はてなキーワード: イラストレーターとは
私はそこそこにアニメなイラストを描くオタクだが、中高ともにそういった部活(同好会)がなく、大学の漫研というものに憧れを抱いていた。
そしてようやく地元の大学に入学。目をつけていた漫研に脇目も振らず飛び込んだ。ここで趣味の合う人と楽しい日々を送るんだ! って
結果としてすぐ辞めた。漫研に夢を見すぎてたみたいだ。内輪なオタクグループという世間から隔絶された世界の住人になれるのは重度のオタクだけみたいで、特に絵が上手くもないのにイラストレーターになるとか言ってる4年生や、謎に絵を教えようとしてくる人などなど、とても私には合わない世界だった。
それでも慣れれば楽しいかもって思って、念の為兼サーをしつつ続けてみたけどダメでした。
てか、コミケで2〜3冊しか売れない部誌の原稿を書く行為の何が楽しいんだ...?ネットで誰でも作品を公開できる時代に漫研に寄稿するって楽しさを理解するのは難しかったよ。
結局夢に描いたような大学生活は夢でしかなく、今は何の変哲もない飲みサーで量産型大学生やってます☆ オタク活動は個人でやるのが1番でした!オチはないです
[B! togetter] タピオカを題材に風刺を描いた女学生が「女叩き」「名誉男性」などとネットリンチされる - Togetter
[B! 育児] 「母親がスマホを使って何が悪い!」不満爆発で漫画を描くも…… - Togetter
と比較してみたよ。
もっとゆかいな比較対象がありそうだけれど、今日はまあ、これで。
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3位
solt-nappa
初のツイートの指摘どおりじゃん。食べ残しなんてタピオカ以外にもあるのに、タピオカばっかり目の敵にされて叩かれてるじゃん。そこを指摘しただけで「フェミ」とか嗤う連中の下劣さよ。
これに関する増田の答えは、「タピオカがまさに今流行していて、注目を集めているから(注目が集まりやすいから)」。
作者の答えは「タピオカの美味しさに感動して私は作品作った」。
タピオカが目の敵ではなく、たまたま作者の目の前で繰り広げられていた光景が目の敵なだけ。
もしもアボカドが流行していて、作者がそのおいしさに感動したらアボカドインスタ映え廃棄問題が、
(廃棄問題が起こるかどうかは分からないが)叩かれていたと思うぞ。
当該の「初のツイート」は、タピオカインスタ映え廃棄問題を、勝手に女性を馬鹿にしているのだと思い込んで、攻撃的なリプ送っているのだから、手に負えないね。
誤解のないように言っておくと、増田は、この人を「フェミ」などと笑わないよ。「読解力もなければ行間も背景も読めない人なんだな」と哀れには思ったけれど。
それはさておき、
筆者(増田)は23区内の某所在住だが、これを見て、昼間に歩きスマホがどれくらい存在するか近所で数えてみたら、101人中16人だった。
ちょうど雨が上がった直後のタイミングなので、晴れているときよりは少ないだろうし、地域や時間帯によっても異なるのかもしれないけれど、90%まで増えるかというと、到底そうとは思えないし、どこだったら90%に達するかも想像がつかない。
歩きスマホをすることがありますかという質問では、「日常的に操作している」が6.6%、「時々操作している」が40.1%と合わせて46.7%の人が歩きスマホをしていることがわかった。
「時々操作」を、徒歩時間の半分としても20%。「日常的」と合わせても26%、「ほとんど操作しない」を徒歩時間の2割と見積もっても、33%程度だ。
おまえ、スマホ使っている人間を、「スマホ持つ奴は歩きスマホするものだ」と勝手な思い込みだけで「90%が歩きスマホ」だなんて雑な認識して、目の敵にして叩いてない?
