はてなキーワード: 省みるとは
パターンA 自分に問題があることに気づいてない(≒客観的に自分を省みる能力を身に着けないまま成長してしまっている)
パターンB 自分に問題があることを誤魔化すために人の問題点に目を向けさせようとする
このどっちかだな。
昔ナニワ金融道で同じような話を見た気がするがマジでその通りだった。
問題があるやつほど騒ぐ。
陰口は「僕は問題児だけど大目に見てください」って甘えでしかねえのな。
いい大人が甘ったれるならせめて許せると思える程度に可愛げぐらい見せてみいやクソが。
目付きがいい人間がいい人間とは限らないけど、目付きが悪い人間は100%悪い人間。
ストレスで一時的に頭が壊れているだけだとしても、その状態の間は悪い人間なのは紛れもない事実。
性格が悪いっていうか、「自分のルールと他人のルールの間で妥協点を探らず常に自分のルールだけを一方的に押し付けて相手が折れるまでゴリ押しするのが日常化してる」って感じかな。
まあまともな人間ではないな。
ソイツの自分ルールが組織や社会と噛み合ってる場合はまだいいんだが、突然本当にソイツの頭の中だけにある世界観から謎ルールを全人類の目指すべき正解であるとばかりに語りだすからビビるね。
まあそういう人間にとってこの世界の大部分が敵ばかりに見えるから、被害者意識マックスで普段は怒った顔なんだろうね。
キチガイに関わっちゃったら怪我の功名みたいなのとか考えるだけ無駄だね。
関わらないための努力を先回りして行っていく以外に道はねえ。
頭のおかしい人間に噛みつかれないようにしながら接しても、頭がおかしいから動きが予想できないので無駄。
とにかく用がないときは近寄らない。
用があるときは用だけを済ませる。
公衆トイレを使うときに息を止めて用だけ済ませてササっと立ち去るような感覚で関わるしかないな。
うーん……入る会社間違えたのかなあ。
それともドコも何割かはキチガイがいるのかしら。
最高裁で有罪判決が差し戻されたのでほぼ確実に無罪判決になるだろう。
(最高裁は事実や証拠の判断をしないので、明らかにおかしい高裁判決に対して自ら無罪判決は下せず、高裁に有罪判決をつっかえして「最高裁の示した問題点に留意してもう一度証拠や事実の吟味をやり直せ」という形になる)
そして高裁の有罪判決の直後にこの被告人の中学生の息子が電車に飛び込み自殺してる。
nakakzs 差し戻しは前例的には、かなりの高確率で無罪が出ると思われる。|しかし、二審後にネットで医者誹謗中傷していた人いたけど、あれかなりまずいことになるのでは(しれっと消されるかもしれんが)。
afterkun 二審の時のはてなの反応。有罪と決め付けている連中は、少し省みるがいいと思うよ。本当に醜い。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20200713-00187930/
HILOKI-T はてブにも大量にいましたよね、有罪だと決めつけて人の心のないコメントをしていたアカウントが。彼の子を自死まで追い詰めたのはそういう連中なのだとという自覚は今もないのだろうけど。
zenkamono ブコメ「二審後にネットで医者誹謗中傷」←はてブブコメ欄も酷かったよ。やったと決めつけ性犯罪者呼ばわりしてるフェミ垢いた。あいつらお子さんを自殺に追い込んだ加害者・殺人犯の一味だよ。訴えられたらいいのに
ということで、お子さんを自殺に追い込んだはてブでの加害行為がしれっと消される前に、証拠保全しとこうと思います。
パッと見で目についたやつだけ
lovely 「現実的ではない」で本当に何も起きないなら世の性犯罪被害者はもっと少ないはずで、ヤツらあり得ないと思う状況でもやるから。
zyzy ここまで出揃っていて疑わしきは罰せずというなら、オウム真理教も罰するべきではなかった事になるわなぁ……。
それに気づいてから自分の見た目に対するコンプレックスがほぼなくなった。
今回の女性プロゲーマーなんてまさに典型だけど、イケメンでも美人でも見た目だけで道の真ん中歩けているうちはいいけど、圧倒的に失敗回数が少ないせいで人の価値を求められる年齢になった途端に破綻するよね。
とくに女性は急激に見た目が衰えていくってのもあって、本人がその現実に追いつけてなくてただの性格の悪いブスに成り下がってるのなんか、まじで見てて辛いわー
しかも大体の場合、それまでに溜め込んでたヘイトがジャックポット状態で跳ね返ってくるからほぼ瞬殺。
苦労した分だけ学びがあって、だからこそ理解のある人が隣にいることが幸せだって思える今が最高です。
美形の天才は自分の人生に関係ない人なんで好きにやっててください。
彼の人にとって今回のことが大きな学びとなって今までの人生を省みるきっかけになってくれればいいけど、年齢的にはギリギリ無理かなって思います。
あと全然メシウマじゃないです。やっとこっち側に来たってだけですし、自分の幸せ探しに精一杯で人の不幸を喜んでる暇なんてないので。
なんかそんな信者なんて大していなかったかのように振る舞ってるけどさ
自民がどうのは置いといても、事実として立憲推してた層なんてどこ見ても少数派でしかなかったことは、世論調査見ても明らかだったわけで
にも関わらず、はてなでは立憲信者が幅を利かせてたし、ブコメでスターを集めまくっていたのは誰もが知るところだった
立憲民主党の危うさは散々指摘されていたけれど、それでも止まらずに熱狂的だったのは、ネット上ではぶっちゃけはてなと一部ツイフェミ周りだけだったぞ
今のような惨状にいずれなるであろうことは、ほとんどの人間は分かっていたことだったのに、どうしてはてなだけはそれが分からなかったのか、総括する必要があるだろ
一体何を目的として立憲民主党の実際以上の姿を見せようとしていたのか、立憲信者以外に対してはいつも苛烈だったが、何がそこまでの攻撃性を与えていたのか
