はてなキーワード: 改善案とは
今日はじめて映画『ぐらんぶる』のポスターを見た。多分これはかなり流行に遅れていると思う。申し訳ない
自分はフェミニストではなく、むしろどちらかといえば反フェミニストだ、しかしそこに確固たる意志があるわけではなく、宇崎ちゃんのポスター騒動の際にフェミニスト、アンチフェミニスト陣営どちらからもとびかう集団を対象とした人格否定に辟易し、そもそもの騒動を生み出したフェミニストという思想に嫌悪感を覚えた程度のものである。
私が昨日始めて映画『ぐらんぶる』のポスターを見た時、まず純粋にあったのは『驚き』だった。このご時世にこんなポスターがあって良いのかと思った。アレだけ性的搾取だと性的搾取だと騒がれているのに。
そして、一時間ほど考えたのちに、Twitterで『ぐらんぶる フェミ』で検索を行った。この時点で、私は匿名で無責任な強い言葉を投げ合うTwitterというSNSにどっぷりと浸っている。恥ずかしい限りだ。
そして当然『フェミニストはぐらんぶるのポスターには抗議しないのか』という意見があった。女性の性的搾取的なポスターにはアレだけの反応を見せたのに、『ぐらんぶる』のポスターにはなんの反応もしないのはダブルスタンダードではないのかという主張だ。
そして、少なくとも私の届く範囲では『ぐらんぶる』ポスターに関して数十人を巻き込んだ炎上はしていなかった。
それについて考えたことがあったが、このご時世SNSに投稿することは非常に危険であると判断したので、申し訳ないがここに書き込むことにする。
まず第一に、私はフェミニストが『ぐらんぶる』のポスターに対して反応を示さないことをダブルスタンダードだとは思わない。
その理由は明確で、フェミニストというものは男性の性的搾取に関して抗議する必要が基本的には無いだろうという考えがある。
フェミニストをグーグルで検索すると、トップに『1.女権拡張論者。』と出てくる。非常に明確だ。
女権拡張論者は「女性の性的搾取」について抗議するわけであって「性的搾取そのもの」に抗議する必要はない(支持を得るために「性的搾取」そのものを仮想敵にした結果、『ぐらんぶる』に反応を示さないことがダブルスタンダードになってしまった個人がいる可能性はあるが)
従って『ぐらんぶる』のポスターにフェミニストが抗議しないからと言ってダブスタなわけではないというのが今の私の考えだ。
しかし『性的搾取』に関してアレだけ騒いだあの界隈が、これに関しては少なくとも宇崎ちゃんほどの炎上していないという現状に違和感を覚えるという感情は理解できるし、私も瞬間的にはそう思った。
だが、フェミニストというのは女権拡張論者なわけだから、男性の性的搾取に関心がなくともフェミニストとしての筋は通っていると思う。少なこともこの件に対して思うことがある男性がいるのであれば自分で行動を起こす必要があるだろうと思う、私自身はこのポスターに抗議の感覚は薄いが、もしそのような活動が起きても不思議には思わない。あのポスター単体はそのくらい攻めている。
もう一つ思ったことがある。それは『フェミニズムという思想が「ジェンダー論に関しての正解を持っている」と思い込む必要はないし、「ジェンダー論に関してすべてが間違っている」と思い込む必要もない』ということだ。
フェミニズムに関してフェミニストがそれを絶対的な『正義』であると考えることは間違っていることではないだろうと思う。だが、この世界においてフェミニズムの論じる「女権拡張論」が絶対的に正しいという保証は何処にもない。その逆に、「女権拡張論」が絶対的に間違っているという保証も何処にもない。
保守主義である右翼、自由主義である左翼、さらに新自由主義で個人の自由も尊重するリバタリアン。これらの思想はそれぞれの支持者はそれを『正義』として疑っていないが、それがこの世界における『正解』である保証は何処にもなく、『間違い』である保証もない、むしろこの3つすべてが間違っている可能性も否定はできない。
フェミニズムは「理論」であり『正解』ではない。そして、フェミニズムを論ずる人間に反対する自由はある。賛成する自由もある。
だから本当はもっと議論を重ねて洗練させていかなければならない。時には反フェミニズムの人間と意見を交わす必要もあるだろう。それは反フェミニズムの人間も同じで、時にはフェミニズムの人間と意見を交わし、その中に納得の行く理由があればそれを受け入れても良い。それだけであなたがフェミニズムに屈したわけではないし、その逆もしかりだ。
今SNSで起きていることは両陣営の個人の失言をいかにもそれがフェミニズム、もしくは反フェミニズム全体の意見であるように吹聴しぶっ叩くショーである。そして意見は先鋭化していき、『極』な人間が作り出されている。
これについての改善案があるわけではないが、この現状は良くないのではないかと考えている。
最後にこの件に関して最終的に思っていることを書いて終わりにしたい
私も社内ニートでした
仕事なんか2時間もあればその日の分全部終わってて、やることあるかと聞けば忙しくてやることもらえなかったり、あるいは本当にやることなくて何も言われなかったり
通勤時間も勤務時間も無駄だし帰りたかったですが、私がやってたことはインターネットでエクセルの使い方や仕事術の勉強してました。
あとショートカットキーの使い方を通勤中に本で覚えて実践してみたり。エクセルとか開いてれば仕事してるように割と見えるので本で得た知識をアウトプットのために使ってみたりしました。
他には日次週次月次年次…といった定期的におこなわれる業務内容の改善案を考えていました。新しく学んだことを取り入れていつもする作業を試しにやったらどれくらい効率的に仕事が終わるかなど検証してました。
これまでに起こったトラブルとかそのときどう解決したのかだとかそういうのの一覧も作りました。自分の業務に手順書がなければ誰がみてもわかりやすい手順書を目指して作ってみたりしてました。これを読み返してても時間はまぁ潰せます。イントラがある会社はお知らせだとか、会社から発散してるコラムなんか読むのもいいですよ。メール文が上手な人のメールをストックして研究したりもしました。
PC知識が少しずつ培われていったのもあり、中年層から機器の使用方法をよく聞かれるので教えてました。
そんなこともあり、余計に仕事が早く終わるようになってしまい、なんか会社のために頑張るのがだるくなって会社の目を気にするのをついにやめました。
私のいたところは社内ニートが他にも割といてみんなスマホいじったりしてたので、Amazonで安いBluetoothイヤホン買って片耳にだけつけて髪で隠しながらpodcastや音楽や金のフレーズという英単語帳の音声付録を無限に聴きながら仕事してましたね…仕事ほとんどなかったからだいたいは聴きながら単語のメモやラジオMCのおすすめ商品のメモだとかをパソコンにしてました。
TOEICはこれだけで100点あがりましたね!
