はてなキーワード: アフリカとは
「日本国民が明日からインターネッツ全部未来永劫使えなくなるかわりにアフリカの貧困問題が全部解決します」ってのは、
周知徹底して混乱を抑えられるなら選択肢としてはアリだなあ。
抜け穴のレベルにもよるかな。
自分が「なんでこの世って全知全能の神が作った世界のくせに、人間同士で争ったり、強いものが弱いものをとんでもない残虐な方法で虐げたり、人間の間に明らかな価値の優劣があったり、災害や事故や人災で沢山の人が不幸になったりしてんの? おかしくね?」
みたいなことを思っていたら、その天使っぽい人(見た目は覚えてないが、そういう役回りの人ってことはわかった)が出て来て、「だって人間も含めてお前ら全員、所詮俺らの下に位置する虫けらの役割みたいなもんなんだもん、人間の強い方弱い方もその他の生き物も俺らには大差ないし(意訳)」みたいな事を言った。
「神の僕のくせにその言い草酷くね?」と自分が思うと、「お前らだって平気で食べるために動物や植物殺すし虫とかも普通に殺すし、別にそのことなんとも思わないでしょ? そういうもんだから仕方ないって思ってるでしょ?(意訳)」みたいなことを言った。
ああなるほど確かにそうだわと変に納得して、「こんな奴らが上に立ってる、こんな奴らのボスが作った世の中が人間含めてクソなのなんか当たり前だな、救いなんか無いんだな」と思ったあたりまでは覚えている。
(自分が女神転生の主人公だったらそんな天使は仲魔と一緒に斬り殺して、そいつの上にいるヤルダバオートとついでに魔界にいるルシファーも斬り殺して、さあこれからどうしようと更地になった世界で呆然とするところなのだろうが、ただの人間なのでそういう事は無かった)
よもや神や天使が実在して本当にこんな事考えてるとは思わないけど、やっぱ所詮弱者なんて強者にとっては虫ケラ同然なんだよな、弱者救済なんて余裕ある強者のレジャーだよな、と考えざるを得ない夢だった。
中東やアフリカで貧しい者や女子供が虫ケラより酷い扱いを受けている事に遠くから憤れはしても、「あなたがウンと言えば、日本国民が明日からインターネッツ全部未来永劫使えなくなるかわりにアフリカの貧困問題が全部解決します」って言われても、きっと自分はウンと頷けないのだ。
したい人だけで内輪でやっとけ。
増して、カネでいろいろ支援してももそれを適切に使えてないとかもあるらしいじゃねーか。とんだ無駄金だよ。
あとアフリカっつっても一部では死んでるかもだけど一部ではぽんぽん生んでるらしいし、死にかけを救う必要なんてねーだろ。
うんざりなんだよ。
全額寄付して日本がボロボロに成って、1回きりの寄付で終わるより
ちゃんと日本が自立して 毎年経済支援したり、技術支援したほうがアフリカのためだろ。
平均化したって不幸が増えてジリ貧になるだけだよ。上に行ける奴に資源を集めて、上に言った奴は次のやつのために寄付すればいい。ビル・ゲイツとか、そのへんの奴はみんな寄付している。
http://anond.hatelabo.jp/20130605071026
同業他社がルールを守らずダンピング(労働者に払うべき分を削ってでも安く仕事を受注)してるから自分とこもダンピング(もちろん労働者に払うべき分を削って受注)しないと競争にならない、だから奴隷労働は必要悪という企業側の考えを根本的に変えないと無くならない。
そのためには労働者に労基に駆け込まれたら割りに合わないように制度を変えないと。
でも今、現実には解雇の自由化や準正規とかブラック企業を推進しようとしてますね。
まぁ確かに工場なんかは実際の競争相手が人件費がくそ安い外国だったりするから理解できないこともないですよね。
だから僕個人としては国内を守るためにはある程度ブロック化していく必要があると思うのですが、合衆国の外圧によってTPPを推進するより他ない状況です。
