はてなキーワード: 勲章とは
なんでこんなタイトルかというと、ネットが普及し始めた95年から昨今まで見てきて感じたのが
あらゆる作品に対するアンチのクソさが昨今は悪目立ちすぎてて不愉快だったから。
当然、これを読む人もこの内容で不愉快になることを踏まえて書いていく。
昔のネットは…パソコン通信時代もネットに含めようと思ったが95年当時は、やってることはさほど変わってないので省くとして
作品に対して、不満などが合ってもそれはほとんど表に出てこなかった。
なぜなら、そういう事を語る輩はアンダーグラウンドを好む人の方が多かったからだ。
稀に表に出てくる人もいたが、今でこそ廃れているネットエチケットを知っている人が多かったので荒れるようなやりとりは多くなかったし
あっても、作品に対して常に粘着をしているような「 暇 人 」はいなかった。
やりすぎると、今のような匿名性もなかったので自宅を特定された挙げ句に直接攻撃くらうからね。
今も特定されるだろう!という人もいるだろうが、そりゃたいてい自分から近辺の情報をさらけ出してるからだよ。
昔は阿呆なことにどこからの接続してるか程度だけで特定までされるような状況だった。
まあ、それはそれとして、とにかく表に出てこないわけで争いは地下でのみだった。
が、今はオープンで批評することが正しいと勘違いしているのが多い。
本当に正しい指摘をしているなら、まだ分かる。それは言葉を選んでするべきだ。
しかし、アンチの言葉ときたら「面白くない」「糞作品」「下手くそ」どれもこれも指摘らしい指摘はない。
理由を聞けば「見れば分かる」「見なくても分かる」「面白くないに理由が必要?」「糞だから糞って言っている」とこんな感じ。
何かに対して感じるものがあれば、それはそこに理由があるからであって、上記のような事しか言わんやつは
単純にどこか発達障害が起きているだけだろうと感じる。
理由なく作品を貶すわけだからね、頭がおかしいと言われても変じゃない。
そういう奴が、クソ面白いところは「自分が面白いと思った作品の登場人物」に対しては、早口で何をいっているか分からんほど饒舌になること。
でも、文章で書かせると言っていることの半分も綺麗に表現できていない。
小学生の作文よりも酷いのを見た事がある。
そんな風に語れる能力があるのに、理由もなくつまらんと言い捨てた挙げ句にとことん扱き下ろそうと粘着するという。
嫌いなら嫌いで、それ以上付きまとわなくてもいいのだ。
それを嫌いといいつつ、他人が高評価をしていると粘着して付きまとってくる。
そんな輩が、表にどんどん出てきたのが2000年はいってから大体2005年以降辺りからとことん多くなった。
それまでは、時々いたがそこまでひどくはなかったのに。
今では文句を言うことが一つの勲章()なのか分からんけど、俺は偉いみたいな勘違いになっているようだ。
正直な所、普段から作品に対して理由のない文句しか言えない奴は、どんなにいい作品であっても
ほとんど理解しないで「キャラが良い」などと登場人物程度の評価しか出来ていない。
読解力そのものがないのだ。
まあ…そんな奴に文章にして感想を出してみろと言っても、酷ではあるな。
とにかく、ろくに評価も出来ないバカが理由も説明できないで作品を馬鹿にするのは許されん。
理由なく攻撃しているというのはキチガイの類と何ら変わらない。
読んで理解できるのなら、まず正しく指摘できるようになってから作品に対しての不満を言えよと。
それが出来ないのなら、二度とあらゆる作品を見るな読むな語るな。
いやいやと。
レスリングでもあったね。こういうの。
世の中にこいつの予備軍は大量にいる。
もっというなら、この若手選手をこきつかう、元名誉軍人、老害、それにもなれなかったその他多数。
こいつらが原因や。