最終的にはネットでお得なクレジットカード探しを始めました 笑 その他にも業務改善のときの応用でこれまでに私生活で不便だなと思ってたことなどの改善方法をネットで探したりしてました。あと労働基準法だとか厚労省だとか統計関連やってるところだとか数字を見て回ったりしてました。日本の制度も恥ずかしながら無知な点があるのでいい機会に学んでおきました
ただ社内ニートの罪悪感とかこのまま同世代より経験積めなくてどんどん置いてかれるのでは…といった恐怖もあり最終的には辞めたくなってました。通勤時間もかかるし環境も個人的に最悪最低でしたので。。
正社員型派遣だったんですけど、次のところは社畜仕様だったのと営業のやり方が気に入らなくて顔合わせだけしてたのですが会社ごと辞めてしまいました。
意識の切り替えのために、捨て書かせてもらう。
結局ここでこんなことを呟かなきゃ気が済まないところがダメなのだけれど、
これが最後だ。
https://anond.hatelabo.jp/20200706165448
https://anond.hatelabo.jp/20200709170615
事の発端
最近腐女子界隈のtwitterで、上記のようなものが最近よくバズって流れてくる気がする。
色んな人がいるもんだよねと、腐女子で同じくプロ作家でもある友達と作業通話をしているときに、この話題を振ったのは私からだった。
そこから話が色々と派生して、創作活動をする側の腐女子のSNS運用についての話になって、
その時に友人がふとこう言った。
「でもあなたのSNS運用は、構ってちゃん腐女子そのものだから当然だよね」
衝撃だった。
家族や恋人以外で、こういった指摘をしてくれて、けれど、以降も関係が壊れない存在なんて大人になってからいるものだろうか。
少しの自己嫌悪と、それはそうと自分のことを注意されたことにたいするイラつきと、指摘してくれた感謝。
何より、意識していなかった自分の欠点に気づけたことが嬉しかったので、そのまま自分のおかしいところを指摘してもらった。
10代で同人誌を作り始め、同時にSNSアカウントを作り、活動を始めたその年にコミケでスカウトされて商業誌デビューし、同人と両立させつつ今に至った。
いわゆる「神」みたいな圧倒的な才能があったわけじゃない。ただタイミングと運が良いだけだ。
それが誰かにとってはのどから手が出るほど欲しいものなのかもしれないが。
SNSのフォロワ数は、覇権ジャンルばかり通ってきてる中、短期間ちょっと集中して絵を連投すれば五桁に届くねって程度。
仕事が好きだし同人活動も楽しい。読んだり見たりしてくれる人も好きだし、
腐女子特有の連投ツイートや妄想ツイ、思ったことをなんでも呟いてしまう痛い自分に、
しかし最近、萌え語りやジャンル・仕事のこと以外に、日常の全てを呟かないと気が済まないくらい、SNSに依存していた。
コロナの自粛ムードもあって、外に出たり人に会うこともなくて、人恋しさもあったんだと思う。
自分でもSNSから離れたいと思っていたのだが、意志とは反対にどんどんツイート数が増えていった。
「〇〇萌え~中の人他ジャンルでどんなキャラ演じてるんだろう」
「流石に限界だったからテイクアウトでスイーツ買ってきた!おいしそうですねおいしいですよ!」
でも、それに比例するように、フォロワからのリプライやマシュマロが増えてきた。
SNSにずっといるんだから、リアクションを貰えることが増えるのは当然だけど、そんな反応を全部返さなきゃと思うと億劫になってきた。
承認欲求がないわけではないので、呟きや妄想・イラストや漫画がふぁぼりつされるのは嬉しい。
でも、こちらのツイート全部にリプライが来たり、全部にふぁぼしてきたり、適当な呟きを本気にして編集部宛にプレゼントが届く。
最初にリンクを貼った「承認されすぎてツイッターのアカウントを消した」の記事をRTして
「確かに困るんだろうな。でも疲弊するほど承認されることに疲れるなんて、やはり神様はすごいね」
みたいなことを呟いたら、
「本当にごめんなさい、そんなつもりなかったんです。遠まわしに私に対する注意をしてくれたんですよねしばらく消えます(要約)」
みたいなDMやマシュマロが何個か来て、フォロワ数もちょっと減ってた。
前は全部に返事してたんだけど、数も増えてきたし、返したらその倍くらいの返事が来てさらに返さなきゃならなくて、
好意を向けられることは嫌でもないし感謝もしてるけど、時間的にも大変だから、このあいだとうとう「もう全部返事しないことにします」って呟いた。
全部返事しないから、そのかわり好きにDMやリプやマシュマロ送ってくれていいですよって。
好意故に反応してくれてるわけで、それを否定したいわけじゃなかったから。
そういうところに問題があるんだと指摘された。
自認
「今日は〇〇食べたんだ~!」
「今度の新刊、〇〇で〇〇な本出そうかな…悩むな~」
「待って…〇〇尊い……嘘でしょ…ねえ…こんな尊いことある…?」
こういう発言全部別に呟かないで一人で考えてりゃいいのに、呟くからフォロワが反応するんじゃんと。
明らかに反応されたがってるんだろうなっていうツイートされたら、フォロワは私の喜ぶようなリプライを
送ろうと思うに決まってるじゃんって。
自分から誘うようなことをしておいて、いざ相手からリアクションが来ると「困る~><」ってやってるの、自覚なかったの?って。
自覚があると思ってたって。
構ってちゃんのくせに、いざ相手にしてもらえたら冷たくする。そういうことをしているんだよ、と。
びっくりした。
言われてみたらほんとにその通りのことをしていた。
実はアンチスレも作られていて、
どうも人をいらいらさせる才能があるのはわかっていた。
しかし、叩かれるのは、ツイートから流れる自分の性格の根本的な悪さや、アンチとの価値観の相性の問題だと思っていた。