で、企業も可哀想だと好意的に解釈できるのですが、現状国内需要は長期的には見込めない(実体経済の回復が無い限りアベノミクスみたいなのも所詮はカンフル剤)し、フロンティアと呼べるアフリカも中国にそうとう出遅れて先日慌てて阿部首相が「アフリカに投資は今!」とか言ってるわけですよ。
大企業でも多くのとこは利益を出すためには、実体経済(実際に物を売る)ではなく金融マジックにすがるしかないのが実情です。
もちろんそんな考えでは、長期的には衰退するに決まってると思いますけどね。
でも、判っちゃいるけど目の前をどうにかしなきゃって状況なんでしょうね。
内容についての正否はそれぞれの意見があるでしょうが、新規受給しづらくするという意図はこれから困窮する人が激増することが絶対だと明確に判っているのでしょう。
今から考えると、全体に占める率1.8%額にして128億7425万円(全体に占める率は0.38%)の不正受給に対する世論の盛り上がりは不自然で巧妙でしたね。
だって、完成しても環八道路の渋滞をたった5分短縮できるか微妙な外郭環状道路の総予算は1兆円超える勢いですよ。
もちろん、これからイケイケの高度経済成長があるなら、経済効果として何十倍にも跳ね返ってくるでしょうが…
自動車の交通量って21世紀になってからずっと減少してるんですぜ。
でも、同じお金を配るなら広く薄くしても効果は同じというかむしろ市場に出回るお金は増えると思うんですが、どうして自民党のセンセイ達はあんなにゼネコンにお金を配りたがるんでしょうね?
これもブラック企業推進政策ですよね。
いざというとき生活保護を受けられないとなれば、ブラック企業でもクビにされないように奴隷になるしか道がない。
結局政策として、絶対に餓死者を出さないか、少しは餓死者が出ても仕方ないから平均を上げるか、という二つの選択肢のどちらを国民が選ぶかです。
高校までまじめに勉強したことない人が、「ああ俺も勉強して大学とか行きたかったなー」って言ったらどうだ?
西田敏行が「俺もピアノ弾きたかったなー」って言ったらどうなんよ?
じゃあ勉強しとけばよかったやん! じゃあピアノ練習しとけばよかったやん! って思わない?
遊びたいから遊んでただけでさ、勉強するって「選べなかった」わけじゃなくて、勉強するともしないとも決めずに「ただなんとなくしなかった」だけじゃん。
これってこのよう(勉強やピアノの練習をしない)に行動するであろう自分に過去に戻って後悔するから勉強やピアノしろって言う事だよね。
アフリカの女性も同じで後悔することを知らないからそこから脱する事(勉強や脱国)を学ばないって事と同じで
ただなんとなく生きてて13、14で結婚させられただけじゃん。
年いってピアノやっとけばよかったとか言う人となんも変わらん。
なんだろう。
選べなかったと、選ばなかったは違うっていうところがそもそもわかってない。
じゃあ恋をして、子どもをうんで、専業主婦で平和に暮らしている女性が、
「私も仕事してみたかったなー」って言ったら、その、増田がバリキャリ女性に感じたことと同じことを感じるのか?
高校までまじめに勉強したことない人が、「ああ俺も勉強して大学とか行きたかったなー」って言ったらどうだ?
西田敏行が「俺もピアノ弾きたかったなー」って言ったらどうなんよ?
じゃあ勉強しとけばよかったやん! じゃあピアノ練習しとけばよかったやん! って思わない?
遊びたいから遊んでただけでさ、勉強するって「選べなかった」わけじゃなくて、勉強するともしないとも決めずに「ただなんとなくしなかった」だけじゃん。
増田の言うバリキャリ女性は、子どもをうむとか、仕事に生きるとか、特に何も考えないまま就職して、仕事して、気づけば
ここまできてしまった、というだけだろ?
仕事をしないという選択は不可能だった?
今の日本じゃあり得ないでしょ。
何気なく楽しい仕事をし続けてきた結果、結婚とか子育てとかを真面目に考えず、「選ばなかった」だけだろ?
「選べなかった」やつなんているか?
経済的事情で仕事は辞めれない人はある程度いるだろうけど、より時間的余裕のある仕事に転職して、結婚するって選択肢は皆無か?
