はてなキーワード: 路地とは
これはどこにでもいる普通のオタクが「金を払って観る悪夢」「SAN値チェッカー」と名高いカルト映画、CATSを観てきた感想文です。
ネタバレが盛大に含まれていますので、その辺りお気を付けて頂けると幸いです。
昨年12月の暮れに海外で一足早く上映が始まり、その評価を読み「絶対に見る」と心に決めて1ヶ月、私はようやく映画館へと足を踏み入れた。
やれポルノだの玉ねぎだのと聞いているので期待は最高潮、何しろ私はホラー映画が大好きで、そしてクソ映画が大好きです。
今日は一人で悪夢を観に来たことを忘れて売店で巨大なポップコーンとジュースを買い、はやる心を抑えながら入場開始を待つ。
上映前に最後に流れた「それでは、夢のある映画の旅をお楽しみください」のアナウンスは、この後の展開が「悪夢」であることを啓示しているかのようでした。
私はオタクの中でも日陰に生きる人間でありますゆえ、正直CATS本編と同じくらい実写オタ恋のCMも滅茶苦茶キツかったんですが、この辺りについては口を閉ざし静かにスクリーンへと目を向けます。
劇場の照明が落ち、暗闇の中映るのは夜空。
猫の映画ですよ〜!という事を示唆するかのごとき可愛らしい雲、ここからどうなるのか期待が高まります。ちなみにここが唯一ここからの110分の中で「これは猫だな」と理解できた部分になります。
さて、開始して1分ほどですがここで早くも私の脳は処理の限界に達してしまいました。
ドラクエIIIの夜のピラミッドのBGMを不協和音にしたようなBGMが流れる中、夜の街を闊歩するのは人間によく似た体躯にうっすらと全身毛のテクスチャを重ねた「何か」。
一瞬、誤ってメイドインアビスのシアターに来てしまったのかなと思いました。人間性の喪失の結果と言われれば納得も出来るのですが、そもそもこれは「人間」では無く「猫」らしいんですね。
BGMの中、四つん這いの合成獣(キメラ)の集団が道路をぐるぐる回る姿はムカデ人間の続編かと錯覚を覚える絵面ですが、その中心で蠢く頭陀袋も嫌な予感しかしないし、案の定悪夢が飛び出すし、今の所パンドラの箱なのですが果たして最後に希望は飛び出してくるのでしょうかね。
そう言えば海外の評判ではやたらと性的な印象がありましたが、ただでさえ限りなく全裸に近い全裸なのに動きがこう猫々しいしやたらと柔軟性をアピールするし妙に動物的な飲食シーンを盛り込んでくるし、観客の無意識の奥底にあるなんらかの性的衝動を呼び起こそうとしてるのかなって感じは分かるんですけど。ですが、残念ながら扉のノックの仕方がシャイニングのジャック・ニコルソンなんですよね。へただなぁ…欲望の解放のさせ方がへた…こんなんじゃ歴戦のケモナーだって裸足で逃げて行きますよ。
さてなんの説明もないままに話は進み、ジャ…ジェ…?なんか分からないけど固有名詞がいっぱい出てくる、完全にルシがファルシでパージ状態。私は原作のCATSを知らないので、知ってたら話の流れが分かるんですかね?知ってたら開幕1分で席を立ちそうですけども。
さて墓場で歌って踊るシーンではふとBloodborneを思い出しましたが、ひょっとしたらこの夜は獣狩りの夜だったのかもしれません。私の啓蒙も爆上がりしていきます。
トイレで歌うシーンは真っ先にトレインスポッティングを思い出しましたし、ひょっとしたらこの映画も薬でぶっトんでる狂人の見た夢かもしれないし、狂ってるのは私だったのかもしれないと思い始めました。
まだ始まって30分も経ってないんですけど。あんな猫やこんな猫の説明を歌っているけど私にとっては全てが邪悪なモンスターにしか見えない。
さて、かく言う私もだんだんと目と心が慣れてきました。
感覚的に言うと「有色はマシ」「服あると相当マシ」「全裸はほんとキツい」「白系マジで無理」、要するにヒロイン枠の生物が一番キツい。黒人の敵とマジシャンが比較的視覚へのダメージが少ない。それだけで若干好きになる、だから頼むから帽子を脱ぐなコートを脱ぐな。あと手先と足先が人間なのがマジで拒否反応を起こす、黒人の手の平が肌色なのでも認知が「?」ってなるのにこの生き物の手足見てると「??????????????????」ってなる。かといって靴だけ履いてるのも異常なんですけど、タップダンスだけ見たら凄い出来なのに他の全てが恐怖。
