はてなキーワード: 研究室とは
2度目の休学に際して、ようやく気づいたことがあった。私は自己愛性人格障害を持っているのかもしれない。
昔から、実際の能力に反してプライドが高く、周囲に対して極端に高圧的あるいは卑屈な振舞いのいずれかしかとれず、そのくせ自分の能力の低さが露呈することを恐れて周りに助けを求めることができなかった。
結果、自分で自分の始末を付けることができなくなり、鬱を発症し、一度ならず二度までも休学して、実家の両親をはじめ、姉、研究室の担当教員、大学の同期、先輩、後輩といった多くの人々に迷惑を掛ける羽目になってしまった。
以前から「もしかすると自分は物凄く自己愛の強い人間なのではないか?」という疑いは心の中にあった。だが、それを認めるのが恐ろしかった。
情けない話だが、ここまで追い詰められるまで、本当に自分と、周囲と向き合うことができなかった。
現在24才になった。半期にわたる休学を2度行っているため、卒業は最低でも2年伸びることとなってしまった。
これからまだやり直せるだろうか。
やり直すにしても、周りに対してどのように今までの振舞いのけじめをつけるべきだろうか。
技術職の女です。
高校から理系を選択し、大学からいままでずっと理系分野の研究や開発をしている。それも、理系分野の中でも相対的にみて女性比率のかなり少ない領域で。
私の学生時代は「スイーツ系」という言葉が流行していて、女性を軽視するような感じで男性がよく使っていた。
この「スイーツ系」という言葉を、私は「頭悪そうな奴ら」と解釈していた。
中学まで甘いものが特別好きでも嫌いでもなかったのに、技術に対する関心を増やしていくとともに私は甘いものが嫌いになっていった。甘いものが好きだという印象を持たれることで、自分が「スイーツ系」にカテゴライズされるのが怖かったのだ。この「スイーツ系」という言葉とは別に、女性は甘いものが好きだという社会的な認識があるのだと思う。研究室や会社で甘いものが好きだという前提での話をよくされたが、その度に私は甘いものは好きじゃないし関心もないということをアピールしていた。
それなのに、社会人になってから、甘いものが好きな自分をアピールする男性技術者にたくさん出会った。
技術者として尊敬する人たちの中にも甘党をアピールする人が沢山いた。
自分はカッコいい技術者になりたくて甘いものが嫌いになったのに、自分にとってカッコいい技術者が甘党をアピールしていると無性に辛い気持ちになった。もちろん、甘いものが好きなのと技術的優秀さに因果関係はないと思うのに、それでも何故かすごく複雑な気持ちになった。
今でもデパ地下のショーケースの中で輝く洋菓子を見ると何とも言えない憎しみのような感情を抱く。
肌で感じる女性軽視や、男性社会である業界の中で認められたいという強い思いから、甘いものコンプレックスをずっと拗らせているのだ。
最近まで透析患者だった。母からの腎臓移植を受けて透析を離脱した。国には今も感謝している。当たり前だが母にも。
長谷川豊の8~9割が自業自得という言葉は透析患者への差別感情を煽動する最悪な言葉だと思う。
私は透析になる前からずっと食事制限して生きてきた。塩分は6g以内。蛋白質は60g、保存期末期は40g。
健康な人が尿で出している水分と毒素を、透析で抜いてもらっている。
尿が出ないから水分がたまる。(透析導入初期の人など出る人もいる)
水分は飲み物の他にご飯や、汁物、野菜、果物、様々なものに含まれている。
水分を取りすぎると透析で抜ききれなかったり心臓に負担がかかったりする
なので1日で増えて良い体重は自分の基準体重の3%ほどといわれている。
だから喉が乾いたときもうがいでごまかしたり、氷をなめてしのいだりもする。
特に食生活から糖尿病になって透析管理できない人間はすぐ死ぬ。
簡単ではない。
原因不明だけでも1割いる。膠原病や遺伝的疾患、妊娠高血圧、他やむを得ない理由で1割
糖尿病で4割、腎硬化症で1割。
慢性糸球体腎炎が3割。
http://docs.jsdt.or.jp/overview/index.html
糖尿病患者全員と腎硬化症全員と慢性糸球体腎炎の半数以上を合わせて8割って雑すぎる計算の根拠はなんだよ。
食生活が原因の自堕落な、人のいうことも聞かなかった患者もいただろう。でも8~9割では絶対にない。
医師に、慢性糸球体腎炎の患者も努力すれば透析を遅らせたり回避できたりする、と聞いてきたらしいが、それはもちろんそうだ。
そうだとしてもここで言われている「努力」というのは暴飲暴食をやめて普通の食生活に戻るということではない。
そして制限していてもなるものはいる。私の場合は風邪をきっかけに重症化してしまった。
よく知りもしないくせにふざけんなよ。
だいたい日本人はインシュリン分泌が少ないから糖尿病になりやすい。
高血圧の中にも二次性高血圧も内分泌異常の高血圧もいるし塩分を控えても血圧が下がらない高血圧もある。
風邪をひきやすい人間とひきづらい人間がいるように、アルコールに弱い人間と強い人間とがいるように、同じ生活をしていても病気になる人間とならない人間がいる。家庭環境、経済状態、年齢の差もある。線をひくのは難しい。
長谷川豊を応援しているという医師15人、連れてきてやろうかと書いてあったが是非とも連れてきてもらいたい。絶対に連れてきてもらいたい。
そして説明してほしい。
「ブログの真意を語る」というインタビューでは透析患者の1割は黒だから死んでもいいと言ったらしいが
最初はほぼ全ての透析患者を自費にしろという論調だったのに批判されて変えたのか。
(長谷川豊は1割減れば11.7兆減ると言っていたが意味がわからない。)
(追記10/3)
(
完全な黒は切り捨てられるはず。『完全な黒』だけで1割、11.7兆円出てくる。
http://www.j-cast.com/2016/09/25278891.html?p=all
という発言を、はじめ透析患者の1割だと読んだのですが、社会保障給付費が117兆円なので、もしかしたら社会保障給付費の1割という主張だったのかもしれません。でもそうするとインタビューの流れを無視して突然詳細もなく社会保障給付費の話をするのは不自然なので、彼が医療費と社会保障給付費を勘違いしていたか、もしくは数を大きく見せようとしたのか、真意はわかりません。社会保障給付費の11.7兆円の話だった場合、透析患者以外にも大量に切り捨てられる人が出ることになりますが。誤読していたらすみません。)
その中の1割を殺すとして0.4%、1600億円だ。
殺さないで0.4%減らせないのか。
糖尿病教育、腎臓病教育、栄養指導を病気の初期にもっと徹底してほしい。
食生活の重要性、合併症の危険、人工透析は他人事じゃないことを初期のうちに徹底指導する。
医師だけでなく栄養士や看護師、患者の家族と連携して教育してほしい。現実にはそこまでできていないのが現状だと思う。
そして腎疾患は末期になるまで自覚症状がでない。
気づいたら透析間近だったという話も少なくない。
初期に病気がわかれば治療や自己管理で現状維持できることも多い。
健診で尿検査や血糖値に異常が出たら専門の病院を絶対に受診するように世間に知ってもらわなければいけない。
また、移植の話になるが日本の腎移植はアメリカの10分の1以下だ。
(人口あたりでは5分の1)
日本の透析患者は献腎移植(亡くなった人からもらう移植)で平均15年以上待つ。待ったまま亡くなる人も多い。
もっと発達してもらえないだろうか。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%85%8E%E7%A7%BB%E6%A4%8D
イギリスでは国をあげて食品業界に減塩を迫り、3年で医療費が年間2600億円減ったらしい。
殺すより新たな患者を減らすことを考えてもらえたらと思う。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3546/index.html
追記2:
「してもらいたい」ばかりだなと思ったので、格安スマホにして
今日は研究が一区切りついたから研究室メンバーで居酒屋に行こうってことになった。
学校の近くで最も口コミの内容が良い店を選んで決めた。評価は3後半。個人経営。
ワクワクしながら入店したら店内が常連さんで盛り上がっててまぁ個人経営だしと勝手に解釈。
とりあえずお酒を頼み何を頼むか考えていたら常連さんからの痛い視線。あぁ仲間が来たけど座る席がないってか。その人は立ち飲みエリアへ。
でも私達も来たばかりだしご飯を頼む。店員が2人いるはずなのに1人はこちらの声に全く無視。客との会話に熱心。
そこでメンバーの1人が教員と揉めてて来たメッセージの返信に悩んでいるとのこと。皆で一番良い返信を考えるよね?
