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はてなキーワード: アフリカとは

2013-12-03

安心していい

http://anond.hatelabo.jp/20131203122311

海は陸地よりも大きいのでは?という心配だが、本当の海と陸地ならそのとおりだが、富と貧困に関して言えば、富が過去数千年の間に増え続けているのに対し、貧困は減り続けており、現在もこの傾向はますます顕著になっているので、ほぼ心配はないといっていいと思う。

あなたは富める者の自己犠牲によってい貧しい者を救うというイメージを持っているよね。自己犠牲の結果富が薄まって薄まりすぎてみんなが不幸になるじゃん?みたいな。

もちろん自己犠牲行為寄付ボランティアODA、各種NGONPOという形で存在するんだけど、それは貧困撲滅のごく一部の手段に過ぎず、大部分は「投資」という手段でもって世界貧困は減少しつづけている。

貧困フロンティア農業医療産業社会の発展により有史以来一貫して後退を続けているが、特に産業革命以降の欧米貨幣経済が発達したことによりそのスピードが飛躍的にアップした。多額の投資マネーは瞬く間に欧米から貧困駆逐し、中産階級が形成された。

途中、投資活動の副作用として帝国主義による二度の大戦という悲劇経験したがそれでも勢いは衰えず、欧米と同じことが続けて日本で起こり、さらには日本以外の東アジアインドロシア南米東南アジア・・・・と、かなり乱暴かつ駆け足でまとめではあるが、おおむねこんな感じの順番で、貧困フロンティアが後退した。

貧困フロンティアが後退するところというのは例外なく猛烈な勢いで多額の投資マネーが流れ込んでいるところだね。

あなたもそうかもしれないが、自己犠牲による弱者救済こそ是とする風潮というのは少なからず世の中には存在していて、そのような人からみるとこのような話は面白くないかもしれない。

投資媒介とした貧困の減少というのは「富める者が自分の富をもっと増やしたい」といういわば我欲モチベーションになってるからね。

ともすれば汚いとか真の貧困層は救われないとか批判を受けがちだ。

でもそんなことはない。

もちろん、途上国人間がすべて同時に貧困脱出できるわけじゃなく、特権階級だったり、有能だったり、ずるかったりする奴らが先に豊かになることは避けられない。プロセスは決して平等でもないし人道的でもないんだが、それでもその先には必ず貧困層中産階級へとランクアップするという現象が待っている。

なぜなら中産階級が分厚くなったほうが金持ちにとっても都合がいいからだ。中産階級が増えることは、自分会社商品を買える人間が増える(市場が拡大する)ということだし、金を持てばそれを失いたくないので犯罪は減り治安がよくなる。差別マイノリティの問題も富めるものにとってはリスク要因でしかないので、差別に反対しマイノリティ人権保護する社会志向するようになる。我欲といってしまえばそれまでだが、豊かになった結果心に余裕がうまれ「みんなで仲良くやろーぜ」という気持ちがうまれた思えば悪いことではない。

親にとっても子どもは稼ぎ手ではなくなるので少子化が進むが、子の幸せな将来のために教育に金をかけるのでそこにも市場が生まれるし、そうやって教育を施された子どもたちがその国をさらに豊かにしていき、やがては次の貧困フロンティア投資するようになる(念の為に言っておくと給料銀行預金するだけでも間接的に投資していることになるからね)。

今、目下の貧困フロンティアアジアからアフリカへ移っている最中で、中国アフリカ積極的投資しているのも、上の話があるとすんなり腑に落ちるんじゃないかと思う。ただし中東宗教オイルマネーの問題、アフリカはそもそも投資を受け入れるだけの社会制度が整っておらず部族宗教の対立も激しくて苦戦している。日本で売買できる投資信託でも中東アフリカに関するものは限られている。まだまだ一般には投資不適格というわけだね。アフリカ貨幣経済ベースに乗るまでは、ボランティアベースの支援活動が大きな役割を果たさざるを得ないだろう(余談だが俺はそのような考えから国境なき医師団に毎月自動寄付をしている)。

それに先進国だって少子化とか労働需要海外移転による失業問題とか格差とか高齢化による社会保障費の増大とか問題がないわけではない。

このような問題はあれど、長期的かつ全般的にみれば世界は「みんなが幸せ」の方向に向かって進んでいるよ。今の日本に住んでいるととてもそうは思えないが(笑)これは間違いのないことだ。

大事なのは世界の富の総量は一定でもゼロサムでもなく増え続けてるってこと。貨幣経済破綻してしまうとこの限りではないかもしれないが、少なくともあなた心配するように「豊かなものが貧しい物へ分配することでみんなが不幸になる」なんてことはないか安心していい。

http://anond.hatelabo.jp/20131203122311

アフリカの子ども達より自分家族子ども大事なのは人間本能

人間本能に反することをやろうとしても、どうせ長続きしない。

無理しない範囲で募金とかしてればいい、と思ってる。

地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。

つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。

もしくは以下のような仮定をしてみる。。

予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPO一部の人だけに支援をするのは不適切からと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。

世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族宗教性別ジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。

奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。

今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。

もちろん国や地域社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等社会を実現することを目標としているように見える。

貧困差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。

差別をなくすためにも何らかの負担必要だ。上に挙げた例のようにゲイオカマデブハゲチビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりマイノリティが抱え込まされている負の財産大勢ちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。

2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。

世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」

続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまり戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟必要覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。

誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。

現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険カバーすることは可能だと思う。日本人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会から可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。

全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。

食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困犯罪を引き受けてあげますか?

貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)

今は世界の都会でもいわゆる危険エリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。

先進国の豊かな暮らしは、貧困犯罪差別や不衛生やその他の負の財産途上国マイノリティ負担してもらう事でなりたっている。

みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。

それでも海は陸地より大きいのではないか不安になる。

全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。

おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。

追記

トラバにあるように、まずは自分生活大事。遠くの誰かより身近なペット心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。

しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。

じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。

追記2

トラバブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。

身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。

社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティ死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策模索しているわけですよね。

だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。

10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化目的ではなく、ただの表現ですから

全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員アルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会沈没に向かっているということになるのではないか

というのがメインテーマです。

さらに追記

いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます

そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別マイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ

話を広げ過ぎてしまったこちらのミスです。すみません

だけども、基本的には同じだと思っています

命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?

差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?

一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。

歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回り大事から」と言って物質精神搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています

http://anond.hatelabo.jp/20131203172536

わかりやすい説明をありがとうございます

富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心

2013-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20131127235550

しかに院卒であることが必須だったりするような世界では、趣味はいえないかもね。医者になるには医学部必須みたいに、好き嫌いに関わらず、その方面に進むためには通らざるを得ない道という意味では。

でも、その他の世界、つまり院卒であることが必須ではない世界の方が圧倒的に多数派でしょ。院なんかだと、わざわざアフリカみたいな辺境に行ってフィールドワークとかしたりするけど、ただ単にそういうのが面白そうだからやるだけで、別にそれが将来の職能のために必須からやってるわけじゃない。だとすると趣味っていってもいいんじゃない

別に趣味からといって悪いっていってるわけじゃないし、修論書きあげたってだけで、がんばったんだな~って思うよ。でも結局趣味系の「○○検定」の1級もってます!ってのと同じようなもんじゃいかってのはいつも思うね。

2013-11-26

空気教の正体

日本には「空気」という宗教存在する。

空気から外れた行動をすると、その行動はおろか、人格や経歴、それまでの人生所属する団体まで貶められる。

どうしてそんなに堅苦しい考えを持っているのか、不思議に思ってきた。

そして、今回、その正体をつかんだ。

空気」とは虐待の結果生まれるものだ。

空気」に過剰に反応する人々は、過去虐待を受けている。

具体的には幼年期から思春期にかけて「空気を読むために自分を殺す」という虐待を受けた形跡がみられる。

これはれっきとした虐待で、性的虐待家庭内暴力と同じものである

から虐待を受けた子供が、やがて大人になり親になると、自分の子供を虐待してしまう現象が知られている。

同じように、自分理不尽に「空気」に押しつぶされた記憶が、「空気を読まない人」に嫉妬と羨望を持って、攻撃性をかきたてるのだ。

日本社会全体に蔓延するために見逃されているが、これはアフリカ女性器切除のようにグロテスクな風習だ。

女性器を切除して一人前、「空気」が読めるようになって一人前。

本人は至って誇らしげで、それをしない人を半人前と見なしさえするが、

その宗教に属さない人から見て、顔を背けたくなるようなグロテスクな風習だ。

日本社会蔓延する空気という宗教は、緩和されなくてはならない。

空気」に過剰に反応する人を見かけたら、虐待被害者なのだという意識をもって優しく諭すようにするべきである

2013-11-24

独創的な英語教師

日向清人さんという英語教師がいますNHKビジネス英会話講師も勤め、著書もあり、慶応大学英語を教えているという経歴的には申し分ない御仁です。

その彼がしきりに主張するのがワイングラスの持ち方。

日本では柄の部分を持つべきだという風潮が強いが、国際的にはボウルの部分を持つ人々が多いし、それがマナーだというのが骨子。

http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2013/06/post_55.html

http://web.archive.org/web/20091117060438/http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2009/11/post_55.html

オバマブッシュベルルスコーニなどセレブ写真を引っ張りだしてきて説得力を与えています

感化された記事も多数

http://matome.naver.jp/odai/2137486003334108301

http://www.nomooo.jp/blog/?p=16119

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1237071067

ウィキペディアまで

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9

アサヒビールに至っては記事を修正している

http://web.archive.org/web/20090710001236/http://www.asahibeer.co.jp/enjoy/wine/know/manner/09.html

http://www.asahibeer.co.jp/enjoy/wine/know/manner/09.html

しか英語で"how to hold a wine glass(ワイングラスの持ち方)"とググれば明らかなように

https://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&q=how+to+hold+a+wine+glass&safe=off

https://www.google.com/search?q=how+to+hold+a+wine+glass&safe=off&hl=en&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=vmGRUvizIIfqkAWngIGgBA&ved=0CDEQsAQ&biw=1360&bih=644

正式には柄の部分を持つという主張が英語圏では普通に見られます

日向センセーの記事に紹介された人物たちの中にも、「不適当に」ワイングラスを持っている例はたやすく見つかります

ジョージ・クルーニー: http://jp.reuters.com/article/idJPTYE87R01020120828

エリザベス女王: http://www.telegraph.co.uk/news/features/3637378/State-Banquet-a-feast-for-all-of-the-senses.html

バチェレ(元?)チリ大統領: http://www.thepresidency.tt/events_and_ceremonies.php?mid=179&eid=585

ミシェルオバマ: http://www.michellesmirror.com/2013_06_16_archive.html#.UpFmjCfRLHs

キャサリン英王妃: http://www.businessinsider.com/royal-baby-kate-middleton-and-prince-william-photos-2013-7

フアンカルロススペイン国王: http://www.que.es/mejor/2009/fotos/rey-juan-carlos-cumple-anos/20100105/55445-juan-carlos-inauguracion-ciudad-del.html

ここで普通の知性ある人間だったらどのような結論を導き出すべきなのでしょうか?

