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はてなキーワード: ぼんやりとは

2021-03-02

anond:20210302183229

えっ!?熱中するものがなければぼんやりと死を待つだけの人生になるとオタクは思ってるの

anond:20210302182903

ぼんやりと死を待つだけの人生価値あるものと認めてる人間そもそも少ないだけだよ

2021-02-27

すぐに助けてはくれない

ダラダラ 自分メモ

仕事帰りのバスの中、なんか急にダメになって涙が止まらなくなった。今までもそういうことがあって「死にてぇ〜!」しか考えられなくなったり、どうしようもない自己否定に苛まれてぐしゃぐしゃになることは多々あった。でもずっと続くわけじゃないし、もうそういうもんだと言い聞かせ、特別治したいとも思わなかった。というか一生この波と付き合っていたらきっとそのうちメーター振り切れて爆発すんのかなと思い、心のどっかでそれを望んでた。

でも初めてバスの中で「助けてほしい」と思った。家に帰ってトイレに駆け込んだ、吐きたいけど吐き方わかんない。そっから嗚咽が止まらない。久々に声あげて泣いた。なんで泣いてるかももうわかんなかった。

前々から自己チェック表みたいなのでうつ病かもと思っていたから、うつ病 病院とかで調べた。近くの病院探しても土曜は初診お断りとか電話繋がらなかったりとか、予約できても1ヶ月後ですとか。あ〜そうですよねって泣きながらお断りして、電気もつけてない暗い部屋でしばらく鼻ばっかかんだ。月曜なら空いてますってとこで予約取ればよかったのかなとか思い始めて、でも電話口の担当者さんの声が怖くてもうかけたくないなと思った。

自殺電話のやつかけようかと思ったけど、別に自殺したいわけじゃないしな…(消えたいだけなので)と思ってしばらくネットで色々探す。ジャストアンサーって釣りなんだね。なんて打ち込んだらいいか、しばらく考えちゃったじゃん。無料医師が答えてくれるわけないよね。

本当は仕事でやってる人に話したかったけどどうにもすぐには無理そうなので、いわゆる「まずは身近な家族や友だちに相談」を考え出す。

電話…親だったら出てくれるだろうけど親は話せない。誰でもいいから助けてって思ってたけど、親は話したらあっちが病みそう。姉にライン入れても返信こない。仕事かな。

ひとり暮らしのへやのなか、散らかしたコートマフラーカバン、色んなもの放置して、電気ストーブの前でラインの友だち画面とにらめっこ。ボックスティッシュは底をつきたけど予備を取りに行くのが面倒で、カバンの中に入っていたポケットティッシュビニールビリビリに破って涙と鼻水をふいた。

ならいいか…もとから交友関係少ないけど、いきなりこんなこと話せる人となるともっと少ない。結局「今いい?」と送ったのはふたり。当然すぐには連絡こない。

ぼんやり考える。例えばこのまま自分自殺したとして、メッセージをもらったふたり(と姉)は何を思うだろう。当然後悔するのだろうか。なんか、身近な人が自殺するってそれはそれでいい経験なんじゃない?とか思えてくる。トラウマもんかもしれないけど、なかなか体験できないし。みんなの経験値アップに貢献してやろうかなんて意味不明なことを考え出す。

……誰からも連絡は来ない。こんなもんだ。こんなもんなんだな〜と思った。そうか、誰もすぐには助けてくれないのか。そりゃそうだ。仕事でやってる人にとっては業務だし、友人にしてもみんな生活があって、よくよく考えたら当たり前だった。

時間くらいたっていて、寒いなと思っていつの間にか脱いでいたカーディガン羽織り直す。今日買い出し行かないと。冷蔵庫空っぽだったもんな。部屋のポスターを見上げた。うん、やっぱり好きだ。パシンと漫画みたいに頬を叩いて立ち上がる。雨戸を開けて、散らかしていたものを片付けだした。スピーカーからメンタルが不調になったとき聴く音楽を流す。うん、聞ける。元気出てきた、気がする。

なんか、助けてほしいときすぐには誰も助けてくれないんだって改めて思った。自立とは依存先を増やすことという言葉が頭で響く。去年出会って、なるほどと思った言葉の1つ。他は「結局人は孤独」。ひとりで生きていく、だったっけな。

余談

外は寒かった。でも太陽があったたかった。コートポッケスマホ振動して、見てみるとラインを送った友人がどうしたの返信をくれていた。そのあとその友人もメンタル病院に通っていることを教えてくれ、なんというか…みんなそういうもんなのかなあと思って、ご飯を食べた。

どうしても思い出せないプレステゲームタイトルがある

全然ヒントになる情報が無いんだけど、昔一瞬だけプレイしたゲームがふと頭によぎってタイトルが気になって仕方なくなってるから知ってる人いたら教えてほしい。

ハードは初代プレステ

ジャンル的にはアクションになるのかな?剣と魔法系だった気がする。

俯瞰視点で、敵とのバトルも戦闘画面とかに遷移しないタイプ

世界観結構ダーク寄り。敵もゾンビとか悪魔とかだった気がする。プレイした序盤だけかも。

・協力プレイ友達操作した覚えがあるから主人公は2人?一人が赤マント着てたのだけはぼんやりおぼえてる。

・で、たぶんどっちかが魔法使いで、火の玉飛ばしてた。なんか呪文名前みたいなの言うんだけど全然覚えてない。

ほんと一瞬の記憶でぼやぼやした情報しかないんだけど、半日検索しても見つからなかった。

あれは存在しない記憶なんだろうか…。



追記

ディアブロだった!!!!!!!!!!!!