考えながら来たご飯を食べる。ご飯はめっちゃ美味しい。
食べ終わり、次何を頼むかメニューを見ながら考えていたところ、先程注文を無視した店員が一言。
「さっきから携帯見てて食べないんだったら出てくれる?」そういって返事も聞かず合計金額を計算し始める。スピードが速い。
え、と、まず携帯を持っているのは3人中1人だし、何なら向かいの席の常連さんも携帯みながら話してるし。そして常連さんの殆どが食べ物食べてないし。え、本当に口コミは真実なの?雰囲気はいいの?
まぁこれは調査不足だった私達がいけないかと思いお金を出して退散した。先程まで立ち飲みエリアにいた客が席に座る。
個人経営の店は20代前半が行く店ではなかったと学ぶ事ができたと思うようにしているけど何か腑に落ちない。
もうその後はチェーン店で全員半泣きで飲んだよ。えっと、これは私達が悪いの?なんか常連さんたちごめんなさい。まぁもう食べログは信じないわ。
(追記)食べログに書けとの的確なコメントありがとうございます。先程口コミを申請しました。
私達は半年以内の口コミのみを参考にした為このような事になってしまったと反省しています。タイトルは「もう個人経営居酒屋は信じない」が適正ですかね?
因みに店の口コミは50件ほどあり、低評価(☆2以下)の口コミは1件で常連さんと店員の談笑がうるさくアウェーを感じたと書いてありました。
これから食べログで店を決める時は低評価を参考に吟味した方が良さそうですね。本当に良い勉強になりました。ありがとうございます。
(再追記)私は食べログの評価を過信しないでほしい事を伝えたかっただけので店名公開をするつもりはありません。後、公開と自動的に学校もバレちゃうので。
研究室に行くのがどんどん嫌になり研究室に行く時間も減っている
研究室鬱についても調べることが増えた。
コアタイムは無いし、毎週の進捗報告も特に進展が無ければ「特に進捗ありません。~している途中です。」で済まされる。
就活が終わってから研究を本格的に始めたが、正直最初から何をすればいいのか全然わからなかった。
わからないことがあれば教授や先輩に聞かなければいけないのだろうけど、自分の研究テーマは先輩たちとは多少分野が違ったので
自分が所属している研究室の教授は質問をしにいくと、まず「君はどう考えているの?」というように聞いてくる。
それに答えるとさらにそこから細かい部分について同様の質問が出てきて突き詰められる。
学生に考えさせたいという意図はわかるのだけどそれがプレッシャーとなり教授に質問をしに行くのが怖くなった。
質問をする前に考えをまとめるが当然わからないことがあり、でもそれを質問するのは怖く考えがまとまらない…という
悪循環になっていった。
研究室に仲のいい人がいないということもつらい要因の一つになる。
研究室の同期は俺に対してはビジネスライクな関係で、仲が悪いわけじゃないけどそんな気軽に話したりはしない。
俺以外の同期は元々仲が良かったため普段から話してるけどその輪に入れない。
研究室にいるときは基本話し相手がいなく、もくもくと研究を行っているのだが案外それが辛かった。
考えがまとまらないし話す人もいないのでストレスが溜まっていく。
実験をするときには自分以外に先輩を一人ついてきてもらわないといけない。
実験は3時間ほどかかるので先輩の時間を取ってしまうのが申しわけないと思い実験をするのを躊躇してしまう。
研究っていうのはそういうもんだし仕方ないとは思うけどこの感情は消えない。
この前の実験は失敗してしまいまた同じ内容の実験で先輩についてきてもらわないといけないのが憂鬱だ。
研究が進まず迷惑もかけて、自分はいないほうがマシじゃないかと思う感じる
比較的結果の出しやすいテーマと教授に言われて今のテーマにした。
ハード系の研究だが、シミュレーション系の研究の方が向いていたように思う。
研究がうまくいかずに自分の精神が変わったと思うことが3点ほどある
慣れないことや新しいことをし始めるとき、うまくいくか不安で先延ばしにすることが多くなった。
この日記もどっかしら間違えてそう。
対処としては小さな成功を積み重ねていくようにするといいらしいが、研究で小さな成功すら思いつかない。
家にいてゲームをしているときに、こんなことをしていていいのか、もっと実のあることをすべきじゃないのか。
無駄なことをしてはいけない、というような気持が出てくるようになった。
ネガティブなワードや人を馬鹿にしたり茶化すようなことが頭に浮かんだら
静止できずに言ってしまうことが増えた。
研究が始まってから研究関連でうまくいってることなんか一つも無い。
研究室選び、研究テーマ選び、研究室内のコミュニケーション、研究の進め方のすべてを間違えてしまった。
別の研究室やテーマならうまくいったのかと考えるけど、結局同じ道を行く気もする。
いまはただ卒業研究が終わってほしい。
大学生、男です。
自分は友達とごはんに行っても、割り勘したことがない。男女関係なく。
2人だろうと、6人だろうと、いつも自分の食べた物の金額分だけ払う。
もちろん混雑時は、会計別々だとお店の人に迷惑になるから、基本的にテーブルでお金をそろえてから行く。
ぴったし持ってないときはちょっと多めに。会計する人が数十円得するくらいかな。
学部の友達と行くときも、研究室の人と行くときも、サークルの先輩や後輩と行くときも、誰が何か言うわけでもなくいつもこうやって会計する。
(もちろん、社会人や教授と行くときはご厚意に甘えて、出していただくこともある。)
ときどきホッテントリで『男がおごるべき』みたいな記事に、「割り勘だろ」みたいなコメントが多くつくがいまいちピンと来ない。(社会人でなく大学生の記事でも割り勘が多い気がする。早稲田とか慶応とか東京できらびやかな生活してる人が割り勘してるイメージ)
ただ、お酒の匂いがだめで、サークルや研究室の飲み会(だいたい3000円とか定額)以外で居酒屋に行ったことがない。(割り勘って居酒屋でするやつなのか…!)