「柄の部分を握るのがワイングラスの正式な持ち方だけどボウルで保持するのはマナー違反じゃないし楽しく飲もうよ」

ぐらいな論調に落ち着くんじゃないでしょうか。

しか日向センセーは

シャンパングラスであれワイングラスであれ、立っていようと座っていようと、ともかく、グラスはカップ状の本体部分を持つのが当たり前です」

国賓を招いての晩餐会という、外交儀礼上、最も格式の高い場での元首たちの振る舞いからわかるとおり、カップ状の本体部分を自然に持つのが実は正統派であり、ステムを持ったりする方が逆に異端なのです」

などという独自研究を振りまき、それを真に受けてしまったワナビー国際人が自説を披露する事によって恥をかき、日本人の国際化はちっとも進まず、グローバルエクセレント英語教師のメシのタネは尽きないという一連のサイクルが展開されるのは誠に香ばしい限りであります

また、非常に興味深いのが日向先生の記事を拝見すると

http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2013/06/post_55.html

安部首相金正日ガーナのクフォー大統領を「ステム持ち」として欧米セレブの「カップ持ち」に対比させているのは味わい深いです。

「ステムホルダーが主流というわが国はアフリカの流れを汲んでいるのかも」

などというコメントは未開人の暗喩に富んでおり、「バナナ」たる帰国子女面目躍如といえましょう。


国際人日先生にかかればイスラム教

http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2010/11/post_764.html

呪文を日に5回の祈祷の度に唱えるとなれば,一種洗脳されることでしょう。神には絶対服従だと。事実、islamのアラビア語の原義はsubmissionと説かれますし、Karen Armstrong というこの分野の権威に言わせると、islam = surrender だそうです。そこに宗教指導者たちが神はアメリカが悪いと言っているなどと刷り込めば、こりゃ自爆テロでも何でもやるだろうなと感じます

という事になるそうですが、ここで日向先生が引き合いに出しているカレンアームストロングは専門が比較宗教学であり、

「どうして爆弾テロハイジャックといった無垢の市民殺戮が(起こるのか)?イスラム是認するところとは大きく異なり、こうした殺人イスラムの最も神聖な教えに反しています

http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,175987,00.html

と断言していますイスラム=降伏なんていうのは彼女の自説でもなんでもないし、かの宗教暴力の結びつきを強調したいのなら山ほどネタは見つかるはずですが、日向先生ともなれば独創的な読解力の持ち主なのでしょう。英語話者に通じるかどうかは私も存じませんが・・・


shallwill の使い分けなんてのも日向先生は得意なようです。

契約書の場合は、本当ならSHALLはhave a duty toという意味ときだけ使うべきなのでしょうが、実際は細かく使い分けずに終わっています。例えば、私が法律事務所翻訳をやっていた時代は、契約書の英訳はひとまずすべてSHALLを使ってしあげたものです(従って実に楽です)。その次のステップで、弁護士の中には自分のクライエントが関わる義務規定についてはSHALLWILLに直したりする人もいましたが、たいていはそのまますべてがSHALLという形で使われていたとおぼえています。なおWILLを使ったからと言って規範的な意味合い、つまり「何々すべし」という意味あいは変わらず、単に語感として相対的に弱い感じがするという程度の話でしょう」

http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2005/05/shallwill.html

ちなみにテキサス大学法学部のウェイン・シェイス先生

"Did you know that "shall" is the most misused word in all of legal language?"

"Some suggest that lawyers are incapable of using "shall" correctly, so we ought to banish it entirely"

http://www.utexas.edu/law/faculty/wschiess/legalwriting/2005/05/shall-vs-will.html

などとほざいてますが、栄えある慶応義塾大学スーパー講師である日向先生の言うことに耳を傾けた方が吉かもしれませんね(棒読み

そんじゃーね

おまけ レディガガ(笑)

http://greatwinenews.com/lady-gagas-favorite-wines-revealed/

http://anond.hatelabo.jp/20131124012047

次の人生は、アフリカのど真ん中に生まれて、神の抵抗軍あたりに攫われる人生にでもなるのかね。

2013-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20131122154935

その「研究機関に行けるレベル」のプログラマをかき集めて製品作ってるのがグーグルなんだけど。

そんな意識でやってたんじゃ、日本企業は根こそぎ潰されるぞ。

それこそ草一本生えない荒野になって、今まで仕事のあった凡人100人アフリカ難民のごとく飢えと貧困に苦しむことに。

2013-11-21

水曜どうでしょう』最新作の出来が過去最低レベルな理由

まず最初に断わっておくと自分は、どうでしょうの大ファンです。

多くの人の目に触れるように、タイトルは少し大げさに付けました。

タイトルを観ただけで気分を悪くした人がいれば、本当に申し訳ないです。

また、地方によって放送開始日にバラつきがありますが、最新作のネタバレが文中に

入っていることも予めお断りしておきます。(私は現在第7夜まで視聴済)

                ×        ×        ×    

現在、最新作の『アフリカ』が全国で順次放映中ですが、観ていても

「この4人が揃って旅をしているのが見られるだけで充分嬉しいんだけど、やっぱりなんか違うんだよなあ」

と、私は思ってしまうわけです。この違和感は、前作『原付日本列島制覇』から続いているものです。

その違和感の正体を自分なりに考え、予測を交えいくつかの項目にまとめてみました。

                ×        ×        ×

①【企画を引き延ばし過ぎている】

最も大きな原因はコレかな?

