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はてなキーワード: ロビイングとは

2020-06-25

アメリカ半導体への補助金、兆単位なんだ

https://news.mynavi.jp/article/20200612-1054258/

米国経済および国家安全保障にとって必要不可欠な半導体技術を維持し強化するために、

今後5~10年に渡り半導体製造および研究開発に数百億ドル(数兆円)の補助金をつける法案を、

民主党および共和党国会議員有志が超党派で提出した。


アメリカロビイング活動必要だけど投資規模が違って凄いな・・・

戦略のためにお金使っている。

日本場合はもう個別産業投資しよってならない。

軍事やってると戦略って考え方が身につくのだろうか。

2020-06-15

anond:20200615062501

赤松健はともかく、山田太郎批判されても仕方がない。

その理由はいくつもあるけど、まるで山田太郎けがオタク救世主のような空気を作って本人もそれに乗っかってるところが一番まずい(香川ゲーム規制条例の際に共産党議員が唯一反対していたのにそれを言わず共産党も賛成したとツイートしたり)

ロビイング重要だけど山田一択の空気を作ってそれまでに表現の自由を守るために動いてくれていた野党議員蔑ろにしているのは責められないといけない

anond:20200615062818

重要っていうか、ロビイングこそ(民主主義)政治本質だと思う。それを否定するのは多数決原理肯定するのと同義でしょ。

2020-06-12

アメリカ、色々問題抱えてるのになんで技術力高いんだ?

高校までの教育が凄いわけでもない。

人種格差問題もある。

政治ロビイングお金がかかる。


長期的には第二次世界大戦本土で行われていなかったことだろうが。

海外から留学生も入ってきており、キャッチアップされる気がするのだが、なんだかんだで引き離している。


テスラがわかりやすいが、イーロン・マスク荒唐無稽っぽいことを言っていても、実現できるだけの技術底力がある。

軍事先端技術に対してお金を回してるというのはわかるが。


日本みたいにアメリカの真似をしようとずっとしているのにやれていないのも気になる。

2020-05-27

安心というわけでもないけど、16万集まった署名ってアメリカのものなんだね。

それ自体リアルグロテスク数字ではあるけれども、日本よりも偏見が大きい国であることや、英語での署名ならば世界中から集まるだろうことを考慮すれば、それほど衝撃的な数字ではない。

もしも日本国内で16万も集まったのであれば、比喩や強調ではなく本当に怖くて泣いてしまったと思う。でも現実はそうではないので、怖がる必要も泣く必要もない。必要なのはやはり警戒とロビイングだろう。

2020-05-22

減税してほしいか署名集めるサイトつくろうと思うんだけどどうだろ

ロビイング的な効果あるかな

ポピュリズムなのかな。

2020-04-22

さっきAbemaで美味しんぼを見てたんだけど、中国が豊かになった頃から中国残留孤児って言わなくなったなと

あと日本残留朝鮮人本国ではそういうのやってないの?

強制的に連れてこられたんでしょ?

本国に残っていた家族拉致被害者家族のように「なんとしても取り返してほしい」とロビイングしないの?

コロナ感染が広がり続ける日本より、コロナが終息した本国に帰ろうよってならないの?

2020-03-24

[] ANTA

一般社団法人全国旅行業協会(ぜんこくりょこうぎょうきょうかい英文名称All Nippon Travel agents Association、略称ANTA)は、

日本旅行代理店業界団体である日本旅行業協会に比べて年会費が低額であるため、会員は第2種・第3種の比較的小規模な

旅行代理店が多い。観光庁所管。

  

会長は、衆議院議員自由民主党幹事長二階俊博

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E6%97%85%E8%A1%8C%E6%A5%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A

http://www.anta.or.jp/anta/yakuin.html

  

※同業の日本旅行業協会は自民党公明党ロビイングしたとニュースリリース出してるね。

 http://www.jata-net.or.jp/about/release/2020/pdf/200319_newvirusdemandingpaper.pdf

 “旅行需要消失を取り返せるような大規模な需要回復キャンペーン実施をお願い~ふっこう割等をはるかに超える財政規模で”

 これを受けて、ふっこう割と同様の「旅行代金の一部を国が助成することを検討」なる緊急経済対策が出て来たと。

 全国旅行業協会も「政府与党に対して要望書を提出しました」とあるが会員専用で読めない。

 政府与党への新型コロナウイルス感染症対策に関する要望

 http://www.anta.or.jp/mmb/kaiin/data/r020303yoto_yobo.pdf

2020-03-05

オーガニックとか、エシカルとか、サステナブルとかSDGsとか。

https://twitter.com/sbr_m/status/1235187365867446274?s=20

こーいう若経営者おじさんみたいな発言をよく見るようになった。

つうかこの人知り合いでごめんね!直接言っても聞こえなかったふりつうか

いつものように小洒落たこと言って受け流すだろうから匿名で書いてみるね。

サステナブルとかエシカルとか持続可能社会つうもの

1000億万年から女性向けメディアなどでは言われ続けていたこなのだが、

最近30-40代男性ビジネスつぶやく系)が「女性誌を見てこういう言葉流行ってるみたいだけど、

このままではサステナブルエシカルもただ消費されるだけなのでは〜?」とか憤ってるのを

SNSでよく見るようになったのである。この人だけじゃないんである

しか観測範囲をつまびらかにすると身バレするので書かないのである

で思った。「ん?今更ナゼ?」

だって女性誌でサステナブルとかエシカルとか、1000億万年前は冗談だが、

ここ20年ぐらい女性誌はそういう事言いまくってるよな。

ロハス流行からもう約20年も経ってるの知ってるか?

自分エシカル周りのことを生業にして約15年以上経つ人間である

そんな人間からすると、逆に「あぁ、こういう層にもやっと浸透しだしたのかぁ〜」と思ってしみじみする。

が、同時に「こういう言われ方は普通にムカつく」というのが正直なところ。

「お前が注意して見てきてなかっただけじゃ」って感じで、今更消費もクソもあるかいな。

消費されとるとしたら、もうとっくにされとるわ!高ぇアサイーボウル屋とかを駆逐してくれ頼む!

つーかサステナブルが形だけでも流行ることの何がお前に不満なんじゃ!

んで考えてみたのだが、これは「体制寄りとかの、情報鈍めな人にも

そういう言葉が浸透したからなのでは」というふうに感じている次第。

というかもっとあけすけに言っちゃうね。体制側系の金持ってるおじさんたちに対しての

オーガニックとかサステナブルとかエシカルとかSDGsロビイングが効き出したっていうことだよね。

この2020年に起きていることはね。

実際、某区の某シェアリングエコノミーとか某日本財団からの(以下略。)だよね。

そういう、下準備のために2010年代後半からそういうエシカル界隈にお金が回り出すようになって

ニブめ系のおじさんたち(5thペンギンぐらいの一般経営層)が「金になるぽい!」って飛びついて、

更にその周囲のみんな(10thペンギンぐらいのネット流行りに敏感な人達)が

言葉ばかりが消費される〜」って言い出している…って感じで、、、

そういう考え方をすると、冒頭の人はそういう体制からうまい汁すすれてないってことやんなという意味

ある意味正直だし、まっすぐで好感が持てなくもない。

が、今の状況を見てずっと前から携わってる人ほど「わ〜皆が知ってくれて口にしてくれて嬉しいよ(涙)」

といっている現状に「言葉が形ばかりで消費される〜!」とかほんと、うっせーわと。

ほんと、ほんと、ほんと、ほんと、ほんと何度も言うけど…

世の結構な数の女性はまじ何年も前から言ってたからさぁ…

マジ遅…。マジ遅であることをマジ反省してほしい…🥺🥺🥺

もちろん中には男の人だってそういうことを話している人はいたが、ごく少数だったのは間違いない。

もしくは黙って畑を耕してた。

企画を立てればやれ「数字にならない」「意識高い系w」とか言って

おじさんに却下されまくる1X年間だったので、ほんと「今更かよ?マジかよ?おじさん…」って感じである

何度も言ってたからね、ほんと何度も言ってた。

飽きるぐらい毎月そういうプロダクト紹介してた。

もっと言っちゃえば、何十年前から連綿と流行ってたよ、それ。

あなたが気づかなかっただけやよね?