なまじ勉強は得意だったから、頑張れば大丈夫だろうと甘く見ていた。
他のみんなはやりたいことがあって入ってきているのに、俺はやりたいことがみつからないまま入学してしまった。
ずっとテーマも決まらず、自分が何をやりたいのかも分からない。
指導教官や研究室の人はいい人達ばかりだし、アドバイスもしていただけるが、それに答えられない、立ち向かっているつもりでも、つい逃げてしまう。
自分は場違いなのではないかと思う。研究室に迷惑をかけているとも思う。
退学したいとも思うが、したからといってあてがあるわけでもない。
大学院に入学するみなさん、特に分野を変えて研究をしようとしているみなさん。
ほんとうにやりたいことが決まっていて、そのためなら娯楽も何もいらないって人以外は大学院に進むべきではない。
よくよく考えてみれば、勉強はできるが頭の回転も遅いし、仕事は出来ないタイプの人間だった。
自分で考えずに、選択はググってでたものや、他の人の意見に流されて生きてきた。
俺は何になりたいんだろう。
よく考えれば、地元に戻って海に行って遊んだり、なんとなく音楽を楽しむのも良いだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160917152918
ここで、オタサーの姫の話をした者です。
トラックバックのやり方がわからなかったので、うまくできていなかったらごめんなさい。
いただいたコメント、トラックバック先での感想なども拝見しましたが、自分にも反省点があるのだろうと
思いました。有意義なコメントを下さった方々、励ましてくださった皆様、叱咤くださった方もありがとうございます。
本来であれば、一度話してそれでやめようと思っていたのですが、コメントへの返信でお礼に代えさせていただこうと思います。
私も、これに関しては理不尽だと感じました。「オタサー」の意味をしっかり理解していなかったのですが、オタクの人が多いサークルという意味なので間違いないですよね。
前述の通り、専攻にはアニメやゲームの好きな男性は多いですし、女子も母数が少ないとはいえ、自己紹介でオタクだと言っていた子が多いと思います。
サークル活動に関しては、学業に専念するために今はほとんど参加していません。
ですが、大学全体から見ると女子部員がかなり多い方で、私だけが決して目立つような環境ではないと思います。
・男性が苦手と書いた点について
私情ですが、過去に怖い思いをしたのが後を引いて、未だにそこまで親しくない男性と話すのが苦手です。
(詳しくは割愛しますが、付きまといから発展した暴行未遂のようなものです。)
進学する際も、男性が多い学部で心配はありましたが、それよりも勉強したい気持ちが勝ったので今の学部を選びました。
男性による女性蔑視を無意識で受け入れていると指摘いただいて、思うところがありました。
男性から嫌なことや恥ずかしいことを言われることは当然起きてしまうことで、避けられないことだろうと思っていました。
相手を責めてもどうにもならないし、所詮異性のことは分からないので理解できなくても仕方ないのだろう、と。
女性から蔑視されたと感じて傷ついたのは、同性なのだから相手を理解してもらえて当然、味方になってくれて当然
という先入観があったからだと思います。その点に関しては私の考えが至らなかったのだと思います。
私は女性が男性の付属品だとは考えていません。本当に付属品だと思っていたら、主体的に研究もしていないと思いますし、海外に行く選択も選ばなかったと思います。
男性を過剰に立てているというつもりはありませんが、怒らせたら、或いは気に入られたら何をされるかわからないという恐怖心はあるかもしれません。
ですが、それらも少なくとも普段の生活では出していないつもりです。事情を知っている一部の友人、家族、恋人などを除いて、私に男性への苦手意識があると知っている人はほとんどいないと思います。
実験後・授業後は、用がなければ一人で帰るか研究室や図書館に残って資料をまとめています。
女友達がいれば、一緒にご飯を食べに行くこともありますが、親しいメンバー(ゼミ)以外との飲み会にはほとんど行きません。
ゼミには私以外にももう一人女子がいますが、彼女のこない飲み会には行きません。
休日は家で過ごしているか、親友たちと出かけるか、恋人といることが多いです。
・オタサーの姫ファッションじゃないのか/見た目について
多分、違うと思います。オタサーの姫への理解が足りないので、いまいち自信はないのですが…。
化粧はとても濃い訳ではありませんが、基本的にすっぴんでは大学にはいかないようにしています。
ファッション誌はRayとJJが好きです。一応赤文字系だと思います。
・ここに書いたことについて
すみません。どこか、匿名で愚痴を言えるところがないかと探していて最初に見つけたのがこのサイトだったので、ここに決めてしまいました。
月曜日になって、午前中まではぼんやりと「研究室行くか……」と思っているのだけれど、
行く準備が整い始めるとだんだん気持ちが沈み、気付くと家から出ずに一日が終わる
こんな月曜日を何度か繰り返している
行ったところで疲れるだけだから
同期とは折り合い悪くてそこにいるだけで動悸がする
そう思っている自分がいる
どうにかしたい
平日の昼過ぎ、カップルやイケイケの同年代などに囲まれて、君の名は。を観た。
友達がいないので、スマホを持っているがLINEもしないような人間が、上映前の数分間、覚悟してたが、それはそれは居心地が悪い時間だった。そもそも、あの新海誠の作品が一般に広く受け入られて大ヒットしていることを驚いたことが劇場に足を運んだ理由だった。
いままでそんなこと思ったことがなかった。
自分にとって中学校時代の漫画、アニメ、ゲームの"消費"は、いわゆるリア充である校内の主流派になじめない自分への言い訳だった。
「小2でラノベに触れてしまった。小3で深夜アニメにはまってしまった。小4でエロゲに手を出した。」だから「普通の人と私は違ってしまった」
本当はそんな因果はないのだが、そうしなければ自分を維持できなかったのだと思う。
いつもニコニコ気だるげな受け身の人間、関わってくる人を拒絶せず、自分からは他人に関わろうとしない。
そんな3年間だった。
高校に入学し、その言い訳はさらにひどくなった。"消費すら"を辞めたのである。理由は単純。そこそこ偏差値が高め、だがパッとしない私立高校へ入学したところ、周りにオタクであることを公言する人間が一気に増えたからである。
野球部イケイケしかしオタク。そんな奴がごろごろいた。もちろん世間から典型的オタクと呼ばれるような人間もたくさんいる。