前回の『原付日本列島制覇』から顕著になっている傾向ですが、番組の人気(加えて大泉洋の人気)が

飛躍的に高まったおかげでしょうか、一つの企画の放送回数が大幅に増え、ファンとしては長い時間

どうでしょう班活躍が見られることは嬉しい一方で、結果的には一回一回の放送の中身が

薄くなっているように感じてしまます

レギュラー放映終了後の企画を順に追っていくと

2004『ジャングルリベンジ』全7回

2005『西表』全8回

2007『ヨーロッパ完全制覇』全9回

2011『原付日本列島』全12

2013『アフリカ』全14回予定

となります

レギュラー放映時に長丁場とされていた『対決列島』が全10回。

レギュラー最後の企画『原付ラストラン』が全8回(放映回数は全7回だが最終回が1時間枠)

と考えると、前作と新作が、いわゆる「取れ高」を引き延ばして作っている企画であることが伺えます

逆に考えれば、例えば今回の企画の回数が半分の全7回であれば、これまで放送したシーンの内の

半分はカットされ、もっと笑いが凝縮された作りになっているはずなのです。

大泉さんエッセイネタの繰り返しも、冗長なサバンナ動物カットも、半分ぐらいの時間でちょうど良いのでは?


②【出演者が無茶をしなくなった】

二つ目の原因はこれでしょう。

テレビ業界事情に私は全く詳しくありませんが、全国区俳優となり、過密スケジュール大泉さん

万が一どうでしょうロケで怪我をし、仕事を休業せざるを得なくなった場合。あるいはそれ以上の

大怪我を負った場合関係者に与える影響がとてつもなく大きい、と言うことは想像に難くありません。

そんな中での今回の『アフリカ』です。

最初、旅の行先がアフリカだと知った時、多くのどうでしょうファンは色めきたったことでしょう。

「ついにどうでしょう班が長年、未開の地として挙げていたアフリカに!」

「これはブンブンベトナムを越える危険が降りかかるかもしれない!」

私も思いました。

しかし、実際今のところの放送内容を見ている限り、番組史上最高レベルと言っても良いほど

安全快適に守られた旅をどうでしょう班は続けています

サバンナ動物たちを、安全な車の中から見渡すだけの旅。食うものにも何一つ困らない旅。

まりヌルい。

次々と映し出されるサバンナ動物たちは確かに生で見れば見応えがあるのかもしれません。

どうでしょう班が興奮する姿には実感が籠っていることは理解出来ます

しかし、その映像って視聴者が本当に水曜どうでしょうに求めている大事な要素なのでしょうか?

キー局お笑いタレントや人気俳優が出演する、ありきたりな○○アフリカ紀行と何が違うのでしょうか?

熱心な視聴者は、過去どうでしょう班

ジャングルリベンジ』で剝き出しの軽トラの荷台に乗って野生のヒョウを観に行ったこと。

ユーコン』で、いつクマに襲われてもおかしくない状況でテントに毎晩寝泊りしていたこと

ラストラン』で異常な数のカブ渋滞を潜り抜け、事故車が横たわる悪路を走っていること。

それらを知った上で最新作を観ているのです。

パワーダウンした感は否めません。

また、これは身体的な危険に限った話ではありません。

ミスター甘味対決での苦悶の表情。

『絵ハガキ2』で北海道に逆戻りした不条理展開。

『西表』でロビンソンに無理やり付き合わされるメンバー

なども含む、「出演者が嫌がっているのに企画に抗えないシーン」の欠如が前作・最新作には著しいのです。

もしも、人が苦しんでいる姿を見て笑うなんて、と言う否定をする人がいるならば、それは過去

どうでしょうの企画の大半、この番組の根幹の部分を否定することになるでしょう。

③【旅の目的が無い】

例えば、過去海外企画でも『中南米コスタリカ』は、身体への危険が起こる可能性はほとんど無い

企画でしたが、そこには「幻の鳥、ケツァール写真に収める」と言う実際に高難度の目的があり、

そのゲーム性のおかげで、視聴者最後まで緊張感を持って楽しむことが出来たのではないでしょうか?

(とは言え、この企画の一番の楽しさは制作陣が予期していなかったであろうバズーカの功績が

大きかったことは言うまでもありませんが)

では、今回の旅の目的は何でしょうか?

ビッグ5を撮影することでしょうか?

それともどうでしょう班が初めてアフリカに行く、と言う事ですでに目的は達成されるているのでしょうか?