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2位
tableturning
中性的……?どうみても女性の絵にしか見えないが…。色々後付してるけど普通にタピオカミルクティを飲む女性への批判絵でいいんじゃないの?タピオカミルクティ買ったことないから知らんけど男性は残さないんでしょ
母親の歩きスマホで殺人が起きそうな勢い。歩きスマホだ叩いてる人は道で歩きスマホやってるヤクザみたいな怖そうなお兄さんにも注意して回ってくれよ。ほぼ無害な母親叩かなくていいから怖そうな人どうにかして
「タピオカミルクティ買ったことないから知らんけど男性は残さないんでしょ」とは、「残すのは女性という偏見を持っているから描いた絵なんでしょ」という嫌みだというのは分かるけれど、仮に「女性の絵にしか見えない」として、そのことと、「女性を批判している」こととは全く結びつかないのだという点に、思い至らないのが残念なところ。
タピオカドリンクの列を見かけるときは、女性の方が多いし、その傍証として、例えば以下のリンク
を見ても、だいたい男女比1:2であると分かる。
「タピオカミルクティーは女性が多く飲んでいる」という認識は間違いないと思う。
ならば、例えば元tweetのような表現意図を持った場合、タピオカを購入する人の代表として女性を描いたとして、当然ではないだろうか。
(そもそも、元tweetは、「SNS映えの為に飲み干さずに捨てられたタピオカミルクティーは捨てた人間を絶対に忘れない」であり、それが女の仕業とも男の所業とも書いていないし、「男女っどちらとも取れない容貌にしようと思いました」とも言っている。そして、この作者本人の主張を覆すような、客観的な証拠は、誰も、何も提示できていない 20190919追記:イラスト描いた人が、描かれた人物は女性を念頭に置いているという推理があり、妥当性もあると感じたので、ここは取り消し線を引いておく)
ところで、よく「空き巣に注意」「置き引きに注意」などというポスターが掲示されているが、その犯人役は、まあ男だ。
「空き巣 ポスター」でざっとgoogle画像検索して、出てきたうちで女性が犯人だと確認できたのは、
三毛猫「チビちゃん」の日記:病院の空き巣にご用心 - livedoor Blog(ブログ)
と、もしかしたら、
の一番最後がそうかも??という程度。
一方、実際の男女比は次の通り。
女性の空き巣も男10に対して1の割合で存在するし、置き引きの比率はもう少し多そうだ(非侵入犯で女性の比率が跳ね上がるのは、万引きが含まれるためか? 置き引きは、ここまで多くはないと思う)。
しかし、だからといって、「侵入犯の男女比は10:1だから、空き巣被害防止ポスターの犯人も男10に対して女1の比率とすべき」とも思わないし、「男ばかりが置き引きをするという偏見を助長する」とも思わない。
男で代表させておいていいんじゃないですか? 実際に男の方が多いし。
タピオカもそれと同じでいいんじゃないでですか? 女で代表させておいて。
で、それでいて、歩きスマホをする母親を「ほぼ無害な母親」と擁護するのは本当に最悪。ちっとも無害じゃないぞ。ベビーカーが当たれば痛いし、靴に汚れや傷がつく。そもそも、歩きスマホが原因で第三者とぶつかり、子どもがけがしたら、子どもも不幸だわ、第三者も責められるわで、いいことは全くない。害だらけだ。
(ただ、誤解してほしくないのは、あの漫画の作者を非難する意図は、私(増田)に全くないということ。というか、画やストーリーの構成が分かりづらく、あれに基づいて何かを言うことはできない。唯一の正解は「歩きスマホする奴は全員、タンスの角に足の小指ぶつけるべき」だろ)
「女性(母親)という属性を持つものは批判されないべき」って、何か面白い考え方だね。
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1位
zyzy
ポイ捨てガー自体が妄想女叩きの筆頭だし、そらそうなるわな。表現の自由は叩く行為にもあるんだしね。表現の自由で殴ったら表現の自由で殴り返されたお話。
もう母親がスマホ使うことに文句付けたらその時点で犯罪扱いできる法律が必要なレベルだなコレ。叩く奴らはこの世に存在しても百害あって一利ないでしょ。
……何かもう、貫禄が違うわ。
一方では、
「表現の自由は叩く行為にもあるんだしね。表現の自由で殴ったら表現の自由で殴り返されたお話」と、イラストレーターを叩く行為に何の掣肘も加えようとしないのに、
もう一方では、
「文句付けたらその時点で犯罪扱いできる法律が必要」と、国家権力による言論封殺をほのめかす。
今回の救いは、作者が批判する側の「表現の自由」を認めた、その上で、自身も表現で対抗しようとしていることだね。頭が下がるわ。
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番外
rgfx
「ネタのつもり」は本人ばかりなり。自分が乗っかった「ネタ」が何を下敷きにしてるかすら否認してカマトトぶっこいて逃げたという。とにかく雑。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674389595104609314/comment/rgfx
尼(;´Д`)
おまえ、自分が乗っかった「尼(;´Д`)」という「ネタ」が何を下敷きにしてるか理解してる?いくら何でも雑すぎだろ。
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余談
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
うーんどうだろう
厳密な締切がない→ある。なんなら本当は融通がきくけど早割がいいから(発注者が数千~1万円程度得する)という理由で早まる。越えようもんならその分負担してくれない?みたいな空気出される or ○○さんの表紙が間に合わないので発行延期ですと発表される恐怖
細かなリテイク→する人はめちゃくちゃしてくる。元増田のように言わないくせに不満抱える場合も多い(商業なら仕事として当然言ってくれることも)そして金額アップは確実にない。商業のほうがまだそのあたり限度ありそう。
好きなもの描ける→だいたい苦手な構図の指定がくる。絵を描かない人の「こんなのが理想~!」っていうのはだいたい絵を描く人が嫌がるものなのかもしれない…。好きなものは面倒じゃないものなので背景は単色にとかやると、ご存知の通り「ひどい!あんまりだ!」という反応が待ってる
「描くのが苦痛」にならないような発注→そう、これを安易にやろうとして「おまかせ」という言葉が飛び交うわけだが、それが増田の落ち度としても語られてたよね
やっぱり「ある程度の仲の良さ」が全てな気がする。リテイクいえる空気か、安くても許せるか、作品を熟読して反映しようという気力が生まれるか、全部。
個人的には一緒に泊まりで遊んだことがある相手なら二つ返事でOKというかんじです。
このひと、「表紙を描いてもらいたい」んじゃなくて、「こちらがあれこれ指定しなくても自分の話を汲み取って表紙を描いてもらえるほど自分の小説を愛してもらいたかった」のでは…??