あと衣類については黒人っぽいキメラが首からbling-blingなおさかなネックレス下げてるのは良いなと思いました(数少ないポジティブな感想)。
この作品、猫だけでなくGの者等も等しくキメラになっているとの話はうっすら聞いていたのですが、正直全裸じゃないし着ぐるみっぽさあるからこっちの方がだいぶマシではあったんですけど、喰い始めた時は流石に驚愕のあまりポップコーン食う手が止まりました。
ネズミとか、子役?っぽく見えたんですけどこれを見たご両親は「可愛い〜💕」「◯◯ちゃんの演技最高〜!」って思うのでしょうか、人生開始してまだ間もないのにこのような罰を受けるのはあまりに酷ではないでしょうか。
あと犬の存在が示唆されているのに画面に映らなかったの、犬はキメラじゃなく犬ですよってことなんですかね?製作陣や太いスポンサーの中に敬虔な犬好きでも居たんでしょうか。なんにせよ、助かった動物が居るのは良いことですね。
個人的に認知的不協和を感じるポイント、デザインや動き以上に「大きさ」があるんですけども。人間の体躯に猫の動き、街並みは人間の大きさの中で人間らしき体躯の生き物が「猫のサイズと言うには高さは合っていても細身すぎて違和感」で「人間とは思えない位小さい」姿で街を這い回り走り回る。人間の脳には大きさや距離感を自動的に調節してピントを合わせる機能があるはずなんですけどそれが全部ぶっ壊れる。
脳の機能に直接影響する映画、感覚にダイレクトに伝えてくるこの作品はいっそ4dxでも上映してほしい。余談ですが私はこれを観ながら「TOHOシネマズ限定のかっぱえびせんポップコーン」を食べていたので、こいつらがゴミ箱から拾ったエビ食うシーンでセルフで臭覚で新感覚の映画体験をしてしまい大変不愉快な思いを致しました。
定期的にあったのですが、このキメラ達が猫の鳴き声で「ミャー」とか「ニャーン」とか鳴くのがかなりキツい。というか主役級は顔がアップになったりすることが多くて「あー、人間の顔と身体した獣のキメラだなぁ」って思えるんだけど、ヒキで後ろに映ってるその他大勢がヤバい。意味不明な物体が四つ足で這い回ってる、フォーカスが手前に当たってるせいでぼんやりとボケた画面の奥で蠢いている人間ではない何か。私が観てたのってひょっとしてサイレントヒルだった?と誤認してしまいそうだし、私は悩める私に胸を張って「違うよ、CATSだよ」って言ってあげられない。
そこそこ話が進んでもストーリーか理解できない。一番歌と踊りが上手い奴が選ばれるオーディションなのは分かるけど、選ばれたら転生って死ぬやつじゃん?あと黒人男性なんでよく分からない魔法使ってるの?確かに猫よりは魔獣って感じだけど、それやるとますます猫の概念から遠ざかるよ。観ていてふと私が思い出したのは「悪魔ネコ」でした、懐かしいですね。
ところでこいつら猫?ってことは乳首6つあるんですよねってふと思って心底ゾッとしたし、この時点で完全に食欲を失っているのでポップコーンは封を閉じられている。
この時点で唯一覚えてる名前がヴィクトリアだけだし、ヴィクトリアったら捨てられた飼い猫割には異様に順応高いな…こうやってこの映画に慣れてきてる自分もひょっとしたら既にヴィクトリアなのかもしれない…と正気を失っていたら家無き捨て猫で「子猫」であることが発覚したのですが、私の中の子猫の概念がグチャグチャのベコベコに狂うのでこの件については早めに酒飲んで忘れようと思いました。
さて、物語の結末、私の刑期の終わり近付いて来ました。
ゲイビの男優かインナー無くしたマリオみたいな格好のキメラが踊ったり、黒人キメラがコートも帽子も脱いだせいで一瞬マジで全裸かと目を疑いましたがそんなことは無く。あとヤク中の流れあったんでやっぱりヤク中の見る夢だったオチも考えたのですが残念ながら物語は大団円へと向かいます。
