はてなキーワード: オリジナリティとは
清志郎は、日本ロック史に刻まれる稀有な才能の持ち主だったと思うが「カバーズ」等で披露したプロテストシンガーとしての側面は、生前から過大評価されていたように思う。
押しつけがましくない率直な言葉やユーモラスな隠喩を紡いで作ったラブソングや、他のソングライターが見逃してきた日常の一断面を切りとる視点こそが、彼の真骨頂であった。
それに比して反原発ソングは直接的な表現が多く、かつ国家権力や巨大組織によって庶民が騙されているという
有りがちなサヨク的なものであって、あまり清志郎ならではのオリジナリティの感じられるものではなかった。
“たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしてもほんの少しバレてる、その黒い腹(中略)だまされちゃいけねぇ ”※ラブミーテンダー
“原子力は要らねえ 危ねえ 欲しくない”※サマータイムブルース
「髪の毛が抜ける」「汚染地域の牛乳は危険」といった、過度に不安を煽り立てる歌詞は、チェルノブイリ住民に対する配慮は微塵も感じられず
国内での事故で同様の表現で歌を作っていたら風評被害を巻き起こしていたたろうと想定される。
カバーズの歌詞は、今ではその多くが科学的根拠を欠いた陰謀史観で作られたものとしてされている広瀬隆の著作の影響が強かったとされる。
もし清志郎が生きていたら、311以後日本を席巻した、怪しげな反原発運動に加担した可能性は否定できない。
トデス◯自体については言及をしない。
ブコメやその他ひとことで、
「いい話だ」
「いい話っぽい」
って簡単に良く言ってるヤツ、すげぇ、ダセェと思う。
的外れすぎる。
いや、いわゆる「いい話」じゃない話に敢えてそう言ってるのは分かるのよ?そんくらいは。
フリが全然効いてないのに堂本剛みたいな「オレおもろいでしょ」ってな顔で、
しょうもないジャブ出してジャニーズ的しょうもない笑いを鵜呑みにしてるが如しい。
例はこれだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000011-kobenext-l28
そういうの、よくないよ!
「ビートルズってオリジナリティあってすごく良いんだよね〜」ってしたり顔で言うぐらい
高卒のオレでも重んじてるんだからお前らには余裕だろ、この野郎。
「オレ、俳句読むの趣味なんだよね」って言いながら季重ねしまくるぐらい傍ら痛いわ。
なぁ、正直に言えよ?「僕はうまいこと言えません」ってよぉ?
誤魔化すなよ、なぁ?つまんない自分を誤魔化すなよ?
「いい話」なんて高等なひとことを言えるのはよーく訓練を積んだ、
つまり、えの素みたいなシュールギャグの基礎をちゃんと押さえたやつだけなんだよ。
1位 モンちゃん
『ザワールドイズマイン』の主人公。 原始人みたいな動きと考え方で、大量殺人や大量爆破、警察署乗っ取り等等やらかす。
2位 タッソオ
モテまくり、才能認められまくりなのに、猜疑心から冷静さを失い問題行動を起こしまくり、どう考えても損なんだけど破滅に向かって突き進む。
現実が信じられなくなってくるっていく様子が非常に分かるし、また行動の破滅っぷりもカタルシスが素晴らしい。そして本人にはまったく悪気が無いところも評価が高い。
3位 バキ
イケメンっぽい雰囲気だけどイケメンではない。一本筋が通ってる生き方のようで理屈がことごとくずれてる。
最初のころはこの漫画に影響されて炭酸抜きコーラを飲んだりしたんだけど、主人公がだんだん頭おかしくなって、カマキリ出たあたりでどうしたんだろ、、、と心配になったのもいい思い出。
4位 黒須太一
障碍者に優しいのは、障碍者の気持ちがわかるから。というような雰囲気だけど、じっさいは周りに合わせられる自分を作ることで人間性を取り戻そうとする。という異常性が面白い。
やさしいようでいて、まったく優しくないという人間の業レベルでの深い人間性と教養を感じる語り口が素晴らしい。
同ゲームの支倉曜子も素晴らしいってか、このゲームは全部キャラ素晴らしかった。
5位 エディーブラボー
実在の人物なのでキャラではないかもしれないが。格闘技の寝技における革命を起こした。
柔術をやったことが無い人に魅力を伝えるのは難しいが、「コブラツイストを実践レベルにまで仕上げた」「レスリングと柔術を巧くミックスした」等等数え上げればキリがないが、どうしてそんなこと思いついたんだ?という長大かつオリジナリティ満載のワザ体系がすばらしい。しかも、完全に基本的な柔術とはズレタワザ体系であるために身に着けるのが結構難しいし、体の柔らかさが求められる。
人間の意識に反した体の動きをする技術体系なため、見ていてひきこまれる。 どうやったらこんなことを思いつくのか非常に不思議でそこに魅力を感じる。
世の中のMMOの方がよっぽどキモいと思うのは自分だけだろうか。
MMOというのは要するに、半年で最低1000時間以上はやり込む廃人達が、ユーザの中心的人物として居座り俺TUEEEEしまくるゲームであって、運営はそれを止めるどころか、そういう上客の意見ばかり取り入れてアップデートを繰り返すという流れが常態化しているわけで(まあお得意様を贔屓するのは当たり前だけど)。
というか廃人と普通のプレイヤーとの格差が生まれない、あるいは生まれにくいゲームなんて聞いたことがない。
それに比べたら艦これはほぼオフゲに近いし、ブラゲやソシャゲとしても他のユーザとの競争を煽られないというオリジナリティもあるし、そこら辺のMMOなんかより遙かに良くできてると思うのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
ゼミの人数が多い問題や、レポートの採点を学生がやってるのはマンモス大学なら普通だと思う。
自分の大学では学生が採点するにしても基準があったし、出席カードをかねたレポート用紙に書くことが多かったからコピペはしにくくなっていた。
ラーメンの下りはさも悪いことのように書いてるけど、学部生や修士の研究のオリジナリティなんてそんなもんじゃないか?
