はてなキーワード: 芸大とは
大学やめたすぎる。この1年ずっと思ってる。大学受験のときに適当に進学先決めた自分ぶん殴りたいし何ならぶっ殺したい。国試受かれば就職余裕^^じゃねえんだよハゲ、受験期飲みまくったアルコールで脳死んでんじゃねえのか。
動物別に好きじゃないしテストもしんどいし何よりこの大学に全然合わない。中高6年過ごしてきた環境と違いすぎて無理。友達や学務の人はいい人多いけどそれを補って余りあるほどに大学のカラーが無理。こんなクソ田舎で大学生活エンジョイ(笑)してるやつら脳にウレタン詰まってる、間違いない。お前らがBSEなんだよ。あー無理。くたばれ。
パッと見楽しい大学生活送ってると思うけど、内情がドロドロしすぎてしんどい。twitterでのオフパコしたされた問題より全然聞いてて気持ち悪い。全部壁の向こうの話に聞こえる。第一皆なんでそんな獣医に対して意識高いの。変だよ。
なんで6年生までやんなきゃいけないんだ、留年しないのにセルフ理科大かよ、留年しやすいところもほんと理科大、ただし偏差値も教育レベルも理科大以下。ていうか中学校以下だろ、サル山の猿教育してんのか?日光猿軍団か?教授が聞いたことない本物のFラン卒とか大東亜の学士しかもってないとか割とどうかしてるでしょ。ここ音大とか芸大みたいな芸術系大学じゃないのよ。今時私立中高の教員でも旧帝なり院卒なんてそこそこいるだろ、頼むからドカタやっててくれ。人を教育するレベルの人間性を持つ人間が少なすぎる。猿相手にはちょうどいいのかもしれないけどさ。
今から編入考えて近くの国公立のサイト見まくってるけど、仮に編入したとしてストレート卒業でもギリギリ三浪で就職アウトじゃん、もういっそ文転して再受験してニッコマあたりに入って底辺人生を適当にやりたい。卒業即ナマポ、なしではないよね。新卒文化死んでほしい。ていうか社会死ね。保育園落ちる前に日本へのヘイトが溜まりまくっている。
やる気なさ過ぎて留年すると思ってたけど今年は免れそう、ってそんなのどうでもよくて、成績の良しあし以前に精神が持たない。ドカタバイトでトラックの運ちゃんに理不尽に怒鳴られてたほうがまだ精神的にマシだった。これが人生か?ならさっさと自殺したい。
大学卒業まであと何年もあるけど普通に留年はするだろうしそもそも卒業するまでに入院か自殺かどれかだと思う。大学やめないと死ぬ。
という事を明日スクールカウンセラーに話してきます。
今、写真の勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達が高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。
写真家と呼ばれる職業の人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種の人達ではない。
今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。
以前は東京写真専門学校やビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し
優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近の写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ
ではなく写真と言葉、ステートメント、ポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。
港 千尋ー早稲田大
奥山由之ー慶応義塾
木藤公紀ー東北大学
・・
そのほかにも最近の写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的で視点が面白い。
プレゼンスタイルも高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。
勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市立芸大、その他の多摩美、日大、武蔵美、大芸大なども
多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外で写真を学んできている人もいるだろう。
写真ポートフォリオレビューでもフランス人やアメリカ人のポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに
まずは英語が最低でもできていないと自分の写真の意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、
書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。
「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥムも理解できず3行で寝てしまうという始末。
元々、コンセプト写真は海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真の技術とセンスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる
特に最近は写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真=芸術とみなし、芸術家と自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように
思えるし、InstagramやSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。
写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家の写真集が良いの?」
と揶揄される始末。マイナー・ホワイトやピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。
マイナー・ホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。
http://moro-oka.hatenablog.com/entry/2016/12/12/055556
>当然だが作品をつくる作家だけがいてもアートは成り立たない。
>それを見る人、理解する人、評価する人、批判する人、そういったそれぞれの「反応」があって初めて作品はアートとして成り立つ。
>作家がどれだけ頑張って素晴らしい作品を作っても、それを真摯に見てくれる人がいなければ、何の意味もない、
>李禹煥の石はただの石になり、Chim↑Pomのビルバーガーはただの廃墟になり、ダミアン・ハーストのサメはただのホルマリン漬けのサメとなり、
ごもっともだったりそこはどうかしらだったり思うところが色々ある記事なんだけど、
一番気になったのはこのセンテンスについてで、趣旨からは外れた些細な部分かもしれないが
真っ先に「デュシャンは頑張って便器作ったわけじゃねーだろ」とつっこんでしまったのだった。
作家と作品と場所だけで、アートは成り立たないんだろうか。本当に?真摯に見てくれる人の目が絶対に必要?本当に?
他者の目がなくても、まずは場所とモノの二者関係で成り立ったのがデュシャンの作品だったり、ダミアン・ハーストだったりなんじゃないのか?