マジシャンが無茶振りされる流れ観てると「いじめか?」と思いますが天下のハリウッドがそんなことをするわけが無いのです、ちゃんとなんとかなりハッピー的なエンドです。
ここまで観ていて、ストーリーの中の時間が夜から夜明けまでで12時間も経っていないことに恐怖を感じる。映画も2時間足らずだし、体感的には6時間くらい苦しんでるんだけど。
最後の最後に、老いた猫は画面のこちら側ん見据えてこう言います。
これは、ここまでこの映画を観続けた私にとって実質「死刑判決」でした。啓蒙が上がり過ぎて狂ってしまいました、私は人間のつもりだったけれど、実は限りなく画面の中の生き物によく似た「なにか」であると告知されました。
ホラーにある「次はお前だ」的なアレであり、告発やシリアスな社会派にある「他人事ではないぞ」みたいなアレを感じます。あと夜闇に紛れた姿も怖かったけど朝日の下よりは大分マシだったみたいです。朝日の下のキメラ達は、エグいアダルト作品を観た時のような性的興奮よりも先にショックに殴られる感覚がありました。もうこの辺りは感想をメモすることも忘れました。
しかしまぁ終わってみて改めて考えると、歌のクオリティは当然の如く相当高かったです。私はあのビジュアルで日本語でミュージカルやられると「理解できないおぞましいものを無理やり理解させられる」感覚に負けて脳が爆発四散してしまいそうだったので字幕で観ましたが、吹き替えの役者さんが好きな方は吹き替えで観ても良いのではないでしょうか。あの生き物達が好きな人間の声帯で歌い喋っている姿を観て立っていられるのならばですけども。
一言で感想をまとめるなら、「目を瞑って観たらそこそこ満足度の高いミュージカル」だと思います。ただ残念ながら、目を開けると死んでしまうので気を付けてください。神話にありがちな奴ですね。
見るなのタブーだと思えば納得できる作品です、いや無理だできねぇな。
ここまで色々書きましたが、最期まで走った身としては「マジシャンの猫ならギリ抱ける」と思いました。
どうやら私も完全に狂ってしまったみたいです、その内全身の皮膚に薄ら毛が生えてきて服を脱ぎ捨て夜の裏路地に四つ足で走って行くでしょう。まだ日本語を語れる今の内に、これにて文面を終えようと思います。
医者だと印籠を見せるだけで周囲の全員がひれ伏す
男でもよいしょしてご機嫌すれば何かおごってもらえるかもしれんし
そいつ地震はヤブでも媚びておけば優れた医者を紹介してくれるかもしれない
「俺の友達に医者がいてさあ」と置くだけで周囲にエリート層だと触れ回ってマウントできるから
特に何ももらえそうでなくても半間裕次郎ドクターの知古を名乗りたくて「とりあえず」媚びておく
ここでモテないと嘆くブサイク男も医師免許を持っていさえすれば同時並行で可愛い女の子x5人と交際できる
町で時不良チームに絡まれても「俺は医者なんだ患者が待ってるんだ。襲ってもいいけどせめてオペが終わるまで待ってくれ」とつくろえば不良も襲わないだろ
特に計画のない一人旅だった。言葉が全く通じない国で10日間生活することに、当初あまり自信はなかった。
これを書いている現在、日韓関係は非常に悪く、韓国では不買運動や反日デモが繰り広げられていると広く報道されている。そんななか韓国へ身1つで滞在することに不安がなかったと言えば嘘になる。宿は民泊の一室を貸し切り、宿での洗濯、炊事などは全て自分ですることとなった(洗濯機や洗剤、エアコンの表記が全てハングルで、使い方が全く分からなかったのには苦労させられた)。
私が宿を取ったのはソウルの中でもとりわけ観光地化が進んでいる場所らしい。だからか、表通りのほとんどの店のメニューには英語表記や中国語、そして(時々間違っている)日本語表記があった。先に「不買運動」と書いたが、たこ焼き屋、ラーメン屋、日本風のそば、うどんチェーン店などが結構な割合で存在し、そしてそれなりに繁盛していた。「たこ焼き」「居酒屋」などと日本語で染め抜かれた赤ちょうちんが沢山ぶら下がっていた。