そしてそれでトップジャーナル以外は査読も通ってた。問題設定のために先行事例をレビューするのは当然で、
自分の言葉でパラフレーズされてる限りそれはパクリとは言わないと思うんだが。レビューするために先行事例をかき集めるのだって大変だし、
そこから問題設定をするのは自分で考えるしかないことだと思う。本当に「コピペ」だったのだろうか?
あと自分の大学では学部と修士以上は明らかに指導のレベルが違った。学部のゼミは超適当な先生も、修士はがんがん留年させていた。
脳筋って実はそこまで悪くないって思った。
心技体っていうけど。
何らかのワザを磨いていくわけじゃん。
何らかのワザを使うのに適した身体、筋肉、神経を身に着けるわけで、逆に言えば要らない部分をそぎ落とすわけだ。
それぞれの人が体つきや選ぶワザが違うわけで、ってことは、それぞれ目的に合わせたからだ作りってのもまた違うわけ。
で、そうやって作られたからだってのは、『考えて動く』っていう段階は練習でとっくに終わってて『考えるより先に動く』レベルじゃないと使えない。
っていうか、そういうレベルまで鍛えるからこそ、『相手が想定できない動き、俺と戦わないと一生出会うことが無い動き』となって、その部分の優位性でオリジナリティになる。
これが、戦略とか戦術をその場であれこれ考えだすとそういう動きはできない。
だから、考えるとか戦略はコーチなりにお願いして、自分はひたすら動きだけ作る。
考えるとか、そういうのは練習のなりでは大切だけど、実戦では不必要。
これを極限まで追い込むと脳筋になるw
「他人と違う能力」って、そういうことだろ?
筋肉とは違うけどさ、技術なりスキルなり考え方なりって専門化して個々人んが扱いやすいようにオリジナリティになっていって。
みんな違ってみんないいっていうか。
やってる技術やワザの名前は同じかもしれないけど、使うからだや筋肉や脳の構造はそれぞれ千差万別やん。
そういう風になるのって別に悪くないよなあって思うわ。
「技術練習」
「基礎体力を作るダッシュやサーキットトレーニング(仕事なら、ある程度毎日集中してスタミナつけるとかか?)」
う~ん、違うかなあ。
増田は、神話にまで遡る気か。海外の言語の全てまで訴求するつもりか。日本語だけで考えるなよ。
世の中の物語の全ては既出である可能性を含んでいる。完全なオリジナルは難しい。そもそも AIという概念そのものが借り物だ。
大切なことは既出かどうか?じゃない。素材をどう料理して、どういう物語にしたか?だ。アレンジが重要。そして原作があるなら原作へのオマージュ。創作なら創作としてのオリジナリティ。
このオリジナリティーというのは完全に他に類似しないという意味じゃない。
既存の文化を噛み砕いて、自分なりに解釈した部分を付け加えられて、自分なりの世界観になったかどうか?だ。
パクリっていうのは、既存の文化を噛み砕かず、勝手な解釈をして、自分勝手に付け加えて、元の文化を台無しにしたものといってもいい。
もしくは、そのまま流用だな。
変な話だがたとえば登場人物の男性と女性を逆にしただけ、というのは、噛み砕いてないし、解釈を付け加えてないからパクリだな。
東京以外で生まれたかどうかというのもあるけど、そんなこと言い始めたら体外の文化は海外の文化も受け継いでいるし、完全な日本オリヂナルの文化で一切海外の影響を受けていないものなんて探すほうが難しいだろ。
いい例では江戸切子だけど。きちんと東京風味が加味されて東京の文化になってかつ生き残って洗練されたじゃん。
文化というのはだいたい職人が生み出すもので、いわゆる電通的なものが生み出した流行とは一緒にはできない
流行はパクリかもしれないが、文化はオリジナリティが加味されてる。文化の発信地が必ずしも東京とは限らないが、人口が多い分職人も多いからな。東京発であることも多いだろ。確率論的な問題だ。
俺は虚構新聞。小学校の塾講師をやる傍ら、人気ジョークサイトをひとりで作り上げた。
ツイッターでも人気がある。なぜなら人気ジョークサイトをひとりで作り上げたからだ。
俺はロックでパンキッシュだから、天下の朝日新聞すらネタにする。
歴史ある新聞社が、新聞社そのものをパロディにしたサイトを逆取材して来た。これはついに、ユーモアが事実に勝利した日だと認識していいよな?