アフリカと言うセンセーショナルイメージを与える場をロケ地に選んでおい

ちょっと拍子抜けな感じがしませんかね。

冒頭で藤村Dが言っていた

アフリカに着いてからの流れはムゼーにすべて任せている」と言う趣旨言葉は恐らく真実でしょう。

そのノープラン至上主義のスタンスどうでしょうらしいのですが、いかんせん企画の骨子の部分すら無く

それを14週持たせるのは、いくらなんでも無謀すぎたんじゃないかなあと感じてしまます

④【その他】

偶然的要素が強い部分ですが。

思いつくままに箇条書きで

面白ガイドの不在

→西表のロビンソンベトナムのニャンさん、アラスカジムユーコンピート

などの、ぶっとんだキャラクターがいない。今回は皆が常識人

アクシデントが起こらない

ダルマウイリー事件、インキー事件、自然現象など。

ただこればっかりは狙って出来るものでは無いのでしょうがないですね。

名言が出ない

→不作かなと個人的には思っている前作でも「文久三年!」などは印象に残っているのですが

最新作では、今のところ名調子が無いなあ。死の危険が迫っているとかじゃなくっても

暑いとか寒いとか眠いとか腹が減ったとか、そう言う時に大体名言が出るんですけどねえ。

                ×        ×        ×

などなど、次から次へと文句ばかり書きましたが、それでもやっぱり私はどうでしょうが好きですし

一生どうでしょうするつもりです。

冒頭にも書きましたが、出演者高齢化も進み、いつまで全員の元気な姿が見られるかも分からない中で

あの四人が揃って旅をしているだけで嬉しくて仕方が無いのです。だからこそ、昔の放送の方が良かったなんて

懐古主義には陥りたくないとも思うのです。

であれば、企画の方向性の見直しは必要なんじゃないかなあとは。

顔バレの可能性を考えれば、カブ以外の国内ロケは難しい。

・身体を危険晒す企画はおそらく今後一切出来ない。

・長期の放送スケジュールに耐える企画の創出。あるいは、スケジュールの短縮。

これらを踏まえた上で、カントリーサインとかサイコロ海外版とかって駄目でしょうかね?

それか試験に出るどうでしょう世界史版とか(安田さんのスケジュール抑えるのも大変だ)

まり熱狂的なファンの前では、どうでしょうって否定しずらい雰囲気があるし、頭ごなしに否定する

一部の自称お笑い好きにも辟易しているのだけど、同じように感じてくれる人がいたら嬉しいです。

改めて言いますけど、私はどうでしょうの大ファンです。

「今ちょうどテレビで新しいのやってるから観て!」って、どうでしょうを知らない周りの友人に

自信を持って勧めたいんですよ。

「昨日見!?」って周りのどうでしょう好きと言い合いたいんですよ。

久しぶりにテレビお腹抱えて笑いたいんですよ。

ほんとそれだけです。

まかり間違って、制作陣の目にこの駄文が触れることで、何かを考えてもらえるキッカケになれば

最高なんですけどね。そりゃ無いか

2013-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20131118133839

なぜ筋肉をつけると顔がブサイクになるのか

ジャニーズ山下智久ダウンタウン松本筋トレ前と筋トレ後を見れば分かるとおり、筋トレをすると鼻が太くなる

また、顔の骨格が肥大化する為パーツが真ん中に寄る

マッチョでさえもこれが現実

筋トレ前は山下智久白人しか見えなかったのに今はただのアフリカのマサイ族にしか見えない

これは筋肉を落としても一生治らない

.

これは筋肉によるDHT増大の影響である

.

また筋肉ムダ毛の増加や頭髪の抜け毛ニキビ毛穴の広がり肌のきめの粗さ、皮脂の増加、体臭の増加を引き起こし寿命も7年縮める

筋肉の恐怖↓

イギリス大衆紙「The Sun」に「筋トレ脱毛を促進する」という記事が出た。

「45分間の筋トレを週三回、2年以上続けると男女ともに若ハゲになる」のだとか。

記事ではテストステロンの影響にも言及しており、女性でも筋トレをすると抜け毛を引き起こすことがあるとしている。

.

↓記事はこちら(英語です)

http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article1092628.ece

これで今まで保守系学者が「筋肉テストステロンけが増えるのでDHTにしなければ大丈夫」とうそぶいていたものが完全に崩された

.

また、論理的思考もDHTが増大する事が証明されている

理系学者ハゲが多いのはこの為である

2013-11-14

毎月定額を寄付している理由

http://anond.hatelabo.jp/20131114111136

社会人になって金を稼ぐようになってから毎月定額を寄付している。

金額は少ないし、寄付とか社会貢献とかNGOとかの仕組みは正直よくわからない。

元増田のようなしっかりとした理論思想も持ち合わせていない。

小さな頃からTVドキュメンタリーを観るのが好きだった。

アフリカ病気の子どもを救ったり衛生の概念啓蒙してる人とか

アマゾンの奥地で原住民サポートしてる人とか

アジア孤児を育てたり身寄りの無い老人を介護してる人とか

日本虐待された子どもを引き取ってる人とか。

それを見て「あぁ、すごいな。立派な人がいるんだな。かっこいいな。」とずっと思っていた。

でも自分にはそれができない。技術も特技も気持ちも勇気も無いし。

そのかわりに寄付することにした。

最初は、TVで観た恵まれない子どもや、困っている人達お金を送っていると思ってた。

思っていたというより、それ以外の考え方をしたことがなかった。

寄付するというのは、直接お金を渡したり食べ物医療品を買って渡すことだと考えてた。

でも長く続けていくうちに考え方が変わった。

自分寄付したお金TVで観たボランティアの人に渡って欲しいと思っている。

あの人が自分仕事を捨ててでも安心して行けるように

活動中は健康でしっかりした生活を送れるように

ボランティアを終えて日本に返ってきたとき生活に困らないように

そんなことにめいっぱい使ってもらいたい。

2013-11-12

フィリピンへの募金は善でもなければ偽善でもない。「悪」だ。 @fukuyuki

※ 個人でやってる @fukuyuki とかそれに反応して募金してる馬鹿限定。国やら機関はまた別の話。

前提。

・被害は対策していないから。自業自得

・「対策」という言葉辞書にないから。だらしないだけ。

フィリピンに腐敗していない組織などない。ぐぐれ。正義?なにそれおいしいの?

