はてなキーワード: アフリカとは
九州国立博物館の展示名が「盗作」と訴えられている件について http://mainichi.jp/select/news/20130917k0000e040212000c.html
はてぶコメントを読む限りでは、ロンドン大の教授がやり過ぎではというコメントが多い。イギリスの大学で勉強をしている身としては、何を「盗作」とするのかについて、日本とイギリスで感覚にずれがあるように感じる。
イギリスのアカデミアでは「剽窃」についてとても厳しい。これは大学教育の最初の段階でとても厳しく教えられる。レポートや論文を書く際、「他の人の文献」を引用をしたら必ず出典を明記する、というのは当然だが、「他の人の考え」を引用した場合にも必ず引用元を明記しなければならない。学会や授業の講義で得られたアイデアはもちろん、親しい友人のアイデアであっても、原則として引用元を記せ、と私の大学では教えられた。そして、自分のアイデアが盗まれないように、誰に何を話したかはメモを取っておくように、と。
今回の一件について、ロンドン大学のスクリーチ教授が所属するアジア・アフリカ研究学院(SOAS)にももちろん剽窃について決まりがあり、「他者の考えや言葉を自分のもののように表現する事は避けなければいけない」と記載されている。http://www.soas.ac.uk/languagecultures/studentinfo/plagiarism/
日本人の感覚からすると、「視覚革命」と「江戸絵画」が一緒に使われる事ぐらいあるでしょ、と思うかもしれない。しかしイギリスにいる感覚では、あまり一般的でない言葉をくっつけて(「視覚革命」なんて日常生活で使わないでしょ)、しかも本と同じような内容の展示のタイトルとして使っちゃったら、剽窃を疑われても仕方ない。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
世界一周に行ってきました。
途中フィリピンの英語学校に4ヵ月ほど留学したので、実際は8ヶ月程度で世界を回ったことになりました。
私は20代をすべて一つの会社で過ごし、30才になるのと同時に会社を辞めて出て行きました。
現在は新しい会社に就職し、なんとか社会復帰できたので、少し感想をまとめたいと思います。
■回ってみて■
まず、思ったことは、この年になって人生観は変わらないということ。また回るなら若いうちがいいということです。
実際私が出会った日本人バックパッカーは、20代の人がほとんどでした。(27歳がやたら多かった。)
もちろん30代の人もいるにはいるのですが、ほとんどが夫婦であり、独身の人間はあまり見かけませんでした。
それなりの社会経験を積んだ人間であるからこその見え方、感じることはあるにせよ、新鮮さを考えると1年でも若い方がいいでしょう。
■英語■
私の場合は出発時のTOEICが270点。当然のごとく英語がちんぷんかんぷんであったため、騙される。遺跡にいっても解説の意味がわからない。ツアーではボッチになるという三拍子も四拍子もそろった経験をしてしまい、フィリピン留学となりました。
現在は750点程ありますが、本当に前半の4ヵ月は無駄にしたなと思います。
(それは友達づくりや一般人とのふれあい、ツアーでの理解度の深さなどすべてにおいてです。)
個人的な意見としては、TOEICで言うなら600点が旅を楽しくするボーダーのような気がします。
もし、現在世界一周を考えていて、英語力のない人はまずフィリピン留学に行くことをすすめます。
もしくは、時間があるならインターネットでフィリピン人と行う授業があるので、そちらをやってみるのも手です。(とても安いです。)
フィリピン英語は良くないという人もいますが、私の回った範囲内で言えば、まず困ることはありませんでした。
もしあなたが人生に一度しか世界一周をしないのであれば、事前努力は必須でしょう。
■旅行について■
これは私の友人から聞いた話ですが、世界航空券はあまりおすすめができないということ。
なぜなら、実際に旅行を開始してみると、当初の計画の他にどんどん行きたい場所が追加されていくからです。
世界航空券を使って回っている人のほとんどが後悔をしているとのことでした。
最初に行く計画を立てなければならないというデメリットは、とても大きいものらしいです。
私は都度々々インターネットで行き先を決め手予約をしていましたが、十分それで回れました。
半年程度の短期旅行では良いかもしれませんが、せっかく一大決心をした旅行で縛られているのはつらいことです。
また上記の内容と重なってしまいますが、個人的には英語ができれば、日本人宿をできるかぎり避けることが良いと思います。
日本人宿に泊まるメリットは『安心』『安全』『一緒にまわる友達ができる』『旅の情報を拾える』などですが、それは別に日本人でなくても十分できます。
旅の後半日本人宿に久しぶりに行ったとき、今まで感じていなかった異様さに気づきました。(前半はお世話になりっぱなしでしたけど。)