金儲けばっかしてると、そういう小さな声に気づけないもんなんやなぁ😲

ずっと気にかけていた身からすると、「格好だけでもなんでもいいから、

ジャンクよりも高くてエコプロダクト選んでくれるならそれでいいやん?

マジで良かった。何が悪いの?」っていうね。

「消費しないを消費する」っていう現象ホント歓迎…。福音…。て思ってるんで。

自分の売ってる物が売れるとかそういうそういうことでなく、そういうムードになって

息しやすいし、良いと思ってたのを社会肯定してくれてホント涙出るほど有り難いんで。

消費される〜って危機感を抱いたり文句言うんだったら、消費されないようにあんたも頑張ってくれ。

現場からは以上ですわ。

2020-02-08

プログラマー行政する町を作ったらいいんじゃない

行政技術がわかってないとか、公務員効率が悪いとか、何年も前から言われている。

ならプログラマー行政すべて固めた町を作ってみたらどうだろうか。

技術お金を出さないっていうのであれば、予算作る側にプログラマーがなればいいと思う。

そこで実績作れば国も変わっていくだろうし、実績作ればロビイングもしやすくなるだろう。


教育プログラマー改革していけばいい。人数集まれ教職免許持っている人もいるだろうし。

香川スマホ禁止をするよりも、もっといい選択肢子どもたちに与えられるはず。

子供への税金投資が少ないなら増やしたらいい。


交通渋滞最適化問題解くように解決してくれる住みやすい町になるはずだ。

2019-12-16

フェミに譲歩し続けた結果が過剰な規制社会を招いた

正直この手のオタクは当時からもいたし、当時の児童ポルノ禁止法でも単純所持規制を認めたら、次は本丸漫画アニメとか狙われるとの指摘もされていたにも関わらず、この手の人間が生贄的にフェミ宗教団体に譲歩し続けていった結果、ここまで踏み込まれる様な事態にまで悪化したのも事実なんだけどね。

その後の都条例や今の奴等がお気持ちで言って居る様なゾーニングを見ていたら、奴らの主張に際限がない事位は理解できるだろう。

それと議論云々は全くナンセンスで、フェミキリスト系のこの手の規制団体は裏で暗躍はするけど、表のイベントにはマジで出てこないからな。

過去に何度か読んだりしたけど、全て来なかったんだぜ?

から石川氏の件が、オタクの間で実際来たから非常に驚かれたんだわ。

そもそもその様な経緯があったから、今のオタク表現自由戦士と呼ばれる連中は徹底抗戦且つ頑なに譲歩などしない戦術シフトしたのもあるんだよ。

しかし当時は規制反対していたのはリベラル政党がメインだったのにしばき隊以降のリベラル裏切りで、今や自民の方が規制問題に慎重と言うのも本当に皮肉しか思えないね

それと国連の件は本当に悪質で、国家許可もなく、子供権利委員会勝手に内々だけで話を押し進めて、パブコメでも一般人や団から創作物規制問題視され、アメリカ日本バチカンから条約違反である事を指摘されていたにも関わらず、ガイドライン創作物規制を強行的に勝手に盛り込むような横暴を働いた経緯があるのよね。

(その後Prostasiaがソウル会議国連人間から創作物芸術児童ポルノではないとの言質を引き出した事を見ても子供権利委員会暴走であることが判る。)

少なくとも彼等が実在児童保護に興味がなく、自らの思想お気持ちの為に児童ポルノ子供権利を盾にしているのは当時の児童ポルノ禁止法児童保護予算をつけなかった件でも良く判る事だし、創作物規制が逆に捜査妨害になり、実在児童保護に役に立たない所か悪化させかねない危険性がある事は当時のスウェーデン漫画裁判の件や昨今のアメリカ捜査の手が回らなくなった件を見ても良く判る事なんだけどね。

個人的にはこの手の児童ポルノ子供権利を盾にしている人達こそ、逆に児童保護を遅らせる主原因と化していると考えているから、いい加減この手の子供の権利児童ポルノと騒ぎ立て、それを表現規制悪用するこの手のクレーマー事態を逆に社会排除する必要があるとも考えているよ。

実際こいつらフェミ団体等の弊害のせいで児童ポルノ禁止法は本当に歪な法律と化したり、何より子供の権利条約自体、こいつらの横暴でガイドライン勝手に変更される様な事態を招いているからな。

条約の件なんてこの事例が出来てしまえば、他の条約すら、国連委員会の思惑で勝手に変更されかねない非常に危険前例ができてしまったんだよ。

何も弊害があるのは子供権利とかだけではないよ。

こいつらに関しては余りにも悪質な行為と結果をもたらしすぎている。

2019-11-22

私は反対だからやらないけど

ネット社会学者に反安倍が多い上にノンポリにも社会学者が嫌われているとしたら、

社会学への文教予算を削って理系実学予算回したほうが支持率上がりますよって自民党維新の会ネトウヨロビイングしたら面白いのに

政治ってそういうのが基本だろうさ

2019-11-06

表現の自由を片方では言っておいてDL規制進めているんだからなぁ

言いたい事も判るし、実際その通りなんだけど、これ10年前の児童ポルノ禁止法の時や都条例の時に漫画家や出版がほぼ動かず、俗に当時言われた規制反対派と言う人にばかり、行動させていたのは本当に異常だったと思うよ。

言っちゃ悪いけど、その反対派の人は業界に関わり合いもない「ただの一般人」だったんだ。

それらの人にばかり責任押し付けて、業界は当時何もしなかった事実もあるし、今に関してもこういう事を世間に言って、オタクを頼ろうとしているのは愚の誇張だよ。

今なら当時と違って、うぐいすリボンみたいなNGOがあるのだから、そこに資金を入れるなり、やり方は色々ある訳なんだけどね。

言い方は悪いし、厳しい言い方だけども、それでこの発言見ている限り、オタクを手駒程度にしか思っていないんだろうなと思う。

オタクの反対派と言っても反対する理由はそれこそ色々ある訳で、皆が同じではないのは当時からも判っていた事だしね。

何も表現の自由を守りたいのであって、出版利益を守りたいわけじゃない人も多いんだからね。

それを間違えれば偉い目にあうと思うけどね。

少なくとも表現の自由漫画家の権利を主張しておいて、国連ガイドラインの件には動かず(動いたのはマンガ学会の方)、海賊版対策裁判をするのは良いし、それで結果を出したにも関わらず、あろう事か文化庁と手を組んで、リーチサイト規制ダウンロード禁止法と言う、国民言論の自由知る権利を奪う様な政策に加担するダブスタを行っているのだから場合によっては本気にその反対派のオタクから総スカンを食らう可能性がある事位に認識しておいた方が良いと思うよ。

本来海賊版対策必要なのはプロバイダ責任法改正だと指摘されたにも関わらず、今回の著作権改正に加担したからね。

から、この辺はき違えると次は偉い目にあうと思うがね。

2019-11-03

日本から文系大学がなくなる日は来ないけど

私は反対だけどツイッターであれだけ左派学者弁護士毎日のように炎上していて、政治感覚に目ざとい人間なら大学文系特に人文社会科学への予算を削れとロビイングしてるんじゃないでしょうかね。あそこは野党や反安倍本拠地から絞ればいいと。