あと一般人。
こいつら全員予備軍や。
これが、世の中の構図や。
なんでこういう皆さんのいう”ありえない事件”が起こるか。
せこいな、後出しじゃんけんで言うなよ。
原因のほとんどの人間はこいつらに”関与”すらできなかった、なにもできなかった奴らや。
有能な若手、そいつらを統率するための歴史をもった、”元”カリスマリーダー。
そいつらを統括する若手コーチ。こいつらはすべて一芸を持った人間や。
こいつらは結局こうや。
アメフト監督:こいつは老害や。みんな思ってた。こいつ使えない、カス。でも、いうこと聞かないと怖い。
なぜか、、
過去の功績や。それは本当に勲章もん。脳死しても聞かないといけない。
マイナー競技でもメジャー競技でも結局なかなか、上り詰めている昔の人間がまっとうな
尖り続けた狂気の人間が、そらこの層にはいるよ。仕方がない。ちゃんと分析しろ。
カリスマは年月がないと慣れない。どれほどあたまおかしくても、年月が味方しないとカリスマは作られない。
競技人口の増えつつある競技ではありえないぐらいのカリスマ性を過去の人間は”レバレッジ”して持っている
こんなんどこの業界もそうやろ。
ビットコインみたろ。最初は10倍、20倍があたりまえや、その後の倍数は1.2ぐらいがせいぜいや。
先行者の有利性は半端がない。
若手選手: こいつも有能や。一番有能、働き盛り、いろいろ迷いまくりや。こいつは有能だからなんでもしよる。
若手コーチ: こいつもよういるパターンの中間管理職や、少し有能、若手のカリスマ、若手選手の尊敬はあるやろ。
で、こいつアメフト監督にたてつくなんてありえない。これまでも意味不明な監督のわけわからん助言を
つーか、こいつらの光景が異常だったというなら、世の中異常だらけ。
世の中で意見をもつこと、決断すること、カリスマとなること、物事を推し進めること、これらや大小狂気が潜んでいる
それがゆえに、狂気が増幅されやすい組織は存在してしまうし、大小世の中の組織はそうなっている。
レベルの近しい同年代の意見より、レベルの低くても、年月のレバレッジを味方につけた老害の意見は飛び越える。
これは記者クラブでも、政治の世界でも、どーーーの世界でも本質。
でも年齢が1 : 1.2 なのは最高に判別がつく。35歳と、42歳、全然違うね。
一芸を持つこと自体がとても難しい。
過去の有能とされた人と今の有能な人はまったく比較下にはないが、
世代間競争はとても、わかりにくく、とても不条理な関係を生み出す。
”レバレッジ”がきくのだ。
ほとんどの人間は、この有能な若手、有能な中間管理職、有能なカリスマ老害
そいつら、いびつな人間をまとめたら、それらの統一をはかるようなメンバーが本当は必要。
そもそも、ほとんどの人間はそれにすらなれなかった、がゆえに、何故この問題が起きたかわからんやつらや。
ビットコイン後から買ってたらよかったー っていいながら、もうビットコインの話題全く感知してない奴らと同じや。
こんな組織は山ほどあるし、そうなってなかったら本当にえらい。
増幅されやすい組織も山ほどあるけど、そいつらは結局結果が出てたりするし、
今は、こういう衝撃的な事件ということで盛り上がったが、本来、ありえない事件なんてあんまりない。
なにかの構図がたまたま結果につながっただけであって、ありえないをありえないと批判して留飲を下げているのが
一番間違い。
後出しで今どや顔で話しているやつらは1年後、間違いなく忘れいている。
俺は忘れない。
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
アニメーターやイラストレーターに当たる方々の苦痛に満ちた生活についての書き込みは、ネットでよく見られる。