あれーーータイトル一覧で見かけて検索した時なんで見逃したんだろ。。。

スッキリしたーーーーありがとーーーインタネットすげーーーーー

幼女の頃に障害者に抱きつかれた

私の通っていた小学校は片田舎にあった。

全校児童が250人程度の規模だ。

発達の遅い男児が3人いて、彼らが所属するいわゆる「ひまわり学級」ももちろん存在した。

ちなみに彼らは以下3タイプに分かれていた。

・A君

ダウン症軽度(ある程度成り立つ会話ができる)

・B君

ダウン症中程度?(インプットはどうやらできているようだが、日本語らしい日本語アウトプットできない)

・C君

→発達遅れ(ある程度成り立つ会話ができる)

そして3人全員とも、私と同い年だった。

そのため運動会やら遠足やら、何かしらのイベントには必ず「彼ら3人」も一緒に行った。

小学一年から一緒だったためか、元々の気質なのか、それとも両方か、幸運なことに(?)彼らを蔑視する子たちは同学年にいなかったと思う。

あくまで私目線で、もしかしたら違ったかもしれない。

とりあえず、大っぴらに彼ら3人を差別するような子たちは誰一人としていなかった。

私としては彼らを「大多数と違う」ことに何だか不思議な魅力を感じていた。

決して貶してはならないことは前提としつつ、彼らの行動一つ一つが想定外で、ワクワクしながら彼らと接していたような気がする。

全てを素直に捉えて接してくれる彼らは、変な言い方をすると可愛くも思えた。

忘れもしない、あれは小学5年生の時だ。

秋の学級会で行う「オズの魔法使い」の練習をしていた時だ。

例に漏れず、3人組も私たちと一緒に練習を行っていた。

5回目くらいの全体練習の際に、B君が突然女の子に抱きついたのだ。

その場にいた全員が驚きながらも男子が中心にB君を女の子から引き剥がした。

B君は日本語らしい日本語は話せない。

ただ、こちらの言ったことはある程度理解できる(と認識していた)。

みんなで言葉を選びながら、B君に「抱きついちゃダメだよ〜」と笑いながら注意をした。

しかしながらもB君ははその注意後からも辞められず、「抱きつく→すぐに男子が引き剥がす」というイベントが幾度となく発生した。

その様子を最初からじっくり観察していると、抱きつかれる女子共通するある条件が見えてきた。

それは以下の通りだ。

1)B君のすぐ目の前を通り抜けること

2)可愛い女子であること

なんというのか、太っていたり、容貌が良くない女子が通りかかってもB君は抱きつかなかったのだ。

そして私は思いついた。

「私もB君に抱きつかれたら、可愛い認識された、ということなのではないのか?」と。

すぐに実行に移した。

小休憩の時にB君の目の前を通り抜けた。

キドキしていた。

何故だか何かに祈っていたかもしれない。

「んーーーーーー!!!」という声と共にB君は私に抱きついてきた。

唇を押し付けようとしているので、急いで思いっきりのけぞった。

上半身には両腕をガッチリと回してきた。

まり下半身違和感は感じなかった記憶だ。

どうやらキスのみををせがんできたようだった。

抱きつかれた瞬間「勝った」と思った。

一応、私のことを可愛いと思ってくれる男の子はいたんだ、と。

今考えるとかなり歪んだ認知だと思う。

抱きつかれて5秒後にはB君は男子たちに引き剥がされていた。

私は「可愛いと認めてもらえたこと」や周りで見ている限りでは分からなかった「キスをせがんできた」ことを発見できてワクワクしていた。

が、同時に恐怖も少し抱いた。

私は好奇心から「抱きつかれる可能性がある」ことを意識して行動に移し、かつ「彼が起こすであろう行動を予測できていた」。

それでも恐怖を感じたのは事実だ。

私のようなことを考えずに、突然抱きつかれた数人の女子は、心に傷を負っていたかもしれないと今では思う。

しかしながら、あの状況でB君をきちんと注意できる人はいなかった。

しかするとみんなが見ていない場所先生が注意していたかもしれない。きっとそうであると思う。

抱きつかれた女の子たちは表面に出して怒ったり、泣いたりは一切していなかった。

くそのような感情が湧かない子もいるかもしれないけど、それを抑えて我慢していた子もいたかもしれない。

真相はわからないけど、責めることができずにずっと心の中で耐えていた子がもしいるとしたら可哀想だと思う。

もちろん謝罪はなかった。

そんなものは一切求めていなかったけど、まじで。

B君が抱きついたのはその日だけで、それ以降はそういう事件はなかった。

きっと先生が注意してくれたのだろう。

ちゃん理解して偉いなと思う。

オズの魔法使いは無事成功して幕を閉じた。

ぼんやりと思う。

周囲の人からすると、私はひまわり学級の子達の面倒を率先して行う、とてもいい子だったと思う。

でもそれは心の底から溢れる善意ではなくて、彼らを知りたいという知的好奇心からだった。

データとして、検体として、彼らがどんな行動を起こすか興味を持っていた。

それって失礼なんじゃないかな。

そして今もそういう感情は常に持ち合わせている。

突拍子もないことを行う人を見つけると、近づきたくなってしまう。

よくないね

推敲してないから変なところあっても許してね

ちんちんびろーん

いまは東京にすんでいる。

電車の中でも、普通の街を歩いてたりする時でも、突然体を触られることはある 

勝手に触られて搾取されるのはやっぱり気分良くないよ

オチがわからなくなっちゃった

ぱおんぬ

anond:20210227074822

ぼんやり生きることは、悪いことではないと思う。勉強してより高い自分を目指すことは、もちろん美しいが、誰もが実現できることじゃない。

きっと問題は、納得できているかどうかなんじゃないだろうか。ある種の自分との向き合い。

何に幸福を見出せるだろう。分からない。その答えは増田しか探せない。

ネットには色んな人の人生と、そこにたどり着いた情報が落ちてるだろうからネットサーフィンの傍で見つけられるとラッキーだね。

うっすらとした死にたさ

すごく積極的死にたいとか、自殺したいまではいかないんだけども

とにかくいいから、世界を一時停止して何も考えたくない、みたいな形での死にたさ、みたいなものを感じている。