自民党が嫌で安倍が嫌なのは分かるが、それはあの異様な状態を肯定する理由にはならないだろう
はっきり言って、端から見てるだけではカルトのそれと区別が付かなかったし、仮にそうじゃなかったとしても、はてなだけが他と違う道を歩んでいたことには説明がいる
Fischer’sというYouTuberが炎上しているらしい。
最近の若者(彼らは27歳らしいので若者と言っていいかは微妙だが)は、とにかく「自分がどう感じたか」が世界の全てだ。
救急側の言い方に気分を害する気持ちはわからんでもないが、自分たちの行動を省みる気はないのだろうか?
自分が救急側で、「大丈夫か?コロナではないか?」とか思いながら行ったら、患者の関係者は呑気にカメラを回していた。ともなれば、腹立たしくもなるだろう。
にも関わらず、「こんな酷いことを言われた」「自分は被害者だ」というスタンスで新たに動画をあげ、ファンに「あなたは悪くないよ!」と言われるのを待っている。
ちなみに、個人的には救急側の言い方にはモヤっとする部分もあるし、手遅れになってはいけないから救急車を呼んだことに関しては何の落ち度もないと思う。
ただ、やっぱりカメラを回している=余裕がある、と思われてしまうのは仕方がないとも思う。
自分は気分を害した=自分は被害者で相手が加害者、という図式が成り立ってしまっている。
そしてそれを自分の心に留めておくこともできず、周りに言って回ってしまう。
幼すぎる。
人に見られる立場なんだから、もっと考えて行動してくれと思うのであった。
その点やっぱりHIKAKINはすごいな。
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
ネット上でとりあえず異性(主に女性)に対して「ホテル行こう」とか「裸送って」とかいう行為。
セクハラとかマナーじゃなくて、もう暴力だし猥褻物陳列罪でもいいからその場で捕まえられるようにしてほしい。
言論弾圧じゃないし、相手に十分不快感を与えてるんだから実害として認定されて然るべき。
とにかく何がそんなにイライラするか書く。
1.面白いと思っている
相手が嫌な感じにとらえていることも含めて、その反応を想像することが面白いことだと本気で思い込んでいる。
もっと言えば、それを見て同じことを楽しむ仲間がいると思いこんでいて、自分のジョークは誰かのためになっていると思っている。
他の人間が書いても面白いだなんて微塵も思わないのに、他の人間が書いてるなら自分も書かないと損だと思って書いている。
本人も別に大して面白いと思ってなくて、ほとんど条件反射的に書いて、ものすごい小さな欲求を満たしているだけということにも気がついている。
電車の中で若い女性をチラ見で視姦しているような感覚に近いのだろう。
自分は罪の意識がないつもりでも、周囲にしてみれば心の底から気持ちが悪いし気分がめちゃくちゃ害される。
環境にとってプラスにならないことを自らのエゴで放り出しているのだから、タバコのポイ捨てと同じ公害だ。滅んでくれ。
2.あわよくばと考えている
万が一、百万が一に肯定的な反応が得られるかも知れない可能性を信じている。
頭では無いとわかっているのに、確率的にゼロではないから書かないと損だと考えている。
それ書く時間と労力を合計したらどれくらいの人生を無駄におくってると思ってるのかもわからずに。
お前の人生がどれだけ無駄になろうと構わないけど、周囲の人間の気分を著しく害していることに責任を感じてくれまじで。
3.たとえ好意的な反応を得られなくても、ネガティブな反応を見て楽しめると思っている
まじでクソ。死ね。
これら結果を踏まえても、そういった行為をネット上で公然と行う輩というのはエゴの塊で自らの行為を一切省みることのできない阿呆しかいないので、さっさと法律で禁止して罰金という社会貢献の肥やしになってほしい。
こうやって書いててもまじでイライラする。
もしくは通報累積でBANとか。
#ホームページ制作~ガラケー対応~フリーcgi~自作サーバと経験値だけは豊富と思う。
電子メールの添付ファイルの印刷方法を上の世代に教えて回っていた。
(なんなら印刷して持参していた)
社内的な地位も安定している。
仕事を引き継げられるよう懇切丁寧な教育、OJTを行っている。
#そもそも自分が入社したときに全く教育を受けずに最前線やデスマーチに投入された恨みもある
どうしても年上の社員の品質の低い仕事にイラだってしかたがない。
大声で怒鳴るわけではないのだが、その人のできない点や、おかしな点を徹底的に論破してしまうのだ。
自分のスキルがないと仕事が進まないので正面切って非難されることはない。
これが怒りの源泉なんだろうと思い至った。
パワハラの概念は広がっており、おそらく自分の行為も無能な年上社員からしたらパワハラなんだろう。
(実際、怯えていて直接に連絡を寄こさなくなっている)
自分でもわかっているのだが、自分の気持ちの深いところでは、これを直そうという気がないようだ。
これはその通りだと思います。
「表現の息の根を止める」の具体的な意味がわからないですが、適切な配慮と、結果としての動画の削除を求めるのは妥当だと思ってます。
「自分たちの被害は結局社会的に認識・理解されていないのではないか」 なんて、認識・理解させたいなら周知させる主体は自分たちであって、自分たちの活動を省みる理由になることはあっても他社の表現に介入する理由には絶対になり得ないだろ。
何時代の価値観だよって感じですね。言ってて恥ずかしくないんですかね。弱者は自己責任ですか。障害も国籍差別も出身地差別も、情報発信は自分たちでやってねって感じですか。勝手ながら、その程度の相手と議論してたんだなと思うと残念です。
https://twitter.com/matsudosimasuda/likes
なんかトレンド入りまでしてるし……
