はてなキーワード: J-POPとは
先日親類の墓参りに行った。
新しめの霊園で、その親類の墓は
自分にとっては一般的な「○○家代々の墓」ってタイプのだったんだけど
「絆」とか「感謝」とか書いてあるのをちらほら見かけて面食らう
誰がこんな墓にするんだろう。洋式墓ってなんかモダンでいい感じ
それにしたって「絆」とか「感謝」って、J-POPじゃないんだし
今どきは墓までキラキラかよと、正直心のなかで思った。
今まで「死」という現象を全く意識してなかったんじゃないのかなあと。
で、突然我が子の死に対峙して色々悩んで泣いて悔いて責めてとか色々あったんだろうと、
でも、主に時間的な、次に予算的な数々の妥協を受け入れていく中で
どこにでもある何者でもない感じで切ない
我が子にオリジナリティのある命名をしたつもりが
常日頃から思っていたけど、墓というのも
とても恐ろしい。
自分の死んだ後ってのも気になるんだけど
それよりもまず、親しい人たちを今後どう見送るべきかってのを
元増田です。
他方で、ジャズがジャズという枠組みで演奏する以上、ジャズという「呪縛」からは逃れられないんですよね。もっとも、これはあらゆるジャンルにも言えることで、例えばJ-POPがJ-POPの枠踏みで演奏される以上、J-POPという「呪縛」からは逃れられない訳で。どれほど新しく見えても、結局のところ中身の文法自体は変化していません。だからこそ現代音楽が生まれた訳ですが、これも結局のところ文脈依存であることは否めないところですし、大衆からも受け入れられません。
そういう意味では、私はジャズに古いも新しいもないと思っています。新しいジャズ、ひいては新しい音楽、なんていうフレーズは非常に胡散臭いものと考えています。
ただ、あえて言うとしたら、チャーリー・パーカー以前と以後は存在しうるのではないかと考えていますし、また、チャーリー・パーカー以上に革新的なことを行った人物はいないとも考えています。
28歳女。飲食店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行の妖怪のせいだろうか。一大事~なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレスを剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火、最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、このままリポビタンDのCMに使えそうな画である。ファイト一発!私はそうやっていつも乳首を励ましていた。
世間では女性の乳首はさくらんぼに例えられることもあるが、私のそれは実ではなくヘタ(茎・軸)のほう、より専門的に言えば果柄である。口の中で結べるとキスが上手いと言われるアレである。仮に私が大塚愛ばりに「私さくらんぼ!」と乳首を出そうものなら、男性にぎゃあと叫ばれた挙句、大塚愛と法廷で戦うことになるだろう。もし徳永英明が私の乳首を見たら『取れかけのChikubi』というバラードを歌い上げるだろう。スピッツなら『乳首がポロリ』、コブクロなら『取れそうで落ちそうな乳首が今年も春を待っている』、一青窈なら『薄紅色の可愛い君のね、乳首がちゃんと終わりますように』、いくつもの乳首J-POPが頭をかけ巡る。もういっそのことすべてを諦めて、ありのままに任せたらいいのではないかと思うこともある。しかしありのままやっていたら私の乳首は十中八九レリゴーしてしまうだろう。もちろんこれはMay J.の責任問題であり、法廷で戦うことになるのは必至だ。もちろん黒幕は松たか子である。
とにかく私の乳首は無事に年を越せるか分からない。仮に年を越せても再来年は分からない。遠からず乳首が離れるときがくる。子が親から巣立っていくように、いずれ別離のときがくる。だけどそのときは涙は見せず、笑って見送りたいと思う。ぽとりと落ちた乳首はきっと大地で芽吹き、いつか綺麗な花を咲かせるだろう。木になる果実はさくらんぼ。そのとき大塚愛とのさくらんぼ裁判が幕を開ける……。
http://anond.hatelabo.jp/20141223161036
どういう理由かというとだね、技巧的なひねった言い回しをしてもだね、
メインのターゲット層である10代20代のにーちゃんねーちゃんには伝わらないのだよ
更に小室哲哉以後、日本における商業音楽では、消費者が聴くだけではなく、歌うということも非常に重要な機能になった
カラオケで自分の気持ちを上手く代弁してくれていると思える歌を歌うことでスッキリしてる若者にとって、
自分で歌ってて意味のよくわからんような、普段使わない言葉使いなんてされててもシラケるだけなんだよ
そして、カラオケで歌われない歌は売れない
彼は音楽が大変に好きで小遣いの殆どをCDに費やしてしまい、昼休みはいつもナイススティックを食べていた。
「お前んち、CD何枚持ってんの?」とか「あー今月CD買いすぎて金ねーわー」とか休み時間の度にアピールする彼を何故か嫌いになれなくて、
たまに席が近くなるとちょっと話す、くらいの関係がだらだらと続いていた。
彼のことを「音楽博士」「家がツタヤ」と呼ぶと今お気に入りのCD(たいていライブ版だ)を3枚貸してくれたので、
部屋で聞くCDにも困らなかった。後で感想を聞かれるのが困ったけど。
3枚のCDの中に日本語じゃないのが混じっているのに気がついた。赤ん坊が海中を悠然と泳ぐジャケット。ニルヴァーナだ。
「もうJ-POPなんてダサくて聞いてらんねー。どいつもこいつもおんなじ歌詞、おんなじコード進行ばっかりだ。これからはコレ(洋楽)だわ」
彼は誇らしげに言った。後日感想を求められたがあまり真面目に聞いてなかったので、「カッコイイんじゃない」としか言えなかった。
彼は喜んだ。
月日が経つにつれ、彼の貸してくれるCDは徐々に、難解で、TVで見かけないものが増えていった。
「今はリンキン・パークが流行ってるみたいだけど、あれがイイなんて言える一般人のセンスが逆にわからんね」
また彼は誇らしげに言った。その時彼が貸してくれたのは、確かビョークだったと思う。「難しくて、正直よくわからんかった」という僕の感想を聞いて、逆に彼は喜んだ。「だよな。お前にはまだはえーわ」
大学に入り少し疎遠になってからも、たまに彼はCDを貸してくれた。決まって3枚ずつだった。
ビョークはレディオ・ヘッドに変わり、そこから「ジャコ・パストリアスの肖像」に変わった。ジャズに踏み込んだ後はジョン・コルトレーンの「ラブ・シュプリーム」に移り、そこから先のことはよく覚えていないが、二人で飲んだ夜に「コルトレーンなんて誰でも聞ける」と繰り返していたのは覚えている。
「なあ、これが今一番アツいやつ」彼は黄色のiPod miniに繋がったイヤホンを差し出した。ノイズだけが流れている。ザザー。ジジジー。
「ちょっとついていけない」「だよな。お前にはまだはえーわ」
彼はイヤホンを耳に戻し、ボリュームを上げた。ここからでもわかるくらいの音漏れ。彼は少し早足で、下宿に帰っていった。
もしかすると彼は、音楽を聴くことで(音楽を聴くポーズをすることで)何かと戦っていたのかもしれない。そう思った。
社会人になり、彼とはもう会わなくなった。
今頃彼は、何を聞いているんだろう。いっそ演歌にハマったりしないだろうか。登録してからひとつも投稿がない彼のFacebookアカウントにメッセージを送る。
「久しぶり。今どんなの聴いてるの」
洋楽厨の選民思想を煽り、J-POPerな僕がより惨めになるかもしれんが書いていく。