30代になって、若い時みたいに自暴自棄な感じはなくなったけど

ひたひたとくる、希死念慮とまでは言えないこの感情をどうしたらいいのかわからない。

たくさん寝れば多少よくなるんだけど、夜勤もある仕事だし、ついネットサーフィンして、ぼんやり人生を浪費している。

もっと仕事スキルを身に着けるために勉強しなくちゃと思って、調子のいいとき勉強もしてるけど

全体として、ほんとうにぼんやりと生きていて、何も考えたくない。

2021-02-26

anond:20210226142208

そっか

あなたがそう思うならそうなんでしょう。

わたしは見ないので知りませんが。

ただ感想文としてぼんやりし過ぎているので、もう少しブラッシュアップできると良いですね。

彼氏元カノ

彼氏元カノ、私が現状知ってるだけで

高校社会人4年目の間で4人いてる。

高校生のとき元カノなんかどうでもいいんだが、

大学生の期間すっ飛ばして、社会人になってからできた3人の彼女たち、その中の1人に私は心をかき乱されていて、つらい。

過去過去だし、そもそも私の心をかき乱している女性交際していたのは2年前とかそのくらい前なのに、私はその人のことを考えると精神不安定になってしまう。

この前、出来心彼氏スマホを見てしまった。

日頃彼氏に女の影などはなく、浮気なんて疑ってなかったし、ただ「Twitterでどんなツイートしてるのかな〜」くらいの気持ちで覗いてしまった。

結論から言うと、画像フォルダから元カノとの写真が出てきた。

LINE、インスタのDMアプリ一覧、Twitterツイート、ありとあらゆるものを見たけど、女の影どころか私以外の人間と定期的に連絡をとっている様子すらなかった。

最後最後に覗いてしまったのが、画像フォルダだった。

画像フォルダをかなり遡ると、女の子とのツーショットが出てきて、直感で「ああ、元カノだなあ。」と分かった。

でもそれ以外の女の子との写真はなくて、ただ消し忘れたかのように数枚その女の子との写真が残っていた。

私とのツーショット写真は、LINEで送っても保存しないのに元カノとのやつは残してあるんだね とか

ツーショットの中に1枚だけ元カノエロい自撮りがあって、「人に画像フォルダ見せてるときに出てきたら気まずいから」って理由で私とのハメ撮りとかは撮らないのに残してるんだね とか

元カノかわいいなあ。雰囲気似てるから、私のスーパーアップデート版だなあ とか

そういうこと考えてしまい、その日は眠れなかった。

その日からしばらく経つが、私は依然として精神不安定で、とうとう数年ぶりにメンクリに行って安定剤をもらってきた。

安定剤を飲んでも、ぼんやり元カノの顔を思い出してしまい、眠れない。

私より愛されてた気がする元カノを思い出しては、憎み、嫉妬し、悲しくなって、涙がとまらなくなる。

全然気持ちが安定してくれない。

早く楽になりたい。

好きなのに、私が相手過去に囚われていて、

もうこのまま前みたいに付き合えないんじゃないか

2021-02-25

若い悩みだねえ」って胸を張って言いたい

自分は何者なんだ、生きる意味ってなんなんだ!

みたいなやつ急速にどうでも良くなってきたけど、それは答えが出たからでは全然ないんだよな

わかんねえし、なんか、もういいや つか、そんなこと考えてる元気ないし… っていう、わりと消極的な諦めみたいなものが原因ぽい

いま甥っ子とかが「最近人生意味について考えたりしてるんすよ」って言ってきたら、わりとなんつったらいいか分からん

「おお、俺も若い頃はそんなこと思ったなあ」

なんて言うとぼんやりマウンティングしてる感じが出るが、実際マウンティングできる要素はゼロ

あの頃から人生意味についての考察はまったく深まってない 

たぶん意味とかは特にねえな人生、せめて楽しく生きられればいいけど、キツイな、と高校生ときに思って以来、ずっとそのままキツいな〜と思いながら生きてる

「あー…分かんないよねえ人生意味しんどいマジで……」

こういうリアクションをするのが俺としては誠実っぽい

でも、俺が若かった頃は、周りの大人もっと自信ありげに若いねえ!」って言ってきてた気がするんだよな

あの自信なんだったんだよ

俺なにも分かんねえぞ人生のこと

そもそも大人になった感じすらしねえ

実は誰も分かってないし知らない説あるんだよな

いるのか?この世に 大人

2021-02-24

60歳くらいでしにたい

数年前、日曜日おやつ時にマ○クで1人ぼんやりと外を眺めながらフルーリーを食べていると、隣に座った優しそうなおばあさんに、「それはどっちで買えるの?」と尋ねられた。

そこはカフェが併設されてる店舗で、普通ハンバーガーなどを買うレジとは別のカウンターがあって、ケーキカフェラテなんかはそっちで買えるようになっていた。

「これはハンバーガーとか買う方のレジで買えますよ」とお伝えすれば、「そうなの。今度買ってみたいわ」とふんわり微笑まれた。

「数年前に独りになってから、週に一度ここでご飯を食べるのが楽しみなの」とおばあさんが微笑まれたので、「そうなんですね」と相槌を打った。

それで会話は終わってしまい、私はフルーリーを食べきって店を出た。丸まった背中ハンバーガーを食べるおばあさんの姿が忘れられない。

あれは60年後の私の姿だ。

そしておそらく私はあのおばあさんよりももっと寂しいだろう。

「数年前に独りになった」という言葉から推測するに、あのおばあさんには旦那さんがいたのだろう。

私は多分結婚しない相手がいないし、できるとも思っていない。それは別にいい。結婚したいとも思ってないので。

ただ、あのおばあさんのように1人で生きて、週に一度のファストフードを食べる事を楽しみに生きていたいと思えない。

実家田舎で、今は両親が2人で暮らしている。

歳の差や平均寿命、病歴を考えると、父が先に他界するだろう。(考えたくもないけど)

広い家で1人過ごす母の姿を想像するだけで泣きそうになる。

から多分、私は母が独りになったら実家に帰るだろう。

母方の祖母の様子とか、基本的に馬が合わない(嫌いではない。喧嘩やすいだけである。)彼女と私の性格を考えると、一緒に暮らすのもしんどそうな気はするが、それでも母を独りにするのは嫌だ。