日本産ビールの韓国への輸出がゼロになったという報道がなされていたが、コンビニには普通に日本産のビールが置いてあった(消費期限を確認しなかったのが悔やまれる)。他にも様々な日本製品が売られていた。だがそれらは基本的に値段が高く、不買を叫べばそりゃ売れなくなるわな、というのが正直な感想だった。話によると確かに日本製の売り場は狭くなったようだ。とは言え見た限り完全に排除しているわけではなさそうだった。
表通りとは逆に、ちょっと路地を入っていくと一気に「外国人お断り」的な外見のお店が増える。別に外国人を拒否しているわけではなく、そもそも現地の客しか来ないから言葉が通じない、それだけだろう。地下鉄で数駅離れたエリアでは、韓国語以外ほとんど通じないというお店がたくさんあった。
しかしそういったお店でも私は歓待を受けることがあった。私のつたない韓国語(うろ覚え&カタカナで言っている)を察し、「あなたは日本人ではないですか?」というような質問を何度も受けた(「日本人」がかろうじて聞き取れるだけで、本当は何を言っているのか正確には分かっていない)。カタコトの日本語で挨拶をしてくれる人もいれば、ゼスチャーを交えて日本には縁があることを一生懸命説明してくれる人もいた。年配の方にそういう傾向が見られたが、若い店員さんでも私が日本人であることに理解を示す人は多かった。
繰り返すようだが私は韓国語が分からない。だが店内に響くように片言の「アリガトウ」を叫んでくれる人たちを見るにあたり、少なくとも韓国では「あいつは親日分子だ」と咎められ石を投げられることはないのだということは理解した。
これは日本の状況とほぼ合致していると思う。韓国人だというだけで露骨に罵倒したり店を追い出すような人は稀だろう。「韓国のドラマ観てましたよ」とか「音楽聴いていますよ」とか何とか歓迎しようとするのではないだろうか。カタコトでも日本語を使えば親近感を覚えるのではないだろうか。私は出国前「日本人お断り」という張り紙や路上で国旗を燃やしプラカードを持って反日を叫ぶ人を恐れていたがそれは杞憂だった(これは逆も同じらしい。日本では嫌韓ムード一色だと思われている)。日本の番組を見て「日本人はそうでもないのに、なぜそこまで嫌われなきゃならないんだ」と思う人もいるだろう。それを理由に隣国を嫌うという矛盾すら生じている。実のところ私も一時そう思っていた。そういった我々の感情はそっくり同じように隣国に届けられ、そして日本人を嫌う人が増える。実にくだらない負の連鎖だ。
もちろん隣国にも極端な反日家はたくさんいるのだろう(私も嫌なことが一切なかったとは言わない)。だが日本にも極端な嫌韓家がたくさんいて嫌韓本が書店に並んでいる。ただその「一部」が切り取られ、お互いの国で報道され、お互いの国民の間でさえ誤解が進んでいっているのは悲しいことだ。
本当はもっと書きたいことが沢山あるのだが、今回はあえて日韓関係に話題を絞った。だがそれだけではなかった。当初の杞憂とは裏腹に実に楽しく、驚きも多く、充実した10日間だった。機会があれば別に記したいと思う。
当時部活で休みの日だろうと午前中は普通に学校まで行っていた。休みの日なのでJCの制服ではなくジャージで、そんな煽情的な格好をしていたわけではない。ぶっちゃけ私自身そんな可愛いとかいうわけではなくむしろもさい系で、似ている芸能人としてはよく山田花子と言われていた。
通学路には森があった。とはいえ、アスファルトで舗装された歩行者用通路がしっかり整備されていて、とはいえ木が生い茂った中を通るので夜は通らないようにと親から言われていた。
その歩行者用道路のある森を抜けたところ、1台の車が止まっていた。その辺に車が止まっていること自体はそんな不思議ではなく、車通りも多くない場所であるために路駐はよくあった。なので、通る際には誰かが乗っているとかなんてそんなに気にしていなかった。
通り過ぎてすぐその車が動いた。そして、私に横付けして中にいたおっさんが、