ただ、彼ら絵描きがしんどい日々を送るのは人間性、生活スタイルなどを考慮すると致し方ない部分が見られるのも事実だ。
自営業者の端くれとして、そんな彼らにアドバイスをしておきたい。
・コミュニケーションを円滑にする
著名人の逸話を例とすると、ピカソの話は人口に膾炙するものだろう。
「ピカソさん、私あなたの大ファンなんです。この紙に一つ絵を描いてくれませんか?」
ピカソは紙とペンを受け取ると30秒ほどで絵を描き、手渡しながらこう言ったそうです。
「1万ドルだ」
「この絵を描くのにたった'30秒'しかかかってないのですよ?高すぎます!」
「30秒ではない。40年と30秒だ」”
有名な話なので細かく解説はしないものの、この話を鵜呑みにする方は危なっかしい。
この発言が許されるのは、見知らぬご婦人からピカソに絵を描いてほしい、と頼まれるほどの画家だったからである。
勲章を賜るほどの評価をなされていない凡百の絵師がこんな発言をしたらどうなるか、考えるまでもない。
これはピカソだから許される考え方だ。サルバドール・ダリにも似通った逸話がある。
少なくとも、彼らは1万ドル払ってでも落書きや髭が欲しい、と思われているのだ。
また、ピカソの逸話らしいのだが(真偽不明)、ピカソは普段の支払いは小切手で済ましていたそうだ。
受け取った人はみんなあのピカソの名前が入った小切手だから、取っておけば価値がつくかもしれない、と思い引き落とさなかったそうだ。(生前ですらそう思われているのがピカソらしい)
奇天烈人ピカソは、こうも処世に長けていた。詰まる所、ピカソほど凄くもない絵描きが、ピカソレベルの処世術を身に着けているのだろうか。
人付き合いが不得手であっても、ご用命があればいつでもどうぞ、ぐらいのことはして欲しい。
アドバイスとして、あなたもおそらくそうであるように、人間はサービスは割安を好む。
絵が上手いだけでなく、納期変更に順応してくれる、だったり、酒の席での一発芸が上手い、ということでも付加価値となる。
・モノを知らない
微分積分はわかるだろうか。共産主義の成り立ちはわかるだろうか。海外に行ったことはあるだろうか。年金の手続きはわかるだろうか。恋はどんな味かご存知だろうか・・・。
全部修める必要はまあないだろう。しかし、もし一つもなんとなくすらわからないようであれば、社会情勢が不安定な往来で、そのアンテナの低さは致命的だ。
絵描き同士で「あの雇い主は金払いがいい」とか「あっこは仕様変更が多すぎる」とかの情報共有は積極的だろうか?
創作の参考になる経験を嬉々として語らいあったことはあるだろうか?
内省してみてほしい。
大事な一例として紹介しておく。がっちりマンデーという番組のコーナーの一つに、ニトリの社長の飲み会はどんなものか、という特集があった。
そこでは、小泉元首相のようなビッグネームが当たり前のように出席しており、商談の取り付けすら決まっていた。
このように世の中にはビジネスチャンスが広がっている。モノを知らないということは、それにすらアクセスできないことになってしまう。
(余談だが、財政緊縮を目的として郵政民営化を成し遂げた小泉元首相が、その席の中で金は使ってナンボ、という旨の発言をしていた。筆者に郵政民営化の真なる失敗を予感させることになった。)
値切られないようにするのは実はとても簡単で、引く手あまたになればいい。
逆に、あなたを引く手が少ないのは、あなたの怠惰に原因がある。(親が大体の家庭では勤め人であることにも遠因はあるだろうが)
2、新規で手に入れた顧客が、定期の顧客にするための営業活動はどれぐらいしているのか
3、見込み客はどう作っているのか、どう探しているのか
おおよそ上記の三点に尽きる。
自営業は勤め人とは違い、このような泥臭いことでも自力でやらなければならない。(勿論、経理や年金も)
