はてなキーワード: FLASHとは
数年前序盤をちょっと触れただけで投げたやつやで
二次創作人気はちょこっとある作品やけどもさすがにシステムもイラストも古臭い感じがして他人に勧めて今から始めさせるのはキツイと思うやで
去年あたり脱flash化は果たしたようやけどもやっぱりUIとかがダサいやつはやる気にならんやで、と大分貶したけどもワイには合わなかったというだけやから勘弁やで
DMMゲーは20作近く漁ってきたけど今ログインしとるのはあいミス、凍京NECRO、ミストトレイン、あやかしランブル、ふるーつふるきゅーと、マジカミ、宝石姫、ガールズシンフォニーくらいやで
後ろ2つはちょっとUIダサ古い感じがあるけどもコンセプトが多少好きだから続いてるだけやで
ちなみにサーバーの強さレスポンスの軽さという面ではふるふるがピカイチで、逆にミストレは美術的な作りは良いものの逐一ロードが入って重く感じる(時間帯がある)やで
ある程度プレイしたけど見切ったやつはオトギフロンティア、戦乱プリンセス、巨人と誓女、アイオライトリンク、フラワーナイトガール、ジェミニシード、アイギス、神姫プロジェクトあたりやで
サ終した中で惜しいのをなくしたと涙を流したやつはUNITIAあたりやで
幼少の頃の記憶。当時は利用率20%弱だったインターネットの、2ちゃんねる。そのまた更に片隅に在った、小さなスレの祭り。その冬の一夜も恒例どおり、スレが乱立したν速の板―――ニュースと呼ぶにはあまりにも荒れた板―――をおにぎりモナーが練り歩いていた。
「ワショーイ!ワショーイ!ワショーイ!ワショーイ!」
(※掛け声や会話を正確に表記するとスラングなどから世代を特定される虞れが有りますが、この文では当時を再現してあります。)
盛大で楽しげな掛け声と共に、田代神は上下に、前後左右にと、激しく揺れ動いていた。
そのFlash動画が、幼い私の前を通過しようとした時のことだった。
「ワショーイ!ワショーイ!ぬるぽ」
━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ
大きな音を立てて、田代砲が、タイム誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに連続投票した。
タイム誌のサーバーは、アクセス過多になった。F5やクリック連打よりも、もっと連続したアクセスは、瞬く間にWebページの表示を503 Service Unavailableに変えた。
スレの動きは止まり、夜のスレに集まった香具師も、水を打ったような静寂に包まれた。
「おまいら、自重汁wwwwww」
テラワロスwwwwww
一瞬でスレはワロタに包まれた。荒らしも一緒になって、コーヒー吹いたwwwwww
「ワショーイ!ワショーイ!」
「ワショーイ!ワショーイ!」
「ワショーイ!ワショーイ!」
再び2ちゃんねらーたちが声を上げて、スレが進み始めた。その動きはあぼーんする前よりも一層激しく、sage進行に、age進行にと、揺れ動いていた。2ちゃんねるは、「ハッキング」から「夜のおかず」までを手広くカバーして、やがて幼い私の視界から消えた。タイム誌サーバーも消えていた。きっと、あの後は手当を済ませ、何食わぬ顔で別人をパーソン・オブ・ザ・イヤーにして、酒を飲み直したことだろう。小さなインターネットの傍にある2ちゃんねるで暮らしていた、平凡で飲ま飲まイェイ!!の2ちゃんねらーたちは、それが普通だったから。
あの時の群衆を成していた、スレのおじさんたち、おばさんたちの殆どが故人だ。今では私も同級生の大多数も、2ちゃんねるを離れて暮らしている。 InternetArchiveで当時の様子を見ることができる田代祭りスレは、残念ながらdat落ちとなっている。
2ちゃんねる分裂騒動の影響で、老齢のスレ住人の元に帰省することも、おちおちできなくなった。私が2ちゃんねるを辞めた後も、祭りは行われていたのだろうか?高校生の頃までヲチしていたというのに、あの祭りの夜の翌年以降の祭りについて、実は私には記憶らしい記憶が無い。私は自分の思い出を、何処に置き忘れて来てしまったのだろうか?