違ったんだよ。
結構な人が嫌いな「相手にちやほやされるの待ち」の人間そのものだったんだ、私。
なんでこんなことにと思って、改善策というか、原因を考えてみた。
とか
「本当に下手だ…なんで上手くなれないんだ…」とかよく呟いていた。
そういう卑屈さゆえにアンチもついたんだろうと思っていたが、どうも話はもう少しややこしいようだった。
これを書くとまたすごい嫌味な人にしかならないんだけど、
どうも自分が思っているより、自分が描いたものは一定の基準を超える評価が貰えるようなのだ。
それをアホみたいに卑下して自分はダメ人間なんですって言ってるのが嫌味で愛されたがりそのものだったらしい。
本人は本気で自分の至らなさに落ち込んでいるつもりだったのだが、人にはそう見えない。
卑屈になるならひたすら卑屈にしていればいずれアンチに総攻撃して貰えて精神をやられたものの、
残念なことに、自分には他者から承認されまくったり、アンチに精神攻撃や嫌がらせを受けたこと
により疲弊して潰されてしまうような”正常な感覚”がなかった。
「まあアンチって自己主張の強い癖のある奴には絶対ついてしまうから」
「もっとのびのび絵を描いていたい。なんで我慢しなきゃいけないの。」
「自分のこと嫌いな人に配慮して活動するより、嫌われる覚悟を持ったうえで好きにしたい」
「がんばって描いた!下手だ!!つらい!!本当に下手だ!!でも、見てくれる人がいるほうがもっと上手くなれるからふぁぼりつ嬉しい!!こんなへたくそに!!」
こういうことも、考えるまではまだいいかもしれないけど、全部呟いていた。
こんなの、自分の描いたものを好きなフォロワ達がみたら、擁護してくれるのは当然である。
よしよしぎゅうぎゅうされるの待ちでしかない呟きだ。
「この呟きは自分への戒めのために、感情を整理したくて吐露しています。ほおっておいてくれるのが一番助かります。」
いや、だったら黙ってろよ。
猛省
しかし、考えたことをSNSに吐きだした瞬間、私は私が作家であり同人絵師であるがゆえに、絶対にフォロワに肯定されてしまってきたのだ。
私の痛さに耐えられない人間は去っていくから、フォロワは肯定してくれる人しか残っていない。
それでいてこの間まではそんなこと気付いてなかったから、
となるべく返事をして感謝を述べていた。
「肯定してあげなきゃ」
となり、
狭いコミュニティでの気持ち悪いよしよしぎゅうぎゅうちやほや地獄絵図が完成したのである。
あるラインを越えた評価を貰える人間は、卑屈にも自信家にもならない丁度いいバランスでSNS運用をしたほうがいいらしい。
当たり障りのない、日常のこともあまり呟かず、萌えまくってやばいときも、呟くより粛々と絵やマンガにぶつけるべきなのだ。
貰ったリプライやメッセージ、マシュマロにも過度に感情移入しすぎず、感謝してる事実だけをシンプルにたまに伝えるようにする。
そして、今回指摘してくれた友人のように、正直に言ってくれたほうが有難いことははっきりと言ってくれて、
後に尾を引かない関係でいられるような少数の友人とのみ親しくしていた方が、自分自身の行動への違和感や認知のゆがみを阻止できる。
せめてもう少し一本筋の通った腐女子でいたいなと思った。
変わりたいのだ。
今持ってるアカウントは気持ち悪さの塊に見えて仕方ないので、少しずつ低浮上になっていってふわっと消そうと思う。
匿名で正体を一切隠した腐女子アカウントを作ろうと思ったが、絵を見た瞬間わかる人には正体がばれてしまうので、
本気で身を隠したいなら絵は上げるなと忠告してもらった。
「ばれないよ!そんな才能も個性もないし!また新しいアカウント作って、呟き方や内容は改めるし、自己卑下は日記帳に書く!」
と言ったが、
「この一連のやりとりをした今、あなたと似たキャリアの人間以外が、その発言をきいたらどう感じると思う?」
と返されてぐうの音も出なかった。本当に良く今まで付き合ってきてくれたなと友人に感謝した。
もう手遅れだろうけど、また嫌われることを言う。
最大手でも、明らかに神枠認定できる程のフォロワがいるわけでもなくても、
描いて、だれかに見てもらいたい限り、私は「神」にならなくてはいけない。
どうしてそこまで描いたものを見てもらおうとするのか、自分のエゴの強さに少し呆れたが、
そのことについては
「描いたものを見てもらいたいという欲求は、描き手にとって自然なものだよ。」
と友人は言ってくれた。
過剰な自己卑下の中、描き続けてきたのは見てくれる人が当たり前にいてくれたからだ。
自己嫌悪でいっぱいになって描くのをやめようか悩んだことも沢山ある。
でも、見てくれる人がいたおかげで、あと少しもう少し上手くなりたいと思い続けてこれた。
どれだけ恵まれているかを自覚して、次のアカウントからはせいぜい神っぽい存在になることにする。
巷では人格否定にあたり、建設的ではない等の理由で批判の対象になっているが、個人的な感覚ではギリギリセーフに感じる。
というのも、
表現として100点ではないが -100点というわけでもなく、アウトギリギリの 30 点のような感じ。
もちろんこの基準は人それぞれなので、アウトに思う人がいるのは理解できるが。
古には、荒らしに反応する人も荒らしという半ば暗黙的なルールがあったように思うが、
見え透いた炎上芸に過度に反応してしまう側、加えて現状の SNS の構造にも大分問題があるような気がしてならない。
基本的にやめるべき、というのは同意するものだが、今回のプロジェクトに関して言えばそこは議論にあげるべきではない気がする。
SNS 等全体の仕組みとしての改善が必要であって、思想の啓蒙などしても、攻撃する人は攻撃するものなので。
(それこそ前頭葉に障害を負った人が他人の人格を否定するような発言をしていた場合はどうするのか?
