はてなキーワード: フラストレーションとは
ソースが本人のツイート一つだしゴシップサイトしか記事にしてないし真面目に捉えてるほうがおかしいんだよ
立候補者の登録を締め切ってる州もあるんだから、どう考えてもありえない
それはそうとして、カニエウェストのトランプ支持はイメージアップのために右ならえでリベラルアピールばっかしてる近年のアメリカンセレブへのアンチテーゼだったんだろうな
オバマやヒラリーがいくら正論を説いたところで実際の世界はいっこうによくならなかったという絶望と、
そんな失敗を反省せず俄然同じようなアプローチをとり続けるリベラリストへのフラストレーションが、
民主党員への当てつけとしてのトランプ支持といういささか幼稚くさい行動にカニエを走らせたのかもしれない
またセンシティブな発言をしたときに「これだから黒人は」という風にトーンポリッシングによって論点をずらされることを危惧して
表面上は共和党保守層にフレンドリーに接したほうがいいという考えもあったようで、それはまだ理解できなくもない言い分かなとは思う
カニエって誤解されがちだけど共和党支持者ではなくてアンチ民主党ってだけなんだよな
「いつまでこんな古臭い二大政党にしがみついてんだよ疑問に思わないのかよアメリカっていう国家が黒人にやさしくしてくれたことあっか?」としか考えてないリバタリアン
個人的にカニエはそういう「政治じゃ何も変わらない、変えてくれない」ってスタンスでいてほしい。そういう発言をする人もいてほしい。
去年コネで入った会社をクビになり、早1年。大学中退引きこもりニートです。
正直口げんかは弱い方だ。ニコ生で喧嘩凸主として活動してた時もあるけど、敗戦続きだった。
多分震えが声に出てしまうんだろう、そこを相手は見抜いて執拗に責め立てる。それが嫌で300人ぐらい集めたコミュは爆破した。
そんな過去もあって、俺はこの1年溜まりに溜まったフラストレーションを発散できる場所を探していた。それがRobloxだった。
Robloxは簡単に言うと、アバターを作ってユーザーが作成したゲームで遊べるという物だ。2006年からサービス開始してるから知ってる人もおおいかもしれない。
その中に車を破壊しまくるゲームがあるのだが、俺は元来車好きなのもあってか、どっぷり浸かってしまった。課金も3000円ぐらいした。
まぁ少し話が脱線したのだが、そのゲームには「コアボタン」というものがあって、ワールドを爆発させて再生成するという機能があった。
ヘリコプターがランダムの場所に設置されるのだが、そこにたどり着いて乗れると一定の額のマネー(新しい車を買える)がもらえる。
だがコアボタンを押せるのは、350Robuxで購入したユーザーのみとなるので、誰もが押せるわけではない。
私はコアボタンのゲームパスを買い、ゲージが溜まったら押すということをしていた。前述したように誰でも押せるわけではないから、コアボタンが押されると喜ぶ人も多い。
だがそこで事件が起こった。私がいたサーバーにはA君とB君がいた。この二人は友達だったのだろう、鬼ごっこをしていたようだ。
そこで私がチャットも見ずにボタンを押したものだから、「うわボタン押した奴誰だよ」「通☆報しよう」等とチャットで書かれた。
俺はなぜか手が震えた。これは喧嘩できる...と。
彼ら(多分小学生?中学生?まぁ大人でも使う奴はいるが)の多くはまず、「キッズ」という言葉を使いたがる。相手を子供だと認定し、自分は大人であるから偉い。という様な構造を作ろうとする。
ここで「あーそうだよキッズだよー^^」なんていう言葉は使ってはいけない。絶対に。
まず大人である、ということを主張する。すると彼らは「大人ならさ~もっと...」のようなゴミ親が使うような言葉を言い始める。そこで反論する。
「いや君たちも大人じゃないの?じゃあ俺を相手にするのやめない?」等と反論する。
そう、キッズとチャットで喧嘩するにあたって、この「オウム返し」は有効である。そっちこそどうなんだ!である。
そして彼らは大人であることの証明を求める。ここでも「証明のしようがない」という返しをする。2ちゃんねると違い、画像のうpはできないので、証明のしようがないのは事実である。
ここで私がキッズなら、anonfileにでも免許証の一部でもうpしろとか言うと思うのだが、彼らにその知能はない。
次は課金額である。彼らはこのゲームに○○円課金していると自慢し始める。だがこのゲームは、課金したからといってすぐ強くなるわけではない。ある程度の運転能力は必須である。
私は最高級の戦車を用意して、彼らの車を破壊し続けた。リスポーンして5秒の無敵期間が終わるまで隠れて、ブーストを使って一気に車を踏み続けるのである。
彼らは私のクソデカ戦車に踏みつぶされるおかげで、身動きがとれない。リスポーンするしかなくなるのである。
彼らは戦いをやめ、「嘘をやめろ」ともう一度自分のことをキッズとして認定してくる。ここで私は一回ゲームを終了した。
そして2分後再接続した。案の定そこでは「落ちた~www逃げ逃げwww」という様なチャットが繰り広げられていた。