また、そういうのを聞きそうな大臣じゃない。

2019-11-02

A型O型血液ピンチ

 らしいです。施設内部に立て看板があった。@大阪場所によって違ったりするのかな?よく知らないけど。残念ながら僕はB型なのでピンチは救えなかったよ……

 行ける人は献血いこうね。

 例によって宇崎ちゃん騒動みてから献血余裕な自分でした。

 すぐ献血行こうと思ってたんだけど、生憎ひどい風邪ひいたので治って落ち着いてからってことで先日行ってきた。

 一応ポジションを明らかにしておくと、献血歴は二けたやっと乗る位のアラフォーヘテロオタクノベルティとしての例の絵は問題ないけどあのポスター配慮が足りなかった気がする派。太田弁護士のいう環境セクハラというのは当たらないと思う。1かゼロかの問題ではないので、話し合ったり意識調査なりなんなりして、都度都度ラインを考えましょう。このラインというのは法律第三者が強権的に決めるガイドラインではない。先日の4エントリ分の長文増田と大体同じ考え方。

 平日の昼過ぎに行ってきたので、献血に来てた人は高齢者が多く、リタイア済だろう男性・60手前ぽいおじさんが2,3人ずつ。あとは20後半~40前後女性が3人ほど。人込み嫌いなのであえて繁華街ではなく、住宅街にある所にいったのでこんなもんかという感じ。宇崎ちゃんキャンペーン10月末日で終わってるし、そもそも対象エリアじゃないので関連するような掲示物は何もなかった。

 前回献血から数年経って居たので、献血ルームってどんなんだっけってあれこれ観察してみた。行ったことある人ならわかるだろうけど、基本的献血ルームって病院と同じような場所。待合室+処置オンリーな感じ。壁とかも基本白くて清潔感あふれてる。張ってあるポスターもお役所かに張ってある、とがった表現の全くないおとなしい表現のものばかり。唯一、若い女性をアイキャッチとして使って、コラボしたポスターがあったんだけど、それが乃木坂48のもの。帰ってから検索してみたら、宇崎ちゃんみたいにクリアファイル配布してたみたい。下記リンククリアファイルの絵柄と同じポスターや、正確に同じだったかもう覚えてないけど小さなポップやパンフがあった気がする。

https://ken-love.jp/hatachi/about/index.html#sec-present

 自分3次元には声優ですらほぼ興味のない種類のオタクだし、秋元アイドル未成年エロい歌詞うたわせたりエロいグラビア取らせたりではっきり言って嫌いだけど、この絵柄だと文句の出ようは無いよなぁと思った。

 そんなお役所的な、尖ったもの排除された小奇麗な空間に、宇崎ちゃん3巻表紙のポスターがあったらって想像してみたけども、「やっぱすげえ浮くなぁ」というのが正直な感想。1巻2巻の表紙なら、煽るような表情ではなく、元気な笑顔だし、アングル的にも巨乳なのはわかるけど3巻表紙ほど、一般の人でもえっちな感じしないんじゃないかなぁと。

 そのへんから考えても、やっぱり本件ってTPO問題しかない、と自分は思うわけ。あのポスターエロいエロくないかは置いといて、乳を強調してるのだけはおそらく否定する人いないんじゃない?病院(に準じた施設)の表や待合室に乳強調掲示物あるのって、違和感無いといわれてもほんとに?と自分は思う。まぁ違和感があろうがダメじゃないからいいんだ!っていうのもそれは一つの意見だとも思う。

 ただ、ポスター表現主体日赤から掲示を決めたのは日赤だろうし、掲示を止めるとしてもそれは日赤判断責任しかないと思う。なので擁護派も批判派もあいトリの電凸のような暴力的にならないように気を付けてロビイング(メールを送る、電話する、署名サイトなんかで署名を集めて送る)すればいいと思う。自分は本件でなにか要望を送るつもりは無い。思うところがある人がそれぞれ意見したり、世の中の反応を参考に日赤妥当判断を下すという確信があるから暴力的圧力が加えられたらどっちサイドでも批難する。そんなもんかな。


 一つだけ、また余計な事を言い出す。冒頭のポジション表明で、本件は環境セクハラにはあたらないと書いたけど、それは一般人に対しての環境セクハラ献血ルームで働く人に対する環境セクハラにはなり得る可能性は否定できないと思う。自分が見た限り、献血ルームで働いていた人は合計10人ほどで、男性は問診担当医師と、看護師っぽい人の2人だけ。7割位の職員女性。何か所かの献血ルームに行ったけど、大体こんなもんだった気がする。問診担当医師はかなり年配の男性ばかり。事務献血実務を行う職員はほぼ女性。宇崎ちゃんポスターは、コラボ実施献血ルームではきっと乃木坂コラボポスターのように張られていただろう。そこで働いていた人がどう思ったかヘテロ男性の俺にはわからないが、そう受け取る人がいてもおかしくは無いんじゃないか、とは思った。

 まぁそんなこんなで久しぶりの献血は終わり。問題がない限りまた行けるときはできるだけ行こうと思う。少しの時間と、チクっとするの我慢するだけでいいことした気になれるしね。混んでさえなければ全血で合計3,40分、成分で120前後かな?待ち時間には置いてある漫画読んだり、無料ジュースお菓子をとることもできる。空いてたので1巻の半分ほどしか読めなかったけど、読んだことなかった働く細胞読んできたよ。

 そんなわけだから、行ける人は献血いこうね、特にA型O型の人。ピンチを救えちゃうよ!

2019-10-31

主にポスター擁護派の言論脆弱さについて

https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の補記


このまとめが私の言いたかたことに非常に近い。私自身が4ページ目で「線引き」という言葉安易に使ったのは失敗であった。後述するが、線引きは必ずしも必要ない。

まさしくそのとおりである。これは1ページ目に書いたとおり、赤十字には表現の自由があり、何を表現するかは赤十字判断をすればいい。最終的には、赤十字にとってのコストパフォーマンスにより決定されるであろうと考えている。


私は、表現自主規制を行う上で、法律上の「わいせつ性」を基準とすることは不適切であると考えている。

世の中にはいわゆる「成人指定」あるいは「R-18指定」という仕組みがあるが、これらの規制自主的に行われている。法的な「わいせつ物」はそもそも流通不可能であり、一般流通している「成人向け」コンテンツはすべて法的に「わいせつ物」ではない。では、どのようにして成人向けコンテンツレーティングが行われているかというと、業界団体による自主規制ルールによる。もちろん、各都道府県系には青少年健全育成条例のようなものがあり、レーティングゾーニング実施要求している。しかし、レーティング主体は、あくまでも表現者である業界団体側に委ねられている。言い換えると、現在日本においては、法的にわいせつであるかどうかを基準とした運用は、成人向けコンテンツに対してすら行われていない。

以上の理由より、私は、法律ベースラインと置く言説には説得力が乏しいと考えている。もちろん、「法律で認められているものOK」と強弁すること自体可能であるが、周囲の同意が得られるかどうかは別である私自身はむしろ、件のポスター擁護する上では、このような極端な言説を用いるのは悪手であると考えている。

これらのコメントは、現実的自主規制ルールについての言及である

男女共同参画視点から公的広報の手引」は、多くの機関にとって最低限満たすべき基準となるであろうが、一方で、非常に概念的な内容にとどまっており、個別表現に対する評価には使いづらいように思われる。そういう意味では、CEROレイティングは、個別表現評価する上では、より有用かもしれない。ここで重要となるのが、CERO(や映論やビデ論など)のレーティング基準は、これまでの議論社会的な情勢を踏まえて策定されており、ある程度の社会通念上の合意が得られたものとして運用されているということであるコメントには「落とし所など無い」という意見散見されたが、多くのコンテンツは、すでに「落とし所」すなわちレーティングに基づいて運用されている。そして、想像ではあるが、このようなレーティング基準の背後では、規制強化派と規制緩和派の綱引きが常に行われているのではないだろうか。

赤十字がどのようなレーティング基準採用するかは、赤十字自由であるしかし、「法的にわいせつ物でなければOK」といった基準採用しないであろうことは、かなりの確度をもって確実だと言えるであろう。