からまあ、独りでハンバーガーを食べる母の姿は想像しなくて済みそうだけれど、そうなると私はますます結婚なんて出来ないだろうなと思う。

田舎結婚するのが早いので、独り身の30代40代なんて滅多にいないだろうし、いたらいたで何らかの問題がある人だ。(盛大なブーメランであることは自覚している)

からまあ、生涯独身のまま、生を終えるのだろうなと思っている。

そうなると、私はあのおばあさんのように独りで生きていけるだろうか。

田舎なのでファストフードのお店に行こうと思うと車で15分ほど走らねばならない。無理だ。

年金がもらえる保証も無いし、今の仕事貯金が出来るような余裕もない(これは私が趣味お金をかけすぎているのもある。反省している)

仕事辞めて生きていけるだろうか。ていうかそこまでして生きていたくない。

私が今生きているのは産んでくれた両親より先に死ぬのは申し訳ないし…というのが結構大きい。

その次に趣味とか友人とか、生きてて楽しい事があるから生きている。

上にも書いてある通り、結婚願望がない。恋愛への興味もない。家族がいれば、その人たちの為に生きたいと思うのかもしれないけど、今の私にはその人が両親で、多分両親以外のそんな人はこれからも現れない。

なので両親を看取ったら、頑張ってまで生きなくても良いんじゃないかと思っている。

でも別に自殺したい訳じゃない。痛いのも苦しいのも嫌だし。自殺したら姉家族迷惑掛けそうだし。

多分私が60になる頃には、親はもう他界しているだろう。そうしたら1・2年仕事頑張ってお金貯めて、ちょっとだけやりたい事やって、色々準備をして、安楽死できる国に行きたい。

安楽死ってそんな簡単にさせて貰えるわけじゃないらしいけど。

日本安楽死できるようになったらいいのに。税金無駄遣いしなくて良いし、メリットでは?

追加

コメントありがとうございます

思ったより反応があってびっくりしました。

同じような感覚の方もいてちょっとホッとしました。気になったやつにだけちょっと返信します。

普通はそんな素敵なおばあさんに出会えたら最高では? 

→たしかにおばあさんは可愛かった。日々の中で楽しみを見つけ出してるのすごく素敵。ただ私があのおばさんの立場になったらそう考えられず毎日寂しいんだろうな、と思って辛くなった。

安楽死させて節税したい人怖い

他人安楽死させるつもりは毛頭ないよ。両親には長生きしてほしいよ。自分自分の事をやれる間に全部身の回り片付けてしにたい。「私が」しぬとき選択肢安楽死がほしい。

欲しがってるのは単なる自殺

→まあ死にたいと言っているのでそうなるんだろうな。自殺したいわけじゃないと書いたけど、今すぐ死にたいという意味での「自殺したい」ではなく、「生きるために生きていたくない」と言えばいいのか。説明が難しいな。元気でわがまま若い人に押し付けがましいこと言って生きていける年寄りになりたくないからそんな人になる前にしにたいんだよ。

あと今ですら歩いて15分のところにあるファストフード店に行こうと思わないのに、わざわざ無料バスに乗ってまでファストフード食べるのを週一の楽しみに出来るような70.80になってると思えないの。

家族に話してみたら

→2人流産したのにそれでも頑張って妊活してやっとの思いで生んで、好きなことができるようにとお金を貯めてお金をかけて育てた子どもに「あなたたちを看取ったら結婚もせず死にます」って言われたら絶望しません…?恥ずかしいというより申し訳なくてそんな話は出来ないかなあ。親を看取ったあと殺してくれる人がいないか安楽死を選びたい。

未来に出てくる面白いコンテンツを楽しめばいいのでは

未来コンテンツ(隣の席でフルーリー食べてる人)を見るまでそんな食べ物があると知らなかったコミュ障の私が、隣の席の若い人に「それはどこで買えますか」って聞けるだけのコミュ力と、フルーリーを楽しめるだけの金銭的、身体的余裕を持てると思えないから、楽しめる余裕があるうちにしにたい。

コメント見てて気付いたのは、

父方、母方両方の祖父母が(少なくとも1年以上)看護(or介護)されながら亡くなったを見ているので、「死ぬ間際まで健康体でいる自分」が想像出来ないというのも早いうちに死にたい願望の原因の一つかなと思いました。

ベッドの上で何にも興味を持つことなく、ただ最期まで生きるために生きてるのを見て「私はそこまでして生きたいと思えないな」と思っていたので。多分祖父母には子供がいて、孫がいたから「生きる理由」があったんだろうけど、誰かと結婚するどころか恋愛する気も今のところない私にとって、自分の事を他人にやってもらってまで生きたいと思える理由は無いので、人生を楽しんでる内にしにたいなという話です。