まあそんなちょっとした自慢は置いておいて、今日は何よりもユニセフの話だ。
俺はお前ら無責任ひきこもりニートと違って、炎上で儲けた広告費をフィリピン大地震に募金するイカした塾講師だから、まず間違いなく俺は正義だ。これで誰も俺を叩けやしない。
ちなみに西村ひろゆきとかいう小物もユニセフと揉めて赤十字に寄付したらしいが、要はアレは俺のパクリだ。
まあそんなこんなでオリジナリティ溢れるジョークセンスを世間に振りまいている俺だが、そんな俺にも困ったことがある。
それはユーモア欠乏症のお前らが、この俺様のイカした人気サイト、「虚構新聞」をまるで理解しやがらないことだ。
モンティパイソンにも通ずる風刺の感覚を持っている俺だが、新聞社が大手を振るって歩くこの時代、なかなかどうしてこれを面白がってくれる奴がいない。まったく、どいつもこいつも新聞社を信用しすぎなんじゃねえか? ミスインターナショナル吉松育美さんの脅迫事件も全然報道しやがらねえし、どうなってんだよ。
ただ言っておくが、俺はツイッターでは大人気だからな? ファンも多い。
俺の風刺の感覚を、ちゃんと分かってくれてるんだよな。モンティパイソンにも通ずるこの感覚をな。
あ、そうそう。ちなみに「kyoko-np.net」っていう虚構新聞のアドレスは、京都新聞の公式サイト、「www.kyoto-np.co.jp/」からパクった。あ、「パロディ」って言わないと誤解を生むかな?(笑)。
まあ言っても、面白いと感じる感覚は人それぞれだから仕方ない。ただ俺はモンティパイソンを通って来た人間だということだけは改めて言っておくがな。
最近もichidaっていう、うちのサイトで連載をしてる漫画家と会って来た。
こいつは俺と違って普通に面白い。虚構新聞にも四コマが載ってるから、ぜひ彼に仕事を与えてあげてくれよな。まあ俺は塾講師との二足のわらじでなかなか忙しいんだが(笑)。最近は人気の副作用でいろいろと仕事を貰えるようになって来た。漫画のレビューもやってるが、本当はもっと飛躍してバンジージャンプなんてやってみたいんだよな。テレビに出て、生徒に虚構新聞だってバレるのも時間の問題かな?(笑)
そうそう、そのイカした漫画家ichidaと会ったときも、俺は人当たりのいいジョークで場を和ませた。まあもっとも俺は関西人だから、元からそういうのは得意なんだが(笑)。
しかし、最近はどうも俺に恥をかかせたがる奴が多い。俺は天下の虚構新聞だぜ? フィリピン大地震にも寄付したし、塾講師と二足のわらじを履いて日々の生活を成立させてる関西人だ。そしてなんといってもモンティパイソンが好きだ。
まあ、恥をかかせる奴が多いと言っても、俺自身はいくらでもネタにしてもらって構わない。中にはちょっと批判されるとすぐツイッターで言い訳する奴もいるが、ああいうのは正直言ってダサいな。相手の捉え方がおかしいとか言って正論を吐き続けたりするが、そんなことしてる暇があったらフィリピン大地震に募金しろってんだよ。いやマジで。
ちょっとでも批判されるとすぐにアツくなって「俺は恥をかいてないぜ」って理論武装しやがるけどさ、いやいや、そこでマジレスしてる場合かよ。アンチこそがネタの大資源だろうが。南海キャンディーズの山ちゃんを見習えってんだよな。このままじゃ、俺とあいつは日本の石油王になっちまうぜ?
だからさ、自虐ができてこそのジョーク使いだってことを、お前らにもちゃんと分かっといてほしいんだよな。モンティパイソンだってそうだったはずなんだよ。
まあ長くなったので今日はここでそろそろ終わりにするが、これからも俺の運営する神聖なるジョークサイト、「虚構新聞」をよろしく頼むな。もっとも最近は、ボーガスニュースがアラブ人にハッキングされてんのが一番面白かったが。これにはさすがに嫉妬した。うちも対抗して本当のニュース載せてみようか?(笑)
あ、そうそう。言い忘れてたけど、ついでに言うと俺はサザエbotも運営している。
どうだ、この多才っぷりに参ったか?
よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコムわ
なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。
オレが言ったんじゃないぞ
opiegro32
太田はネタとかじゃなくて本当に腐ってるから「太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04
太田克史さんってのは、偉大な人だよ。
というネタで飲んでたのが発端で、
この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。
んでだ、ハタと思い至った。
これは、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、クローズド・サークル全てが含まれているのではないかと。
結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略
だれが、こんなことをしたのか。
ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。
んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、
一回ここをハッキリさせとこう。
はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。
盗作の定義ってのは曖昧で、そもそもアイデアは法律の保護対象にはならん。
具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。
映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、
もうコレは相当に厳しい。
パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると
「俺のパクったって言えば許してやるよ」
という事になる。
盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。
これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。
自尊心の問題なのよね。
俺を無視するな、と。
そこで、どういう落とし所があり得るか。
ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。
さてここで一つの問題が見えてくる。
星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP。
さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!
と、いう状況下で、メフィストでデビューしといて他社に移籍した作家のプライドを満たすために何かをするか?
いかにして、それがなされたのか。
コレも俺が言ったんじゃないぞ
brainparasite
さて、高校生で名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。
普通の高校?そりゃ担任がボディーガードなら無くはないだろう。
ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。
というか、高校ってのは中等教育機関だから、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。
つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、
明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、
教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。
慶應義塾を福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級の教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。
閑話休題。
つまりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。
古野まほろや太田克史の出身校とか考えると、このへんは興味深いね!
実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。
設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。
うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。
絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?
なにゆえに、それがおこなわれたのか。
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
いやー、そうね。
見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。
ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。
高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。
クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。
想像して欲しい。
大日本帝国って名前の世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルのラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、
いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館でジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、
絵面で観た時に、似ているだろうか?
つまり、星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、
というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。
完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題を適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。
判り難かったらこう言い直せばマンガやラノベに詳しくない連中にも伝わるか。
この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。
勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?
(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)
星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。
ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。
んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。
ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。
するってぇとだ、
新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。
別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。
じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば
言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。
ここは、ひらかれていない。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
はたしてそうだろうか。
中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバル 〜Logic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。
古野まほろのデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。
そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー
って、真顔で言えるだろうか。
そして、そんな作品がぽっと現れた時に、
太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者が果たしているであろうか?