最初はそんな彼らが羨ましかった。前者の人間だけでなく後者の人間すらも。みんな楽しそうにめいめい自分たちの感想を述べている。いままで自分が感じたものを共有することができず、何より他人と考えを共有しようともしなかった自分は彼ら彼女らが本当に羨ましかった。
しかし、交わることができない。そこでコンテンツの消費すら辞めた。
「私はテレビも見ない、本も読まない、一緒遊ぶこともないから出来事を共有することがない(高校から家が遠いことを理由に誘いはすべて断っていた)」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
そんな考えのもと、他人が楽しそうに生きているのを見ることを趣味をしていた時期があった。
そんな高校生活前半だった。
後半は更にひどいものであった。部活の先輩に言われた言葉がきっかけである。
「○○(私の名前)って今この瞬間、この部の誰かが死んでも何も思わなさそう」
面と向かって言われて、確かにその通りと思った。実際、中学時代の同級生の通夜か葬式かに出た時も同じ部活の同級生だったが何も思うことはなかった。(中学時代の人間とは誰とも連絡先すら知らないような仲だったが帰り道に斎場があり、声を掛けられて出ることになった。)
自分はそもそも何にも興味がないのだろうとそれから思い始めた。
「私は何も楽しめない」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
何もせずゆっくりと生きていた。
そのまま1年間の浪人生活に入った。人と関わりたくない自分は研究室は向いていない、センター試験後にそう思い絶対安全と言われた国立大学を落とした。浪人生活中にできる限り人と関わらずに卒業できる近場の大学と学部を探した。ゼミ無しで卒業できる文系学部に現役時とほぼ変わらない成績で入った。
親の金を浪費し、予備校までの電車を終点から終点まで行ったり来たり、本を読んで過ごした。そもそも行ってないのだから、当然、予備校の人間に知り合いは一人もいなかった。
ただ自由な時間ができたことで再び漫画、アニメ、ゲームを楽しむことができた。
大学に入った、予定通り人と関わらず過ごしている。
バイトも役を演じればよい塾講師、友達も作らず、飲み会など行ったことなどない。
とても満足していた。
大学を卒業したら家を出て一人で静かに暮らすのだろうと、そのうち専門業者とでも契約して死んだ後の処理をしてもらえるようにして適当に暮らそうと、そう思っていた。
それが「君の名は。」を見たときに自然と「青春をしたかった」と思ったのである。
君の名は。を見て感じたのだからだれか他人を求めているかもしれないが、そもそも家族にすら演じている自分を見せている自分が何ができるのか。人との付き合いの方法など分からない。
どうすればいいのか。どうすることもできないのか。誰にも聞くことができない。聞き方すらわからない。どうすればいいのか。
GSoCも、未踏もダメだった。学生スターエンジニアにはなれなかった。
1年のときにしょぼいプログラミングコンテストで賞をもらったけど、それだけだった。
院にいけば2年猶予はできるけど、大学にいてもモチベはあがらん。研究室はいいところでボスも素晴らしい人で研究も楽しいけど、それ以外で悪い思い出が多すぎる。大学の事務はなんであんなに無能なんだ。
でかい脆弱性を見つけることもできなかった。しょぼいアプリの脆弱性は見つけたが。
SECCONにもDEFCONにも行ってない。去年のSECCONではいいとこまでは行ったんだけどな。
バイトとかインターンとか趣味とかでそれなりに開発経験はあるつもりだけど、あいつらは俺となにか決定的にちがう。
人に憧れて開発とか勉強をやっているからダメなのか。もっと内からの欲求でやらないとダメなのか。
同級生のウェイどもをバカにして努力していたが、バカなのは俺の方だったのか。遊んでいたほうがよかったのか。彼女もできなかった。
何回かあきらめようと思ったこともあったけど、あきらめきれない。俺だってロックスターになりてえよ。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
いつかぜったい追いつくからな。見てろよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160902031012
はてブで批判してる人たちよりよほど志のある学生さんだと思うので、いろいろ書いてみます。おっさんのたわ言ではありますが、元記事の人にすこしでもヒントになればと思って。
まず、日本の大学で勉強しても実用的なソフトウェアが書けるようにはなりません。どういうことかというと、「情報系の大学に行けば○○が作れるようになる!」という世間一般の期待と、実際に大学で教えている内容には大きなギャップがあるということです。
これは大学が悪いのではなく、大学はそもそもそういうものであって、それが世間に認知されてないというだけです。
具体的に挙げてみましょう。
大学で教えてる内容ってこんな感じなので、ゲームやアプリやサービスを作ることが目的の人から見ると、役に立たない内容にしか見えませんし、実際たいして役に立ちません。その証拠に、大学の情報系学科を出ていないのにゲームやiOSアプリやWebサービスを作っている人はゴマンといるし、逆に日本の大学の先生でゲームやiOSアプリやWebサービスを作れる人はほとんどいません。
これは重要なことなのでもう一度書きますが、日本の大学の先生でゲームやアプリやサービスを作れる人はほとんどいません。大学の先生が得意なのは、プログラムを書くことではなく論文を書くことです。論文のためにプログラムを書くことはありますが、あくまでおまけです。
そのため、大学で勉強してもゲームやアプリやサービスが作れるようにはなりません。だって教えている側の先生が、ゲームやアプリやサービスを作ったこともなければ、作り方も知らないんだから。
そういう経験のない人たちばかりですよ、日本の大学の先生って。そんな人たちの授業を受けて、アプリやサービスが作れるようになると思うほうがおかしいでしょう。
ためしに、先生方のTwitterアカウント名でGithubを検索してみてください。いまどきGithubにアカウントがないとか、あったとしてもTestCaseすらないコードとか、そんなものばかりです。「研究内容をライバルに知られるわけにはいかないからGithubは使わない」という言い訳する人がいそう。けど、本当はGitが使えないだけでしょ?