ここで適当な嘘(アプリが落ちた)等ということを言って、再開する。
わざと落ちたのには理由がある。多少大人なら、落ちた=逃げという論理を使うことはない。
だが彼らは使ってしまった。ようするにこの喧嘩の勝敗はどちらかが、このゲームを終了するか他のサーバーに移るしかなくなる...ということを彼ら自身で作ってしまったのである。
私は長々と「~でちゅね」「~でちゅよ」という語尾を使いあおりまくった。よっぽど彼らに効いているのかわからないが、誤字が多くなる。
そこで私は誤字を指摘する。彼らは「誤字があっても解釈できないなんて...」等と言い始める。たしかにそうだ。
だが、ここで私は「多少誤字があろうと、意味の伝わる文章は書ける。だが君たちの文章は誤字以前に日本語として成立してない」といったことを言い、また煽る。
そして気づいた、B君が落ちているということに。A君一人で私と喧嘩していたのである。
私は涙した。そして許してあげようと思った。「一人で頑張って偉い。許すよ。俺もごめんな」という言葉をかけた。
だが彼はあろうことか、「いやあなたの謝罪なんて必要ないですよ」と返してきやがった。
俺はこんな奴に情けをかけたことを後悔しながら、もう一度喧嘩した。彼は「昼ご飯作ってくるから抜けるわ~」「実家に戻りてぇ~」という捨て台詞を残して去って行った。
また他にも色々口挟んでくるキッズもいたが、2,3言で言い返さなくなった。
そして私は「あ~俺も晩ご飯食べるから抜けるわ~」と言って接続を切る。完璧である。
私はA君とB君と割と仲が良かった。彼らは9歳と7歳だそうで、バスケと釣りが趣味だそうである。
課金厨の私になついてくれて、「ほらこれ見てみて!」といった感じで何にも面白くないことを見せてきた。私は好きだった。
だがA君とB君だけで遊ぶようになり、私はイライラしていた。だからこそ1時間程度チャットで喧嘩するなんていうことができたのだろう。
彼らはきっとスマホの前でイライラしながらポチポチしていただろう。「なんだよクソ!」とか言ってたのかなぁ...。
私はティッシュを二三枚取り、彼らの顔、体を想像しながら夢中でシコった。
しかしその特定痴漢に対して仕返しをし損ねたのでその後もずっと恨みをため込んでいる。
その恨みをより広い相手にぶつけて受け止めてほしがる。
しかし主語デカ発言でお気持ちを受け止めさせようとする人に対し、人間はあまり優しくない。
そしてそういう精神構造には際限がないということを多くの人が人生のどこかで自覚しているから。
新卒で入った会社で職場全体のストレス源になっている物凄いモンスターお局様と遭遇し、意味不明ないじめを受け、
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」という一般論をネットに何度も書くようになった。
私はせめて当該お局様のみを憎むべきであったのに、
社長のコネで引き取られていてアンタッチャブルなそのお局様に誰も対処できなかったフラストレーションから
「高齢独身で働いている女性」という風に対象レンジを拡大し、無関係な人達に八つ当たりをすることで留飲を下げていたのだ。
小島慶子さんにしても、
大元は何かまっとうに憎むべき相手と理由(体験)があったのだと信じる。
けれども対象拡大主語デカ発言とそれをしてしまう自分の精神構造とを検討して戒めることがなかったために、
八つ当たりで広範囲に嫌な思いさせることを狙うのがすっかり癖になってしまっているように見える。
自分の身にたまたま起きたことを一気に社会問題にまで拡大してくれるから。
そして同じ精神構造の同じ性格の人間が同じ理由ですでに集まっている。
そうして、仲間と一緒に主語をデカくしながら特定属性に範囲攻撃をし始めることになる。
自分の恨みや無念を無関係な人にも横暴にぶつけていける攻撃の実感と権力感で快楽が発生する。
このような時、社会思想の仲間というのは実はただの八つ当たりを好む性格同士の仲間だ。
個々の体験を共有するために乱暴な抽象化を行い、主語のデカい属性への攻撃で合意する。
何かの問題解決ではなく、本来の恨みへ復讐することですらなく、もはや八つ当たりの快楽自体を追い求めている。
男一般を凄く憎んでる女の集団がフェミニズムとかリベラルとか言われていても
でもどちらも「個人の恨みを八つ当たりにまで拡大してしまうことを自分に許してしまう性格」という同じタイプの人の集団で、
これについては保守とかリベラルとかはあまり関係がないと思う。
こういう主語デカ八つ当たりが好きな人というのは明らかにいて、そういう発言を多くしたりいいねや☆を付けたりしている。
野蛮な時代だとこの種の性格の人は「女は劣等」とか「朝鮮人は劣等」という”社会思想”に多く隠れていたんだけど
それは差別だとわかりやすいため不当さを批判されるようになり気分よくなれなくなってきたため、
今では「男は害悪」とか「日本人は劣等」という”社会思想”にも潜むようになっている。
これはその人達の性格の問題であって、本来の社会思想の問題ではない。