頭の良い悪いに関係なく、洋楽を聞いてる人は全体的にセンスが良いと思います。
正しくは「音楽的なセンスが良い」とも言いますが、とにかく小さい頃にピアノを習っていたり、
学生時代にバンドを趣味でやっていましたとかそういった人達です。
僕がそういうのを自覚したのは20代前半で、友人と遊んでいる時に
「何となく話している言葉が的確で面白い」「何気なく選んだ服のセンスが良い」
洋楽を聞いている友人は特にそれらに興味を持つわけでもないのですが、
安くても何となくセンスの良い服を着ていて、話も面白くて、メールする時もスッキリしていて読み易いです。
一方でいくら僕が好きなモノを磨いていても、出来上がった完成品(服、文、話した言葉)を思い出すとどこか違和感があります。
バトオペという操作者の腕が大きく問われるオンラインゲームをしていますが、音楽のセンスが良い人はやはり圧倒的に上手いです。
僕はいまちょっとしたクリエイティブ職に就こうと転職活動中ですが、そういった人達とやっていけるのか、あるいは勝てるのかとても不安です。
音楽的センスを磨くために、キーボード買おうとしているぐらいです。それでもまだ不安なのでレトリック覚えようとしています。
結論ですが、それが良い人は、空気を読むのがうまいのではないでしょうか。
そういった方たちは会話中に音の「澱み」を聞き取り、的確にそれを「浄化」する音を返す事が出来るのではないでしょうか。
意味が分かりませんね。僕も何言ってるか分かりません。
要は人が心地の良い音を聞き取ったり、発したりすることが自然と出来ているという事でありまして、
小さな頃から人の立場に立って考えたりすることが出来ていたのではないでしょうか。
後は服のセンスの話ですが、これは分かりません。「人が気分の良い服を着ることが出来るから?」うーん違う気がします。
誰か答えを知っている人は教えてください。
http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2014/11/26/182651
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20141127/p1
先日語られていた、90年代に起きていたオタへの迫害というネタ、かくいう自分は70年代後半生まれの直撃世代で、実際学生時代からアニメやラノベは切っても切り離せないものだった(「電車男」「ハルヒ」が丁度アラサーくらい)。
正直あの頃はアニメイト等のオタショップに入店するのは一種の背徳感を抱くものだったし、同時に「変な奴」なりに一般人への「擬態」は当たり前、その流れで脱オタサイトにもハマり、大いに参考にした。
今となっては全て懐かしい。
それで疑問なんだけど、当時「非オタ」の一般人として生きていた同年代の人たちは、今現在、余暇をどのように過ごしているのだろう?
我々の年代はオタ迫害の直撃世代であると同時に「J-POP」「トレンディドラマ」「少年ジャンプ」「カラオケ」「ボウリング」「スノボ」「セレクトショップ」「お笑いバラエティ(おかげです、スーパージョッキー、元気が出るテレビ)」等の直撃世代あるいは全盛期にも重なり、当時はみんな多かれ少なかれ、これらのコンテンツのお世話になった(というかある程度こなせないとヤバいという「踏み絵」としての機能もあった)が、今となってはどれもこれも程度の差こそあれ、かなり微妙な傾向にあるし。
「お前の周りのやつに訊けよ」と言われても、彼らとは学生時代から殆ど交流がなかったし、就職氷河期の直撃世代にもなってしまった結果、今接点がある周囲の非オタ同年代は数えるほどしかいない。
なので、ブコメにあった
これ、30代半ばの人にアニメ漫画の話を振ってみると実感できると思う。非オタだった人はたいていオタク文化にすごい嫌悪感持ってるから
というのが本当なのか、非常に気になるのだ。
それこそ当時でいうところのオタ向けアニメ(今の深夜アニメ全般とか)や女児向けアニメ(プリキュアとかアイカツとか)を熱心に視聴する様は、依然「全く理解できない=得体の知れない不気味さを感じる」ものなのだろうか。
まあ深夜アニメと平日夕方・土日朝アニメでは、捉え方は違うのかもしれないけど。
これまたブコメにあった
というのは実際アキバに来る人らの言動や、ネットのオフ会とかでそういうのを割と目撃しているので、多分そうなのだろう。
だからこそ、若い頃そのように友人として付き合ったこともないまま、もしこれからも同世代の中である種の断絶が続くのだとしたらとても残念というか、「そういうのもアリだったのか、だけど俺達にはなかったし多分これからもないよなあ・・・」という古傷に近い疼きを覚えてしまう。
ASKAの詞の特徴の一つは、複雑な比喩を折り重ねていくことにある。そうした複雑な比喩の解読については、「On Your Mark」の楽曲分析で先日書いたところである(http://anond.hatelabo.jp/20140924014048)。
しかしながら、私はCHAGE&ASKAの熱烈なファンであるけれども、「比喩」の観点から歌詞を見ればASKAよりも巧者は他にもいると思っている。例えば、スピッツ。「ロビンソン」の印象派の絵画を思わせる複雑な比喩を見るとASKAに少々分が悪い。では人生の機敏という観点から見ればどうか? 私の考えでは、ASKAは中島みゆきに遠く及ばない。しかしそれゆえにASKAの歌詞は二流であるわけではない。
ASKAの詞はJ-POP史上稀に見る「音楽性」を持っている、というのが私の意見だ。「言葉が音楽性を持っている」とはどういうことか? 分かりやすい例として、まず"YAH YAH YAH"をとりあげて、それを説明したい。
「YAH YAH YAH」のサビは、ご存じのように、ひたすらYAH YAH YAHが繰り返されるだけである。しかし「YAH YAH YAH」という発音には極めて綿密で、天才的な直観があると私は考えている。仮に、YAH YAH YAHの部分を「ウ」でも「エ」でもよいが、別の母音に置き換えたものを想像してみると、「YAH YAH YAH」という曲そのものが成立しなくなることが了解されるだろう。YAH YAH YAHの発音の秘密はそれだけにとどまらない。その前の歌詞に注目する必要がある。
この部分を読むと、「イ」の発音が異様に多いことに気がつく。「イ」は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音が要求している。そして、サビに入る時に「ア」の開放的な音に切り替わる(殴りにいこう「か」)。サビの一個手前に、このような母音のドラマが隠されている。この「イ」と「ア」の動きをYAH YAH YAHというサビで何度も何度も再現するのである。なお、「今から一緒に」の前にある「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」では「イ」で終わっているので、まだ耐え忍ばなければならずYAH YAH YAHと叫ぶことができないように発声的にも規制されていることが分かる。こうして見てみると、一見単純に見えるYAH YAH YAHの歌詞には天才的な音楽的直観が働いていることが分かるだろう。
そうした作詞法はASKAの専売特許ではない。そうした作詞法を意識的に採用しているのは、ASKAも尊敬している井上陽水である。陽水は、「Tokyo」の冒頭部分「銀座へ鳩バスが走る」という歌詞の秘密を次のように語っている。
タモリ で、それを作りたいってことに、なんで銀座が浮かんできたわけ? しょっちゅう行ってるから?
