はてなキーワード: 宝塚とは
大手というかライバー大杉で、自分的に全くついていけないにじさんじでも、今年デビューのライバーなら追える。
そんなわけで、ここ数ヶ月注目してきたライバー5人組が世怜音女学院演劇同好会という子たち。
気がつけばデビューから4ヶ月経ち、それぞれやりたいことも見えてきて、地道に頑張っているように見える。
しかしながら、ファンの間ではだいぶ扱いというか評価が分かれてしまったらしい。
「行動力のある天然」という形容がぴったり来る、その名もチグちゃん。
5人の中で真っ先に登録者数10万を達成し、その意味ではファンも多いのだがそれ以上にアンチも増えたライバー。
いわゆる転生組らしい数字へのこだわりを見せつつ、KYで裏表がなさすぎる故の誤解が積み重なった結果、前述のこだわりも、ノリの良さも、全て悪意に取られ評価を落とす展開に。
すなわち
まあ、行動力のある天然って女らしさから最も遠いし、男でもウザがられる上に間違いなく女にモテないんだから、こうなるのはある意味必然なのかな。
そんなヒスピが、ギザ歯の多趣味有能枠でデビューしたのも過去の話。
確かに多趣味で色んなことに造詣があって並々ならぬ好奇心を持っているのだが、それ以上に一匹狼的な性格が反転アンチを増やしているというか。
男っぽい、いささか粗野にも見える硬い人当たりと、自称サバサバ系の地雷感が、これまた特に女性ファンからの嫌われ要素かも。
宝塚や四季を彷彿とさせる神がかった歌唱も、悪評の前には霞んでしまっている感がある。
セレ女の最強はお前だ。
声劇枠での上手さと熱心さはもちろん、雑談やスパチャ読みでも徹底したロールプレイはお見事。
だからリスナーは自分に合うか合わないかだけ気にしていればいいのだ。
明るくてよく笑い、気さくでノリの良い性格だけどお嬢様という、上品な陽キャとして、独特の清楚感を確立したコハック。
今やセレ女の中では一番の良心の塊と言われ、しかもそれが自分のことのように嬉しくなる奇跡。
残念ながら、好きの反対は嫌いじゃなく無関心というのを、現状体現してしまっているあーこ。
というのも
歌はかなり上手いものの、それだけだったらインスタかTikTokで顔出し歌動画上げてるほうが人気出たんじゃね?と思えてしまう。
腐女子の吐き出しですが、
正直なところBLは萌えるけれど、同じ作品世界で複数のホモカップルがデキていると確率的にあり得るのか?となって萌えに集中できなくなる自分がいる。
いや、ゲイバーとか、明らかに分布に偏りのある場所が舞台とかならいい。
でも例えば、おっさんずラブとかでも普通の不動産屋にあんなにゲイが集まるものなのだろうか?
いや、作品としてはめちゃくちゃ面白かったけど(萌えじゃなくて技巧が)
主任たちだけがゲイで、春田が男をホモにさせる謎の魔性の男みたいな感じなのだろうか?