どのような思想であっても、主語デカ八つ当たりの快楽を求める性格の人が入り込む。
これ自体は社会の問題でも思想の問題でもなく、個人の性格の問題なので、
そう言う性格の人が自分で自分の精神構造に気付き、性格を戒めてやめていかなければいけないのだ。
本来の社会思想の人か、八つ当たり快楽追及者かの見分け方として、
人を助ける活動を地道にやることに重点を置いている人は前者の可能性が高まる。
右翼であっても私財を投じて日本人の子弟を扶けようとか援助しようという人間は立派な性格だし、
左翼であっても自分の頭と体で貧困者の面倒を見て汗を掻いている人間は立派な性格だし、
一方で「敵対陣営に嫌な思いをさせること」ばかり楽しそうに追及している人は右翼であれ左翼であれ尊敬しにくい。
痴漢については満員電車を減らすことと監視カメラを増やすことぐらいしか現実的対策がないと思う。
せめて小池百合子知事を憎む…のではなく強く働き掛けを行うことで実現に向かっていくことが建設的態度ではないかと思う。
このような現実ベースの話で異論討論が起きているのをあまり見たことがない。
しかし気持ちについては個々人が自分で解決していくしかないものだ。
自分の無念とか、それを他人に八つ当たりして受け止めさせたいという欲望とか、
自分自身一時的にスカッとしても、結局憎悪が膨れ上がるし、他人の分の憎悪まで勝手に持ってくるようになるし、
そうして自分が何年も何十年も憎悪と共に過ごすことになるだけだ。
自分のそういう性格を思想のように取り繕ったりしてはいけないし、誰かや社会のせいにしてもいけない。
それは自分の心のハンドルを自分で握らず、程度の悪い何かに預けてしまう行為に他ならない。
pikopikopan 攻撃を楽しむ人間になってはいけないには同意する。ただ一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にする訳にはいかない。
「一個人の力で対処出来ないことや境遇に恵まれてなかったことを該当者だけの責任にして済ませよう」
なんて話はどこにもしてないつもりですが・・・。
私は社会思想自体は否定していないということも繰り返し断っていると思います。
負の連鎖を防ぐ側ではなく生み出す側なので区別することが必要だし
当人にもろくなことはないため自分で戒めてその性格から脱却した方がいい
という話をしました。
kincity 性的イシューで「本来なんの関係もない無辜の男性」が「痴漢やクソリプしてくる奴」相手の注意指摘の文言に非常にヒステリックに噛み付いてくる心理について当人たちが認識・分析すべきでは?何故黙ってられない?
個別の事例次第ですが
痴漢について男性全体を巻き込んで非難したり責任を分担させようとしたりする発言については、八つ当たりが含まれており反発があるのは仕方ないと思いますし、それについては八つ当たり発言者が「始めた人」だと思います。
ただしそのような八つ当たり要素が無い発言に対してもクソリプはゼロにならないことは確かです。
dogear1988 増田がそうだった様に、人が傷を癒すにはそうした言動をする期間が大なり小なり必要なのだが、ネットではそれに対する批判が集まる過程で寧ろ反発心を強め、誰も幸せにならない悪循環。難しいね。
個人的には、ネットで情緒的に人とつるむこと自体をやめた方がいいと思っています。
twitterやはてなブックマークなどでは八つ当たり仲間を見つけるのは簡単すぎます。
ああいうアクションは社会を良くしないし、自分の心も良くしないし、
なのに社会思想風看板やのなんらかの大義名分がくっつくと何か立派なことをしてる気持ちにまでなるんです。
skgctom 何で「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」を「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」と言い換えたのだろう。「酷い目に遭った私」はどこへ行ったの?
えーと
だからまさにそれについての話だったんですが
「私は職場で高齢独身女性に酷い目に遭わされたので高齢独身女性が嫌いだ」
「ある高齢独身女性に嫌な目に遭わされたので、別の無関係な高齢独身女性を見ても条件付けで嫌な気持ちが起きる」
という事実と自分の心の動きを高度に客観視して把握してますよね。
そういう人なら無暗に無関係な人を攻撃したり八つ当たりしたりしないわけです。
自分の心が無関係な高齢独身女性に嫌悪感を持つのは自分の心の問題であり、対象のあの人に責任の無いことなのだ
とわかっているんです。
高齢独身女性全般への嫌悪の反応を正当化する方へ向かうんです。
「実際結婚もしてない人ってみんな最後はヒステリーお局になるんだよ、嫌われて当然。きもい。迷惑だよねー」とか。
自分の中の恨みとか不快感とか攻撃欲を正当化するために、八つ当たりを肯定するために、
というかskgctomさんは
「高齢独身で働いてる女性は必ず精神不安定になり職場の害悪」が
不適切な八つ当たりの例であるということは理解してくれているでしょうか?