芸術を志す(した)人が『僕らは芸大に通ってるだけの普通の隣人ですレッテル貼らないで』って言い立てながらその口で
芸術には未だに『真摯に見てくれる人』の目が必要なのかと思うと、おそろしくがっかりする。
結局それは他者の奇異の目はいらないと言いながら、真摯な目は必要とするという、非常にご都合の良い宣言にほかならないのだから。
アートとして成り立つ作品の前段階には、多分、アーティスト自身と作品との戦いがある。
アーティストがアートという謎と真摯に向き合った結果がデュシャンの『泉(便器)』で、李禹煥の『もの(岩)』で、
ダミアン・ハーストの『ナチュラル・ヒストリー(ホルマリン漬けサメ)』なら、
それを初っ端から"理解する人、評価する人、批判する人"などと真摯な目を期待しなければ成り立たないほどに
そのアートは軟弱ではないはずだし、それを見た人の好奇の目すら飲み込んで人々を頭の中を???でいっぱいにするからこそ、
>しかし、こうした注目は、危険ではありますが、あるいは悪いことではないのかもしれません。
>その注目を、もっと深いところまでわたしたちが持っていくことができれば、わたしたちのやっていることを理解してもらえるチャンスになるかもしれません。
>芸術というものの重要性に気づいてもらえるかもしれません。そうした期待を込めて、書きました。
結局彼女の書きたいことは、「芸術家という人の“こと”」であって「芸術」そのものについてではないし、
それならば彼女が就活してるだの、近況で夢を背負わされて辛いだの自分自身の出来事の記述に終始してることに納得できる。
でも、それは彼女の作った芸術作品でもアートでも何でもないし、私は「芸大生とはなんぞや」という議論と
「芸術というものの重要性」の議論は全くの別物で、前者を特に議論しようとは思いもしない。
電通に入るようなエリート層は「降りたら死ぬ」ゲームを生きている - トイアンナのぐだぐだ http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629
はてなブックマーク - 【胸くそ注意】トイアンナさんに聞いてみたいんですが… http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20161015135908
「宴会芸大全」あんたっちゃぶる 4 | マンガ図書館Z http://vw.mangaz.com/virgo/view/3704/i:29
この三つを読んだ週末明けの月曜日。いつもの満員電車の中でいつものように目にする車内広告。
ちょっとおしゃれだったり工夫が感じられたり、安らぎや癒やしや生きる事への励ましや、そんなメッセージが伝わる広告が流れている(下品なゴシップ誌の吊り広告もあるけれど)。
今までは何気なく「きれいだな」「上手いな」「洗練されているな」と感じていた広告たちが、今朝は全く違って見えた。
きれいで、上手くて、洗練されているデザインやメッセージやモデル・俳優の笑顔の向こうに、上の記事で読んだ接待芸の数々が二重写しに見えるような気がしてしまった。
Fラン大学エピソードを見かけたので、Gラン大学エピソードも書いておくね。
入学当初、会話がへたすぎてこういうことが多い。
男女関係なくすぐ殴り合いになる。
1年終るぐらいまでこんな感じ。
大小限らず漏らす。そしてそれを隠さない。
限度を知らず飲み過ぎて大小解放、口からも解放という人がいた。死にかけていた。(女
水辺を見つけると脱ぎだすのも大抵は女。
「ポップミュージックの考察をしてこい」という課題に、「だんご三兄弟」の歌詞を規定文字数に足りるだけリピート記述して出したやつがいる。(可
今思えば、リピート記述することで"考察してる感"を表現したのかもしれない。
「僕は"課題の提出を断る"という答えを提出します。先生はどう思う?」と言った。(可
しゃべってる人がいない。寝てる人はいる。
他の大学へ遊びに行ったら授業中しゃべっている人がいて驚いた。
また、興味のある授業に対しては生徒の熱中はすごい。
集団行動ができない(好まない)ので、サークルに入っている人なんて5%以下。
存在すらよく知らない。というかサークルはあったのか?部はあった。
できないのかしないのか?
学年の3/4以上は就職しない。
理由はないらしい。
悲鳴をあげている女子のもとへ飛んで行き、つかまえてパクっと食べる。問題解決。
ナチュラル系の小柄な女の子の腕ガァァァ!!!耳ガァァァ!!!なことが多い。
(多いぶん理解?受け止める人?というか気にしない人が多い。気にせず露出してる人が多い。)
「もうパンとワイン以外は体にいれない!」と言い放ちベロベロで学校に現れる。
科にもよるが1/3〜1/5ぐらいの人は精神病になる。
身体を拘束した上で1日過ごす実験とのこと。もちろん授業もそれでうけていた。
ガムテ臭かった。
極限まで清潔にする実験をしていたとのこと。血まみれになっていた。
研修先の施設にあった国宝級の像によじのぼって怒られる、触っては行けない絵に触るなどする(なぜか出禁にはならない
すごくまじめな人だったので驚いた。本当にまじめに触りたくて触ったらしい。(わけがわからない
尚、休憩中も全裸で学食に出入りしてオバチャンに怒られるが、懲りずに出現。割と場になじんでいる。
男女問わず、友達の1/5ぐらいの全裸は見たことがあるかも。(エロくない意味で
学祭になると、30はとっくに超えた金髪リーゼントの院生登場。
学部生が作った神輿の最頂部に登場して大暴れ。それを一生懸命運ぶ1年生。
元ヤンぐらいしか集団行動に長けた人がいないのでとっても助かる。
殴ってでもまとめてくれる。(本気で殴られるのでとても痛かったです。暴力反対!
だいたいは風化するが、たまに地域のお地蔵さんになったり行政が設置したアートっぽくなっているものがある。
学外で軽犯罪を犯すも警察で「アートです」と言い張り、大学に「アートなのかどうか」確認の連絡が来る。(アートじゃない
学校から家まで直線距離で帰ってみたかったという人が、直線上にあった民家に侵入。(警察沙汰
ホームセンターで資材運び用の軽トラを借りて、そのまま旅に出る。(裁判沙汰
こんな人ばかりじゃないけど、こんな人がわりといました。
故あって左京区内で引っ越すことになった。いやはや、大変ですわ。初期費用が家賃の四倍という相場を聞いていたけれど、本当にそういう額になった。そうでなくてもバイトしながらの健気な院生なのに。金ないので、結局、勤め先の上司に原稿料の未払い分を請求&前借して金を調達した。貯金って必要ですね…。よーく、考えよー、お金は大事だよー。
いろいろと悩んだし、数件は見て回り、ちょっと詳しくなった。京都の賃貸事情は他と違うらしい。時期も違うのでアレだが、おもしろかったので、以下にメモ。
【13:28追記】投稿者が探した物件は単身用・25平米以上・風呂トイレ付
京都が他と違うところは二つ。
1.畳の大きさが広いこと
畳の大きさは「京間」という。ググれば出てくる。また礼金は、最低でも家賃一か月分とられるし、場合によっては三か月もあり得る。更新料は最低でも一か月、多くの場合、2か月分である。なので、二年で更新料がかかるにしても、合計で24か月分ではなくて、27か月分以上支払うことになるし、そこに敷金が加われば、さらに増額。なんとも納得いかない話だ。