魔性の男といえば、よしながふみ作品だとそこら辺は魔性のホモ理論とか、力技ではあるが理屈があるように見えるので気にならない。
この面倒くさい性質によって私は商業BLの摂取がほぼ困難である。逆に、女性同士についてはエスや宝塚など、女性は女性に憧れをもつ文化がある(あった?)ので百合カップルが溢れていてもそれは萌えられる。商業百合バンザイという感じである。
新サクラ大戦が発売されてから一年が経った。発売日に買ったゲームのパッケージは、封を切られることなく本棚の中で埃を被っている。
私は15年近くサクラ大戦のファンを続けている。いや、続けて「いた」と言っていいかもしれない。2006年にPSPで発売されたサクラ大戦1&2にドはまりし、ドリキャスとPS2を買って3,4,5をプレイした。一日の受験勉強を終えた後、深夜0時~3時までドリキャスを起動し、3時間だけ睡眠を取って学校と塾へ行き、帰ってからまたサクラをやる。大学受験という過酷な生活の中で、サクラだけが生きがいであった。
ゲームをプレイした自分は次々に派生作品へと手を伸ばしていった。OVAと旧アニメ、活動写真を鑑賞し、小説と漫画を買い漁り、CDを聞いて武道館ライブにも足を運んだ。あらゆる公式作品では飽き足らずに、ネットに転がっている二次小説を片っ端からガラケーで読んだ。サクラにはまって宝塚も鑑賞した。私にとってサクラとは、自分の青春を賭けたコンテンツであったのだ。
サクラに熱を挙げていた私とは裏腹に、サクラ自体にはほとんど進展がなかった。Vの発売以降も定期的なショウは開かれていたものの、公式的な動きはパチンコや他ゲーとのコラボ程度であり、ジャンルを前進させるコンテンツ――本編の続編は止まっていたに等しかった。1年、また1年と歳月が流れるにつれ、私も他のジャンルに手を広げていく。サクラは依然として好きであったが、あくまで懐かしい思い出の中の1つという立ち位置になっていった。
しかし、2018年4月のセガフェスでついにその瞬間が訪れる。
「新サクラ大戦始動」――太正29年の帝都東京を舞台に新しい花組が復活する。Vから13年経ってのナンバリング続編が満を持して発表されたのだ。
あの瞬間の興奮を今でも覚えている。アパートを着の身着のまま飛び出し、家の前の川沿いを下流のほうへ歩いては折り返し上流のほうへ歩いてはまた折り返し、何度も何度もあてどなく歩き続けた。頭の中に溢れて来る激情が身体をじっとさせてくれなかった。
私がサクラ大戦を初めてプレイした時は、すでに当時のシリーズ最終作であったVが発売されていた。私にとってサクラ大戦は出会った瞬間から最終回であり、ずっとナンバリングの続編を望まれながらも、決して叶うことはない幻のゲームであった。
それが、ついに、叶う。サクラの続編を遊べる日が来るなんて、本当に夢だと思った。忘れかけていた青春時代の熱狂と興奮が心をかき乱す。たまらずに開いたTwitterのタイムラインは狂乱の渦に包まれていた。
2019年3月末、セガフェスにてサクラ大戦の続報が発表される。メインキャラクターデザインを久保帯人氏が、ストーリーをイシイジロウ氏が、そして音楽を田中公平氏が手掛ける。檄帝にコーラス等のアレンジを加えたメインテーマは、今までのイメージを踏襲しながらも新しい風を吹き込もうとしている。私の心は歓喜と期待に溢れていた。Twitterでは友人がPVを見て考察を巡らせていた。発売日は2019年12月12日――もう一度あの世界が味わえると思うと自然と気持ちが昂った。
同年の6月から、「帝劇宣伝部通信」というコーナーがセガのyoutubeチャンネルで始まった。公式が新規情報を発売日まで随時公開していく番組である。プレイ動画、キャラクター、世界各地の華撃団の紹介、グッズとメディア展開など、様々な情報が発信されていく。
私はそれらを欠かさずにチェックしていった。しかしながら、一か月、また一か月とカレンダーをめくるにつれ、自分の心の中には言い知れない不安のような影がよぎっていった。
「果たしてセガは、サクラ大戦を未来へと続く作品にできるのだろうか?」
今の時代、美少女たちと触れ合えるゲームはそこらに無料で溢れている。歌う少女も戦う乙女も、20年前とは比べ物にならないほど多くなった。群雄割拠のゲーム業界でサクラというジャンルは生き残ることができるのだろうか?