「ねえ、ここ見て」
と声をかけてきた。
その声を聞いて振り返った時点で私の負けは決まっていた。振り返るとそこにいたのは車に乗ったおっさん、ただしパンツは履いていなく股間のブツは丸出し。
当時の私はキスしたら子供ができると思っているとかに匹敵するほどの初心で、男のち○こなんて父親のしか見たことない。ただ、それがち○こで、それを見せているこのおっさんがヤバいやつだということだけは本能でわかった。
逃げ出すのに2秒もかからなかった。その辺りは人通りが少ないが、100mも走れば小学校だ。小学校ならパニックになっているJCに優しく対応してくれる大人がいるだろうと思い30mほどダッシュして突然冷静になり、車のナンバー控えないとと思い振り返った。
しかし、残念ながらゆっくりと車は路地の方へと姿を消していき、ナンバープレートにわの字が書いてあってレンタカーだっていうことしかわからなかった。
そのまま早足で小学校まで行くとスポ少か何かなのかお母様方がいて、事情を話すと警察に通報するとか大丈夫?とか優しく対応してくれた。中学校にも連絡してくれたみたいだった。似たような事例あったよね、みたいなのも言っていた。5分くらい慰めてもらって、私はそのまま中学校へ向かって、着いたら顧問の先生に偉く心配され、部活して家帰ってやっぱり親に心配された。
幸いなことにそれでトラウマになったとかはなく、普通の人として生活している。せいぜい、その後中学卒業まで防犯ブザーをしっかり鞄に括り付けていたくらいだ。見せられただけでよかった。
トラウマにならなかった故にあのおっさんがなんで露出してきたのだろうと思うことがある。なんであんな寒い日に、ジャージのもさいJCに、まさか自分が狙われるなんて思わなかった。
大人になって色々知ってからは、まあ今すぐ見せたいって思っていたのだろうし、JCなら誰でもよかったなかもしれないと思うようになった。それで許すわけではないが。
それよりも、通常なら不審者が出ればこんな人がいたから注意してくれと朝の会などで言われるはずのところ、翌日女の子が変な人に追いかけられたという私ではない誰かの被害の注意喚起だけされ、私の出会った露出狂の注意喚起がされていなかったことが腑に落ちなかった。別に露出狂に出会ったことを自慢したいわけではなかったが、なんとなく自分が目にしたものがなかったことにされたようだった。
【要約】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会【#これフェミ】
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
★注意事項
・両登壇者への最大限の誠意をもって要約を行いましたが、録音禁止であったためメモが追い付かず、発言の取捨・意訳・補完が私の主観に基づいて行われた可能性があります
・言及された当事者(青識亜論氏、石川優実氏、小保内太紀氏)から削除の申し立てがあった場合に限り当日記が削除される可能性があります
●metooとは?
著名なプロデューサーに受けた過去のセクハラを被害者本人がSNS上で告発したことに端を発し
#Metooのタグをつけて過去に受けたセクハラ被害を告発するムーブメント
●kutooとは?
就活や職種により、女性がパンプスを強制されていることに異を唱えるムーブメント
・かつての欧米におけるコルセットの例(窮屈な服装の社会的強制)
窮屈な服装からの女性の解放を目指す運動、がフェミニズムと深く結びついている
→ブルマの発案者
#女性も動きやすい服を選択できるべき、という考えのもと発案された
#シャネルスーツ(活動的なスーツ、女性のポケット付き衣類も当時画期的だった)の発案
・石川さんはブルマ・ココ、 どちらになることもできる。どちらにしますか?
・シュレディンガーのセクハラ(Twitterでの白饅頭氏の発言から引用)
これではかえって萎縮をまねき、むしろ女性の社会進出を阻害する
●なんのために#kutoo運動を始めたのか?
