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はてなキーワード: 荒木経惟とは

2022-05-12

東京新聞園子温のいない映画史は成立しない」

東京新聞女性著名人によるセクハラを訴えている〉〈当の人物業界から追放し、その過去の業績を抹殺するだけで事態解決できるわけではない。例えば荒木経惟のいない写真史、園子温のいない映画史は成立するのだろうか。広河隆一の名を欠いた報道写真史はどうだろう〉(5.9夕刊)

なんだコレは

https://twitter.com/araikaoru/status/1524336433498324994

2021-11-06

「加工するのが芸術」という考え

https://togetter.com/li/1798597

あと芸術なら許容って言い分も
嘘を以て芸術とする、なら解るけど
芸術なら嘘でも許される、はまた違うのではないかと思う。個人的には。
[..]
少なくともこの場所まで単車を走らせてこの写真を撮って加工した身としては、2枚目の写真には現地の紅葉から感じた暖かみも寂寞も感じないか芸術としてもクソだと思ったな。

ツイート主への批判ではなく、主が批判している対象が思っているだろう事「加工するのが芸術」という考えについて。

前提として、写真自体芸術アウラからすると既に破綻しているのだけど、ベンヤミンはそれでも、写真を通して大衆芸術に参加する可能性を見いだしていた。「加工するのが芸術」という考えは、写真大衆化した80年代以降、様式歴史といった各要素の編集再構成がおこなわれるようなったリミックス文化が背景にあると思うのだが、ただ加工するから芸術とかそういうものではなく、芸術にはその時々の文脈近代以前の彫像作品で言うところの台座がそれたらしめているのだということは知っておいた方が良く、この場合は「何が台座で何が表現されているのか」考えた方が良い。

スマホが普及しさらに加工技術自体もすでに自動化されている世界にいる私たちとしては、リミックス文化の時にもてはやされた表現としての加工はもはや価値を持たなくなり、さら写真表現自体にもそれほどの価値は持たなくなった。写真価値事実のもので、その時その場所にそれがあるという証跡に価値を見いだすようになっており、加工は邪魔ものに過ぎないという考えが根底にできはじめているのだと思う。ただ、表現としての気持ちよさみたいなのはあるのでその折り合いをどうつけるのか判断に揺れている時期でもある。

スマホ間の写真加工技術競争が落ち着いたらベンヤミンが見いだした大衆芸術としての写真終焉を迎えるだろうし、その時、写真をつかった芸術がでたとしても「加工するのが芸術」という評価とは別の次元になるのだろう。というか、今までに加工で評価された写真家がいたかというと疑問ではあるけれど...

著名な写真

2019-03-01

会田誠作品エロいかどうかはあんまり関係ないんじゃないか

たぶん美術モデル仕事安全性みたいなのが主眼で、いわゆるセクハラとはちょっと違うように思う。


こういう文脈で、存在するのはずなのにないものとされている美術モデルに対する欲情というねじれた感情について疑問を持ち、それをテーマ偽悪的な作品を作って問題提起する、というのはある意味理解できる。あえてタブーに触れるという現代美術家としてはわりと普通の行動でもある。

一方で、受講した女性美術モデル仕事にしているので、タブー中のタブーであるモデルに対する欲情という感情存在するとなると安心して仕事ができない。作家モデルという立場からしても先日の荒木経惟告発したモデルのようなこともあるし。そのため、主催学校側に対して「モデル安心して仕事ができるように、業界正常化のために、あのような言動はさせるべきではない」という主旨のことを訴えたんじゃないかと思う。つまり業界のための義憤であって、個人的エロい作品を見せられてショックを受けたとかいナイーブな話ではない気がする。完全に想像だけど。

学校側は学校側で、その主旨をうまく呑み込めず、よくある作家表現の自由モラルで抑えつける話かと思って、美術自由を守るために今後双方関わらないようにするという方向で示談をまとめかけた。

しかしながら、それはつまり当該学校に関わらないということで、職業として美術モデルをしている当人活動の場を狭めることになってしまう。もともと、美術モデル安心して仕事できるようにと訴えたのに、まったく逆の仕事がしにくくなるという示談条件はとうてい受け入れられるものではない。ということでおおごとに発展したんじゃないかな。

会田誠作品エロいとか発言ゲスいとかいうのは、主張の正当性を後押しするために付加しただけで、本当の主張は別のところではないかエスパー予想した。

2018-04-09

ネット民の反応を眺めて時間無駄遣いしてしま

ちょっと時間の余裕ができると、はてなや5ch、ツイッターなどで注目されてる記事炎上案件を見る。

そこまではいいのだが自分はそれらに対するコメントリプライをじっくり読んでしまう。

ものによってはこれで2〜3時間以上は時間を消費する。

そして消費したあと死ぬほど後悔するんだ。「さっきの時間を使ってあのゲームでも進めてればよかった」「あの映画でも見ればよかった」とかね。

もついついやっちゃうんだよな。今さっきも荒木経惟モデルの件でブコメツイッターや5chのスレ眺めて2時間潰しちゃった。どうせ来週には忘れてるのに

2018-03-20

親の死体を撮りたい

荒木経惟写真集を見た。

俺も両親の死体写真に収めたい。

子供の頃死んだ飼い猫を埋める前に写真に撮ろうとした。親に怒られた。

親に怒られたけどやっぱり死体写真を撮りたい。いいのだろうか

2017-01-09

写真家には高学歴が多くなってきた。

今、写真勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。

写真家と呼ばれる職業人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種人達ではない。

今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。

以前は東京写真専門学校ビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し

優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ

ではなく写真言葉ステートメントポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。

ちなみに写真家大学を、一部挙げておくと。

畠山直哉筑波

荒木経惟千葉大

岩合光昭法政大学

鬼海弘雄法政大学

杉本博司立教大学

鷹野隆大早稲田大

大山千賀子ー学習院

港 千尋ー早稲田大

赤鹿 麻耶関西大学

奥山由之ー慶応義塾

木藤公紀ー東北大学

・・

そのほかにも最近写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的視点面白い

プレゼンスタイル高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。

勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市芸大、その他の多摩美日大武蔵美、大芸大なども

多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外写真を学んできている人もいるだろう。

写真ポートフォリオレビューでもフランス人アメリカ人ポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに

まずは英語が最低でもできていないと自分写真意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、

書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。

「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥム理解できず3行で寝てしまうという始末。

元々、コンセプト写真海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真技術センスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる

となると元々の良さがあるから努力できない。

特に最近写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真芸術とみなし、芸術家自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように

思えるし、InstagramSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。

写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家写真集が良いの?」

揶揄される始末。マイナーホワイトピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。

マイナーホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。

逆に赤鹿さんや奥山さんの「BACON ICE CREAM」の良さが理解できないと言うと攻撃される。

今後は写真芸術勉強するなんて高学歴じゃないとだめなんだ・・今、気づいた、ああ・・どうしよう。バカなんだな・・。

 
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