あるいは、先生方の個人ページや研究室の紹介ページを開いて、HTMLソースを見てみてください。doctype宣言がないとか、viewportの指定がないとか、Pタグの中にULタグを使ってるとか、そんなのばかりです。HTMLすらろくに書けない人が、Webアプリを作れると思いますか?きっとXSSもCSRFも知らないですよ。
ですので、そういうことを勉強したいなら、ベンチャーやIT系企業に入るべきです。大学でそういうことを勉強しようとしても、教えられる人がいないから無理。
(「大学はそんなことを教える場所ではない!」と怒る人いると思うけど、教えられる先生がいないという事実をごまかすために怒ってるだけだから。)
とはいっても、大学の先生がプログラムがいっさい書けないというわけではないです。彼らが得意なのは、コンパイラやインタプリタやOSやソルバを作ることです。これらも実用的なソフトウェアと言えなくはありませんが、ゲームやアプリやサービスとはジャンルが大きく違います。
そのため、大学の情報系学科に進めばコンパイラやOSや機械学習ライブラリを書けるようにはなるかもしれませんが、それはゲームやアプリやサービスではないので、繰り返しになりますがそれらを作りたい人には大学は向きません。
じゃあ大学で授業を受けるのってムダなのかというと、必ずしもそうではないです。
大学で教えている内容って、ゲームやiOSアプリやWebサービスが一通り作れるようになってから、その先を目指すときになって初めて必要になることが多いです。たとえば、
こういうときになって、初めて大学で教わった内容が生きてきます。逆にいうと、そういう状況にならないと、大学で教わった内容は生きてこないと言えます。(情報系の学科で学んでいるなら、ライブラリや言語やOSを「使う人」ではなく「作る人」にぜひともなってほしいですね。)
元増田は、社会に役立つ実用的なソフトウェアを作りたいようです。しかし残念なことに、大学が教えている内容はその目的には合致していないことを説明しました。
こういう事情なので、元増田には大学をドロップアウトしてIT系の会社に入社することをお勧めします。ドロップアウトが難しいなら、インターンやバイトでなんとしても入り込むことです。
入るべき会社は、教育に力を入れている会社です。20人未満の小さな会社では教育に力を入れている余裕はないので、小さな会社はやめたほうがいいです。簡単にぐぐってみたところ、はてなやPixivやクックパッドやDeNAやドワンゴは教育制度が確立しているようです(違ってたらごめん)。そういった会社に入ったほうが、大学の授業を受けるよりも、元増田の目的にかなうのは間違いありません。
そして何年か働いて、iOSアプリやWebサービスが一通り作れるようになったら、大学に入り直すことです。これはとても効果的なので、元増田には強くお勧めします。
上で説明したように、大学というところは、ゲームやアプリやサービスの作り方は教えてくれず、それらが作れるようになって初めて役に立つことを教えてくれます。そのため、元増田はIT系の会社に入ってアプリやサービスの作り方を勉強し、それらが作れるようになってから再度大学の門をたたくのが、いちばん効率的です。
なお繰り返しますが、入るべき会社は「教育に力を入れている会社」です。今のIT系企業では、インターン生を「格安で使えるバイト君」としか見なしていない会社が多すぎます。そういう会社は、コストが掛かることはいやがるので、教育もろくにはしてくれません。逆に教育に力を入れている会社では、インターン制度を「将来の戦力を選別する期間」と見なしています。
残念ながら、そういう会社は東京に集中しているようです。例外は京都のはてなくらいでしょうか。地方の大学生にとってはつらい現実なので、はてなやPixivやドワンゴは地方でのインターン開催をお願いします。あとレベル5は九大と九工大の学生を鍛えてあげてください。
余談ですが、学生さんにひとこと:
インターンやバイトで潜り込む先の会社を選ぶときは、就活と同じような時間をかけて選んでください。バイトだからとかインターンだからという軽い気持ちで会社を選ぶ大学生が多いから、それを食い物にしている悪質経営者があとを立ちません。インターン生が「格安の学生バイト」として使われている現状を是正するために、学生のほうでも注意してください。
ドロップアウトを進めた手前、書こうと思ったけど、長すぎるのでやめた。
リツイートが100超えたら書く。
学問の徒として生きるのは完全に諦めてるし、大学もはや無駄と思ってるけど、無能でない俺ですら無理と思う道であってこんな補助金出してガバガバ教育してる日本金の使い方無駄すぎ……とは思う
もっとちゃんとした就職予備校設置してほしいけどそういう変革は無理なんだろう。
そういう話じゃないのか。今回はそういう話ではないです。
パソコンのご本を読めるようになるのが難しい、という感じのお話。独学? が難しい。
パソコンのご本、あんまり知識がちゃんとしてない人は読めないようになっているっぽい。
後述するけど、わかりやすいように作られたスクショまみれの本とか。
全体的なビジョンがないわけ。実際の世界がそれで動いてるようなビジョンが。だから読めない。
僕は社会の役に立つことを直接学びたかったよ。社会がどういう風に動いてるかみたいな話をさア
そういうのがあれば、パソコンのご本を読めるようになるんだろうなという感覚がある。
実務の話!! 実際に「IT系のおしごと」というのがやってるような話で、特にコーディングに直接絡んでくるようなもの。
技術の実態みたいなやつ。そういうのは学校で教わらないんですよね。
優秀な人はバイトとかやって知ってるっぽいけど、それみんなバイトでやるの? みんなはやらんでしょ。
というかバイトみたいな形で社会参画しないと学べない知識だったら、それはそれでやばくないですか? という提起でもあります。
はてな民の人IT系で働いてる人多そうだけど、そういうところ、そういうところなんですよね。
そういう知識があれば、大学の図書館に置いてあるような「技術本」っぽいやつ? の扱い方がわかるんだろうなーと思う。
いや別にやってきたことは何も無駄にはなってないんだけど。ハードよりの話もしたり、基本的な数学とか物理とか電子とか論理学とかシャノンの話とか。
でも、パチョコンは実学も以前に学問というか、実際に使えてナンボな部分が(いまこの想定してる話では)デカすぎるのに、
そんな環境的な、Linuxでサバ建てしましょーねーみたいな話も三年後期になるまでやらなくて、そんなん人が立ててるの見たら一発で覚えられることだし、みたいな。
みたいな。
そう、なんというか本が読めないんですよね。これ人がいたら一発なのに……というようなことだらけで、絶対間違った道に来ちゃってるよという感じがする。
↑
(焦ってるんじゃないのか?一冊だけをしっかりやれよ。と思ったりするし、言われそうだけど、それが一番の正解なのかな…やっぱり)
つーか本読みながらチンタラチンタラ比較するの嫌になるわけですよな。わかる。
スクショがいっぱい貼ってあったからといってわかりやすくなるわけではないし……。
てかスクショ貼ってあると古くなるとすぐ対応できなくなるから本当に困りますわよね、という話もあります。
僕が何を期待しているのかって?それは実務のうちで難しいお話が出てこない、環境の話、という感じ。
プログラミングをやれと言われても、それIDEはなによ?っつー話ですわな。WindowsだとVisual Studioとかになるのかな。
Eclipseはよくわからない。Javaでアプリ作るっていうのそんなに真剣にやったことないし……
っていうかそもそもプログラミングのお仕事??がよくできる人たちはプログラミングで何をしているの?