あり得ないでしょ。
しばらく前にマツコが言ってた話が話題になったが、まさにあれだ。
「選ばないまま時間がたつと後悔するかもしれないから、ちゃんと考えて選べよ。
心変わりする可能性も含めて、対策をうつなり、後悔しない覚悟なりもっておけよ」
って話だ。
それを自分の怠慢でしなかっただけのくせに、
なんかお花畑過ぎるわー。
追記したい。
ありがたいことに、「偽善者」「しね」「頭悪すぎ」というようなコメントも多数いただいたようだ。
本当にその通りだ。
自分でもそう思っている。
日本に生まれ、ささやかながらにも幸福を手にして生きている人間の、最低なイヤラシサが炙りだされた、本当にクソみたいな文章だったと、一晩経っても思っている。
だからこんなこと一度も、誰かに対して発言したことはないし、こんなところでもなければ書かなかった。
さらに独白。コメントは全部読んだ。それでなんとなく思ったこと。
思えば自分は、ただ単純に「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない。」というキャッチコピーに潜む潜在的なイヤラシサを、自分の内面に同調させ嫌悪感を抱いていただけなのかも知れない。
だって、すごく嫌な感じだ。別に理由はない。でも車内でこの広告を見かけるたび、ふとテレビ広告を見かけるたびにムカムカしていた。腹が立っていた。
何か上からの目線?押し付ける感じ?上手く表現できない。(中学生かよ・・・)
ここからは他者に向けた発言だ。
多数の方々から、『日本女性が結婚せず子供も持てないのは、(それを自ら選択しているのだから)自己責任。そもそも貧困層の女性は選びようがないから比較にもならない』という趣旨のコメントをいただいた。
一部はその通りだ。
でも、「日本の女性が選らんだその結果は、本当に彼女らが心底望んでいることなのか?」という事が、自分のなかではこの問題と関連づけれられる大きな議題のひとつだった。
もちろん、日本女性の選択肢は、アフリカ女性の強いられたそれとは比べようもなく多いだろう。
だけど、社会の仕組みや、時勢により、選ばざるをえなかったのではないか?という思いが消えない。
だからこういう青臭い文章を書いてしまった。そして、そこの部分を表現できなかったから、こんなややこしい話になってしまったかもしれない。
もううまく表現できる気がしないけれど、自分には、日本の女性らもアフリカの女性と同様に、様々なことへの選択の余地はないように感じられている。
自分の近くに、バリキャリで働いている女性が何人もいる。彼女らは地位もお金も自由も手に入れて、傍目にも輝いている。
そして自らそれを勝ちとったとハッキリと明言する。
それでも、ふたりきりで飲みに行った帰りや、ふと弱音を見せる瞬間に『本当は自分も家庭を持って、子供も持ちたかった。でも縁がなかった』と言ったりするのを聞く。
ただのないものねだり?たまたま自分にはなかった選択肢の先を、興味本位で見てみたかっただけだよ、なんて残酷なこと誰が言えるのかな。
選択の自由がある分だけ幸福?これが彼女らの本当の幸福の選択だったのかな。
選択があることの不幸?豊かさの犠牲?頭がぐるぐるしてきた。
日本で暮らすにはお金がなくて子供を諦めざるを得ない夫婦や、同じようにお金がなくて結婚にすら至れないカップルもいる。
こういうのも選択ができてるっていうの?自分で自ら選んだものだとは到底思えない。
こんな人たちがゴロゴロしてる日本で、まだ寝ぼけた顔で「13歳で結婚。14歳で出産。」なんてこと、どうしたら正気で言えるんだろう?
・・・それでも現在の日本では様々な命の危険がないこと、衣食住への不安が少ないこと、など、そもそもこの両者(日本と貧困国)を比べること自体が、頭が悪かったように映っただろうと思う。
豊かさの本質へと、問題は帰結していくと思った。
今の日本は豊かではない、という自分の根本的な思いもまた、この問題をややこしく表現させてしまったと思っている。
書くべきではなかったと思うが、折角の匿名サービスなので青臭く吐露してみた。
また頭悪すぎって言われそう。自分でももう、そう思ってる。
先日、本を読まない人を見下していると書かれたエントリに思いのほか反響があり驚いています。
話は変わりますが、私は匿名で文章を書き込むような人を見下しています。正直言って、頭の中がお花畑でいらっしゃるのかと疑いたくなる。友達になりたくない。
書き込みという単語が正しいのかわかりませんが、いわゆる増田とか、Anonymous Cowardとかこのエントリが掲載されているようなサイトのことと思ってください。
識別できるIDをつけて評価を得るというのが基本だと思っています。払った時間と知恵に対して、得た物の価値が低く感じると、私はとても残念な気持ちになるのです。
増田というものは、払った労力に対して、得るものといえば、はてブ数?みたいなものでしょ? よくわからないのです。判断対象によって違うのかもしれないですが、ブクマするとリンクがより赤くなると仮定しましょう。
それって、はてブのDB内で数字が増えるだけってことですよね? 労力を払ってまですることなのですか?