これらの要素において楽をしたいなら、アンテナの広さやコミュニケーションが大事になってくる。
割りの良い外注先を常に知っておくべきだ。
とりあえず、今回はこれにて筆を置く。(基本的な話ばかりで申し訳ない・・・)
なお、雇われのアニメーターなどについては別の話なので、触れないでおく。
追記;
私のダイアリーにしてはご意見をいくつかいただけたので、返信しておきたい。
>>イラストレーターも要は自営業なんだよなあ 資本主義社会で生きていく以上は絵の能力だけってわけにはいかない
おっしゃる通りです。資本主義においては、絵の能力は換金手段の高々一要素でしかない、というのを念頭において行動するところからがスタートだと思います。
少々お頭が残念で世間知らずだが人柄は純粋な(普通に就活してもブラック企業を引き当てそうなタイプ)底辺で二極化してる感じ
後者のような、世間知らずに分類され悪用されやすい人こそこれらの事実を知るべきですし、もしそうなら今からでも公務員にでもなるべきなのです。
自身の身の丈すらわからない者は、悪辣な輩からひどい目に遭わされるのは仕方のないことなのです。
それでも専業の絵描きとして生きたい、という方に向けての初歩的な手引きなのです。
>>おおかた親から店を受け継いだだけのボンボンがビジネス書読んで適当フカしてるだけだろうと思う。
層があることも知らないんじゃね…
あくまでも端くれですので、ご容赦ください。
私の身の上の都合上、俗に下層と称されるべき方々とも面識があるつもりです。
そういう人々が周りにいる限り、成功するのは困難であろうことも実感済みです。(勿論、当人の人格にも言えます。)
それでも、誰かの成功のほんのきっかけになれば、という所存です。
>>この増田みたいにショボい自己啓発本の抜粋みたいなものでも ただで読めて少しの間でもみんなでコメントしあえれば たしかに割安の娯楽にはなるよな
あなたに申し上げるなら、ここに書いていることは商売における原則論です。
言ってしまえば、算数では足し算より掛け算を先に、だとか、水は100度で沸騰する、というようなことしか述べていないのです。
それを自己啓発と同等のもの、と感じてしまうのは大変危険です。
ピエロになること自体はやぶさかでないので、ご自由に取り扱ってやってください。
>>拙者ITドカタでござるが知り合いが登壇するというからクリエイター系のイベントに参加したところ名刺交換激しくその知り合いもクライアント候補に名刺凸しててOh~と思ったでござるね。。。
無能こそ公務員や自衛隊に所属すべき、というライフハックが広まっていないのは残念な話です・・・。(あまつさえそれを民衆自身が削減していること自体が無念極まりないです・・・。)
無理にとは言いませんが、あなたはそのご知り合いからだけでいいので、貢献できることがあれば引き受けてみてください。
>>言ってることはよく分かる
本来は自営業者であるのにネットでよく見る愚痴はサラリーマン労働者臭がする
自己責任とまでなじる気はありませんが、周りも自分のクソさを我慢している、という視点が欠落しているようでなりません。
扇風機ってあるだろ?
あれさ、どうして風を送るんだろうって考えないよな?
風を送るために作ったのが扇風機なんだから「どうして?」って考えるのおかしいじゃん。w
人間っているだろ?
それがさ、何で生きてるのかってのも同じなんだよ。
目的は生きてるから考える(初めから決まってなんかいない)んで、どうして生きてるのって疑問自体が間違ってるんだよ。
罪って言うだろ?
どうして罪なのかって、これも同じなんだよ。
殺す事を罪って言おう、って人間が勝手に決めたんだよ。悪いって"架空の概念"を作ったの。
順序が逆なのよ。だって戦争の時はたくさん殺したら勲章貰えるでしょ?