赤ちゃんコウノトリがうんぬんな脳内お花畑に言っておく。

結論、募金しても

募金なんぞしても復興に使われることは100%無い。0になるまで偉いやつから順番に抜いていくだけ。

・困っても誰か助けてくれるからフィリピン乞食根性は変わらない。働こうとしない。

・金なくなる→たかるの無限ループから永遠に抜け出せない。悪いのは甘やかすお前らだよ。

・お前ら自己満足して完結、俺みたいにフィリピンと直接関わる人間だったり会社だったりが延々たかられる。

お前ら韓国をよく叩いてるが、そうなったのはお前らの本質を見ない自己満足のせいだと何故気づかない?

断言する。お前らのしていることはアフリカ千羽鶴以下の悪行だ。

2013-10-28

キリンとは

キリン英語giraffe)は偶蹄目キリン科に属する動物もっとも背が高い動物であり、体にくらべ際立って長い首をもつ。アフリカ中部以南のサバンナや疎林に住む。

http://anond.hatelabo.jp/20131027124112

主です。ご教授ありがとうございます。私もそれなりに色々見聞きしたり調べたりしたのですが、出自以外の広まりについては結局のところ「よくわからない」が結論となっていますヨーロッパでもやったりやらなかったり、アメリカのものだという認識だったりで、それがプロテスタントカトリックの違いなのでしょうか、とにかくアングロサクソン社会でもまちまちという感じのようです。しか日本おいてはヨーロッパアフリカインドネシアからの影響では無くほぼアメリカからであると思っています

ただ、私の主張したいのはそこではなく、だったら日本人にはもっと関係の無い行事だろう、という事。もちろん日本人にもキリスト教信者はおられますが、本当のキリスト者にしてみたら寛容に見ても目にあまる光景ではないでしょうか。いい大人が奇異な格好やもはやハロウィン関係の無い格好、更には裸同然の格好で電車に乗って騒ぐ。クリスマスでも同じく何かと託つけて騒いでますが、もうウンザリです。無宗教から楽しければいい、モノが売れればいい、そんな空気に耐えられません。

地元での行事が廃れた、とのことですが、それならそれでいいじゃないのでしょうか。自然淘汰されたということです。しかしだからと言ってその換わりにそれこそ「縁もゆかりも無い」ハロウィンでなんとかしよう、という発想になるのだけは避けたいと思いませんか。やる意味がありませんよ。やがて新たに地元根付いたお祭りが作るか、何もしない。それでいいじゃないですか。それでその地元が生きるか死ぬかは地域に住むその人たち次第です。

2013-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20131027021725

非常に情熱的な文章だと思いました。

しかし、ひとつツッコミ入れてもいいですか。

アメリカプロテスタントの国ですよ。

これだけじゃ意味わかんないか

ハロウィンカトリックにある「死者の月(11月に死者のための祈りを捧げるミサが行われる・日本で言えばお盆にあたるだろう)」の習慣に飲み込まれた、

宣教の時に接触した他宗教での「人ならざるオバケ」の解釈です。

まりプロテスタント保守的なところでは祝わない。

タマの堅くないところではただの教会で集まりを楽しむための「お祭りイベント」として扱われる。

そこではもう宗教意味合いは無くなっている。しかも、宗教改革記念日であって、そっちの方がメインに予定が組まれている教会もある。

アメリカ保守的プロテスタントハロウィンをあまり好んでいない。

アメリカじゃなくてヨーロッパアフリカインドネシアと書けばよかったのに、とキリスト教徒が突っ込んでみました。

私もプロテスタントのうち古いところのキリスト教徒ながら神社イベントに参加して文化維持に協力していたけど

(地元観光産業の大きな砦だと考えられてきたから)

結局そこの元締めが「やる気が無くて」「本腰入れてなくて」「協力すると口で言いながら実行しない人が多かったため」消えました。

ひとつ消えたのを見届けて以来、もう私は協力することをやめました。

日本の古くから続いてきた文化大事にしてくれって言いながら、自分負担したくない人が多いんじゃないですかねえ。

金銭的負担だけじゃなくて、実際に運営する負担の役は全然やろうとしないじゃないですか

それが結論だと思いますよ。

2013-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20131023145030

その辺の日本人アフリカ原住民のところに送り込んだら、普通に日本人のほうがアフリカ言葉を喋れるようになってるのでは?