日本に帰ってから旅の話をする友達がいるのは楽しいです。しかし、そればかりでは、価値観の違う大切な人との出会いの機会を失ってしまうでしょう。
■就職■
もしあなたがすでに30代であるならば、現在のキャリアが他で通用するかを事前に確認しておくのがよいでしょう。
出発の3年前に転職エージェントに相談し、取るべき資格や積むべき経験等を事前に確認し、80%が達成できた時点で辞表を提出しました。
おかげで、就職活動は3ヶ月程度で終わり、年収も維持できました。(それでも今後の出世や退職金等を考えると生涯賃金で1,000万以上はダウンすると思いますが。)
もし再就職に自信がないのであれば、辞める会社には定期的に連絡をとっておくのがよいと思います。
私も定期的に、現地から役員他上司に手紙を送っていたため、帰国後、前の会社から復帰の話がいただけました。(最終的には別の会社にいきましたが。)
30代はこれから結婚し家族を持つ世代です。以前の繋がりを大切にしておいて損はありません。
また旅行期間は最初の計画から逸脱しないようにしましょう。就職活動に響きます。
■最後に■
世界一周に行こうと思ったのは取引先の社長との会話でした。社長自身も若いころ世界を旅行していたそうですが、今でも自分の心を豊かにしてくれていると言っていました。
『誰にも盗まれない財産を手に入れて、俺はそれを棺おけまで持っていきたかったんだ。キャバクラなんかで酒飲んで、上司の愚痴を言ってるような金の使い方はもったいないぞ。』
この言葉が当時の私にはとても響きました。(キャバクラには行ってませんでしたが。笑)
実際出てみて価値観こそ変わりませんでしたが、この思い出はどうやら棺おけまでもっていくことができそうです。
長文読んでいただき、ありがとうございました。
いくつかの研究によるとドーパミンが眼球サイズの増大を抑制するという証拠が挙がっている。ドーパミンは網膜の神経細胞の一部が分泌するんだけど、光刺激の量と相関があるらしい。
ここからものすごく大雑把に類推すると、眼球が成長し切る少年期までに比較的明るい環境で生活を送っていると、近視になりにくいということになる。アフリカの狩猟民族の視力が良いのはこの辺りが関係しそう。
事業環境は厳しいです。ドル箱だったiモードの栄華も今は昔、「ただの土管になりたくない」という強い意志も、いまや具体的戦略のないただの願望になってしまいました。通信インフラはコモディティ化していて他キャリアとの差別化はできなくなったどころか、LTEのカバレッジでは最も出遅れている始末。他キャリアへの流出が止まらなくなり、キャンペーンの甲斐なく何度も純減を繰り返しています。もはや減収減益の構造が定着しつつあるといっていいでしょう。
そこでiPhone導入が取り沙汰されるわけです。
確かに、まだiPhone人気が十分に高い日本では、短期的にはiPhone販売がMNP流出防止&純減ストップの切り札になることはわかっています。それでもiPhone販売に踏み切れない一番の理由は、これまで株主総会でも日経記事でも繰り返し観測気球を出してきたとおり、Appleが課す高い販売シェアノルマ---一説には50%---がドコモの負担になると予測されるからです。
でも、「販売ノルマ率を切り下げてくれればウチも採用しますから、そこは何とかお願いしますよ」というドコモからの数年越しのメッセージに、Appleは反応しませんでした。確かに中国・インド・アフリカといった途上国の巨大市場に比べれば、ドコモはたかだか6000万契約の極東のいちメガキャリアでしかありません。最後発のドコモに対して契約条件を緩和したら、当然ソフトバンクやauも最恵国待遇を要求するでしょう。Appleからすれば、各社に販売ノルマを緩和したらトータルではツーペイになってしまうし、利益率を緩和したら、まだiPhoneが高い競争力を持っている地域の市場を自らスポイルすることになってしまいます。Appleがドコモに妥協してやる意味は今のところないのです。
だから、ドコモにはもう後がなくなってしまいました。とにかくiPhoneの販売ノルマをクリアできる体制を整え、iPhone販売契約に踏み切るのが喫緊の課題です。そのためはどうすればいいか? iPhoneを豊富な選択肢のなかのワンオブゼムにしてはだめですよね。実際に数を捌かなければ、Appleが課すペナルティで今度は営業利益率がガタ落ちしますから。となれば、今は1シーズンに10機種も出しているAndroidスマートフォンの投入ラインナップをせいぜい3〜4機種程度に絞り、それらとは別格の位置づけでiPhoneを売りまくらなければいけなくなります(ソフトバンクやKDDIは実際そうしています)。「業績回復のためにやれるべきことは全部やっている」と株主に説明するためのステップとして、これはもう必須の条件でしょう。