サクラ大戦は時代とともにあった。当時のアドベンチャーゲーム、ありていに言えばギャルゲーの中で、サクラは独特の地位を占めていた。歌劇とスチームパンクの融合、セガサターンという機種だからこそできた恋愛ゲームの一般向け展開――あの頃のサクラを不動の地位に置いていたものと言えば、新規性と物珍しさによって時代を先取りしたコンテンツ力であったことは疑いない。
しかし、時代は変わった。ゲームは何でもアリになった。アイドル物のゲームが世間一般にまで浸透するとともに、きちんと遊べるゲーム性を核としてギャルゲーさながらの恋愛要素を取り入れる作品はいくつもリリースされている。
サクラ大戦は初代から24年の歳月を経た。その年月は時代性という重りになってサクラ大戦にのしかかっている。
気づけばそう問いかけていた。プレイ映像が公開されていくにしたがって、自分の中の情熱が冷静なものに変わっていくのが分かった。
そして2019年12月12日、私のもとにAmazonからパッケージが届いた。そのときは仕事が忙しく、届いてから3日ほどやる時間が取れなかった。
極力ネタバレは控えていたものの、つい気になってTwitterを覗いてしまった。
そこには、「熱」がなかった。
新作発表、主題歌公開のときに賑わいのあったタイムラインは嘘のように静かであった。ストーリーに言及するどころか、面白さやつまらなさを語る人もいない。ぽつぽつと流れる呟きは、まるで腫物に触るような言葉の数々であった。
好きの反対は嫌いではなく無関心である。本当に面白いコンテンツであれば、人々は誰に先導されるでもなく自然と語り始める。それはネタバレであれ考察であれ妄想であれ、大きな熱となりジャンルを強く後押ししていく。しかし今は、その熱がどこにも見えなかった。栄華を極めたかつてのコンテンツを前にして、友人たちは出来の是非を問うこともなく、ただ当たり障りのないことを呟くばかりであった。
――ああ、そういうことなんだ――
その様子を見た私の心の中に、言い知れないほどの寂しさが襲った。それは悲しみや怒りといったハートを揺れ動かす激情ではなく、まるで亡くなった親友を前にした時のような、涙も出ない喪失感であった。
私はそれを見て、新サクラ大戦を遊ぶことを止めた。プレイしたらそこで終わりになってしまう。20年以上続いたシリーズの行く末を見届けてしまえば、「いつか続編が発売されたらいいなあ」と心を躍らせることもできなくなってしまう。
「ああ、こんなもんだったよなあ」という気持ちで終わらせることが嫌だった。ゲームの面白さに興奮することも出来の悪さに嘆くこともなく、ただただ現状を受け入れて観念することがたまらないぐらい恐ろしく感じた。
こうして私は、サクラ大戦というシリーズを思い出のまま取って置こうと決めた。私にとってサクラ大戦は、続編を望まれながらも決して作られない希望のゲームである。あのころのノスタルジーを終わらせもせず続かせもせず、優しい思い出のままそっとしておこうと心に決意した。
そんな私とは対照的に、漫画、テレビアニメ、舞台と、次々にメディア展開が進められていく。ユーザーとの熱量の違いは目に見えており、ゲームの中古価格がそれを如実に表していた。
そして2020年12月15日、新サクラ大戦から約1年後、ゲームアプリ「サクラ革命」がリリースされた。開発はソシャゲ業界最大手のFGOを手掛けるディライトワークス。リリース初日にも関わらず、タイムラインでは話題にすら挙がっていない。PVを見て考察を巡らせていた友人は、FGOのカルナサンタに熱を上げていた。
もう、誰もいなくなっていた。
そして私はまだ、「新サクラ大戦」をプレイできていない。15年前の思い出にずっと閉じこもり、夢の続きを見ることを拒否しているのだ。
梅芸、tca、宝塚舞台は期末純利直近3年だけ官報決算DBから取れた
単位億円
3月期 | 中間 (按分営利) | 期末 (按分営利) (梅芸/ tca/宝塚舞台純利) | 期末コメント 中間コメント |
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2021年 | 55 (△24) | ※コロナ△138: 減益。新型コロナウイルスの影響を受け、宝塚歌劇の多くの公演を中止したことに加え、各公演の観劇人員がイベント 開催制限措置の影響で大きく減少したこと等により、大幅に減収・減益 | |
2020年 | 179 (58) | 344 (54) (0.5/17/0.5) | ※コロナ△23: 減益。歌劇事業において各公演が好評を博し、また関連商品の販売も好調に推移していたものの、第4四半期に新型コロナウイルスの影響を受けたため、減収・減益 増益。歌劇事業において、各公演が好評を博したことや、関連商品の販売が好調に推移したこと等により、増 収・増益 |
