僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。
それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。
式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。
式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。
自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。
誰か仕切りたがり屋の学生が夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。
仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害なオタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。
駅ビルのレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。
ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的にハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。
勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。
そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。
みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。
彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。
一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。
そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散し夕方のクラス会で再開した。
クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落た飲み屋の貸し切りだった。
工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターからの動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通の大学生とか楽しいやつらばかりだった。
女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。
騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。
今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。
今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かに話しかけるということがすごく勇気のいることだった。
美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。
彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。
工業高校から地元の私大の化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGのデザイナー専門学校に通っているらしい。
おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。
唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。