さて、では実際にラインナップのどこを整理して、誰にiPhoneを売ってゆくのか。ドコモの既存ユーザーのうち、特に重視すべき移行見込層は、1)フィーチャーフォンのユーザーと、2)Androidに乗り替えたものの、その機能や操作性に不満があるユーザー…ということになるでしょう。1)はかつてブランドだった「ドコモのN」や「ドコモのP」などを長年ご愛顧戴いてきた層。2)は、Android機種のなかでも差別化に失敗しているコモディティ的端末、すなわち、N・P・F・SHのユーザー。これらのユーザーを「わかりやすいですよ」「使いやすいですよ」とiPhoneに誘導してゆくためには、これらのセカンドラインのメーカーが作るスマートフォンは、むしろ、選択肢から消えていてくれたほうがいいですよね。
こうして事前にキャリア内の浮遊層を作っておき、適切なタイミングでiPhone移行キャンペーンを投下すれば、そこは衰えたりとはいえ国内最大の契約者数を誇るキャリアのドコモですから、その数字的なインパクトはかなり大きいはずです。
だから今回話題になった「ツートップ戦略」は、巷間言われているように、スター機種のXperiaとGalaxyを重点的に売り込むための、攻めの施策というだけではありません。それは、来たるべきiPhone時代を見据え、長年ドコモと蜜月関係にあったメーカーたちと縁切りすることを意図した、非情な身辺整理の作業でもあります。今般報道されているNECカシオやパナソニックモバイルのスマートフォン撤退は、ドコモの販売奨励戦略の「失敗」ではなく、はじめからの狙い通りの「成功」だったというわけです。
ネット世界では投資家、ゲーム開発者、ラノベ作家、企業探偵、ベルロックメディアシニアマネージャーなどの華麗な経歴で知られる山本一郎さんという人に拙文へのリンク貼っていただけたようで、恐縮至極、汗顔の至りです。
【悲報】ドコモ関連で「いかにも」な与太記事が増田に掲載され局地的に話題に(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
はい、もし上の文章からそんな経緯を想像する人がいたら、企業経営には向いていないでしょうね。山本一郎さんがドコモの経営陣だったとしても、当然、Appleと今期以降のiPhone販売契約について話の筋道をつけてからの「ツートップ戦略」で年末大水計に打って出るのではないでしょうか? 見込みベースで話を進めて裏目に出たら、ツートップ転じてオンリーツー状態になってしまいますのでね。もしここまでの話がすべて机上の空論なら、それはすなわち、「ドコモは次の機種サイクルから事実上ソニーとサムスンだけでスマートフォン市場を闘い続けることを選んだ」という話になるわけです。
しかし、本邦のモバイル業界のフラッグキャリア格ともいえるドコモが、たった2メーカー×1〜2機種の最新スマートフォン・ラインナップで次の秋冬商戦に挑むなんてことがあるでしょうか? この会社は今年に入ってからの一連の動きのなかで、どんなコストを払い、何を仕込んでいるのでしょうか? 山本さんが並べているリンクの数々も、ツートップ戦略が「単体では」純増の切り札として奏効しなかったことを示していますが、それは本当は「切り札」ではなく、さらなる戦略転換のためのひとつの手段だったのではないでしょうか? 予定では2013年中に市場投入され、サムスンとの密な提携関係ならびにモバイルOSの第三極戦略の礎となるはずだったTizen派筆頭の永田氏をいきなり傍流に追いやってしまったことには、果たしてどんな意味があるのでしょうか?
さまざまな状況証拠から考えて、今のドコモがその機種戦略・プラットフォーム戦略の中に、何か大きなパズルのピースがはまるための「スペース」を作っていることを全否定できる人はそういないのではないでしょうか。そして、その巨大な空白に当てはまる商品は、現状では1つしかありません。
もう、おわかりですね?
二日酔いにより目覚めは最悪。
隣のテントで寝泊まりする人々と軽く会話するも、気分悪すぎてどうにも調子が出ない。
前日多大なる迷惑をかけた方々とYo La Tengoにて待ち合わせをしていたため、けだるい体に鞭を打ち、なんとかグリーンステージへ。
3ピースながら曲ごとにパートチェンジを行うという器用さを見せつけていた。
そして極めつけはこれぞ90's USオルタナ!って感じのノイズギター。
しかしながら全体的に音量不足で、折角のノイズギターが後ろまで届いていなかった。
普通のアメリカ人が、まるで灰野敬二かのようにノイズギターを弾きまくる姿は面白かった。
今年一月に「ガンとはもう闘病しないことにしました!おそらく最後の来日!」と称して南青山レッドシューズにて行ったライブは記憶に新しいが(行けなくて口惜しい思いをした)、なんとフジロックでは二回もステージに立っているではないか!!
前日深夜にはクリスタルパレスでもライブを行なっていたが、入場制限&長蛇の列で諦めた。
満を持して迎えたグリーンステージでのライブだったが、期待通り演奏されたのは全てドクター・フィールグッドの曲!