何か思い出せることと言えば、Flash板の職人がうpした、田代神が並ぶ動画ぐらいである。とはいえ、幼い時にはおもしろく見えたFlashの動画も、大人になってから再アクセスした時に一度見たので、実はそんなにクオリティは高くないと今では知っている。
現在の私が暮らしている増田にだって、祭りぐらい幾つも有るが、幼い頃の私が目撃したような楽しそうな祭りは見ていない。私が移り住んで来る以前の、昔にはあったのだろうか?もちろん、あったのだろう。しかし、仮にあったとしてもポリコレ厨の影響下では、やはり御神輿を担いで晒しageするなんて事も出来はしない。
きっと私は、幼い頃の思い出を美化しているだけなのだ。まとめスレでヲチすると、普通のスレが小さくまとまって何だか美しく見えるように。
それでも何時かまた、あんなささやかで、しかし猥雑なエネルギーに満ち溢れた、田代祭りの夜に巡り会えたら良いなと思ってしまうのだ。父や兄、幼い頃の御近所のおじさんおばさんたちとは違い、大人になっても私はてんでお酒が駄目だし、おまけに酔っ払いは苦手なのだから、きっと御神輿の担ぎ手にも楽しげな群衆の輪にも上手く混じれないだろうけれど、楽しそうにしている彼らの姿を、少し端っこの方から私は眺めていたい。
ワショーイ!ワショーイ!と呟きながら。
そうだねー。AfterEffectsとか。Flashとかもアニメーションに使われることがあるようだけど、コスト高いし、使いこなすまで難しいよね。
あのは頃まだ一部の人がやっている感があり、そこはかとないアングラというかアウトロー感というか
当時中二病を引きずっていた高校生の自分には、とてもワクワクする場所だった。
その時のサービスというか、そんなものがどうなったのかちょっと考えた。
当時の2chユーザを主とした中年層と業者と幾ばくかの他の年齢層が5chに
少し趣を変えてtwitterの一部クラスタが昔に居た2chの層としている感じ
匿名の若気のバカ遊びみたいなノリが機能する場所はなくなった気がする。
個人ニュースサイト⇒はてブ、スマートニュース等キュレーションサイト:
はてブに関してはリンク中心の前者から、コメント中心の後者になった感がある。
キュレーションサイトは個人の色がないというか、あまり面白みがない。
まだ更新してくれている個人ニュースサイトさんをたまに見るのが、月1の楽しみ。
後は更新の止まったサイトをさっさと丸ごと保存しないと、多分いつか消えるからしないとなぁ。
mixi⇒数多のSNS(Facebook、Instagram、tiktok,Clubhouse等):
mixiの対抗にGreeとか居たけどあの時代のSNSとしてはほぼmixiで、
進化できず改悪を繰り返すことで他のSNSに散らばった形なのかな。
mixiは止まった時を保存しつつ現存するSNSとして今も生き続けており、
たまに見ると楽しい。引き続き歴史文化の保存として社名を背負って頑張ってほしい。がんばれモンスト。
何気にmixiが現存しているのもあり、mixiの代替となるSNSはないように思える。
基本匿名のテキストベースの趣味と任意の人とのつながりみたいな、なんというかうまく言えないけど、アレは好きだったんだ。
テキストサイトと並行してブログもいたけど、、GeoCities的なアレからブログとかnoteとかに移ったのかな?
ただ、日記とネタみたいなはテキストサイト的なノリは少なくなったのか、少なくとも盛り上がらなくなった。
今もテキストサイト的なノリでたまに更新しているけどやはり当時のような熱はない。
それは、大量の読者があってのあの熱だったのかもしれない。
十数年後には今の状況を懐かしく思い出せるものなのかな。
何か他にあるかな。
酔いに任せて書いた適当なつぶやきがホッテトリってる。せっかくなのでコメントを拾って補完してみる。
デイリーポータル、テキストサイト⇒デイリーポータル、オモコロ:
テキストサイト成分とデイリーポータルを足していくつかで割った感じがオモコロの感
OKWave、教えてgoo、人力検索はてな、⇒Yahoo!知恵袋:
はてなについては、ポイントを質問者が配るという構図で、質問者優位の構図が新しかった。
上記とカテゴリは一緒なんだけど、「女性の悩み相談」というジャンルに特化した先見の明と生存戦略の妙が見える。
質問系はYahoo!知恵袋以外は駆逐されたけど、発言小町は発言小町として生きている。凄い。
存在を横目で見ていただけなので、よくは知らないけど趣味ベースのSNSということでmixiのコミュニティつながりを特化させた感じかな。
しかしこれもサービス終了ということでこの手のつながりに、今はビジネスとしてペイするほど需要がないのかもしれない。
結局Web2.0とかdocomo2.0とか何だったんだという感。
どっちかというと2000年後半な気もするけど、本人のHPも2008年が最終更新、Wikipediaも2012年が経歴の最終。
と、まぁアメリカで活動している人なんで、日本に飽きたんでしょう。
なんでもないつぶやきや独り言にゆるく☆を付けあう優しい世界。
同じく収益の問題があるはてブよりも全然世界平和に貢献していたと思うんだけど、
悲しいけどこれ、ビジネスなのよね。なんで、代替もないでしょうね。
HP(ホムペ)にぶら下がる掲示板、という感じでそこでの会話があり、HP主のみの発言の悲しい掲示板や
メジャーなSNS無き時代のネットコミュニティとして機能していた活発な板など様々。