自分が発端のツイートを受け取ったとして、バグが有るのは事実であるし、その人の視点でド素人な質の実装であったと単に受け止めるのだが、
そうではなく受け取ってしまう人は、何かを作って公開することへの適性は低いのではないかと思う。
HRT のような思想はどんな状況でも適用すべき普遍的なものではないと思っていて、
ある一般企業のプロジェクトに集まったいわゆる普通の人同士での生産性を高くする効果がある、
というようなことは確かに同意できるが、一国、一億人の生死が左右されるようなプロジェクトではそんなことよりも優先すべき事項が多々あるはずだと思う。
このプロジェクトに関しても、仮に、批判への耐性が高いような一部の人が実行していく、でよいはず。
それだと誰もやらなくなる、という論に対しては、相応に報酬等があがる (はず) のでトレードオフは満たされる気がしている。
開発者をリスペクト/擁護するような意見が多いが、ここにはとても違和感があった。
日本国民数千万人に利用してもらう / 普及させることが目的となる中で、極めて稚拙なプロジェクト進行だと大いに批判されて然るべきだと思う。
ソフトウェア開発者としての正直な感想としては Xamarin を選ぶことは大いに疑問で、
Apple / Google のフレームワークは仕方ないとしても、それ以上に Microsoft に不必要にロックインされることはするべきではないと感じる。
また、 OSS として公開するのであればなおさら、普及率の高い技術や開発方法を選択するべき。
(現に、貢献への障壁になっているという意見が様々あるように見える
今回の場合は素の iOS / Android フレームワークのみを利用するのが、客観的に最適だと多くの開発者は思うはず。
国からの依頼以前から作られていたとはいえ、依頼があった時点での変更や辞退をするべきで、開発者ツイートではボランティアであることを強調されていたが、
実際には、プロジェクトの目的を度外視した、個人的な社内外の立場向上、または Microsoft 社の便益を目的とした技術選定と言わざるを得ない。
開発者ツイートでは、個人かつ厳しいスケジュールを言い訳にしていたが、リリースの質を落とす言い訳にはならないように思う。
特に目的が目的なので、正気の開発者であれば、そのように見通しもなくすすめるようなことはしないように思う。
(もちろんそれでも火中の栗を拾っていく行動/勇気は評価されるべきではあるが
等に関して開発者も積極的に意見/調整をすべきで、これを国や事業会社の責任と単にしてしまうと、
結局現場猫たちによるザルチェックを通した質の低いアプリケーションが生まれることになり、事実そうなっているのが現状だと思う。
個人的な業務経験からは、関係者は等しく責任を負うモデルのほうがしっくりきている。
その点で、個人での開発は最も悪手で、先に責任分散や ( SPOF の解消にもつながる ) ダブルチェックの仕組みを作るべき。
以上の意味で開発者側の対応に関しても足りない部分が多々あり、その点はきちんと改善がなされるべきなのだと思う。
正直に低いと感じる。
Xamarin によりクロスプラットフォームでの実装を原因とする、プラットフォーム依存の問題に対処できていないそもそもの問題がありつつ、
自分の感覚的には、普通のモバイルアプリケーション開発のレベルには達していないように見える。
また、 UI / UX 周りのデザインに関しても単に稚拙と言える部分が多く、その道の人々からの批判/改善案がもっとあって良いと思う。
前回までのあらすじ:
偶然にも去年「使用済みのバスタオルが臭い」と同居の母に言われた増田は、希釈した塩素系消毒液にその都度タオルを浸すことで夏を乗り切ったが、今年もまた同じクレームが来たのだった
主要人物紹介:
・増田
両親と3人暮らしのパラサイトシングル(就活&資格取得の勉強中だけど進んでない)
母が言う、自分が使用したバスタオルのニオイがわからない(嗅いでも何も感じない)
服とかについた、自分の汗のニオイはわかるので、ぶっちゃけ濡れ衣or母の感覚過敏を疑っている
・増田母
60代・体臭なし
増田の使用済みバスタオルが臭いと主張するが、服は臭くないと言う
・増田父
ニオイに鈍感なので今回の記事にはあまり関係ないが、仕事でメンタルやられて退職を決意した増田に「お前の就活は絶対にうまくいかないし、お前はこの先堕落していくだけに決まっている」と言った前科あり
1.ねっとりと春が来た
時期は4月後半頃だったと思う。増田母が「またタオルが臭くなってきたよ」と言ってきた。ついでに
「こんなこと、他人はわざわざ忠告してくれない。親しか言わないから、あんたのために言ってるのよ」
というダメ押しまで、去年と一言一句同じである。だが去年もそうであったように、増田には母の主張するそのニオイとやらがわからぬ。しかし、己の自己肯定感を下げる言葉に対しては、人一倍敏感であった。まして、ニオイとなれば今後の就活にも影響しうる要素である。これからの季節、発汗必至のスーツ姿で満員電車に揺られ、会場に入る前に毎回腋のニオイを確認するような就活は嫌すぎるし、何よりお祈りメールが届く度に「やっぱり汗臭かったのが悪いのかな」と自分を責めるような就活は嫌すぎる。タオルは家の外に出ないからいいとして、現在使用しているデオドラントその他を使ってもなお、人を不快にするような体臭があるのなら、手を打たなければならない。
増田は新しいデオドラントと石鹸を求めて、密林の奥地へと旅立った。
幸い、密林で入手したアイテムは体質に合っていたらしく、増田母からは「もう臭くない」というお墨付きを得ることができた。だが、おわかりいただけるだろうか……「(増田が使った)タオルが臭い」というのは、あくまで増田母の一方的な主張なのである。増田自身にも、同居の増田父にも感じられない、たった1人だけの主張。しかし、そこのお前! 3人家族中1人の意見に含まれる発言力は、家の空気の約3割だぜ! まして、体臭のない『女親』からそうでない『娘』に対して放たれるその主張は、さながら「お前は女じゃない、私の娘じゃない」と言われているに等しく感じられた。まして増田はメンタルやられてからの失職中であり、家の中でも外でも、何の生産性もない存在である。もうやめて! 増田の自己肯定感はとっくにゼロよ!