アプリを作っているんですか?それだったらヴィジュアルモードのチェックが簡単なやつ必要だよね、という話で。
あるいは別にアプリなんか作ってないのかもしれないよな。とすると何かしらサーバーを使って捌くようなシステム・サービスの細かい調節のお手伝いをしてたりするわけだ。
その具体的なトラフィックがどうだからどうのこうの、というお話をしたり、アクセスの仕方がどうの脆弱性がどうの、新しい技術がどうの、という話だと思うんですけど、
端的に言ってそういう話がぜんぜんわからない。そういう話がわかるとスンナリ進めるはずなんだけどな~と思いながら。
親の金で大学行ってるのに、なんかもっとこううまくできるはずなのに……という感じでつらい。
僕は人の役に立つ仕事のおべんきょおがしたいんですよ。なのに図書館で借りられる本、自分が何を知らないから理解できないのかもよくわからない感じで……
日経Linuxとか読んでみて、去年のやつにプロセスとかスレッドの説明あったけど、僕はまだOSの基本的な話もマトモに理解できていないなので、
そういう人間には難しすぎる (というか抽象的すぎてかなりわからなかった) スケジューリングの話はされたので、プロセスが対象なの?とか、そもそもCPUがアセンブリ命令ADDとか?を実行しつつ、
OSがそのアセンブリ命令をセットにした実行単位を用意して、OSがスケジューリングしてくれる、みたいな話なのかな……? と思った
(でも明らかにプロセスとスレッドがわからない人間には伝わらないような程度のフワフワ説明しかなくて、これ、誰向けだ?とか思ったけど、やっぱり身近に聞ける人間がいる人のための本なのかもしれないですなあ)。
そういうの、本とか、自分の足りない知識とか、おそらくその辺にあるんだろうな~と思いながら、でもバイトで働くにも微妙にプログラミングの知識が必要で、「これまで何作ってきましたか?」と言われても、
そういう、あんまりしっかりしたものを作ったことないし、C言語、gccで可変引数までやって、でもアセンブリがどう実行されるんですか、という話はよくわからない。
Javaも習って、まあそれっぽいお話はいっぱいされたんですけど、アプリ作るの難しかったし、GUIはクソだね、というか、手打ちでやったんですけど、こんなん絶対手打ちより良いやり方ありますやろと思いながらやっていた。
絶対手打ちより良いやり方あるはずだけど、僕は知らんし、知らない以上何が効率的に作れるのかもよくわからないし、わからないことにはできるだけ手を出さない方がいいな、と思う。
いや~なんつーかこういうことばっか書いてると「甘えんなカス。氏ね」とかコメントされて、2000回くらいは殺されちゃうんですけど、それは甘んじるとして、でも何というか……みんなそうなんですかね。
同年代で「めちゃくちゃプログラミングできちゃいます!(漠然)」みたいな人間いるけど、僕が例えばどういう本読んでどういう道筋を歩んだらそういうカンジになれるか、かなり見えなくてつらいし、
そもそもそういうのを職業にできるスキル高く磨けるような人って、いったいどういう生き方してきたらそうなるんだろう、と思っている。
これで情報系の研究室いって、なんとか乗り切って就活して、プログラムがんばって書きましょうー!というような職場に行ったら、
それはもう「学生じゃないんだから。もう社会人なんだから自分で調べて」となるんですよね。マンガとかでたくさん読みました。それは死ぬほどつらいでしょ。現に人死んでるじゃないですか。
結局周りに聞ける人間がいる環境ってなに? 今もいないし、大人になってもいないんでしょ? だからはてブで「プログラマーはやっぱ自分で本読んでスキルアップしなきゃ死ぬぞ!」みたいなやつがホッテントリになったりするわけでしょ?
それはつらい。ご本読んで理解できないの、というか読めてないの、ウチにあるだけで目が上滑りして「全体像がよくわからないからな~ しょうがないよな~~」と言いながらろくに読む気も起きなくて、
「でも本当に役に立つ本って開いた瞬間に読みやすいのでは?」みたいな信念がある。 これが原因なのかな。でも、この信念、少なくともこれまでめちゃくちゃ役に立ってきたものなんだよなあ……。
学生の今、自分が考えてて不安に感じてることが、「追いつけない」みたいな不安が、イマイチわかり切ってないし、
だから具体的な質問として一言で言える話の羅列としてわかってないわけじゃなくて、もっと漠然とわからない。こういうこと感じてるの、僕だけじゃなくてパソコン知りてえ~~となって大学に来た人のうちけっこう多いような気がするんですよね。なんか生半可に甘えた環境だから。
----------------------
とりあえずこれ書いてたら少し気分落ち着いたので、要点をまとめると、
「本で勉強するのつらいよなあ~ そんなんじゃどんな分野行ってもつらいだろうなあ~」
ということです。
そういう有象無象の本をスパッスパッと切って、「この辺のこの本読んどくとこういうことができるようになるだろうな~」というモデルがまだあんまりできてない。
そういうのができるようになるのかと思ってたらあんまり学校でも学べる感じじゃない。全体像とは……となっているけど、こういう悩み、自然に解決したりしなかったりするんだろうな。
とりあえず、これは自分メモの今後の方針です。OSより下の階層、たとえばALUとメモリの組み合わせで、program counterを進めながら動いてるんだよーという感覚はあるので、
それがOSとどういう風につながってるのか、とか、100均で売ってる電卓、あのデジタル表示の部分がどういう仕組みで動いてるの、ということを考えたり、
インターネットプロトコルでパソコンが具体的にどういうパケットを送信しているんだろう、というような話を攻めて、これが全体像とやらが見えるようになる一助になるかはわからないけど、
できるところからできるところだけ勉強していきたいと思います。それが、僕にとって、よくわからない本をじっと読まなきゃいけない義務から抜け出した罰の引き受け方っぽいので。
思ったことをとりあえずインターネッツの海に放しておくことにする。
卒論できんのかしら……。
まあ、卒研や研究室生活について書いてあるblogだとよくある話。
気分的に本当に今日は無理みたいな日も来るかもしれないから……。
ちなみに、私は豆腐メンタルだからそれなりにある。(求 解決方法)
同期が全く研究室に来なくて見放されつつあるのを見るとますますそう思うよ。
実験やって、週報用ppt作って、中間報告用レジュメの構想も練るなんてのはまあある話。
頭の中であれもこれもやらないと考えていると混乱するから、締め切り日順にto doリストを作るといいきがする。
締め切りはないけどやらにゃならんことも多いだろうから、そういうのは逆算して自分なりの締切りを設けておく。
頭の中も整理されて少しは気が楽になる。
って話をしたい。
こんな時間に書き込んでるのは親父のイビキが五月蝿すぎて目が覚めて、親父のイビキがずっとやまなくて眠れないからである。
眠れない状態で布団に入っている間に考えなくてもいいことが悶々と浮かんでしまい、一度どこかに吐き出さないと何かおかしな事をしそうな状態にあるからでもある。
さて題名にもある通りこれは僕が「今更社会に必要とされても困る」と言いたくて堪らないって話だ。
どう『社会に必要とされている』かというと『就職しろと催促されている』のだ。
少し丁寧に説明する。
就職するという行為は労働の対価として賃金を得るための契約を結ぶことであり、労働というものは社会に必要とされている行為をするという事だ。