なんて意見がバズってたけど、多分そのとおりで、あれの問題は金額でも依頼方法でもなく、人気絵描きにそのくらい好かれたかったって話だったんだと思います。
大ファンの相手の作品を発表前に読ませてもらえるだけで得したって思えるし、この話がいかに最高か伝えたいという気持ちで張り切ってしまうのは、それだけ好きだからなので。
そういうやりとりを見て、自分もああされたいと思っちゃったんだろうなあ。
なので「字書きが人気絵師にバリクソ好かれるオーソドックスな方法」みたいなの書いてくれる人がいれば、増田は救われるかもしれない。
元編集増田です。「発注を受ける絵描きさん」から「増田の視点にはなかった、的を射た異論」をいただいたのはこちらの方だけだったのでせっかくながら返信させていただきます。
女性向けなんて300部でたらすごいほう
200であそこは多いと噂になる
で、実際はだいたいが50~100部でオンデマンド印刷(安くて荒い)
女性向け界隈の雰囲気に関しては無知なので言える事は何もないのですが、この辺りに関しては男性向けでも変わらないと思います。同人誌で文庫本100冊売れることはそうそうない。プロ作家が寄稿したら紙で即完売するかもな、くらいのレベル。n*100円で出して100冊売れたらn万円なわけで、イラスト発注5万円で計算すると最低1000円からですよね、でも同人小説で1000円の値段がつくもの買ってもらおうとしたらどれくらい気合いの入ったものになるんだろう。
つまり、実はこの話って「5万円で小説同人のイラスト発注無理でしょ」問題が根本に横たわってるんですよね。発注側の視点からその言葉を言うわけにはいかない(精神論として)ので書かなかったんですが、現実問題、上記の計算で行っても5万円を捻出するのって大変じゃないですか。いくら作品に愛があっても赤字前提になる価格帯でずっと同人小説出し続けるの心が折れますよ。自分なら心が折れる。
結局のところ、「理想の価格帯-現実の発注価格」の間に生まれる差額をリカバーするためのものって、最終的には友人価格とか、作品愛とか、そういうものにならざるをえない。その前提の元で可能な限り受注者に対して最高のパフォーマンスを発揮してもらえるよう、ノウハウでどうにかなるサポート方法を可能な限り書いたのがあの増田だったのです。
で、自分が完全に見落としていたのが「金額の差分が発注者や作品/ジャンルに対する愛を瀬踏みする行為にならざるをえない」という視点。同人ってたしかに同じジャンル同士の交友関係が前提になりますもんね。そこは自分が無知というか、ビジネスでのイラストレーターさんとのつき合いしかなかった=お互い完全に初対面の状態から発注せざるをえない=みんな特につきあいのないイラストレーターさんに発注していると思い込んでいました。失礼しました。
結局のところ、同人って「商業より安い発注になりがち」問題って絶対発生するものだと思います。ただ、その分融通が利くというか、「同人だからできること」をやってもらえるのが一番いいのかなと。
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
こちらの方の異論には痛いところを突かれたというか、この前提を語らなかったのは不誠実な気がしたので、答えになってない反応ながら書かせていただきました。あくまで部外者として思うのは、発注する側はあんまり気負わないで発注したらいいし、ただ発注するならするでイラストレーターさんへの気遣いを忘れないで発注するのがいいのではないか、ということです。
増田はイメージのすり合わせや指定・指示を特殊なことのように書いているけど、
元ラノベ編集者の増田にもありますが、仕様書は作ったほうがいいのでは。
誰をどんなふうに、どんな表情・構図で描いてほしいか
(できれば表情、構図、デザインなどそれぞれイメージに近い商業作品、他同人誌のサンプル)。
ツイッターでの反応を見ると、同人界隈でもそういった指示をすることは、失礼には当たらないようですし。
指定や指示は、イラストレーター(絵師)の想像力を奪ったり縛ったりしません。
増田よりもきちんと希望を伝えている可能性は高いのではと思いました。
「すてきな表紙をナントカさんに書いてもらいました!」
「イメージをこんなに膨らませていただいて」と一言描いてある裏には、具体的な指定があるかもしれません。
「思い通りだけど、自分の予想を超えるすてきなもの」を上げてもらうためには、
自分にとっての「当たり前」でも、他人にとっては「当たり前」ではない部分にどれだけ気づけるかも重要です。
苦しくつらい展開が多く、最後はそれを乗り越えてのハッピーエンドという場合、
「表紙を幸せそうに」と考えるのは、
増田にとって当たり前でも、絵師の方にとっては(そしてブコメを見る限り多くの人にとって)当たり前ではないです。
その場合、「私は最後のハッピーエンドが重要だと考えているので、幸せ溢れるキャラを描いてください」など指定しないと
すり合いません。
自分がお願いしたいこと、自分の頭の中にあるものを、具体的に、人に伝わるように伝える。
今、伝わっていないことを前提にして、どうしたら伝わるか考えてみてください。
そもそも自分自身、表紙のイメージが具体的ではない可能性もあります。