repeat after me なんてのは英語教育じゃないか

地方都市マクドナルドで 外国人が ペプシリーズ っていって店員が固まってたけど

べつに コカコーラオンリー でも No ペプシでも なんでも伝えりゃ伝わるのに、 固まってたら なんにも伝わらねー。

最低限、そのぐらいはクリアしようぜと。

http://anond.hatelabo.jp/20131023142457

いやネイティブの補助講師なんてそれこそ俺が中学生だった十数年前から普通にいるが、全く機能してないぞ。

生徒のレベルが低過ぎて、単に英語ネイティブなだけで付け焼き刃の教育能力しか無い人間にはどうにもできない。

その辺の日本人アフリカ原住民のところに送り込んでさあ日本語を教えてください!とか言われても無理だろ。それと同じ。

2013-10-20

自分達も奴隷をこき使っておきながら海外の子供達の貧困には心を痛めるこの構図って、漫画絵本にしたら面白そうではありますね。足腰の弱い中年女性レジに立ち、無理矢理作らされた笑顔で卑屈なまでに過剰なお礼を言うのをしり目に、アフリカの子供達かわいそかわいそ談義に花を咲かせる有閑主婦たちとか。途上国労働者賃金は一日一ドルです、しかし月に20日働けば20ドルになり、実は15ドルもあれば一か月生活できるのです、一方日本労働者賃金は1日5000円です。20日働いた月収は手取り10万なのに1か月暮らしていくのに15万はかかります、さてどっちが不幸でしょう?みたいな寓話とか

2013-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20131014133009

少なくとも、アフリカ黒人たちは、受精した瞬間から死の危険さらされている。母体テロ空爆、紛争にさらされ、受精卵とともに散華することは珍しいことではない。

2013-09-30

内定式

世界グローバル活躍する弊社に内定された皆様、おめでとうございます。いや、ご愁傷様でございます

今や、弊社の売上の半分以上が、海外からの受注です。

我々は、なぜ世界へ羽ばたくのか。なぜ世界へ出る必要があるのか。その答えは非常に簡単です。

日本には、市場がもうないからです。

日本国内には、もう、我々の仕事がないから、我々は日本国から逃げ出さざるを得なかったのです。

日本を拠点に世界中活躍している、そう言うと聞こえはいいでしょう。

しかし、日本仕事がなくなった負け犬が、発展途上国都市部出稼ぎに出ている。それが実態なのです。

そして、その出稼ぎも、いつまで続くかは分かりません。

今、我々が仕事を受注している都市は、急速に発展し、急速に日本に近づいています

すなわち、再び我々の仕事がなくなる日は、急速に迫って来ているのです。

たとえその国や都市仕事がなくなっても、次は他の国、他の都市が発展し、そこでまた活躍できる。

これは、一部は真実であり、一部は真実ではありません。

確かに、次に発展しそうな国はいっぱいあります

東アジアの次は、東南アジア南アジア、その次はアフリカと推測できます

あなた気づきましたでしょうか。

だんだんと、距離が遠くなっていることに。

残念ながら、民間交通用の航空機革新的に速くなる兆候は全くありませんし、

Eメールより革新的に、時差を越えてコミュニケーションを取る方法は現れる見込みはありません。

我々が日本にいながら、アフリカ仕事ができるなんて、考えるべきではありません。

そして、世界仕事をするにあたり、ひとつ、考えなければならないことがあります

なぜその仕事を、日本で、日本人が、日本給与水準で、しなければならないのか、ということです。

日本には優れた技術がたくさんあり、優れた技術者がたくさんいるから。それは、ひとつの答えでしょう。

我々のような高度な技術を持った中国企業はなく、我々のような高度な技術を持った中国人もいない。

から日本で、日本人が、日本給与水準で、その仕事をしなければならない。

ところが、考えてみてください。

技術は、日本人にも中国人にも、等しく、教えることができます

そして、本日内定されたみなさんは、そこらへんの中国人と同じく、我々のような高度な技術を持っていません。

既に何年も実務経験を積み、技術を身につけた我々には、我々にしかできない仕事ができますが、

皆様は、日本しかない技術を持っておらず、中国人と比べ、これといったアドバンテージはありません。

あなたたちのライバルは、日本人でも、優秀な中国人でもありません。

あなたたちの給料よりもずっと安い給料で働く、並の中国人です。

あなたたちは、並の中国人が数人かかってやっとできる仕事を、一人でしなければならないのです。

だってあなたたちの給料は、並の中国人給料の数倍なのですから

これまでにも労働者たちは、機械コンピュータ仕事を奪われてきました。

機械コンピュータでもできる仕事をしていた人たちは、職を失ったのです。

それでも、機械コンピュータには苦手なことをしていた人たちは、職を失わずに済みました。

しかし、今度はどうでしょう

中国人にできなくて、日本人にできること。そんなものがあるのでしょうか。

どちらも同じ人間同士です。体の構造、脳の構造、どちらも同じです。

にも関わらず、あなたたちは、並の中国人、数人分の仕事を行う能力が求められるのです。

世界グローバル活躍する弊社に内定された皆様、おめでとうございます。いや、ご愁傷様でございます

2013-09-29

人生むずかしいー。理想人生現実の金・働き方

人生で何を成し遂げたいか

死ぬ時どんなだったら自分お疲れと言ってやれるか

これが僕の場合

最高の家族、最高の友達をもって

生きた証として最強のNPO(or会社)を残したい。

直近のTargetは

NPOものはし、NGOPLAS、クロスフィールズやコペルニクを超すあたり。

海外勢だとKivaRoom to Read。規模感の意で。

老舗国際NGOはもはや別次元だし見てる方向が違うから


大まかな将来に落とし込むと「僕の理想人生」は

好きな仕事をして

好きな人暮らし

好きな友達適当に飲みに行く。

そして何より「デカいことを成し遂げる」


今は3か国語目をどうにかと途上国で足掻いてるとこ。

これだけ人生いから5か国語くらいは喋れるようになって人生謳歌する。


まぁ80で死ぬとして

で単純に逆算してった時

70代―アジアアフリカ隠居しつつデッカいプロジェクトする。

60代―アジアアフリカ隠居しつつデッカいプロジェクトする。

50代―社会に1番影響力与えられるタイミングin Japan.