grdgs 「お前ら攻撃的。お前ら口が悪い」と常々言っている人たちが得てして普通に攻撃的で口が悪かったりするので、そのような鏡がない人たちにも伝わるといいですね。
あなたは日本人に対する差別的発言を(わりと許される空気もあったため)繰り返していたところ
風向きが変わって非難を浴び面目を失った人だと理解しています。
日本人全体を憎悪して差別的呼称を繰り返すというのはやはり主語デカ八つ当たり病だったというほかないと思うし、
そのうえで…
1.「差別発言」を咎められたのを「言い方の乱暴さ」を咎められたというようにすり替える意図であれば感心できません。
2.仮にあなたと同レベルの差別的発言をあなたの”敵”がやっているとしても、それはあなたを正当化しません。
(これはこの文の主旨の主語デカと別の話なので本当に蛇足ですね。)
建設的な日本批判日本人批判をしてくれればちゃんと読みたいと思います。
differential どう対策しても痴漢をゼロにできるとは思わないが、過去と現在の喫煙や飲酒への風当たりの変化を知るオバハンは、痴漢もっともっと風当たり強くなって良くね?とは思う。喫煙者より無条件に嫌われるべきと思う笑 ブコメ見た感想 知らんけど 無自覚バイアス
痴漢は誰に聞いたって犯罪者であって、喫煙や飲酒より社会から甘い扱いを受けているということはないと思うのですが…。
また「喫煙者が無条件に嫌われるべき」というのも危ういものを感じます。
私は喫煙者の健康被害の観点から煙草は社会からなくなる方が良いと思っていますが
問題解決ではなくあなたが何かを憎悪して快楽を得たいだけに見えるので与したくありません。
既に明確に犯罪者である痴漢をさら憎んで風当たりを強くする(これ以上どのように?)ことで問題解決になる、という不思議な主張も
あなたのシラフの理性が言わせているというよりは、やがて抱えきれずに誰かに八つ当たりを始める攻撃心の萌芽のような気がします。
※ただの長い愚痴吐き。
出来の悪い漫画みたいなアホな話だけど、嘘ならもっとマシな嘘をつく。
悪役令嬢とひとくちに言っても色々なタイプがあると思うんだけど、「甘やかされて育った生意気なお嬢様」と言えばいいんだろうか、とにかくそういうキャラクターを彷彿とさせる顔と声をしている。
・小学生の頃から、不良と仲がいいちょいワル系の教師には、ファーストコンタクトでいきなり「お前はさぞ甘やかされて育ったんだろう、俺が根性を叩き直してやる」と言われてわざと冷たくされたり悪いこともしてないのに罰則を与えられたりされる(後に「誤解だった」とか言って謝られる。クソが)。
・うちは貧乏なのに、大人からも子供からもなぜか私が金持ちであることを前提に会話される。大人はたいてい初対面でいきなり説教や威嚇をしてくることが多い。
・中学生の頃、試験で学年1位を取ったら「あいつの親が教師に金を積んで成績を買ったらしい」「あいつは教師と寝たらしい」と学年中で囁かれる。
・ろくに話したこともない相手にいきなり「内心私たちのことバカにしてるんでしょ」とキレられることが多い。
「A君のこと好きなんだけどA君って増田さんのこと好きみたいなんだよね」
みたいな感じ。
女子同士の噂では私の名前が出てくるのに、実際に学生時代告白されたことはない。
・高校の時、部活で、ほぼ練習を見に来ないし仲良くもない顧問にいきなり「お前って箸より重いもん持てないんだろ」等と言われる。
・自称サバサバ系女子には初対面でめちゃくちゃ嫌われる。びっくりするほど嫌われる。
・出会った人のほぼ100%に「初めは全然気が合わないんじゃないかと思ったけど話すとイメージ変わった」と言われる。まあイメージが変わったならいいっちゃいいんだけど、本当〜に毎回毎回「こいつ気が合わなそう」というしらっとした目で見られる→一生懸命高慢じゃないアピールをする→なんとか気を許してもらえる→とっておきの打ち明け話みたいに上記のことを言われるのステップをいちいち踏まなきゃいけないのがじわじわしんどくなってる。
まあ、五体満足だし、飢えてもいない。
派手顔なので派手な服に顔が負けないのはありがたい。たいした悩みではない。だけど共感してくれる人のいないようなニッチな悩みなので地味にフラストレーションが溜まる。
【追記】
「なんじゃそりゃ」「うんち」で流されると思ったんだけど思いのほか共感が得られて嬉しいです。ありがとうございます。
・縦ロールなのか?→母似で天パではあります。伸ばすと縦ロール風になります。ストパーかけたこともあるんですが、毛が細くてコシがないのと、受験ノイローゼで抜毛症になったのでストレートにすると落ち武者風になっちゃうんですよね…。
・笑顔を意識とのご指摘ありがとうございます。第一印象が高慢に見えてしまうのは見た目だけではないですよね、確かに。痛いところを突かれました。
・イメージ湧かん→ドンピシャで誰似というのはないんですが、強いて言えば「大草原の小さな家」のネリーオルソンの頬をもう少しふっくらさせた感じでしょうか。冷徹そうというよりわがままそうな見た目なんですよね…。
先述したとおり別に大した悩みではないんですが、縦ロールコメント等のおかげでなんだか癒されました。ありがとうございました。
某感染症の世界的蔓延により、多くの娯楽やアクティビティを提供する事業者が自粛をするようになってから2ヶ月が経とうとしている。自らの趣味やライフサイクルの一部から距離を置かざるを得なくなった方も少なくないだろう。私の趣味であるクラブやパーティとて例外ではない。