陽水 いや、そういうことじゃなくてホラ…、東京でね、やっぱり一曲ね[作りたいと思ってたから]。で、「銀座へ~」っていうね、あのー、人によってね、いろいろ、発音でね、取り柄がある発音とあんま響かないのがある。「銀座へ~」っていうのが、この口にすごく合ってたの。「銀座へ~」、あ、響くなあ、って。
7:00-7:40頃 https://www.youtube.com/watch?v=szB9lhaX2XY
井上陽水の曲を聞いてみると、たしかに言葉の「音」に対する独特の"美意識"があることが分かる。これはこれで、余人には真似しがたい孤高の美をたたえている。「Tokyo」であれ「Make-up Shadow」であれ、言葉に対するきわめて繊細な美意識を私は感じる。
完全に余談だが、全世界的に流行した「Let It Go」の歌詞にも言葉の音に対するこだわりを強く感じるので紹介しておく。
My power flurries through the air into the ground
My soul is spiraling in frozen fractals all around
And one thought crystallizes like an icy blast
I'm never going back, the past is in the past
この部分は、一番の大サビに向かう、心躍る箇所だ。
歌い始めの「My power flurries through」の部分は、口をすぼめる内気な発音が多い。しかし、「the air」の所でやや反抗的な「エ」の発音がやってきて、「into the ground」で一回大きく開放的になるが、すぐに締められる。「My soul is spiraling in frozen」までは基本的にはやはり内気な発音が多い。「fractals」のところで「the air」とは別のしかたで(歌い方で)反抗的な様子を見せるが、これも「all around」の個所で一回開放的になるが閉じられる。こうした発音のドラマの最後に、「the past is in the past」の個所がやってくる。このようにして、まことに開放的で、ドラマチックな「ア」の発音がここに訪れるのである。
このように、言葉の音に対する意識は世界的に存在する。しかしながら、日本語は、世界の様々な言語と比べても「母音」の割合が非常に多いという特徴をもっている。日本のロックミュージシャンたちはこの母音に苦しめられてきたのだ、と言っても過言ではないだろう。そこで例えばサザンは子音に着目した。サザンは日本語における子音の可能性を大きく拡張したミュージシャンとして評価することができる。しかし、ASKAはあくまで「母音」の可能性にこだわったミュージシャンであると私は考えている。日本語の本来の特徴が「母音」にあるのだとしたら、その「母音」を徹底的に活用したのがASKAである。
こうやって私が言葉の音に対して敏感になったのは、チャゲアスの音楽を聴いてからだ。ASKAは、まず歌唱からして、母音を強調している。これは良くも悪くも「古さ」を感じる歌唱であろう。母音を強調する歌手として、例えば尾崎紀世彦や布施明を挙げることができる。彼らの歌唱には「昔ながらの情念」を感じる人が、とくに若い人になればなるほど多いのではないだろうか。一方、母音を強調しない歌手、小田和正の歌唱にはそうした「古さ」を感じることはないのではないか。母音は、本能的な部分に訴えかける、ほとんど呪術的と言える原始的な力をもっている。しかし、それを真に受け止めるためには現代人はいささかシャイなのだ、というのが私の持論だ。母音とは、一種の「ますらをぶり」である。ASKAは「ますらをぶり」のシンガーである。
私の見立てでは、ASKAが母音から歌詞を構成する方法を意識化したのは、だいたいシングル「WALK」以降である。「WALK」より前の曲には、母音に対する美意識を見出すことが難しかった。逆を言えば、WALK以降には母音に対する鋭敏な感覚をASKAの曲に感じる。国民的シンガーCHAGE&ASKAが出来上がったのは「SAY YES」であるが、「SAY YES」と同レベルの作品を量産できるようになったのはだいたいシングル「WALK」の時期からだ。一つ一つ楽曲分析をして証明をすることもできなくはないが、それをするとなると、ちょっと本格的にやらなくてはいけない。そこで、ASKAの曲の中でも、母音の使用がもっとも素晴らしいと思う楽曲を一つ見てみることにしよう。「はじまりはいつも雨」だ。
「はじまりはいつも雨」はASKAソロの曲だが、チャゲアスVer.も残されている。私の一番好きな音源である(https://www.youtube.com/watch?v=5mzj72QxrYo)。
「はじまりはいつも雨」は、メロディーと歌詞の二つが複雑なハーモニーを形成しており、決して不協和音をつくっていない。母音の使用法も極めて洗練されている。しかしながら、冒頭から母音の分析をはじめても感覚的に分かりづらいと思うので、もっとも分かりやすいところから見てみよう。それはサビの終わる所である。
失くした恋達の 足跡(あと)をつけて(二番)
まず気がつくのは、これら全ての終わりが「エ」で終わっているということである。仮にこれを「エ」以外の音だと考えてみよう。すると、この曲自体がぶち壊しになることが分かると思う。「ア」だと少々なさけない感じがするし、「イ」はやや幻想的になるかもしれないが悲痛な雰囲気も漂いそぐわず、「ウ」はそこで完結してしまい、「オ」では重すぎる。ここは「エ」でなければならない。暗い街中に消えていく複雑な余韻は、ここでは「エ」によってしかつくることができない(なお、似たような曲として井上陽水「帰れない二人」があることを指摘しておく。また、ASKAは「はじまりはいつも雨」を作る時にその曲を意識していると私は考えている)。
さて、この曲における母音でもっとも美しいと思うのはサビに入る前の「誰よりも 誰よりも」という箇所だ。J-POP広しといえども、このような「オ」の大胆な使い方をして、それが成功をおさめている例を私は他に知らない。この箇所は「ア」と「ウ」でも成り立たないことはない。しかし、「ア」だとあまりに開けっぴろげで楽観的すぎるし、「ウ」だと少しストーカーのようないやらしさを感じる。ここはやはり「オ」でなければならず、「オ」という少しくぐもった母音によっていささか内気な青年の、胸の奥底からやってくる高鳴る期待が的確に表現されていると私は考えている。言葉の「意味」ではなく「音」によってこんな複雑な操作をできるシンガーソングライターが今どこにいるだろうか? たいへん残念なことに私はASKA以外に知らない。
他にも「はじまりはいつも雨」には美しい母音が色々ある。例えば「今夜君のこと誘うから 空を見てた」の「と」の遠慮がちな「オ」とその後にメロディーとともに上を見た時にある開放の「ア」であったり(綺麗な夜空を見て嘆息つくような場景が思い浮かびます)。こういうことは言いすぎると野暮になることかもしれない。とりあえずは「はじまりはいつも雨」を聞いていただきたい。それから、「Say Yes」や「no no darlin'」などのチャゲアス名曲群から美しい母音たちを集めて、それぞれ言葉の音を解釈してみるのも一興だと思う。
[MV] On Your Mark / CHAGE and ASKA https://www.youtube.com/watch?v=3Obh9kg6o_U