いろんな事情があるから一概には言えないが、元不動産屋の友人からもらって役立ったアドバイス。
②家賃は出せる額の最大まで出す(安ければその分環境が悪くなる)
京都の左京区暮らしでおもしろいことが幾つかあるので以下羅列。
京都は人口の一割が学生であるといわれるが、大学数だけでいえば、全国7位である。
http://ozaemon.com/blog/kyoto-student/
1位 東京 138
2位 大阪 56
3位 愛知 52
4位 兵庫 41
5位 北海道 36
6位 福岡 34
1位 東京23区 94
2位 京都市 26
5位 札幌市 14
6位 横浜市 13
大学生の数 143,162人
つまり、京都府下の大学の八割が京都市内に集中している。10人に1人は大学生だ。しかし、そこに専門学校生や厖大な数の修学旅行生も含まれていない。大学数1位の東京23区はだいたい18人に1人。3位の神戸市は22人に1人らしい。
他区とくらべて大学が多い。ざっとあげれば、以下7つの大学がある。京大、工芸繊維大学、府大、精華、造形芸大、ダム女、情報大学院大である。従って市内26校のうち、7校(26%)が左京区に集中している。北区、上京区、中京区、下京区、右京区など他区には、だいたい3~4校前後が設置されている。
左京区は、他区と比べても1.5倍弱は大学が多く、その学生人口は鉄道(京阪)と自然(鴨川)で、三条・四条という京都市の繁華街と直結している。左京区の状況は他区でもある程度までは言えることだが、それでも少しばかり状況が過密だろうという話。
余談だがマンションの購入という話になると三条・四条あたりの中古物件でさえ、数年で1,000万円単位で値上がりしたとも聞く。たぶん他府県では、こういう意味不明な状況はないのではないか。
また京都市を訪れる観光客数は年間約5,500万人、うち宿泊者数は1,300万人超、外国人が180万人程度である。訪日外国人の7人に一人が京都に泊まる。つまり体感として、京都市の中心部(三条・四条)では、5人に一人が学生か外国人になる。加えて、歩けば分かるが、住んでいる人間よりは観光客の方が圧倒的に多い。おそらく修学旅行生や国内の観光客を含むと、かなりおもしろい数字になるのだろう。
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/chosa/image/kanko_chosa26.pdf
移民政策の是非は置いておくにしても、移民受入れ後の日本の日常生活は、京都の三条・四条を歩けば体感できると思う。ということで、左京区暮らしの所感。普段みれないところを案内するから、みんな遊びにきてね。
なんか色々反応くれて有難う。まあ、ただの所感だから気にしないでくれ。個人的には、良さげな物件に明日引越なので、まあ良かったかなと思っている。いままでは北大路付近だったが、今度は丸太町沿いになる。大学までの距離は変わらないが、良かった。広くて安い家もたくさんあるし、とにかく安い家もある。また事故物件も検索すれば出てくる。とくに「心理的瑕疵物件」とか何だよ、と思うが、皆さん良いところ見つけて好きに住んでください。左京区楽しいよ。
最近話題になったNHKのニュースに出てる女子高生もアホな使い方しているみたいだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160818/k10010641551000.html
NHK出演の超貧困女子高生、Twitter垢が発見され豪遊人生を満喫してる事が発覚
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1893345.html
別に女子高生としては普通の消費じゃね?とは思うが、貧困ならこの使い方はまずい。ONE PIECEやEXILEに貢いでる場合じゃない。
PCが無くて困るなら、中古の1~2万の物で良いからPC買うべきだし、デザイン目指すなら消耗が早いコピックよりペンタブ買ったほうが良い。
1000円のキーボードだけ買うとか、完全に無駄な消費なので絶対やってはいけない。
女子高生らしい、本来の消費をした上で将来の投資もしたいという欲求が有るのだろうか。
その欲求はわからんでもないが、人それぞれの境遇は誰にでも有る。
普通の家庭、共働き年収400~600万の家の子でも、ああしたいこうしたいという欲求は有るだろうよ。
極端な貧困なら同情もするが、使い方次第でどうにでもなる貧困は、自分で解決しろよと思ってしまう。だって、俺がその立場なら自己解決するから。
例えば件の女子高生はデザインの仕事につきたいのに、アニメの専門学校に行きたかったらしい。
アニメ専門学校の就職率、平均年収調べたのかと。本当にやりたいなら美大だろと。
美大なら奨学金(という名の学資ローン)が取れるはずだ。優秀なら無利子や返還不要もいける。
ローン返済はしないといけないが、たかが数百万ならまともな職につけば返せる。
そんな保証無い生き方はイヤだと言うなら、そもそもデザインの仕事なんて目指してはいけない。
手堅い生き方したいなら、真面目に勉強して、偏差値60くらいまで頑張って上げて、返還不要の奨学金取るのが一番良い。
勉強が出来ないのなら、高卒事務員で優秀な会社員を捕まえるなど、戦略的に生きないといけない。
運や環境も含めて、その場の対応を頑張りながら何とか生きていくのが人間じゃないの?
貧困はビハインドではあるが、誰でもビハインドは抱えているし、彼女は生きていけないほどの絶望的状況では無いだろ。
自分らしく生きたい、やりたい事がしたいという話だろうか?
金の問題で芸大音大医大を諦める学生なんていくらでも居るので、キリが無い話になるが。
例えばクラシック音楽奏者は、才能があっても家が金持ちじゃなきゃ生まれた瞬間諦める事になるが、それも助けるべきなのか?
キリが無いんだよ。
障害や病気なら仕方ないが、健常者の10代が甘えてんじゃねーよ。
公的扶助を無くすと治安が悪化するし階層が固定化してよろしくない。福祉は絶対に必要だ。
ただ、考えない人に金入れても費用対効果が悪すぎる。
結果、飼い殺しみたいな福祉しか出来なくなっているのだが、その状況を招いているのは貧困者自身だからな。
まずは自分で何とかするっていう発想を持てよと。
こんな可哀想な私を誰か助けてって、自分に酔ってるヒマは無いはずだぞ。
追記
はてサの皆さんの一向に進歩しない「継続的支援が必要」説ですけど、その金どこから出るんですか?
小さな自己改善すらしない、出来ない人にいくらつぎ込んだら解決するんですか?
助けて欲しいなら、自分ができる事をやった上で訴えるのが筋じゃないですかね?
予算が限られている以上、予算が限られている以上ですよ(とても大事な事なので2回書いた)金つぎ込むなら、共働き夫婦の為に幼稚園作った方がマシですわ。
無論、自己改善した上で助けて欲しいと言ってくる人はその限りでは無いです。
しかし「私出来ません、やる気も有りません、方法もわかりません、お金ください」と言うバカに金やる事が、納税者に支持されるの?という視点を持たずに、多数の支持を得る事は出来ないのではないでしょうか?