演奏内容も、ウィルコ・ジョンソンが歌っているだけで他は昔と変わらず。
ギターソロではキチガイ風ダンスをし、ライブはJohnny B. Goodeで終わるところまで、私が普段聞いている37年前に録音されたライブ盤とほとんど変わらず。
ライブ中盤では、女に見立てたギターを抱きしめ語りかけた後に腰を振り始めるなど、元気すぎる一面すら見せていた。
・Jazzanova feat. Paul Randolph
実はJazzanovaを見るのは本年二回目であり、前回はチケット3500円のフェスにてDJの横でPaul Randolphが歌うだけというクソみたいなライブであった。
今回はちゃんと管楽器も含めた10人編成であり、迫力の生演奏。
安定感抜群のJazzanovaの演奏がなかったら憂鬱すぎてどうにもならないほどの豪雨もなんとか精神的にはしのげた。
そして、改めて日本のバンドに足りないのは電子ドラムのパッドだなぁと痛感。
もちろん、テクノロジーによって表面的な個性を演出するのは本質的でないが、Jazzanovaの様にフィジカルなプレイとテクノロジーを共存させているバンドを見る度に電子ドラムや管楽器へのエフェクター使いなども選択肢として考えるべきだと感じる。
・Toro Y Moi
今年のフジロックで一番期待していたし、期待を裏切らないベストアクトだった。
直前に見たJazzanovaと同様にフィジカルなプレイとテクノロジーを完璧なバランスで共存させているバンド。
予習としてライブ映像を見た時から上述のバランス感は素晴らしいと思っていたが、生で見ると改めてその完璧さに惚れ惚れとしてしまった。
編成はToro Y Moi本人がボーカルキーボード、そしてギター・ベース・ドラムという四人組であった。
そう、編成だけ見ると通常のロックバンドとなんら変わらないのである。
しかし、この4人によって生み出されるサウンドは現代版にアップデートされたディスコサウンドであり、編成からは想像もつかないものだ。
どのようにしてそれが達成されてるか考えてみると、ギターの役割が象徴的であったように思える。
というのも、通常のロックバンドにおいてギターはリズム(バッキング)ギターもしくはリードギターと呼ばれることが多いが、Toro Y Moiにおけるギターはその両者とも言い難い役割を果たしていた。
つまり、通常のロックバンドにおいて固定化されている、パートごとの役割が解体されてつつあるのだ。
それはまるで「ジャコ・パストリアスはバンドにおけるベースの立ち位置を変えた」といわれるように、ロックバンドの様式をアップデートするものだ。
いやー、Toro Y Moiまじですごいよ。
Toro Y Moiはチャズ・バンディックによるソロプロジェクトなわけだから、バンドはワンマン化してもおかしくないはずが、ライブでは個々人のプレイアビリティが絶妙に生かされていた。
この点において後述するThe XXとは対照的。
The XXはバンドの形式をとっているにも関わらず完全にJamie XXのワンマン化していた。
ワンマン化というのはつまり、他のメンバーは言われたとおり楽器が弾ける人なら誰でも代替可能ということ。
実際は曲作りの段階であったり人間関係の上で代替可能なんてことはありえないのだが、ライブ演奏においてはワンマン化していた。
さらに言えば、フィジカルなプレイとテクノロジーのバランスという意味でも、The XXはテクノロジー寄りで、ステージに立っている人間は割と置物寄りと言わざるを得ない。
そんな感じで最高だったToro Y Moi、唯一ケチを付けるとしたら演奏が予定より13分も早く終わってしまったこと。。。
やはり、PCで作成した曲をバンドアレンジしているため、持ち曲が少ないのだろうか。
そういえば余談だが、Toro Y Moiのルックスは若かりし頃アフロだった釣瓶にそっくりであるということに気づいてしまった。
個人的にはツボな発見だったのだが、どうやらこの話はウケが悪いようなのでここまでにしておく。
とりあえずEasyという曲が完全に小西康陽サウンドだったのと、Heartbeatの時だけ盛り上がりが尋常じゃなくその他新曲中心の演奏はウケが悪気味だったのは覚えている。
あと、レッドマーキーは屋根があり、音が篭っているためしゃがんでしまうと上ものが全く聞こえなくなってしまうことに気づいた。
恐らくTAHITI 80はボーカルの声も高いし、上ものたちがバンドの個性を演出しているから気づいたんだろう。
まぁHeartbeatはよかったよ。
文句をつけるとすれば、カッティングギターの音作りが悪かった。弾くのが下手くそなのと相まって、16分のカッティングが全然気持よく感じられない。
・Vampire Weekend
ライブ音源を聞いて知ってたけど、A-PunkはCD音源よりもテンポが遅く踊るにはちょいと物足りない感じ。
CDでは1stのヌケ感がだんだんなくなって壮大な曲作りになってしまい残念だなーとか思っていたが、いざライブで聴いてみると初期の曲ですら壮大に感じられ、「なるほど、もともとこういうバンドだったのか」と思わされた。
Vampire Weekendでも上述のバランス感は感じられたが、Vampire Weekendは従来のバンドであり、やはりゼロ年代のバンドという感じ。HURTSもTAHITI 80もそう。
そういう意味ではJames Blakeとかもやっぱり10年代を感じさせる。
・LETTUCE
大学の先輩と合流し、The XXまでのつなぎとして一応見る。
ジャズファンクとかあんあり好きじゃないんすよねーとか言いつつ見ていたが、思いの外よい、というかよさがわかった。
あの手のものは工芸であって美術じゃないだよなーみたいな風に思っていたのだが、ギタリストは芸達者で素晴らしかった。