そもそも、増田のネタ投稿にあけくれて、評価されたい一心で書き込みしまくる人というのは、何がしたいのでしょうか?
私が思うに、みんなに読んで貰ったという達成感を味わいたいのではないでしょうか? つまり、自分のブログで人気になったエントリが少ない、もしくは人気になるエントリを書く自信がないのではないでしょうか?
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でも自分のブログやTwitterでは、自分は何ひとつやり遂げることができない。やり遂げた経験がない。
そういう人が多いのではないでしょうか?
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増田にはまる人との価値観の相違を認めましょう。そういう人がいることを認めますし、やめろとは言いません。そういう人の中にもいい人はいて、一概に達成経験の欠如や金銭感覚の欠如が理由だとはいいません。
しかし、生理現象として、増田に連続で書き込んでいるのを知ると、こいつヤバイと思ってしまいます。ごめんなさい。正直言って、見下している自分がいます。
でもこういう人がいるから、ブロゴスフィアって回ってるのかなとも思います。つまり、増田に書き込む人も評判経済のプレイヤーなんですよね。なるほど、見下している場合じゃないですね!感謝しなくちゃ! って価値観の相違を認めてみました。
ほな、さいなら!
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ほな、さいなら!
男子中学生「おっぱい触らして」と懇願すること1時間 - Togetter
これ見て思い出した。
俺が中学生のときに一緒に図書委員してた女子がすげーかわいかったんだけど、シモネタ大好きだったんだよね。
本の整理してたら、民俗学かなんかの本っぽいのもってきて「これ見てこれ見てwww」って見せてきたのが、アフリカっぽい土偶で男性器がやたら強調されてるやつ。
一事が万事そんな感じ。
割りとシモネタ好きな自分でも女子に対しては自重してたのに、こいつ。。。と思った。
「。。。」の内容は、このこはやっぱり俺なんてどうでもいいと思ってるんだろうなーっていう落胆と、それ抜きにしてもかわいいのにそんなことを言うなんてという驚き。
マジでお願いしたら触らせてくれたかもとか今になって後悔してるよ。
小学生のスカートめくりしかり、その時にしかできないことがある重みっていうのを自覚したほうがいい。
って一番伝えたい相手は増田なんかまず見てねーだろうけど。
それが許されるうちは。
何だか統失患者の文章みたいでまとまりがなくさっぱり文意がつかめないのですが。こういう文法は正しいけれど意味は支離滅裂という文章を書けるのもある種の才能なんでしょうか。
どうもここには一見、女に不利なことを書くと理路もへったくれもなく噛みつくことが目的で噛みつく頭がおかしい人が常駐しているみたいですけどね。
さて、それはさておき、意味が分かる部分について反論しておきましょう。
まず先述したように哺乳類での一夫一婦制はごく珍しい例で、一説では全種の3%のみとも言われています。これはオスもメスも「本来は子育てをしたくない」という当然の行動原理があることを踏まえれば、特に哺乳類で一夫一婦制がほとんど見られないのも当然です。
子育てをしない、もしくはオスかメスかのどちらか一方に押し付けることが可能なら、その間に押し付けた側の性は別の相手と繁殖活動が可能になりますので、そういう方向に進化するわけです。魚類でオスのみに育児行動が見られる例が割合あるのは、魚類の多くが体外受精をするせいです。つまりメスが卵を産み、オスが射精している間にメスが逃げれば、結果的に面倒を見るのはオスしかいなくなりますので、オスに育児行動が見られるように進化していくわけです。