基本的にHNでの発言で、コミュニティでは独自のルール「お礼3行以上」とかがあったりなかったり。
この掲示板を抜き出して集約して匿名化した、あめぞうからの2ch、まちBBSとかの系譜は既に2000年を待たずに出来ていた。
で、今もあるところはあるけど大体閑古鳥。5chとか、SNSに行っちゃったね。
これはツールが変わっただけでコミュニティの働きとしては同じく機能し続けているようにも思う。
チャット、ICQ、MSN Messenger⇒LINE、Slackなどのチャットツール:
ここにおけるチャットは上記のBBSと同列で個人HPにぶら下がっているものを指す。
ここでの状況はBBSと同じ。ただそのレスポンスが基本リアルタイムというのが新しかった。
MSN Messengerというより敷居の低い神サービスがあったので、これを主に使っていた。
そこから、特にMSN Messengerから現在のチャットツールでは基幹は変わっていないので
99年にできたMSN Messengerは凄かったな、とコメントにもあったね。
GeoCities的なアレからBlogという新しい概念!発明!とか騒がれていた気もする。
全盛期は使いやすさのLivedoorBlogと賞金と芸能人のAmeblo、アングラfc2、独自のはてなダイアリーみたいな感じだった。
そのなかでTrackbackという「情報で繋がれる!」なんて画期的っぽい仕組みも持ち上げられたけど、スパム横行で衰退。
※今も見ている個人ニュースサイト
いくつかあるけど、ugNews.netさんとか無駄な領域リサイクルさんとか面白いです。
ポストペット⇒ メッセージングアプリ「PostPet GO」:
当時は素敵そうだったけど、そんなにメールでやりとしなかったし。。。
メールのサービスは終わったみたいだけど、メッセージングアプリで復活する予定みたい。
Flash系⇒派生としてのニコニコ動画とYoutubeとか:
常時接続環境が出来上がりつつあるとはいえ、動画コンテンツに飢えていたネットユーザーの救世主だったのがFlash。
個人的にはNightmareCityが好き。
Flash自身がその死に向かう今、これらに近いのはニコニコとかYutubeとかあるけど、ちょっと違うんだよな。
言語化が難しいけど。
何か長くなってつかれたので、いったんここで中断しまっす。
clubhouseは…今後セカンドライフ化するのか、化けるのか。
少なくとも今時点では前者っぽい空気がするけど。
flickrは写真共有SNSとしてはこの時期の始祖だけど、PC前提っぽくて。
あまり詳しくないけど、flickrはflickrでよいところはありそうなので、
大枠としてはInstagramに流れつつも、flickrはflickrとして残るって感じかな。
買い手はなるべく安く落札する、ゲーム的要素の強い個人売買の走りだった。
高値更新を見据えたスナイプ合戦だったり、いかんせん敷居が高いし、めんどくさかった。
その辺りの敷居の高さを、おおよそ取っ払ったのがメルカリをはじめとしたフリマアプリでうまいことやったなと。
今は相場が決まっているものやライト層はメルカリ、相場が分かりづらいものはヤフオクみたいな住み分けか。
pya! そのものが宝島のVOWのネット版という感じで、画像はまさにそんな感じだった。
そこにFlashが乗っかったりで、”「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?”は泣けた。
pya! はネタ色が強かったけどtumblrはネタ含めwebのスクラップって感じでそこに包含された感じ。
デリシャス?はて?と思ったら、Delicious、あの格子状のアレか。
確かに、この頃はDeliciousの方がよく見た気がする。何で衰退したんだろう。
自分は個人ニュースサイトをしつつ、いつかはこれに置き換わるんだよなぁ、なんて見ていたけど。
主に2ch界隈で色々な板でされていたオフ会に参加していたりしていた。
キャバクラに初めて行くより前にキャバクラ嬢と深夜ボウリングでハイタッチしたのは今でもいい思い出。
今はそういう匿名な闇鍋オフ会、あるんだろうけど自分はめっきり出てないな。
で、SNSでのオフ会とかはある程度ペルソナの知れた人の集まりなので、これは面白みがなさそう出てない。
いくつか出版とかされてて、それが映画ドラマになった電車男とか鬼嫁日記とかネットがリアルに来た、なんて見てたな。
ネットのメディア化という点ではむしろ加速していて、出版はもとよりTVの街の声とかもTwitterだしなぁ。
360SNS:
存在すら知らなかったけど、この時期、MIXIの派生版みたいなSNSはいっぱいあった気がする。
その中でこの360SNS みたいに意味ある形で定着できたものは少なかった様だけど。
あれはしゃーない。
と、キリがないので飛ばして。
それな。あの頃の探偵ファイルは軽快なノリと探偵ならではの情報ですげー面白かった。
大住氏とかえりす氏とかだっけ。あの人たちのバカなノリがとても好きだった。
オモコロもノリとしての継承はそれなんだけど、なんというか当時の探偵ファイル的な熱量と面白さはないなぁ。。。
全網羅無理っぽいのでいったんここで〆
(2/24 5時)
2074年、他人の容姿について言及することを禁止した「容姿に関する言及禁止法(容禁法)」が日本で施行されて早くも30年になる。