私は、平日は会社員として働きながらも休日はアマチュアのDJとして活動している。活動開始から4年が経とうとしていて、自分で言うのもおこがましいが、活動している地域の自分が属する界隈では新人から中堅に差し掛かっているぐらいの立ち位置だ。もちろん自分自身クラブという場所が好きで、出演が無い休日にはパーティに客として遊びに行くことも珍しくない。
昨今の感染症の世界的蔓延によって日本全国のクラブ・ライブハウスが営業自粛をする事になった。クラブが営業してないとなれば、クラブファン達もパーティに足を運べない日々を送ることになる。
正直な事を言うと、私の心はもう耐えきれないところまで来ている。
時差出勤やテレワーク、人件費抑制によって平日の仕事に費やす時間や精神的リソースは減っているのに以前より「仕事したくないなあ」「仕事行きたくないなあ」「いっそ仕事辞めたいなあ」と漠然と思う事が圧倒的に増えた。
一年前に比べて熱を出すことが増えた。昨今の情勢がアレなので病院にかかるがこれといった病気は無く。かかりつけの医師は「自律神経の乱れじゃないか?」と言った。
空いた時間や暇は前よりも増えたが、DJとしての活動の幅やスキルを磨くような時間(曲を掘ったり練習したり)に充てることはできなかった。むしろこれまでよりも費やす時間が減っているようにも思える。
蓄積したフラストレーションは着実に私を蝕んでいて、苛立ったり頭に血が上るような瞬間、出来事が増えている。先日パートナーとした喧嘩はお互いにヒートアップし、取り返しのつかなくなる一歩手前まで進んだ。
心の中から拠り所が抜け落ちた自分のような人間のすき間を埋めるためか、はたまた音楽シーンの火を絶やさないためか、たくさんのクラブ関係者、DJ、オーガナイザーがインターネットを利用したオンライン配信のDJイベントを日々提案していて、今も普及、進歩は止まるところ知らない。
しかし、そんな配信パーティの数々も私の心のすき間を埋めるに至らず、最近は追うことも少なくなってしまった。
もちろん初めは自分も大いに楽しんでいたし、配信する側に回ったこともある。配信パーティを企画・運営するそれぞれの人々が自分なりに考え、何かしら音楽体験を提供しようと努力していることも多少なり感じているつもりだ。
だがどうしても提供されるパーティを、DJが投下する音楽の数々を、5時間なり、8時間なり、前のめりに聴き続けることができないのだ。いい音楽や素晴らしいプレイを体験して、思わず酒をあおり、チャットやTwitterにその激情を書き込んでも、結局自分がいる場所は家なのだ。酒が回りすぎてしまったらすぐ横にはベッドがあるし、少し気を抜けば手のついていない家事も、最近ハマって進めているゲームもそこにある。その感動を伝えたくても、結局家には自分しかいなくて、通話やらメッセージやらチャットやらに行くしかない。無論、自分の甘さが、弱さがすべての原因でしかないのだが、ふとした瞬間に無性に虚しくなる。
何気なく遊びに行っていたクラブ、その場所でよく馴染んだ顔ぶれと交わすドリンク、そしてその場所が生み出してきた数々の音楽体験。それらが自分の心をどれだけ占めていたのかを再認識させられる。
5年くらい続けていた仕事がジワジワといやになって、あと若いうちに東京で暮らしてみたくて転職アンド上京をした。
このタイミングで親が急死したのもまぁショックではずみになってしまったんだと思う。
いくつか出た内定から死ぬほど悩んで決めた転職先は、なんか聞いたことのあるデカめの企業で、前職より給料は上がり、都心のきらめくオフィスだった。
でも前職と仕事内容が似たようなもので、元々それがうまく出来なかったり納得できずにフラストレーションがたまっていたような自分は、キラキラのオフィスに場所が変わったところで仕事をうまく回せなかった。
さらに当たり前だが人間関係もゼロから構築なので、上手くいかない仕事に先輩や上司への気遣い申し訳なさ自信のなさが必要以上に絡みついて、全然元気が無くなってしまった。元気もやる気もなく卑屈に過ごす日々に耐えられなくなって、仕事ができそうにない、しばらく休ませてほしいと上司に伝えた。根本的に仕事内容が合ってないんだったら果ては退職じゃない?(要約)とも言われたが、それは怖くて診断書を出してとりあえず休職した。
休職生活では、傷病手当でなんやかんや月10万円くらいが手元に入って、そこから家賃8万と奨学金1万が出ていく。足りない分はこれまでの貯金をなめらかに溶かして補う。自分のえらいところはこの状態でもしばらく生きていけそうな貯金があったことだ。まぁ養うべき人や動物もおらず自分1人だけ面倒みりゃいいからというのも大きい。
休職してももちろんいきなり元気もりもりになるわけではなく、今は休むのが仕事と思ってぼんやりと過ごした。料理をしたり筋トレをしたり、自身の無能さ不甲斐なさに苛まれたりしながら日々を過ごした。そして元気が出てくるとこんなことしていていいのだろうかと焦りはじめる。しかし今の職場に戻れる気がしない。そもそもの仕事内容がやっぱり無理なようだし、こんな半年でトんでおいて復帰するイメージがつかない。そんなの他人は気にしてないというのも分かっているが嫌なものは嫌だ。理解と受容は別だ。
だから少しずつ転職活動をして、また心を削られたりしながら一喜一憂、一進一退してようやく1社内定を得た。その間に世間はコロナでてんやわんやしていた。
内定を得た会社は仕事内容が希望に近く、商材も個人的に好きなもので、働き方もそんなに無茶ではなさそうだ。ただ何せ給料が低い。手取り16マンとかにならんかこれは?会社自体は儲かってそうなのになぜこんなに低いのか、人材に投資する気ない?
