて一緒に聞いて、いいねと言って笑った。

2回目の終了アラームが鳴り、春華を外まで送る。送迎の車がきていることを確認し、手を振った。

・・・

30になった今も素人童貞肩書きは消えないが、確かにあの瞬間彼女はどこにでもいる二十歳の女の子だったし、いち素人女性と一緒に体を洗い、身体を拭き合い、家族の話や好きな音楽の話をして一緒に笑った経験は、確かな現実のものとして記憶に刻まれている。

朝の日差しに浮き上がる能登島と、どこか瀬戸内海を思わせる穏やかな七尾湾の景色と共に。

2020-02-15

anond:20200215193240

赤道に近いほど、日差しは強くて、紫外線も強くなると言うことはありそう。かといって、北海道東北での風邪引きリスクがあがるとも思えないんだが。

日光消毒とか、紫外線ランプでの消毒はあるものなぁ。

2020-01-29

あったけえ!あったけえ!春かよ!

半袖で十分だ!日差しがありがてえ!

anond:20200129002929

行ってるよ

日差しが暑くて限界な時と、雨の時はさすがに地下鉄で行くよ

2020-01-17

10年以上前アニメ一場面を一瞬だけ見たんだけど、なんだったかからないものがあって、

ガンダムっぽい感じだけどモビルスーツが出てたか覚えてない。

南洋の孤島みたいな場所だけど、ジャングルとかでなく飛行場のような人工的な感じ。でも人気はない。

登場人物が何か重要物資宇宙へ送り出すか受け取るかするために宇宙エレベーターが到着するのを待っている。

宇宙エレベーターでなくてスカイフックだったかも。無事到着したかも覚えてない。

南国の日差しが強く青々とした水平線に囲まれた南国と宇宙エレベーターというミスマッチがなんか印象的で、結局荷物は受け渡しできたのかなー

2020-01-16

地方就職する 追記あり

東京から地方就職するので今の状態備忘録

転勤族の子で、各地を転々とし、両親は最終的に東京に家を買った。親は、本人達は認めないが平均より裕福で、たくさんのことをさせてくれた。大学に通わせてくれたし、海外経験もさせてくれた。

私は地方都市に就職する。鉄道使うより飛行機の方が東京に早く着く街だ。就職する街には東京と直通便がある空港がある。

なぜ地方就職するかというと、混雑が向いてないし、東京という街を活用できてないからだ。繁華街に行くとどうも体調が悪いなと思ったら、軽いが感覚過敏であることが分かった。特に音と光。ノイズキャンセリングイヤホンをしないと疲労がすごい。IMAX映画を観ると耳が遠くなる。薬を飲む前はあらゆる待機ランプに目張りをしていた。冬でも日差しの強い日はサングラスをかけている。あと色。教材の色がうるさくて集中できないという理由進研ゼミからz会に変えたことがある。香水もだめ。においのする柔軟剤のことを恨んでいる。WAISでは自閉症スペクトラムとは言えないと診断されたので、感覚過敏だけがあるスペクトラム者なのか、全く違うのかよく分からない。HSPなる概念にめちゃめちゃ当てはまるが、あれは今のところ精神医学概念とは言えないし、私の嫌いなスピ系と界隈が近いので自分がそうだとは言いたくない。とりあえずエビリファイで症状?は緩和されたので、なんでもいい。症状があって対策がある。それでいい。それでもサングラスはするし渋谷は歩けないし人酔いはするしノイズキャンセリングイヤホンは手放せないので23区を離れるけれども。

満員電車も嫌いだ。実家日本で1番混んでる路線が最寄りだ。昨日久しぶりに満員電車に乗って視界が真っ暗になり何も聞こえなくなって車内で座り込んだ。つくづく向いてないんだなと思った。

地方転々としていたので、地方とひとくちに言っても本当に色々あることを知っている。私の基準としては大学のある街は人の行き来があるせいか排他性が薄い。ということで国立大学のある街の、中心街から電車20分の空の広い郊外に住むことにした。家は職場から徒歩5分のとこを借りる。近くに本当にでかい、なんでもあるショッピングモールがある。映画館もある。