40代世界のどこで働いているやら。

30代―結婚子育て、それなりの収入

26~29―海外大学院国際機関

25―大学卒業NPO起業(分野は途上国教育)。

※このNPOをずっと続けて拡大していく。


とか思うと

結婚して子ども欲しいから夢ばかり見てもいられない。

日本国内で育てたら教育やばいからしっかり稼がないと。

カナダとかだと30歳まで勉強するの

割とスタンダードだけど

日本じゃ厳しい。


みんな貯金どれくらいあるのかね…

20代後半で貯金ほぼゼロみたいな人見たことあるんだけど

子育てどうにかなるのかね。

2013-09-21

缶コーヒー一杯分のコストアフリカで人がひとり救える。

そんなキャッチコピーで支援を呼び掛けてるのを見た。

でも、見知らぬ外人ひとりと缶コーヒーのどっちが欲しい?

俺は缶コーヒーが欲しい。

缶コーヒーを買うときに「この分で誰かを救えるんだ」なんて思わない。

募金に応じようとすると「この金で缶コーヒーが買える」と思う。

そんなわけで、結局は一度も寄付をしたことがない。

もちろん、小さな額の拠金が出来ないわけじゃない。

でも、比較するような文言を見せられちゃうと、俺にとってより重要なのはやっぱり外人より缶コーヒーだと思う。

2013-09-18

大航海時代が始まった理由は


ソーゾー君 [] 2013/09/15(日) 12:15:53 ID:3A4c9ZmE Be:

ゴールドを目当てにしてたのは欧州王族達だアホ・・

欧州銀行家に対する借金を返済する為に大航海時代が始まったんだろ?

軍艦軍隊派遣の為にまた借金してアフリカアジア金山銀山も結局は手放した・・

俺が何度も貼っている先人の警告を何故読まないんだ?

「アホな王族貴族達は銀行が発行した兌換紙幣と同じ量の

ゴールド銀行の金庫に眠っていると信じてたんだぜ?

から必死土地を売りゴールドシルバーをかき集めてたんだぜ?」

国内に売り払うものが無くなったか大航海時代が始まったわけだ・・

儲けたのは勝者は銀行家で国=国民には莫大な借金けが残った。









ウォール街アメリカ合衆国歴史考察FRB

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1365862741/l50

盗作」について日本イギリス認識の違い

九州国立博物館の展示名が「盗作」と訴えられている件について http://mainichi.jp/select/news/20130917k0000e040212000c.html

はてぶコメントを読む限りでは、ロンドン大の教授がやり過ぎではというコメントが多い。イギリス大学勉強をしている身としては、何を「盗作」とするのかについて、日本イギリス感覚にずれがあるように感じる。

イギリスアカデミアでは「剽窃」についてとても厳しい。これは大学教育最初の段階でとても厳しく教えられる。レポート論文を書く際、「他の人の文献」を引用をしたら必ず出典を明記する、というのは当然だが、「他の人の考え」を引用した場合にも必ず引用元を明記しなければならない。学会や授業の講義で得られたアイデアはもちろん、親しい友人のアイデアであっても、原則として引用元を記せ、と私の大学では教えられた。そして、自分アイデアが盗まれないように、誰に何を話したかメモを取っておくように、と。

今回の一件について、ロンドン大学スクリーチ教授所属するアジアアフリカ研究学院(SOAS)にももちろん剽窃について決まりがあり、「他者の考えや言葉自分のもののように表現する事は避けなければいけない」と記載されている。http://www.soas.ac.uk/languagecultures/studentinfo/plagiarism/ 

日本人感覚からすると、「視覚革命」と「江戸絵画」が一緒に使われる事ぐらいあるでしょ、と思うかもしれない。しかイギリスにいる感覚では、あまり一般的でない言葉をくっつけて(「視覚革命」なんて日常生活で使わないでしょ)、しかも本と同じような内容の展示のタイトルとして使っちゃったら、剽窃を疑われても仕方ない。

別に教授売名行為なんかじゃなくて、イギリス人からすると当然のクレイムだよな〜と思ったので書きました。

知的財産権とか法律絡みのことはよく分かりません。単純に感覚にズレがあるな、って話です。

2013-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20130912155257

普通にその手の論理的思考学習できると思うんだけど。

日本アフリカも変わらないって、そりゃ、一般人はそういった思考学習しないからだろ。

まともに数学さえやらないんだから、そりゃアフリカで何の教育受けてない人と比べても変わらん。

で、5%ってなればアフリカでもきちんと教育受けた層なんじゃないの?

どういう統計なのか教えてくれ。

狩りを続けて暮らしてる民族の中でも5%なのか、貧困学校にも行って無いような中でも5%なのか、

日本でもどの層での5%なのか。実際に、解ける人間の層はどの様な層なのか。

その辺、統計ありますか?

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