社会に必要とされていない行為には対価が発生しようがないため、労働契約は結びようがない。
つまり就職するという事は社会に必要とされるということであり、それを催促されることもまた社会に必要とされるという事になるはずだ。
僕は正直これに困っている。
今更社会に必要となんてされてもどうしていいか分からないからだ。
では何故僕が社会に必要とされたくないのか、それは、自分が今まで社会に必要とされていなかったからだ。
今は完全にニートだが一応高校までなら卒業しているし、就職活動も20回ぐらいはしている。
そしてその人生においてクラスや研究室、面接で僕が感じ取ってきたものが『僕は社会に必要とされていない』という実感だ。
それは幼稚園からスタートして大学を中退するまでずっと続いた。
中退する前に周りに合わせてなんとなくやっていた就活の惨めさは今でも夢に見る。
自分の代わりに採用が決まるであろう人間の能力や纏っているオーラ、そして面接官の見せる態度の違いを認識するたびに自分が酷く場違いな存在であることを感じたものだ。
書類ではギリギリ誤魔化せていたものが、ほんの数分顔を突き合わせるだけで剥がれいてく感覚を何度味わっただろうか。
とにかく僕の実感から言えば僕はずっと社会に必要とはされていなかった。
テストで点を取るとか試験に受かるといった人間性が介在しない部分では他人と同じように扱ってもらえてはいた。
しかし、『その人間を仲間に引き入れるかどうか』『その人間を人間として価値があるものとしてみなすか』を試す場所になると途端にそんな紙切れの上の評価なんて関係なくなる。
嫌なことはすぐに投げ出すし、童話のこうもりのようにフラフラと立場を変え、首はだいたいいつも斜めに振り、他人はまず疑ってかかって、いつも自分のことばかり考えている。
そういう人間を仲間に引き入れたくない気持ちは実際良くわかる。
その上、そういったありていな性格の悪さでは説明できないような『ズレ』があちらこちらにあるのだ。
そんな人間であるため一度何らかの社会が形成された場所には僕の居場所などなくなってしまう。
その中でダンゴムシのようにうずくまって辛い事から目を背けながら少しだけ楽しい事を考えて生きるのはもうお手のものだ。
社会に必要とされないまま生きたり、結局社会に必要とされなかったまま死ぬ覚悟ならもう決まっている。
どうとでもなれだ。
そうして折角こっちの気持ちが決まっている所へ水を指すかのように、必要としても居ない人間をさも必要としているかのようなダブルバインドを仕掛けるのは辞めて欲しい。
こういう話をすると「社会が欲しいのはただの奴隷であり、お前の人格なんてどうでもいいと思っている」という反論を言う人がいるかも知れない。
だけど実際そういった職場にも人間関係や社会は形成されていて、そこに上手く混ざれない人間は結局爪弾きにされる。
学校でクラスの外れ物グループに入ったはずなのに、気づいたらそこからも追い出されていたような人種がいることを忘れないで欲しい。
いやそもそも多くの人には僕のような人種の立場なんて想像も出来ないのだろうか。
実の所、僕も普通に人並みに生きていける人がどうしてそうなっているのかが全く理解できない。
僕が自分を偽ってなんとか同じように振る舞ってみた所で絶対に埋まることがない溝の正体について何度も考えてきたがその答えには半分すら辿りつけている気がしない。
そこに少し付け足すのならばダブルバインドはやめて欲しいという事だ。
国立大の附置研(生物系)でポスドクをやっている。次の仕事が見つかったら可及的速やかにアカデミックの世界から離れたいと思っている。以下に記す文章はただの愚痴であって、研究者全体に一般化できるような話ではない。また、多くは、既にポスドク問題とかその辺りで語られてきたことでもある。しかし、何度語られようともこの業界が抱える問題はそのまま何も変わっていない。この状況が続く限り、私のようなポスドクが何度も何度も似たような文章を書き残して消えていくことになるのだろう。とにかく、今はもう我慢ならないから、駄文ではあるけれども書かせてもらう。
これ以上この仕事を続ける気が無くなった理由は二点ある。1)職務内容と待遇のギャップ、2)職務内容と自分がやりたいことのギャップの二点である。
附置研の予算で雇用されている契約職員である。給料は時間給で払われていて、勤務日数によって異なるが、額面で約20万である。手取り16-17万程度。勤務時間は週30時間となっているので、社会保険と厚生年金に入れる。賞与無し・昇給無し。任期は、一年ごとの更新で、最長三年となっている。給与に関して言えば、学生の頃よりも入ってくる現金の量は減った。学生の頃は様々なるところからかき集めてきた奨学金が月20万円ほどあった。入ってくるお金が減ったのは、税金とか保険とか年金のためであるが、社会人になった途端使えるお金が少なくなるというのはかなり心にくるものがある。
同じ仕事をしているポスドクでも、お金の出所によって待遇が全く異なるということはよくあるのだが、うちの研究所では、同じ研究所の予算からお金が出ていても、採用のタイミングによって待遇が異なる。私より早く採用されていたポスドクは、年収が100万円ほど高い。後何年か経ってから採用されるポスドクも、私より100万円高い給料で雇われるはずである。この辺は細かい規定があるのだが、ここでは説明しない。担当するプロジェクトは違うとはいえ、立場は同じであるし、業務の内容に本質的に差が無いのにこの差があるのは相当にやる気がそがれる。
休日等はどうか。私は、同じような分野の研究者としてはかなり甘々な環境に居るとは思う。しかし、それでも平日は平均で11時間ほど研究室に居る。休憩を除けば、一日当たり4時間の残業である。しかし、これは全く管理されていないので、全てサービス残業となっている。研究室に生き物が居るので、休日は実験が無くとも出勤する必要がある。この辺りはどこの研究室でも、博士後期課程の学生とかポスドクの仕事である。これがあるので、完全な休日(研究室に全く行かない日)は年間で10日程となる。これも全く管理されていない。休日に出張が重なった場合は、さすがに事務の方で処理する必要があるので、代休を与えられる。しかし、それは出勤している日に、「今日は代休取ったことにしておきます」と言われるだけのものである。そして、どんな計算をしたのかわからない日当700円が振り込まれるのだ。代休は実質使えないため、この700円は土日分の賃金の全てである。
この待遇で雇っておきながら、ボスはポスドクが出ていくということを全く考えていない。この程度のお金さえ与えておけば、ポスドクは任期満了までここに居ると確信している。やめると言い出したらまず間違いなく強く慰留されるだろうし、それがやめるための一番高いハードルになっている。私にはまったく理解できないが、世の中には無給ポスドクというのも居るらしいし、保険や年金に入れるだけまだ恵まれた方であるという話もある。だから、普通の研究者というのは上記の待遇をごく普通だと考えているのだと思うし、不満を言うのは私の甘えかもしれない。しかし、自分の価値はそんなものなのかと思うと悲しくなってしまう。
生きていくのに足りる程度のお金をもらえて、自分の好きなことができるという職場であれば、それでも来る人はいるだろう。そして、多くの場合、研究者がネットで愚痴を吐いたときに、「でも好きなことをやっているのだからいいのでは」、「小説家や芸能人を目指すのと同じであるのに研究者だけ特別に問題視するのはおかしい」「研究の傍ら副業でお金を稼いでこないのは甘え」というような話が聞かれる。だが、現実には研究者というのはサラリーマンである。「好きなことで生きていく」というのとはだいぶ様子が異なる。
