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はてなキーワード: 知性的とは

2010-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20100325142539

自分は十分に知性的な存在である」と自認するのも恥ずかしいかも。

2009-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20091009230542

豚も知性的

イルカが(他の動物と比べ)高い知能を持つとか、他の動物より自意識をもつ可能性が高いって話はよく聞くけど

豚が知性的ってのはあんま聞かない。

イルカ精神性を信じている人を論破できるだけの根拠は示したの?

それに欧米は割とベジタリアンが多くて、豚や牛の食用に反対する人も多いよ。そういう相手に当たったらどう反論するの?

「人道的な屠殺なんてあるもんか馬鹿馬鹿しい」

現実問題として屠殺では動物苦痛を最小化するよう努力が払われている。

そう言った努力を全否定するわけ?

したっていいよ。あなたの価値観の中では。

でも、人道的な屠殺を擁護している相手に対しては通用しないと思うんだけど……。

「人道的な屠殺なんてあるもんか馬鹿馬鹿しい」というと「牛や豚とイルカはとにかく違うんだ」と開き直る。

でもあなたの書き方だとそれで論破できたみたいだね。よくそれで相手が納得したと思う。

自分の都合のいいように話を作ってない?

2009-10-09

在特会なんてかわいいもんですよ

これほど腹が立ったのは久しぶりだ。なのでちょっと愚痴書き捨て。

日本人イルカ殺しは残酷だ!」と称して、和歌山の小さな漁村に不法侵入したイルカイダ達が撮影したお涙頂戴映画(漁民がまるでショッカーみたいに描かれている)について、ネットで奴らに論戦を挑んでみたところ、まあなんとひどいのなんの。平然と人種差別しやがる。

まず、感情的に「広島長崎だけでは足りなかった」「イルカの代わりにあの漁師達を殺してやれればいいのに」と憎悪をむき出しにする奴。いやー、日本ネトウヨ在特会のかわいいこと。奴らは「南京はなかった」とは言っても、「南京一つでは足りなかった」とは言わないもんね。

そして、理性ぶってる奴も「イルカ殺しは残酷だ、残酷だから残酷だ」の一点張り。「牛はどうなのだ」というと「イルカ知性的だ」と来る。「豚も知性的だ」というと「牛や豚の屠殺は『人道的』だ」と平然と居直る。「人道的な屠殺なんてあるもんか馬鹿馬鹿しい」というと「牛や豚とイルカはとにかく違うんだ」と開き直る。「じゃあまずイルカ猟をしているデンマークを非難しろ」というと「デンマークの捕獲量は年間3000、日本は20000だ」という。「数字の信憑性はともかく、デンマーク人口日本の25分の一じゃないか」というと逆ギレされた。

本当、むちゃくちゃ。

皆さん、欧米インテリなんてこんなもんですぜ。何のかんので日本民度が高いよ、ほんと。ドイツ人までが"More Hiroshimas"ですよ?過去歴史に学んでなんかいませんよ、奴ら。そう思いました。日本人意識は遅れていると思っていたけど、相対的には捨てたもんじゃないんですよ、たぶんね。

追記 あまりにも読めてないブコメが多いので、ポイントを強調しておいた。あと、これが在特会擁護に読める人は正直なところ自分の読解力を疑った方がいいと思う。この記事は「最底辺を比較するとこっちの方がまだマシ」というだけの話なので。

2009-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20090918221206

低能の雌豚がギャンギャン吼えてるなあ。

こういう奴にかぎって、肉体的な魅力、知性的な魅力、人格的な魅力のすべてに欠けているんだよなぁ。

よく言って公衆便女だもんなぁ。

まあ、こんな魅力のない女、股間がピクリともしないだろから多分安全だろ。(藁

2009-04-02

anond:20090402154537

未だに人は自らが考えている程知性的でもなく人でもない。

無意識に生じる動物本能からは逃れられない。

本能衝動の前では倫理観や理性は実に脆弱なものだ。

子供はその最たるもの、自らの本能に正直に生きようとする。

ていうような、難しい考えが浮かんできました。

2009-01-30

えええいぇるされむくろにくる

Haruki Murakami が 「エルサレム賞」なるものをもらうことになったとかいう話。

イスラエル人殺しのの悪い国なので、そんなところの賞は、辞退しろ。

黙ってもらうのはけしからん。

検索してでてきた根性のある日曜左翼女史の話をひきあいに出して、

見習え。

とか。ほんとに、やれやれ

情報の少いところで、ほにゃららはへにゃららであれねばならぬ、というような思いいれで、どんぱちやっているわけだ。

まあ、「エルサレム賞」の「エルサレム」にみんな反応してるわけだが、これって何? どんな賞か調べてみた。

Jerusalem Book Festival にくっついている賞ということ、ふむふむ。Festivalのサイトに説明がある。

....