でもやっぱり管楽器とかはどれも同じに聞こえてしまう。それは単に自分がやってるかやってないかの違いかもしれないが、Jazzanovaみたいにエフェクトかけてみたりすりゃいいのにーとか少し思ってしまう。
とはいえ全体的に楽しく、アパッチを演奏し始めた時にThe XXへと移動したのだが、なかなかに後ろ髪を引かれてしまった。
・The XX
上述したが、Jamie XXのワンマン感がすごかった。
どういうことかというと、フロントでは女性ギタリストと男性ベーシストが共にボーカルをとっているのだが、それぞれ楽器の演奏はしていたりしていなかったりという感じ。
対照的に後ろにはMPCが二台、電子ドラムパッドが4つ、シンバル、スネア、極めつけにはスティール・パンが並んでおり、これら全てを演奏していたのがJamie XXだ。
バンドの世界観をショウとして演出するという面では完璧だった。
全員恐らくKOMAKINOの服を着て、ステージは照明を落とし、白いフラッシュとレーザーが空間を埋める。
すごかったのは、レーザーを反射させてステージ全体に広がるスモークの中に巨大なXを描く演出。
そういえばホワイトステージにおいても聞く位置によるサウンドに良し悪しは顕著で、ちゃんとした音で聞こうと思ったら人混みをかき分けてセンターのPA前くらいまではいかないとダメだなと思った。
最初は左サイド後ろで聞いてたが、これではモノラルイヤホンで聴いているようなものだ。
まぁ屋外フェスで音がどうこうとかうるせーよって話だが。
なんとアンコールを40分もやって日付が変わっても演奏し続けていたそうで。
The XXが終わってから戻ってきてもゆうに30分以上見られましたし、ちゃんとBoys don't cryも聞けた。
個人的にはメンバーのルックスが気になってたのだが、白髪をワックスで固め昔と変わらぬ化粧を施したボーカルの姿はそれだけで泣けるレベルであった。
演奏に関しては、CD音源をハイエンド・オーディオで聴いているかのような解像度で驚いた。
各楽器の音が完璧に分離しててすっげーと思いながら踊っていた。
・GOMA and The Jungle Rhythm Section
ディジュリドゥ奏者GOMA、ドラム、ジャンベとコンガ、その他パーカスみたいな4人編成。
ディジュリドゥは普通にすごいんだけど(循環呼吸が必要で、音出せるだけでちょっとすごいらしい)、ずーーーっとアフリカンなパーカスたっぷり4つ打ちで若干退屈であった。
しかしこれまたしゃがむとディジュリドゥとキックしか聞こえないというw
部分的に聞けばめちゃくちゃ踊れるし最高なんだが。
そういえばGOMAさんは未だ高次脳機能障害のリハビリ中であり、MCはカンペを見ながらだった。
GOMAさんが音楽の力を信じて病と戦うというか克服していく様はドキュメンタリー映画にもなってるし、インタビューとかで読んでも普通に感動できる。
・Jamie XX(DJ)
The XXの曲もかけつつアフロビートとか80'sディスコとかまでかけて見識の広さとセンスの良さを見せびらかすかのようなDJ。
こいつあってのThe XXだよなーと感じさせる。
・石野卓球
富士山とかかけるのかと思ったら、おふざけ要素一切なくガチテクノをストイックにかけ続けるDJスタイルだったので途中で退場。
僕のフジロックはここで終わりました。
途中でCan you dance tonight?という声ネタを何度も挟んでいたが、もう既に朝だったw
俺よくここまで頑張ったよ…と思いつつテントに帰る。
う~ん、まず「普通」の意味が人によって違いそうだから、そこを定義しないと何とも。
殺人までいかなくても、チカンレベルでも「普段は普通の人だったのに」と捉える人も「普通の人は超えない一線を越えてしまった」ととらえる人もいるだろうから。
で、この問題を考えると教育レベルの話が意外とウエイトが高くなるかもなぁと思う。
教育課程でどれだけ自制心を養えるかと、自分が同じことをやられた時にどうなるかという想像力を鍛えられるかの。
教育を受けていない人間はそれこそただの野獣だから、”普通”の人間でも躊躇なく人を襲えるだろう。そもそも、人を殺す事の痛みを感じる事もなく。
戦乱に明け暮れて、ろくに教育を受けてない国ならどうか?まあ、自分が殺されたら凄く痛いという想像力はあっても、倫理として人殺しが悪いとは感じないから、
やはり”普通”の人でも結構簡単に人が殺せるんじゃないかな。
じゃあ日本はどうか?大体、年間殺人件数は1000件強くらいという、人口の数を考えれば非常に少ない数で推移している(注)
という事は日本においては「殺したい」と思っても直前で思いとどまる人がほどんどで、
まあ、恐らくほどんとの人は「人を殺しては駄目」という自制心が働いているのだろう。
で、ここで「普通」の意味合いが人によって違うという問題になって、実際に殺人が起きた時、
「殺人を思いとどまっても『殺したい』と(衝動的にでも)思ってしまう事は誰しもあるのだから、それを行動に移してしまう事は普通の人にも十分ありえる」と捉える人もいるし
「『殺したい』と思った事がある人は多数いるが、そこを自制するのが普通の人で実際に行動にまで移してしまうのは普通でない」と捉える人もいる。
これは「普通」の意味合いをどのポイントで捉えるかが違うのだ。前者と後者は同じ「普通」という言葉を使っていても、
頭の中で描いている「普通」の意味に相違が出ている。
だから、そこを理解せずに「~という考え方をしている奴は」みたいな意見を言っても話は交差しないんじゃないかと思う。
で蛇足ながら、上記の(注)の部分だが、
確かに日本では殺人件数は少ないかもしれないが、ご存じのように自殺も殺人と考えるのならば年3万人以上と数字が跳ね上がる。
教育課程で「他人に害を与えてはいけない」という事を教えるのにある程度成功しているのだろうが、
それが翻って「他人に迷惑をかけるくらいなら、自分がその損害を被ろう」と考える人が、想像よりもずっと多いのではないか?