公立の美大は入るのが大変説の人、アホですか?入る頭が無いなら諦めて別の道探せば良いだけ。
ただし、大学出ずにデザインの仕事するならブラック覚悟になるだけ。その中で何かを掴めるかどうかは自分次第。
自分の思い通りの学校に入って、思い通りの職につき、思い通りの人生を送るなんて、99.9%の人は出来ない。
貧乏のビハインドは認めるが、デザインの仕事をしたいと言いながら、アニメ専門学校に進学したいという人の面倒まで見るの?という事ですよ。
東京芸大の当落線上に居るから塾の費用が欲しいって言うならともかく、偏差値30台の高校に通いながら好きな進路に行きたいとかギャグでしょ。
偏差値30台の高卒だろうが、貧困層だろうが、ひっくり返せない事は無いんだよね。
ただし、ひっくり返すには金の使い方が必須になる。
俺の例でいうと、俺の親はナマポで買った宝くじ当たって2000万入ったが3年で使い果たして今は警備員、俺は会社勤めしながら金貯めて、それを元手に自営業から法人成りして社長。
会社員と言ってもブラックで一日11時間労働給料16万社会保険無しだったけどな。タダでブラック労働してたまるかと思って、学べる事全て学んで独立した。
俺はナマポ片親の貧困層出身だよ。目の前には反面教師しか居なかったが、そこから学んだ。
まぁ、俺の真似が出来るとは思わないけど、稼ぐ仕事に就けなくても普通に生きられる。
月収20万でも、結婚して共働きすれば世帯年収480万で、子供1人くらいなら普通に育てられる。
EXILEやONE PIECEに貢いでたら無理だし、偏差値30台の高校に居るような男と結婚したら詰むけどな。
俺の高校時代とくらべても、件の女子高生はアホ過ぎて話にならんレベルだわ。
まぁ俺に才能が有ったと言われたらそれまでだけどな。
ぼくは灰原哀が誰だかは知らないが、落とせない女性などはいないと思っている、所謂恋愛強者だ。
一般的に強者が弱者の力になることで社会の停滞は終わりを告げるとされる。
社会の為にも、灰原哀を落としたいあなたの力になってあげるべきだとぼくは思った。
灰原哀をネット調べてみると、wikipediaに項目があった。
なに、有名人だとしても恐れることはない。
灰原哀のwikipediaを開くと予想以上にごちゃごちゃ書かれていた。
ぼくは長い文章が苦手だ。
長いwikipediaの記事を読んでいると眠たくなってくる。
・灰原哀の嗜好
このふたつのオブジェクトを並列に記す点から推理する限り、好きな女性雑誌とはananみたいな情報誌ではなく、VOGUEやHarper’s BAZAARあたりのモード系ファッション誌とみて間違いはないだろう。
VOGUE以外のファッション雑誌において「よく買う」はありうるが、「好む一面」と第三者に見られるような行動は取るような状況は一般的に考え難いからだ。
ならば簡単だ。
こまめにセンスの高いブランド物をプレゼントして、彼女の審美眼を、センスを褒め続ければいい。
……待てよ?
なにか引っかかりを感じた。
なにが引っかかっているのか。
すると、そいつは姿を現した。
ビンゴ! よーし良い子だ。
灰原哀はブランド物や女性雑誌が好きなのに、おしゃれではなかった。
それを示す画像が次々に表示された。
ブランド物と、女性雑誌を好むとする女性がなぜこんなにも女子アナみたいな(夏目三久を除く)コンサバティブなスタイルを採択しているのだろうか。
なにか理由があるに違いない。
なるほど、そうだったのか灰原哀。
わかったぞ灰原哀。
ぼくは思い出す。
彼女は言っていた。
「結局男ウケするにはコンサバなのよ」
そうなのだ。
つまり、灰原哀はこのお局さまと同じく、「本当はモードファッションでガン攻めたいけれども、男ウケを考えてコンサバに抑えている」。
従って灰原哀とはお局様同様、「彼氏募集中」だし、男に飢えている餓狼状態なのだ。
これは追い風。
いま、あなたはセンスを問われるブランド品のプレゼントを買う必要もなくなった。
なぜならば彼女は「いい男いねーかなー」よりもやや自信の低い「誰でも良いから付き合いてーなー」という状態だからだ。
ストーカーにならない距離感で、まめに存在をアピールしていれば、焦り始めるクリスマス前やバレンタイン前に落ちる。
逆に吉野家に連れて行くとかでも落ちる。
ちなみに、お局様はというと、今年のバレンタインの後、モードファッションに戻った。
バレンタインの夜は、ぼくと池袋でも一番安い「ホテル ショコラ」というラブホテルで過ごしたのだが、その後会社で会ってもLINEでもよそよそしくされている。
でもまあ、クリスマスごろにはきっと向こうからなんらかのアクションがあるだろう。そういうものだ。
ああ、いや、ぼくのことはいいんだ。
あなたが灰原哀を落として、社会の停滞に終わりを告げてくれることがいまのぼくにとっては楽しみだ。
頼んだぞ。
あらかじめ身分を明かしておくけど、私は東京の美大(デザイン系学科、そこそこ有名)に通っている学生。
去年の夏頃からモヤモヤした思いがあったけれど、今やっと自分の中で整理がついたので書きたい。
まず専門的な知識がある(又は勉強している)人間から見たら、あれら4つは全部ダメ。
オリンピックにおけるデザインの機能っていうのは、一つは『情報をきちんと人に伝達すること』。
エンブレム候補、1cm四方に印刷してみろ、ほとんどの線が細くて消えちゃうし、なにがなんだかわからなくなるだろうが。
オリンピックって巨大なイベントなんだよ。エンブレムがでっかい垂れ幕とか巨大なスクリーンだけに表示されるって保証はないわけ。
ちっちぇえチケットだの、スポンサーのチラシだのに印刷されたり、クソ解像度の低いスマホのディスプレーに表示されるかもしれないだろ。
その時にきちんと「東京オリンピックに関する情報だな」ってわからねーとエンブレム失格なんだよ。バーカ。なんだこの細い線だの、ちっさい要素は。