私が雇われているのはあるプロジェクトを遂行するためであり、その内容はまさに私が強く興味を持っているものなので、私の仕事がそのプロジェクトを進めることだけであればまだ納得できたかもしれない。しかし、今の私の最優先の仕事は別のプロジェクトである。それは、お金のために魂を売ったような爆死プロジェクトで、お金を取ってきたあとしばらく放置されていたものだ。お金を集めるためにいろいろなところに妄想を書いて送っているため、研究室は処理しきれないテーマを抱えることになる。そして、それはポスドクとか学生とかに適当に振られる。そのうちの一つが私のところに落ちてきたのである。このプロジェクトは締め切りが近く、しかも白紙であるため、優先的に処理せざるを得ない。また、「この分野のこと何も知らないけど、大学院入りました。これから実験頑張りたいです!」とキラキラした目で語る学生の指導もしなければならない。教員でない人間に一から育てる仕事を振って良いのかとも思うが、頼まれたのでやるしかない。これも相当な労力である。それから、土日は出張が多い。自分が興味を持っている分野の学会に参加するのであればいいのだが、実際には、政治的な理由で行われる研究会に政治的な理由で参加するというようなものである。好きな実験のために土日出勤するのであればいいが、何の対価も無く興味のない話を休日に聞くというのは精神を疲弊させる。概ね週末の20-30%はこれでつぶれる。
この愚痴で強調したいことは、研究者(特に下っ端の)というのは自分の好きなことをやって生きているようなものではなく、サラリーマンなのだということだ。だから、研究者を特別視することなく、サラリーマンとして考えてほしい。上記の待遇が企業において問題になるのであれば、我々の場合にも同じ程度に問題になってしかるべきである。公的機関であるにも関わらず、労働者との間に自分たちで定めたルールを全く守る気がないのは何なのだ。超過勤務に関する規則など何のために定めたのだ、一円も残業代を払うつもりが無いのに。これだけ人を馬鹿にした態度を取って、ルールをないがしろにする組織や、そこに属する人が科学に対してだけは誠実であるとどうして信じられるのか。
もうこの国は科学技術立国などという題目を掲げるのをやめたらいいのではないか。この問題は少なくともこの10年ほど全く進展が無いように思える。大学院生やポスドクの犠牲のもとに研究成果をあげる、というのが国の方針なのだとしたら今の状態が正しいのかもしれないが、私にはそこまで出来ない。
東大女子は入れないサークルや東大美女図鑑 ジェンダー論が専門の東大教授はどう見る - 東大新聞オンライン http://www.todaishimbun.org/gender20160805/
に対しての回答が全く想像でしかない。「女子的役割を積極的に引き受けようとする他大女子と、そんなつもりはないという東大女子の間に亀裂」という点に思い至ったのは偉いと思うが(前述のように幻滅したのでウエメセでいくぜ)、サークル勧誘の面からみると、ある大学のメンバーが一定数いることが女子の安心につながるので、複数のサークルに分散しすぎることは、各サークルでの女性の居心地を低下させるとかもあるだろ。言葉レベルのセクハラをする男子学生が研究室にいたときに、もちろん大学の相談機関を使うのも大事だけど、女子会が相談の場として機能するのと同じ理屈な。
もし、東大女子を参加させないサークルが so stupid だというのが問題の本質なら、東大女子を受け入れる2つのサークルはまともなサークルとして東大女子を多数受け入れ so smart な地位を確立するはずだろ。でも、そうはなっていない。そりゃ誕生日研究会とかいうサークルのあんなクソ事件が起こるほど東大生の統計的なレベルが so stupid だし(あれは極端だけど外れ値ではないからな)、2つのサークルだって別にジェンダー的観点からまともってわけじゃないんだよ。
20中2という数字についてだけれど、(1)テニサーが出会い系としてのレッテルを張られている存在であること(2)東大の男女人数比 の2点を考えるとそこまで編ではない。むしろ、どちらもセレクのあるサークルだったと思うけど(2って数字はJOKER含まずTOMATOとスポ愛だよね?)、顔選な部分があるとかの実態も問題だろ、定量しにくいから問題にしにくいだけで。別に女子だけじゃなく男子も顔がある(イケメンいたほうが女子集まるし)。また、これら2つは大きめのサークル。弱小サークルがコート取れないので、Alternative 育たないよね。
こういうこというと、Aが問題だって言ってるんだから、BやCの問題を持ち出す前にAの解決策をって言うのがお決まりなようですが、わざわざ別問題持ち出してきてるのは、本質はジェンダー観が云々とかじゃなくて、リア充提供機能の部分なわけで、その点において大学のサークルにリア充提供機能を求めている学生たちに別の観点であるジェンダー問題持ち込んでるのが元記事だからな。
先進的なジェンダー観を持った人々がリア充になれる仕組みを考えることが、東大生男子の家事情をくさすよりずっと意味があるだろう。
中規模のインカレノーセレクションサークルで東大女子を受け入れて、この問題への対処を謳ってみたら(絶対社会運動感出すなよ、ダセーから)トマトやスポ愛から新歓奪えるのではないか。結果、女子比率が高くなればサークルの活性化にもつながる。ノーセレクでリア充ブランディング維持するのはノウハウいるから、もとからノーセレクで中規模。
東大生女子はなんとなくリア充をめざしてテニサーだけを選ばないで欲しい。これは就活でも婚活でも言えることだけど、初めのお試し期間のうちにいろいろ試して絞っていくこと。そもそも女子の比率が低すぎる問題はあるので、テニサーに限らず居心地の良いサークルは少ないだろう。POLAのCMでも見て奮起するしかない。あと、サークル以外にも、アルバイトとか、NPO参加とか、ビジコンとか、インターンとか、キラキラした出会いの機会は存在する。主体的な女性で、特にそれまでテニス部だったとかじゃなければ、テニサーを積極的に選ぶ理由は少ない。ジェンダー系の記事を見て「そうだそうだ」と思えるならば、なんとなく流されるのはやめて、ちゃんと選びましょう。
http://rodosoudan.net/blog-entry-53.html
「従業員のミスがあった場合の損害賠償額について取り決めをしておくことは労働基準法上禁止されており(労働基準法16条)」
違法は違法やで。クソブラック経営者がなにをしようと大学の話とは関係ない。
ついでにhttp://watto.hatenablog.com/entry/2016/07/27/230000
この程度でもやっぱり不合理は不合理。
もう一ついうと20万円って研究費からするとそんな高くないんだよ。
ものによっては試薬一瓶とか、「大きめな機械を一回、自分の試料のために稼働させてもらう権利」だけでそのくらいかかる。
まあ再発は防止せんとあかんけど
(そのR?やらS?やらは今後まともな研究にたずさわらせてもらえんで、
それも状況やら人格をみて教授が判断することで外部がこうしろとはいえない)
アルバイトであくせくしとるきみらと理系とは、世界がちゃうねん。
マウスが怖くてプラスミド触れるかとか、まあいろいろ怖がってては進まないんやけど。
小保方ショックが世間に傷を残すだろうっていわれたとおりの萎縮を見たわ。
というか萎縮が世間なのか。