CHAGE&ASKAの「PRIDE」はJ-POPきっての名曲です。それについては先日、ライヴ聞き比べの記事を書きました(http://anond.hatelabo.jp/20140923002713)。
しかしCHAGE&ASKAには「PRIDE」と肩を並べる、もう一つの壮大なバラードが存在することを忘れてはいけません。それが「On Your Mark」です。この曲はCHAGE&ASKAの15周年記念シングル曲であると共に、アルバム「CODE NAME.2: SISTER MOON」のラストを飾る曲です。また、数億円を費やして宮崎駿にPVを作ってもらった曲でもあります。そのPVは短編映画扱いで「耳をすませば」と並んで上映されたこともあるので、そちらでご存じの方も多いかもしれません。
「On Your Mark」は間違いなくCHAGE&ASKAを代表する名曲で、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」が忘れ去られても、この曲が歴史に埋もれてしまうことはないでしょう。相方CHAGEは、数あるASKAの曲のうちでも「On Your Mark」をもっとも好きな曲だとどこかで言っていましたが、それも頷けます。CHAGE&ASKA全盛期を告げる初めの曲が「WALK」「PRIDE」だとして、「SAY YES」「YAH YAH YAH」といった名曲を連発した全盛期を経たのちの「On Your Mark」は、それら名曲群をじゅうぶんに締めくくるに全く恥じることがない傑作だと言えるでしょう。
前回は「PRIDE」のライヴ聞き比べというマニアックな作業を公開しましたが、今回は「On Your Mark」の楽曲分析というこれはこれでマニアックな作業を行ってみようと思います。というのも、比喩に富んだ歌詞に、転調を次から次へと重ねていくこの曲をどう解釈すればいいのか自分自身分からなかったからです。以下、個人的な思い入れで解釈しているメモ書きです。
静かなシンセとピアノから曲は始まります。ASKAは決して楽観的には聞こえない調子で「On your mark」(位置について)と歌います。すると、曲は変ホ長調から嬰ヘ長調に転調し、ベースの八分の「ダンダンダンダン」というリズムが刻まれます。まさに、走り出したがごとくに。
J-POPを分析するときに調性を云々言うのは的外れと言われるかもしれないが、決してそんなことはないと思います。変ホ長調はベートーヴェンが「交響曲第3番(英雄)」で用いた「荘厳の響き」の調性、そして嬰ヘ長調は♯が6つ付いて、複雑で混沌とした響きを持つ。例えば、マーラーが「交響曲第10番」のアダージョで用いたのは嬰ヘ長調である。チャゲアスで変ホ長調の調性を探すと「PRIDE」や「Sons and Daughter~それよりも僕が伝えたいのは」を挙げることができます。ベートーヴェン「英雄」と同じく、どちらも荘厳の印象を私たちに与える曲です。しかしながら重要なのは、「On Your Mark」はこの荘厳の調性からすぐに転調する(=外れる)ということです。すなわち、この曲は、はじめから「英雄」からの「除け者」であり、「PRIDE」のように素朴かつ豪胆に歌い上げることさえ禁じられたものの歌なのです。したがって、「On Your Mark」ははじめからかなりひねくれた性格をもつ曲なのです。この冒頭の転調を聞いて、たしかに私たちはどこか言い知れぬ複雑さを覚えるのではないでしょうか。
埃にまみれた服を払った
この手を離せば 音さえたてない
落ちてゆくコインは 二度と帰らない
君と僕 並んで
「いつもの笑顔と姿で/埃にまみれた服を払」うというのは、強がりの笑いです。いろいろケチをつけられるが、それを「いつもの笑顔と姿」で何気なく払うのです。そして、大切なものを失う時(落ちてゆくコイン)、それは音さえたてません。静かになくなっていきます。「私」はそれさえも「いつもの笑顔と姿」で見送っていきます。
次に出てくる「君」というのは、むろん共に走っている人でしょう。この「君」が男性なのか女性なのかは不明です。つまり友情歌なのか恋愛歌なのか分かりません。周りの友人に尋ねてみましたが、「君」は男性だという意見と女性だという意見ではっきり分かれました。私は「けれど空は青」等につながる男性同士の友情歌だと認識しています。実際、宮崎駿もこの曲を使ってCHAGE&ASKAの二人を主人公としたPVをつくっていますし、CHAGE&ASKA自身のことを歌っていると考えるのがもっとも自然な解釈だと思います。
「夜明けを追い抜」くというのは面白いイメージだと思います。ASKAは「晴天を誉めるから夕暮れを待て」で、今晴天のように売れている自分をみんなチヤホヤしてくれているけど、「夕暮れ」時に誉めてほしいと取れるような歌詞を作っています。また「太陽と埃の中で」という曲もあるように、ASKAにとって太陽とは特別なものです。朝の冷たい風を切り、太陽という「絶対」に向かって自分の力で進んでいくのです。灼熱の太陽でもなく、沈みゆく太陽でもなく、夜明けの冷たい太陽というところが面白いところです。この冷たさが、決して順調ではないレース(On your Mark=位置について)を予感させます。
ところで、完全な偶然だと思うのですが、PVと同時上演された「耳をすませば」に、まさに「夜明けを追い抜いていく自転車」の描写がありますね。気になるところです。
On Your Mark いつも走り出せば
On Your Mark 僕らがそれでも止めないのは
夢の斜面見上げて 行けそうな気がするから
(夢の心臓めがけて 僕らと呼び合うため)
このサビに入ると、また転調し、調性はイ長調になります。Wikipediaによれば、「陽気で牧歌的」であると同時に「輝かしくはあるが、非常に攻撃的」であり、「気晴らしよりは、嘆き悲しむような情念の表現に向いている」という。調性の特徴にあまり拘るのはよくないかもしれませんが、この両義性は重要だと思います。それについては後述します。
AメロBメロの比喩の激しさに比べるとサビは解説的になっていて分かりやすいと思います。風邪にやられて駄目になりそうになるけど、「夜明けを追い抜く」ように、「僕ら=君と僕」は「夢(=太陽)」が頂上にある「斜面」を見上げて、いつか「夢(=太陽)」に行けそうな気がするのです。
答えを出さない それが答えのような
針の消えた時計の 文字を読むような
まだ若すぎる
調性はまた嬰ヘ長調に戻る。
この歌詞で面白い所は「心」の存在する位置です。通常、「心」というものは、個人のうちにあるものです。しかし、ここでは、「心」とは、「僕ら(=君と僕)」の二人が共有している「場」なのです。だから、二人はある程度「全てを認めている」といってもいいような深い関係にあることが分かります。
そんな「心」にある「小さな空き地」。この空き地からは、「NとLの野球帽」で歌われたような、工業地帯にある寂しげな空き地を思い浮かべます。そうした空き地は、基本的には大人たちの目の届かないところにある子供たちのテリトリーであり、遊び場です。一番の歌詞にある「そして僕らは いつもの笑顔と姿で埃にまみれた服を払った」というところにも感じるものですが、どことなく童心にかえっているような気がします。そんな秘密の遊び場で、二人は喧嘩をしてしまいます(「互いに振り落した 言葉の夕立」)。「夕立」という言葉から、たんに喧嘩をしていることだけではなく、「空き地」で喧嘩が終わった後に「夕立」に打たれながら無言で立ち尽くしている二人がいる、という場景を私は思い浮かべます。