容禁法は、2041年にフランスで施行されたのを皮切りに、2050年には国連加盟国230国全てで同様の法律が施行され、昨年には遂にアブハジア共和国が施工したことで、地球上から容禁法がない地域というものがなくなった。
これにより世界中で、他人に対し「かわいい」「きれい」「かっこいい」「ブス」「ぶさいく」といった容姿に関する言葉を投げかける人間は消えた。
日本においては、2044年に容禁法が施行されたのと合わせて特別高等警察(特高)が復活した。
特高は容姿について言及している者がいないか日夜監視をしており、もし容姿を褒めているところを特高に見つかってしまえば即逮捕である。
尚、容禁法への抵触行為は、強盗致死罪や外患誘致罪と同じく、初犯でも執行猶予がつかない重罪として位置付けられており、容禁法での逮捕とはすなわち刑務所行きを意味する。
日本では、30年前の施行当初こそ「やさいい(優しくてかわいいor優しくてかっこいい)」や「人柄もいい(容姿もいい)」と言った一見内面を褒めるふりをして、外見を褒める脱法行為が数多く見られたが、施行翌年の2045年に街中に仕掛けられた盗聴器を介し、警視庁本部にあるマザーコンピューターが即座に自動学習をして それらの言葉を犯罪行為と認定するシステム(通称『クモの巣』)が完成したことで、脱法行為を犯す人間は激減した。
10年ほど前には未成年者の容禁法違反が頻発し、「キレる若者」「若者の心の闇」といったテーマを連日ワイドショーが特集していたが、当時の容禁法の検挙率を見ると実際には年齢が上がるほどに検挙率が高くなる傾向となっており、むしろ若者ほど容禁法を守っているという状況であった。
今現在においてもその傾向は変わっておらず、たまに容禁法で逮捕のニュースを聞くと、だいたい70歳以上の男性でるあるため、近年では「老人の暴走」といった揶揄を受けてる。
テレビに映る人物は、容姿よりも知的さや人格を求められ、今やテレビタレントは東大・京大出身者でほぼ8割を占めている。
イベントコンパニオン、キャバクラ、ホストなども、以前は闇の世界で営業をしていたようだが、今では完全になくなり、最早、歴史の教科書の話である。
また、化粧品会社や美容院なども斜陽産業となり風前の灯火となっている。
人々は、容姿では褒められないので、どんな容姿の人間であれ内面の研鑽とビジネスでの成功を目指すことによって自分自身の評価や価値を高めている。
内面の研鑽もビジネスでの成功も、どちらも後天的な努力によって差をつけられることであり、それこそが真に正しい人間の優劣であると誰もが信じている。
この春から高校生になり、念願だった恐竜の化石発掘調査のアルバイトに初めて参加したのである。
一人っ子だった権太にとって、3歳の誕生日に両親からもらった恐竜図鑑は幼少期に誰よりも一緒の時間を過ごした弟のような存在であり、幼稚園の卒業式では「大きくなったら恐竜になりたい」と言って周囲の大人たちを笑わせた。
小学校に上がってからの夢は恐竜博士で、高校生になった今は恐竜研究者になり恐竜図鑑の編纂に携わりたいというより具体的な将来設計を描いている。
そんな恐竜一筋の権太にとって、化石発掘調査のアルバイトは夢への第一歩と言ってもよかった。
採掘場の一画に腰を下ろし、タガネとハンマーを一旦脇に置き、採掘場の小石を左手でどかしながら右手のスコップで穴を掘っていると、5分ほど掘ったところで1冊の古びた本が出てきた。
ボロボロで簡単に破れてしまいそうなその本の表紙には、大きく赤い文字で『FLASH』と記されており、水着の女性が妖艶な笑顔をこちらに向けていた。
その本が何かとても悪いものであると感じた権太は、急いで人がいない場所に移動したうえで、本をそっと広げてみた。
最初に開いたページに記されたその言葉は、15年の人生で初めて目にする単語の羅列であった。
なぜ水着の女性が表紙なのか、極上のマシュマロボインちゃんとは一体何なのか、権太には全く理解ができなかった。
ただ、混乱して思考が整理できていないはずが、恐竜図鑑を眺めるとき以上に興奮している自分がそこにいることに気が付いた。
3歳で初めて目にした恐竜図鑑のティラノサウルスよりも、5歳のクリスマスに買ってもらったスピノサウルスのおもちゃよりも、6歳で初めて訪れた福井県立恐竜博物館よりもずっとずっと興奮していた。
3週間後、福井県でのアルバイトを終えた権太は、こっそり持ち帰ったFLASH入りのリュックサックを自分の部屋に置くやいなや、すぐにリビングでくつろぐ父親の元に直行した。
国立大学出身で、一部上場企業の執行役員を務めている博識な父親であれば、『極上のマシュマロボインちゃん』の意味をきっと知っているはずである。
いつものように夕飯前にソファで新聞を読んでいる父親の前に立ち、権太は興奮を抑えながら聞いてみた。
「お父さん、極上のマシュマロボインちゃんってどういう意味?グーグルで検索しても全く出てこないんだけど、これってどういう性格の女性を褒める時に使う言葉なの?」
権太は興奮を抑えようとしていたが、抑えきれず自然と早口となっていた。
父親の回答がなかなか出てこないため、権太は待ちきれずに続けて自分が思っていることを父に伝えた。
「俺、将来は水着の女性を載せた図鑑を作りたいんだ。水着の女性には恐竜と同じような未知なるロマンがあると思うんだ!」
いや、表情から察するに言葉を発しないのではなく、発せないのであろう。
目を見開きこちらをじっと直視しているが、新聞を持つ手が震えているのが分かった。
怒りとも悲しみとも絶望とも言える目をした中年男性が、そこにいた。
