はてなキーワード: ガンバリズムとは
関係あるかどうかわからないが、今朝NHKの週間ニュース深読みでリオ・オリンピックの予算不足の話やってた。
リオのオリンピック準備予算が膨らんで、開催直前になって予算が230億円ほど足りなことがわかったんだと。
その時に出てきたスローガンが「ガンビアーハ」。あとで何とかする、という意味だそうな。
なんでもカウントダウン電光掲示板も廃止、競技施設以外の予算を削りまくってなんとかしたんだと。
なんかそれが番組で好意的に取り上げられてて、ゲストの山田まりやがイエーイって乗ってたけど、誰にしわ寄せが来るかわからないまま「何とかする」ってのはすごく怖いことなんじゃないのって思うんだよね。ラテン気質らしいとも言えるけどさ。ポジティブなガンバリズムでやり抜きました結果オーライ良かったねで済むとは思えないわけ。だってカネがないならボランティアでなんとかしろって言いそうな人、こっちの国にはたくさんいそうじゃない。
逃げた結果どうなるかを言えない「何とかなる」もそうだし、誰が泣きを見るのかわからない「何とかする」も手放しで褒めちゃいけないと思うんだ。
世の中では、何故か局所最適が目のカタキにされておる。なぜじゃ?
いわく、部分にとらわれるな。いわく、局所最適は全体最適とは限らぬ。
あげくのハテには、「局所最適は全体最悪」という噴飯レベルの言葉まである。
はあ?何もわかっとらんな貴様らは。本当にそれで結果が出たのか?全体を最適化なんて簡単に言うがそれが出来たら苦労せんわいッ!
まず、
我々が、すべきことは、
「全体」「全体」と言うがそれは本当に全体なのか?全部見えている人間なんているのか?偏ってるんじゃないのか?我々は軽々しく全体という言葉を使いすぎたのだ、そうなのだ。
考えてもみてよ。お前はホントに全体が見えているのか?ホントにホントにか?ホントのホントのホントにか?自問してよ。
それは全体ではないのだ。全体がわかった気になってるだけ。
い・い・か・ね。
その「わかった気の全体」を最適化しようとするから、おかしなことになるんだよキミ!!わかってるのかね!
偏っていて曖昧模糊としていて漠然とした思い込みにまみれた「全体像」を最適化しようとするから、だからおかしなことになる。
現実をみなさい。気にも留めていなかった細部をみなさい。現場をみなさい。
2chが生んだ格言「こまけぇこたぁいいんだよ!」は細部にとらわれるなという意味であって。細部を見るなという意味ではない。細部は見ないと駄目なのだ。ゴミ箱行きにしちゃ駄目。
細部も見ずに全体を語るなど、笑止千万、抱腹絶倒、へそで茶がわいては泣く子も黙る。
それはわかったが細部を見てどうすんだYO、って思うじゃん? 細部を見て、細部の最適化を考えるんだYO。細部の最適化。貴方は細部の最適化を考えたことがありますか?貴方の人生、細部の最適化、考えてますか?
細部って言われてピンと来るまい。なぜなら、我々は細部に気を止めて生活して「いない」。気に留めてないから細部の最適化と言われてハトが豆鉄砲を食ってるような顔する人が多い。
具体的に言おうか。細部とは一挙手一投足、一つ一つの思念のことだよ。キミ。はい今キミが一秒間にとった動作。それ。それだよ。(^^)
1秒、1分、1時間。
1日、1月、1年。
何事も階層的に(hierarchically)、かんがえねばならぬ。
それをすっ飛ばしていきなり人生全体ガー、俺の人生ガー、今年の計画ガー、なーんて語るから、だからうまくいかねえんだよ!
まず、「今」に集中しなさい。
過去はどう、未来はどう、そんなことは一切考えなくていい。鬼の形相でそう断言したい。過去と比べてなんになる。未来を心配してなんになる。
であれば、「今を最適化すること」に集中しなさい。
今この瞬間に、今できること、今すべきことは何なのか?考えうる限りの最善手は何なのか?それをやりなさい。
努力?