後半の指摘に注目されたい。いわゆる「レーティング基準」というほど明確なものではなくても、赤十字が内部的に表現基準を作ることは十分に有り得る(むしろ、すでにあるのではないかと思う)。このような内部基準は、過去の事例へのフィードバックを基に更新されていくであろうし、性的要素以外にも、ブランディング多様性への配慮なども含めて運用されていくだろう。そして、内部の表現基準曖昧定義されることも予想できる。「各要素を勘案して、不要性的に映らないようにすること」といった基準は、組織内部では問題なく運用される。担当部署感覚が共有されていればよいだけなので、肌の露出割合といった、客観的基準必要とされない。言ってしまえば、まさに「ムラの掟」ならぬ「日赤広報部の掟」があれば十分である

繰り返しになるが、このような内部基準は、表現の自由問題とは直接的に関係がない。赤十字には、当然ながら表現の自由存在する。しかし、赤十字が実際にどのような表現基準をつくり、どのような表現を外部に対して行うかは、赤十字裁量に委ねられている。表現の自由を前提として、それをどのように行使するかの話である

前述のような前提に立つ場合、この問題は「ポスター批判派 v.s.ポスター擁護派」の構図ではない。この問題は、「ポスター批判派 v.s. 赤十字」と「ポスター擁護派 v.s. 赤十字」という、個別の2つの問題である。両陣営とも、赤十字自分の好みに合う表現基準を設定するように、赤十字ロビイングをするだけである。ここで赤十字に対して「あなたには表現の自由がある」と言ったところで、赤十字からすればそのようなことは既に自明であろう。赤十字にとっては、自由を前提として、どのような配慮を行うべきかこそが課題であり、「表現の自由」や「法的なわいせつ物」の話を引き合いに出されたとしても、あまり参考にはなりそうもない。また、ポスター批判派の言論を「お気持ち」と揶揄したとしても、赤十字が「我々はなるべく多くの人の気持に寄り添いたい」と方針付ければそこまでである(そして、赤十字役割を考えれば、そうなる可能性はかなり高い)。「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、赤十字には届かないであろう。赤十字立場は、「皆さんの意見を参考にして、基準自分たちで作ります」でしかないと予想されるからだ。

私自身は、ポスター擁護であるしかし、一方で、ポスター擁護派の言論が非常に脆弱であるという危機感を持っている。わいせつ性の有無や表現の自由銀の弾丸扱いしたり、「お気持ち」を軽んじる方向性は、現実世界において他者に響くであろうか。私にはあまりそう思えない。むしろ、そのような極端とも取られかねない言動は、単に無視されるか、悪印象とすらならないだろうか。もしも、わいせつ性の有無や表現の自由議論において有効武器であり、「お気持ち」を簡単に潰せるほどの威力があるのならば、ビールポスターから水着女性が消えたり、レーティングによる自主規制が行われているのは何故だろうか。私が、敬意をもって落とし所を(なるべく自分の好みになるように)模索するべきだと考えているのは、そういう理由である銀の弾丸を持たない以上、100%自分の思い通りにはならないだろうが、「お気持ち案件」などと言って対話を打ち切ってしまえば、最終的にこちらが譲歩する度合いはさらに大きくなるであろう。

繰り返すが、件のポスターの是非において、表現の自由はあまり関係がない。もし仮に、ポスター批判派の要求が、政府による規制を求めることを主体としているのであれば、話は別であるしかし、今回の議論に置いて、そのような意見ポスター批判からほとんど出ていないように観測される。


  • id:Ayrtonism 議論の出発点が食い違っている(批判派は、無秩序にあの手の絵がどんどん広まっていると考えているが擁護派は批判派によって自由が狭められていると思っている)ので、先にそっちを解消しないといけないと思う。

この視点はとても参考になった。確かに公共の場公的、あるいは公的に準ずる機関二次元キャラクターを用いるようになったのは最近のことである漫画アニメに馴染みのない人にとっては、自分が知っている世界が、なにか別のもの侵食されていると感じられるのかもしれない。とはいえ表現の自由を前提にすると、そのような状況を拒絶することは難しいように思われる。「あの手の絵」に過度に性的な要素が含まれていない場合二次元キャラクターであるというだけで拒絶することは難しいであろう。この部分は、なんとかして各自が折り合いをつける必要がありそうに思われる。

残酷ではあるが、あえて言うならば現時点で「声が集まっている」のはあなたの周囲だけなのかもしれない。実際に、私の妻に今回の件の感想を聞いてみたところ「別にこれぐらいいいのでは」というものであった。女性であっても、人によってはこのような反応である。他の人から見ると、あなた(達)の声は、まだ小さいのかもしれない。

しかし、どうか絶望しないで欲しい。私は、あなた立場を完全に理解することはできないし、今時点であなたのために提示できるものもない。それでも私は、あなたにとって、今回の件が重大な問題であることは理解するし、それを馬鹿にしようとは思わない。私にはあなたを助けることはできないかもしれないが、あなたが声を上げ続けることは尊重するし、あなたの仲間がどんどん増えてあなたの声が多くの人に届くといいなと思っている。もちろん、声を上げ続けること自体が容易でないし、辛いこともあると思う。大変ですが、お互いがんばりましょう。


一部はふざけているようにも見えるが、重要な指摘である性癖というのは個々人でバラバラであり、実際に私からすると極端に感じる性癖を持つ人もいるであろう。では、個々人で性癖バラバラであるから、手も黒タイツも、あれもこれも表現として認められない世界になるかというと、少なくとも現在日本においては、そうはならないであろう。これは単純に、社会通念上の合意簡単には得られないかである。これらのコメントは、「だれかの気持ちのために1つでも譲歩したら、結局はあれもこれも譲歩することになる」という危機感を述べているのだと考える。1ページ目で述べたとおり、このような危機感には一定妥当性がある。一方で、現在日本において、そのような自体が実際に発生するかというと、そのようなことも無さそうである。実際に、既に存在している様々な自主規制ルールは、多かれ少なかれ問題はあるにせよ、先鋭化することもなく、案外まともに運用されている。ルールを正常に保つためには、各陣営不断努力が求められるだろうが、極端に悲観する必要は無いと考えている。

補記が続くのかよ

https://anond.hatelabo.jp/20191031142026

2019-10-29

https://anond.hatelabo.jp/20191029132732 の続き

下着広告って性的じゃないの

少し脇道にそれて、下着広告について考える。街に下着広告があったとして、下着メーカーは、単に下着の魅力を伝えたいだけで、性的な消費のためにポスター掲示するわけではない。しかし一方で、下着広告性的であると受け取る人間存在するし、客観的に見れば非常に露出度の高い表現である

赤十字ヴィクトリアシークレットコラボレーションを行い、下着姿の女性献血を呼びかけるポスターを作ることはあるだろうか。あまり無さそうに思われる。下着姿の女性下着広告から切り離した場合、それは過度に性的存在になると感じる人が多いのではないだろうか。逆説的に、下着姿というものは本人の意志に関わらず本来性的であり、下着宣伝という文脈でのみ、その性的さが阻却される、とも言える。どうやら、現在日本においては、下着宣伝においては、性的な要素の含有は問題ない、という社会通念上の合意が得られているようである。なぜそのような合意今日日本で得られているかというと、下着というのは、日常生活でほぼすべての人に必要からであろう。ここで注意すべきなのは、このような合意は、現在日本において、という前提である宗教や国、あるいは時代によっては、このような合意が必ずしも得られていないことは容易に想像できる。このような合意は、社会における価値観のすり合わせによって形作られたと言っても良い。

このような合意が、他の性的表現と比べた場合一貫性にかけるという指摘は、ある意味では妥当である。先に述べたとおり、文脈や背景を考慮せずに、客観的露出度などを基準性的表現判断することを是とする場合、「下着広告である」という文脈もまた切り離すべきであるといえる。例えば、文脈理解する力が弱い子供にとって、下着広告は単に性的でありえる。実際に、「小さい頃は通販雑誌下着のページを良く見ていた」という男性の話も聞いたことがある。このような場合、たとえ広告性的意図がなかったとしても、子供に悪影響があるかもしれない。大人の都合によるこのようなダブルスタンダードともいえる基準子供に悪影響を与えているという指摘がなされた場合、どのように答えるべきであろうか。ダブルスタンダードを廃して、下着広告露出度基準として規制すべきだろうか。あるいは些細な影響だとして現状を維持するべきだろうか。「下着広告性的に見るためのものではないので、勝手性的に見るのはやめなさい」という教育を行うことに意味はあるのだろうか。