ふと視界を移すと、台所で料理をしている母親が泣き崩れているのが目に入った。
権太はそこで初めて、とんでもないことを言ってしまったのだと理解ができた。
――――――――――――
「権太、何してるんだよ。特高の見回りがくる前に早く安全な場所へ移動しようぜ」
「こんな時に恐竜図鑑!?革命軍のリーダーのくせに全く呑気な性格してるなぁ」
「呑気な性格?FLASH革命軍の隊員なら、性格ではなく容姿に言及したらどうだ」
「うるっせーな。さっさと隊員に指令を出してくれ」
「何か言ったか?」
「なんでもねーよ。」
「よーし、それじゃあ、全員ネオ新橋の闇キャバクラに逃げるんだ!誰一人として捕まるんじゃねーぞ!」
あの日、権太の踏み出した一歩は、美しいものを美しいと言える世の中を取り戻すための戦いの一歩となったのである。
flashが昨年末に終了したことを受けて、flashゲー全盛期を代表するwebサイトだったシフトアップネットがすごいことになっているので見てほしい。
現状ごく一部の非フラッシュゲー以外は、ゲームのアイコンをクリックすると「〇〇を懐かしむ動画」というタイトルのyoutube動画リンクが貼られたページにジャンプする。
ねおきでクエスト、ポン太の冒険、億万長者ごっこ、魔法機械ミズキ、テミクロetcetc.....すべて動画ページだ。
往年の名作フラッシュゲーが全部動画に変わっているのはこう、絶滅した生物の剥製展示を見ているような気分だ。
というか今日のおすすめゲームをクリックしたら動画ページだし、占いウラナ(おすすめゲームを選んでくれるflashゲー。選択肢を覚えると永遠におすすめゲーに巡り合えずループし続けるネタゲーだった)も全部動画ですよ。震えてくる。
なおテンミリオンは新作アプリ版があるにもかかわらず気合でオリジナル版がRuffleというエミュレーターに対応して公開されている。一番の人気作だから仕方ないね。
懐かしいよねテンミリオン。私もSS書いてたよ黒歴史だけどな。
たいていのリンクが消滅していて、スポンサーサイトも大体サ終したネトゲたち。
しかも辛うじてリンクが表示されるゲームはflashどころかjavaアプレットとかショックウェーブプラグインを使用したゲームなので当然表示がされない。
みんなはシフトアップネットやってた? やってたら好きなゲームを教えてほしい。
30代後半。独身。東京に行くには飛行機を使う必要がある田舎出身。
小さい頃から周りになじめず、またのちに持病だったとわかったが朝起きることが苦手で学校にはほぼ遅刻していた。
孤立は徐々に強まり高校にはほとんど行かなくなり中退してしまった。
親がラジコンやパソコンなどに強かったこともあり、高校生になる頃には十分速いインターネット環境があったと思う。
学校に行かないのでヒマすぎて昼間っからネットサーフィン(死語)をしていた。
趣味の合う掲示板などを見つけてカキコしてるうちに自分もホームページを作りたいと考え最初はgeocitiesでページを作ったと思う。
勉強すること自体は嫌いじゃなかったので「とほほ」を見ながらHTMLを手打ちして、アクセス解析を置いたりKentWebを見ながらPerlの掲示板をカスタマイズしたりしていた。
環境の変化にそれなりにウキウキしたものの、朝の弱さは治るどころか悪化し、結局中退してしまった。
この頃はYouTubeやニコ動、mixiなどがあって、引きこもっていてもチャットなどで人と交流することができ、将来への不安を一時忘れることができた。
バイトはしていたが大学をやめたので東京に留まれる理由がなくなってしまい、仕事をしようとしたが中卒な上に決まった時間に会社に行けないので就職は絶望的だった。
ブログ等が登場したためしばらくWeb制作などからは離れていたが、当時はWeb開発エンジニア系の仕事は未経験でもOKな募集をしていることが結構あり、派遣会社にネット応募してプログラマー見習いになった。
それまでの飲食店系のバイトに比べて、デスクワークで時給が高いことに「天国か?」と感動した記憶がある。
最初はそれなりにキツかったが、ここで挫折すると本当に終わりだ(田舎には仕事ない)と覚悟して頑張って早起きして出社した。
が、やはりつらく1年ほどで鬱になって会社に行けなくなった。未経験ではなくなり職歴もできたのでなんとか転職した。
それから何度かの転職をし、今はそれなりに知名度のある会社でプログラマーをすることができている。
コロナの影響で今は完全リモートワークになり、東京にいる理由もなくなったので一時的に実家に戻って仕事をしている。
裁量労働制のため朝早く起きる必要もない。昼頃までボンヤリうたた寝してモソモソと仕事を始め、夕方家族が帰ると一緒に夕食をとっている。
これまでの人生を振り返って、インターネットが存在しなければどうなっていたか、まったく想像できない。それ以外の仕事を続けられる自信がない。
引きこもり時代に誰かとコミュニケーションすることもできなかったと思うし、実家で孤独な子供部屋オジサンになってたか、行き倒れてたかどちらかじゃないかと思う。
今の会社に入ってくる新卒の人たちは大卒・院卒がほとんどだし、大学でコンピュータサイエンスを学んできた人が多く尊敬する。
こちらはたまたま自分のそれぞれのライフステージでその時その時のインターネット環境に依存してきただけの人間だ。
あの頃「とほほ」がなければ、2chやFlash動画がなければ、mixiやニコ動がなければ、Web開発業界が未成熟でなければ、今の仕事はできていないと思う。