その場景が次の「答えを出さない それが答えのような/ 針の消えた時計の 文字を読むような」という言葉につながっていきます。二人は夕立に打たれ髪がびしょ濡れになりながら、互いに見つめ合います。二人とも、本当はお互いのことを分かり合いたいと思っています。しかし、二人は何も言いません(「答えを出さない それが答えのような」)。時計の針が消えてしまい、永遠に続くような気まずい沈黙があります。「永遠の謎」がそこにはあります。相手が何を考えているのか分からず、また自分自身が何を求めているのかも分かりません。やはり、「全てを認めてしまうにはまだ若すぎ」たのかもしれないのです。
以後、サビが多少の変化を伴ってリフレインされる。分かり合うことなど不可能なのかもしれないけれども、それでもOn Your Mark(位置について)! 「走り出」すしか解決方法はないのです。
曲のラストは、冒頭と同じようなピアノとシンセの静かな曲調になります。ここでは調性はイ長調である。最後に歌われるのは
そして僕らは
です。この「そして僕らは」というのはきわめて両義的です。というのは、そこにあるのは希望だけではなく、苦しみや失敗も内包されているからです。イ長調の調性が「牧歌的」であると同時に「嘆き悲しむ情念」であることが特徴であるように、僕らの行く道は「希望」であるのか「失敗」であるのか、最後まで種明かしされることはありません。しかし、決して「僕ら」は走ることをやめません。ここに「On Your Mark」のもっている奥深さがあると私は思います。行く先がどうなるのかは決して分からないけれども、苦しみを背負って、夢を目指していつまでも走り続けるのです。
コメントをもらってジブリPV版について思ったことがあるので付け足します。
「On Your Mark」のPVは、ご存じのように原発事故や放射能事故を主題としています。その主題設定も手伝って、近年ふたたび注目されています。宮崎駿は「タイトルや歌詞をあえて曲解し悪意に満ちた映画に仕立て、いつか来る未来に生きる」ことをイメージしてPVを製作したと言います。どう「曲解」したらこの歌詞から原発の話になるのか今まで分かりませんでしたが、その答えは「夜明け」という言葉にあることに気がつきました。「夜明け」というのは「太陽」の出現を意味します。ところで、「原発」という装置は、原子の核分裂反応から巨大な力を得ています。太陽は原子の分裂ではなく融合によって光り輝いており、厳密には太陽と原発の力は全く異なるものではありますが、しかしながら、原発は「地上の太陽」と形容されることも多く、文化的コンテクストにおいて原発と太陽は密接に結びついています。宮崎監督が「原発」をテーマにすべく「曲解」したのは、まさに「夜明け」という言葉に他ならなかったのではないでしょうか。「On Your Mark」の歌詞だけを見れば、正直なところ、反核運動よりも原発肯定に親和性を持ちます(すなわち、吉本隆明の立場に近いのではないか、と私は思います)。宮崎駿はそれを見越した上で、「原発事故が実際に起こった世界でもOn Your Markと言うことは出来るのか?」と問うたのではないでしょうか。映像を見れば分かる通り、宮崎監督は「できる」と考えたのでしょう。しかし、当時と今では世界が違います。今の私たちはまさに宮崎監督のつくった世界の中にいるのです。その世界において、私たちは「On Your Mark」を聞いてどう感じるのか、「On Your Mark」と言うことができるのかと、再び考える時にあるのではないでしょうか。
私を含む部署立ち上げに関わった数人を除いては寄せ集めなので、チームとしての能力はお世辞にも高いとは言えない。
今年の頭から別の部署(会社でトップに君臨する、誰もが憧れる部署)へ社内留学していた。
出産予定のあった人が管理入院になり予定より早く産休へ入ったのと、同時に急病でしばらく職を離れる人が出てしまい、回せなくはないが辛いという噂を聞きつけた私が、自分の部署の勉強にもなるから、と助っ人も兼ねて頼んでいれてもらった。
業務内容で言えば任せてもらえる範囲は狭いが、仕事が面白いし、頭のキレる人たちに囲まれて日々奮闘するのは本当に楽しい。
それと、みんな教養がある。
仕事のことはもちろん、時事問題から少しマイナーなスポーツ、アートや建築、映画、ハイファッションまでとにかく幅広く知識を持っている。
TV番組やJ-pop、アニメなどのカウンターカルチャーはいわずもがな。
自分はもともとハイファッションや建築が好きなんだけど、自分の部署ではそういう話が出来ないし、趣味を持ち出そうものなら厨二病乙!建築家気取り乙!服に無駄金乙!という感じであしらわれていた。
どの程度持ち出すかというと、「あっ、ここのカフェのソファ、コルビジェだ。」って言うだけでアウト。
(特別コルビジェファンという訳ではないが、大きなくくりで趣味嗜好まるごと小馬鹿にされるのは気に食わないので、部署内では好奇心を見せないようにしていた。)
ちいさなことだが、自分の美意識が通じる環境はものすごく気持ち良い。
自分の部署では「みなさまがご存じない事を申し上げてしまうバカなわたくし」という自己認識を強いられていた気すらする。
今では調子に乗って「無知を恥じろよ無教養コノヤロウ」ぐらいに思っている。(よくないよね)
同僚と建築やインテリアの話をしたり、映画の話をしたり、本を貸し借りしたり一緒に出かけたり、仕事どころかプライベートまで充実してきて驚いている。
残念ながら、病気療養をしていた人が帰ってくるためこの助っ人はあと3ヶ月で終わってしまう。
この部署に残ることも可能だと上司は言ってくれたが、それでは自分の部署はどうなるのかと思う。あまりにも無責任だ。
自分の部署の人間は、はっきりいって趣味が合わないし無教養に思えるが、素直で若さと少しのヤル気はある。
そこへ今のままのテンションで私が帰って文化的側面を求めたりなんかしたら、このチームはあっという間に壊れるだろう。
自分の心へ従えば、今の部署へそのまま移ってしまいたい。だがそれは同時に自分の部署の人間の経歴に傷をつけることになる。
それに、ありがたいことに早く戻って来てくれと言われている。
ああでも駄目だ。
今は部署に戻ってからどうやって今の交友関係を持続させようかということばかり考えている。
友人に相談すると、自分の美意識(感受性)ぐらい自分で守れと、かの有名な詩でさとされた。
そうなんだけど、そうなんだけども、、、
***
今見返して思うに、単に性格の不一致なんだろうか。
趣味嗜好が違うという点で、お互いを見下ろしているのが悪いんだろうか。
でも正直、今後そこでぶつかりそうな気がする。
チャゲアスといえば、ダブルミリオンを達成した「SAY YES」と「YAH YAH YAH」がやはり圧倒的に有名ですが、「PRIDE」はそのどちらと並べても決して劣ることのないどころか、全J-POP史上においても比類のない、赫奕たる地位を占める壮大なバラードです。そしてPRIDEは幸運なことに録音に恵まれています。1989年に発表されたその曲は、何度もライヴで歌われており、様々なバージョンを聞き比べることができるのです。ASKAは年代によって声質や歌唱法がかなり異なっているので、それぞれ別のしかたで楽しめます。今回はややマニアックですが、PRIDEの様々なバージョンをレビューしてみようと思います。
評価=8