2019年 | 164 (35) | 349 (51) (0.7/0/0.7) | 横ばい。歌劇事業において、関連商品の販売が好調であったことや海外公演を実施したこと等により増収となっ たものの、公演に係る費用が増加したこと等により、営業利益は前期並み 減益。前年同期の歌劇関連商品の販売がトップスター退団により好調であったことの反動減や、演劇事業の 公演回数が減少したこと等により、減収・減益 |
2018年 | 171 (41) | 340 (48) (0.6/9/0.5) | 増益。歌劇事業において、雪組公演「ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~/SUPER VOYAGER!」や花組公演「ポーの一族」等の各公演が好評を博したこと等により、増収・増益 増益。雪組公演「幕末太陽傳/Dramatic “S”!」や宙組公演「神々の土地/クラシカル ビジュー」等の各公 演が好評を博したこと等により、増収・増益 |
2017年 | 168 (38) | 329 (44) | 増益。歌劇事業における宙組公演「エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-」や、演劇事業にお ける「バイオハザード-ヴォイス・オブ・ガイア-」等の各公演が好評を博したこと等により、 増収・増益 増益。演劇事業において主催・共催公演回数が増加したことや、歌劇事業において 宙組公演「エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-」等の公演が好評を博したこと等によ り、増収・増益 |
2016年 | 165 (37) | 326 (44) | ※出版事業の一部外部化影響△19: 増益。2014年10月1日付で出版事業の一部を外部化したことや、歌劇関連商品の販売が減 少したこと等により減収となったものの、宝塚歌劇100周年(2014年)に引き続き高稼 働率を維持したことに加え、宝塚大劇場・東京宝塚劇場の公演回数が増加したこと等に より増益 ※出版事業の一部外部化影響△19: 増益。前期(2014/10/1)に出版事業の一部を外部化したことや、演劇事業におい て主催・共催公演数が減少したこと等により減収。一方、利益面では、歌劇 事業において宝塚大劇場・東京宝塚劇場の公演回数が増加したこと等によ り増益 |
2015年 | 187 (39) | 352 (46) | ※出版事業の一部外部化影響△21: 増益。出版事業の一部を外部化した影響があったものの、2014年に100周年を迎えた宝塚 歌劇の各公演が好評を博したことに加え、歌劇関連商品の販売が好調に推移したこ と等により、増収・増益 増益。宙組公演「ベルサイユのばら-オスカル編-」や星組公演「The Lost Glory-美しき幻影-」・ 「パッショネイト宝塚!」等の公演が好評を博したことに加え、歌劇関連商品の販売が好調に推移したこと等により、増収・増益 |
2014年 | 166 (36) | 337 (43) | 横ばい。雪組トップスターお披露目公演「ベルサイユのばら‐フェルゼン編‐」や星組公演「眠らない男・ ナポレオン‐愛と栄光の涯(はて)に‐」等が好評を博し増収となったものの、宝塚歌劇100周年 に向けた拡大宣伝等による費用が増加したため、営業利益はほぼ横ばい 増益。雪組トップスターお披露目公演「ベルサイユのばら-フェルゼン編-」や星組公演「ロミオとジュリエット」が好評を博したことや、演劇事業における主催・共催公演の増加等により増収・増益 |
2013年 | 137 (25) | 282 (31) | 増益。月組公演「ロミオとジュリエット」、「ベルサイユのばら」や宙組・雪組トップスターの退団公演が好評を博すとともに、歌劇関連商品が好調に推移したことなどにより増収増益 増益。宙組トップスターの退団公演や月組公演「ロミオとジュリエット」が好評を博すとともに、歌劇関連商 品が好調に推移したこと等により増収増益 |
2012年 | 126 (n/a) | 258 (24) | (なし) 減益。ステージ事業においては、歌劇公演回数が減少したことなどにより減収減益 |
2011年 | n/a | 261 (n/a) | 歌劇事業において、宝塚大劇場・東京宝塚劇場で、2008年に上演し話題となった「THE SCARLET PIMPERNEL(スカーレット ピンパーネル)」を月組で再演し、特に好評を博したほか、2001年にフランスで 初演されたミュージカル「ロミオとジュリエット」を雪組で上演した。また、演劇事業においても、梅田芸術劇場で、同ミュージカルを宝 塚歌劇団星組により上演したほか、「ファントム」等の話題性のある 公演を催した。 (略) |
韓流は試してみた?