すべては、めいはくでは、ない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
そーねー
登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。
「犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。
しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、
に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士に相談した結果じゃねぇだろう。
誰が、どのように、何のために、「新本格」推理小説を出版したのかを考えると、
先日ネット上にて、星海社から発売された『ロジック・ロック・フェスティバル』が古野まほろの『天帝のはしたなき果実』の盗作であるという疑惑が生じ話題となった。
そして、その『ロジック・ロック・フェスティバル』が本日、晴れて全文公開された。
http://sai-zen-sen.jp/awards/logic-lock-festival/
そういうわけで今日は本作が本当に盗作であるかというかのを考えていきたいのだが、その前提として知っておかなければならない事実として、「盗作」とは何かということである。
ここで日本で盗作について一番詳しく書いている栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』から一部引用させていただこう。
本文に先立ち、何を「盗作」と呼んでいるかをはっきりさせておく必要があるだろう。
「盗作」にしろ「剽窃」にしろ、いずれも俗語だから、明確な定義は持っていない。
したがって、「盗作」であるか否かを区別する客観的基準というものも――明白な著作権侵害である場合を除いて――存在しない(中略)「影響」も「模倣」と捉えれば、広義には「盗作」と呼べないこともない。
つまり何かが盗作であると断ずるには、著作権侵害レベルの一致がない限り難しいのである。そして、肝心の版元である星海社は盗作の件について
と、はっきりと否定。また、盗作された側である古野まほろもtwitterで
本歌取りは日本の伝統、本格の伝統です。だから、もし本歌取りを「盗作」などと貶めるなら、それはとんでもない侮辱で冤罪です。私は、元の和歌が分かるマナーのある本歌取りなら、むしろ嬉しく思います。逆なら悲しい。私は、話もせず真実も知らず、人を断罪することは、不正義だと考えます(古野)
と言っており、両者の意見が「盗作ではない」と一致しており、晴れて『ロジック・ロック・フェスティバル』が盗作ではないことが確定したのである。パチパチパチ。
しかし、それでは面白くない両者の意見をよく較べてみると、あらゆる面で一致しているわけではない。
古野側は
ですから「類似点が多い」のはどうしてか。そして、これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。「盗作」は考えにくいから。もし本格の後継者でいらっしゃるのなら、古野とは仲間だから(島津)
という具合に、盗作とは言わないが、こんだけ類似点が多いのは偶然で済ませられないだろと主張しているのに対し、星海社側はあくまで、
本作『ロジック・ロック・フェスティバル』においては小説を構成する主要素であるところのテーマ・プロット・キャラクターにおいて、先行作品との「盗作」に該当する類似点は一切ございません。
と類似点なんてねーよと全ツッパ。
ここで難しいのは、先ほども書いたように、「盗作」というものの定義がはっきりしていないため、星海社のいう『「盗作」に該当する類似点』というものがどういったものかわからないのである。
どこまでが、『「盗作」に該当しない類似点」であり、どこからが『「盗作」に該当する類似点』というのを言ってくれないと判断に困る。
しかし、言ってくれないものは仕方ないので、こちらで勝手に検証していく。
さて、ではここで問題となっている両作品の類似点とはどういったものなのか。
まず、読者の印象に大きく残る点として、全体のストーリーの流れが挙げられるだろう。
・天帝のはしたなき果実
↓
事件が発覚すると大会が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
↓
↓
↓
事件が発覚すると文化祭が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
↓
↓
2chからのコピペだが、両者を読み比べた自分から見ても、この通りの展開が書かれていたし、印象もだいぶ似ていた。
これに対して星海社は、
たとえば本作『ロジック・ロック・フェスティバル』にてテーマとなっている「学園での殺人事件」につきましてはミステリーを描く上では一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、ご承知の通り、先行作品を枚挙することに暇はありません。また、文化祭で殺人が起こり、その発覚によって学園祭が中止してしまうことを恐れて生徒達が独自に行動する、という本作のプロットには先行作品としてはたとえば『前夜祭』(角川書店刊/芦辺拓・西澤保彦・伊井圭、柴田よしき、愛川晶、北森鴻氏らによるリレー小説)の存在を指摘することができると思いますが、こちらの作品に関しても前段となる殺人の状況と、後段となる推理と解決へと至るプロットには、本作との密接な類似点を見出すことはできません。
そして、「特殊な場所への警察権力の介入を防ぐために居合わせた人間が素人探偵となって活躍する」といった本作のプロットに関してはたとえば『水の迷宮』(光文社刊/石持浅海)などの優れた先行作品を指摘することができると思いますが、こういったプロットに関してもまたミステリー界においては極めてポピュラーなものであると言えるでしょう。 キャラクターに関しても、学園の生徒会やその周辺の個性にあふれた生徒たちが登場し、事件を解決するのはいわゆる「学園ミステリー」ものの常であります。
この理屈がありならば、「少年漫画において、探偵が主人公というのは一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、大人だった主人公が子供になるという設定も手塚治虫の『ふしぎなメルモ』など枚挙に暇がなく、また主人公が知り合いの博士におもしろグッズを作ってもらうのも、偽名に古今東西の有名人の名前を使うのも決して珍しいケースではないので、本作『名探偵ドイル』は完全なオリジナル作品なのです!」などという無茶苦茶な理屈もありになってしまう。
問題となっているのは、別個であるはずの2つの作品でこれだけ似通った要素が複数に渡って存在してる点なのに、それを因数分解のようにバラバラにして、よくあるケースだと主張するのはいささか無理がある。
もっともミステリなんてのは、『名探偵、皆を集めて「さて…」と言い』という言葉があるぐらい、ある種の流れが決まっているジャンルだし、このぐらいのストーリーの類似はよくあることかもしれない。だがそれ以外でも古野側が、
私はこれまで徹底して、著者の方の名誉と将来のため、具体的指摘を避けていました。また性善説に基づき、盗作説を断固否定した上で、類似点の多さを悲しみました。それすら非のない方への中傷と言われれば、非は私にあることになる。ならば、相当数あるうちの1つだけ、まずお示ししましょう(古野)