長くなってしまった。最後まで読んでくれている人がいたらありがとうございます

2021-02-23

anond:20210223213830

研修医精神科閉鎖病棟勉強のために入ったら、ぼんやりする薬を出されて一生出られなくなりそうになった話あったな

『えんとつ町のプぺル(1984年公開版)』

久々の休日、ふと思い立ってTSUTAYA映画を借りることにした

作品は、リマスター前の『えんとつ町のプペル』。最近リメイク版が公開されたらしいが、そちらはまだ見ていない。

ただ、ネット上の口コミを見る限り、今後も見ることはないだろう。

私にとってのプペルは、1984年地元映画館で見た、あのプペルで完成されているからだ。


えんとつ町のプペル』はその表題の通り、1960年代公害大気汚染テーマに描いた風刺作品だ。

主人公風太(ふうた・通称プー」)は三重県に住む高校生

中学までは野球部エースとして活躍していたが、練習試合中に激しい喘息症状を発症

四日市ぜんそく罹患者となり、甲子園への夢を絶たれることとなる。

無気力となり、私生活や授業でもぼんやりしがちな風太心配し、同級生も励ましてくれるが、効果はなし。

立ち並ぶ煙突からたなびく煙、紫雲の空。その下で生活しているため、激しい痛みや発作は時折風太を襲う。

そういった現状が、風太気持ちさら空虚にしていくのであった。


そんな彼に声をかけたのが、同級の久志山(くしやま)であった。

特に接点のない彼に乗せられるまま、流れで電話級アマチュア無線技士の講習に参加する。

「遠くに住む人と交流し、話せる。こんな楽しい趣味はない」と力説する久志山にお古の機材を押し付けられ、

家族や近隣の男性の(半ばおせっかいな)協力に巻き込まれる形で、

いまいち興味の湧かないアマチュア無線を渋々行う羽目になる。

一度目にCQ発信をするも、返信はなし。二度目は混線か、ノイズが返ってくる。

まあどうせそんなもんだ、と畳に身体を投げ出し、諦めかける風太

そこにか細い声が聞こえる。「……CQ,CQ、聞こえますか」

周波数の向こう側から声をかけたのは、富士市に住む照子(てるこ・通称『ペル』)だった。


偶然に近い出会いをもとに、彼らの交流は始まっていく。

四日市富士。二つの街に住む、元・野球少年と元・水泳少女

通信がつながるのは週に1度あれば良い方だったが、これをきっかけに風太無線にのめりこむことになる。

ひょんなことから、互いに公害による喘息持ちということが分かる風太と照子。

そして、挫折の末にアマチュア無線にたどり着いたことも。

境遇の近い立場ということもあり、交信中は話が弾む二人。

次第に性格野球を辞める前に戻り、久志山をはじめ学校の級友たちとも明るく話す風太

そう立ち直る彼のもとに一通の手紙が届く。

宛名は照子に教えた住所。しかし差出人は、照子の母・きみのものだった。

発作がひどく呼吸困難となり、照子が市の中央病院にしばらく入院すると知った風太

焦燥感を胸に一人、風太はヘドロと大気汚染の街・富士へと向かう――


そんなストーリーが、1984年のプペルだった。公害をもとにしたボーイ・ミーツ・ガール

『えんとつの煙の下で、僕らはつながっている』という捻りのないキャッチコピーが示す通り、

今となっては、いや当時からもありきたりな青春作品の一つ。

しかし、その背景舞台には工業至上主義への強い批判風刺が隠されている、という意味では真新しかったのかもしれない。

平凡な作品ながら、私の胸に残り続けていた作品、それがプペルなのだ

……散々探した末、邦画コーナーの隅にプペルはあった。いつの間にかDVD版になっていた。

ビデオのまま廃盤となっていた可能性もあるので、正直運が良かったと思う。


私も、この作品も、世間も。色々変わってしまったものはある。

しかし、あの頃にはいつでも帰れる。

不織布の借用袋を手に、私は心なしか明るい気持ちで、TSUTAYAを去ったのであった。

2021-02-22

必読書コピペマジレスしてみる・日本文学

方針

森鴎外舞姫

留学先で女性妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしま自分がいて、実はこれ、レトリック文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分おすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい

余談だが、鴎外自身東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなた写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りうまいよな。

樋口一葉にごりえ

古風な文体挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文いるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。

舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソード結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。

泉鏡花高野聖

僧侶山間で美しい妖怪出会う話。文庫ちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズ日本の近現代文学作家ベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。

話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。

国木田独歩武蔵野

とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分リズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。

夏目漱石吾輩は猫である

我輩を吾輩に修正

ここ最近漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本近代文学開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。

で、肝心の内容だが。基本的おっさんおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。

余談だが漱石留学時代日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。

島崎藤村破戒

素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。

被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。

田山花袋蒲団

女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的ダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまたか

で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。

有島武郎或る女

読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。

志賀直哉小僧の神様

読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテいからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。

ちなみに、自分が初めて関係を持った女性貧乳だった。だがそれがいい

お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐視点の「児を盗む話」もよかった。

内田百閒『冥途・旅順入城式』

大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品日記もあって、そうした印象ばかり残っている。

関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。

宮澤賢治銀河鉄道の夜

めんどくさいファンがいることで有名な作家全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。

思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。

江戸川乱歩押絵と旅する男

知り合いにいつもぬいぐるみキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫全集でだった。

横光利一機械

狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫場合表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人夜逃げする「時間」と、ナポレオンヨーロッパ征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。

谷崎潤一郎春琴抄

実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章リズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中生活爆弾が実際に降ってくるまでは震災コロナでただよう自粛雰囲気そっくりだったこととよくわかる。

ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロイン名前が母と同じだったのですっかり萎えしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。

夢野久作ドグラ・マグラ

ミステリ編参照。anond:20210215101500

川端康成雪国

高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生川端康成エロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコン発症させたことくらいだろう。

太宰治斜陽

太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇パーソナリティの偏りや性的虐待疑惑に求める説は多いが、そういう心理普遍的ものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。

もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。

三島由紀夫仮面の告白

天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれ文章のせいかもしれない。

武田泰淳ひかりごけ

極限状況下でのカニバリズムテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニーク小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。

人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?

安部公房砂の女

祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカ父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカ男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。

大西巨人神聖喜劇

未読。不条理陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分戦争もの小説漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。

これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。

大江健三郎万延元年のフットボール

大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。

燃え上がる緑の木」は新興宗教原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリック宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。

萩原朔太郎『月に吠える』

大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現ひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである

福沢諭吉福翁自伝

祖父学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。

子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。

正岡子規歌よみに与ふる書

読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。

石川啄木時代閉塞の現状』

ローマ字日記しか読んだことがない。たぶん日本最初フィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。

小林秀雄『様々なる意匠

詩集翻訳しか読んだことがない……。

坂口安吾堕落論

堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇天武天皇家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。