インターネットの発達とともに歩んでこれた人生だからこそ、タイミング・世代が合ったからこそ、精神的にも救われ、社会的にも救われた。
コロナが起きても失職することなく、むしろ自由に仕事をすることができている。もっとも苦痛だった「出社」というハードルもなくなり、その運に感謝している。
一方で、それだけインターネットに救われ、インターネットに依存した人生を送ってきたからこそ、インターネットに対して恩返しができるような仕事ができているのかもしれない、と感じる部分もある。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 88 | 11378 | 129.3 | 44 |
01 | 69 | 6275 | 90.9 | 42 |
02 | 54 | 3948 | 73.1 | 50.5 |
03 | 38 | 6274 | 165.1 | 60 |
04 | 27 | 2258 | 83.6 | 62 |
05 | 17 | 2323 | 136.6 | 40 |
06 | 12 | 1632 | 136.0 | 96 |
07 | 40 | 3581 | 89.5 | 55 |
08 | 52 | 5460 | 105.0 | 37.5 |
09 | 90 | 12103 | 134.5 | 36 |
10 | 162 | 12094 | 74.7 | 40 |
11 | 161 | 15425 | 95.8 | 47 |
12 | 215 | 14145 | 65.8 | 32 |
13 | 175 | 17533 | 100.2 | 32 |
14 | 139 | 15361 | 110.5 | 40 |
15 | 130 | 18858 | 145.1 | 43.5 |
16 | 148 | 11391 | 77.0 | 46 |
17 | 137 | 14704 | 107.3 | 51 |
18 | 159 | 22715 | 142.9 | 38 |
19 | 159 | 16955 | 106.6 | 44 |
20 | 190 | 18613 | 98.0 | 40 |
21 | 128 | 18849 | 147.3 | 45 |
22 | 141 | 23033 | 163.4 | 38 |
23 | 219 | 21329 | 97.4 | 40 |
1日 | 2750 | 296237 | 107.7 | 41 |
音楽評論家(5), 兵役逃れ(5), ラウドネス(3), ダイナミックレンジ(3), マスタリング(5), テスカトリポカ(3), プリセット(8), YOASOBI(19), ラスク(4), eV(3), シンセサイザー(4), 圧(17), 変異(9), ピアノ(9), 詐欺師(8), 楽器(9), 演奏(7), 直(7), ワクチン(31), 掲示(6), 常連(7), 免許(14), スケジュール(9), エビデンス(12), 低学歴(9), オフィス(11), 鼻(28), 標準(8), 音楽(31), 音(40), 人権(31), 曲(27), 読ま(26), 試験(13), -2(13), 認知(13)
■活字を追えない人々 /20210120053002(31), ■司法試験に合格した /20210120173345(16), ■卒業旅行なら行っていいよね? /20210120225148(16), ■音楽評論家に聞きたいんだけど「ショボい音色・音圧」ってなに? /20210119190456(15), ■「なんでも調べられること」に疲れた /20210119234225(13), ■親が「電磁波」と言い出して困ってる /20210120124849(12), ■韓国女性の韓国男性への絶望はすごいな /20210119213654(8), ■「プリセット・低音圧」批判とかいう「今時Flash使ってないサイトとかw」的議論 /20210120145245(8), ■なんで漫画って公開するのが前提の文化なの? /20210120185917(8), ■西野よりもQどもをネタにしろよクソオタクども /20210119234100(8), ■モルカーはこれだけ話題になってるのに /20210118231931(7), ■バイデンさん /20210120010313(7), ■YOASOBIと混同する文字列 /20210120102429(7), ■ /20210120120645(7), ■社内恋愛ってどうやってるの? /20210120133002(7), ■免許取ったら親が車買ってくれた /20210120135940(7), ■コロナが怖いから常連以外は来ないで欲しいと言われた /20210120230055(7), ■ナンパ界隈について /20210120155246(6), ■モルカーは別に覇権アニメでもなんでもない /20210120104139(6), ■女1人焼肉デビューした /20210119232337(6), ■PDCAを高速回転したら空も飛べるはず /20210119231047(6), ■大学そばのスーパーでバイトしてるんだけど /20210120110853(6)
うちもソーシャルゲームのBOT作るためとか(昔のflashとか、htmlベースのやつ)、延々とゲームの解析して、
javascriptとか書いてたな。。。