数字だけ見れば本当の普通の人というのは
「アイツを殺そう」と思うより「アイツを殺すくらいなら、自分が死のう」と思う人の方なのではないかと感じるくらいだ。
人の「普通」は誰しも共通ではなく、その人が成長していく過程で学んだ事が集約されての「普通」だ。
日本の普通とアメリカの普通とアフリカの普通とオーストラリアの普通・・・・全部違うだろう。
だからこそ、教育プログラムというのは非常に重要で教育の場は知識を詰め込むだけでなく、もっと大切な事が色々あると思う。
幸いにも人間は本能を理性で制御出来る数少ない動物なのだから。
これを読んで、私の中でわき起こった感情の覚え書き。
ちなみに今までは「このままでは鰻が絶滅してしまうのに、みんな食べることしか考えてないな。どうすんのさ」的な。
よくよく考えたら何で駄目なんだろう。
人間以外に他の生物を食い尽くして絶滅させた生き物はいないんだろうか。
いや、人が持ち込んだ猫が~とかそいうのを抜きにして。少ししらべてみよう。
「生物多様性を守らなければならない」
これを、当たり前のように思ってたけどそもそも何でだろう?
よく考えたら人間も生き物だし人間の営みも生き物の営みな気がする。
そんななかで人間は何故「他の生き物の生態系を守る」ことを使命と思えるんだろう。
知能があるからだろうか。
いいんだろうか、人間が人間の都合で地上の生き物を絶滅させて。
いやいいと思います。沢山の人が犠牲になった歴史がある。そして私も天然痘にかかりたくないです。
しかし「鰻おいしい、鰻儲かる、食べる。絶滅するまで食べる。」も充分人間の都合のような気がする。
研究室とかでは保存されてるんだろうけど……鰻の場合、生態が分かってなくて、繁殖させたり人工飼育で種を保存できないから?
あ、そもそもウイルスは生き物じゃないのか……じゃあ菌由来の伝染病で撲滅できたやつはいないのか。ちょっとこれも調べる。
思いついた違いと言えば、生態系への影響。
詳しい生態が分かってないからなんとも言えないけど、1つの種が絶滅するんだから生態系への影響はあるだろう。
それそ積極的に絶滅させて生態系を乱すのはまずい。倫理とかではなくいつか人間に返ってくる可能性があるから。
天然痘がなくなったところで、天然痘で死ぬはずだった生物が激増して生態系が乱れるなんてことはない。
私だって死にたくないし、家族が天然痘にかかって死んだら絶対に撲滅を願うだろうし。
あと、天然痘とか伝染病は人類ほぼみんなが「なくなって欲しい」って思えるものだけど
鰻はユダヤ教、イスラム教なんかでは「食べてはいけないもの」だし、アフリカの文化圏ではそもそも「海の物」は食べないと聞いたことがある。
鰻は人類みんなが「食べ尽くしたい」って思えるものではない。そんな中で「絶滅する前に食べようぜ」ってなってる。これがいけない。
「日本人のせいで絶滅した」ってなったら恥ずかしいもんね。韓国や中国でも食べられてはいるみたいだけど。日本もそっちから買ってるしなあ。
おいしくて食べ尽くされた鳥とかいたし、こういうのはだめだな。
今のところ「人類の都合=OK」「数カ国の都合=×」で納得した。
あと「鰻食べなくても死なない」(これは昔ブコメで書いた)、「天然痘にかかると死ぬ」
……ニホンオオカミはどうなんだそういえば。
海流変化の影響で、鰻が生育可能な範囲が狭まっていて、それが絶滅の原因っていう説を読んだけどソース忘れた。
これに拍車をかけるようなことをするな、というのは分かる。
(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情や無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードのテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから。
政情不安、内戦、グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱な現在と未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています。
テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教、民族、イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。
「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。
SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、
「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として
ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
虐殺の文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。
しかしその死後気鋭の作家がポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも
いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作でコミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代を体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。
そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介。
小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき。
そんな奴が地域紛争と911をテーマに連作短編集を出したもんだから既存の社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。
おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描いた”。
何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。
やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物と言語、宗教の問題はバベルの塔を彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格をコピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった
こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。
んなもん「あなたの恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画の感想にでも垂れ流しとけばいい。
お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?