道具は目的のために作られたから置き換えると笑っちゃうけど、目的がない存在は状況に応じてそれを変える事ができる。そして状況は変化するので、共有する概念は不変のものではない。
不変不滅の概念なら、裁判で死刑って決まった人も殺しちゃダメじゃん。
もう一度書くね。
どうして人を殺すのが罪なのかを考えるのは間違いで、人を殺す事を罪って言う事にみんなで決めたから、そうなってる。
これが正解。
子宮内膜症で定期検診行ったらすごく大きくなってるとかでMRIとCTとって1週間後に結果聞きにきてねと言われたのに翌日に何がなんでも明日来てと病院から電話がありどうしても外せない仕事あったから明後日じゃダメですかと相談したらダメと言われ翌日の朝イチに予約をした。
この電話を切ったあと。それから翌朝診察室に入るまでの時間が一番怖かった。
だって1週間後に予約入れてるのに明日何がなんでも来いってそんなの癌じゃんね。もしくはそれ相応の病気。どっちつかずで結果が分からない状況のことをサスペンスと言うってほんまでっかTVで言ってたけどまさにそれ。電話口でいいから結果教えてほしかった。
病院行ったらやっぱり癌で卵巣がんだからもし妊娠望んでるならもっと大きい病院に紹介状書く、うちでは全摘出手術しかやってないからと伝えられた。夫婦ですごく妊娠を望んでいた訳ではなくぼんやりといつか妊娠したらいいねと思ってたんだけどこうなると絶対産みたいと思ってしまう悲しい性。紹介状を書いてもらいその場で診察予約も入れた。
病院移ってから2週間通院しあらゆる検査をしまくった。PET-CTというものも初体験した。放射線を体内に注射するとCTで癌のある箇所が光って見えるというもの。放射線が体内にめぐるのに時間がかかるので謎にラグジュアリーな個室を与えられぼんやりとしていた。自己血という自分用の輸血を予め採血するやつもやった。血が生々しくて怖かった。なんだかどれも貴重な体験だなと思った。
私は癌であるけどもまだ癌が腫瘍の中にいて周りに散らばってない境界悪性というグレーゾーン癌みたいなものだった。それでもガン保険はおりるらしい。よくドラマでガン告知を受けて泣き出すシーンあるけど私は全く実感も現実感もなくふわふわしていた。とにかく実感せねば何も出来ぬと同年代の人の卵巣ガンの闘病ブログを読み漁った。どれもその時々の気持ちが丁寧に綴られていてだんだん自分も納得した。
入院し担当医から手術説明を受け手術で起こりうるリスクを10以上説明された。麻酔科医から麻酔説明を受け麻酔で起こりうるリスクを10以上説明された。もともと血や内臓のイラスト等が苦手なので辛かった。
手術という人の体を裂くという大変な尊いお仕事で、もうリスクや合併症はしょうがないと理解してるからそれでも助かりたくて治療をお願いしてるのだから詳細な説明やイラストを見せるのはやめてほしかった。(説明する義務があるのは重々承知)血の気がひいた。
この手術の説明聞いてからの数日と手術台に乗って麻酔で意識が遠退くまでの期間が2番目に怖かった。
手術が終わって起こされたら、ああ手術中に目が覚めてしまったのかと思うくらい腹が痛かった。過呼吸みたいになってるし体はギャグ漫画のようにガタガタ震えていた。軽くパニックだった。
ガン告知から自分が癌なんだと理解するまでとても時間を要した。だからブログをたくさん読んだ。同室の患者さんがもう治療できることがなくて最後の時を家で過ごすために退院してく様に思いを馳せた。全員が仲間だと思ってた。仲間というか同志。私も一緒にこれから頑張っていこうって思ってた。術後の抗がん剤の説明も受けてたから予習もしっかりしていた。イメトレまでしていた。
でも良性だった。両親も義両親も心から喜んでくれ夫は涙を流していた。
そんな中わたしは自分だけ助かってごめんなさいという気持ちでいっぱいになってしまった。周りは重篤な患者さんばかりでその中で自分だけ喜んでいいのか分からなかった。良性なのに、だから手術の傷なんて大したことないはずなのに痛くて痛くて3日目くらいまでは泣いたり悪夢をみたり吐いたりしていた。気持ちは宙ぶらりんのまま。
退院して数日たってこれを書いてる。宙ぶらりんな気持ちを納得させるために。お腹の傷は勲章に感じる。この先ツラいことがあってもお腹の傷を見れば乗り越えられそうな気がする。
