今日、隣や上の部屋では容姿の良い男女がセックスをしている薄暗い部屋から、ルッキズム渦巻くキャンパスまで歩いていると、正門から救急車が出てきた。
どうやら、女が飛び降りたようだった。
研心館から飛び降りて死ぬかは怪しいから生きているかもしれない。
自分はキャンパスにいて死にたくならない方が少ないから、「分かる」と言いたいが、飛び降りた女の容姿がよければ自分は間違いなく「甘え」というだろう。
東京の渋谷に年収600万円で暮らすのは、苦しいという文章を読んだ。
ただ、一番気になったのは文章ではない。
トーキョーはカネがないと幸せになれないというコメントである。
それは幸せではないのか?
自分にとっては一番マシだ。
自分は勉強が出来ないので、京都の田舎のバカな金持ちが集うクソ大学に通うが、幸せになる手段は容姿しかない。
そんなことはないという人がいるかもしれないが、親の知り合いの京都の某芸大の講師の女性の方にそれをいったら、
「そうやなー 確かに恋愛がメインな街だから」というような返事が帰ってくるからまぁそうなのだろう。
京都というのは、とことん容姿がものを言う街だ。性的魅力がないと惨めな生活を送る。
身なり、ヘタしたら美容整形ですら焼け石に水な可能性が十分な程度ある。
カネというのは分けること、稼ぐことができる。
ずっとマシなのだ。
お金がなくて、苦しんでいる人がいたらお金をあげるだけで幸せになれる。
しかし、東京という街はマシなだけで、決して完成させた街ではない。
中途半端に容姿とかが絡むから、金を貰えない人が出てくるのだ。
自分は親が金を比較的持っている方だが、羨ましがられたことがない。
不細工な父親が数千万円稼いで、実家が千代田区の賃貸マンションで、ひどい癖毛で、分厚い唇に、重い一重まぶたに、大きな顔、綺麗と言えない肌という遺伝情報を自分に伝えてくださった母親の口座に月100万円の家賃抜きの生活費が振り込まれているがない。
それは、おそらく自分が接してきている人間が、カネよりも容姿の方がどうにもならないと思っているからだろう。
自分は他人から容姿で褒められたり、羨ましがられたことがない。
こんなに醜いなら、自分の方がマシと思えるのだろう。