何の話をしているんだい?もちろん努力はして当たり前だが。しかし我々の言う「努力」とはうんk我慢大会の域をでない。苦しいだけで何も得られない。我慢することでエクスタシーは得られるがその不毛さには誰も気づかない。
そんなものを「努力」と勝手に呼んでおいて、それで「働きたくないでござる」と勝手なこと言っているのがわれわれ日本人の生態なのである。そう、努力とは無色透明の「パワー」にすぎない。
それをなんでもかんでも勝手に「苦しくてマゾいもの」と色づけして逃げてる時点で、十分にその人も彼らが嫌うマッチョ主義の一員だというオチであるwお笑い草なのである。
だからそういう人は努力という言葉は捨てたほうがいいよ。さよなら、ガンバリズム。こんにちは、ダイゴ、メンタリズム。
決定、そう「決定」って言葉を使うことをお勧めする。そう、我々は実際には決定しか行っていない。何も「努力」はしてない。なのに努力できると思い込むから不幸になる。そう、私は社長。私がしているのは決定だけ。あとは身体が勝手にやってくれる。
そう捉えてみてはいかが?心の中での決定だけが仕事だから楽ちん。そう、これがメンタリズムの神髄。
なんでこんな話したかというと、
努力するとかしないとかそういうことはどうだっていい。そういうこと気にしてる時点では何も局所最適化できてないのであって。そういう人が勝手に局所最適化とはその程度のものだと見切りつけて局所最適化を悪く言ってんだよ。
考えてもみるがいい。最適化とは臨機応変なものなのだ。休むべき時は大胆に休み、働くべき時はストイックに働く。そんな柔軟な対応がだね、
努力について歪んだ信念もったままでそんな柔軟な対応ができると思う?思わないだろう。
もう一つ大切な論点に触れよう。
それは、我々は時系列モデルを扱っているのだ!ということ。人生は時系列である。各点が先行する点に依存する。いわゆる、因果関係。
ダッカーラ、だから、ある時間帯での局所最適は後続する時間軸においても良い影響を残すということ。わかるね?
きちんと毎瞬毎瞬をいきてる人は、メキメキ力をつけていくんだ。
さらに追い打ちをかける論点がここに。
細かいのはいいことだ。小刻みにカイゼンしていけば成長がはやい。PDCAサイクルの鬼。
くっだらねえ全体の幻想をふわふわ抱きながら「努力」してる人なんかよりも、今を生きている人のほうが輝いているし、モテモテで、プールのあるような豪華な家に住んでるだろ?浴室もホテルみたいにオシャレ。あれは何?
時系列システムに生きる我々にとって、小刻みマンがもっとも手強いのだ。逆に言えば、我々が小刻みマンになればいいんだよ。
ダッカーラ14世、だから、「局所最適は全体最悪」は最悪の言葉なの。
局所最適をこき下ろす時点で、彼は時系列システムの特性を理解していない。
っていうか、人生という時系列システムのサブシステムだけを見ている。例えば、仕事をうまくやる。リーダーだから全体を見なきゃとか。それは人生全体ではなく断片をみてるだろ?
人生80年のうちの1年といった短いスパンで成功させることを考えてる。しかも、人生の無数の要素のうち「自分の仕事」という狭い部分だけをみてる。
狭いと言っても、別に今を見てるわけじゃないんだよな。今に集中するのでもなく、本当の全体を見るでもなく、フワフワフワフワやっとるわい。
ここまで読んできた読者にはおわかりのように、そういったフワフワした部分を全体と思って最適化しようとするから、だから駄目なんだよな。皮肉なことに全体最適を標榜するくせに断片ばかりみている。
じゃあ、なんで今を生きる人は局所最適なのに全体的なのか?ここ、試験にでるよ。
それは「常に」局所最適だからだよ。何してる時もどんな時もどんな状況でも何に向かってる時も何が起きている時も、常に、常に、常に、ベストを尽くしているから。
だから最初の一年間で全ての部分がまず局所最適化する。ちょっとした金持ちになる。イケメンになる。頭が良くなる。タフになる。別人になる。別人になるんだけど、まだまだ未熟かなという感じ。
しかしだよ。時系列システムの特性により、最適化された各部が良い影響を与えあうのだよ。時間差で相乗効果がくる。
だから、仕事しか頭にない人間は駄目なんだよ。相乗効果が得られない。昔から文武両道と言うだろう。デキる男は遊びもデキる。そういうことなんだよ。