せめてタイトルで検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?
最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数な感想を引用して終わる。あーイラつく全員死ね。
まず舞台がねー、ヨハネスブルグ、ニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタンの都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京とバリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。
これは凄い。『ヨハネスブルグの天使たち (Jコレクション) http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20130525/1369463211
追記。
補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、
ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分の感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから?
青の零号 @BitingAngle https://twitter.com/BitingAngle/status/354620359674298368
A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?
感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www
ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww
褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニーの作法なんざ知るか。
小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。
A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。
ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものだから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。
「お前は本当に気持ち悪い」という文章から「SFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。
あー気持ち悪い。
例えばアジアやアフリカから子供を攫ってきて人体実験をしている製薬会社があったとしよう。
「悪質な企業が嫌ならやめればいい、よい企業がなければ自分で作ればいい」
そういう問題か?
例えとブラック企業では異なる部分は大きいが、要するに人道に反することをしているのを、個人の好みの問題として処理していいのか?ということが言いたいのだ。
程度に差こそあれ現実に常態化しているとしても、ブラック企業というのは許されない存在だ。
ブラック企業というのは笑い話ではない。この21世紀の先進国で過労死などと馬鹿げた死に方をする人が一人二人ではないのだ。
また増田のように能力主義の弊害とのように捉えるのも勘違い甚だしい。
極端な事例を想定して話している自覚はあるが、増田やホリエモンのように「ブラック企業といえど大体こんな感じだろう」みたいな甘えた考えの下に論ずるよりはマシだと思う。
多くの人が死んでいるし、苦しんでいるのだ。もう少し考えて喋れ。
1)使用言語を日本語に入れ替えて、国籍居留地を日本に入れ替えた、インド国立大学教授経験者の(=その能力を持つ)Aさんが日本で就職した場合その年収はいくらであるべきか?
2)使用言語をヒンディー語に入れ替えて、国籍居留地をインドに入れ替えた、日本ではコンビにバイトだった(=その能力を持つ)Bさんがインドで就職した場合その年収はいくらであるべきか?
もし1において生活レベルが上昇したのなら「国際労働市場において先進国は途上国を搾取していた」ってことだし、
もし2において生活レベルが低下したのならば「Bさんは日本の制度に保護されてたけれど過剰な報酬を得ていた」ってことでしょ、という話。
そうかぁ?そんな単純な話かね。
国の状況や文化によってどんな種類の能力が重要視されるかが違うってことは十分ありうるんじゃねーの?
たとえば、発展過程の建築ラッシュで有能な建築士がすげー高待遇になる国があったとしてさ、それで2の比較でそっち行った方が生活レベル上昇したからって
髪を切る習慣のない国がアフリカかどっかにあったとして、その国に行った床屋が食えなくなるのが「制度に保護されて過剰な報酬を得ていた」ことになるかい?
その比較で「先進国が搾取」だの「過剰な報酬」だのって言えるためには、同じ職能がどの国の社会にも同じ価値として受容されるっていう前提が必要だと思うけど
現実問題成り立たなくねーか。そんな前提。
http://latitude.blogs.nytimes.com/2013/06/07/margaret-thatchers-advice-for-abe-from-beyond-he-grave/
Maggie and the Medium
By GRAEME WOOD
訳はとっても適当。
2002年にマーガレット・サッチャーが老衰のために公の場から引退すると発表した時、彼女の敵対者たちはこうささやいたーーあんな手練の政治家を、完全に息絶えさせるのは難しいだろう。
どうも彼らは正しかったようだ。4月9日、サッチャーがロンドンで亡くなって19時間後に、日本の幸福実現党の党首であり霊媒でもある大川隆法が東京でイギリス前首相へのインタビューを行ったのである。