試しに「愛の不時着」見せてみ?連ドラだから少なくとも数日はネット忘れてのめり込むよ。
脈あるようなら息つく間もなく過去の名作韓流ドラマや韓流映画オススメしてくるから自動でのめり込むよ。
タバコや麻薬の離脱と同じでとにかくyoutubeから引き剥がす時間を作って注意を他にそらすことが大事だよ。
なので韓流見れるサブスクならどこでもいいけどYouTuberと隣り合わせなyoutubeの有料プランだけは避けた方がいい。同じ理由でニコ動も×。
修正不可能なくらい亀裂入ってるわけじゃないなら夫婦で趣味共有できた方が話が早い。
父親が無理そうなら増田が一緒に韓流にはまってあげるといいよ。
増田母も元増田の祖父と同じでこのコロナ禍で孤独を熟成してしまってるんだと思う。
コロナでなければ増田が旅行/観劇/ディナーショーなどに連れ回しネットから引き剥がして忘れさせる方法もあるけど今はそれは無理なのでとりま「愛の不時着」。
脈薄そうでも増田自身がはまってるとか理由つけてはまり込むまでリピするといいよ。
増田母の場合もリア充させて興味の矛先逸らした方がいい気がする。
女性はおしゃべりと共感してくれる相手に弱いから身近な人と同じ話題で盛り上がれるのが実は一番嬉しいし楽しい。
よくアイドル歌手や俳優にのめり込む人いるけどあれ実は歌手や俳優本人というよりそれらを好きな人たちと交流するのが楽しいってのがあるから。
多分そこに増田母はつけこまれてる可能性もあるから逆に増田が母専属の韓流ソムリエYouTuberになればいいと思う。
元増田の祖父が抜け出せたのはただNetflix与えてお終いじゃなく、元増田自身がTwitterでも繋がって寄り添い、つかず離れず連絡取りつつ見守ってたとこも大きいと思うんだ。
孤独にさせないこと。
リア充させること。
この二つが大事なのかも。
コロナでこの二つがかなりむずかしくなってるけどね。
それか増田の嗅覚で母親のはまりそうな趣味見つけて波状攻撃してみては?
ちなみに韓流/旅行/観劇/ディナーショー以外で高齢女子にオススメは宝塚、歌舞伎、落語、綾小路きみまろ、手芸、食べ歩き、ペットなど。
この中では韓流が一番安価でコロナ禍の今も気軽に始められてオススメ。
韓流沼もはまったら被害はせいぜい韓国旅行に行きまくるくらいだけど今は幸いコロナでそれも不可能だし。
鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士が物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまうエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士が悪党を罰するために物質伝送機であちこちに飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。
また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫が宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装の女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。
つまるところ、こういうスカートやレオタードのラインダンスは宝塚が起源なのだろうか?
まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。
ラインダンス(Line Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックやポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンルに特に限定は無い。
また日本ではポンキッキーズという番組で知名度を上げている。本番組の場合では、主に小中学生の女子は椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通のダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンスを学芸会や体育祭で取りあげる学校も多かった。
ひらけ! ポンキッキ!から視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。
それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。
ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056
ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137
名称は、米国のダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君の笑顔がいい)
ロケッツは、1925年にセントルイスで、「ミズーリ・ロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者のラッセル・マーカートは、1922年にブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国のダンス・グループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人の女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。
だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスはフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。
第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚大劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンスを披露した。
とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹のであるが、おおよそ同時代の写真がある。
1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記をテーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装も話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇のレビューに欠かせないものとして定着する。
つまり、ラインダンスは1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディアに写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい!
しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年の帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。
今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。
宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感と大人の男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町の浅草、片や山の手の日比谷(東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から、松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹は下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚と松竹と、それぞれのカラアと伝統があったことはいうまでもない」。戦後の占領期には松竹・宝塚両方を取り上げる雑誌が複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からのファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。
こうした説を補強する、次のような画像がある。
1932年、松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる。
スポーツ新聞ではラインダンスを撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近、女子スポーツの写真をことさら性的に撮影することを阻むため、JOCが対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性がスポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアのアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現もギャグが滑っている気がする。
しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。
上記の松竹歌劇団の動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/
なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなものが存在していた! こうなると、見せパンの歴史はサーカスの衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。
英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。
In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.
なんと、ブルマータイプの衣装の強制が21世紀になっても行われていたのである。にわかには信じがたい。以前にはビーチバレーの衣装の強制について調べたが、問題はここにもあったのである。
さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマーが強制されなくて本当に良かった。
僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。
それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事で1930年の The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyのブルマー風のものやナチス時代にブルマーにカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマーの世界的な分布についても、再考を要する。
今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代に矛盾はないが、証拠は不十分である。
また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。
例えば1週間お休みとかがあると喉のポジションみたいなのが戻ってる。上にいっちゃう
がなるんじななくて、声を押すんじゃなくて体全部に響かせてる。だから本人的に声が枯れててもこちらとしてはわからない(星逢時の望海氏の話)
はるのはチェンジがないからどんなジャンルの歌も歌いこなせるじゃない(そんなことない)
海外ミュージカル:地声で張ってるように聴かせなきゃいけない歌も多かったり
少し裏声をミックスしてたとしても地声で歌ってるように聴こえる(のがはるのはすごい)
潰した時はがなる方でいってた。地声に聞こえるようなミックスを強化することが大事なんだなと(はるの)