哲学編に続く→anond:20210222080300

関係ないけど芥川が載ってないのは納得できないぞ。

2021-02-21

男性でも女性でも、そこそこ普通の見た目かつ年収それなりで日々に満足してる勢はどっちの言い分にも馴染めずぼんやりするしかないのだ

他人を見て「自分にもあれが与えられるはず」と思う人が多いんかなあ

格好いい人や美人な人ならきっと周りがほっとかないでちやほやしたり悩みとかも無くて人生謳歌してるんじゃないかな?って思った事…自分もそう思ってぼんやりと見ていた時が実際に有りました…けど、何年か前にテレビを見ていた時にジャニーズの方で数年間?ストーカー被害に対してずっと一人で誰にも言えずに悩んでたってニュースで語ってるのを観てから格好いいから良いことばかりでも無いってのと他の番組美人な人の悩みみたいな内容で周りから嫉妬から来る嫌がらせとか有ったりとか聞いてから自分の中に有る偏った考えが変わって皆さん口には出さないけど色々と抱えて大変って思ったりしました

20年間浴槽の前後を間違えていた

20暮らしてる家なんだが、浴槽の前後を間違ってたことに突然気づいた。

道理で追い焚きの時に背中が熱いはずだ。

反対側が傾斜してるのはもちろん知ってたが、傾斜してるなとしか思ってなかったんだ。

人間何でも気がつかないことがあるもんだなと感慨深くなってここに記す。

今日から正しい方向で入浴したが特に快適とか嬉しいとかもないし、間違ってて悲しいとかもない。

ただ20年分の薄ぼんやりした喪失けがある。

2021-02-16

一人暮らしして10年経つがすごい後悔してる

10年前の俺へ

一人暮らし初めてかれこれ10年目。

職場実家から電車で1本で行ける所を選んだが、「社会人になっても実家で暮らすのは恥ずかしい」という謎の価値観をどこかで植え付けられていて、働き出して1年経った辺りで職場から5駅隣ぐらいの所に安くもない家賃を払い一人暮らしを始めた。

元々両親が共働きなのもあり、家事炊事は問題なくこなせた。寧ろ自分一人のことだけを考えればいいので、料理も作り置きして同じ物食べ続けるのも苦にならないし、部屋も自分意思に反して散らかることもなく、快適に過ごせた。

が、正直、一人暮らしで得たものは全くない。恋人も居なければ友達も少なく、一人暮らしして良かったなぁと思える事といえば、職場から近くなったので、朝寝る時間が増えた事ぐらいだろうか。

それどころか、背負った物の方が大きい。一人暮らしに伴う毎月の支出馬鹿にならない。年老いても尚、安い給料会社勤めする父と、パートに通い続ける母を見ていると、実家暮らしして毎月家に10万入れた方がよっぽど貯金出来るし親孝行も出来たな。と思う。毎月10万入れた上で毎月親に温泉旅行プレゼントしても一人暮らしの時より貯金出来るな。と。重いものを持つ事を辛そうにしてる親を見ているととりわけそう感じる。俺は今まで親孝行出来てきたんだろうか?むしろ実家から出ない方が親にもっと還元できたな、と思う。

本当は結婚して家庭を持つのが親にとっての1番の親孝行なんだろうけど、結婚願望が全くない。独身が多くなっている今の時勢のお陰で、幸い独身のままでも居心地の悪さは感じていない。

今は部屋を引き払って実家に戻ることを考えている。

俺みたいに実家から出る強い理由もなく、ぼんやりと「一人暮らしするかなぁ」ぐらいのノリで一人暮らしする馬鹿はお前ぐらいしかいかいと思うけど、一人暮らししたい強い理由が無い人は無理にしなくてもいいと思う。

一人暮らししてもできる事は限られてるが、金がないと出来る事はもっと限られるぞ。

お前は貯金額を減らすのが嫌な気質から無駄遣いを一切しないけど、それ故に娯楽や交際費に金をかけるしなやかさは失われていた。一人暮らししても保有資産時価で4桁行ったけど、色んな経験とか体験を損失した気もするよ。

子供部屋おじさん」っていう言葉が一時期流行るけど、1人暮ししてても生活力無い人は壊滅的なまでに無いし、実家暮らししてても生活力がある人はあるので、もし実家暮らしを決めてからこの言葉に心揺るがされるなら自分生活能力を1度見直した方がいい。

個人的に払った金額に見合うようなリターンは得られなかったぞ。

あと、5年後に弟死ぬぞ。

10年後の俺より

いとこLINEが乗っ取られた

父は6人兄弟で、私のいとこは10人近くいる。

毎年お正月に集まって、いとこやその子どもたちも一緒にわいわいおせちを食べるような親しさだ。

最近コロナや年齢の事情もありあまり集まってないけど。何せ、一番下が私(アラサー)、一番上はアラフィフだ。会社部長と同年代

そんな我がいとこたちは、数年前に一番上のいとこ(アラフィフ)の旗振りのもと、増田家親戚のLINEグループを作ることになった。


最初はすごく穏やかだった。なんとなーくお互いの誕生日を祝ったり、ゆるい雑談をしたり。ペースは月一以下といったところだ。

雲行きが変わったのは2年ほど前。

正月か何かで親戚が集まったときに、ふといとこLINE話題に上がったところ、おば二人(父の姉たち)がLINEに参加したいと言い出したのだ。

特に反論も出ずおば二人が招待されたのだけど、そこからはすごかった。

おば二人の会話で全部埋まったのだ。

話題は、流星群やら育てている植物やら病気のことやら。

おばAがスタンプで「こんにちは」や「こんばんは」と送ると、おばBがすかさず何か一言を送ってくる。おばAはスタンプに続く文章を打っているのに、それを追い越す。早押しクイズなら殿堂入りレベル