鷹松学園と勁草館高校。学校の設定を比較対照してみて下さい。 やや時間を置いた上で、その具体的指摘も行います。 できればこれに止めたいですが、私に非があるとされている間は、二の矢三の矢を射ちます。極めて不本意です。私はこの段階でも、平和裡に解決することを強く、強く希望します(古野)
と主張しているように設定面においても、両校の舞台が「藩校を前身とする名門校であり、地下に軍事施設がある」という一致を見せている。
普通、ここまでの一致はなかなか見られまい。
また『ロジック・ロック・フェスティバル』の応募時キャッチコピーが「学園ミステリーは青春に捧げる供物である」というものだったのに対し、『天帝のはしたなき果実』に対する、ミステリ作家・有栖川有栖氏の推薦文が「これこそ、虚無なる青春への供物。真正の本格にして破格のミステリ」となかなかどうして似通っている。
それ以外にも両作品の最後の一文も綺麗に対称関係となっている。
このまま順調にいけば、古野によって二の矢三の矢が射たれるはずなので、今後の展開を楽しみにしておきたい。
ただ、個人的な意見を言わせてもらえば、『ロジック・ロック・フェスティバル』において、軍事施設の設定は必ずしも必要なものではなく別の設定でも代替可能だったはずである。だから、もし作者に本当に盗作をする気があるならば、こうした部分は真っ先に変更したはずである。それにもかかわらず、このような明白な形で残っているのだから、この一致は作者によるオマージュやリスペクトの一種とみなした方がいいだろう。
しかし、オマージュであれ、リスペクトであれ、このような類似点が多数ある以上、星海社側の「完全な事実無根」や「なぜ火のないところに煙の立つような今回の「盗作」疑惑が起こってしまったのか」という発言はいささか苦しい。少なくとも根や葉や火種はあったわけなのだから。
『ロジック・ロック・フェスティバル』のあとがきによれば、本作は作者が初めて書いた小説らしい。
その点を考えれば、こうした部分はむしろ若気の至りや遊び心と言えるし、前途ある新人に対して執拗に非難するべきではあるまい。
本作を受賞させるにあたって、星海社の太田副社長は座談会でこのようなことを言っている。
この人、ミステリーの手つきが本当にいいわけ。小ネタから大ネタまで、80点以上のミステリーが次々とやってくるって感じ。飲茶のおいしい料理が次々やってくる感じなわけね。しかもなおかつ、法月綸太郎的、佐藤友哉的な青春の痛みがしっかりとあるのよ。だけど生々しく「法月綸太郎が」とか「佐藤友哉が」みたいな感じでは出さないようにしてるんですね。
また、さらにこのようなことも言っている。
うん、この人は新本格ミステリーの正統後継者だと思うよ。あの世にいる宇山さんにも読ませたいよね。そういう意味で言うと、「ありそうでなかった」っていう感じがする作品なんだよね。新本格はその誕生以来ずっと奇形化が進んでいったわけだけど、正統的な先祖返りというか……この人の作品は音楽で言うと「黒いジョン・レノン」と呼ばれたデビュー当時のレニー・クラヴィッツみたいな感じなんだよね。あるいは、とかくビートルズと対比されたデビュー当時のオアシスとか。とにかく、これまでにありそうでなかった青春ミステリーの最前線、みたいなわくわくする感じがこの作品にはあるような気がするんです。
ここで太田が読ませたいと言っている、宇山氏が生前最後に送り出した作家・古野まほろをまたしてもガン無視である。「ありそうでなかった」人扱いである。まほろの存在が歴史から抹消されている。預言書が燃やされたのだろうか?
それとも『天帝のはしたなき果実』の文庫版が講談社からではなく、幻冬舎から出ていることと何か関係しているのだろうか?
そして受賞作の発売に寄せてこのようなことも言っている。
……というわけでぜひみなさん、『ロジック・ロック・フェスティバル』を読んでください。綾辻行人さんや法月綸太郎さん、有栖川有栖さんたち、かつての「新本格」推理小説ムーブメントは終わっていなかった、それが見事に証明される一作です。学園祭の密室の妙に酔いな……!
そりゃまほろも怒る。
明らかに古野まほろの影響を受けている作品に対して、他の作家の名前をガンガン引き合いに出してるのに、肝心のまほろを無視しているんだからそりゃ激おこにもなるだろう。
この場合考えられるケースは4つ。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
ただ、やっぱり上に挙げた類似点を考えれば、作者が古野まほろを全く知らなかったというのだけは考えられない。
そして星海社は普段から新人賞の選考においてオリジナリティを重要視しており、以前の座談会ではこのようなことを言っている。
次は岡村さんが担当した『MV ―Meteddo Vevaea―』。これは高校生?
そうですね、高校生でこの枚数書けるのは素直にすごいです。
何枚くらい?
400枚以上ありました。
おお、それは確かに頑張ったね。
ただ、肝心の内容がまんま『IS〈インフィニット・ストラトス〉』なんですよね……。
タイトルもそれっぽい!
岡村さんもさらっときついことを言うようになってきたねえ(笑)。
いやいや、でも本当にそうなんですよ。架空の兵器があって、それを使える男性は主人公だけ……という設定で、何から何まで『IS』を連想させてしまう内容でした。これをそのまま出版したら、ちょっとタダではすまないだろう、と(笑)。
大変なことになりそう(笑)。
似た例は僕のところにもあって、『コトホギ』ってのがそうなんですけど。
コトホギ……?
柿内
タイトルが既に不穏だなあ。
これ、舞台は大正二十年、帝都。女の子が悪魔に襲われているところに、書生姿の男が助けに入り……と、ほとんど『葛葉(くずのは)ライドウ』です(笑)。
一同
まんまじゃん!
電波塔がうんたらとか、もうほとんど二次創作でした(笑)。これでライドウを連想しない人はいないだろうと。
まだあんのかよ! いい加減にしてくれよ(笑)。
主人公が着物姿で武器は刀……式の性別を男にしただけ、まんま『空の境界』!
冒頭1ページ読んだだけでそれと分かる感じでしたね……。
よく星海社にこれを送ってきたな、という。度胸はあるのかもしれませんけど、酷い!
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
だが、だとしたら『天帝のはしたなき果実』を連想させてしまう『ロジック・ロック・フェスティバル』を受賞させたのは失敗ではなかっただろうか?
普段の座談会で大上段から応募作を切り捨てているからこそ、受賞作にはそれ相応のクオリティが求められる。さらに帯に『まだあった「新本格」推理小説! 全ミステリファン注目の新人登場』なんて書いたらハードルの高さはそりゃもうウナギ登りでよっぽどの脚力が無い限り、足を引っ掛けて転倒は免れまい。
先程も書いたように、『ロジック・ロック・フェスティバル』の作者である中村あきにとって本作は初めて書いた作品である。
そうしたまだ若き作者に対して、これほど高い下駄を履かせるのはどうなのだろうか。
少なくとも「全ミステリファン注目」というのはいささか厳しすぎる。
そういう意味では、今回『ロジック・ロック・フェスティバル』が受賞してしまったことは決して幸運などではなく、むしろ運が悪かったのかもしれない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
いや、絵柄やストーリーをパクれと言ってる訳じゃなくて。いわゆる「設定の斬新さ」っていうやつ?