ここからノーベル賞5人も出てるんだね。ということは、ノーベル賞にかなりリーチポジションへのステップでもあるわけだ。そりゃほしいよ。

どんな人が審査員か調べてみた。市長が任命か、なるほど。政治世界だな。ハアレツの編集員とか... 、

ありゃ、エトガール・ケレットが3人の審査員のうちの1人じゃないか。

イスラエル人みんな悪〜い、賞も悪〜い、もらうのよくな〜い」みたいなのってちょっと短絡的じゃないかな、ということで、ちょっとけれっと。

日本語の記事にまともなのがない。

本人のwebsite だ。

http://www.etgarkeret.com/news.html

そこに出てくる最新のLA Times の記事は一読の価値がある。ほんもののドンパチの話だ。

政治文学の話だと、インタビューの手軽なのがカナダ新聞にありますね。でもフランス語 orz

でも、わりにまとまっていて、問題をもうちと繊細に考えられるてがかりかもしれないので半分くらい訳してみました。

エトガール・ケレットとのインタビュー -- いやいやながらさかなにされ(超訳)

Entrevue avec Etgar Keret - Controverse' malgre' lui

Le Devoir.com

2008.5.17/18

http://www.ledevoir.com/2008/05/17/189963.html

イスラエル人の作家であることは楽ではない。たとえその国で左翼であっても。スター作家 のエトガール・ケレットにそのことを話してみよう。パレスチナ人の友人、サミール・エル・ユセフとの共著で『ガザブルース Gaza Blues』を書き、しかし、論争の中で、そして、母国であり今でも自分が住み続ける国に対するボイコットをの中で、困難にもかかわらず、生きつづける彼に。

イスラエルに生きるのは簡単ではない。それは確かだ。しかし、作家にとってのほんとうの国、それは言葉だ。ぼくにとって、ヘブライ語を話せない場所に生きるということは、一種の亡命だ」[...]

イスラエル政府に対しきわめて批判的な彼は、ホロコーストの生き残りである父と母の、反骨精神を受け継いでいる。「両親は、よく言っていた。イスラエルはいくつもの問題をかかえているかもしれない、しかし、少くとも、それは私たちの問題で、そして、それを私たちが告発することを誰も禁止することはできなかった。他の国で、もし私たちが政府に対して抗議の意を表わせば、国へ帰れと言われるだろう。」

世界的に認められた左派作家であり映画監督(伴侶のシーラ・ゲッフェンとの共作による処女作ジェリーフィッシュ Les Medues』は批評界から絶賛され、2007年カンヌカメラドール賞を獲得した)である彼も、論争の外側にはいられない。

最近でも、パリのブックフェ、サロン・ド・リーブルがイスラエルの建国60周年に関心をひくため、同国を招待国としたとき、複数のアラブ系の作家出版社が行事のボイコットを呼びかけた。エトガール・ケレットもイスラエル側の招待者リストに入っていた。「知識人ボイコットを呼びかける、しかし、そこに知性的なものなどなにもない。ボイコットは、あらゆるコミュニケーションを拒否することだ。それでは結局、他人に考えを変えさるチャンスはなくなる。それは、だから、行動としてはとても矛盾に満ちたものだ。」

トリノのブックフェでボイコット騒ぎにあったとか、カナダ爆破予告電話を受けた話とか、中略]

それでも、エトガール・ケレットはパレスチナ人イスラエル人の間の対話の推進者だ。その本 『The Bus Driver Who Wanted to Be God』は、第2次インティファーダ以来、アラビア語に訳されている唯一の本である。とうことは、パレスチナ人はエドガール・ケレットを読んでいるのだろうか? 「ぼくの本のパレスチナ出版してくれる人にそう質問してことがある。彼が答えるに、売れ行きはいいが、でも、読んでるのか、それとも燃やしているのかまではわからない、とさ」。

[彼の本を読んだパレスチナ人の反応とか、いろいろ中略]

エトガール・ケレットは「やむにやまれぬ楽観主義者」ではあるが、文学の力の限界について十分に意識している。「1万冊の本ができることは1発の銃弾のできることの半分だ。建設することより破壊することのほうが簡単だ。書くということは、ぼくにとって、一種のセラピーだと思う。自分の本で世界を変えようなんて思ってはいない。」

未来に対する大きな不安を抱きながらもーー彼はイスラエル消滅の可能性さえについてさえほのめかしているーー、彼はパレスチナ人イスラエル人がいつの日かいくばくかは平和に生きられる可能性を信じている。

[いろいろなるほどと思うことを言ってるけれど、疲れたので後略]

はい。

まあ、イスラエル人といってもいろいろ立場があるということで。

賞とかボイコットについての考えも。


追記 もうちゃんとまじめに調べた人がいたんだね http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090128/p3

2009-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20090105134129

もし本当に伝えたいことがあるなら、言い訳じゃなくて

別の言葉で書き直せってんだ

あなたも伝えたいことがあって、書いたのでしょうが

私には伝わっていません。

まず、あなたから、別の言葉で書き直してみてください。

元もとのテーマ

XXだから権利はいらないという考え方は

XXにロボットを入れても、黒人を入れても危険な考え方ではないか?

というテーマです。

ロボットだから人権はいらないというセリフは。

黒人だから人権はいらない。

オタクだから人権はいらない=オタクだからイジメようぜ。

という思想とまったく同じ物なんだなと

黒人迫害はいけないことであるので、同じ理由でロボット迫害もいけないことではないか?

XXにはいるのが、ロボットならば良い。黒人なら悪いと差別するのは危険ではないか?

ロボットが十分に知性的かどうか?という区別は必用だが。

という論法であり、迫害をなくす啓蒙活動の一環であると思っていますが、

なぜ、

ただし、ロボット三原則を拒否しても

この世から黒人差別オタクバッシングがなくなるわけではありません。

となるのか、読み取れませんでした。

昔は白人だから守ろう、黒人だから奴隷にしても良い。

という『だから』という単語が差別重要キーワードになっていたかと思います。

なので、この『だから』という単語を持って権利を区別することって危険ではないか?というテーマです。

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