哺乳類の場合は出産はもとより、哺乳行動が必ずありますから、メスが育児行動をすることはあらかじめ決定されています。メスが育児をする以上、オスは育児をしなくてもかまわない場合がほとんどになりますので、哺乳類では一般にオスの育児行動が見られない、オスの育児行動が見られるのはつまり一夫一婦制なので、一夫一婦制が見られない、ということになります。
鳥類では肉食が多いために一夫一婦制が一般的ですが、鳥類は哺乳類と違って雌ヘテロ型の性染色体の性決定様式なので、ここで述べているY染色体の劣化の問題は発生しません。
ヒト以外での一夫一婦制の哺乳類ではやはり肉食動物に多く見られるのですが、代表例であるオオカミの場合は、しばしばつがいの入れ替わりがある、集団の中において核となる夫婦だけが繁殖するなど、ヒトとは少し変則的なのですが、まあ一夫一婦制による子育て行動が見られます。オオカミの近縁種で他の繁殖形態をとる種がないので(家畜化されたイヌは別にして)、比較はできないのですが、他の種と比較すればやはりY染色体の劣化は程度としては見られますが、ほとんど問題になるレベルではありません。
これはオオカミの場合、ライフサイクルが短いこと、繁殖力が高いため個体数の増大においては繁殖力そのものよりも、空間的な制約の方が大きいことが挙げられます。1995年にイエローストーンでは31頭のオオカミが導入されましたが、それから20年を越えて、近隣三州での個体数は2000頭を越えていると見られます。
つまりY染色体が劣化してそのため絶滅する個体系統があっても、すぐにそれを補う数が補填されるということです。蓄積されてゆくエラーの中にはY染色体の機能向上させる方向に働くエラーもありますから、そういうY染色体を持ったオスの子孫がたちまち空いた空間を埋め尽くすので種全体としての健全性は保たれます。ヒトとは繁殖速度とライフサイクルがまるで違うので、比較になりません。ヒトの場合、狩猟採集生活下では人口置き換え水準をほんのわずか上回る程度の繁殖速度ですから、遺伝的に絶滅する夫婦の割合が高ければその空間を埋めることは出来ないのです。
Y染色体が劣化した場合、当然、残されてゆくY染色体は同質化していきますので、繁殖力の弱い個体は絶滅するだけで、種の多様化とは逆の現象が発生します。過剰繁殖かどうかは環境が決定するので、基本的に人口置き換え水準が維持されているならば過剰でもなければ過小でもありません。環境によって制約を受ける最大個体数に適応した人口置き換え水準がヒトの場合は、自然状態ではおおよそ特殊合計出生率にして4.2前後なのですから、これを下回る場合は絶滅、もしくは生息域の縮小へと至ります。一夫一婦制において結果的に特殊合計出生率が低下する現象がみられる場合、後になればなるほど遺伝的な同質性は強まっていきます。言うまでもなくそれは種の多様化とは正反対の現象であって、ここでのあなたの主張は「頭がおかしい」というしかありません。
また現在、イスラム圏など「一夫多妻制度」の人類社会があるが、そこが生殖能力が高いか? 人口比では一夫一妻制の社会の方がよほど大きい。つまり、個々人のうち、少数者が生殖子がよわかったとしてもそういう種は一夫一妻主義のもとでも淘汰されへっていくはずなのだから問題はなく、この主張は一夫多妻主義者の虚偽だ。
イスラム圏での婚姻形態について余りにも無知すぎます。そもそもイスラムにおける一夫多妻制は未亡人や孤児の扶養を目的としているため、扶養力がない時点での一夫多妻制は許容されていません。実際には9割以上が一夫一婦制での婚姻形態であり、比率から言えば圧倒的にイスラム社会は一夫一婦制の社会です。更に言えば、出生率がイスラム社会の方が高めであるのは言うまでもないことです。ナイジェリアなどにはイスラム教徒とキリスト教徒がそれぞれいますが、キリスト教徒の方が出生率は低いです。これは同様にエジプトのコプト教徒社会などでも言えます。
そもそも生物学における繁殖形態と、文明史上の婚姻形態の話は別です。オスとメスが性行為をすれば、その婚姻形態がいかなるものであれ妊娠しますので、文明史においてはありとあらゆる婚姻形態が見られます。完全に一夫多妻制の社会、完全に一夫一婦制の社会というものはないのです。日本や中国では圧倒的多数は一夫一婦制でしたが、権力者が一夫多妻制であったのは言うまでもないことです。厳格に一夫一婦制を求めるキリスト教社会にあっても、フランスにおけるロワイヤル・コンキュビーヌの制度に見られるように、多妻制は見られます。