内膜症といえど再発するらしいので傷が治ったらすぐ子作りしなさいと言われた。積極的に赤ちゃん欲しいと思ってなかったけど、乗るしかないこのビッグウェーブに!って感じだ。気持ちは追いついてないけど人生を大切に生きなければと思った。
先生や看護師さんや病棟でお世話になった人達には手紙でお礼を伝えたい。
両親や夫には日々のなかで感謝を伝えていきたい。
まだ現実が肚にストンと落ちてなくてふわついてる。本当はまだ癌告知も受け入れられてないのかもしれない。でも私は癌ではなかったし手術は無事に終了した。だから心が納得してなくても現実を生きなければ。
私のエア癌体験はこれにて終了。
武蔵改二が実装されたことを聞いて久しぶりに艦これwikiを開いた。武蔵改二にはどんな新性能が組み込まれているのかと見てみるとなんと第5スロットが解放とあるではないか。なるほど、これであれば主主徹カットインと電探が両立できるだけでなく、主主徹+三式や主主カットイン+高速化までできるというのだから痒い所に手が届くような性能になったわけだ。そしてその性能を発揮する場所、イベント海域がちょうど始まっているのである。
これは復帰するしかない(私は2017秋イベまで艦これをしていた。ただ1回のイベントを除いて)と感じた。特別、武蔵が好きというわけではなかったが、あのような燃費が悪いけど高性能みたいなキャラは大好きなのだ。そして高火力な戦艦をメインで運用する遊び方や、夜戦特化の駆逐艦を愛でる遊び方や、器用貧乏な重巡軽巡を使う遊び方など様々なプレイスタイルの存在する艦これがとても好きでずっと遊んでいた。2017秋イベまでは……
ことの発端は2017春イベに由来する。当時私は忙しくてデイリーミッションも演習、遠征、工廠任務をクリアし、戦闘任務で補給艦を3隻撃沈するかしないか程度にしかできていなかった(要は特定の艦娘や装備を集中的に強化するということはできていなかった)が、イベントだけは甲種勲章をとれるように時間を割いていた。しかしどうしても時間が取れずに2017春イベだけは欠席することになってしまった。そして2017夏イベ最終海域の攻略情報を集めていると1つの情報を手に入れた。
一式戦 隼II型(64戦隊)がいなければ甲突破は不可能に近い
自分はこの装備を持っていなかった。それもそのはず。この装備は2017春イベで配布されたのだから。これは由々しき事態であった。これがなければたとえ道中を抜けたとしてもボス撃沈には相当の苦労を有するだろう。しかし自分には時間がない。攻略サイトとにらめっこして最大効率でイベントを突破しなければ完走は難しい。私は悩んだ。完走失敗のリスクを冒して甲に挑むか、堀まで見据えて乙で済ませるのかを。
結局私は乙を選んだ。主な理由としては甲でもらえる装備に魅力を感じなかったことである。そして挑んだ結果……ぬるい……ぬるすぎる。道中で数回大破撤退があったもののボスで1回も沼ることなく突破してしまった。ものたりない。自分の艦娘の力が発揮されていない。しかし甲に挑む気にはならない。なぜならある1つの装備を持っていないから。
そして次に迎えた2017秋イベ自分が苦戦して甲海域を1つずつ突破している中、周囲であの装備を用いて海域突破しているのを見て理不尽さを感じた。艦娘のレベルは多重婚するほど十分にあるのに。主砲などの主要な装備の改修もしているのに。ただ1つの装備がないだけで自分はほかの人がしていない苦労を強いられている。この気持ちは夏イベの時点で感じていたがついに私にある決断をさせた。このイベントで引退をすると。
もちろんもとはといえば春イベを欠席した私が悪い。それは間違いない。しかしそのリカバリーをさせてくれないのはいささか不親切ではないか?ゲームをさせてもらっているのだからそう言うのは傲慢だ、という人もいるかもしれない。でも復帰しやすく、新規の人が入ってきやすくするのはなんのデメリットもないはずだ。そして同じ考えにいる人は私以外にもたくさんいるはずだ。こういう表だって言わない不満を持った人々、サイレントマジョリティは確かに存在していてそれを艦これ運営は無視し続けている。