個別に「問い合わせ」などしても、全体のそれと同じゼロ回答が返ってくるに決まってるんだが。
いやな予感しかしない。— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) September 19, 2021
個別の問い合わせどころか全体のそれについてもゼロ回答を決め込むらしい。
おぎのが扇動した奴らが「大人しく抗議」なんかするわきゃないから絶対どっかでトラブル起きるな。— イナモトリュウシ ∃xist@キモオタサハ (@yksplash_ina) September 19, 2021
自分たちへの批判者は「大人しく抗議」する以上のことを起こす輩だと思っているらしい。
あと、正直こういうのはやめたほうがいいと思う。議連が細かい回答をしなかった理由の一つに「一つ一つのメール等に回答できない」があるのだから、その状況が酷くなれば益々無回答になる。余計なお世話だとは思うが、むしろ窓口を青識さんおぎのさん等に絞るべきだろう。— Y.O. (@ochiyasu1) September 19, 2021
細かい回答をしなかったのは問い合わせが多かったことが理由らしい。
しかし後から公開された全配信協の抗議文は「公共の場から排除」を明確に主旨の一つに掲げて謝罪を求めていたので、それだと「それは警察の判断」という回答を招くだけになる。回答は無いか、あってもその程度では…と予想していたのだが、やはりその通りになったみたい。→続— Y.O. (@ochiyasu1) September 19, 2021
主旨の一つに「公共の場から排除」という文言があったからその他の文言に回答する必要はないと判断したらしい。
トレンドにも上がってるフェミニスト議連ですが、表現の自由戦士の皆さんのやってることが周知されればされるほどVTuberとコラボする所は少なくなるんじゃないですかね。彼らわかってんのかな。— 平松モルグリス(多忙) (@shige_pain_yuji) September 20, 2021
自分たちの抗議活動ではなく、むしろそれへの批判によってVTuberの活動の場が奪われると思っているらしい。
つまらないコメントにエネルギーを割く方の何と多い日本。
警察に圧力をかけても人権侵害をやめるタマではありません。沖縄辺野古その他で基地建設に反対する市民らに対する警察の暴力を見よ。— 太田光征✨#小選挙区擁立で比例区票を稼ぐ戦術の見直しが必要🔥 (@mitsu_ohta) September 20, 2021
自分たちへの批判は「つまらないコメント」だと思っているらしい。
議連が正しいか誤ってるかは全く前提として関係ないですね。「議連に抗議しても裁量権・決定権は議連にない」だけですから。実際「取り下げる判断をしたのは警察」ですし。行政マンならご存知のはずですが。議論したいなら最初から議論の申し入れをすればいい。もちろん応じてもらえない場合もある。— 平松モルグリス(多忙) (@shige_pain_yuji) September 15, 2021
「議連が正しいか誤っているか」は全く関係ないと思っているらしい。
違憲の疑いが指摘される安保法が成立して6年がたちました。この間、野党の廃止法案が国会で審議されない一方で、政府は「実績」を積み上げ既成事実化を進めてきました。 #安全保障関連法#安保法#違憲#成立#6年#東京新聞 :東京新聞 TOKYO Web 東京新聞政治部 (@tokyoseijibuSeptember 20, 2021
野党の安保廃止法案が審議されていないのを問題だと感じているらしい。
おっしゃるとおり立法府としての責任を放棄した由々しき問題だと思いますが、であればあなた方が批判されていることについても「ゼロ回答」を決め込むのではなく、対話してはいかがですか?
なんの権限もない議員連盟の抗議文なんて届いても、無視すりゃいいだけでしょう。それに対して地方議員に抗議したいなら、自分もお好きな様に抗議文を届けりゃいいだけです。私はそれに対して不合理な理屈で「議員の資質が疑われる」などと言う傲慢な事を言っている国会議員を批判しているだけです。— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) September 20, 2021
「それに対して地方議員に抗議したいなら、自分もお好きな様に抗議文を届けりゃいいだけです。」
「個別に「問い合わせ」などしても、全体のそれと同じゼロ回答が返ってくるに決まってるんだが。」
原則として動物は利己的で、人間は動物で、だから人間も利己的な存在だ。
人間は利己的な存在である、この前提で制度は設計されるのが理想だと考える。
利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。
欲望をコントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。
正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。
※
現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達とキャンプした時の写真だった。
思いがけず掘り起こされた若かりし自分たちの写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。
そのうちの一つは、道中での出来事だ。
キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。
今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。
細部は覚えてないけど、とりあえず適当に切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。
地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。
最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー。
ということで、私たちは無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。
曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。
逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。
私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。
日本の高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。
自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。
けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。
誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。
私は、漫画の海賊版サイトが流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。
本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。
感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事や常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。
大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。
たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーのほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。
続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことをアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではありますが反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます。
以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。
そしてこの基金の存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAMに感謝👍
https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php
さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新の作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。
このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。
再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場をコントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者の責任でしょう。
聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者は緊急事態宣言下の人数制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。
何より、行政に補助金を申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。
ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)。
その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます。
そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者。ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者。
杜撰な体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者、ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。
ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスターの対応などを粛々とするしかない。
しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本のヒップホップを代表”して延々と叩かれてる。
いわく、ヒップホップフェスだから。いわく、ヒップホップファンは民度が低いから云々。
この件については、とにかく主語がデカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?
これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。
それでさ、みんな、どういう理屈で、他人に我慢を呼びかけてんの?
医療が崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミックに対応できるように設計されてないし、日本の医療にかける予算は世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。
新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。
定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから、人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。
車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。
ワクチン派は、ワクチンを打たない人間を自分本位で身勝手な人間だと蔑む。
反ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか?
法律の問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから、政府は国民に“お願い”をする。
この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか。
しかし、政治家は会合も会食も辞められない。政府の広報である報道機関、新聞社もテレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日集まり続ける。
リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由は簡単で、その方が会社の利益になると考えてるからだ。
守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。
我慢するメリットを提供できない以上、要請を無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから。
波物語は補助金を申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスのイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。
五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者は海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。
五輪を開催した7月の訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月の訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。
緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?
政府および委員会いわく「安心・安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪はコロナを抑え込んで成功した」ってさ。
そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語を糾弾すんのよ。大村知事、あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?
パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足も運動会も修学旅行も禁止って。わけがわからないYO。
人は原則、損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会からの要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意や良識の話だ。
人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。
国家がビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度の見直しは経済崩壊のスピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たちの選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代に爆誕させてしまった。
みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。
ジジイはジジイなりに、ババアはババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーはラッパーなりに、政治家は政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢の閾値が違いすぎるってだけの話で。
いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。
波物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。
だから、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視で支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。
そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステムに問題があるだろ。
みんながこぞって口にする「自分は我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。
特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度の脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。
善意や良識がこれほど強く求められる空気が蔓延した時代を、私は知らない。
何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブでしか欲望は制御できない。
良識ある人間が馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策と方針で国民同士を監視・牽制させる状況にさせてる制度を批判するべきだ。
こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府や自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的な補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たちの生活すべてを犠牲にすることだ。
人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。