生物学における一夫一婦制とは、繁殖形態が種のグランドデザインにまで及ぼす影響がある程度があることを指して言うのです。ヒトの場合は、雌雄差が小さい、性淘汰の影響が見られない、等々の理由から生物学的に一夫一婦制がデフォルトであることが立証されているのです。
正直言ってこの程度のことさえ知らないで、何かを言おうと思うこと自体、蛮勇と評するよりありませんが、何か衝動に駆られて物を言おうとする前に少しは頭を使うとか知識を得ようとしてはいかがでしょうか。
文明社会における婚姻形態の話と、生物学における繁殖形態の話はまったく異なると言うことを言いました。
本来、生物的にはあり得ない一夫多妻制が文明社会でしばしば見られるのも文明による干渉、歪みです。
例えば、南米や太平洋諸国ではY染色体とミトコンドリアDNAの不自然な組み合わせの例が見られます。Y染色体が男系のみを通して、ミトコンドリアDNAが母系のみを通して継承されることはよく知られていますが、南米や太平洋諸国では、ミトコンドリアDNAが現地由来、Y染色体がヨーロッパ由来である場合が多く見られます。南米で先住民系として扱われている例でも、Y染色体の割合では半数以上がヨーロッパ系という例もありました。これは言うまでもなく大航海時代以後のヨーロッパの帝国主義がもたらしたレイプと殺戮の影響であるわけですが、同様の例はアメリカの黒人でも見られます。
つまりY染色体を辿る限りアメリカ黒人男性のほとんどは実は白人の子孫なのであって、彼らをアフリカ系と呼ぶのは遺伝的には半分しか正確ではありません。オバマ大統領の場合は、こうした普通のアメリカ黒人男性と違って、ミトコンドリアDNAがヨーロッパ由来、Y染色体が東アフリカ由来になっています。これは彼の両親が自由結婚した結果であって、オバマ大統領はアメリカの黒人ではあっても、遺伝的にアメリカ黒人男性のメインストリームとは奴隷制の負の遺産を共有していません。
自然界における一夫多妻制は遺伝子の優劣によって決着がつきますが、文明社会ではそうではないわけです。それは武力や財産や社会的地位によって影響を受けますので、自然界における一夫多妻制のもたらすY染色体の競争が起きずに、Y染色体の弱体化をむしろ加速させます。本来、子を持つことが叶わない生物学的に弱い男子が、社会的影響などによって多くの妻を得ることは、弱い男子の遺伝的影響が狭い集団の中で蓄積してゆくことを意味します。
公家や皇族で男子が生まれにくいというのはまさしくこの影響であるわけです。おそらく公家の夫婦の間ではY染色体の劣化がいちじるしく蓄積しているために、男性の側で性染色体が母系由来のX染色体しか機能せずに結果的に女子しか生まれない、女子が生まれやすくなるのです。Y染色体は男系を通してしか継承されませんから、たとえば皇室で健康な女性をいくら導入しても、この問題は解消されません。
文明社会では確かに一夫多妻制は純粋な生物学的な競争ではなく社会制度によって干渉を受けるためにY染色体の劣化をむしろ加速させるでしょう。逆に言えば純粋に繁殖力や性的な魅力(ほぼ繁殖力と重なる場合が多いです)のみで一夫多妻制が行われれば、Y染色体の能力がかさ上げされます。
「東洋人と西洋人とアフリカ人とオセアニア人が存続し続ける限り」に言い換えることにした。
文化の問題でなく生き物としての構造の問題なんでね。夢見る乙女は信じたくないんだろうけど。
ドイツ人なんかスゲーのなんのって。売春ツアーで中国とか東南アジアに来てるやつほとんどドイツ人だからね。報道されないから知られてないけど。
まー、「幸せそうな連中」ってのが認識できている時点で、貧困問題でもなんでもない罠。
アフリカの貧困問題なんかだと、まずは自分たちが貧困と呼ばれる状態で、行動を起こせば抜け出せるんだと気付かせる事からなんだよな、実際。