歌の題名になったりして一時期流行したサイレントマジョリティ。なんでも’はやり’にするこの風潮は嫌いだが、サイレントマジョリティを無視した結果どうなるかはニコニコ動画を見ればわかるだろう。一部の声の大きい人が満足しているからとその他大勢の――サイレントマジョリティの思っている画質の改善という修正をしなかったせいで、プレミアム会員の大幅減少に至った。艦これも今のままではこうなるだろう。艦これやニコニコだけには限らない。ガチャにまみれているソシャゲ業界だってそうだ。重課金している人の満足の声だけを聞いてほかのやめていった人の声を聴かない。実際はやめた人は声をあげていないのだからわからないのかもしれない。でも薄々気づいてはいるだろう。ガチャで強いキャラをひかねば面白くないこのビジネススタイルは長持ちしないと。
艦これ一つでこんなに風呂敷を広げるのは間違っているかもしれない。でも私はおそらくほかの大勢の人が思っていることと同じ理由で大好きなゲームをやめることになった。もうあの理不尽さを受けたくはない。だから2018冬イベには復帰できない。ああ海域突破方法を考えるだけで楽しかったあの頃に戻りたいよ……
内閣府のホームページを見ると文化勲章は「文化の発達に関し特に顕著な功績のある方」に与えられるらしいけど、いまやサブカルチャー大国として海外に広く知られている日本で、漫画家・ゲームクリエイター・アニメ制作者・ミュージシャンなどに与えられないのはおかしい。
サブカルチャーは文化ではないとでも?アホか!むしろいまの日本文化を形成してるのは大部分がサブカルチャーだっつーの!
完全にあげ損なったよね。あーミスったなあ、って内閣府は思ってるよ絶対。
手塚やら水木やら宮本やら宮崎やら高畑やら、いまからでもいいからあげればいいのに。
イギリスだとポール・マッカートニーやミック・ジャガーなどのミュージシャンにナイトの称号を与えているのに比べたら、文化勲章はなんて後進的なんだろう。
14年春からはじめた。「やったら絶対ハマる」と思っていたから敬遠していた。当時は色々炎上もしてたから、普通に関わりたくなかった。
女の子が戦う物語が好きだった。男ばかりではダメだった。乙女ゲームも商業BLも。刀なんて絶対ムリ。
だけど、なんのきっかけだったか、突然始めてしまった。最初の頃のことはあんまり覚えていない。
結局それから、ずっと甲勲章を取ってる。俗に言う呪いにかかっている。
戦果もろくに稼がず、ランカーでもない自分が甲12。先駆者たちにはほとほと頭があがらない。
別に報酬の良し悪しはどうでもいい。それがなくても、ケッコンしていなくても、改修が微妙でもクリアできることは証明されている。
出撃制限やルートによるギミック解放は、運営が忠実をなぞりたいのなら、これからもぜひこだわってほしいと思っている。
だってあんなルートギミックなんて攻略には本当に面倒なだけで、「ああこれは忠実通りの艦隊でうんぬん」なんて気がつく人はほんの一握りだ。
でもそういう面倒なところがなんか好きで、あれこれ言いながら今日まで続けてきている。
もちろん批判は相次ぐ。思い通りにいかないストレス。大破撤退。資材の確保。私もストレスの経験があるから、ひとえに無視できない。
友達で続けている人間はもうほとんどいなくなってしまった。もうこれはしょうがないことだ。
コンテンツを消費して消費して消費しまくって、枯れ木になったらオワコンと呼ぶのがいまのインターネットだと思うから。
けれど艦これはもはや、私の費やした時間のかたまりになってしまった。
スマホゲーや他のブラウザゲームが続かないのも、ブラウザの端っこでいっつも母港が開いているのも、もう当たり前になってしまった。
はあちゅう@ha_chu
童貞が「html...エッチtmlってなんかエロいですね」と言った時、私は、童貞というのは救う方法のない病気なのだと悟った。すごいね...ほんとにすごいね。
はあちゅう@ha_chu
うっかり童貞の東大、童貞なら死ぬ慶應、童貞が勲章な早稲田…というのも思いついたけど、これは燃えそうなので心に秘めておきます。
はあちゅう@ha_chu
はあちゅう@ha_chu