→法律を変えるため
→そのためにまず、「服装強制を含むセクハラは犯罪である」を社会の共通認識とするため
女性のみに課される服装規定がいまだ社会通念上許容され、現実に多数存在している
●女性差別とは→女性差別撤廃条約より抜粋(どこを抜粋したか内容失念しました)
・立ち仕事(CA等)のパンプス強制は活動面から見て不安定で、男性にない負傷リスクがある
●「セクハラは個人の感覚ベースで曖昧なものではないか」という意見について
・男女問わず個人の感情に根差して、他者の嫌がることはしてはならない、これは男女問わず同様
・ただし1件嘘だったからといってほかの件も嘘であるわけではない
・個々の事例に対するファクトチェックの話と、妥当な告発への評価は分けて考えないとならない
・この本の表紙も男性にハイヒールを履かせて復讐している、と言われた
・だがハイヒールを履かせることが復讐になる、と(そのクソリパーが思っている)なら、靴で女性が不利益を被っていることは共通認識であると言える
●正当な理由であれば女性にハイヒールを履かせることができるのか?
・女子差別撤廃条約には、女子が被っている「不利益を・・・」とは書いていない
・男性もネクタイを社会通念上強制されており、女性だけが不当に不利益を強制されているとは言いがたい
・健康被害がある場合→身体権の侵害であるため男女問わず当然に犯罪である。セクハラ以前に現行法で犯罪であるため訴える対象は警察であり、法規制の必要がない
・ドレスコードを全部なくしたい、というのはやりすぎではないか
→いついかなる場合でもすべての服装が認められるべき、というのはおかしい
・人のいやがることをするのは、すべてハラスメントか?
・曖昧な運用が可能となり、自己申告があれば誰にでも社会的制裁を下せる、つまり私刑の肯定ではないか
→被害に遭った、と発言すれば証拠が不足していても無条件で肯定され、
加害者とされた人は(和解しても)社会的制裁を受けつづける状況もあり、刑罰としては重過ぎる
・下される社会的制裁が過ぎるため、異性接触(男→女)への忌避が起こる
・なぜブルマかシャネルのどちらか選ぶ必要があるのかわからない
・ホテルで働いていた際、運動量の多い職種であったにも関わらず、強制されて実際に危険だった
・ドレスコードに性差をつける必要はない。制服なのであれば男女同じ服装とすればよく、強制すべきではないと言っている
・重い荷物を持つことは、男女問わずその場で最も力持ちがやるべきことである
・重い荷物を持つことがそんなに大変か?
・対話を終わらせないためにどうしていきたいのか?
・男性でも告発すべきであればするべきであり、対立を煽る意図はない
・女性のほうがセクハラ被害に遭う確率が高いため、男性はそれを意識して対話すべき。男性というだけで怖がって話ができない女性も多い
・セクハラ、パワハラの指針に服装規定を追加したい。労働安全の面からも
1.セクハラとは女性が多いと言うが、声を上げているのがいま女性だからであると思う。
男性が男性性を理由に残業させられているなどの例もあるが、それについては指摘しないのか
2.ブルマ、シャネルの話からも、無理矢理法律で縛るのは難しいと思う
3.法律では、明確さが求められると思うか?