それももう当たり前ながらとっくに我慢の限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。
食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?
自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?
他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。
いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。
奴隷は自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。
いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか。主催は自分たち自身でもある。
世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。
周りのママ友を見ていてよく思うことは、マネージメントスキルが不足しているのが原因で家庭の不和が生まれてしまっているということです。
子供がいなくて二人だけのときは家事をどれだけ手を抜いても大きな問題はなく、お互いが得意なことを出来る範囲で分担すれば十分に家族円満だと思います。
しかし子育てに関しては二人が好き勝手にしていたら子供が生きていけないので、それなりに子育てに時間を使う必要が出てきます。
このとき父親が働いている中で育児をする場合、子育て全般に関する情報の差や費やせる時間の差から、共同経営者のような対等な関係ではいることは難しく、多くの場合、母親がマネージャー、父親が指示を受けて動く側にならざるを得ません。
これは仕方のないことだと思います。
しかし多くの場合母親は20代でマネージメントの経験はないので、
といった、適切な研修を受けずにマネージャーになった人が起こしがちな問題をことごとく踏んでいってしまうのです。
そしてその上司たちは自らの責任とは思わず「自分の部下は仕事ができない」と考えてしまいます。
自身を省みることがないので改善されないという絶望的な状況になってしまうのです。
そうなると父親はほどほどに我慢と浮気をしつつ何とか乗り切るか、あるいは離婚という道を選ぶか、ということになってくるわけです。
死ぬほど繰り返されてきたムーブだと思いますが、令和の時代になっても同じことが繰り返されているようです。
子供が生まれても育児に関する情報の格差や時間の格差を作らず対等な関係で居続けること。
そのとき、妻の指示を待つのではなく、あくまで対等な関係で一緒に育児をするのです。
この3ヶ月でそのあとの数年が全く違ってくるのです。
私からは、以上です。
>ただ、純粋に怠け者で、性格が悪く、無能で、人とコミュニケーションを正しく取れない人間だ。
>努力が報われるのが嫌だ。
>
>
>私は立ち上がる気もないし、他人を幸せにする気もないし、やって当然のことをめんどくさいという理由だけでやらない。
>みみっちい嫌な人間が、みみっちい嫌な人間のまま、救われて欲しい。
>
>不徳が不徳のまま肯定されて欲しい。
なろうを読めばいいよ。
日間・週間・月間・年間・累計のランキング上位を読めばいい。
なろうで受けている代物の九割九分くらいにおいて、主人公はあなたの言う「嫌な人間」だ。
そんな輩が、異世界転生の際に神様からチートをもらうとか、特殊なスキルを手に入れるとか、とにかく何か棚ぼた的にすごい力を手にする。
周囲のあらゆる存在が「噛んでこないアリ」程度にしか感じなくなるくらいの圧倒的な力だ。
で、それを得た主人公は……別に何もしない。強大な悪に立ち向かうとか、困っている他人を助けるとか、力に伴う責任を果たすとか、考えない。
ただ周りに流されて、力の一端を時折披露してしまい、それを見たヒロインどもや取り巻き連中からすごいすごいとおだてられるだけ。
力に群がる現金な(作中では描かれないけど、客観的にはそうとしか見えない)ヒロインたちを拒むのも面倒だからハーレムになる。
そんな「嫌な」主人公が、精神的には何一つ成長せず、自身を省みることもせず、もちろん自己変革もしないまま、作中では何も咎められない。
ヒロインズと太鼓持ち連中は徹底的に主人公をヨイショする。「敵」は主人公を批判することもあるけれど、当然アリが踏みつぶされるように扱われる。
さらにすごいのだと、三人称の地の文まで一緒になって主人公を持ち上げる。「主人公ちゃんは何も悪くないよー、いけないのは全部他の奴らなの」と言わんばかり。
私がいつもより語気を荒げてしまう機会を省みる際、以下のような因果関係の成立可能性を思う。誰かから明確に頼まれた経緯があるわけではないのに、「やってあげている」気持ちで物事にあたってしまうことで、ふとした、またごくささいな否定に対する、過剰な「(わざわざ)やってあげているのに」反応が生じている、という説だ。
このイラつきを避けるためにはどうしよう。私がイラつかないようにするといった方向の、自分の器を大きくする案もあろうが、問題解決の即効性にはまちがいなく欠けるし、また実際に寛容になれるのかどうかという対処方法の実現度合いにも疑いが残る。やはりやってあげている気持ちを解消しなければならないのだろうか。
だとしたらまず一度、やってあげていると感じている行動について、その行動に関わる全ての人と会話をして、「やってあげている」が本当なのかを確かめた方がいいかもしれない。同時に、自分の心にも改めてそれはやってあげているのかどうかを聞いてみる。そうしてから具体的な行動の頻度の調整などについて議論すればいい。
次にありえる解決策は、やってあげる思考からのそもそもの脱却だろうか。つまりやってあげようと考えて起こす行動をやめて、自分が進んでやりたいと考える行動を優先する行動様式に移行するというものだ。これは上のイラつきの原因を根本的に消す策だが、一方注意点も既に容易に想像できる。それは、これを実行してたとえ成功したとしても、要するにやってあげる行動を全て自分のための行動に置き換えられたとしても、そっちはそっちでまた全く別のイラつく事案が起こるだろうし、もしかすると移行後の方がたくさん事案が起こる可能性もあるということだ。本格的に実行する方向で進めるのなら、その可能性の精査や自分の性格を調べることなども含め、あらためて段階を踏んで検討する必要があるだろう。
野党とその支持者が「若者は自民を支持しているバカだ」みたいな論調を作ることに躍起になって
自身の政党支持率の低さには目を背けている現状に本当にうんざりする
https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html
2009年、つまり民主党政権した頃は自民党と民主党の政党支持率は拮抗していたんだ
現政権への不信感が高まれば与党の政党支持率が下がって野党の政党支持率が上がるのは自然な流れのはず
オリンピック中止をあれだけ叫んでおきながら
いざ競技が始まったら大衆に迎合して「アスリートに罪はない、純粋に応援」と言い出す始末
そういう舌先三寸をやってる人たちに誰が投票するか、
どんなに素晴らしい公約を並べたとて所詮選挙のためだけの美辞麗句ととられて仕方ないだろう
それが総理の自己顕示欲の発露だったという批判ももっともだが、
今の政局、次の選挙、それしか見ていないような政治戦略を何年も続けてきたのが