童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから「あのレベルより二次元のほうがいいもんね」とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると「俺に女神降臨!」っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ。
はあちゅう@ha_chu
http://twilog.org/ha_chu/search?word=%E7%AB%A5%E8%B2%9E&ao=a
売れ残り女さん…w
不特定多数が見るであろう発言をネットで公開しているのに「本人が堂々と公言している童貞はセーフ」「悪気のない発言はセクハラじゃない」と予防線を張る所もさすがだ…w
確かに「役と同じ服装」と取り繕ってもあの忌まわしき戦争を連想させるので「人殺しの服着ている」とか「軍国主義者」という誹りを受ける可能性はある以上、迂闊だったかもしれない。
……のであるが批判者側も主語が大きくなりすぎていてお話にならない、幼稚なレベルで正直失笑ものである。
(全くの余談であるが、この憲兵役の声優さんは年季の入った軍装趣味者のようで、ワンフェスでも憲兵コスプレで参加されているのを拝見した。)
憲兵という兵科自体「軍の警察」という役割を担う以上必須ということは少しでも軍隊を知っているならば分かる基礎知識であるし、自衛隊でも警務科という“ミリタリー・ポリス”を有している。
フランスでは国家憲兵隊を編成して一部の一般の警察業務を担っているし、日本軍のソレもフランスに倣った組織である。
……という点が批判者側からスッポリ抜けているので意味不明な不気味さを放っている。
逆に「いくらなんでも公式的なイベントで(忌まわしき戦争を思い出される)日本軍の兵士の恰好はどうなのか?」というところで主張を押し留めておけばある程度の賛同は得られた筈だ。
「弾圧」「横暴」というワードからナチス親衛隊(SS)と日本軍憲兵隊を結びつけるもの甚だしく不適切である。
日本軍憲兵隊の場合国軍の中の一つの組織でしかないが、SSはあくまで「ヒトラー個人に忠誠を誓う組織」だ。
そして歴史を追うごとにナチスの武装組織「突撃隊(SA)」に取って代わり、ドイツの警察機構を吸収し、国軍(国防軍)と並立する形で強力な軍隊(武装SS)が出来上がる……という具合に
際限なく国家を吸収していったのだ。
ナチス・ドイツのこうした歪さは戦後にも深く影響していて、元国防軍の将兵と元武装親衛隊の将兵の差別問題とそれに関連する武装SS将兵による復権運動
―パウル・ハウサー、クルト・マイヤー等の著名武装SS隊員らによる「我々は犯罪組織の構成員ではなく国防軍と同じ兵士だった」といった主張―に繋がるのである。
こういう歴史の顛末を知れば日本軍憲兵隊とナチス親衛隊は=で結べない筈である。
そもそも論として「欧米ではナチスのコスプレはタブー」という認識が誤りである。
日本の有名な軍装品店(エ○&グ○フなど)に行けばドイツや海外製の「ナチス時代の軍帽、軍服、勲章……etc.」が沢山売っているし、欧米で戦車や飛行機も動員して開催するほどの気合の入った
(更に全くの余談だがZ級戦争映画と名高い「パンツァー鋼鉄師団」はこうした戦争再現イベントを利用して撮影したと言われている)
日本においてもコミケでは特段規制されておらず、せいぜいイスラエル大使館を名乗る怪電話による自粛程度である→https://togetter.com/li/1047396
毎回、軍装コスプレイヤーの溜まり場に行けば必ずナチス親衛隊のコスプレ、稀にヒトラーのコスプレが居るので「ダメなコスプレ」ではない。
(どちらかといえば現行制服の自衛官や警察官の方が法律に反するので「悪」として認識されている)
当然、コスプレイベントで明白に規制されているにも関わらず、無理矢理強行する行為や何もない普通の街中でそうした軍服を着るという行為は軍装趣味者として戒められるべきであるが
特定の組織や兵科を指して「ダメなコスプレ」のレッテルを貼られる謂れはない。
……よって批判者側のヒステリックな物言いには一切賛同できない。
当然ながら日本軍憲兵隊の行い、ましてやナチスの悪行を一切肯定するつもりもないが、だからと言って「○○の行為はダメだ悪い」と声高に激高し監督や作品自体を誹謗中傷する行為を取ること自体思考停止の産物であり