海外ミュージカルとかで男役でも突発的に高い音がきたりする曲が多い。再演ものとか上のドとかまで全然でてくるときに、地声でがなってしまうと聞いてる方も苦しいしみたいな、ってなったときに男役だけど少しミックスでいけるようになりたいなと
気持ちいい 音の当たり方がすごい正確 絶対ずり上がったりとかしない(姿月さん)
男役の声:喉だけで出さない。よくお腹からとか言うけどお腹だけじゃなくて声帯も筋肉。低いからといってがなるのではなく、喉も筋肉だと思っていろんな使い方をしてるとだんだん音域って広がっていくのではないか
息、あがる。死にそうな時こそ苦しいけどハァハァしない。してしまうと取り戻せなくなる、お腹とか。敢えて浅くする。背中に息を入れるとかも言う
男役としての高音の魅力。もっと高いとこまで出るけど男役としてはここまでしか使いませんよ。楽に出せるようになる(吉田先生)
普段から口ずさんで馴染ませて、今から歌いますよ、という感じにならないように。自然に歌がポロっと出てくるというのができるように。役を演じる前に男役を、娘役を演じてる。自分の歌っているメロディは音楽の一部である(おささん)
相手は同じ職場で知り合った男性で、とりあえず無難な相手なら誰でもいいから結婚したかった私と、何となく世間体的に結婚した方が色々と都合がいいという彼の希望が一致した上での結婚だ。
私は三十代半ばで、彼の方が数年年上。お互いコミュ障というやつで、大した恋愛経験もないままここまで来てしまった。二人でいてすごく楽しいとか気が合うとかそういうこともないけど、すごく不愉快になるとか傷つくとかそういうこともない。ドキドキしたりもないけど同じ部屋にいて緊張することもない。彼はアニメや漫画が好きだけど私は行き過ぎなければ(一気に何十万もつぎ込むとか)アニオタでも何でもいいし、私の趣味に彼があれこれ口を出すこともない。ドラマチックな恋愛とはまったく言えないけれど、きっと結婚相手としては最適で、私は当たりくじを引き当てたんだと思ってた。
そして先月。私は彼の両親、そしてお姉さんとレストランで食事をすることになった。既にうちの両親への挨拶は先に済ませていて、そっちは何事もなく平和に終わっている。彼は家族の話をあまりしないけれど聞き出したところによると普通のサラリーマン家庭らしいし、今回のお食事会もよほどのヘマをしなければ平和に終わるだろうと楽天的に構えていた。
そこで初めて私は彼の両親と彼のお姉さんにお会いし、一言で言えば一目惚れをしてしまったのだ。同じ女性である彼のお姉さんに。彼の両親にちゃんとご挨拶しなきゃ、と身構えていたのにお姉さんを一目見た衝撃で挨拶の言葉が一気に吹っ飛んでしまった。無言でまごついて赤くなったりしていた私を、彼の両親もお姉さんも好意的に受け取ってくれたらしい。そんなに緊張しなくても、とか優しい言葉をかけてくれてそしてお食事会は始まった。
最初の内は何だか気恥ずかしくてお姉さんの方を見られなくて、でも見たくてちらちらと盗み見るように見て、そして程なく目が離せなくなった。お姉さんはすごく美人というほどではないけれど、なんだかど真ん中、という感じだった。今まで私は女性に恋したことなどない。可愛いと思う女優やアイドルはいても、ど真ん中だなんて言葉は誰にも思ったことがない。それどころか、今まで好きになった男性はもちろん芸能人なども含めて、こんなに好きだ!!!と感じる容姿を持つ人はいなかった。何だこの感覚は??と混乱したまま彼女と少し話して、さらにどんどん虜になる。声も話し方も笑い方も会話の内容も、その全てが何と好ましいことか。嫌なところがまるで無い。ケチの付けようがない。パーフェクトに好きだ。
結局お食事会が終わるまでに、ちょっと不自然なほどお姉さんの話に食いついて質問をしてしまった。でも彼の両親もすごくいい人そうで、私のことを根掘り葉掘り聞いて値踏みするようなことをまったくせず、お姉さんと話す私に対しても「やっと緊張がほぐれたかな」みたいな感じであたたかく受け取ってくれたようだった。彼だけは、家に着いてから「あんたが初対面の人とあんなに話すなんて珍しい」とか不思議がってたけれど。
彼のお姉さんのことを身バレしない程度に書くと、アラフォー独身。そしてものすごく頭が良くないとなれない職業の人。多趣味で私のある趣味もその中に入っていて、その話で盛り上がった。話がすごく上手で、でも出すぎる感じはない。お食事会でも最初は「小姑なんてうざったいだろうから、ほぼいないものと思ってください」なんて言っていた。ブランド物で固めるという感じはないけれど趣味の良さそうな服と靴とバッグ。髪の毛はショートボブでさらさら。体型は普通、背は私より少し高め。ああ好きだ。
あの日から私はずっとおかしい。彼と結婚することでお姉さんと家族になれる! と喜んでみたり、あくまで義理のお姉さん止まりなんだと落胆してみたり。あんなに素晴らしい人が独身なんて、もしかして女性が好きだったりするのでは? と一縷の望みをかけて「レズビアン 特徴」とか「レズビアン 見破り方」とか検索してみたり。万が一女性が好きな人だったとしても、私のことを好きになってくれる確率なんて…とさらに落ち込んでみたり。大体こんなことを考えていること自体彼への裏切りか? と思ったりもするけど宝塚に憧れる女性と大して変わらないだろうと開き直ってみたり。