選挙区ごとに候補者をたてたにもかかわらず国会では一議席もとれなかった大川の党だが、東京では純真な信奉者たちが路上で熱心にパンフレットを配っていることで有名である。パンフレットの内容の大半は政治的で、対外強硬主義的なナショナリズム、移民政策や原子力の推進等を妙な具合に混ぜあわせたものである。とはいえ根っこのとこではこのグループは宗教団体であり、その目的は、人生を支配する6つの見えざる真理について人々を教化することで幸福をもたらすのだという。大川(彼は証券マンとしてニューヨークで働いた後、1986年にこの宗教をはじめた)はこれまでに霊界の金正日や預言者ムハンマドと話したと主張している。そして今度はサッチャーだ。
「なんですって? 私、まだ生きてるわ」非常に具合の悪そうな声で彼女は大川に言ったそうだ。(このインタビューを公開したサイトによれば、驚愕と混乱は呼び出された死者における典型的な反応である)「日本? あなた、日本って言いました?」
サッチャーはここでは人気のある人物だ、彼女の強いリーダーシップへの感謝の念や、労働階級出身でありながら男性優位社会で成功したという点。彼女はまた、英国がフォークランド紛争でアルゼンチンに勝利した時期、1980年代のナショナリズム復興の主導者として名をあげた。彼女の政治的信念によって政府の役割は縮小され、またインフレは積極的に抑制された。
大川のグループはアベノミクスを全面的に支持しており、日本政府は、インフレやマイナス金利を通じて経済を勢いづける試みに今のところは成功している。しかし大川とのインタビューではサッチャーは、一国の経済的命運は、究極のところ、積極的な金融・会計上の政策ではなく、ビジネスしやすい環境をいかにつくるかにかかっているのだと語った。
「政府に必要なのは産業の民営化をサポートすることだけです」と彼女は語った。あまりにも多くの法律が「私企業の成長を阻害している。ですから彼らを自由にさせ、成功を目指して皆が戦うよう教えるのです」
これは、安部首相のインフレ政策が経済を傷つけるんじゃないかと心配し始めている日本の大衆にはアピールするのかもしれないーーもしそうだとしたら、彼らはサッチャーの成功が緊縮財政と福祉の抑制によるものだったということを忘れてしまっている。
安全保障の話題になると、サッチャーはえらく軍国主義的なようだった。まるで大川みたいに。この点では彼女は安倍よりさらに上を行く。中国と韓国について、彼女はこう語った。「侵略を絶対に許してはなりません! あなたがたの素晴らしい、美しい、歴史ある伝統と文化を守るために彼らを攻撃しなさい。誇りを持つのです!」彼女は力説した。「自分たちの領土だと信じるのなら、私たちはそれを保持し、守らねばなりません。そして私たちの敵、侵略者を攻撃し、滅ぼすのです!」この"私たち"という言葉から判断するに、彼女は死後の世界で日本人になってしまったようだ。
このインタビューはリバティwebで公開された。幸福の科学の宣伝サイトである。記事の長さは数ページだ。サイトいわく「死後24時間は、死者の身体と魂はいわゆる"銀色の紐"でまだ結ばれている」死のショックが生々しいので「通常の死の直後は、話すことは極めて難しい」というのが普通だそうだ。しかしわれらがサッチャーはいつだってサッチャー、見当を失っていたのは僅かな間で、すぐに明晰かつ猛烈、傲然たるいつもの彼女に戻ったのだった。
反応
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=6151
サッチャーの霊言を米一流紙が紹介 日本のマスコミは置いてけぼり?
米ニューヨーク・タイムズ紙の国際版であるインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)紙が7日、大川隆法・幸福の科学総裁によるサッチャーの霊言を紹介した。
(中略)
同記事では一部、一方的な思い込みも散見されるが、米一流紙が霊言の内容を冷静に分析して議論を行なっている点は注目に値する。たとえば、「霊子線」などの霊的な用語も、当然のように受け入れて議論しているのだ。大川総裁の霊言について取り扱うことがほとんどなく、週刊誌等が取り上げたとしても、「霊言があり得るのかどうか」で議論が止まってしまっている日本の大手マスコミとは対照的だ。
大川総裁は、世界の5大陸すべてで説法を行っており、各国の現地マスコミも大きく取り上げている。インドやアフリカのウガンダでは、講演会がテレビで生中継されたほどだ。世界的に見れば、宗教家の説法や「霊言」などの霊的な現象は、ニュース価値があると考えられているのだ。このまま日本のマスコミが宗教や霊界の話題を無視したままでいれば、世界のメディアから取り残される一方だろう。(晴)
>海外では犯罪者扱いされることでも、日本では、「やんちゃ」してました、ってのは大人への階段みたいに思われてるふしがある。
アフリカの大統領がレイプの体験談を笑い話にして、最近話題になってたし
・夏でもスーツ」
・英語の発音への無理解
上位の3つは普通に海外でもあるぞ。実際、日本人が英語を話してるYoutube動画とか、4chとかで日本人が英語で発言すると、「Japlish」と煽ってくる外人コメントが山ほど付くことがある。
風俗についても、海外の大半の風俗営業については、似たような建前で存在している。そして、売春が合法化されてる国でも、その売春(セックスワーカー)に従事しているのは大半がアフリカ系で、「奴隷労働を合法化してるだけ」と現地メディアに批判されてる。
国際労働機関(ILO)では、同原則をILO憲章の前文に挙げており、基本的人権の一つと考えている。国際人権法でも、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の第7条と人及び人民の権利に関するアフリカ憲章の第15条において、勤労権に関して『同一労働同一賃金』を明記している。
経済学的には一物一価の法則(自由市場では需要と供給の関係から、標準的な相場が形成される)を、労働市場に当てはめたものである。
もちろん、税制などによって、最終的な手取りが違うことはあり得るけれど、賃金としては同一であるべき、というのが同一労働同一賃金の思想だよ。
現実例として日本の企業がコールセンターをタイに作った場合(タイは国策でこれを推進している)、その同じ企業が国内都市にコールセンターを作った場合との比較において、労働市場としては連結した状態になるんだよ。(結果、日本人の賃金は高いので解雇され、タイの労働者が雇用される)。