漫画の賞の評価項目に、画力・構成・ストーリー…と並んでオリジナリティの欄がよくあるじゃん。
で、入賞した作品にプロの作家が「どこかで見たような設定なのが残念」とかコメント付けてるじゃん。
濃い作品を掲載するマニア向けの雑誌ならともかく、少年誌でそういう評価を見るとすごく不思議。
だってさ、少年向けだよ。「どこかで見たような設定」を知らない子どもがこの世にはたくさんいる訳よ。
そういう子に王道の熱さや面白さを教えてあげるのも少年誌の役目だと思ってたんだけど、違うのかなあ。
俺やだよ、自分の子どもがあるあるネタを共有できない子に成長するの。親子のホビーな会話が全然成り立たなそう。
まあ、そんな予定微塵もないけど。
仕事で3ヶ月ほどRuby on Railsに触れる機会があったので、色々と調べているうちにRailsでエロサイトを作るのが流行っているというのを知りました。
そこで、自分でも作ってみようかと思いました。
2番煎じなのは重々承知ですが、とにかく作ってみることが重要なのです。
今回のエントリでは、個人的にエロサイトを作成して公開するまで自分でやった方法を紹介します。
※公開後の状況なども書き込みします。
CuteClipper : http://cuteclipper.night-generations.info/
既にあるものなら新しく作る必要はないわけで、、、今回は自分の使いたい機能を作ってみました。
Xvideosの動画サイトの多くは、動画を選択すると他のサイト(ブログみたいなやつ)に飛ばされてしまい、
そのサイトで、動画のある場所を探さないといけないことが多くてめんどくさい。
自分で作るのならh300さんのように分かりやすいサイトにしたいと思いました。
たくさんの動画を観て廻るものの、本当にいいと思う動画は大体3本くらいです。(自分の場合)
なので、3本まで動画をストックする機能があるといいなと思いました。
本番環境のherokuはドメインの設定も簡単で助かりました。
rails newしてdb作成して、基本的なアプリを作成しました。
動画情報の解析のため、RailsのGemのnokogiriを使用しました。
nokogiriはhtmlなどの解析をして、情報を取得することができます。
Ruby - Nokogiriでスクレイピング - Qiita [キータ]
//localStrage.setItem("key","value"); localStorage.setItem("test","テスト"); //localStrage.getItem("key"); localStorage.getItem("test"); //"テスト"
レイアウトにはあまり時間を掛けず、bootstrapを利用しました。
twitter bootstrap railsを使ったら職が見つかり彼女も出来て背も3センチ伸びました。 - ppworks blog
タグクラウドはacts-as-taggable-onで簡単に実装できます。
ということで、ここまでで出来上がったものを本番環境にアップします。
herokuはgitでpushをするだけで簡単に本番環境にデプロイ出来ます。
とにかく動かすという目標のためにはherokuはベストチョイスです。
スピードに関しては、海外サーバという点が難点ですが、今回はjavascriptをメインにしたことで、それほど問題はありませんでした。
解析の仕方を覚えるためにもGoogle Analyticsを使用しました。
公開の準備として以下の作業をしました。
ただ、公開することを最優先にしたので、しっかり作りこんではいないです。
公開します。
今の投稿方法だとエラーが発生しやすいので修正してからじゃないとなぁ
後は、並び替えるだけなんですが、まずはカウントが貯まるまではソートも何もないので・・・
ストック回数だけじゃ物足りないので、評価をつけれるようにしたいです。
でも、たくさんの人に使ってもらえるものを作るというのは、とても大変ですね。
今回、CuteClipperを作りながら、他のWebアプリを観てきました。
そういうアプリの中で、自分のアプリを埋もれさせない努力を続けていかないといけないですね。
がんばります。というやる気がでました。
マンガ雑誌アフタヌーン紙を「好きです」と臆面なく言える人を信用できない。特に「アフタ」なんて略しちゃって悦に言っている人たちだ。
あなたはアフタヌーンが持つオシャレな部分、かっこいい部分に感化されて、そのせいでアフタヌーン好きを標榜しているにすぎないのではないか。とか思ってしまう。
冷静に考えて、「ああっ女神さまっ」と「臨死!!江古田ちゃん」とを読む層はかぶっていないないんじゃないだろうか。そのほか、アフタヌーンには様々な切り口の漫画が百家争鳴の体をなしていて、それを単純にひとまとめに好きとは簡単には言えないとおもう。それなのに、一絡げに「好きです」って、臆面なく、言っちゃう。
多分漫画をめっちゃ読んでいる人の中には、アフタヌーンが好きな人はいるだろう。しかし、そういった人は、敢えて自分から「好きです」なんて言わないと思う。別にそれをステイタスとしてアピールしない。
巷で話題になっているデザイナー費踏み倒しの問題に関連して。
絵を業務委託で請けて食ってる以上、こういうクソ客は覚悟しなきゃならないよ。
検収で合格がでなければお金が支払われないのは仕方ない。絵ってそういうものでしょJK。
話題のI氏はチンカス野郎だし絶対に一緒に仕事したくないけど、俺も20万の仕事振って、1日で描けるような雑なものが返ってきたときは払うまいと思ったよ。でももちろん、何度もやり直しはしてもらって、ある程度のところに落ち着くようこっちも努力するし、最終的には払うけど。
というかね、この件で怒っている自称クリエイティブな絵師(笑)たちは「絵で食う」ってのを誤解しないほうがいい。今はソーシャルゲームブームも相まって「たまたま」食えてる奴もいるけど、本来「手品師」とかさ、「ものまね芸人」だとかね、そういう一部の特殊な人間しかフリーで食えない世界なんだぜ。
センスもオリジナリティもない、そこらへんの二次元絵のパクリ絵でたまたまはぶりのいい会社から3万もらってしまって、「俺の絵は1枚3万なんだぜ」などと勘違いしてる専門卒の馬鹿が本当に多い。「絵の価値に対する対価」だとか「労働の対価」だとか、そんなものクライアントに求めんな。労働の時間に対する対価を求めるなら企業おかかえのデザイナーになるしかねえんだよ。漫画家見てみろよ、フリーのアニメーター見てみろよ、フリーランスってそういうもんなんだよ。働かなくても冨樫は食えるし、描きまくっても食えない奴は食えねえ。価値のはかれないものの、労働対価の一般論を求めんな。
クライアントが5000円の価値しか無いと見たらそうだし、相場なんて無いから時間単価を求めんな。値段は需要と供給で決まるんだ、中国人のデザイナーやフィリピーナのデザイナーが1000円で描けば、そういう値段にもなるだろjk。
まぁそんなフリーの絵師(笑)が勘違いするような、価格破壊を起こしたソーシャル業界には潰れて欲しいし、I氏とH氏の対談には虫唾が走ってしょうがないから、彼らにはまた別件で逮捕されてほしいと願いながらコマネチ。
そうかもしれない。ただし、その理由はそこじゃない。
男性が自分のことを話すのは「自分のことを凄いと思われたいから」と、この女性は思っているようだし、まあ女性相手だとその要素が全く無いとは言わない。女性に「すごい!」と感心してもらって不機嫌になる男性はまぁいないだろう。しかしさすがに「すごいすごい」と連呼する女性は馬鹿に見えてげんなりするし(ただし、可愛いならば馬鹿のほうがむしろ都合いい時もある)、男性の大半はそんな反応を求めているわけではないと思う。
