って話をしたい。
こんな時間に書き込んでるのは親父のイビキが五月蝿すぎて目が覚めて、親父のイビキがずっとやまなくて眠れないからである。
眠れない状態で布団に入っている間に考えなくてもいいことが悶々と浮かんでしまい、一度どこかに吐き出さないと何かおかしな事をしそうな状態にあるからでもある。
さて題名にもある通りこれは僕が「今更社会に必要とされても困る」と言いたくて堪らないって話だ。
どう『社会に必要とされている』かというと『就職しろと催促されている』のだ。
少し丁寧に説明する。
就職するという行為は労働の対価として賃金を得るための契約を結ぶことであり、労働というものは社会に必要とされている行為をするという事だ。
社会に必要とされていない行為には対価が発生しようがないため、労働契約は結びようがない。
つまり就職するという事は社会に必要とされるということであり、それを催促されることもまた社会に必要とされるという事になるはずだ。
僕は正直これに困っている。
今更社会に必要となんてされてもどうしていいか分からないからだ。
では何故僕が社会に必要とされたくないのか、それは、自分が今まで社会に必要とされていなかったからだ。
今は完全にニートだが一応高校までなら卒業しているし、就職活動も20回ぐらいはしている。
そしてその人生においてクラスや研究室、面接で僕が感じ取ってきたものが『僕は社会に必要とされていない』という実感だ。
それは幼稚園からスタートして大学を中退するまでずっと続いた。
中退する前に周りに合わせてなんとなくやっていた就活の惨めさは今でも夢に見る。
自分の代わりに採用が決まるであろう人間の能力や纏っているオーラ、そして面接官の見せる態度の違いを認識するたびに自分が酷く場違いな存在であることを感じたものだ。
書類ではギリギリ誤魔化せていたものが、ほんの数分顔を突き合わせるだけで剥がれいてく感覚を何度味わっただろうか。
とにかく僕の実感から言えば僕はずっと社会に必要とはされていなかった。
テストで点を取るとか試験に受かるといった人間性が介在しない部分では他人と同じように扱ってもらえてはいた。
しかし、『その人間を仲間に引き入れるかどうか』『その人間を人間として価値があるものとしてみなすか』を試す場所になると途端にそんな紙切れの上の評価なんて関係なくなる。
嫌なことはすぐに投げ出すし、童話のこうもりのようにフラフラと立場を変え、首はだいたいいつも斜めに振り、他人はまず疑ってかかって、いつも自分のことばかり考えている。
そういう人間を仲間に引き入れたくない気持ちは実際良くわかる。
その上、そういったありていな性格の悪さでは説明できないような『ズレ』があちらこちらにあるのだ。
そんな人間であるため一度何らかの社会が形成された場所には僕の居場所などなくなってしまう。
その中でダンゴムシのようにうずくまって辛い事から目を背けながら少しだけ楽しい事を考えて生きるのはもうお手のものだ。
社会に必要とされないまま生きたり、結局社会に必要とされなかったまま死ぬ覚悟ならもう決まっている。
どうとでもなれだ。
そうして折角こっちの気持ちが決まっている所へ水を指すかのように、必要としても居ない人間をさも必要としているかのようなダブルバインドを仕掛けるのは辞めて欲しい。
こういう話をすると「社会が欲しいのはただの奴隷であり、お前の人格なんてどうでもいいと思っている」という反論を言う人がいるかも知れない。
だけど実際そういった職場にも人間関係や社会は形成されていて、そこに上手く混ざれない人間は結局爪弾きにされる。
学校でクラスの外れ物グループに入ったはずなのに、気づいたらそこからも追い出されていたような人種がいることを忘れないで欲しい。
いやそもそも多くの人には僕のような人種の立場なんて想像も出来ないのだろうか。
実の所、僕も普通に人並みに生きていける人がどうしてそうなっているのかが全く理解できない。
僕が自分を偽ってなんとか同じように振る舞ってみた所で絶対に埋まることがない溝の正体について何度も考えてきたがその答えには半分すら辿りつけている気がしない。
そこに少し付け足すのならばダブルバインドはやめて欲しいという事だ。