同級生特にまれも育ちも東京の人からはあまり理解されなかったが(というか東京まれ東京育ちの人は東京京都大阪以外はみんな村だと思っている傾向がある)、悪くない選択だと思う。いや、大都市でどれだけいい会社就職しても通勤生活がつらくてすぐ辞めるのが目に見えているので、地方就職するしかなかった。地方の、大都市に支社や支店がある会社に勤めるとそちらに飛ばされる可能性があったので、そういうののない地方中小企業に決めた。英語が人よりできるので海外取引する部署営業事務も向いてない自覚があるが、壊滅的に数学ができないので理系に進めなかったのだ。理系になりたかったな。

自分なりにいい所を選んではみたつもりだが、内定式で直属ではないが上司セクハラ野郎がいることが分かった。「色気が足りない、お酒を飲むともっとセクシーになれるよ」と若い女社員に酒を注いだり、若い女社員上着を脱ぐと「僕のために脱いでくれてるのかと思った」などと言う。社長もそれに対して笑ってるので、私は早々に辞めるかも知らんと思っている。大学の先輩にこの話をしたら「セクハラに対して絶対に笑わないこと」と教えてくれた。他にできることあったら教えてください。飲み会強制参加ではないらしい。学歴はそこそこあるしTOEICは900とったし転職は難しくはないと思うけれど、就活もう一回はしばらく嫌だなあ。

小説を書いている。たまに土曜出勤がある職場だが、勤務時間通勤時間を加えたもの拘束時間として考えると、通勤時間ドアツードアで往復90分の大手企業余暇時間はそんなに変わらない計算になる。小説を書く時間にあてたい。職場から帰ったら即寝て、2時から3時頃起きてすっきりした頭で小説書いて、出勤して寝る。休日映画観る。初めてのボーナス実家の猫にキャットタワーを買う。できそうだったらだけど、取引先のある国に転職するのもありかなと思っている。

生きていきたい。

追記

たくさん助言を頂けてびっくりしていますありがとうございます

セクハラを録音しておくというアドバイス複数いただいているのですが、社長セクハラ容認する態度をとっている場合、どのようにして録音を活用すれば効果的か教えていただけると嬉しいです。

飲んでる薬――エビリファイ1mgです。これが感覚過敏用で、冬季の気分の落ち込みにジェイゾロフトを、眠りやすくするために頓服ロラゼパムを処方されています

海外で困りごとはなかったか――気楽な語学留学だったこともあり、特になかったです。自分に3食餌付けするのが大変といえば大変だったかな。自炊してたので。某国の静かな地方都市に滞在したのですが、そこでなぜか異様にストレスなく暮らせたことで自分感覚過敏に気付けました。親に感謝しています自分語学力学力もっとあれば真剣移住を考えていました。

子供の頃に周りの大人に怒鳴られていなかったか――怒鳴られたことはおそらく1度もないです。怒られたこともほとんどないです。長女なのもあってか、ずっと優等生でした。成人付近で崩れましたが。7歳頃に周りの子からいじめを受けていた経験はありますが、当時のことはよく思い出せません。

anond:20200116001018

大きなボートで、海を渡ってる。晴れて空は高い。日差しも強い。

海をのぞき込むと、その下に物凄い立派な遺跡がはっきりと見える。とても素晴らしいものだ。

海の底に眠ってる遺跡ってなんていうんだっけ、映画か、空想小説挿絵みたいだ。

そう思ってる時に、目が覚めた。

過去生や、未来予知夢なんて信じないけど、本当に自分の脳のひきだしか

こんなすごい映像がどこから来たんだろうみたいなの、時々見ていたよ。

2020-01-13

遠い成人式の思い出

ニュース成人式映像が流れていた。

ふと、自分成人式が遠い記憶の中からよみがえってきた。

僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。

それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。

式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。

式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。

傾向としてはい大学に行ったまじめな人は結構来てなかった。

自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。

誰か仕切りたがり屋の学生夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。

仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害オタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。

駅ビルレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。

だけれども、なんだが納得いかない時間だった。

ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的ハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。

勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。

そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。

みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。

彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。

一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。

そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散夕方クラス会で再開した。

クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落飲み屋の貸し切りだった。

やっぱりここでも僕は輪から外れたオタク連中と飲んで騒いだ。

工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターから動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通大学生とか楽しいやつらばかりだった。

女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。

騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。

今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。

今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かにしかけるということがすごく勇気のいることだった。

中学とき美術部という名の社会不適合者の煮凝りだった。

美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。

彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。

工業高校から地元私大化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGデザイナー専門学校に通っているらしい。

おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。

唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。

その後、彼らはどうしているのか。クラス会の話がも回ってくるようなつながりもないし、地元も離れてしまったので知らない。

かつて毎日顔を合わせた連中は、もう会うこともないのだと思うと少し悲しくもある。会っても話すことないし、それでいいか

2020-01-09

anond:20200107234552

こんばんは、寒蘭です。花を咲かせて下さりありがとうございます。外は寒いですね。冬についていくつか挙げてみましょう。まずは音。鳥が枝を蹴り、霜が溶けて石が転がる、そんな微かな震えまで届く静けさ。または光。朝も夕も日差しが傾き、目を凝らしてもどこか正体不明になる眩しさ。そして乾き。触れても引っ掛かることなく離れていく指先の感触

つまるところ、冬は個を際立たせる季節です。そこら中が芽吹いたり咲いたり枯れたりと派手に立ち回るうちは、騒ぎに身を委ねていれば自分もあちら側にいる心持ちになれました。けれど冬はどうにもそれを許さない。置いてきぼりを喰らったような急な静寂の中で、立ちのぼる線香の煙のように香るのが私です。

バラユリが気高くも人を喜ばせる香りに相応しい花姿をするように、私の花は寂しいものです。鳥の嘴を束ねたような花弁には筆で掃いた程度の色がのります。静かで鋭い香りには奥行きがあり、ふいに涙を誘いもするでしょう。過去を省み未来を案じるような慟哭を連れてくるかもしれません。

この香りは危ないと思いやしませんか。ならば私とあなただけの冬の秘密にしてはいかがでしょう。秘密があると行動の意味が変わります。朝起きて外出し家に帰る、その姿は以前と何ら変わりませんが、もはやあなたは重大な秘密を抱えているのです。安易に人になびかないあなたから守れる秘密です。世界から私を隠し、人々が冬を乗り越えられるように守ってください。

いずれ暖かくなり、私は枯れます香りが幻になったころ、打ち明けるに値する人が現れたら、冬の秘密をそっと伝えてみてください。暗い部屋に漂う異国の匂い、冷たい空気不思議な高揚、掻き立てられた不安、瞼に浮かぶ景色言葉香りは表し足りるでしょうか。もどかしさを覚えたら、次の冬、共に秘密を抱える約束を結ぶのも良いかもしれません。

清貧の家に客あり蘭の花 子規

2019-12-23

日差し少ない12月東京の日時間平年の7割

心を病む人が増えそう

憎い友人が死んだことを半年遅れで知った。

ただの、フィクションの⻑駄文です。

⻑い⻑い文になってしまった。



1ヶ月ほど前、私の男友達からメッセージが来た。

Facebookの、アイツの投稿なんだけど」

と文に続いて画像が送られてくる。

Facebook投稿の、スクリーンショットだ。

だいぶ彼も慌てていたのだろう。

ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。

Facebook投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。

彼女の母を名乗る者から投稿は、淡々とした文で訃報を綴る。

しおり半年前、突然の病気で急死したこと

心の整理がつかず連絡が遅れてしまたこと。

そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。

かに淡々と、けれど詮索を拒否する文面がそこにあった。

LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。

とはいえ彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。

返信をしてからすぐに、彼から電話がかかってきた。

彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。

その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。

本当は大笑いしたかったのだ。

憎い憎い、彼女の死が、心の底からしかったのだ。

私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。

当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。

そういう、他愛もないよくある関係の三人だった。

そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。

彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。

そういう微妙バランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。

そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。

私は彼女完璧無視されながら、「三人で話していた」。

まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧無視されていた。

理系大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。

大学中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)

ただの恋敵からマウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。

その願いは数年後に叶うとも知らずに。

その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。

大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。

食事も取れず、かなり痩せてしまたこと。

そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇シンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。