この点については、正直なところ私自信もあまり明確な結論を持っていない。直感的には下着広告ポスター規制をかけることはバカバカしいと思っている。下着広告においては、それが性的消費に向けたものではないという認識があるからだろう。しかし同時に、それはダブルスタンダードであると言われた場合、うまく返答ができない。「あなた下着広告ポスター規制をかけるのをバカバカしく思う気持ちは、私が宇崎ちゃんポスターに対する批判バカバカしく感じるものと同じです。なんなら、露出度が高い分、子供への悪影響は下着広告ポスターの方が大きいですよね」と言われた場合あなたはなんと答えるだろうか。「エロくないもの勝手エロく見るほうが悪い」といえば問題解決するだろうか。

ちなみにであるが、恐らく多くの成人男性にとって、下着広告ポスターは多かれ少なかれ性的なのではないだろうか。男性は、単にTPOをわきまえて性的表現に対するリアクションを行っているだけであって、教育によって下着広告ポスターを「性的に見なくなった」わけではない、気がする。「勝手性的に見る」のをやめられた男性がどれぐらいいるのかは気になるところである性的に感じつつも、見ていないふりをしている男性の方が多いのではないだろうか。

かわいい、綺麗、エロ

ところで、宇崎ちゃんの作者は、宇崎ちゃん性的表現しているのだろうか。宇崎ちゃんの作者の内心はわからないので、2つのケースを考えてみる。

1つ目は、宇崎ちゃんが、男性に対してのアピールを増すために、意図的に性的な要素である乳袋を与えられた場合である。この場合、宇崎ちゃんには、性的な要素が意図して組み込まれた背景が存在することになる。そして、宇崎ちゃん性的である、というポスター批判派の指摘には、一定妥当性がある。

2つ目は、単に可愛い要素を詰め込んでいたら乳袋になっていただけ、という場合である。既に乳袋一般的表現になっている世界において、宇崎ちゃんちょっとした可愛さの一要素としてそれが組み込まれ場合、宇崎ちゃん性的意図は含まれていないと考えられる。この場合、宇崎ちゃん性的であるとみなす言説は、本来は胸が大きくて可愛いだけの宇崎ちゃんを「勝手性的に見ている」行為になる。つまり、興味深いことに、ポスター批判派こそが、人の格好を勝手性的であると見なして騒いでいる存在となるのだ。ポスター擁護派の中には、この立場に立って、ポスター批判派こそが「エロくないもの勝手エロく見ている」と指摘する人もいる。一方で、乳袋性的表現ではないという前提は、現在日本においては広く同意が得られた認識ではなく、この立場に立つことはポスター擁護派の欺瞞である、という指摘もある。

実際のところ、作者がどういった意図で宇崎ちゃんを作ったのかはわからない。恐らくは前者であろうが、オタクコンテンツ一般的化が進んだ現在において、後者のような状況が起こる可能性もある。乳袋ネイティブ世代にとって、乳袋猫耳ぐらいのカジュアル属性かもしれない。また、乳袋韋駄天靴下は極端にしても、絶対領域ミニスカート胸の谷間おでこ猫耳や表情といった要素になると判断が難しくなるのではないだろうか。下着広告においては、「性的消費目的ではない」ということが明白であるため、「エロく見るほうが悪い」という切り捨てに一定妥当性が与えられる。しかし、こういった未定義エリアにおいては、表現者と受け手のどちらかに一方的責任押し付けることが難しくなる。

これらの思考実験を前提とした場合、「かわいい」「綺麗」あるいは「性的」「エロい」というのは、外形上非常に線引が難しいと認めることになるだろう。ある人にとって単に「かわいい」だけの格好が、別の人には「性的に」映ることは避けられない。また、性的消費の意図表現者に存在たかどうかを基に判断をするというのも、同様の理由で困難が予想される。さらに、仮に性的な消費を前提として表現された性的な要素だとしても、どこまでが許される「性的さ」で、どこから先が自粛すべき「過剰な性的さ」なのかについても考えなければならない。

今回の乳袋については、個人的には、性的な消費を前提とした性的な要素であるが、過度に性的とまでは言えないかな、という認識であるオタク表現に馴染んでいるためのバイアスが掛かっていることには自覚的であるが、なんとなく肌が露出していなければセーフという気もする。また、表情について言うと、これは恐らく性的な消費を前提としていないであろうと考えている。作者は単に宇崎ちゃんのうざさを表情で表しているだけのように見受けられる(これをアヘ顔とは呼ばないであろう)。

繰り返しになるが、このような受け取り方は、私個人のものであり、人によって異なるであろう。それ自体が悪いことであるとは、私は考えていない。

多様性尊重するべきなのではないか

多様性は大切にするべきであり、多様性を大切にするのであれば、お互い似好き放題やって、相当な衝突が発生しない限りはお高いに許容しよう、という考え方がある。仮に、件のポスター性的であったとしても、「そういう表現好きな人もいるよね」で終わらせることができるのであれば、それで全ては解決する。一部のポスター擁護からはこのような世界理想とした言動が見受けられる。

しかし、この考え方は現実世界においては、非常に運用が難しい。「相当な衝突」の定義が人によって異なるからだ。ある人にとって些細なことが、別の人にとっては大問題というのは、それこそ多様性を前提とするれば数多く発生するだろう。そうなった場合、結局は社会なすり合わせが行われて、自主規制として運用されることになる。私個人としては、なるべく多様性尊重する観点から、多少気に食わないことがあってもスルーするのが美徳であると考えている。しかし、だからといって他人に対して「それは些細な問題であるからスルーせよ」と強要するのは良しとしない。件のポスター女性差別問題として扱う場合、その人にとって、それは些細な問題ではない可能性がある。多様性尊重とは、相手に黙認を強要するための武器ではなく、互いの価値観をすり合わせて妥協点を見つける営みであるとも言える。もちろん、そのようなすり合わせは非常に高コストであるし、お互いに面倒である。繰り返しになるが、自由を維持するための不断努力とはこういうものなのだろう。

宇崎ちゃん性的であるとして、そこをほじくる意味はあるのか

ポスター擁護派の中には、仮に宇崎ちゃんが過度に性的であるとして、そこを指摘する必要性はあるのか、と問う人もいる。件のポスター女性差別性犯罪と関連付けて批判する場合、他にもっと重大な問題存在するのではないかという指摘である私自身は、この指摘は意味をなしていないと考えている。仮に、宇崎ちゃんポスター性差別問題があるのであれば、それが他の案件に比べて社会的に些細な影響をもたらさないとしても、指摘することは問題がない。もちろん、リソースが有限である以上、より重大な案件からあたるべきだという意見には一理あるが、それを強制することは誰にもできない。あるいは、ポスター批判派は単にキモオタもしくはオタクコンテンツが嫌いなだけなのではないか、という指摘もある。この点については、個人の内心がわからない以上、そこを議論しても無意味であるしかし、どのようなチベーションの人が存在するとしても、言論それ自体にはロジカル対応する必要がある。論者自身姿勢への批判と、議論内容そのものへの批判は分けて考えるべきであろう。

ずっと譲歩していたらブルカみたいにならないか

極端な話では、なる可能性はある。すでに述べたとおり、規制は強化される方に圧力がかかりやすい。ポスター擁護派はこのような自体を避けるために、無理に譲歩する必要は無い。最も、私自身はこの点については、あまり心配してはいない。仮にあらゆる肌の露出性的とみなす言説が現れたとしても、現在日本において多数派同意は得られないであろう。