そもそも男性は、同性相手でも自分のことを話すことが少なくない。
自分の話全般に言えるのは「直接体験し、詳細を知っている」ということだ。他人やネットから聞きかじった情報と違って、そこにあった微妙な流れまで理解しているので話を膨らましやすい。また膨らます時も、すでに自分の中にある知識だけで済んで簡単。ネットや伝聞では伝わらない情報も伝えられる。オリジナリティもある…ディテールだけだとしても。更に自分がしていることは、自分が興味を持って始め、そしてまた続いていることであり、聞き手にとってもある程度面白いかもしれない。昔やったことなら詳細を言っても迷惑がかからないだろうし、今やっていることなら臨場感をもって話せる。
つまり、自分自身の話は「話すのが簡単な割に、面白い可能性がまぁまぁある」話題であるだけのこと。だからそんなに「重く」「だるく」受け取らず、おかしければ突っ込めばいいし、詳細が分からなければ聞けばいいし、つまらなければそれとなく話題をそらすなり詳細を聞いて努力するなりすればいいし、すごいと思えばすごいと言ったらいいだけのことだ。
まぁ、女性と男性で興味を持つ点が異なるのってのもあるだろうけど、男性との会話を楽しめる女性もいる以上、この女性がしんどいのは、男の承認欲求とかどうとか、期待値がどうとかではなく、
・この男性に興味が持てない
・男性に強い警戒心を抱いている
・男性の目を気にし過ぎて、相手の話に素直な反応が出来ない
・男性を「俺の頑張りやすごさを認めろ!」的な生き物と決めつけてしまい、最初からうんざりしている
・相手の男性がまじでクソ
のどれか、あるいは複合であろう。
僕の周囲の友人も「テレビって制作費が限られてるからゴールデンの時間帯にクイズとか同じようなものが多いよね」とオリジナリティのなさを嘆いている。
でも考えたら、テレビにオリジナリティがないけどネットにはあるとは言い難い。
はてブのホッテントリにもにも「まとめブログ」が入ってくるしTwitterにも「まとめブログ」リツイートが蔓延している。
いつからか「まとめ」という言葉はネットの主流になってしまった。
ただ、まとめブログは他人の言葉を許可なく勝手にまとめたものなので個人的に嫌いではあるけど。
でも、その自由さを利用して「まとめ」が蔓延するとオリジナリティがなくなる気がする。
コンテンツのパクリを「~をまとめてみた」って言葉に置き換えているサイトもけっこうある。
テレビも視聴率を取るために事実を捻じ曲げたりしてきたけど、ネットのサイト運営者だってアクセスを集めるために事実を捻じ曲げることもある。
その点で言えば、決まりごとやペナルティが少ないネットの方が捏造しやすい地盤がある。
直接苦情があったりサイトにペナルティが課されるのであればブレーキが効くが、「誰々が言ってた」形式のまとめサイトはその責任の所在がうやむやである。
機能してるのかしてないのかわからない村人候補者ブクマ数上から10人のブックマークやtwitterを見てみた。
10000超えは6人だけ。
他、やる気あんのか。
ブクマ数:19112
お気に入り数:157
お気に入られ数:204
結婚したみたいでブログの更新は止まっているがブログではネットネタやマスコミの報道姿勢について語ってる。
ブコメも少なくtwitterも日常のことを書いていて穏やかな印象
サイト:
ブクマ数:18731
お気に入り数:227
お気に入られ数:162
サイト:
ブクマ数:15012
お気に入り数:0
お気に入られ数:123
ホッテントリを全てブックマークしている感じだが、ブクマするのが早いので新着を全てブックマークしてると言ったほうが正しいか。
まさにWebにしゃぶりついている。
ブクマ数:13066
お気に入り数:2
お気に入られ数:52
id:kanoseとid:otsuneのみをお気に入りしてて、ブックマークもネットネタが多い。
ブコメは少なめだがたまにホッテントリでスターつけられてるのを見る。
サイトははなまるマーケットの情報とウェブサービス紹介メインという意味不明なブログ。
twitter見てても温厚そうだが引き寄せの法則などスピリチュアルなものについては攻撃的な口調になってる。
サイト:
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お気に入り数:22
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サイト:
ブクマ数:12900
お気に入り数:22
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2chまとめ多め。
サイト:
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twitterはブックマークからのツイートのみでブコメはなし。
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お気に入り数:68
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ブックマークはホッテントリ多いけど、他のブックマークはオリジナリティあってなかなか面白い。
アーティスティックな村人として頑張れ。
サイト:
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お気に入り数:1
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サイト:8775
ブクマ数:
お気に入り数:0
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他にもブックマーク数上何人かみただけだが、機械のように無言でホッテントリをブックマークする人間ばかりでまともな人間が少なすぎて予想以上に書くこともなくはてなの少子高齢化深刻だと思た。
ちょっと追記
http://anond.hatelabo.jp/20120828200034
少しだけ書き足すつもりが長くなってしまった。
当初言いたかったことをより簡単にまとめていく。
彼の曲を聴いてすぐわかったのは「彼が満足に楽器を演奏できる人間ではないだろうな」ということだ。
もちろん、せいぜい彼のシンプルな自作曲くらいなら弾けるかもしれないが。
彼はおそらく生楽器ひとつだけで満足に作曲も演奏もできないだろう。
演奏の技術レベルを問いたいわけではなく、それ以前の程度で「演奏ができない」はずだ。
私はそういう作曲家がいてはいけない、などと主張するわけではない。
当初書いた通り、機械での様々な試行錯誤の果てに楽器演奏の限界を越えた表現が提示される素晴らしさがデジタルミュージックにはある。
そういう音楽がもう四半世紀以上も私たちに音楽の新しい楽しさや心地よさを提供しているのは言うまでもない。
しかし現代は、機材だけ小手先だけで何となく音楽を作ることがあまりに簡単な時代になってしまった。
「ジャンクフードみたいな音楽があっていい」とその種のファンから反論もいただいたが、それは勿論だ。
手軽に作られて気軽に聴ける音楽はいくつあってもいいと思う。なくなって欲しいなどと思わない。
(ジャンクフードと表現したのは私ではなく、そのファンである。)
ただ、楽器の演奏も満足にできないであろう彼の何が「才能も努力も一流の音楽家」なのだろうか?