絵師への感謝とリスペクトは持ちつつ、(今の増田にとっては)うるさいと思えるぐらいに指定したほうが、たぶん、うまくいくと思います。
少し前に何冊かのラノベを読む機会があったんだけど、そのうちの2冊の表紙イラストが変だったの気になってたんだ。1冊は、電車内に学生らしき男女が立ってる構図なんだけど、いくら中身読んでも全然電車に乗らない。しょっちゅう校舎の屋上には行ってる設定だったので、そうしたらよかったのにって思ってた。もう1冊は、主人公登場時に、そいつが生まれつき茶色くてウェーブがかかってる髪だということが強調されてるのに、表紙は黒っぽくてストレートの頭なの。
さらっとでも中身読んだりしないのかな、プロ意識ないイラストレーターだなって思ってたんだけど、そういう事情?もあるんですね。
しかしこの2冊の作者が揃って「〇〇さんの美麗なイラストが表紙でとても嬉しいです!」みたいにあとがきに書いてるのが、かわいそうでさあ…
【可視範囲内で見かけたもっともな指摘を受けていくらか補足・訂正】【100ブクマ突破してたのでちょいちょい追記。】
基本的に、イラストレーターさんにとってラノベのイラスト仕事は割に合わない。締切は外道だし、イラストの量も膨大だ。
仮に、ラノベ1冊のイラストを発注するとする。カラーイラストはカバー1枚・口絵3枚(口絵4ページに対して単ページ2枚と見開き1枚)の計4枚、本文中のモノクロ10枚が1セットだろう。カラーイラストに5営業日、モノクロイラスト1枚に1営業日という計算で、最低でも1冊あたり30営業日=1.5ヶ月分の工数を割いてもらうことになる(厳密にはキャラクターデザインの工数も別途計算しなきゃなのだが、意図的に割愛してます)。
【本職の某氏から指摘を受けて気づいたので補足訂正。ここでの「1営業日」は稿料計算の為に出した仮の日数であり、実際のスケジュール調整の参考にしてはならない。たとえば、カバーイラストの「5営業日」などは「発注から完成まで5日で十分」という意味ではない。現実問題として、一つの仕事に丸々5日間かかりっきりになってもらうのは不可能なので、合間合間に別の仕事をしてもらったり、休み休みで仕事をしてもらうことを前提にすると、最初の発注から納品までどれだけ急ぎでも2週間、最低でも1ヶ月は日数を確保すべきである。個人的には、同人で仕事を依頼するなら、発注→ラフ→線画→仕上げの各プロセスで1ヶ月以上は作業期間を設けて、最初の発注からイラスト納品まで3ヶ月くらいは見ておいた方がいいと思う。それくらい開けないと、プロのイラストレーターさんは同人イラストの仕事を受けてくれない、というか受けられないのではないか。】。
そうなると、本来なら計算上は人月単価1.5ヶ月分の稿料が発生するのが当たり前である。しかし、様々な事情によって、そんな予算はないわけだ。重版かかりまくった作品とかなら稿料もそれなりになるかとは思うが、中々そうはいかない。
それに加えて大量のリテイク地獄(たまにある)、小説原稿の遅延(よくある)、編集の怠慢による発注書の遅れ(もっとある)などが重なり、外道のスケジュールに追い込まれることが多い。結果イラストレーターが地獄を見がち。悲しいけどこれ現実なのよね。商業だと利害関係者が膨大なので、どうしても各種調整により色んな問題が発生しがちである。
一方で、同人誌の原稿になると、別に本を落としても数十万単位での損害は発生しない。多少の融通は聞くはずである。いまから書くのは、増田がイラストレーターさんに仕事をお願いするときに抑えておくべきと考えている、発注時のポイントである。キャラクター発注のコツはぶっちゃけ今でもわからないし増田のやり方が正しかったのか自信もないので割愛し、それより前の基礎的なことだけ書いたつもりだ(増田は以下の内容に加えて「売れるためのデザインや表紙」をディレクションするのが書籍編集の仕事だと考えている)。同人でイラストを発注したいと考えている方々は参考にしていただけるとありがたい。
350dpiの文庫本表紙サイズの4Cイラストを1000円で依頼するのは正気の沙汰ではない……というのは直感的に理解してもらえると思う。時給1000円として1時間で描けるイラストってどんなもんやねん。ただ、その一方で、カラーイラストに対する金額がわからないのも実情ではないか。
この辺りは、「そのイラストを何営業日かけて描いてもらうか」を念頭に考えるのがいいと思う。たとえば、商業イラストレーターさんにイラストを依頼するのであれば、一番安くても人月20万円の仕事(本当に一番安いことを前提です)として、1営業日1万円、前述の通りカラーイラストは1枚につき最低でも5営業日はかかると考えて、5営業日で5万円になる【税金を加味していないという指摘はもっともです。お恥ずかしい。+10%は提示すべきですね…】。
直感的に「高い」と思った方の感覚を否定はしない。金銭感覚は人それぞれだ。だが、それでもイラストレーターさんの仕事としては、月20万円分にしかならないのである。あなたがイラストレーターに敬意を払うならそれくらいの前提は持ってもらいたい。
もし、様々な事情でそれ以下の予算しか用意できないなら、なにかしらの融通をきかせる必要はあるだろう。たとえば、依頼するイラストの構図を一から考えてもらうのか、こちらで事前に指定するのか。キャラクターデザインを「小説の本文を読んでもらって一から考えてもらう」のか「事前に発注書をガッチガチにかためてそのとおりに作ってもらう」のか。