そして勤務地はかつて働いていた北の地であった。はるばる東京にやってきたのに、ここでまた…。
このカードを捨てて、コロナ禍の中より良い職を求めてまた戦えるか?メンタルやって休職中&短期離職という経歴を抱えながら?自分には無理だった。これ以上先行きが見えない状況を考えると腹の奥がヒュッと縮む。
でも、お金のことやキャリアのことを考えると、よくないとは分かっているが、なぜもっと踏んばれなかったんだろうと思ってしまう。最初の会社で、最初の転職活動で、転職先で、次の転職活動で。
正直、次に勤める会社の待遇には満足していないし、隣の芝をみたらぐぅと落ち込んでしまう。今休職している会社の待遇と比べると能面のような顔になる。でも自分はそこでは上手くできなかった。…上手くできなかったのだろうか。もう少し踏ん張れば乗り越えていたのではないだろうか。今回の転職活動だって、もう少し不安定な状況に耐えて踏ん張っていれば、もっといいところと出会えたのではないだろうか。もしくは、もっと時間をかけて自分の心身の回復を徹底させ、進むべき道は何か?と向き合い、そこからようやく転職なり復職なりを考えるべきではなかったか。変な焦りで下手な手を打っていないだろうか。
そんなこと考えても意味ないとは思うが、やっぱり未だに欲深い自分がいて、踏ん張らなかった自分を責めてしまう。次の会社ではせめて、少しくらいは踏ん張りたい。
なんだか世間はいまこの中途半端な感じの自粛なのか自粛しなくていいのか。
日々様子を伺っている感じなんだけど、
近所のさ
中華屋さんも休業していたので、
だから開いてると思うので、
行ってみないと開いてるかはどうか分からないわね。
なんだか毎日そんな話しばかりだと、
私は本当に遠くに出掛けたいわ!
ただそれだけよ。
うんと遠くの海に行って
幸い海なし県ではないので、
道をたどればいつか海に着くは着くんだけど
そんでもって今この最高に天気のいい感じがまた恨めしいわ。
フラストレーションが溜まるわー。
自己肯定感をあげるべく、
これもさすがに飽きるわよね。
そうそう知ってる?
リンゴ焼くと美味いのよ!
もう私が全て出来るレシピは作り倒したので、
最終リンゴ焼くってところに行き着いたんだけど、
要はアップルパイのアップルだけのパイ無しアップルってところかしら。
上手に焼けるとしなっとして普通に美味しくて、
ただ焼くだけなんだけど、
でも本当にこの天気の良さが恨めしいわ。
なんかこの真綿で首絞められてる感じの毎日。
なんか美味しそうな今日の私の気分に応えてくれるサンドイッチがなかったんだけど、
でも結局はいつもと同じな
出汁パックに緑茶を詰め込んで水出し緑茶ウォーラーの季節でもあるから、
昨日仕込んでおいた
試せたら試してみてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
4月7日に新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。
世界が戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急事態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。
そんな中、施策を出すごとにダメ出しされている安倍首相であるが、一小市民として、国民はもっと安倍首相にエールを送るべきだと考えている。
だが、疎い人間であっても、客観的に見て、安倍首相への批判の嵐はおかしいと思う。
例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家の危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策を実施している首相のストレスは半端無いと思う。
ストレス溜め込んでよくわからない施策にGOを出す可能性だってあるし、鬱病になられたりしたらたまったものではない。
ただでさえ一挙手一投足が見られ、報道され、評価される政治家だとは思うが、今回ばかりは精神がやられるんじゃないかとハラハラしながらニュースや評論家のコメントを見ている。
確かに緊急事態宣言を受けて、市民は多くの不便を強いられている。
かく言う私も出勤が制限されており、状況に応じて、収納ボックスを机がわりにテレワークを実施している。
週末にお出かけができない未就学児たちもフラストレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながら子供二人の面倒を見るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。
マスクはどこにも売っていないので、手製の布マスクを使いまわしている。
訳のわからない流言のせいで、トイレットペーパーやティッシュが売り切れたりする。
自営業の知り合い達は、緊急事態宣言によって店舗を開くことができず、悲痛そうな顔をしている。
最近、緊急事態宣言の出口戦略が見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。
そもそも、これまで緊急事態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての外出自粛要請を国民がどの程度実施するかも分かったものではない。