やりたいことをするためのプログラムおもろいよな。
(今でも使い続けているやつ、いくつか持ってる)
ZonuChat - AAキャラをアバターにして交流できるスマホ対応のチャットサービス
https://i.imgur.com/Cfn61sv.png
↑
イメージはみたいな感じ
Flash終了に伴いこの手のサービスで閉鎖されるのが増えそうなので年末年始ステイホームで暇だったのもあり思いつきで開発始めてみた
一応まだ粗い部分とかアバターが少なかったりとか足りない機能もあるけど出社始まる前に一応動く段階になったからベータ版として一旦公開してみる
やきう民や嫌儲くんの可愛いキャラクターをアバターとしてみんなで交流できるよ
座標計算とか無限ループ中でnミリ秒ごとに何ピクセル移動させるとか割とブラウザゲーみたいな内容だったけどこのくらいならVue.jsでもなんとかなるもんですね
よかったらブクマしてみてねー
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
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久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。
私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。
ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。
※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。
80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。
また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である。
(余談だが、日本の半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトはさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)
とはいえ世界的にみると日本の電機メーカーは資金力・技術力ともに上位であり、一時的な不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。
そんな時代背景の元、日本企業は貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業の成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | カリフォルニア州ローズビル | 1981 |
富士通 | オレゴン州グラシャム | 1988 |
三菱 | ノースカロライナ州ダーラム | 1989 |
日立 | テキサス州アービング | 1990 |
松下 | ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収) | 1991 |
東芝 | ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) | 1996 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 英 リビングストン | 1982 |
日立 | 独 ランツフルト | 1990 |
三菱 | 独 アーヘン | 1990 |
富士通 | 英 ダーラム | 1991 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 中国首鋼集団と合弁工場設立 | 1991 |
三菱 | 台湾力晶半導体(Power Chip)と提携しDRAM技術供与 | 1994 |
東芝 | 台湾華邦電子(Winbond)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
沖電気 | 台湾南亜科技(NANYA)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
日立 | 新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資でシンガポールに工場建設 | 1996 |
Windows95ブームの終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。
次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。
かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業に覇権を譲り渡してしまった。
資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期に事業の多角化を進めて半導体に新規参入した鉄鋼メーカーだった。
続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場は投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...