差別の苦しみを知るのであれば

ある意味ではミラーリングが起こっているのだが、「男」という言葉を「雑に」用いた意見に対する反発が、少なからずあるように思われる。これはすでに多方面から指摘されていることであるが、「多くの」男性にとって、性犯罪あるいはセクハラというのは実際のところ未知の事象であり、「多くの」男性は、少なくとも自らが犯すのは避けるべき行為であるという倫理的良心的な規範を持ち合わせている。このことが逆に女性が日々感じている女性ゆえの困難さへの無理解につながるのだが、一方でその困難さへの責任を「男」というまとめにより自身へも向けられたときその男性にとっては困惑しかない。これはある女性が「女性」として差別されるのと同じく、ある男性が「男性」として差別されている相似形と言える。「多くの」男性は、このような女性の困難さに対して同情的であるし、不正義だと考えるであろう。しかし、一方であなたもその片棒を担いでいる、と責められるのは理不尽であると考えるのではないだろうか。女性であるという理由ハイヒール強要されることを良しとしないのであれば、ある男性男性という理由だけで責任押し付けられるべきではないし、罵倒を浴びせられるべきではない。このような行為は、男性でも女性でも、アメリカ人でも日本人でも傷つくことである差別は良くない。単純だが、これは切実な問題である。本当に傷つくのだ。

ある属性の人々が憎まれるのは、過去にその人達が行ってきたことのせいである、という考え方もあろう。しかし、どうか、属性で人を憎むのはやめることはできないだろうか。「罪を憎んで人を憎まず」とまで言うつもりはない。なにか嫌なことがあったときに、原因となった個人を憎むのは、あるいは避けられないだろう。しかし、その原因となったその個人属性までを憎むようになってしまうと、文字通り憎しみの連鎖が始まってしまう。気持ちは分かるけど、なんとか堪えられるといいと思う。難しいけど。また、議論においては、そのような発言は大いに弱点になるので戦術的にも避けたほうが無難ではある。

違いすぎる前提と背景と強い言葉(内容がメタ化してきたぞ)

ところで、先程から使っている「多くの」という表現であるが、ここに闇が潜んでいるのではないか、という指摘もある。社会階層年代、あるいは地域ごとに特性があり、私が感じるところの「多くの」というのは、あくまでも「私の身の回りでは」の話となる。ある女性にとって、身の回りの「多くの」男性が、その女性にとって好ましくない特性を備えているという状況は、恐らく確率的にありえるし、どちらかというと、そういったことは特定グループにおいて偏って発生するのではないかとすら推測できる。私が前述した、「多くの」男性倫理的良心的な規範を持ち合わせているという言説についても、同意できない人はいるであろう。

インターネット上の議論においては、そういった各人の異なる背景が共有されないまま発言が行われるため、話が非常にややこしくなってしまう。ある人は、身の回り男性を原因とする数多くの困難を経験した上で、その経験に基づいて何かを述べるのであるが、そのような経験は必ずしも前提として共有されていない。そのような発言を、同様の困難を経験したことのない人が見た場合、大げさだったり、被害妄想が激しいか、あるいは単に攻撃的な人物発言のように写りがちである。このような両者の異なる認識は、それぞれ異なる経験に基づいたものであるから、それぞれ「正しい」のである。そして、正しいからこそ厄介であり、それぞれが無意識に持っている別々の前提をすり合わせないままに議論を続けると、平行線のまま話が進むことになる。Twitterのような短文のプラットフォームでは、なおさら背景が共有されないまま議論が行われることになりやすい。

以上のことを考えるに、もしも発言の中に「常識」や「普通」あるいは「当たり前」「当然」「明らか」といった言葉を使っていた場合は、特に考え直したほうがいいかもしれない。あなたにとっての「常識」は非常に限られた範囲のものであるしかも、これらの言葉は「正しさ」をニュアンスとして含有していることから、それに当てはまらない人(恐らく沢山いる)に対する悪意と捉えられやすい。当然ながら、「異常」とか「おかしい」とか「論外」といった強い表現はなおさら安易に使うべきではない。これらの言葉は人を傷つけるし、ロビイング戦術としても周囲の理解を得にくくなる。すでに「主語が大きい」ということはよく言われるようになったが、これらの表現にもできるだけ留意するようにしたい。

まだ続くのすごない?

https://anond.hatelabo.jp/20191029133051

ポスターのやつ、いろいろな記事を読みつつ、自分の考えを整理するために書き出していたら、結構な量になってしまった。論点が多くてあまりまとまっていないが、せっかくなのでここに置いておく。少しずつメモ帳に書いてたら気がついたらめちゃくちゃ長文になっていてビビったというか、途中で切らられちゃうので分割するはめになった・・・・。

ポジショニングを先に述べておくと、私は男で、オタク、宇崎ちゃんポスターはギリセーフかな?ぐらいの認識だ。

ポスター擁護派の反発の強さ

いきなりだが、ポスター擁護側の反応が過剰である、という意見がある。これは、ポスター擁護側の危機感の強さに由来するものと考えている。「彼らが最初共産主義者攻撃したとき」という有名な言葉があるが、ポスター擁護派にとって、オタク表現に対する段階的な譲歩は、最終的にはすべてのオタク表現が認めらない未来につながる、という危機意識があるのではないだろうか。この危機意識を補強する要素として、これまでの事例(NHKにおけるキズナアイ人工知能学会の表紙など)も存在する。一方で、ポスター批判派にとっては、あくまでも自分の信じる妥当な指摘をしているし、これまでの個別の事例は必ずしも自らによるものでないので、ここまで反発を受ける理由が分かりづらいのかもしれない。

ここで問題となるのが、ポスター批判派と擁護派の間に信頼関係が無いことであるポスター擁護派にとって、ポスター批判派とは、個々人の「常識」に基づいて、それぞれ微妙に異なる理由ポスター問題点を指摘する存在に見えている。特に共有されたガイドラインがない状況でこうなってしまうと、ポスター擁護派は最終的にどこまで譲歩すればいいのかわからない以上、一歩たりとも引くことができなくなってしまう。ポスター擁護派が「お気持ち案件」と言うのはこういう理由からであろう。両陣営の間に紳士協定存在しない以上、お互いに譲歩は難しい。

個々人の嗜好や常識が異なる以上、必要となるのは各陣営同意が得られたガイドラインになるであろう。現時点で即効性があるガイドラインは恐らく法律のみであり、法律に基づくのであれば、法的な「わいせつ物」でなければ問題ない、ということになる。もちろん、「TPOマナーをわきまえろ」という意見もあるだろうが、TPOマナーへの遵守はベストエフォートであり、必ずしも守る必要がない。法律のみを基準として考えた場合、件のポスターが「わいせつ物」とは言えない以上、それ以上の規制を求めることは「過剰な要求」と映ることもあるだろう。ポスター擁護派には、恐らく規制派の意見法律を超えた「過剰な要求」に映っている。

では、みんなが納得するようなガイドラインを、批判派と擁護派が一緒になって作ることは可能だろうか。残念だが、私の印象としては、そのようなことは難しいように感じられる。各人それぞれ譲れない線があるらしく、すり合わせは容易ではない。しかし、後述するが、私はそのようなガイドラインは「表現する側」が作れば良いと考えている。

ポスター取り下げの圧力はやりすぎなのではないか

安易ポスターの取り下げ要求は、表現への萎縮につながるという説もある。これは一理あると同時に、必要行為でもある。私自身は、自由はなるべく保証されているべきだと考えているので、ポスターへの批判Twitter上で放言することは、それがどのような理由に基づくとしても、認められるべきだと考えている。たとえそれが、個人的な心情に基づいたものだとしてもだ。また、赤十字に対して直接的に取り下げを求める行為についても、特に問題はないと考えている。なぜなら、圧力、あるいはロビイングは、自分の信じる世界を作るための戦術の一つであると考えているからだ。批判派も擁護派も、お互いにやればいい。