実際彼は、彼女のことを心配していたし。

私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。

彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。

そうして、今回の訃報に至る。

彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。

勝った、と思った。

私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。

わたしは、人の死を、よろこぶひとになってしまった。

後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。

多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。

から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。

バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。

彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。

けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。

穏やかな顔で私は嘘をついた。

「知ってたよ?あの子、たまに私に相談してくれてたから」

割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。

何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。

どうしても彼女恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。

どうしても身体関係を結べなかったこと。

最後喧嘩別れしたこと

そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。

これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。

そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。

けれど、彼女は死んでいる。

からこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。

そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。

草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。

彼女には未来がないこと。

それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。

あんなに学歴や彼との距離感マウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。

もう彼女には何もない。

あんなに心を崩すほどに勉学に励んでいたのも無駄になった。

入った大学キャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。

そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。

何よりもそれが嬉しい。

彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。

リビングには薔薇ドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースクロスが敷かれていた。

そして、彼女仏壇を置くために、一室を使っていた。

仏壇とき大仰なと毒づいてしまいそうになった。

演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。

くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。

悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。

仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分我慢 しよう、という気概を感じ取れた。

男子からこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。

リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。

「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」

彼女の母と、私は目で訴え合う。

それを聞くのか?という母親の目と、

死因を教えて楽しませろという私の目。

たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつのなのだと感じてしまっ た。

あの、喰えない女を産んだ女だ。

「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」

浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。

ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。

けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。

彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。

話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。

浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。

けれども、脳浮腫医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。

浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である

それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。

たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である

そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。

そして私は、一つの結論に至り、また悦に浸る。

まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。

浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。

可能性はこちらの方が高そうだ。

突然、死に至る病としては説得力がある。

けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。

から、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。

浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものであるくも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。

そして、私はふと思い出すのだ。

彼女大学入学からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。

そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。

もちろん七割は、私の願望なのであるが。

帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。

その煌めきの中に、彼も共にいる。

なんと幸福時間なんだろうと、心の底から思った。

この煌めきを、彼女はもう永遠に味わえない。

その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。

から、いいのだ。

彼の口から、今の彼女との結婚プランの話が出てきたとしても。

彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。

この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。

から、その今の彼女名前を、今回死んだ彼女仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。

来年の今頃、彼は式を挙げる。

彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。

それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。

そして、もうひとつ彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。

彼女は、どのように死んだのだろう。

微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?

それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。

ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。

けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。

首吊り飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。

ああ、彼女は、世界絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。

今までの努力が全て無駄になった上、 彼から彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望最中彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。

そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。

私の恋心はどこから崩れてしまったのだろう。

駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。

からは、ニコニコと笑いながら答えが返ってきた。

「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。

来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。

それは、幸せことなのだ、きっと。

そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せ人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。

死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。

やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。

その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。

この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。

ただ一つの結論として言えることはある。


こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。

2019-11-21

ああ、もう夕方

日差しの色がすっかり明るい茶色系で

今日も何もせず終わる

2019-11-08

NHK最近特集組んでる強度近視。その対策で1日最低2時間、屋外活動をする(日向でも日陰でもOK日差し当たる窓際でも屋内では意味ない)ってのがあって、子供の頃、屋外活動してたけど近視ひどくなったと思ったけど、30年前の小学生の頃を改めて思い出して見ると、通学路往復で30分、体育の授業45分、昼休み外遊び30分で、2時間に届いてなかった。体育の授業がなかったり、体育館の授業になると、更に屋外活動の機会がなくなる。だから強度近視になっちゃったのかぁと原因理解

2019-10-09

腕の痛みに悩まされて結果、午前中仕事サボったけど、この季節お昼歩くの最高。空も青いし、これだけでまだ生きていける。

ジョーカー他人事に思えなくてたった一人の友人に連絡したらへレディタリーに比べたらとよくわかんない感じに煽る空気のよめなさだし‥似たもの同士なんだろうけど、そんな痛みも少し忘れられた。日差しが痛くない。風が気持ちいい。

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