男性が我慢しているから女性も我慢しろ、という理屈は受け入れがたい
自分ができる活動をできる範囲で行っており、男性の被害だから無視しているわけではない
・法律で縛るべきなのは雇用主(つまり企業)であり、従業員を縛る法律ではなく、従業員である女性は好きに服装を選べるので質問の意図がズレている
習近平=熾烈な党内政治闘争を生き延びて勝ち抜いて10億人を強権でまとめとるで
対して本邦のアレはただの爺の七光りの親父の七光りで学歴社会人歴とも並以下の腰抜けやで? 7×7の三世政治家49'nersの一人。目立つ実績と言えば北朝鮮から小泉が交渉して拉致家族を連れ帰ったとき「返すな!」とぎゃーぎゃー騒いだことくらいか。本人の交渉力がゼロであることは、その後全く拉致問題が進んでないことみても明らか。第一次政権時から身内優遇の人事批判されて失敗しまくって、そのくせ未だに「任命責任です(キリッ」とかいいながらロクに責任も取れず部下の首すげかえるだけで逃げ回って責任は取らない。とても「対抗馬」にはならんなあ。せめて巨悪でもあるならまだしもなぁ。
…と書いて、「対抗馬ってじゃあどんなんや」と聞かれるやろから、一例をと思ってフィリピンのドゥテルテのWikiページ読んでたんやが、あいつって想像してた以上の狂人やったんやな……いい勉強になったわ。
ドゥテルテは市長時代、警察官達に手本を示すために大型バイクで路地をパトロールし、喧嘩やいざこざを探し回って犯罪者とみられる人々を自ら殺害していたという。市長時代には3人の犯罪容疑者を射殺したと発言している。また、強姦殺人容疑の中国人の男性をヘリコプターから投げ捨てたこともあると発言している。
下手なフィクション越えてて草。
最初に睾丸を無くした人の会が出てきて、劇中では難度も金玉を切られそうになるシーンが出てくる。
男はそれを見てゾっとするわけだ。女で言うと、乳房とクリトリスを切り取られ、子宮を潰され、膣を縫われると想像すればいい。
端的に言うと男としての象徴と、快楽と、子孫を残すという生物的価値を失うわけだ。
でもこの映画では逆説的に、男とは金玉でないとも言ってるんだ。
ファイトクラブという映画は、精神的に去勢された現代社会をも描いてる。
ファイトクラブのリーダーから指令が出て、「喧嘩を吹っかけてわざと負けて来い」って言われるんだけど、
どんなに相手に酷い事をして悪口を言おうが、みんな逃げるか穏便に済まそうとする。
ここで俺は思ったわけだ。なんで物理的に去勢される事を怖がるのに、既に去勢されてしまった今の生活を普通に受け入れてるんだ?と。
男としての象徴も、勝利と暴力の快楽も、子孫を残すことを放棄しているのになぜ平気なんだと。
この映画にはステロイドの使い過ぎで去勢してしまった男が出てくるんだが、暴力に生きるそいつの方がイキイキと生きてるわけだ。
気付いたら俺は駆けだして、兎に角ヤンキーを睨んでガンを飛ばしたんだ。
そのうちの一人が俺に眼をつけて、俺の事をボコボコに殴ってきた。俺も殴り返したが、負けた。
■男性会員募集中♡エッチなお姉さんがあなたを待ってます、なポスター
自販機横に貼ってあることが多し。
表通り沿いの路地とか、パチンコ屋とか、地方だと駅前のビルとかでも見かけるかも。
水商売の色気あるおねーさんが谷間を寄せて挑発的なポーズをとってる。
え、なんか男性ナメられてない…?って思う。
実際のゲーム内容と乖離しすぎじゃない?別にエッチな要素無いのにバナー広告だけえっちなのズルくない?こういうのならタップするんだろ(笑)って舐められてない?(タップした)
汚肌を大写しにするな!角栓もやめろ!汚い!ぶよぶよお腹もやめろ!フォトショ加工のビフォーアフターなめとんのかい!
嘘はやめろ!
あと萌えキャラが喋るサプリとかダイエットのyoutube広告凄い嫌!ちがう!萌キャラはすき。萌キャラがサプリとかダイエットの広報させられてるのが嫌!やめたまえ!
そういう漫画じゃないだろおおおおお
30後半にさしかかって、仕事をしているとふと周りに人がいない人間であることに築く。
昔からどうにも他人と価値観が合わなかったり、学業に取り残されて卑下したりして人との距離を離してしまう性格だった。
大学生になってからも、1年生のころは一緒にいる人もいたけど結局馴染めず、気づけばいつも一人だたった。
とある企業に育ててもらって、何とか仕事できるようになったけど、
転職したさきで、能力不足で干されて、部署が崩壊してぐちゃぐちゃになって生きてきた。
どこにいても、
気にかけてくれる優しい人が多かったから生きてこれたと染み染み思う。
でも、色々な思いが交錯して、自分から声をかける事ができなかった。
そんなこんなで、独立して今に至る。
もし明日から、家を出ても一人で生活はできるとは思うが裕福とは程遠い。
会話するのは家族だけ。
それもトラウマになっていたりする。
でも、この縁以外に話せる人がいない。
昔の職場の人や、一緒に仕事した人からは遊びにおいでよって言ってもらえるけど、
きっと、また煙たがられたり、否定されたりする。
そして居たたまれなくなって、昔みたいに路地裏に隠れるように人の気配を気にして歩くんだ。
書いてて、不器用すぎて泣けてきた。
いい歳して、こんな海の底にいる。
本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。
オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害&ナルコレプシー持ち!
どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員で10年ぐらい働き続けているよ!
壊したメンタルの治療のために飲んでた薬が身体的依存性がある(切らすと離脱症状でゾンビみたいになる)おかげで
あとナルコ用の目覚まし薬も社会人に擬態するためには欠かせないね!!
最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満で肝臓がイカレ始めていること!トシだね!
慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら
ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!
アメコミは全然詳しくないよ!バットマンもダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイド・スクワットは観てないよ!
「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。
アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかとしか思えない。
だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想が現実レベルの彩度で日常生活に融合してくるような病気と、
自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、
それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラの曲名のひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか。
作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか。
人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分で自分の死体に化けてのおとり役もこなし、
メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。
ジャック・ニコルソンのジョーカーでもいい。
元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、
毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。
アーサーには無理だ。
通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間、
人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしまう人間には無理だ。
嘘つきランディや地下鉄の酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、
小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。
おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。
「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命のジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか
「ガチジョーカーがアーカムで暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか
「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて
ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、
しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。
もうね、「やめてください死んでしまいます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。
あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスをシリアルに変えるドジっ子☆属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。
看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、
「看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、
「そこ出口専用やで」シーン、
「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、
コミックスで言う"スーパー・ヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。
だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。
その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。
どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、
こんなん延々「ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。
そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーローに共感を抱くのか」みたいなタイトルの記事に逆に引いてしまう。
いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、
それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら
ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???
まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。
ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイト』ジョーカーに癒しを感じるくらいには消耗したわ。
あとなに?ニューヨークって素であんな治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??
『ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど
(ジョーカーに同情的でない人間から「ジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、
この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。
自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、
自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。
「アーサーがジョーカーしないif」ルートを一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。
>最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラしながら見てた。
わっかるー!!
物語的に超大事なクライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。
>舞台はゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している
ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークのあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、
ニューヨークの映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、
あと自分が観たときには白人の大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルテリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、
「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。
良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!
いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!
って思っとく!
アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??
社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ。
バッツの誕生までもたないだろ。
例えば「最後の精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプの人間説)が、
血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置が病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。
ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的に脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。
そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいからジョーカーの物語を演れるポテンシャルが欲しいし、
誰か覚えてるかな。元増田です。気持ちが落ち着いたので書きます。
結論から言うと、やった。人気のない路地で名刺と電話番号と住所を出させた後で顔面を一発殴って土下座させて解散した。初めて人を殴った。バキっと音がして倒れた。相手は頰を抑えてすごすごと帰っていった。
向こうの方が失うものは多く警察沙汰になれば人生終わるとはいえ私が人を殴った以上、それなりの処罰をされることも覚悟していた。今になっても何もないと言うことは相手は何もしてないと解釈していいのかもしれない。法に触れる行為をしたことは死ぬまで忘れない。決して自分を正当化せずに墓まで持っていく。
相手が他の女性とまた不倫をしたと知ったら、私はすぐに奴の名刺を持ってそれなりの行動をとると心に決めてある。一度だけ見のがそうと思った。私が父の不倫を知ってどうせなら全然感づかないまま死にたかったと思ったことがあるからかもしれない。最悪な感情に流されてしまった。
ともかくこれでおしまいだ。しばらく恋愛はしない。私にはまだ早い。
色々コメントくれた人、どうもありがとう。罵詈雑言でも心の支えになったし、楽しく読ませてもらった。ここに書き込んでよかったと思う。
ではまたどこかで。