どの程度の企業がテレワークに対応できるかもわからないし、外出自粛により、ウイルスの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。
わからないこと尽くしだ。
緊急事態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。
また、野党は文句ばっかり言っているが野党の仕事って文句を言うことなの?と思ってしまう。
与党に対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与党だけでは出しえない提案や、必要に応じて、決定事項に対する協力的な姿勢も必要なのではと考えてしまう。
政治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良い国家の運営」であって、「政権獲得のための罵倒」や、「与党を陥れるための施策」ではないはずだ。
テレビによくゲスト出演する有名人や大学関係者、評論家は、おそらく持論を展開してバッシングすることにより、知名度を上げたり、お金を稼ぐのだろうなと考えてしまう。
とりあえず出される施策全てにバッシングをしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。
彼は今、日本で一番国家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大問題だ。
また、時間は待ってはくれず、一種アントレプレナー的な判断と決定が必要となってくる。
その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚名を歴史に残すことになる。
つらつらと書いているだけでも「絶対やりたくない仕事」を彼は文句も言わず実施してるのだ。
ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。
私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、システム関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレワーク対応可能となった(らしい)。
今回の勤務体系による業務効率の結果次第では、弊社でもテレワークの頻度が増えるだろう。
各都市部での空気の汚染度の低下が報告されているし、観光者の減少によって、自然環境が回復傾向にあると言う報告もなされている。
具体的にはタイのリゾート地でのウミガメの産卵数増加、マナティが帰ってきた等。
世界中の人間が観光旅行による自然破壊について考えさせられるだろう。
自営業の知り合い達はインスタ等を活用して通信販売を実施しているらしい。
知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。
また、自営業の友人同士でインスタによる販売紹介なども見受けられる。
その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。
都市部での人間関係の希薄化が取りざたされているが、今回の一件から、人間関係の重要性を考える人も多いかもしれない。
こんな日記を匿名で書いている私も、一種、「バッシング」をしている人間かもしれない。
しかし、安倍首相もまた”努力、尽力している人間”であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、筆を執った次第である。
そんな俺が当時なんでネトウヨになったのか自分なりに振り返ってみようと思う。
普段、夕食後にナイター中継見ながら「吉本隆明がどうたら」「西部邁がどうたら」そんなことばかり雑談してる父親と兄が、「ゴーマニズム宣言はあれヤベえよ……」と苦笑いしているのが耳に入ってその存在を知った。
なぜか興味を抱いた俺はそれがどんな本なのか訊いてみたら、二人ともしまったとでも言いたげな顔で言葉を濁し、「いや、お前が読んだら絶対に訳も分からずハマるから教えたくない」と逃げられた。
そんなふうに言われたらむしろ興味が強くなる。
早速、学校の帰りに大型書店に立ち寄った。残念ながらゴーマニズム宣言は置いてなくて(記憶が確かならとっくに絶版になってたからだったと思う)、仕方なく「戦争論」のほうを購入した。
一応、書いておくと俺はそこらへんのアホ高校に通う勉強なんてしたことないバカ学生だったから、歴史・公民ともに全く知識がなかった。
戦争論に書かれている刺激的な言論にやられて、人が変わったように昭和史の勉強を始めたとかいう事実も一切ない。
それにもかかわらず俺が戦争論にハマったのは、悪役として据えられてるキャラ(アメリカ?護憲論者?)を主人公(日本?小林よしのり?)がボッコボッコにやっつけて、徹底的にディスるのが気持ちよかったから。スカッとジャパン見て留飲下げてる人と全く同じ心理。
正直言って、本の内容は全然理解できてなかった。大人になった今ですら戦争論で何をどういう論点で掘り下げていたのか全く思い出せない。そして、今もう一回読んでも無学ゆえに理解できないだろう。
で、なんで当時の俺にそういうスカッとポルノ的物語が響いたのか?もうこれは俺が嫌われ者だったからとしか言えない。
見た目はオタクのくせに不良ぶりたがる、一周回った可愛げもなくとにかく協調性がなく、からかい半分に相手を挑発することをニヤニヤ言う。