さて、赤十字にも、表現自由がある。赤十字公的団体私的団体かに関わらず、赤十字にはどのような表現を行うかを自発的に決める権利がある。もし、赤十字が、批判に対して「なるほどそういう考え方もあるのか」と考えてポスターを取り下げるのであれば、それは赤十字自由だ。一方で、批判を受けた上でポスターを取り下げないのも、赤十字自由だ。赤十字インターネット上でどちらの意見が多いかを見定めで、それに基づいて判断を下したとしても(統計的な正確性の問題を別として)、問題ないだろう。決めるのは赤十字である

前述のとおり、私は、批判派と擁護派が意見をすり合わせて統一ガイドラインに至ることは難しいと考えている。となれば、最終的には、どのような表現が認められるかどうかは、その表現の発信者が決めるしかない(この場合赤十字だ)。この前提に立つ場合、両陣営は、発信者を説得するために最善を尽くすのがミッションとなる。つまりロビイング合戦だ。実際のところ、自治体はもちろん出版業界放送業界などを始めとして、様々な企業業界には、表現者として独自ガイドラインがある。これらは過去ロビイングによって少しずつ構築されてきたものであり、それぞれの価値観をすり合わせた結果とも言える。そして、このような自主規制ルールを作る上では、表現自由関係が無い。

強引なロビイングの是非

ところで、何人たりともリソース限界というものがある。特に赤十字にとっては両陣営から意見を受け付けて適切に判断を下す、という非常にリソースを消費する作業が求められる。結果的に、赤十字は、問題が起こりにくい表現のみを使うようになる、つまり表現の萎縮が起こるという懸念が残る。しかし、究極的に言えば、私はこれは問題が無いと考えている。ポスターなどの表現は結局はコストパフォーマンス問題であり、クレーム対応へのコストと得られる利益(この場合血液量だろうか)のバランスを鑑みて、最終的には収束するであろう。コスト削減のために無難表現を選ぶ、というのも戦略の一つであるし、多少苦情が来るのを受け入れつつ、血液を大量に集められる方向に舵を切るのも赤十字判断だ。赤十字には自由がある。

しかし、ここで注意しなければいけないのは、必要リソース量には非対称性があるということだ。たとえば、赤十字に対して長時間苦情の電話をかけ続けるといった手法は、ロビイング方法としては好ましくないと、私は考えている。表現者のリソースを飽和させることによって、半ば強引に要求を飲ませる手法は、私の目には品が良く映らない。人によっては、この手法自体を、不当な手段による「表現抑制」と見なすこともあるであろう。意見の伝達は、なるべく相手リソースを消費しないように心がけたい。もちろん、あなたがどうしても相手に飲ませたい要求であれば、多少強引な手法を取ることは(法律禁止されていない範囲で)可能でもある。しかしその場合、まさにその行為自体非難対象となり、結果的に周囲から理解も得られない結果になることもあるだろう。私自身は、Twitter上で意見つぶやくぐらいが、相手にとって負担の少ない範囲だと考えている。

ロビイングが下手な方が負けるのはいいのか

ロビイング合戦となると、「声が大きいほうが勝つのかよ」という非難もあるかもしれない。そうなのだ、声が大きいほうが勝つのだ。こればっかりは民主主義必要コストなのか、いわゆる自由のための「不断努力」というものなのか、各人が自分の信じる事を唱え続け、みんなを説得するしか無い。しんどいが、そういうものみたいだ。もちろん、弊害もある。「米国NRAロビイングを続けているせいで、いつまで経っても銃乱射事件が無くならない」という人もいるだろう。しかし、ではNRA発言権強制的に奪うことができるかというと、そうはならない。あなたにできるのは、あなた意見で周りを説得して、支持者を増やすことだけだ。でも、しんどい。できれば相手に静かにしておいて欲しい。きっとお互いに「またかよ」と思うこともあるだろう。不毛に見えることもあるかもしれないが、自由とはそういうものなのだろう。

表現の萎縮と緩和の難しさ

さて、表現の萎縮を懸念する材料として、一度決まったルール安易に緩和されないという指摘も考慮する必要がある。

たとえば、知っている人にとっては「定番の話」であり、それ以外の人には「なんでそんなことに」と思われがちな自主規制として、「4本指のイラスト禁止」という決まりがある。これは、自主規制ルールとしてそれなりに広く運用されているはずのルールだ。このルール部落開放同盟から意見が由来らしいのだが、私自身(関東出身)は最初に聞いたときは「なんじゃそりゃ」と感じた。今現在も、「そろそろ無くしてもいいんじゃないの」と思っている。

一般に、規制というものは強くなる方向に圧力がかかる。形骸化したルールが、それを理由に削除されることは、傾向としては少ない。そのため、理由はどうであれ、細かいルールを積み重ねていくと、最終的には非常に厳しい規制が完成する。この傾向は、表現自由度を求める陣営にとっては脅威である。一度決まりができてしまうと、それを覆すのは難しい。もちろん、ロビイング社会の変化によって緩和が行われることもあるだろうが、できるならば規制が生まれる事自体を避けたい。この非対称性考慮した場合ポスター擁護派が過敏に反応することは、ある程度理解できる。譲歩の積み重ねが厳しい規制につながることを懸念するのであれば、今がまさに踏ん張りどころだと言える。

定義エリア問題公的機関責任

日本赤十字は半ば公的機関であるので、より安全ルール運用するべきではないのか、という指摘は、私自身は一理あると考えている。赤十字公的機関と見なすかどうかについてはここでは議論しないが、公的機関がなるべく安全表現を使う、というのは、すべての人へサービス提供する以上必要なことである。たとえば、政府セクハラを是とした表現を行うことは望ましくない。なぜならば、セクハラは良くない行為であるという、社会通念上の合意が得られているし、法律という形で明文化もされている。あるいは、政府が過度に性的表現を行うのもまた、望ましくないであろう。これは、公の場では性的ものを隠すという社会通念上の認識が共有されているからだ。

では、どのような表現が「望ましくない」ものとして社会で共有されているか、となると、全くもって難しい問題である。法的に認められていない行為は当然「望ましくない」し、差別助長するような表現も、おそらくは「望ましくない」。しかし、社会の大部分は実際のところ未定義エリアとなっており、個別案件ごとに勘案することになる。すでに広く指摘されている通り、たとえどのような表現でも人を傷つけることは往々にしてある。その前提に立つ場合、単純に「私(や私の周りの人々が)が傷ついたから」という理由だけで「望ましい」かどうかを定義することはできない。たとえば、単に子供掲載されているポスターがあるとして、どうしても子供を授かることができない夫婦が傷つくからといって、そのポスターを取り下げるべきだろうか。この例に対する答えはない。もし、そのような人が日本で大多数を占める状況であれば、きっと日本政府はそのポスターを取り下げるべきであろうし、あるいは、その傷つき方が非常に強いものであれば、少数のために取り下げることもありえるだろう。(なお、この例示自体が、そのような人を傷つけているだろうという指摘も当然ある)

今回のポスターは、擁護派にとっては、このような未定義エリア問題であり、どちらかといえば問題がないものとして想定されている。一方で、批判派は「望ましくない」ことが確定したもの、具体的には性差別問題として認識している。この前提が異なる以上、公的機関が今回のポスター掲示することの是非について議論するのは、あまり意味がないように考えられる。極端な話、件のポスターポルノであれば、赤十字掲示するのは不適切であろう。しかし、そもそもポルノかどうかという点が両陣営の間で確定していない状態では、それ以上の話はしようがないのである

ところで、公的機関にとっての表現コストパフォーマンスとは何だろうか。恐らくは、どれだけ全体を幸福を最大化できるか、という観点になるだろう。そして、なるべく多くの人が傷つかない、ある意味では無難表現を用いるという戦略は、単純にコストパフォーマンスに優れるであろう。そういう意味では、公的機関特別視するというよりも、彼らは単にコスパがいいか無難表現を好む、と考えるのが妥当なのかもしれない。