そんな人間が一流の音楽家を自称して、美しい音楽を作るために試行錯誤するプロを侮辱する姿は
あまりにおこがましいし、目に余ると感じた。
薄目で見ればきっと地獄のミサワのキャラに見えてかわいいかもしれない。
尚、指摘や批判が多そうなところについて以下に補足を。
「なぜ曲を聴いただけで楽器が出来ないとわかるのか」
これは、わからない人にはずっとわからないだろうし、どれだけ説明しても納得されないかもしれない。
もし幼少の頃から楽器に親しんでるような人間があなたの近くにいたら何人か掴まえて尋ねてみるといい。
本当に耳がいい人間というのは、その曲がどの楽器を奏でて生まれたのかさえもある程度わかるし、
人の声や楽器の音がどの程度加工されているかも感じ取ることが出来る。
耳にある審美眼が優れているとでも言おうか。
編曲が凝っていて分析が難しいという事もあるにはあるが、
「小手先で何となく作られた曲」はそれと全く違うのでその判別はたやすい。
実は、耳を鍛えるためには必ずしも楽器演奏の習熟を要すというわけでもない。
私の知人にも、楽器を殆ど弾けないけれど色んな楽器の特性を熟知していてDTMで表現する耳の豊かな作曲/編曲家がいる。
豊かな耳をもつことは、音楽が作られた背景を読み解く力にそのままなる。
それは音楽にきちんと向き合っている者ならば当たり前にできるし、出来るようになることだと私は思っている。
仮に高い音がどれだけ聞こえても、何も読み解けないようでは音楽家としていい耳を持っているとは言えない。
ところで「音楽的な美しさ」や「響き」という一言であまりに乱暴に済ませた概念についても当然批判をいただいた。
わかる人には当然わかる前提で書いたので解説を目的としていないからだ。
が、これを説明し始めるとものすごく長くなるし本題から反れる。
これもまた、音楽に造詣の深い人にあなたが直接色々尋ねてみるのが一番納得できるだろうと思う。
例えばどういう音楽が美しく、どういう音楽は美しくないとされるのか。
歴史にずっと名を残しているような音楽家の作品は、素人のそれと何が違うのか。
普段どんな音楽もBGMにして垂れ流しているような人間では、おそらくうまく答えられないだろう。
では改めて、私の音楽観について述べる。
『綺麗な音色で音が鳴っているならそれが音楽だ』という人も世の中にはいるだろう。
ただそれでは同じ楽器を与えられれば誰でも音楽家になれるので私は違うと考える。
よほど素晴らしいアイディアや豊かな音楽の下地がない限り、オリジナリティのある曲は生まれない。
前回問題にした彼の曲には下地を感じさせるような音楽の豊かさがあったか?全くなかった。
音楽の下地とは、その人がどんな音楽をどのように聴いてきたかということである。
私は、音楽は目先の消費のために小手先で生まれるものではなく、
連綿と流れる歴史から蓄積された文化を、次の世代に伝えていくために生まれて
そしてまた蓄積されていくものだと考えている。
いろんな人にいろんな音楽の楽しみ方がある。どんな曲にお金を出すかもその人の自由だ。
ただ小手先で生まれ落ちたようなものは多くの人に蓄積などされず、身内にだけ持て囃されるだろう。
(これは何も音楽に限った話ではない。)
そうしたモノは、美しい作品として語る価値がないことのほうが多い。少なくともそれは一流などではない。
初めて作品に触れる人を一瞬で虜にするようなアーティストが真に一流といえる。
無知な人を小手先でそれっぽく騙すのは二流や三流、それ以下だ。
私は、小手先で生まれるような音の連なりを「美しい音楽作品」として語るべきではないと考えている。
もし楽器を弾く人なら、その人のルーツとなった音楽が蓄積されている身体の内から指先が動きだし
演奏をすることで音楽が紡がれていく。決して小手先とは違うのだ。
つまり
「その人の内に豊かな音楽が溢れていて、それを自分の形にして他人に提示できる」のが作曲ということだ。
それはDTMでも勿論可能だし、実現している人だってたくさんいる。
(デジタル環境で作曲をする前段階として、その人の内に豊かな音楽が溢れているならばの話だ。)
ただしDTMは小手先だけで簡単に「音が鳴っている状態の連続」を生み出すことも出来る。
ちょうど玩具のピアノを叩く幼児のように誰にでも出来るからだ。
私たちはデジタル機材の普及や進化によって、誰でも簡単に作曲ごっこ・音楽家ごっこできるようになった。
しかし、ルーツの豊かさを感じさせるようなオリジナリティのある音楽こそが多くの人の心を揺さぶり、
愛されて残っていくことは今後も決して変わらないだろう。