そんな俺はまあとにかくクラス中から嫌われていた。男女問わず嫌われていた。
疎外されるのも自業自得なんだけど、そのくせ俺は周りに嫌われてる事実に傷つき、挙句、「人生初彼女ができない。童貞捨てられない」的悩みも同時に抱えてとにかくイライラしていた。
そんな人間がスカッとジャパンに出会ったらそりゃハマるよなあと今となっては思う。
逆恨み由来で膨れ上がったはち切れんばかりの攻撃性をあの本が代わりに解消してくれたような感じだ。
兄が俺をゴー宣に触れさせないよう慌てていたのは、俺の人間性に大問題があってなおかつクラスの嫌われ者であることを察していたからな気がする。
「(あの本にハマるのはまさにこういう奴だろう)」、そんな危機意識があったのではないかと。
俺は韓国、韓国人、在日朝鮮人、戦後民主主義、左翼を忌み嫌うようになった。
「お前そんなこと言っていいわけないだろう。理屈もなにもねえよ」というような蔑称やヘイトにキャッキャキャッキャと歓喜し、瀬戸弘幸や桜井誠を天才思想家として崇め奉った。
そして俺にとってスターといえばイチローでもダルビッシュでもなく、自民党のタカ派議員だった。
2chに差別書き込みをした回数は1000じゃまったくきかないと思う。
夕食後、父親と兄との雑談に俺が混ざるようになったのもちょうどこのころだった。
学校で起こった楽しい話なんてないもんだから、なんの脈略もなく「韓国がさあ~w」「中国がさあ~w」という調子で読んだばかりのヘイト本の内容を面白おかしくニヤニヤと披露する。
そのたびに父親は決まってウンザリしたような顔で「お前、そんな差別的な話を俺は家で聞きたくないよ。もっと楽しい話してくれよ」と露骨に眉をひそめ、軽蔑したような冷めた顔でそのやり取りを見守っていた兄が痺れを切らして「おめえいい加減にしろよ、黙れよ」と一喝する。
そんな流れが毎日だった。
それは「愛国心を盾にした差別はよくない」という至極まっとうな意見が世間の常識となることだった。
厳密に言うと、当時も今もそういう社会常識は当然みんなに共有されているということになっている。
学校や会社でネトウヨ的言論をかまそうものなら普通に窘められ、あいつは頭がおかしいということになるだろう。
ただ、当時はネトウヨもネトウヨ的言論もまだまだ隠れた存在で(ネトウヨというスラング自体は耳にしたことある人はもう多かったと思うが)、「変な人のことだとは思うけど、実際になにがどうなってんのかは知らない」程度にしか一般的に認知されていなかったと思う。だから、2chで俺を含む差別的な連中がどんだけ跋扈しようが見つからなかった。
世間には「差別は許されない」という当然の常識が共有されている一方で、ネットのアングラ部分ではネトウヨ的思想がすごい勢いで盛り上がるという対照的な状態が続いていた。
「もしもネットのネトウヨブームが世間の人に気付かれたら彼らの良心によって潰されるだろう。そしたら俺のフラストレーションの解消の場がなくなってしまう」
そんなふうに俺は恐れていた。
俺の嫌な予感は当たった。
やがて、ネトウヨ的存在が一般的に認知され始め、密教から顕教に変わっていった。
ただ、予想外だったこともある。
ネトウヨはやっぱり「あいつらとんでもねえ」とバッシングされはしたんだけど、それと同時に「あんなのはごく一部。差別者なんて実際はほぼいない。広まってもいないネトウヨ思想に危機感を抱くのは未熟者だから。はい、この話終わり」とでも言いたげな耳を塞ぐ態度を頑なに守り続ける勢力も相当いたことだった。
これに俺は凄く救われた。こういう逆張りというか、冷めたポーズを取ってくれる連中がいてくれれば俺の、俺たちネトウヨの居場所は守られる!と安堵した。
「ネトウヨ思想が広まりかねない。危険だ」という意見がネトウヨでもないネット民から「そんな奴みたことないんだけど?よっぽどレベルの低いコミュニティにいるんだね~」みたいなレトリックでよく小馬鹿にされていたのを覚えている。
ネトウヨ本が書店で平積みされ飛ぶように売れ、ヘイトスピーチなんてのが社会問題になって、身元隠してないTwitterアカウントで主婦や社会人がネトウヨ思想を全開にしている、そんな現在を考えると、ネトウヨ思想の流行という当時の懸念は正しく、そして、冷めた態度で小馬鹿にする勢力がネトウヨの追い風になったのは当たってたなあと思う。
ネトウヨ時代の俺も日本がここまでなるとは当時想像だにしなかったから。
政治とか右翼だとか左翼だとか韓国とかそういうの一切合切に俺が興味なくなったのは大学入学とほぼ同時だった。
大学合格後に兄に部屋まで呼び出され相当真剣に将来を案じることを言われ続けたからだ。
要約すると、「偏見を捨てろ。周りに親切にしろ。心を入れ替えろ。ていうか今の人間性のままだとお前人生終わるよ」、そんなことをマジのマジのマジのテンションでこんこんと聞かされた。
「親父もお袋も相当心配してるぞ。お前結局友達いなかったろ」、特にこれが半べそかくほど効いた。
自分が好かれるわけがない、擁護しようのない人間だという自覚は深いところで抱いていたので、大学では心を入れ替えて普通に友達作って楽しく過ごそうと思って大学生活をスタートさせた。
まもなく、普通に友達が何人かできて、一緒に遊ぶようになって、まるで憑き物が落ちたかのように俺のなかから世の中や人に対する攻撃性が萎んでいった。
気付いたら政治とかどうでもよくなっていた。ていうか在学中に在日の友達もできた。彼女はできなかった。
今は普通にのほほんと生きている。