最悪な段階だと、自分が貧しいと認識できてないか、認識していても自分が貧困から脱出できるとは思ってない。
幸せそうな連中が憎いってのは、「自分は貧困から脱出できると認識しているが、脱出を試みていない」状態な訳で、そもそも論外。
そりゃぁ、理解されないだろうよという事が分かってない。
つーか、理解できる奴は同じ穴のムジナな訳で。
件の記事は以下を参照されたし
Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー
このレビューがおもしろいことは認める。独特の切り口に歯に衣着せぬ物言いは、確かにとびっきり面白い。でも、ただ単に面白いだけで、作品の本質は何にも言い当てられていないと思う。
ネタにマジレスするなって怒られるかもかもしれないけど、好きな小説をここまでコケにされて、「これこそが正当の評価だ」みたいなブコメをたくさん読むと、何か一言言いたくなって書いた。
わざわざ嫌いな作家の作品を読んで、長々とレビューを書いたわけだから、
①俺は作品を正当な評価をすることができる
②世間では流行っているが、面白くない小説が流行っているのは許せない
③俺の読み方によると、これはつまらない作品だ
④その誤った評価を俺が正してやる!
このような思考の元、あのような前置きを書きつつ、批判を書いたのだろうか
しかし、話題になっているから読んでみて、何がいけないのだろうか?
作品を読んで元気付けられて何がいけないのだろうか?
作品をどういうきっかけで読もうと、読んでどういう気持ちになろうと、その個人の勝手だし、誰にも迷惑をかけていないのに、なぜそのような気持ちになるのか理解できない。
確かに、村上春樹の孤独は、本当の孤独を知ってる人からしたらオシャンティーなものかもしれない。
でもそれってお母さんが子供に、アフリカで貧困に苦しむ子供は飢えや病気に苦しんでいるのだから、お前も我慢しなさいって教えているのと同じで、
少なくとも僕やそのほかの人には普遍化できない場合も多いのではないかなって思う。
僕らはアフリカで貧困に苦しむ子供よりは豊かで恵まれている。とりあえず食うに困らないし、寝るところにも困らない、幸せのはず。
だけど、悩みすぎて病気になる人もいるし、自殺する人は日本にたくさんいる。
その鬱になる人や自殺する人に、お前より貧困に苦しむアフリカの子供の方が不幸なのだから、お前は幸せだ。
なんていってもその人の悩みや悲しみは消えない。
なぜなら幸せの尺度は絶対化できないから、その人の中でしか尺度は測れないから。
だからそういう意味では、飢えた子供の不幸と自殺しそうな人の不幸は、同じように不幸なんだ。
だから、多崎つくるの孤独は、たとえドリーさんを始めもっと強烈な孤独を知っている人にとっては孤独じゃないにしても、彼の中では真の孤独なのだし、その孤独に共感したっていいじゃないかって思う。
なおかつ、ドリーさんは、別に作品をしっかり読めてもいないと思う。
ドリーさんの批判の中心は、おシャンティすぎて、全然共感できない、あるいは孤独にリアリティーがない主人公、「くたびれ果てた男ども勝手に妄想」したような女性などなど、登場人物にリアリティーがなく、感情移入ができない、というところだろうけど
なんかそれって的外れな、あるいは表層的な批判だなぁと思う。
イカ臭い妄想と断じるのはたやすいけど、それって安易でもったいない考え方だなぁと
確かに、村上春樹の小説には、こういうリアリティーのない人物がよく出てくるし、批判の対象になりがちだけど、
つまり、あえて登場人物の虚構性を高めている。
それが村上春樹の小説の特徴の一つだし、面白いところの一つなんだ。
とくに本作品では、さらにその登場人物の虚構性が際だつように構成されている。
で、ここまでは従来の春樹作品によく出てくるパターンだなぁって感じなんだけど、
なんと本作品では、タイトルに「色彩を持たない」なんて言われ方をして、はじめから紹介されている。