とはいえ、これは去年の夏にも通過した道。増田はできるだけ冷静に「臭いと言われると、正論であったとしても傷つく」旨を、増田母に伝えた。しかし、あくまで「あんたのためを思って言っている」というスタンスを崩さない増田母。
「においの問題なんて、親が言わなかったら、誰も言わないのよ? 誰にも指摘されないまま、嫌われてもいいの?」
それ去年も聞いたよママン。
それではと、切り口を変える増田。
「じゃあ、もし今のデオドラントと石鹸が効かないくらい臭くなったら、ワキガの手術受けるわ」
これなら賛成する……かと思いきや、何故か渋い顔をする増田母。
「でも、実際臭いんでしょ? なら、仕方ないじゃない。周りにも迷惑かけるし」
すると、ここで何故か突然キレる増田母。
「じゃあ、言わなければよかったの!? あんたのためを思って言ったのに!」
正直、首がもげるほど頷きたかった。あなたさえ余計なことを言わなければ、私は自己肯定感をマイナスに突っ込ませず、せめてゼロのままでいられたんだよ、お母さん。
しかし、それができないのがパラサイトシングルの悲しさ。あと、増田母は追い詰められるとガチ泣きするので、正直めんどくさい。
「じゃあ、せめて柔軟剤を抗菌防臭のものに換えてほしい。お金も出すから」
「柔軟剤なんて、どれ選んでも同じよ! それに、今の買い置きがまだ残ってるのに!」
「わかった、じゃあ次に買う柔軟剤からでいいよ。実際に効き目があるかどうかはともかく、ニオイが出ないようにベストを尽くしたいから。お願い」
「だから、今は臭くないって言ってるでしょ!」
というわけで結局、増田母の怒りは収まらず、会話は何だかうやむやに終わってしまった。
正直、増田母が言う「タオルの悪臭」が本当にあるかどうか、増田には全くわからない。増田母は「自分のニオイはわからないからだよ」と言うが、着てた服を脱いだ時の汗臭さはちゃんと自力で感知できるのに、タオルのニオイだけわからないということは正直ありえないと思う。何ならストレスか認知症か娘憎さか、とにかく増田母の側に何らかの精神的な原因があっての言いがかり、もしくは幻覚(幻臭?)を疑うレベルである。しかし増田が今、この自己肯定感マイナスの状態で家を飛び出しても、セルフネグレクトを経て最終的に床のシミになる未来が見える。つまり「増田母の主張するニオイが、実際にあるかどうか」という客観的な事実は脇に置いて、とにかく「増田の使用済みタオルには不快なニオイがある」という前提で、母のお気持ちに寄り添わなければ生きていけないのが現状だ。自分で書いていても情けないが、これは動かしがたい事実である。
しかしタイトルの通り増田には、その母のお気持ちが理解できない。「増田のタオルに、不快なニオイがある」ことを「あくまで親として、娘のためを思って」指摘する一方で、それに対して増田が傷ついたことを表すと怒り出す。柔軟剤の交換や手術という改善案を出しても、これまた怒り出す。正直、怒られる側としては、メンタルが弱っていることも重なって「ニオイを抱いて溺死しろ」……もとい、「改善しなくていいから、黙って私に殴られろ」と言われているようにしか聞こえないのである(注:『殴られろ』はあくまで比喩です。増田母は言葉の選び方が時々えげつないだけで、身体的虐待を行う親ではありません)。
これから梅雨に入り、夏が来て、汗臭さはいっそう避けがたい問題になるだろう。化繊のブラウスにジャケット、ストッキング、あらゆるものがニオイを発するようになったら、実家から増田の居場所はなくなるのだろうか。ボランティア仲間に、よそゆきの声でLINEの使い方を手取り足取り教えている増田母の声を聞いていると、その情の一欠片だけでも、どうして実の娘に与えてくれないのかと虚しくなる。
夏が、怖い。
憲法審査会が今月28日に開催される見通しとなりました。国民民主党は国民投票法改正案の独自案を出している唯一の政党です。私自ら参加し、自由討議の場で現行法の問題点を指摘しつつ具体的な改善案を提示していきます。国民民主党案のポイントを2分動画で解説しました。ご覧ください。 pic.twitter.com/qZIYyfMvSD— 玉木雄一郎(国民民主党代表) (@tamakiyuichiro) 2020年5月20日
今もコロナ禍に対する対策に対して手を抜いていたツケが出てきだして、それこそ不渡り倍増だのレナウンとかの倒産だのとして影響が出始めているにも関わらず、感染傾向が減り始めた途端に様々な問題点が指摘されている検察法改正だの種苗法だの著作権法改正だののコロナ禍対策に不必要な法案審議を火事場泥棒的に始めようとしたり、あろう事かコロナ禍対策にこじつけて9月入学だの改憲だのの材料にし出したのだから呆れ果てるよね。
普通に今はGWで皆空気読んだから、感染者そのものは減少傾向だけど、いつ再流行しだすか判らないし、経済面でも疲弊しきっているのにそれを無視して、ただでさえまともな対策をしてこなかったから、より一部の事態の悪化を招いて、このコロナ禍で問題が山積しだしているのにね。
なのに平時と同じ様な感覚で規制法案とか我欲丸出しで推し進めているのだから呆れる。
それに政府はコロナ禍対策をしたと言ってもお金も何故かケチ渋り、お金を出すにしてもものすごくケチ臭い事しかしていないしね。
一律給付にしても公明党の一括が無ければ決まらなかった上、その際決断力の無さを露呈したり、学生支援にしても10万円(一部20万円)給付と言うはっきり言って大学の授業料じゃ全然足りない程度の給付金しか出さなかったりしているしね。
どうせあの人達は予定で決まっていた事とか言うのだろうけど、臨機応変の利かなさやこの融通の利かなさは緊急時やそれこそ有事に致命的な事態を招きかねないし、今この落ち着いた時期にこそ、コロナ禍に対しての対策に手を付けていない事は後々不味い方向で返ってくることになるよ。
ただでさえ、学生が退学せざる得ない方向に行っていたり、経営面でも補償がないから、企業の運営が危うくなっていたり、経済的にも不味い方向に向かっているしなぁ…。
いや、考えが浅くないか?
