2014-03-14

早稲田大学理工系におけるコピペ文化について

早稲田大学コピペ文化が話題になっているので、早稲田の理工ではコピペに対してどのような教育がなされているのかの現状を書きたい。ちなみに、私は早稲田大学の理工を5年ほど前に卒業し、某国立大学大学院に進学し、いまはふつう社畜である

今になってはとても反省しているが、早稲田理系コピペで成り立っているといっても過言ではなかったと思う。もちろん全ての学生がそうというわけではないが。

早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まりレポートの量も増え、求められるものも増える。レポートダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である規則は厳しい。

そこで、そのとてつもない量のレポートを量産するため、学生たちは必死コピペを行う。先輩たちから大量に受け継がれてきた「過去レポ」をもらい、それを切り貼りして組み合わせるのである。切り貼りする手間がないときは、一字一句同じレポートが作られる。写経である

教授陣はコピペを容認している。学生コピペを多用するのを知っていているため、私のいたときレポートはすべて手書きでないと認められなかった。つまり、こういうことだ。どうせ殆ど学生コピペをするのだから、それをパソコン上でやっては何も身につかないので、せめて手書きで丸写しをさせて覚えさせよう、と。実際に何人かの先生たちはそれを公に口にしていた。写経ならまだ意味があると。こうなると、どうやって大量の過去レポを得るかが重要である実験の成績は、コミュニケーション能力を測っているともいえる。つまり、どれだけ過去レポを集める能力があるか、だ。

国立大学にいってびっくりしたのだが、国立大学理系早稲田のような私立大学理系では学ぶ環境が全く違う。私の進学した大学院では、教授ひとりにつき1学年あたり学生は3人までしか認められていなかった。しかも、研究室には実験を手伝ってくれる技術の人がだいたい雇われている。

一方早稲田理系は、お金がないからなのか学生先生比率おかしい。研究室基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。典型的な年では1学年7〜8人くらいだろうか。つまり学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生20〜30人いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。先ほどの1年生や2年生のレポートも、教授が見るには多すぎるので、ほとんどは修士課程学生が採点を行う。そのため、かつて自分たちが行ってきたコピペを批判するケースはない。コピペでも必ずレポートは通過する。

1年生,2年生,3年生と学年が上がるにつれてひたすらコピペを繰り返してきた学生は、卒業論文でもコピペを行って卒業する。もちろん自分で書く人もいるが(私の研究テーマ研究室ではじめての分野だったため、卒論コピペするにもその対象がなかった)、ほとんどの人は先輩の修論卒論コピペする。研究をやったといっても、学部研究レベルといえば、次のようなものだ。「すでに過去研究によって、日本ではトンコツラーメンが作られている。そこにはよく高菜が入れられている。ただし、そこにほうれん草を入れた人はいない。そこで私はほうれん草をいれた」というようなレベルだ。少なくとも、高菜までの話はすべてコピペだ。

そうやってコピペされてできあがった卒論修論は、教授にはほぼ見てもらえない。できあがった卒論修論を一番読むのは、それをコピペする次の学生である。そして、一番の問題は、こうやって育っていった学生には、次のように思う人が出てくる可能性があることだ。「レポートとは、コピペをすることであり、それは普通方法である」と。学生にとって論文を書くこととコピペは表裏一体なのだ博士課程にいったからといって、それがいきなり変わるかというと難しいと思う。もちろん変わらなければならないが。

早稲田理系がここまで低いレベルなのは、私立ならではの教授の数が少ないことに加え、附属高校から上がってくるボンクラ学生がいることもある。もちろん附属から来た学生がみんなひどいわけではないが、スクリーニングされていないので下限がない。私が在籍していた研究室には、三角関数sin理解していない大学4年生がいた。彼はまともに実験もできなかったが、やはりコピペにより卒業していった。

このように、早稲田理系コピペで成り立っているといっても過言ではないケースがある。そのため、今回話題になっていることも、早稲田出身から言わせれば、なんら違和感はないのではないだろうか。私もコピペ突破してきたので、何も批判できない。

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