今までは何かしらの話題提供があったいとこたちも沈黙を貫いている。

すっかり草も生えぬ焼け野原の有り様。


から別でいとこたちのLINEグループを作るのも変だし、かといって前の雰囲気にも戻れない。

元々私はぼんやり眺めていただけだし、今はおばAのスタンプからおばBの一言スピードが見事すぎて笑っている。


シンプルにおばたちはしゃべり足りないんだと思う。

父も同類なので3人でLINEグループ作ってくれないかな。

2021-02-15

anond:20210214094821

漫画一冊5分未満で読むから、絵はぼんやりと読んで台詞しか読んでない

「一コマコマ味わって読むんだー」って人が結構いることに新鮮でもないけど驚いたこともあった

今日彼氏と一緒にチョコレートを食べた。

一緒に…と言っても、通話しながら同じチョコレート同じタイミングで食べただけ。それでもすごく楽しかったし美味しかったし幸せだった。

遠距離恋愛中の彼氏とは緊急事態宣言が出されている間はとりあえず会えそうにないので、会うのは諦めて私が好きなチョコレートブランドチョコレート彼氏の家に2/14に届くようにした。その後に自分好きな人と同じ美味しいものが食べたいなーと思って自分の家にも同じものが届くようにした。

私は昨日無事受け取り、彼氏の家にも今日夕方に無事に着いたようで、通話しながら二人それぞれ付属していたパンフレットを見てどんな味だろうね〜どの順番が良いだろうね〜と言いながら一粒一粒二人で同じタイミングで食べた。

「お花の味がするw」とか、「キャラメルが苦いw」とか、「美味しいねー」とか言いながら二人で30分くらいかけて10粒程度を食べた。すごく美味しかった。

付き合って初めて迎えるバレンタインデーだったから本当は会って渡したかったし、目の前で美味しそうに食べてくれる彼氏が見たかったけども、これはこれですごく楽しいなーと思った。彼氏と同じものが食べたいと思って自分にも注文した過去自分を褒めたい。出費は2倍になってしまったけども、美味しいものが食べれたし、彼氏も喜んでくれていたし、何よりコロナ禍で会えない中なのにすごく幸せ気持ちになれたから良かった。

来年バレンタインは一緒に過ごせると良いなー。こんなことに付き合ってくれて喜んでくれて感謝してくれる彼氏のことが改めて大好きだなーと思った。

私はこの大好きな彼氏と一緒に過ごしていると、彼氏とセットで自分のこともちょっとだけ好きになれる気がしている。二人でにこにこ笑いながらチョコレート食べてるだけなんだけど、自分たち二人のことがなんとなくぼんやり愛しく思える。この気持ち幻想かもしれないけれど、そういう気持ちにさせてくれる彼氏のことがさらに好きになってしまう。

あー彼氏だいすき。明日もすき。ずっとだいすき。

2021-02-13

不妊だと思っていた

人生で初めて妊娠した。

不妊だと思っていた人が自然妊娠した、というとなんだか幸せそうな話のようだが、全くそういう話ではない。幸せな話を求めて来た人には申し訳ない。

冷静に考えて自分の面倒すらまともに見ることのできない私が子供を育てることなどできるはずがないので、人工妊娠中絶という選択肢しかなかった。

自分自身がまだまだ子なのだ

でも、そのときは冷静になれなかった。なんと言ったって自分の腹の中にまだ不完全ながらも人間がいるのだ。冷静になれるわけがない。

日に日に悪化する体調と混乱する頭。悩む時間はなかった。

というか、なにより現実味がなかった。今でもあまりない。

不妊定義は、1年間通常の性交を行っても自然妊娠しないことらしいので、これまで1年以上自然妊娠しなかった自分定義不妊になる。

自分には不妊である自覚もつ十分な理由があったので、それをさして不思議に思わなかったし、避妊をすることはなかった。

子供を授かりたいと考える人、授かりたくないと考える人、両方がいると思う。どちらの考えも理解できる。

自分は両親のことを尊敬しているし、生んでもらえてよかったと思っている。でも自分が我が子を幸せにできる自信はない。

自分の血の繋がった子供というものに対するぼんやりとした憧れと、それに付随するあまりに重すぎる責任を天秤にかけ、自分にはそれを選択することができないと思っていた。

から自分の体が妊娠できない体だと感じたときも、悩むことがひとつ減ったくらいにしか感じなかった。前々から薄々感じていたので悲壮感もなかった。

そんな自分妊娠したことはやはり何度考えても実感が湧かない。

今でも夢だったのではないかと思うくらいだが、体の痛みが夢ではないと訴えてくる。

結局今回のことがまぐれで自分の体は不妊なのか、あるいは妊娠できる体になったのかすらわからない。

もし今回のことが奇跡だったとしたら、いつか中絶したことを後悔する日が来るのかもしれない。

結論から言うと、悩むまもなく中絶手術を行ったので、もう私の体の中に生命はない。体の痛みも日に日に薄れていく。

今はそれが、辛い。

手術までの時間は短く、ただただつわりと闘い続ける日々だったし、手術も一瞬で終わったから、むしろ術後の今になって大きすぎる感情が押し寄せてくる。

人工妊娠中絶による身体的・精神負担なんていう話を、よく聞く話、大変そう、くらいの気持ち他人事に眺めていた過去自分への憎しみの気持ちでいっぱいだ。

本当にこれでよかったのか、誰かに相談するべきではなかったのか、どうしてこんなことになったんだ、考えが甘すぎたのではないか、これから自分はどんな顔をして生きていけばいいんだ……

誰かを責めたいが、悪いのは他の誰でもなく自分自身なのだ

まだ、このことは誰にも伝えられていない。

それが苦しすぎてなのか恥ずかしくてなのか情けなくてなのか、自分でもわからない。

薄れていく体の痛みに相反して、心の痛みは日に日に増していくようだ。

今は、あの耐え難かった痛みすら恋しい。

いつか、誰かにこのことを伝える日が来るのだろうか。

あるいは、新しい命を授かる日が来るのだろうか。

今はどちらも想像できない。

ただひたすらに苦しみ続ける未来しか見えない。

今はただ、溢れて止まない感情を、ここに置いておかせてほしい。

多分、躁になった

今まで増田にしんどいとか書いてきたけど、10年目くらいにして躁側に来たのでメモっておく。

もうしんどいのは10年くらい続いてて、ストレスを感じると、ずんと胸が重くなって、苦しくなって「うーあー」ってなってた。

昨日、何か違和感があって、浴槽で気付いた。これ、躁ってやつだ。

胸がぽっかり空いたように軽い。苦しくない。頭はぼんやりしてるけど。

何日も前からあれ?って事はあった。頭が回ってないはずなのに、アイデアポンポン出てくるし、色んな事に敏感で色んなことが色鮮やかに見えてくるし、ネット書き込みも増えた。今ならなんでも出来る気がする。