悪天候で買い出しに行くのが辛い人のために、悪天候時もデリバリーを承ってるわけだろ。店舗が断らないってことはさ。
仮に悪天候の中配達するのが嫌だと君が仕事を休んでも、君じゃない誰かが配達することになるわけだ。
とはいえ客としては配達員の内心までは分からないからあえて考えるのはやめよう、となる。
行動を見よう。そして、君は仕事を引き受けた。休まなかった。誰かじゃなく自分が率先して悪天候の中を走ってきた。
それを見る限り、君は敬意を払うべき人間と感じた。だから感謝の言葉を添えた。そういうことだろう。
チップを出してほしい、と現場の君が思ったのなら、それは客ではなく本部へ伝達すべき改善案だ。
まあ、個人的には通るとは思わないが。
そういう労働環境を受け容れられないのならば、辞めるしかないわけで、辞めていない限りは君は「エライ」のだ。
ともかく、「悪天候時に遠慮するべきか」「チップを渡すべきか」なんてことを客の裁量的判断に委ねなきゃいけないシステムはスマートじゃない。
そのシステムを作るのは、配達員も含めた事業者側の人々であるべき。客に求めたらプロのサービス業者失格とも言える。
そして現にそうなっていると客側も信じているから、余計な裁量的振る舞い、勘ぐり、お節介的な行動は慎んでいる。
注意書きされていたり直接お断りされたりしない限りのことであれば、遠慮なく利用するのが一種のマナーのような感覚だ。
慎みながらも、謝意に堪えなかったので、ささやかながらも「謝辞を述べる」という差し障りのない裁量的振る舞いをした。
そこまでに留めてくださった。現に金品を渡されてもお困りになるだろう。
そう受け止めるのが自然だろう。
かつては嫌いだった、というべきかも知れない口語。
~じゃね。
~(だ)(なる)からな。
~だろ。
おまえは~。
等2ch・5ch由来の、一様に皆同じでイキった喋り方をする口語。
なぜ皆一様に同じ喋り方なのか当時は疑問だった。
というより、今でも多少疑問はある。
悪口を言われた際彼らは一意の人格性を自らに認めている。すなわち反論する。
みな名無しであると自覚するならば、単なる群れの一種である彼らに個別性など存在しないはずだ。
ところが彼らは同じように他人に合わせながら自分は個別であるというおかしなコンプレックスに陥ってる。
(スタンドアローン・コンプレックスといえばまるで攻殻機動隊だ)
コテハンなど個性があればそれを否定しにかかるが、レス番付きの「我」のことになるとコテハンのごとく振る舞う。
このダブルバインドの矛盾は柔軟性として機能していない。したがってあの場所ではよく闘争が起こる。
一つはまるでAIのような群体としての5ch、もう一つは匿名なだけで個別性しかない5ch。
個別性しかない連中が「荒らさない」という共同作業するには「押さえ込み」しかない。
いまならTwitterのプロフがそれに近い。話しによれば、どうやらプロフでは以下の者達がNGらしい。
曰く、
見ての通り3,4番目は相反する。1,2に至っては思い込みでしかない。
あるいは傾向がある、程度の話だ。ここでも個性に対する検閲が入る。
しかし一方でTwitterはそれぞれが個性を発露してユーザーを獲得するという大矛盾した構造がある。
その割に上記「押さえ込み」により発生した「空気」により同調圧力を強いられる。
ここに至りSNSで疲れは発生する。言い合うときは「空気」が恐ろしいので集団で襲いかかる。
いわゆる炎上である。抑圧が「空気」を発生させ、その空気が炎上の火種になるとは、まさに化学反応的ではないか。
空気は抑圧の結果生まれるので、水面下では皆本当の自分を容認されたいという承認欲求を抱えることになる。
日本人はディスカッション文化ではない、ディスカッションが苦手であり訓練されていないという。
もちろん嫌味や嫌がらせも多くあるためこの可能性は除外できない。
しかしながら、反論は直ちに人格攻撃ではなく、意見の穴に対する指摘であったり、改善案であったりする。
ディスカッションが苦手となると、結果的にお互いを傷つけない「大人の対応」という欺瞞を皆実践することになる。
んー、韓国の検査数の件は結果として重症度や感染者数のバランスがあっただけだろうなあ。
感染者のうちの重症患者の割合が分岐点に来るまでは医療崩壊の可能性はあったのが現実。
結果として軽症の割合が多いため検査数で押さえ込みが効果を発揮した。
しかし、それでもクラスターをなくすことはできないから重症度の高い患者数を同時発生させないように検査をし続けることが必要ってことか。
しかし、圧倒的な軽症者数の健康管理もそれなりの負荷があるはずなんだが、その辺のトータル運用を見て、全体設計しないと破綻するだろうな。
上なんちゃらは検査能力を増やして全体運用をこうしたら動かせるという運用を提示できてないから空想語ってる感が拭えないんだよなあ。
市役所などの清掃や警備業務は基本的に委託会社が請負、入札で契約が決まる事を知っている人は、あまり多くないかもしれない。
基本的な流れとしては古参であろうが新規であろうが、契約金を低く低くして落札出来れば契約できる。
もちろん契約金を安くしてしまうという事は実入りも減るし、従業員の賃金も低下する。それと掃除道具などの雑費は会社では出さない。
