はてなキーワード: 過ちては改むるに憚ること勿れとは
推測だけど。
約1000というのは、ギリギリ2000に達していないだけで、1800とか1900とかそういうオーダーなんだと思う。
自分が官僚だとして、嘘でないと強弁出来て、数を少なく見せたいと考えたら、そういう報告をすると思う。
直近にも総理の答弁で、大多数がニューオータニに泊まった、と言って後で突っ込まれた件があったが、あれも「大多数」とか言っている時点で怪しいと思っていた。
2015年に「(そういう)憲法学者がたくさん居る」、と言って結局2-3人しか上げられなかったことがあったが、そういう基本的な語に対する共通認識を誤魔化すメソッドが蔓延するようになってしまった。
過ちては改むるに憚ること勿れ。私もそういう人間になりたい。
プロデューサーの皆様におかれましては、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、第8回シンデレラガール総選挙がこのたび盛況のうちに終わりました。
悲願を達成した方、無念に涙を飲んだ方、結果に安堵した方、そもそも参加をしなかった方、いろんな方がいらっしゃると思います。
その総選挙が終わって今、Twitterではこんなことを言う人たちがいます。
「白黒圏外で飯がうまい」
「白黒圏外ざまあ」
なんでこんなことを言うんでしょうか。アイドルを貶すことは許されないことです。これを見た人が悲しい思いをする言葉です。人を傷つける言葉です。
でも、この言葉を口にする人たちの心に、私は理解を示してしまうのです。
白雪千夜と黒埼ちとせがデレステに声と曲を携えて実装された当時、嘆き悲しむ人らの声であふれていたとき、
「慈善事業じゃないんだから需要がない声なしの不人気アイドルより新アイドルを推すのは当然」
こんなことを言っていた人がたくさんいました。私はこういう人たちの言葉を忘れられません。
私は常に心を痛めてきました。苦しみ、嘆き、悲しみ、痛みを抱く人たちに、心ない言葉を投げかける人たちに心を痛めてきました。
だから、言われて傷つくようなことを言ってた人やそれを止めようともしなかった人たちが同じ言葉で傷つけられて怒っていてもなんと申しますか、言い方は悪いですが「自業自得」ではないかと。そう思ってしまったのです。
アイドルマスターシンデレラガールズには190人のアイドルがいます。190人のアイドル全員が誰かに愛されているんです。全員がかけがえのない、何者にも代えられない存在なんです。
それを忘れて誰かを傷つけてしまった人たちが同じ言葉で傷つけられて怒るのは些か見るに堪えません。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と。
それに怒りを覚えたなら「人の振り見て我が振り直せ」です。
自分が言われる立場になってようやく気付くのは遅いですけど、遅すぎるということはないです。
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」
「過ちては改むるに憚ること勿れ」と言うでしょう。
私は手のひらを返しを大いに認めます。むしろ、間違いを改めることは積極的に行うべきです。
その過ちを直すことに遅いということはないんです。
そして、その過ちを直さないということはそれこそが過ちなのです。
良い教材だと思いませんか。白雪千夜と黒埼ちとせが圏外だったからと喜び、貶す様を見てあなたたちが思ったことこそが、あなたたちがかつて犯した過ちなんです。
改めましょう。徳の道です。仁の道です。
人が人らしく生きるための道です。
「仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし」
「夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達せしむ」
「巧言令色鮮し仁」
「仁者のみがよく人を好み、よく人を悪む」
徳の一つ、孔子が説く最高の徳である仁は人間の生き方の指針として、非常に大事な物だと私は思います。
人を思いやる気持ち。人の心に寄り添う思考。人を大切にする心。真心からの優しさ。真摯に人と向き合う誠実さ。それが仁です。
他人の心を気遣った振る舞いをみんなができていれば、こんなことにはならなかったんです。
悲しむ人たちの心に寄り添えなかった人たちの心に、寄り添えるはずがないではないですか。
人の悲しみを嘲笑った誰かたちの言葉が、ほかの人たちの口を借りてまた反響しているのが今です。
改めるに遅すぎるということはないです。少なくとも、言葉に怒るのではなく、同じ言葉をもう二度と口にしないと誓った方が、まだマシです。
「傷つけたなら傷つけられても怒るな、我慢しろ」と言いたいわけではありません。
「こんなことを言われると傷つくなら、もう他人にも言わない」とそう思ってほしいのです。
人を大切にする気持ちが欠けてしまえば、きっとその口から発せられた心ない言葉は誰かの口からまたあなたに向けて発せられます。
誠実に、真面目に、人の心に寄り添うことを忘れずに生きる。それが大事なんです。
私が言いたいのはそれなんです。
傷つきたくないなら、なんで人を傷つけてしまったんですか。最初から人の心に寄り添っていればよかったのに。そう思ってしまいます。
さて、今までは孔子の言葉ばかりを引用してきましたが、最後に、私の好きなカントの言葉を記させていただきます。
「人格のうちにある人間性を単に手段としてのみならず、常に同時に目的として扱いなさい」
人と人との関係性の中で、過不足なく重要なことを言い表した素晴らしい言葉ではないかと私は思います。できればこの言葉を覚えておいていただけると幸いです。
きっと、誰かを道具にして誰かを叩いたり、マウントを取ったり、そういうことをしている人がいると思います。
この界隈の中に限った話ではありません。人生の中で、人を大切に思う心を持って人と向き合ってほしい。私はそう願っています。
ここまでいろいろ言ってきました。賢しらに聖人君子ぶって正義を気取ったいけ好かない奴の説教臭く聞くに堪えない負け犬の遠吠えだと思ったのではありませんか。
正解です。大したことじゃないです。耳を傾ける必要はありません。価値観は人それぞれなので、この文章で語ったすべてを気にする必要も考える必要も受け入れる必要も改める必要もないと思います。
自由にしてください。