後もう一つの機能は、『大会全体の視覚的な表現を、一つに統一して世界観をつくること。』
これらのエンブレム候補がCMになったり、ポスターになったり、看板になったりしていく姿を想像できるか?せいぜいエンブレムをパーツに分解して模様にできるくらいだろうが。
それに、そういう展開に関することを、作った本人たちはほとんど考えてないだろうな。この感じだと。コンセプトも全部エンブレムにしか当てはまらないことだし。
デザインコンセプトを必要としてるのはエンブレムだけじゃないんだよ。大会の視覚情報全部なんだよ。全部。
大会全体のすべてのヴィジュアルな部分を(CM、ポスター、会場の看板、チケットに至るまで全部)一つの世界観でまとめられて始めて、デザインとしての機能を満たしたっていうんだよ。
この2つめの機能がしっかりとしてないと、映像とかポスターとかを見て人が感動したり、グッズが売れたりしないし、観客とか選手の精神的な高まりとかもなくなっちまうんだよ。バーカ。
だいたいエンブレムだけ公募で考えさせてどうすんだよ。オリンピックに施さなきゃいけないデザインってエンブレムだけじゃないだろうが。
グッズだって出すし、テレビCMだってポスターだって作るだろうが。Tシャツとかの端っこにちょこんってエンブレムがくっつくだけでグッズ展開完了ってか。ふざけんな。そんなの誰が欲しいんだよ。
大会全体のデザインコンセプトが、すべての視覚的な表出物に、適応するように、俯瞰して考えられてから始めて、デザイナーとして立派なんだよ。
なんだよあの候補は。エンブレムのことしか考えてねーじゃねーか。一個一個の意匠が小綺麗だったりするだけじゃ、だめなんだよ。もっとオリンピック全体で考えろよ。
チケットにだって、会場の壁面にだってテレビCMにだって、ポスターにだって、デザインを施さなきゃいけねえんだよ。こんなエンブレムだけにおさまっちゃってて、展開性のないもんが使えるか。バカ。
あと何度も言うけど、デザインは“機能”なんだよ、“機能”。おまえらの考えるお絵描きとはわけが違うんだよ。
「私はこっちが好き〜」とか「俺はこっちが好きかな」とかどうでもいいんだよ。おまえらの感想を聞きたいんじゃないんだよ。機能的なのか否かで判断しろや。バカ。
だから、デザインっていうのは誰でもできる活動ではないんだよ。美大のデザイン科では好き勝手に絵を描いてるわけじゃないんだよ。
デザインがどうすれば十全に機能するかを学んでるんだよ。それは経済学部が経済学を学んでいたり、工学部が工学を学んでるのと同じことなんだよ。おまえらの考えるアーティスト像と一緒にすんな。
だから、デザインが機能的かどうかっていうのはプロにしかわからねえんだよ。私はまだ半人前にもなれない身だから、そういう判断を完璧にできるほどの能力はないけれど、そういった判断がプロにしかできないってことぐらいは確信持てるわ。
ネットの奴らもテレビの奴らも組織委員のやつらも、プロの仕事、キャリアをなめすぎなんだよ。本当に。
今の状況って、歴史に残る大イベントの設計の仕事を、素人・アマチュアに丸投げしてるってことなんだぞ。そのことわかってんのか。バカ。
これって、セレブリティーのためにつくる重要な料理のメニューを、クックパッドで決めたり、ジャンボジェットの運転を、「フライトシュミレーターで遊んだことあります〜」とか言うそこらへんの飛行機マニアに任せたりするようなもんだろ。
だいたい、なんでエンブレムの審査委員長が芸大の元学長なんだよ。あの人、金属工芸家だろうが。芸大のトップだったからってデザインがわかると思うなよ。
それにスポーツ選手が審査員の中にいるの本当目を疑ったわ。なんなのあれ。別に芸大の元学長は工芸のトップレベルの人物だし、スポーツ選手たちもトップレベルのスター選手なんだけど、デザインのことは何がわかるんだよ。
「なんとなくこっちがいいかな〜」とかしか言えないだろうが。逆にスポーツの監督をデザイナーがしてたり、工芸についてデザイナーが教えを垂れてたら、絶対怒りだすだろ。絶対。
あと感情任せにいい加減なポストするネット民も本当なんなんだよ。お前の好き嫌いとか本当にどうでもいいんだよ。感情で話すなよ。論理で話せよ。論理で。バーカ。
前のエンブレムも、感情で言ったら私だって好きではなかったけれど、論理(著作権法等の法的観点)からいったら全然セーフだったじゃねーかよ。だから私だってあのエンブレムのままでよかったと思うよ。
それに、一番やばいのは論理的な観点を置き去りにして、感情的になった民意(笑)にまんまと動かされちゃった組織委員会の人たちだよ。そんな非論理的なことで、大イベントのこと決めていいのかよ。バーカ。
マスコミだって、なに「ネットで探しました〜☆」みたいな情報ばっか報道してんだよ。コメンテーターの「私は招致の時のエンブレムがいいと思います〜♡」とか聞いてねえんだよ。感想ばっか言ってんじゃねえよ。
なんかもうここまでくるとオリンピックなんかどうでもいい。やめちまえよ。
感情的になって、こうやって書き留めるだけでそれをはらそうとしている、未熟な自分もバーカ。バーカ。
みんなバーカ。
バーカ。バーカ。バーカ。
今日、隣や上の部屋では容姿の良い男女がセックスをしている薄暗い部屋から、ルッキズム渦巻くキャンパスまで歩いていると、正門から救急車が出てきた。
どうやら、女が飛び降りたようだった。
研心館から飛び降りて死ぬかは怪しいから生きているかもしれない。
自分はキャンパスにいて死にたくならない方が少ないから、「分かる」と言いたいが、飛び降りた女の容姿がよければ自分は間違いなく「甘え」というだろう。
東京の渋谷に年収600万円で暮らすのは、苦しいという文章を読んだ。
ただ、一番気になったのは文章ではない。
トーキョーはカネがないと幸せになれないというコメントである。
それは幸せではないのか?