CD音源にかなり近いですね。他の音源に比べて特徴となっているところは、サビの「駆け抜けていく」(1:48-50)の歌唱ですね。とくに「く」の母音の処理です。「ウ」と「ア」の中間で発声することで、単に「ウ」と発声するよりもパワフルに聞こえます。ASKA独特の母音の処理方法です。声も若さが満ち溢れていて爽快感を覚えます。
評価=9
声のフットワークが軽くて、とくに高音となるサビのメロディーをなめらかにすべっていく様子はあたかもサーカスの軽業師のようです。曲をより「自分のもの」にできている気がします。
ちょっとマニアックというかフェティッシュなことを言うと、「涙の跡」(3:33)という部分の「だ」の発声が他のものよりも情感豊かで、素晴らしいです。この録音はもっともエモーショナルなものかもしれません。
評価=9
あまり時間の間隔を置いていません。最高のパフォーマンスです。②ほどの情念はありませんが、全体の均整ということで言えば一番優れているものでしょう。
評価=10
ややASKAの声が太くなっていますね。じつは私が一番好きな音源はこれです。
声質が太くなり重量感を覚えさせるけれどもパワフルに突き進むさまは、重戦車が高速移動をする様子さえ思い浮かべます。
この録音では「駆け抜けてく」の「く」の音が、しっかりと「ウ」で発声されていますが、私はこちらのほうが好きです。かように苦悶の表情を浮かべた「ウ」はなかなか聞けません。
評価=7
アンプラグド、さらに欧米でのパフォーマンスということもあってか、アレンジがかなり変わっています。
やや大人しめですね。テンポも少し早くなってあっさりとしています。お洒落な気分でPRIDEを聞きたいという時にはよいでしょう。
評価=6
この頃からASKAの喉の調子に翳りが見えてきます。ポップス歌唱法にはご存じ「ミックス」というものがありますね。地声と裏声を混ぜるってやつです。
艶のある地声成分で高音が出ないのか、裏声成分多めで叫ぶ手法(オペラ歌唱に近い発声)が所々で見受けられます。後半になると多くなりますね。
評価=6
コンサート途中に感極まって歌えなくなったことで有名な韓国ライブです(なおその映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=sFi5qExw_pM)。2000年。
やはり前と同じで、高音が苦しそうですが、この曲ではその苦しげな姿すら一種のパフォーマンスに転化しうるものをもっており、胸を打つものがあると思います。②とはまた違ったおもむきで情感があります。
評価=5
2003年から2004年にかけての年越しライヴです。⑥の3年後ですね。
この頃になると、90年代と声は明らかに違ってきます。目に見えて声が太くなってきます。
喉の調子が治らず、どの歌唱法がいいのか模索している感じがします。
評価=9
声はさらに太くなっていくのですが、そうした自分の声にあった歌唱法が見つけられたのがこのLIVEだと思います。2007年。
90年代のASKAを軽快なトランペットだとすると、これは炸裂するトロンボーンとでもいったところでしょうか。CHAGEの超高音はさらに金属質なものとなって、硬質なハーモニーを聞くことができます。
しかしこのLIVEで注目しなければいけないのはASKAよりもむしろCHAGEです。大サビのCHAGEの超高音のハモリはこれまでのどの録音にもなかった凄みを与えてくれています。
あと、またフェティッシュなことを言いますと、3:25あたりの「傷ついて知ること」の「と」の音は、大地の奥底からやってくるような雄渾な響きで痺れます。
やっぱり90年代は黄金期で、どれを聞いても圧倒的ですが、その中でも台北ライヴはワーグナー「神々の黄昏」のような、崩壊しそうなまでに過剰な絢爛さがあって、私はそれを愛してやみません。
00年代になると喉の不調が目立ちますが、それでもDOUBLEのライブは全盛期を取り戻すかのような圧倒的なパフォーマンスを見せてくれます。しかしそれは90年代前半の軽業とは異なり、敬虔なカトリック教徒の盤石堅固な信仰の凄みにも似たものを思わせます。
こんな時間にこんなことを相談する友人もいないキモオタなので書きます。読み返してどんなJ-POPだよと思いましたが無視して投げます。
ゲームとかアニメとか漫画とか映画が好きな20代前半標準的キモオタピザニートの俺と、華やか系お嬢様女子大生の彼女の話。
彼女から(それとなく)告白されて、あらためて俺から告白して、去年の冬ごろから付き合いはじめた。知り合ったのはバイト先で。同じシフトになって、ときどき話すようになって、連絡先を交換して、それからくだらないことでもメールするようになって、週に一回くらい長電話をするようになったころに、俺のことを好きになったかもしれないということを言われて、6か月前にフラれた傷も癒えかけてたタイミングで、くらっとして、そのときに俺の淡い期待は、恋になったのだと思う。
付き合いたてのころはいろいろなところに行った。ネズミ王国うんちゃらとか、そういう定番中の定番も俺にとっては目新しかった。彼女のとなりで映画を観るだけでよかった。たとえ映画がつまらなくても、彼女の手がそこにあるだけでうれしかった。
でも、外食には金がかかる。映画を見るのにも、喫茶店に入るにもとにかく金が必要だ。俺はくだらないミスがもとでバイト先をやめてしまった。だから、週一回だったデートが、月一回になった。
ふたりとも実家暮らしで、どちらかの家で遊ぶこともできない。それができればいくらかはマシだっただろう。それとも車の免許と車を手に入れて、ドライブデートでもすればよかったのかもしれない。それともネットカフェのカップルシートに入っていちゃついてみたりすればよかったのか?
俺にはもうわからない。わかったのは、恋人との関係を維持するのには、世間で言われているよりもっと具体的な理由で金が必要だということだ。金がなくても愛があればなんてことはありえない。愛は金の代わりには使えないからだ。愛で高級ホテルのスイートに泊まれはしないし、夜景の見える豪華なディナーをごちそうできたりはしないんだ。
思い返せば酷いこともした。あの日の待ち合わせをすっぽかしたことは、謝っても謝りきれないほど後悔している。見に行きたいと言っていた絵画展は結局行けないまま終わってしまった。あの映画も観たいって言ってたのに。一緒に行こうねと言ったのに。
彼女はそれを許してくれたのだろうか。俺は彼女にちゃんと謝れたのか。それがわからないまま、夏になって彼女は忙しくなった。このふたつきほど、ほとんど会えていない。不安のなかで、電話口の彼女の声から、感情が冷めているのを感じる。
まだ別れると決まったわけではないのに、俺は、別れると決めてくれたらどんなに楽かなんて考えている。あなたの、あのときのあのことが許せなかった。そう告げて、去ってくれたら。
俺は、そう思ってしまうことが申し訳ない。彼女が、俺なんかの彼女でいてくれていること自体が、とてつもなく幸せなことなのに、そう思うのは間違っている。そんな葛藤に毎夜とらわれて眠れない。そうして俺もだんだん心が冷えていく。それが怖い。
会えないのは、彼女のせいじゃない。ふたりとも会いたいと思ってる。大丈夫、落ち着いたらまたもとどおりになる。
自己主張しないで人と合わせると友達がたくさんできて人から好かれて楽しい気もする。
自己主張しすぎて協調性がないと友達がいなくなって寂しい気もする。
自分らしさとか自分探しとかいう謎の言葉がJ-POPの歌詞でたくさん使われるし、それが詞のテーマになっていたりもするもんで大事なことのように思われるが。もうそんなのはどーでもよくなる。
このことを暗黙の了解として、段々多面的多重的コミュニケーションをとり始める...