付け加えて言うと、没個性なんて人格、正直ふつうに存在し得ない人格。病気ではない限り、だってみんななんかしらの個性があるし、もっともっと感情の動きがある。
つまり、これが虚構性の強い登場人物ですよーって、読者にはじめから提示しているというわけ。
ほかの登場人物になるとその傾向はもっと顕著になる。
つくるの4人の友達の名前は「アカ、アオ、シロ、クロ」、ほかにも灰田など、緑川だの、対照的に、多崎つくるの周りにいる人物は、わざわざ色を名前に盛り込んでいる。
これはつくると対照的になるように配置され、人物の虚構性を高めるのに十分すぎる効果を発揮する。
つまりもう、読者に登場人物の虚構性をこれでもかっていうくらい、分かりやすく説明してある。
たぶん今回村上春樹は、前回の作品「1Q84」が抽象的すぎて分かりにくかったっていう批判をいっぱい受けたから、今作品では読者のことを考え、わざとらしいくらいに分かりやすい構成にしたんだと思う。
では、虚構性を高めるとどんな効果があるかについて。
これにはいろいろな効果があるし、難しい部分なんだけど、一つの効果として物語の受け止め方が変わるんじゃないかなとにらんでいる。
多崎つくるの孤独は、確かに特殊で誰も経験したことがないようなものだけど、なんだか自分に当てはめることができるような気がする。
虚構化の強調により、無駄な情報が削がれ多崎つくるの孤独は、まるで神話や教訓話のように、自分のことに置き換えやすかったりする
そういった効果があるのに、ケミストリーだのという、そういった細かい部分で(実際この言葉を作ったのは多崎つくるは高校生の時に作ったものであり、作った当人も恥ずかしそうに述懐しているというのに)、小説自体をバカにするのは実にもったいないなぁと
ドリーさんは、ネタバレのあらすじを書いて、つまらないあらずじでしょうってレビューではコケにしているけども、そのあらすじだけで判断しないでほしい。
確かに、あらすじだけ読むとつまらなく思われてしまうかもしれないけど、
小説は、あらすじでは説明できないから、表現できないから、伝えられないから、たくさんの言葉を緻密に配置して作り上げているもの。
だから、あらすじだけを読んで、全部知った気になって、満足してしまうのだけはやめて欲しい。
以上長々と、ドリーさんのレビューの批判を書いてみた。僕は斜に構えて、誰かのことをバカにする人は嫌いです。
斜に構えてバカにするのは簡単だけど、それで見落とすこともたくさんある。そのことが伝わればと思います。
自分は憲法改正に賛成だが、それは中国や北朝鮮を念頭においているわけではなく、もっと別のことが要因で、改憲に賛成している。
その理由とは、今のままの憲法だと、いずれは「憲法なんて、結局は守らなくても良いじゃん」って意見に突き進む可能性への恐怖である。
素人考えだが、憲法九条の条文だけを見れば、自衛隊は絶対に違憲である。存在すら許されない。場合によっては、警察官の拳銃すら違憲の可能性がある気がする。
ところが、護憲派も含めて、自衛隊は圧倒的な支持を有している。それも、存在そのものどころか、近年では海外派遣すら、過半数の国民から支持されている。結果、自衛隊は、今では旧軍も足を踏み入れたことのないアフリカ地域での、長期的な活動拠点も有している。警察の武装については、個々の事案での発砲については裁判になることもあるが、「警察は非武装でいるべき」という考えは、護憲派のサイトを見ても、ほとんど見かけない(皆無ではないけど)。
つまり、現在でも、憲法よりも、国家(国民)の要求や、現実の問題への対処こそ優先される状況は、既に存在している。これがさらに突き進んで、「憲法のその他の、基本的人権などの条文も、無視しても構わない」という意識が、日本の支配的思想にならないという保証はない。
自分は、それが恐ろしい。だから、自衛隊を認めるのであれば、改憲は絶対に必要であるし、護憲の立場に立つのなら、自衛隊の解体もセットで主張しなければならないと考えている。現状追認的ではあるが、明らかに拳法の条文に違反している現状を、そのまま未来永劫、追認し続けるほうが、よほど恐ろしい。