重要なのは、イラストレーターさんの負担を減らすことである。そして、人間は「考える」ことに労力を要するのだ。予算が潤沢ならイラストレーターさんのクリエイティビティを存分に発揮してもらえばいいが、そうでないならできる限りイラストレーターさんの負担を減らしてあげるべきである。
そして、負担を減らすとは、発注における「曖昧さ」をなくすということだ。可能な限り、曖昧な発注はしないようにしよう。
※ただし、そういった「ガッチガチの指定」に近づけば近づくほど、イラストレーターさんは「言われたことをやるだけの存在」に近づかざるをえない。発注者と受注者という関係は本質的にそうなってしまうかもしれないが、それはそれとしてそのことを嫌がる方もいると思う。発注相手がはじめて連絡する相手なのか、関係性のそれなりにある友人なのかで許容可能な曖昧さは変動する。この辺りは臨機応変に考えていただきたい。
ごめん大事なこと書き忘れたけど「文庫本表紙カラーイラスト5万」は【商業で】依頼する金額としてめっっっっっちゃ安いからな!!!!!!!!!!!!!
「5万で頼むのは相手を額面月収20万扱いすることと同義」くらいの意味で書いたんだけど俺が悪かった!!!!すまん!!!!!!!!
あと「平均的な金額を書け」と言う批判も見たが、本当に申し訳ないことに「元」なので自分のいたところ以外の金額相場を知らんのだ……。
「商業であれば許されない金額で同人のイラスト発注できるのには理由がある。相手の趣味とかスケジュールとか工数の簡略化とか」という話です。特に商業イラストだとせっかく描いてくだすったイラストを、様々な理由によって(時には相手の感性を否定するかたちで)リテイクせざるをえないことが多くて、そういったことを込みで考えると稿料はもっと高くてしかるべきなのだ。
これは絶対だ。
たとえば、「イラストを1枚お願いしたい」とだけお願いしてあとからイラストの点数を増やすのは一番最悪なパターンだ。最低でも、
は全部伝えること。
どちらにとっても不幸なことは「聞いてない!」の発生だ。
といった、いくつかの発注レイヤーを設けておくのが望ましい。柔軟性のレイヤーを設けておかないと、前述のとおりイラストレーターさんを「言われたとおりに描いてもらう存在」として扱うことに繋がりかねない。また、「絶対に変わらない発注要件」を明示しておかないと、イラストレーターさんが仕事に関する予測可能性を確保できない。たとえば、リテイクに関する同意はとりつけておいた方がいい。「リテイクは1回まで」「リテイクを出すときは24時間以内に出す」など。そういった取り決めを設けた上で、取り決めをこちらが破った場合は追加予算を払うといったルールを設ける。
前述の予算の問題にも絡むが、あんまり予算が出せないときは「リテイクは絶対に出さない(〇回まで)」といったルールを設け、イラストレーターさんの不安を最小限に抑えるといった心遣いは重要だと思う【ちなみに、実際にラノベイラストを発注したときに「リテイクを出さない」という約束を設けたことは一度もない。あとリテイク費用を出せたこともない。リテイク云々は「最悪利益が出なくてもいい非商業発注」だからこそ簡単に取り決められる話だと認識している】。
大変失礼ながら、同人小説の原稿は多かれ少なかれ「読みづらい」。本文をイラストレーターさんに読ませることを強要してはならない。その前提でいるべきである。本文をそのまま送りつけて「この話のこのキャラクターを」とお願いするのはもっての他である。イラストなしの長編小説からキャラクターの外見描写を抜き出す作業を想像してみてほしい。むっちゃくちゃめんどくさい。
くらいは事前にこちらから提示したい。なお、これは「原稿を送ってはならない」という意味ではない。作品の雰囲気がわからないのにイラストを描いてもらうの大変なので。小説原稿を送った上でちゃんとイラストの指定をまとめておくこと。
この辺りはキャラクター発注書の作り方に踏み込むからそろそろやめておくが(飽きてきたとも言う)、文章で全て書く必要はない。「こういうイメージで」とGoogleで拾った画像を投げるだけでも随分違う。
【追記】
肝心なことを書き忘れていたが、そもそもの前提として
こういった諸々をいきなり提示したからといって、それだけで先方が楽になるとは限らない。相手にも相手の事情があるからだ。
相手が商業デビューしたイラストレーターさんなら、相手のスケジュールを必ず確認しよう。別に「相手が締め切りを破るの前提に考えるべき」と言っているのではない。商業仕事の締め切りと、同人仕事の締め切りが重なった場合、当たり前だがイラストレーターさんは商業仕事を優先するに決まっているのだ。イラストレーターさんが商業作家だったり、あるいは商業での仕事が降ってきかけている方だったりする場合は、そのスケジュールを可能な限り把握して、その上で「商業を優先した場合の同人スケジュール」を逆算すべきなのである。
【追記】
「普段その人が描きなれてないものを依頼するなら工数を多く見積もるべき」みたいな話もあるがこれも割愛している。これ以上細かい話になるとボロが出るので。
これをしない人がものすごく多いが、上記のようなスケジュールを計算をガチガチにやっても、スケジュールは、絶対に、遅延する。