自分にとっては一番マシだ。
自分は勉強が出来ないので、京都の田舎のバカな金持ちが集うクソ大学に通うが、幸せになる手段は容姿しかない。
そんなことはないという人がいるかもしれないが、親の知り合いの京都の某芸大の講師の女性の方にそれをいったら、
「そうやなー 確かに恋愛がメインな街だから」というような返事が帰ってくるからまぁそうなのだろう。
京都というのは、とことん容姿がものを言う街だ。性的魅力がないと惨めな生活を送る。
身なり、ヘタしたら美容整形ですら焼け石に水な可能性が十分な程度ある。
カネというのは分けること、稼ぐことができる。
ずっとマシなのだ。
お金がなくて、苦しんでいる人がいたらお金をあげるだけで幸せになれる。
しかし、東京という街はマシなだけで、決して完成させた街ではない。
中途半端に容姿とかが絡むから、金を貰えない人が出てくるのだ。
自分は親が金を比較的持っている方だが、羨ましがられたことがない。
不細工な父親が数千万円稼いで、実家が千代田区の賃貸マンションで、ひどい癖毛で、分厚い唇に、重い一重まぶたに、大きな顔、綺麗と言えない肌という遺伝情報を自分に伝えてくださった母親の口座に月100万円の家賃抜きの生活費が振り込まれているがない。
それは、おそらく自分が接してきている人間が、カネよりも容姿の方がどうにもならないと思っているからだろう。
自分は他人から容姿で褒められたり、羨ましがられたことがない。
こんなに醜いなら、自分の方がマシと思えるのだろう。
現役美大生です。
いろんなまとめサイトやそのブコメなどで「多摩美やムサビは同じ出身校同士の結びつきが強い」「電博(電通・博報堂)とのつながり」というコメントがちらほら見受けられました。それを一言で「身内褒め」でピシャリと言い切ったものもありました。
今まで僕はギャラリーでサノケンや佐藤可◯和、森本千◯、長◯りかこなど、美大生の間では名の知れたデザイナーの作品を数多く見てきました。その作品を見るとたまに、またか…と思ってしまう自分がいました。まだデザインの仕事に深く携わっていませんのではっきりと言い切ることはできませんが、色々な人達が指摘した通り、身内褒めは存在すると思いました。
まず電博のエリート派閥にいるのはほとんど芸大ムサタマです。そして電博に就職したいと思っても面接を受けられるのは学校が決めた成績上位者の極一部だけです。ゾシビやゾーケーが電博にいないわけではないと思いますが、芸大ムサタマ以外でドカンと売れるデザイナー(野田凪、吉◯ユニなど)は電博出身ではなく、電博出身で独立したデザイナーの事務所に所属したのちフリーになるという流れです。だから電博と芸大ムサタマの結び付きが強いと言われるのです。
またエンブレムの件で言えば、前作の亀倉雄策のデザインが圧倒的というのもありますが、美大や芸大や専門学校とかの美術的な素養がある人達の間だけでウケるグラフィックってやはり存在します。ではなぜ芸大や五美大にいる人達が見たものが良いとされるのか。一目エンブレムやロゴなどを見て「ここが良い、ここにメッセージが含まれてる、ここが足りない」といった、デザインに隠された欠点やメッセージを読み解く訓練をしているからです。「デザインが分かる人」のイメージは概ねこれだと思います。美大生の間でもそれは同じです。
しかしこの目が肥えていくうちに、美術的素養がない人の作品の見方に大きく差が開いてきます。これが身内褒めを促進させるのではないかと思っています。
デザイナーや専門の批評家同士、ワカッテル人達に絶賛されたりお墨付きも貰えたりする。この身内褒めがあってこそデザイナーは自身にとって簡単には揺るがない評価を手にすることができます。デザインに詳しい人が良いと評価すればデザイナーとしての評価に直結するでしょう。これは絵画でも同じです。(他にそういう例えができるものがあるかどうか探してみてください)こうしてデザイナーのキャリアは作られます。
今回みたいにとことん目立つところで、美術的素養がない人達に発表するということがそもそも少ないのです。一般人にはどうせ分からないだろうけど、凄く良いんだよこのデザイン、と褒める人達は美術が分かる人達、つまり身内に限られてきます。わかる人が分かればいい!という独り善がりのデザインに向きやすいのです。
美術に素養がある人達でも、良いと言われているものが何故良いとされているのかを見抜けない、また理解できないことは多々あります。例えば大◯卓也がデザインしたHungry?というキャッチコピーとゾウを使ったカップヌードルのCMはとにかく業界内で絶賛されていますが、僕にはよく分かりませんでした。更に見抜く力が少ない一般人が「見る側」として圧倒的な人口を誇る中で、素養ある人達だけが分かる世界を見せてこれが優れたものですって言われてもねって感じかと思います。
もちろん十人十色で感じ方は違います。だけど美術的素養があって各々評価の基準と見方を分かってる人にはいいデザインだと見抜けても、まったくそういう知識もなしに初めて見たときには物足りなく見えたりするデザインはどうしたらいいのか。考えているデザイナーはいるでしょうか。コンペで選ぶのはみんな素養のあるサラブレッド達だから尚更です。
自分が今こういう状況にあるということが理解できているだけマシだと思わなければ。頑張らなきゃと思えるだけマシ。
私もあなたと同じような感じ。フリーターを経て芸術系の大学に入学し、1年目はどうやら優秀だったらしい。自信もあった。
でも、2年目の今年は教授や講師連中に中々認めてもらえない。他の学生はどんどん実力をつけているように見える。焦る。
芸大のくせにクリエイティブなことを勉強しないという特殊なコースを、みんなよりも少し年上の私が専攻してしまっている。
アクティブさが求められるのに、酒を飲まないとろくに話ができない。これからやっていけるのかどうか心配になる。でも努力ができない。だらけてしまう。
このままではいけないと思っているのに、勉強するのは長風呂をしている時くらいだ。熱い風呂に浸かって汗を噴き出している時だけ、頭に新鮮な情報が入ってくる。
そのくせ変なプライドがあって、頑張っている学生を嘲笑してしまう瞬間がある。頑張ったところでお前はダメじゃないかと。俺のほうがダメなのに。遥かに劣っているのに。