掃除機程度は出してくれるが、身に付けるようなものは自腹が原則になっている。
古参はある程度価格を予想できるので「こんなものでいけるか?」と決め打ちをして入札してくるが、新規は予想が出来ないのでとりあえず契約を取りたいと無謀にも最低額ギリギリを攻めてくる。
この最低額は本当に最低額で、正直な話これで落札すると従業員はまともに雇えない。数を雇った場合時間制限によって賃金の操作を行う。
例えば1人で6時間働かせるよりも2人で半分の3時間ずつで別々の場所で業務させたほうが捗るという考えだ。
しかし、施設は広い。3時間で清掃は終わらない。2人とも別々の場所で6時間清掃させて、やっと7割終わるくらいだ。
そんな汚れないだろうと思う人もいるが、そうでもない。一般人よりも中の職員の方が汚す。ゴミはゴミ箱へ入れない。溢れたらこぼしてでも詰め込もうとする。
ペットボトルも溢れたら通路に転がしておくようなことも平気で行う。それが毎日だ。
これを短時間ですべての場所から回収して、通路のモップ掃除などを行う。階段・エレベーター・出入り口の掃除などだ。終わらない。終わるわけがない。
なので、話は戻すが契約金を最低額で落札してしまうような業者は、赤字でやりきるか、赤字じゃやりきれないと途中で契約を打ち切られるケースに分かれる。
昨今ではとりあえず落札するという、短絡的な業者が増えた。これが警備会社でも発生する。
警備の場合はほとんどが当直勤務だ。1日中を施設内で過ごす。ときには駐車場などの巡回を行い、施設内を巡回などを行うがこれもまた肉体労働だ。
施設内は楽かというと外よりは楽だ。寒暖がほとんどない。施設内を巡回すれば身体は暖かくなるし終われば警備室に戻れる。
そういう意味では外より楽だが、賃金がシビアだ。まともに契約金が獲得できれば普通の生活は確定できる。
しかし、新規の警備会社は…やっぱり最低額を割ろうというラインで落札する。そうすると周りの警備会社がため息をつく。
「何ヶ月もつか」と。
警備会社ならまだ制服なども用意しやすいからいいのだが、酷いときには警備業務初心者の会社もある。資格だけ取っているというペーパーみたいなもの。
そういう会社が落札なんかした時には、制服などの支給ですら雑になる。酷い会社だと安売りのスーツにワッペン点けたような所もある。
そういうのが新規には多い。また契約金がそもそも赤字なので数ヶ月もたない。最悪な時には給与の支払いですら1ヶ月~の遅延が発生する。
当然アウトなので、赤字以前にもっと大変な所からクレームが来るので会社が消滅する時もある。
そんな委託業務で、今回も変更があった…。結果として、最低額を割るギリギリだった。もう先が読めている。
今まではそれなりの契約金の業者ばっかりだったので質はそこそこだったが、今回は質がどこもかしこも不味い。
入札というシステムをもう止めてほしいと何度も訴えかけているのに、安くあげるには必要という上の話。
それでクレームが来てしまうと委託業者のせいになる。確かに質の悪さは委託業者のせいだが、根本は違う。
入札というもので【最低額を決めるというシステム】だから悪い。いい加減これに気づいてほしい。
自分たちで質を悪くしているのに、委託業者へあれこれいうのは間違いだ。
業者も赤字にならないようにして、従業員も普通の生活が出来る賃金を支払えるような契約金にしているというのなら、業者へ文句を言うのは間違いじゃない。
今の入札システムで設定された契約金は『最低人数を最低時間で奴隷のようにこき使えるような金額』であって、従業員が潤わない。人員は絶対に揃わない。
週休という一般的な決まりを使わせることなく、最低人数で休まず回せと暗に言っている。これが市の入札システムだ。
弊社の休日形態が4月から変わるらしいとうっかり聞いてしまったので、午後の業務予定を「社内規定についての勉強」と大幅に変更しいろいろ調べている。
地方中小、社員250人程度。30代が少なく、頭の固いお年頃が多め。建設系でほとんどが男性。
現場は有休を使う余裕がない&実質の残業時間80時間以上もざら。ただ改善案の提出が面倒なのでサビ残祭り。
ちなみに自分は本社から離れた支店勤務で社内の動きがわからない。事務職で有休が使えている。
労働組合なし。
祝日を出勤日に変え、休みたければそこに有休を使わせるようにする。
もしかしたら強制的に有休を当てる「計画的付与」が適応される可能性もありそう。
ちなみに今は月1~2回土曜日が出勤日だが、代わりにそこを休日に変更するっぽい。
・就業規則の改正の際は「改正委員会(社代表・従業員代表の若干名にて編成)」が協議する
自分は「今まで通り土曜日は出勤でもいいので祝日は休ませろ」「祝日を営業日にするなら有休自由に使わせろ」という立場だ。育児や介護もあるので計画的付与で自由度がさがることは個人的に非常に困る。現場が大手を振って賛成するというならやむなしとも思えるけれど、これまでの流れから考えてサビ残が増えるだけな気がする。
どのみち会社は就業規則を改正する必要があるようだということはわかったのだが、なんだ「若干名にて編成」て。しかも編成メンバーは非公表。これはもうわからない、頭が痛いと思った次第です。