この人にはこれ以上自分を出すべきではないや、この人にはほぼ全部出していいや、この人には合わせとくだけでいいや。
相手との距離の取り方を初対面から直感的論理的に過去の経験から計算し、多面的多重的にコミュニケーションを適応させる。人間関係は時間経過と気分の波によって距離が変化するため、リアルタイムで微分と積分を行って距離を調節する。
そして究極の計算高い腹黒人間が生産されるわけであります。そう、これが日本の「社会性」というやつだ。
人間と不必要にぶつからないための術を覚え、社会という荒波をかいくぐっていく。
思うと、僕の夏には必ず君がいたし、君の夏にも僕がいた。
それは、これからもずっと変わらないと思っていたし、そう思えるくらい、僕たちにとってはごく自然なことであった。
4回目の夏。僕たちはいつもと同じように、簡易のビーチパラソルを持って近所の砂浜にやってきた。
何をするわけでもない。他愛もない話をして、分けたパピコを食べ、何度も沈む陽を見送っては9月の近づきを嘆いていた。
「自分で言うのも何だけど、俺たちよく飽きないよなぁ。」「ほんとにね。」「○○はなんで海が好きなの?」「なんで、っていうか」
空になったベットボトルとパピコのゴミをまとめながら、彼女はんー、と考える。パラソルの影は、既に随分と伸びていた。
「波に夕陽が当たった時のエメラルドグリーンがとても綺麗だから?」
きしんだ髪も、胸をしめつける潮の匂いも、ざらついたサンダルも、何もかもが愛おしかった。
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5回目の夏を迎える年。彼女が海のない県に引っ越すことになった。彼女の父親は銀行に勤めていたから、きっと転勤だろう。
彼女はいなくなってしまったけれど、受験勉強の合間をぬってはしばしば一人で海に向かっていた。
もしかしたら、彼女に会えるかもしれない。そう考えている自分に気づいたのは、夏休みに入ってからのことだ。J-POPがヤケに染みたことを覚えている。
特に理由はなかったけれど、彼女とはほとんど連絡をとらなくなっていた。秋口に、引越した先から通える大学を目指すということは聞いていた。
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季節がそっと街を撫で、4月。僕は地元の大学に進むことになった。入学と同時に始めたコンビニバイトにも随分と慣れて、ようやく生活リズムを掴みはじめていた。
「無事に大学が決まって、何とか元気に過ごしてるよ。そっちはどう?」というメールが来たのは、6月上旬のこと。
こんなに遅くなったのは、きっと不器用な彼女のことだ。入学してからしばらくは余裕がなかったんだろう。
どうやら、この夏休みを利用してこちらに帰ってくるという。
「祖父母や友達に会いたいし、パラソルを持って海に行きたいってのもあるしね。」
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一年と数ヶ月しか離れていないのに、随分と長い時間が過ぎたように感じる。
彼女が帰ってきたら、小さいエメラルドがあしらわれたネックレスをプレゼントしよう。
そして、勇気が出れば告白したい。いやしかし、既に誰かと付き合ってたりするかなぁ。その時はその時で考えよう。
とりあえずは、ホコリを被ったパラソルを綺麗にして、バイトに励もうと思う。
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http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思います。BLOGOSのコメント欄だと字数が足りないので。
柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います。
理由は以下の三点になります。
まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります。
消費税増税や過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がりの希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業や高齢化、原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民の不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います。
つまり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。
第二に日本のミュージシャン(特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり、楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代の日本人にとって音楽の政治性とは最も嫌うものです。よって必然的に時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります。
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。
そこから導ける結論としては、J-POP等日本の音楽の特徴はむしろ「時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在の楽曲と10年前、20年前とを比較してそこに主題(テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話やポケベルがLINEやメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。
「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPのスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います。
これらの楽曲に時代的必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。
第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています。
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています。
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人にミスチルの代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。
「マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム『深海』は前作『Atomic Heart』から100万枚もセールスを落としています。
私はそもそもミスチルが現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。
仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか?
ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります。
しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生”します。
世の中のCDセールスが頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルのメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります。
以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります。
嘘だと思ったらアルバムのクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境やスタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます。
この事実が意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?
改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲は社会批判的な世を憂う内容のはずです。
「自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)
「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)
「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)
「ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)
一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います。
本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。
「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」
なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムはリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。
今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。
このような基本的な事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的のゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌と関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民的バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャンと音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。