俺だけが住民税を払いながら学校に行っているような気がしてしまう。孤独感が辛いけど、俺はまだクズじゃない。俺よりもクズな奴はたくさんいる。
でも、限りなくクズに近い。
はたしてこれでトラックバックは送られているんだろうか
いち利用者として、この意見自体には賛同。的を射ていると思う。
だけども、京都市営地下鉄はずっと赤字が続いてて新しい路線を作る余裕がない。
もし新しい路線を作るとしても、京都という土地柄が弊害となってるのが実情だ。
どういうことか説明するぞ。
地下鉄を作るためには地下を掘る必要があるわけだけど、ここで2つのチョイスがある。開削工法とトンネル工法だ。
開削工法は地表からユンボとか駆使して気合で地下鉄の深さまで掘る方法で、トンネル工法は地下にトンネルをひたすら掘っていく、もぐらのような方法ね。
一般的には、開削工法は費用が安く、トンネル工法はすげえ高くつく。何故かと言うとトンネル工法ではシールドマシンっていうすげえ高価な機械を使う必要があるからだ。
ところが、京都は歴史的建造物が多く、地面を掘ると埋蔵文化財が出てくることがある。そのため、京都では開削工法を取る場合は、事前に発掘調査をすることが義務となっている。
つまり、京都の場合、開削工法もトンネル工法もすっげえ高くつく。
実際、京都市営地下鉄が赤字に苦しんでいる原因の一つには、以前地下鉄を作った時に予想を遥かに上回る建設費用がかかったことが挙げられる。
ということで京都(特に中心部)で地下鉄を作るのは相当な費用がかかる。
地面を掘る必要がないし、柔軟に路線を増減できるからな。それに初期投資も安い。
長期の都市計画なんて考えなくても、桂川にイオンができれば路線を増やせばいいし、京都市芸大が移動すれば路線を適当にいじれば良い。
それに地下鉄を作るためには数十年の都市計画を建て、どこに人が住んで、どこに流れていくか。最大限効率化した上で地下鉄を作る必要がある。
京都市が観光都市として上位にランクインし、顕在化している問題が大きくない今、わざわざ地下鉄を作る必要ないだろう、ってわけだ。
俺がパニック障害になって、そもそも人が多い街中(といっても地方都市)に住んでること自体、
負荷が高くて田舎者の俺はもうダメなのかもしれんね、みたいな話になった時、母が自分の昔話をしてくれた。多分30年ぐらい前の話。
美大に入るための美術の予備校みたいなところに通うために下宿してたらしい。中野とか言ってたかな?
下宿先から予備校に通うのに、田舎では見たこともないような満員電車に乗って移動するんだけれど、
通いだしてすぐに、電車の中が満員でまったく身動きが取れないのをいいことに、
後ろに立って服の首元から中に手を入れて胸をわしづかみにするタイプの痴漢に遭ったそうだ。
たった一度だったそうだけど、そのショックで下宿先から外に出られなくなり、
予備校から「出席してませんけど?」と親元に連絡が行って親がようやく状況を知って確認、
これはもうここにいても無理だと判断して、たった数ヵ月で上京生活は終わったらしい。
今でこそ、「まあ背は低いけど昔から胸は大きかったし!」と母は笑っていたけれど、
都会で育っていれば「よくあること」「そんなことぐらいで」と言えたかもしれないようなことでも、
田舎育ちの人間は、一発で人生が狂うレベルのダメージを受けることもある、
今の男の人は痴漢冤罪に怯えながら電車に乗るから、それだけで緊張状態になるし、
そういうことを続けてるだけでも心が疲れてしまうアンタみたいな人間がいるのも別に不思議なことじゃない、
だから私はアンタが都会から逃げ帰って来ても責めないよ、そもそも都会に向いてると思えないし、みたいなこと言われてちょっと泣いた。
ちなみに母は女性の社会参加とか権利向上とかそういうのに一家言ある感じにまとまってて、
今までは割と暑苦しいしめんどくさいなぐらいに思って聞き流していたんだけど、そういった経験が原因なのかなと思うと納得がいった、
母に痴漢した奴は死ぬほど後悔するような目に遭えばいいと思うけど、
結果的に母が父と出会ったのは最初目指してた美大を諦めて進学した地方の芸大を出てその街で就職した後だから、
そういう意味ではその時母が痴漢に遭ってなければ、俺はこの世に生まれてなかったかもしれないと思うと、なんか複雑な気分になる。
同時に、ネットにあふれてる痴漢被害とか痴漢冤罪で人生終了とかの情報に触れすぎて何かがマヒしてて、
東大の教養学部英語コースに合格した海外の学生の7割近くが東大入学を蹴ったそうですね
http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015032801001115.html
しかし東大の滑り止め化は2007年度にはすでに始まっています
京大が2007年度に保健学科以外の後期入学試験を廃止して以来、一部の京大生は東大後期を滑り止めにしました
「自宅から通える」
「東京が嫌い」
「京大の方が楽しそう」
という意見が返ってきました
私は権威が好きだったので、親が下宿を許すなら間違い無く東大を目指していました
しかし京大に入学してなんとか卒業し、就職して東大生出身者と交流するうちに、東大よりも京大を選ぶ人間の気持ちがわかりました
私が見てきた範囲なので偏っていることを前提にしますが、京大は次の点で圧倒的に東大よりも勝っていると思います
フェルミ推定はできても分析哲学や認識論の話はできない、ハイカルチャーなどの教養がない学生の割合が京大より高い気がします
東大には受験と就職に関係ないことはわからない学生が多い印象があります
しかし官僚や東京の有力者や名家の子息がごろごろいるのが東大で、そういう人は教養あることが多いです
吉田寮など家賃が月々千円未満の安い寮に入れば、かなり金銭的負担は小さくなります
思修館の院生だと専用の寮にタダで、しかも奨学金付きで住めます
また、授業料申請も半額免除までなら通りやすく、うまくいけば学生支援機構で借金しなくて済みます
それに図書館では名作と言われるクラシック音楽、映画、文学がほとんど揃っています
学生証を見せると入館料がタダの美術館・博物館も近隣にあります
お金がないけどハイカルチャーに飢えている人は是非来てください
なお、東京の某芸大の教授のご子息が「東京には文化がないけど京都は文化でできている。だから僕は京大に来た。」といっていました