コミュ障の私が信じられない行動力で、お姉さんの仕事関連で相談したいことがあるからという口実をこさえて彼を通じてお姉さんと連絡先を交換し、LINEで何度か話したりした末に何と来週末、お姉さんと二人きりで会う約束を取り付けることに成功した。昨日美容院に行って久々に髪も染めたし、久しぶりに服と鞄を買ったし、化粧品も新しくしようかと思っている。準備をわくわくと進めながら、「これが恋なんだなあ」と何度も思った。この恋に未来なんてないけれど、結婚前に最後に恋できて良かったとも思う。髪を染めたことなんてまったく気づかない彼にごめんなさいと心の中で手を合わせながら、私は今度のデートを心待ちにしているのだ。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
階段の真ん中を歩けない。
駅とかの幅広い階段の真ん中を歩こうとすると、足がすくんでしまい、一歩を踏み出せない。
登りだったり、手すりが近くにあると歩けるんだけど、
降りの階段の真ん中を歩けない。
手すりを触らなくても、手すりが近くにあれば、普通に降りれる。走って降りれる。
本当に足の悪い人が手すりをつたって降りていると、急いでいても、その人の後ろを歩くしかないから少し困る。
前に友人に話したことはあるけど、誰も共感してくれた人はいなかった。
吊り橋を前にして足がすくむ人がいたらたぶん、そんな感じ。
あと、駅という場所柄、早く降りなきゃって焦ってしまって余計に足がすくむのかも。
同じような感覚持ってる人っているのかな。
最近婚活アプリ・マッチングアプリというものをはじめた。恋活ではなく婚活系のアプリ。
俺は今年30になる普通の男性サラリーマンだが、今まで仕事に打ち込んできた。
仕事ばかりだったのと、男性比率が極端に高い職場なので出会いはなかった。
流石にやばい、というか結婚して子供欲しいと思い、婚活をすることにしたんだが・・・。
アプリを使っていたり活動していたりする年齢層的に仕方ないのかもしれないが、売れ残りのヤバいやつしか検索に引っかからないし、申請してくるのもそいつら。
もちろんたまに良さげな人もいるが、ごくわずか。おそらくPairsだとかの上位層と同じ状況になっているだろうから、よほどの超ハイスペックな男性でないとマッチングしないと思う。
とにかく女性側の会員がやばすぎる。
例を挙げるとこんな感じだ。
お前ら今まで何してたんだ?
まあ申し込むのはただだから本人たちは良いんだろうけど、全員釣り合ってないんだよね。身の程を弁えてほしい。
子供欲しいならなんで20代後半、30代前半で結婚しておかないの?出産リスク分かってる?男は馬鹿じゃないのでその辺すごく見てるけど。
実家暮らしで金かからない点は良いと思うけど、金遣いが荒いの見えてるんだよなあ。
旅行とか観劇とかライブとかゴルフとか。これらがプロフに書いてあったら必ずしもNGだとは言わないけど、かなり金は使っているはずなので危険に見える。年に100万以上海外旅行に使ってる女とか、観劇(これは実はジャニヲタだったり宝塚ヲタだったりする)に100万以上使ってる女とか、嫌だよね。趣味が旅行しか書いてなくて頻繁に行っているとか、ヤバすぎる。他に趣味作った方がいい。もっと(結婚目線で)健全な趣味作ってプロフに書いてくれ。
あくまでプロフ見たりしただけで内面が分かっていないので、魔窟と言うには早いのでは?と思うかもしれないが・・・
マッチングしてもメッセージのやり取りをしない、続かない、返事が来ても遅いことがなんと多いことか・・。
お前ら人付き合い舐めてんの?
婚活アプリに限らないが、女性は特に返事が遅い。優柔不断いいかげんにしてほしい。複数の男抱えてるならとっとと決めろって感じ。
基本的に受け身の女性が多い点も気になる。俺はあなたの申し込みを承諾したのだからあなたからメッセージがあっても良いのでは?とよく思うが大抵はメッセージを送ってこない。
どこのサービスかは言わないけど、はっきり言って売れ残りのヤバいやつしかいないので、魔窟と言っても大袈裟じゃない。
さて、どうしたものか。
頭が良いとか、年収が高いとか、身の程を弁えているとか、気立てが良いとか、そもそも若いとか、ハイスペックな女性はどこにいるんでしょうかね。
エロスってさ、性的な美しさのことだと思うんだけど、そうであるなら中性的な人間にエロスを見出すって行為は矛盾するんじゃなかろうか。
男性的でも女性的でもないのに、エロスを覚えるって、なんか変。不自然だし、その感情はエロスじゃないはず。
宝塚の男役にエロスを感じ取ってしまうのは、女性が男性を演じているからであって、男性と女性の中間だからではないのだから。
そもそも、男性的でも女性的でもない人物なる存在が絵に描いた餅でしかないので不毛な考察ではあるんだけども。
ただ、男性的でも女性的でもない性の存在を認められるのならば、中性的な人物にもエロスが存在しうることになるのかもしれない。
つまりは、性が多様化することでエロスの表象も拡大するのかも。
分かんないなあ。