でも、どっかでトチる気がする。絶対問題を起こす気がする。

あと、自分が乗っ取られる気がする。自分の延長なんだけど、勢いとか考え方に慎重さがなくなる。発達障害から慎重さなんて元々ないんだけど、その場の勢いでやる。大抵悪いことも。

からメモ増田に残しておく。消えてなくなれ。

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自分語りをすれば2回休職したことがあって、感情ぶっ壊れて、1回目は泣きが入って止めた。2回目はブチ切れして、次に泣きが入った。

多分、ちょっとずつ耐性ついてるのかな笑

で、今回。相変わらず、ストレスさらされてて、良いことが0.5だったら、ちょっとでも嫌なことが100は感じるようになった。

仕事は頭が回らなかったりしてミスばかりで、同じミスを何回もした。多分、発達障害と鬱のミックスかな。いくつもある「出来て当然」「やって当然」ができない。

まぁ、そんなんどうでもいいや。

元々自分ストレスがあると自分を苦しめるタイプで、人が心配すればするほどムキになって仕事していた。

ヤケクソというしっくりくる言葉が思い浮かんだのは昨日、降ってくる仕事をわーってなりながらやってて(そして、どこかでポカをしているだろう)、Excelが固まる度にPCマウスを投げつけていた。

今まではストレスを溜め込んでいたが、最近はすぐモノに当たるようになっていた。投げたり、蹴ったり。タガが外れると人にも危害が加わるんだろうな。

====

さて、以上。

これを増田に書いたのは助けて欲しいから。誰かに止めて欲しいから。

素直に自分気持ちを書いているのは躁っぽくなって、先が怖くなったから。今はまだいいけど、多分今の自分が大嫌いな自分になる気がする。

俺はアラフォーなんだけど、多分メンタルはガキなんだと思う。5歳とか。ムキになってるんだけど、本当は止めて欲しいし、気づいて欲しい、助けて欲しい。

上司に、家族に、自分を苦しめる同僚に。

でも、みんな今が精一杯だし、人間から自分が望む形にはならない。

それがもどかしくて辛かった。

心療内科も当たり障りのない事を言うし(自分から言わないと、そう受け取ってくれない)、カウンセラーマインドを変えさせようとするけど、それはずっと先の話。小手先の話はない。

====

ああ、ここまで書いて思い出した。これを書こうと思ったのは精神科おかしくなった奴はこういう経路を辿ったんだろうなってこと。

良いことがあっても0.5しかないんだけど、些細な嫌なこと(メールが返ってこない、Amazon配送が遅れる、一番相談したいときに誰もいない)が100になっている。

完全に世界を恨んでいる。

それを伝えようと思って増田に書いたんだった。

2021-02-11

ネット有名人がいなくなるとき

記事更新されなくなった

SNSが止まった

亡くなったのか

転生したのか

でもどこかで元気かもしれない

そう思いたがる

b:id:raf00のように訃報が伝わったら事実になってしま

事実はつらい

本当のことなんてどうでもいい

更新されないうちにすこしずつ忘れていけばいい

ぼんやりとした楽しい記憶だけを残して

2021-02-10

穴のあいた私の考え、筋の通った他人コメント

はてな匿名ダイアリーで2つの文章投稿した。1000字ちょっとの短文だが、何度も見返して自分の考えと違う受け取り方をされないように気をつけた。()で要らないことまで補足し、予防線を張りまくって、言葉オブラートに包んだ。

ここは誰かが傷つくだろうか、根拠を示さなければコメントで叩かれるだろうかと自主規制と脚色を加えているうちに、本来自分が言いたかたこから微妙にズレた駄文がふたつも出来てしまった。それをネットに放って、玉石混交コメント10数件もらった。

驚いたのは、彼らの反応の速さである。少しスマホから目を離していたうちに、批判肯定アドバイスが私の記事の下にぶら下がっていた。

的はずれな指摘もいくつかは見られたが、殆どのもの道理にかなっていて、真っ当な言葉に見えた。自分が思いつかなかった比喩で的確に状況を表しているものもある。

私が小一時間かけて推敲した文章の上に、より明確な言葉が重ねられるのは、あまりいい気分ではない。自分国語力の低さを痛感する。

「書く」のが下手くそだ。話としてのまとまりを重視しすぎて、体裁を整えているうちに自分意思がどこかへ消えてしまう。論理的思考ができていないのだと思う。ぼんやりと思い浮かべていたスタートとゴールが、文章に起こしてみると全く繋がっていなかったという経験が何度もある。

「読む」のも下手くそだ。説明文を要約する授業が嫌いだった。話のシルエットが捉えられても、そのなかの色や模様までは把握出来ないのだ。

私の記事に光の速さでコメントをした数人のユーザーは、きっとこんな悩みを抱えたことなど無いのだろう。

みんな自分意見確信を持っているような口調だった。ネットから匿名から強気になっている?

それだけでは無いと思う。自分思考力、書く力、読む力が、それ相応のレベルに達していると自負しているからこそ、他人意見反論、もしくは言葉を加えて賛成できるのだ。

私はまだ、他の人の投稿意見をつけていない。それは、コメントで「貴方的外れだよ」と指摘された場合に、強い意志を持って反論することが出来ないかである

私に出来るのは、せいぜい腰を低くして後ずさることくらいだ。

貴方コメント的外れだよ」「そうですか、それはすみませんでした。去ります

恥ずかしさで顔を真っ赤にし、夜にひとりで冷静になって、「どうして意見なんか述べたんだ」「でもやっぱり、私は合ってると思うんだけど」「反論すれば良かった…」と枕を濡らすことしか出来ない。おわり

(補足だけど、この話もまた言いたいことがブレてる。一体いつになったら自分意志を、そのまま文章にできるんだろう。)

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