そもそも東京より京都の方がのんびり暮らせますが、京大は特に時の流れがまったりした、おおらかさのある独特の空間だと思います
変人が多いのではなく、変人がのびのび暮らせるから自分を抑えない、もしくは普通の人が普段は隠している個性を発揮しやすい環境なだけです
東大はよくも悪くも真面目で、アンチコスプレ卒業式派の私からしたら「安田講堂に入れなくてもこんなに姿勢を正して粛々と式辞を聞いている東大生は真のエリートだなあ」と惚れ惚れします
私はブスだ。
小学校の時は面と向かってブスと言われたが、中学に上がってからはひそひそとささやかれるようになった。
いじめにもあった。何もしていない私が悪者に仕立てあげられたのに信じてもらえずに避けられたこともあった。
スクールカーストの底辺層は主にブスで成り立っていたし、底辺はいじめられていたから自分がブスに生まれてきたから、こんな目にあっているんだと思った。
下の妹たちは私には似なかった。二重で可愛く生まれた。もちろん彼氏もできたし、叔母やいとこ達に好かれていた。
私はブスだから好かれなかった。彼氏ももちろん出来た試しがない。
昔から絵を描くのが好きだった。
昔は絵をよく褒められた。褒められてチヤホヤされるのが嬉しかった。
だったら私には絵を描くしかないのだと思った。
その時に気付いた。私はもう別に絵は上手くはなくなっていた。
周りに自分より遥かに上手い人がたくさんいて、私が褒められるようなことは減った。
でも絵を描くのは楽しかった。描いている間だけはそういうことは考えないで描けた。
志望校には結局ことごとく落ち続けた。結局別の一番入りやすかった芸大に入った。
今も絵を描き続けてはいるが、以前より上達したのだとは思うが、思うように上手くは描けない。
SNSを始めたら、やっぱり周りには自分よりも遥かに上手く描ける人がたくさんいて、自分はほとんど相手にしてもらえなかった。
そういう相手に嫉妬した。
容姿の可愛い人間も、絵の上手い人間も、自分には叶わないのだと思うととても憎かった。
デザイン関係の仕事を探している。必死にやったこともあったが、連続して落とされて何だか疲れてしまった。
他人へ嫉妬する性格も悪化し、最近は本当になんでも憎いと嫉妬するようになった。
就職している人間の疲れた、もう仕事に行きたくないという言葉に「なら私が代わりに行くから辞めてくれ」とすら思うようになった。
絵をひたすら描いてSNSに上げては、その反応の少なさにイライラし、反応の多い絵を見ては更にイライラした。
親戚からも蔑んだ目で見られるようになり、可愛い妹は内定をもらった。
私も他の人と同じように誰かに好かれて、男の人に愛されて、結婚して、子供を生んで、幸せに暮らしたい。
こんな生活もう嫌だ。やめたい。
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追記
ここまで反応があると思わず、驚いた。
匿名ダイアリーを初めて使ったのとあまり読んだことがなかったためよく知らないので、
こういう追記は不要なのかもしれないが、コメント等を読んで少しスッとしたのでお礼が言いたい。
でもそれをやめなければ変われないし幸せにはまずなれないんだなと読んでいてよくわかったので、努力をしたいと思う。
小学生の頃から格好いい建物を眺めているのが好きだった。いつしかそんな建物を自分も建てたいと思うようになっていた。気がつけば美大の建築科を卒業し、アトリエ系と俗に言う有名建築家の事務所の門を叩いていた。この時はまだ、漠然と、自分ができる限りの努力を続けていれば夢は自然と叶うものだと信じていたのだ。
同期はすごい奴らばっかりだった。某有名建築家の息子として将来をメディアにも期待されている芸大出の奴。東大の建築科を出た、1を聞いて100を知るような奴。また、何も建築家はこの事務所だけから出ている訳じゃない。同世代の建築家志望の奴がコンペで賞を総ナメにしているらしいだとか、海外の有名アトリエで活躍しているようだなんて話は聞き飽きるほど耳に入ってきた。
俺はこの先、そんなチートとしか思えないような奴らと勝負していかないといけないのかと思うと、目眩がした。
だからこそ、どんなに低賃金でも、どんなにコンペ前に徹夜が続いたとしても、そいつらに追いつこうと働き続けた。俺が今まで積み重ねてきた努力、俺が今まで抱き続けてきた夢を簡単に見限るようなことはしたくなかったからだ。
先日、街でバッタリ大学の同級生に会った。奴は一端のサラリーマンみたいなカッコで、着実に社会人に成長したようだった。切り詰めた生活費で買った俺の服を見て、お前は昔のままだなと笑われた。立ち話も何なので、カフェに入り、近況をお互い話した。どうやら最近は一般企業である設計事務所で積算をやっているらしい。本当は建築家になりたかったのだけど、世の中夢ばっかりじゃないからさ、なんて知ったふうな事を語っていた。
奴は、やっぱり安定した収入と、ある程度のやりたい仕事を両立してこそ社会人だという。クリエイティブを追い求めるだけが本質じゃないと。君はずっと夢を追って、いつまでも大学生の頃のような格好をしていていいのかとハッキリ言われた。ものすごく腹が立った。俺がどんな覚悟で、いつか一流の建築家として図面を引く日を夢見て努力しているか知っているのか。ついつい、口をついて、夢を諦めた奴の嫌味になるような言葉が出てしまった。
帰り道、俺はなんだか虚しい気持ちで帰路についた。この道はどこまでも険しい。そんなことは言われなくても、自分が一番よくわかっている。
つまるところ俺は、夢を諦めきれないのだ。諦められないから、存在するかすら分からない栄光の未来のためにこうして身を粉にして働いているのだ。奴の言うことは限りなく正しいと思う。世の中すべてリスクアンドテイクだ。そして、今の生き方はあまりにリスクにまみれすぎている。
だけど、俺は今すぐに夢を諦めて一般企業勤めの安定した生活をとるかといえば、答えはNOである。たとえどれほど険しかろうと、道はまだ閉ざされていない。本当に無理だとわかる時、そのときまで全力を尽くし続ける。
いつか自分が早々に夢を諦めたことを後悔させてやる、見てろよ、と俺は去っていく同級生の背中に誓った。可能性がそこにある限り、まだまだ頑張れる。