ググらないで記憶だけで書くので、たぶん事実誤認甚だしいだろうけど
90年代っていうと、おニャン子クラブが斜陽のアイドルブームにとどめを刺して
ビーイングの社長が何百パターンの15秒CM用のサビだけのデモテープで
営業まわって、タイアップ取れてからフルの曲を書かせてたそうで
アニメもそれまでのタイトルや技名を連呼する生管絃のクソ熱い曲がなりをひそめ
本編内容ガン無視で雰囲気すら合ってるのかどうか分からないタイアップばかりになる
もう、自称音楽好きは洋楽ロックくらいしか音楽好きのアイデンティティを満たし
聞いてて飽きないクオリティのはなくなる
今思えば、当時の洋楽ロックも行き詰ってて、MTVブーム以降のまずビジュアルありき
潤沢な予算を使ってアーティストのキャラクターとサウンドがプロデュースされた
商業音楽だったんだけど、まあ金かかってるから、まずポップさに捕まれて
何度も聞くと実は小難しいこともやってるので飽きない
そういう行き詰った、よく言えば爛熟したロックを取り入れたJ-ROCKがそろそろ出始めて
こいつらがタイアップ取ってポップシーンにも食い込んでくるようになって
素人歌にカスカスの打ち込みに辟易していたJ-POPがだんだんマシになってきた
この前佐久間正英氏が亡くなってはじめてこの方がこいつらの多くをプロデュースしてたの知って
で、この辺の90年代後半辺りからのJ-POPでサウンド的に面白いことをやってるのを認めるかどうかってのが
なーんか「俺は音楽好きだぜ」みたいな人たちから馬鹿にされがちみたいなところある気がするんだよね。それってさ、つまり「音楽好き」の文化レベルが低すぎるんじゃないの?????お前ら「マウントポジション」取ることにしか興味なくて、本当は音楽に興味ないだろ。
そうそう、こんな感じ。
お前ブランドだけで判断してるだけだろ
楽曲まったく聞いてないだろ、耳腐ってるんだろ
いいねえ。すごく懐かしくなったので長々書いた
JUDY AND MARY、90年代を騒がせた"売れ筋"バンドのひとつですね。まー売れ筋だからか、「自称音楽ファン」からの評価は異常に低いですね。曰く「あんなの中高生のワナビーが聴く音楽だろ」「ジュディwwwwwアンドwwwwwwwマリーwwwwwwww」みたいな。でも先入観なくJUDY AND MARY を聴いてみましょう。実際よくできてるんですよこれが。
例えば、Miracle Night Diving という曲を例にとってみましょう。コード進行がついたやつが http://gakufu.gakki.me/m/data/DT02121.html:ここ] にありますね。動画は https://www.youtube.com/watch?v=xpLEm-cafyw:このあたり] で見れる。はいまずコード進行が「一般的なJ-POP」からかけ離れてることがわかるでしょう。まずサビ以外のコード進行がすべてテンションコードであることが見て取れますね。この時点で「あっちょっとヒねてるなこいつら」という感じです。さらに、コード進行的にはD7一発であるのイントロのギターのフレーズを取ってみましょう。「ラードーソファ#ーラドレソファ#ーレードラードソファ#ーラドドッドー」。これはひどい、一度も根音であるレが出てこないどころか、スケールとしてはむしろミクソリディアンスケール(ラ シ ド# レ ミ フ# ァ ソ ラ)として解釈したほうがよほど自然なフレーズになっている……(ドがナチュラルなのはブルーノート)。でも、曲全体としては結構ちゃんと「ポップス」してるんですよね。
ここからわかることはなにか。JUDY AND MARY は、「音楽オタクにとっても"おもしろい"ことをやろうとしながら、その上で"ポップス"であろうとした」ってことです。これはめちゃめちゃ難しいことですよ。言うなれば、「ジャンプに連載しながらアックス読者の鑑賞に耐えうるものにしよう」という強い意思を感じるわけです。一応言っておくけど、俺はべつに「アックス」が「ジャンプ」の上だと言っているわけではないですよ。そこにあるのは「指向性の違い」だけなんですからね実際。そのくせ、なんか、アックス読者の意味わからない選民思想で「ジャンプか〜〜〜まあね〜〜〜〜実際面白いと思うけどね〜〜〜〜〜」みたいなクッソ感じ悪いやつあるじゃないですか。その癖「いやまあ富樫は認めるけど〜〜〜」みたいなこと言うやつ。お前何様だよ、みたいな。
でも、たしかに富樫ってすごいんですよね。なにがすごいかっていうと、「ジャンプ」層からも「アックス」層からも支持されてるってこと。つまり、「パッ」と読んで面白い上に、「じっくり」読んでもいくらでも語るべきことがある。これって本当にすごいことで、つまり、作品が多層的にできてるんですよ。「トイレで読んでも面白い」という層で読んでもちゃんと面白い。「書斎でじっくり読み込む」という層で読んでも発見がある。このふたつを満たすことができる作家が希有な才能を持った作家であるということに異存がある人は少ないんじゃないかな。
でも!!!!!でもだよ!!!!!!!!!!なぜか「聞き流しても聴きやすい」という層でも聴けて、「アナリーゼしても面白い」っていう層でも聴ける JUDY AND MARY は、なーんか「俺は音楽好きだぜ」みたいな人たちから馬鹿にされがちみたいなところある気がするんだよね。それってさ、つまり「音楽好き」の文化レベルが低すぎるんじゃないの?????お前ら「マウントポジション」取ることにしか興味なくて、本当は音楽に興味ないだろ。みたいに思うんだよね、俺は。
「卒業式で桜ノ雨」「お昼の放送でボカロ禁止」といった話題がネットに上がってから3年~5年、
ニコニコ動画におけるVOCALOID初期作品の『みくみくにしてあげる』や『メルト』からおよそ6年半。
青春の音楽=ボカロって層はまだ学生だろうけど、大学くらいでボカロに触れて楽しんだ人が教職に進んでクラス担任を受け持っていることはありえると思う。
すると生徒とくだけた話もするタイプの教師なら、ボカロ好きな生徒との会話を試みて
「先生が学生のころは〇〇Pを聴いてたんだよー」「そんなP知らなーい」「えっ」
といったシチュエーションがあるかもしれない。
でも私が中学校の頃はどんなに若い教師でも、私たち(のものと思っている)の娯楽にすり寄られるとウザいと感じた。
むしろ私たちだけがその娯楽の面白さを知ってればいいとさえ思っていたから、
冒頭で挙げたネタで出てきた「自分の好きなものを否定されて辛い」って感情は
否定してくる相手が同級生なら共感できるけど、教師だとできない。
モーニング娘。・嵐・浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・aiko・椎名林檎・19・ポルノグラフィティ・Dragon Ash・BUMP OF CHICKENは私たちのもので、教師が入ってくるのを拒んでた。
「二宮くん可愛いよねー」より「私の1番は今でもかーくんなの!」という女性教師の方が誠実そうに見えた。
吹奏楽部が定期演奏会で『ザ☆ピ〜ス!』を下級生のダンス付きで披露したとき、飛び入りでダンスに参加した副顧問の男性教師にはかなり白けた。
一方で自身の思い入れのある曲・歌手・娯楽を紹介できる教師は、ちゃんと青春を謳歌して大人になったんだなと好印象だった。
『TSUNAMI』、『波乗りジョニー』の大ヒットで当時40代の教師たちがサザンオールスターズや桑田佳祐を熱く語った。おかげで男子に『マンピーのG★SPOT』が大流行した。
ドラマ『人にやさしく』でTHE BLUE HEARTSを知った子も多かった。体育教師は持久走の授業で『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』をBGMに流して生徒が関心を示すと、どこか満足気だった。
一番印象に残ってるのは卒業式とは別にあった、教師のくだけた訓話と生徒の出し物がメインのお別れ会。
男子生徒のバンド演奏で2人の男性クラス担任がボーカルの子と並んで歌った、スピッツ『チェリー』。
『桜坂』は大ヒットしてたけど、後発の桜ソングはまだなくて桜ソング=卒業ソングというイメージもまだなかった時代。
それでも春と旅立ちのイメージで選ばれたんだと思う。
『チェリー』のCDリリースは96年。私たちは小4で、大流行してたJ-POPを主にテレビからどんどん吸収していた。
歌った先生たちは教員になったかならないか、でも『青い車』『ロビンソン』なら学生だった世代。
男子生徒たちは普段Dragon Ashを体をくねらせながらコピーしていたせいか『チェリー』だとかっこつけきれず、はにかむような顔を見せた。
先生たちは学生のころの気持ちに戻ったと言いながら、ノリノリで歌い終わったあと赤面してた。
お互いの照れがとても印象的だった。
これがスピッツではなく19だったら、あるいは尾崎豊だったら、生徒と教師が一緒につくった思い出としては今の私に強く残らなかったと思う。
JAPANESE ONLY とか言われると日本語だけ通じますみたいな感じがする。
せやな、日本のスタジアムだし英語は通じないかもなーとか思う。
まあ、そういう話ではない。
英語の文法上、なんとかオンリーという表現はなんとか専用みたいな意味らしい。STAFF ONLY とか、なるほどって感じ。
という自分の語学力の低さ(JAPANESE ONLYが日本語だけですだと思ったこと)を例にあげつつ、なぜ英語で書いたのか、という疑問が湧く。英語である以上、それを母国語にしてないひとには曖昧にしか伝わらない。日本でそれはメッセージとして曖昧だ、その場の雰囲気でどうとでもなるぐらいに曖昧だ。なんとなくカッコイイこといってるっぽい気がするっていぐらいにJ-POPの歌詞にでてくる英詩と英語ラップぐらいに曖昧。この曖昧さ、頭の芯にスカンと言いたいことが入ってこない感じが、きっとメッセージを掲げちゃった大胆さと、事態のヤバさの認識できなかったことの原因となったのだろう。
ぶっちゃけ、見ていいのは日本人だけ! みたいな垂れ幕だったら、誰も掲げなかったろうし、もし掲げても即座に止めにかかっただろう。あいつやべえ! みたいな感じで。
ほんと、なぜ英語で書いたのだろう。