同人イラストでリテイクや修正を出す事例はどれほどあるかわからないが、たとえばスケジュールの中に修正対応の期間を計算に入れているだろうか。同人誌だったら多少は余裕を持たせられるはずだ。冬コミのイラストを仮にお願いするとしたら、仮に11月中旬が最終締め切りだとして、あちらこちらにマージンを設定して提示する締日は10月中旬くらいにすべきである。
諸々書き殴らせてもらった。思いついたり批判を受けたりしたら適宜追記・修正する。
なお、これらは失敗から学んだことであり、書き手の増田がそのように振る舞っていたことを意味しない。つまり本投稿は過去に仕事をしたイラストレーターさんへの贖罪の意味合いが強い。皆さんは増田のような失敗をしないでいただけるとさいわいだ。
分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw
なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPG好きじゃないみたいな風潮だもんな。
誰かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボールが駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああいう逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?
ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。
助けになるか分からんが、リアルタイムでRPGが拡まっていくのを思春期に経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。
「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃんと勉強もしろよ?」
「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」
「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」
体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後の意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。
興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性のブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。
大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。
ゲーセンってのは不良とヤクザと仕事をしないサラリーマンの営業と、後は風俗か水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?
おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度にしか思われてねーの。
もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクスの時代だからそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。
大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。
っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。
子供だからピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。
庶民の娯楽として市民権があったのはボーリングと映画だな。運動は身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。
釣りは生活の一部(の延長)で、テニスとゴルフは限られた金持ちの趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw
まぁオッサンもガキだったから勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれた子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?
どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人と若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?
俺は都会の人間だからかしれんが、道路も上下水道も電気もガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中。
…んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。
それが当たり前なの。w スゲーだろ?