崇高な目的のためであれば、小さな犠牲は許されるべきか

献血を推進するためであれば、ポスターが引き起こす問題無視されても構わない、という考え方が観測される。これは是でもあり非でもあるだろう。

ここで重要となるのが、ポスターが引き起こす問題とは何なのか、である。仮に、その問題差別問題である判断される場合、たとえ献血目的であろうとも、その表現は認められないと考えられる。例えば、「白人は慈愛に満ちているので、どんどん献血に行こう」と書かれたポスターは、現在社会通念上認められないだろう。一方で、「差別とまではいかないけれど、傷つく人もいる」表現場合献血重要性を理由に、多少の問題無視されることもあるだろう。先程の例を再び使うのであれば、献血ポスター子供掲載することは、おそらく現在日本では問題となることはない。

さて、ここまで来るとまた同じ話になるのであるが、今回の文脈において、ポスター擁護派は今回の問題差別問題である認識していない。一方で、批判派は、これは性差別問題である認識している。そのため、両者の話は噛み合わなくなる。結局の所、この論点もあまり意味がない。件のポスターポルノであれば、それを公の場に掲示するのは、女性差別になるであろうから献血のためとはいえ認められないであろう。一方で、ポスターポルノでない場合献血のためであれば、多少のことは無視される可能性はある。

続くよ

https://anond.hatelabo.jp/20191029132732

2019-10-22

絶対に失敗しないお金儲けの方法

2019-09-26

予想通り時事通信漫画家協会DL違法化拡大を要求と書いたか

漫画家協会などがダウンロード違法化要求著作権法の早期改正

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019092501014&g=soc

案の定時事通信とかはダウンロード違法化漫画家協会要求したと言う風に書いてる。

>★日本漫画家協会出版広報センター出版団体)で共同声明を出しました。年初の著作権法改正案(いわゆる静止画DL違法化を含む)は大論争となり、特に漫画家協会が頑張りすぎて

>丸ごと潰れてしまいました。その結果「ダウンロード行為に関しては(例え海賊版であっても)不問にすべし」という誤ったメッセージが方々へ伝わった感があります

https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1176709361705447424

赤松氏には色々失望したよ。

2月時点で中途半端対応していたのを見て反対していないのは判っていたが。

何にしても一度は凍結したDL違法化拡大なんてしたらイメージ悪化するだろうよ。

山田太郎氏はこのDL違法化拡大の反対票もあるし、その事実上応援をしていたから、当選した途端、態度を豹変させた意味でも失望している。

そもそも漫画村の一件とかでも裁判の方が遥かに有効だってわかったし、先にプロ責法を変えるべきだろって指摘されているのにもかかわらず、一切触れないのは恐らく所轄官庁問題だろうね。

事実山田太郎氏もヤマベンもこう指摘しているからな。

海賊版対策のために、ブロッキング

ダウンロード違法化だのインターネット自由制限したり、海賊版対策には役に立たない上に未来創作活動等の芽を摘みかねないロビイングをする前に、最初から正攻法で攻めるべき。

https://twitter.com/otakulawyer/status/1174205316482904064

山田太郎政策1-1(17/20)海賊版への対応

ブロッキングDL違法化など、DL側への対応が唯一の方法ではありません。海賊版アップロード側への対応を強化するため、

プロバイダー責任制限法の改正や開示請求裁判所の意思決定の迅速化が必要です

https://twitter.com/yamadataro43/status/1152118426057490432

さてどうなる事やら。

これで山田太郎氏もヤマベンも少しでもダウンロード違法化賛同したらそれこそ世間から総スカン食らうと思うがな。

54万票にはこの手の規制反対票も多いからね。

その点を無視してDL違法化を言い出しているのだから世間からの支持も得られないだろうよ。

出版もいちいち裁判するのはめんどいからDL規制と言う安易な道を取りたいんだろうよ。

やったら確実に音楽映画業界みたいに沈むだろうけども。

本当、こいつら出版漫画家にもダイレクト問題国連児童ポルノガイドラインには行動せず、この手の海賊版対策ばかりに躍起になっているのだから呆れるね。

自身利益以外どうでも良いのだろうよ。

所詮漫画家出版自身利益以外興味がない連中って行動で示したようなもんだ。

今回の声明を見て、今まで規制に反対してきた一般人NGOは内心呆れているだろう。

こんなものよりまともにあの手の規制団体に対抗してくれよってね。

2019-09-25

D(デブ)3H(ハゲ包茎貧乳)を差別するな

LGBT精神構造問題から本人の努力でなんとかなるけど、デブハゲ包茎貧乳遺伝問題なんだぞ。

遺伝子を差別するな。

精神構造と違って自分努力ではどうにも出来ないんだ。

幼少期にトラウマがあろうがなかろうが、生まれつき太りやすいやつやハゲやすいことは直しようがないんだ。

ホモになる遺伝子があるか?

親がレズなら子供レズなのか?

違うだろ?

でも包茎貧乳は親が親なら子も子なんだよ。

まれつきなんだよ。

それを差別するのはLGBT差別よりよっぽど悪辣だ。

許せねえよ。

ア一卜ネイチャ一とかが儲けるために曲がった価値観をばらまくのは許されて、政治家を味方につけた連中への差別けが取っ払われるのかよ。

ロビイングで勝ち取った正義を持って生まれ正義みてーに誇ってるんじゃね―ぞ!

2019-09-09

最初重要なことですが、ハーケンクロイツ軍事的ものではありません。

ハーケンクロイツは今でこそナチス党章として利用されていることが知れ渡っていますが、そもそもナチスで利用される以前にも民間で「幸運・吉祥」の意味合いで利用されていたという歴史があります

専ら軍事用途で考案されたデザインではなく、元々民間で利用されていたハーケンクロイツデザインナチスにおいて転用しているに過ぎません。

JFA規約規定渉猟してみると、政治的差別的宗教的行為禁止する規定はありますが、具体的な対象指定されているわけではありません。

軍事的意匠については【試合運営管理規定】で禁止されています

しかし、現実にはハーケンクロイツ軍事的ものとしては扱われていません。

当然でしょう、元々土着の祈願物として利用されていた意匠ナチス転用し、ネオナチに受け継がれているに過ぎないというのは既に示した通りです。

ハーケンクロイツネオナチシンボルとして誇りのあるものであることは確かですが、我々としてはドイツ国歴史上、民間において「幸運・吉祥」の意匠として広く流通していたデザインであることを積極的に強く訴えていくべきでしょう。

そうでなければユダヤロビイングに負けてしまます

2019-07-25

https://anond.hatelabo.jp/20190725143655

そりゃ、やり方の問題だよ。デモだってもっと現代的なやり方があるはずだし、それ以外にもロビイングというものがある。

2019-07-20

はじめての「再びの選挙

初めて、「二回目の選挙」を迎えた。その選挙戦も終りを迎えつつある。日付が変わればもうこういう記事も書いてはいけないのだろう。

3年前、18歳の時、選挙権を得て初めて投票をしに行った。比例区山田太郎に票を投じ、これで初めて政治を動かせるのかと思いきや、落選してしまった。

しかし、その票は無駄にはならず、これまでのロビイング活動に「活用」されていった。


薄っぺらいお説教のような投票に行けという言葉よりも、自分にとってはこの3年間の「30万近い得票の影響」こそが選挙に行こうと思える理由であった。

18歳のあの時から3年たち、衆議院議員やら、地元市議会議員選挙やら、様々なもの投票した。そして、今回の参議院選挙は、初めて「再びの選挙」なのである

ネットで見られる若者向けの政治家のアピールは、今まで投票をしてこなかった者相手が中心で、逆に言えば自分のような層の投票はのぞまれていないような気がする。

しかし、この初めて「再び」の選挙で、初めて「再び」同一人物投票して、この声を国政に向けてやろうとの気持ちはむしろ高まる

21歳になって、再び2枚目の投票用紙に山田太郎と書き、期日前投票を行った。再びこの票が、なんらかの力となることを願いながら。

どのような結果になるかはわからないが、また同じような気持ちで、希望を持って投票ができれば幸いである。

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