工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワーと資金の浪費に終わった。
こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。
NEC、日立、DRAM事業の統合を決定。エルピーダメモリ設立。
神戸製鋼、米TIと合弁の西脇の半導体工場を米Micronに売却
日立、台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能。現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場、トレセンティテクノロジを常陸那珂に設立
東芝、DRAM撤退。北米拠点のドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。
NEC、非メモリー半導体事業を分社化、NECエレクトロニクスを設立。
繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。
90年代後半からの不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。
折からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!
パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶・プラズマをはじめとするテレビ、DVDレコーダーにデジカメ等、日本のお家芸である家電のデジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!
さらに、世界中で規格が共通化された第三世代携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本の携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!
製造業の国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!
日立と三菱がロジック半導体事業を統合、世界三位の半導体メーカールネサステクノロジ誕生。
富士通、米AMDとNOR型Flashメモリ事業を統合、Spansion設立。
エルピーダ、三菱電機からDRAM事業を譲渡。日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash工場、四日市第3工場建設開始
Spansion、会津若松に300mm対応のNOR型Flash工場建設を発表
ルネサス、UMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社化
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash第4工場を建設開始
2000年代の日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。
日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電は韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。
90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資を継続する資金的余力はもはや残っていなかった。
不採算部門とみなされるようになった半導体事業は設備投資が止まり、建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。
これ以降は、東芝のNAND型Flashメモリや、ソニーのイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダのDRAM工場といった外資の資金を得た分野のみが投資を継続されることになる。
ルネサス、日立時代からの欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却
日立、シンガポールの工場をシンガポールのチャータードセミコンダクタに売却
ルネサスとNECエレが合併。世界第三位の半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクス発足。フィンランドのノキアからモデム部門を買収。
ルネサスエレ、NEC時代からの北米拠点、ローズビル工場を独テレフンケンに売却
米オン・セミコンダクター、三洋電機の半導体事業を買収
ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退、さらに2300人リストラ。またNEC時代の中国の合弁を解消し撤退。
富士通、マイコン・アナログ事業を再建したSpansionに売却
東芝、四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え
Panasonic、半導体工場をまとめてイスラエルのTower Jazzに売却
富士通とPanasonic、SoC設計部門を統合、ソシオネクスト設立
この時期に至ってようやく主要半導体メーカーの工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。
リーマンショック後の大規模再編で日本企業の世界的地位はかつてないまでに低下し、国内の工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。
現在半導体の先端工場に継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニーと東芝のメモリ事業を引き継いだキオクシアだけである。
はたして日本の半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?
東芝、四日市の第2工場建て替え完了。大分と岩手の200mm工場を分社化、ジャパンセミコンダクターを設立。
東芝、本体の粉飾決算のあおりを受けてメモリ事業を分社化。東芝メモリ設立。四日市に300mmの第6工場建設開始。さらに北上市に300mm新工場を建設
ルネサスエレ、米intersilを買収
東芝メモリ、四日市の第6工場が稼働。多国籍連合のファンド、パンゲアから出資を受ける。
富士通、桑名の300mm工場を台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。
Panasonic、残ったマイコン等の事業を台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退
俺は忘れてねえから、ニダーのAAがそこかしこに跋扈し、天安門の名を唱えることを正義の証明だとお前らが信じていたあの時代をよ。
もし20年前にあの記事が公開されてたらお前ら大喜びでDHCに「よく言った!」とレスしてただろうよ。
そしてチョントリーをバカにするFLASHが作られてたはずだ。
チョンチョンチョン!チョントリー!チョン売国ワン・ツー・スリー!アイゴーホルホル「突撃(コンギョ!)」だ!チョッパリ騙しのチョン売国企業!正義の在日チョントリーV!チョン売国扇動!チョン売国ブーメラン!チョン掌スピン!見たかコリアの必殺の嘘!謝罪と賠償請求するぜ!ニダーのニダーのチョントリーV!
みたいなのをな!