日曜日に休める幸運な大人はテレビだな。ちゃぶ台とビールで。だらしない人は横になって。
上に書いた娯楽は会社の許可が必要(申請書はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート、遊園地、動物園なんかも認められてはいた。
長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。
そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。
例えばバッティングセンターの片隅に。
ボーリング場や温泉やゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。
毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。
大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商のテコ入れもあってインベーダーブームでヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。
一部のエレクトロニクスマニアは自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。
あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。
ともかくそういう中でマニア(オタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人の玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw
めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球のオマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンやギャラクシアンやドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年が社会問題化したので子供のゲーセン出入りが禁止され、ヤクザと無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコンは誕生した。
「一家に一台、ファミリーコンピューター!」
https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画)
ってな具合よ。
大してして話題になってねーけどな。
マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者が勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術や文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルとアドベンチャーゲームな。息抜きにアクション、暇潰しにシューティング。変態野郎がエロゲ。
んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想な子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。
いやー辿り着くまで長かった。ww
当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。
都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。
分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレの漫画家ってポジションだ。
本人がどうかは知らんが小児性愛者スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディだから許されてた。本格的な変態はうる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。
宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚や水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。
高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。
少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームとゼビウスがなければファミコンはあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステムの復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人の趣味として黙認されてた状態だ。
そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。
ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。
結論としてはだな?
マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。
ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。
ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーはヘラクレスの栄光の方が評価されてた。
ちゃんと世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。
パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供の文字を覚える勉強くらいにはなるだろww
ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。
まぁ鳥山は独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。
そうして大人と若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能を実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。
この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレスが子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。
それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界の冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?
修学旅行にファミコン隠して持って行って旅館のテレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?
うわーもう超なげーわw
軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネットで対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。
それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。
もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。
感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。
ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。
ゲームばっかりしてて悪かった。
マンガもたくさん読んでてすいません。
子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率や世代差がどれくらいかまで知らねーけど)
だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。
助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。
唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。
あいちトリエンナーレの件で思うのは、まず美術鑑賞の基本が身に付いていないこと。
そのため展示についての疑問ではなく作品に対しての疑問が多く出ていると考えています。
優れた美術、芸術は無条件に美しいと感じさせる、感動させる力がある、みたいな方が多いと思いますが、それは美術鑑賞としては基本的に間違いです。
美術鑑賞は美術史の文脈とその中での役割をもとにするものです(現代美術作品の方が文脈を重視しますが、文脈から切り離して「アート無罪かよ!」みたいは批判は全くの的外れと言えます)。
価値観は人それぞれです。同じ作品に対してだれもが一様に美しいと感じることはありません。
それを無視して「感動させる力を持っている」という独善的な基準で作品を並べるのは、あまりにも不寛容な(さらに言えば強要を伴う)展示と言えます。
美術館へ行くと鑑賞の手引きとなるようなキャプションや音声ガイドがありますが、美しい!感動した!みたいな鑑賞を求めていないことからも理解が出来ると思います。
なので、独善的な展示にならないよう美術館などは専門のキュレーターにより展示を構成しています。
今回の問題の一つに、キュレーターの軽視があると考えています。
イラストレーターにただで絵を描いてもらおうとしたら叩かれるように、美術展の展示構成の専門家であるキュレーターを軽視すれば同じように叩かれるべきだと思います。
色々出てきた情報から推察すると、あいちトリエンナーレはキュレーターを軽視しているのは明らかでしょう。
横浜トリエンナーレ、妻有トリエンナーレ以降でしょうか、日本各地で様々な芸術祭が増えましたが、美術ではなく単なる客寄せイベントとしての性質が強いように感じます。
キッタネー少女像。
天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。
かの国のプロパガンダ風習
まるパク!
現代アートに求められる
面白さ!美しさ!
驚き!心地よさ!知的刺激性
が皆無で低俗なウンザリしかない
ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ— 貞本義行@腰痛 (@Y_Sadamoto) August 9, 2019
というツイートに対して、
https://t.co/3wqZGCqLzd"所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。
特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人の感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。
私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、
