2021-08-11

私的日常イライラについて管を巻く

私がいつもより語気を荒げてしまう機会を省みる際、以下のような因果関係の成立可能性を思う。誰かから明確に頼まれた経緯があるわけではないのに、「やってあげている」気持ち物事にあたってしまうことで、ふとした、またごくささいな否定に対する、過剰な「(わざわざ)やってあげているのに」反応が生じている、という説だ。

このイラつきを避けるためにはどうしよう。私がイラつかないようにするといった方向の、自分の器を大きくする案もあろうが、問題解決の即効性にはまちがいなく欠けるし、また実際に寛容になれるのかどうかという対処方法の実現度合いにも疑いが残る。やはりやってあげている気持ちを解消しなければならないのだろうか。

だとしたらまず一度、やってあげていると感じている行動について、その行動に関わる全ての人と会話をして、「やってあげている」が本当なのかを確かめた方がいいかもしれない。同時に、自分の心にも改めてそれはやってあげているのかどうかを聞いてみる。そうしてから具体的な行動の頻度の調整などについて議論すればいい。

次にありえる解決策は、やってあげる思考からそもそもの脱却だろうか。つまりやってあげようと考えて起こす行動をやめて、自分が進んでやりたいと考える行動を優先する行動様式に移行するというものだ。これは上のイラつきの原因を根本的に消す策だが、一方注意点も既に容易に想像できる。それは、これを実行してたとえ成功したとしても、要するにやってあげる行動を全て自分のための行動に置き換えられたとしても、そっちはそっちでまた全く別のイラつく事案が起こるだろうし、もしかすると移行後の方がたくさん事案が起こる可能性もあるということだ。本格的に実行する方向で進めるのなら、その可能性の精査や自分性格を調べることなども含め、あらためて段階を踏んで検討する必要があるだろう。

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