1.就業規則の編成メンバーについての開示の有無が、労基的にどうかというのがよくわからない
2.社員側の呼びかけで規則変更をするのなら「従業員の過半数が改正の必要を認める」必要があるらしいが、労働組合や準じる組織がない中で現実的に可能なのか不明。
一ヶ月半くらい土日も休まず働いていたのだけど、今朝になって何もかも億劫になってしまった。会社に「風邪引いたんで休みます」と伝えて一日寝て過ごした。
心の風邪を引いた理由は明白だ。自分は何かインパクトの大きい物事をしようとする時に尻込みしてしまう。この一ヶ月半、自分がプロジェクトリーダーとして抱えていたいくつかの案件があって、そのコントロールに勤しんでいたわけだけど、あらかたのリサーチが済んで次は実装だという段階になって、すごく怖くなっている。大きい物事を成し遂げようとするときに、そのことに対する批判はつきものだ。それを受け止め切れる自信がない。今以上に心を痛めてしまう気がする。そんなところだ。
思えば自分の人生、高校生くらいの頃からそれを繰り返している。「ここはこうした方が良いんじゃないか」と思いはするものの、その改善案が実現しそうになると、ただただ怖くて逃げ出してしまう。側から見たらそれも相当の迷惑だろうと思いつつ、どうすることもできない。
今、1964年の東京オリンピック特番を見ている。開会式、選手達の行進に使われた紅いブレザーやファンファーレ。その作者達のエピソードがならぶ。さまざまな艱難辛苦の果てにいまの名誉があるのだろう。自分と彼らの間にどんな違いがあるのだろう?
勤めてる会社ははっきり言ってまったり高給、平均年収も四桁近い。
転職者も少なく、新卒で入社してそのまんま定年まで勤め上げる人が大半。
個人的には会社の事業は面白いと思うし、やめる気もそれほどない。
ただ、そういう会社だから、みんなとことんやる気がない、意思決定できない、ちょっとでもリスクがあると絶対やらない、改善案を提言しても検討中のまんま、そしていつの間にか消えて、PDCAなんてまわりもしない。
自分もこうなっていくのか、と考えるとゾットするし、
そうならないように常に「改善」の心を気にかけているが、組織は変化に対する嫌悪感がすごい。
はっきり言って組織として改善したい気持ちで今日も提言したが、
「うーん検討してみる…」という答え。
いつも的を得ないから同期とかを巻き込んで別の上司に提言したり(自分の言い方が悪いと思い、あくまでメインの同期に賛同する形をとった)、
年上の管理職未満にも言ったりしてみた。
だめだった。
先日、初めて海外主張に行き、同業外国他社を見て、意見交換を行った。
もちろん、自社が優れていると思ったところや、得た知見など、全体としてはバランスよく書いた。
しかしながら、上司にハレーションを生むから…と、部署レベルで改善できる話を全社的にこういうこと考えたらいいねくらいに留められてしまった。
どうせ担当役員の目に留まり、それが全社問題として取り扱われる可能性はほぼない。
ならば、自部署でこうすれば、このような結果が出て、このように改善する、という具体案のほうが役員の目に留まり、そのまま実行に移してくれるはずなのに。
幸い、自部署の役員とは距離が近く、自分はまだ若手にも関わらず、よく飲みに行ったり、いろいろ意見を言わせてもらっている。
言った意見は同調してくれることも多いし、実際に自分の意見で役員の号令で動くこともあった(裏を返せば役員が号令をかけなければ変わらない組織)。
会社のトップ層はデジタルトランスフォーメーションやら、フィンテックやらいろいろ勉強会をしているのは知っている。
だが、その知識を活かそうとしたり、その知識を活かす組織づくりをしない役員が大半。
まだそういう意味では自部署は恵まれているのかもしれないが、、、
本当にどこもこんな組織なのか?
いっそのことベンチャーの言うスピード感のある組織を体験してみたい。
ぐちばっかりで申し訳ない。
政治の世界ではいつまで枝葉末節な言の葉にばかり焦点が当たるのだろうか。
萩生田大臣の「身の丈発言」、最悪なのは間違いないのだが、皮肉を言えば実態をよく形容した言葉だと思う。
その背後にある制度に問題があるから、それを無理に擁護しようとした言葉に問題が生じたという話。
…のはずなんだが、自民党は「言葉足らずで…」などと言い、当の本人は「発言を撤回します」。
違う。撤回するのは発言じゃない。撤回するならその背後にあるものだ。撤回しないなら改善案を出せ。
野党も野党で「大臣にあるまじき発言だ」などと発言そのものや発言者にばかり焦点。
違う。そんな政治プロレスは良いから、そんな暇があるのなら、その背後にある制度の不備を徹底的に追求してくれ。
この問題に限った話じゃないが、時間が惜しい。特に受験生には時間が無い。
河野大臣の雨男発言もそうだが、毎度こんなしょーもない言の葉にばかり焦点を当ててるから、
そんな政治家の背中を見て、失言をしないことばかりに特化した小泉大臣みたいな誰得モンスターが出来上がってしまったんじゃないの?
もっとも、失言でしか議員を評価できないメディアや国民も問題よね。
肝心の中身はろくに議論もされず、枝葉末節の言葉尻ばかりを捕らえた質疑応答が繰り広げられる学会とか、そら地獄にしかならんわ。