上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、
説明を試みる。
「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑の吐露でしかないと思うが、
ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、
ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。
ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由の言語化を試みていないところにある。
あえて斟酌するなら、技術の不足や表現の杜撰さによって不快を感じた、ということで、
イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。
「そんな重いものを表現するのに、そんな適当な仕事でいいのか?」という方向で、
表現の意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、
実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、
「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。
でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。
単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。
ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。
単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。
「天皇の写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、
ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。
この文脈(作品の表現の引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には
「手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである。
しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、
「プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的なイメージを付着させ、
かつそれを、発言者が揶揄の対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗、
と考えていることが見て取れる。
言い換えるなら、特定の民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的な認識を、
しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、
「風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである。
作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、
ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである。
婉曲的、は外してもいいかもしれない。
「現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、
これは個人の感想であって、自由に発言されるべきものだとは思う。
より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、
「発言者がウンザリすること」自体を「低俗(下品で程度が低い)」だと言っている、
とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。
悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。
「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである。
4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」
言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、
現在行われている展覧会あるいは個別の表現の評としては、意味のあるものではない。
発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライで要望を書いて、
自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。
あと、ドクメンタや瀬戸内芸術祭にだって、発言者が不快に思うような
プロパガンダと解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、
それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。
ただし、勝手によその芸術祭の権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは、
あまり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。
名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである。
ついでなので、上記ツイートに自己リプライで書き足されている部分についても、
悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。
どのメディアを指していってるのか知らないけど。
6)「プロパガンダをアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直
アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」
アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、
ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。
そういうわけにもいかないのかな。
以上のようなわけで、拙ブコメの
「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」
というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から再検討してみたんだけど、
主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。
もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。
端的に言うが、人々に愛されるコンテンツを作っていた国内の会社が実際にテロの襲撃にあってる記憶が冷めやらぬ現状ではあの人達の振る舞いは
実際、被害を受けた会社に支援の手が入るのを見て「国策企業になるのか」などと揶揄めいた発言をしてるのを見ていたので余計にそう思う
何十人もの創作者が恐ろしいテロで命を落としてまだ日も浅いというのに、まるであの事件が彼らをとりまく環境から必然的に産み出された現象であるかのように
冷笑的に語る人達、目立って炎上した人だけでなく日頃ポリコレ棒を担いでる系のライターなんかにもチラホラいた。
そういう人達が今回の表現の自由ナンチャラで社会の大切なものが失われたかのように嘆いてみせてるのを見るとどうしても鼻白んでしまう
あと、今回の件に関しては著名なイラストレーターやデザイン関係にも苦言を呈してる人を複数見た
おそらくだが現場の表現者から見ても不誠実とうつるような、何か創作行為を弄んでいるような印象を与えたのではないか?
先ほどの記者会見で津田大介がジャーナリストとしてやった的なことを口走っていたが、結局そういう視点のキュレーションが人々にも表現者にも愛されない
ところで今「この世界の片隅に」を見てるけど、ああいう芸が好きな人ってこの作品にもやたらネチネチ絡んでくるんだよね。
そういうモヤモヤもあって溜飲が下がる一件でした
リスカするブスみたいに人の気を引くのはもうやめよ?
ある動画のイラストを担当した絵師が、前世垢と相互フォローだったのに気づいたファンがいたのだ。
(実際には、2ヶ月以上前に某所でリークがあったのだが、俺は最近まで知らなかった)
緑仙が好きだ。
歌が上手くて顔と声がいい緑仙も好きだし、
でも一番好きなのは、その二つのキャラクターをプロデュースする魂の才能だ。
つい最近、24時間歌配信をやったが、ああいう自分に過剰な負荷をかける無茶な企画も大好きだ。
どういう人間がこれを作っているのか知りたい。
そういうわけで、緑仙の前世バレを俺は待っていたのだ。
そしてその中身は、期待を裏切らないものだった。
まずは顔が良い。
緑仙は以前、ベーシストの顔と言われる、という意味の発言をしていた。
ベースの面構えといえば、一重で切れ長の目、少し頬骨が出てて、手足が長いと相場が決まっている。
まさにその通りの美形で震えた。
そして歌。
あの膨大なレパートリーの謎が少し解けた。
歌い手出身では無かろう、と予想していたのだが、普通にニコニコ動画に投稿していた。
今までよく誰も気づかなかったものだ。
絵。
やはりというかなんというか、本業はイラストレーターのようだ。
かわいらしい絵柄のイラストで彩られていた。
地方出身者同士の煽り合いの空気感だよなと思っていたのだが案の定東北出身だった。
そう思って見るとこないだの秋田ロケがいっそう面白くなるだろう。
過去の色々な発言が答え合わせのように伏線回収されるのは劇的な体験だった。
ますます緑仙が好きになったし、新たに中の人のファンにもなった。
vtuberの声優は公開しないという無意味な慣習はやめてしまえばいいと思う。
ミッキーマウスのファスナーが見えているようで嫌う人がいるのもわかるのだが。
好きなイラストレーターさんがいた
四六時中イラストについて呟いていて、楽しそうだなと思った。
2万人を超えたあたりから、ちょっとおかしくなった。世直し系のツイートが多くなった。
このポスターはダサいとか、マナーについて語り始めた。しろハゲ漫画も描き始めた。
フォロワーが増えるたび、安倍政治がどーのこーのの、トランプがどーのこうののリツイートが増えていった。
10万人が超えると、仕事が忙しいのか絵のアップが減り、政治について稚拙な持論を語り始めた。
主語を大きくして四六時中攻撃的なツイートをするようになった。
貴方が影響力あるのは絵に関してで、政治や倫理観ではないですよ、と言いたい。
新しく政治用の垢でも作ったらいいじゃん、誰もフォローしないと思う。
そんな価値のツイートを、絵でフォローした人に見せつけてるんだよ。発言の正しさじゃなくて、絵の上手さで発言をせいとうかしてるんだよ。
その人のフォローはやめた。