2016-08-20

とあるニート(僕)「今更社会必要とされても困る」

って話をしたい。

こんな時間に書き込んでるのは親父のイビキが五月蝿すぎて目が覚めて、親父のイビキがずっとやまなくて眠れないかである

眠れない状態で布団に入っている間に考えなくてもいいことが悶々と浮かんでしまい、一度どこかに吐き出さないと何かおかしな事をしそうな状態にあるからでもある。

さて題名にもある通りこれは僕が「今更社会必要とされても困る」と言いたくて堪らないって話だ。

どう『社会必要とされている』かというと『就職しろと催促されている』のだ。

少し丁寧に説明する。

就職するという行為労働の対価として賃金を得るための契約を結ぶことであり、労働というもの社会必要とされている行為をするという事だ。

社会必要とされていない行為には対価が発生しようがないため、労働契約は結びようがない。

まり就職するという事は社会必要とされるということであり、それを催促されることもまた社会必要とされるという事になるはずだ。

以上で『社会必要とされる』≒『就職しろ』の説明を終わる。

僕は正直これに困っている。

今更社会必要となんてされてもどうしていいかからいからだ。

では何故僕が社会必要とされたくないのか、それは、自分が今まで社会必要とされていなかったからだ。

今は完全にニートだが一応高校までなら卒業しているし、就職活動20回ぐらいはしている。

そしてその人生においてクラス研究室面接で僕が感じ取ってきたものが『僕は社会必要とされていない』という実感だ。

クラス仕事場はいつも浮いた存在として腫れ物扱いだった。

それは幼稚園からスタートして大学中退するまでずっと続いた。

中退する前に周りに合わせてなんとなくやっていた就活の惨めさは今でも夢に見る。

自分の代わりに採用が決まるであろう人間能力や纏っているオーラ、そして面接官の見せる態度の違いを認識するたびに自分が酷く場違い存在であることを感じたものだ。

書類ではギリギリ誤魔化せていたものが、ほんの数分顔を突き合わせるだけで剥がれいてく感覚を何度味わっただろうか。

とにかく僕の実感から言えば僕はずっと社会必要とはされていなかった。

テストで点を取るとか試験に受かるといった人間性が介在しない部分では他人と同じように扱ってもらえてはいた。

しかし、『その人間を仲間に引き入れるかどうか』『その人間人間として価値があるものとしてみなすか』を試す場所になると途端にそんな紙切れの上の評価なんて関係なくなる。

人間性で足切りにあうのだ。

嫌なことはすぐに投げ出すし、童話こうもりのようにフラフラ立場を変え、首はだいたいいつも斜めに振り、他人はまず疑ってかかって、いつも自分のことばかり考えている。

そういう人間を仲間に引き入れたくない気持ちは実際良くわかる。

その上、そういったありていな性格の悪さでは説明できないような『ズレ』があちらこちらにあるのだ。

そんな人間であるため一度何らかの社会形成された場所には僕の居場所などなくなってしまう。

社会必要とされないことは正直もう慣れた。

その中でダンゴムシのようにうずくまって辛い事から目を背けながら少しだけ楽しい事を考えて生きるのはもうお手のものだ。

社会必要とされないまま生きたり、結局社会必要とされなかったまま死ぬ覚悟ならもう決まっている。

どうとでもなれだ。

そうして折角こっちの気持ちが決まっている所へ水を指すかのように、必要としても居ない人間をさも必要としているかのようなダブルバインドを仕掛けるのは辞めて欲しい。

こういう話をすると「社会が欲しいのはただの奴隷であり、お前の人格なんてどうでもいいと思っている」という反論を言う人がいるかも知れない。

だけど実際そういった職場にも人間関係社会形成されていて、そこに上手く混ざれない人間は結局爪弾きにされる。

学校クラスの外れ物グループに入ったはずなのに、気づいたらそこからも追い出されていたような人種がいることを忘れないで欲しい。

いやそもそも多くの人には僕のような人種立場なんて想像も出来ないのだろうか。

実の所、僕も普通に人並みに生きていける人がどうしてそうなっているのかが全く理解できない。

僕が自分を偽ってなんとか同じように振る舞ってみた所で絶対に埋まることがない溝の正体について何度も考えてきたがその答えには半分すら辿りつけている気がしない。

最後になるが僕の言いたいことは題名にある通りだ。

そこに少し付け足すのならばダブルバインドはやめて欲しいという事だ。

必要としないのなら必要としないでいい。

だけど必要としているかのような態度を見せつつ結局必要としないのは本当にやめてくれ。

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