はてなキーワード: オリジナリティとは
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。
一方で「客観的な非がある」的な主張は論理的に論陣を張らなければ出来ないわけですが
「キモイ」は感覚なのは否定しないけど、そういえば「自己中」とか「身勝手」って非論理的な言葉か?
と思って辞書を引いてみた。そしたら謎が解けた。
み‐がって【身勝手】
[名・形動]他人のことを考えず、自分の都合や利益だけを考えて行動すること。また、そのさまや、そのような態度。わがまま。「―な言い分」「―に行動する」
じこちゅうしん‐せい【自己中心性】
これっていわば特徴の指摘であって、感情とか感覚とは別のものだよね。
私が気持ち悪いと感じるかどうかは、ある作品の自己中心的さとか身勝手さという特徴とは別のこと。
あなたは
と書いておきながら、
とか書いてるけど、まず他の表現を要求したのはあなただし、並べた言葉も別に非論理的な言葉ってわけじゃないんですけど。
「あなたは身勝手ですね」というのは「あなたは私の権利を侵害していますね」という意味じゃなくて「あなたは自分さえよければいい、他人のことは考えない人ですね」という意味ですよ。
あなたは専ら「身勝手」という言葉を感情的・攻撃的な言葉のように扱ってるけど、それは普段あなたがそういう言葉で攻撃したりされたりしている(か、他人がそうやって攻撃し合っているのを見ている)が故の思い込みですから。「他人のことは考えない人だからこうやって私の権利を侵害するような真似が出来るのですね」の略だからそれは。
そもそも「論理的」とはどういうことかってこと、あなた解ってないよね?
「この作品は男の内面を女の身体に語らせており、不当で不誠実で不正確でありかつそれに意図的に目をつぶろうとする身勝手さ自己中心性をそなえている。ゆえに批判から逃れられない」。AはB故にC。という主張に対して、それが論理的でないということを証明するためにはこの作品は不当でも不誠実でも不正確でもないしそれらに意図的に目をつぶってなどいないということを示さなきゃならないわけ。AはBでない故にCでない、という理屈。
でもそのためには「この作品は男の内面を女の身体に語らせてなどいない」という証拠を出さなきゃならないわけだけど、あなた自分で「そこは間違いない、男の内面を女の身体に語らせている、女を被った喪男である」と認めちゃってる。だから、覆せない。はい、論破。みたいな感じになってるんだよ今。
例えばイタリアに生まれ育ったイタリア人と言うだけで私達とは文化も環境も全てが違いますが
つまり「読者が理解・共感できるから本物じゃない」っていう理屈なわけだよね。
その「本物」って何? って聞いてるんだけど。
例えばジョジョ5部のキャラがヘタリアかゴッドファーザーにでもより近ければ「本物」ってことになる?ならないでしょ。
実在のどんなイタリア人に近づけたとしても「本物」にはならない。何故か?
ジョジョ5部のキャラクタの「本物」は原作者でも典型的イタリア人像でもマフィアの実態でもなくて、ジョジョ5部のキャラクタ自身だからだよ。
あの人物像、あの性格設定、あの立場あの過去あの感じ方のキャラクタたちがあの状況に放り込まれたというのがジョジョ5部という物語であるわけ。
一方「私モテ」の「本物」は"智子"じゃなくて作者であり喪男だけどね。
そこがジョジョとは違って不誠実だし嘘と飛躍にまみれてるし、個人的な感覚としては薄汚い感じがするっていう人がいるのも解るんだな。
オリジナリティの有無とか架空性がどうこうとかの問題ですらない。コンセプトがうんこなの。
アンジェロみたいになるかもねw
私は絵面の話をしていましたよね。
作者の絵がかなり下手なのでわかりにくいですが、目をグリグリと大きく描いていて
絵面の話としてもかわいくはないよ。「積極的に嫌われはしない最低限の程度の容姿の女の子」として描いてるだけだよ。
表情もかわいくないし言動もキモいしw
かわいいのはもこっちの同級のリア充とかいいにおいがするタイプの女の子でしょ。
こういうレベルの必然性でいいなら『私モテ』について私がでっちあげましょう。
コミュ障オタクなのだから、友達ゼロでも通学を続けるタフさが必要だ。
時には便所飯する可能性もあるし、
一人で声優イベントに出かけて気持ち悪い妄想にふけるかもしれない。
でもそのギャップが逆に考えてみるとおもしろいかもと思った。
しかも女子高生のような、世間的ステータスとしてはモテてもいい筈の人。
なんて。
だから、その「面白い」は「男がやるより女がやったほうがいいという面白さ」でしょ。
「男がやるのと女がやるのとでは描き出せるものが全く違う、女でしか描けない面白さ」っていう6部のそれと違うでしょ。
しかもその言に則ると私が実際に書いた「見苦しくないとかカワイイとか萌えるとかいう面白さ」より悪質だよね。
「女がやった方が見苦しいしキモチワルイしみっともないという面白さ」だよねあなたが提示してるのは。
それは喪男の見苦しさキモさみっともなさからくる面白さなのに、何で女にさせてるの?
そしてそういう女をないがしろにして成立してる描き方は不当だし不快を誘ってもしょうがないので叩かれてしまうのよ、と繋がる。
・お言葉ですが、「女ではハードルが高い」みたいな弱さは6部の女性キャラにはあまり描かれてないと思います。
・「ギャップ」「聖母マリアのような大きな人間愛」という女性イメージはそれこそベタで広義な萌えでしかないかと。
・JOJOと『私モテ』はむしろ例外的に変な共通点に満ちており、『私モテ』と異なる作品や作家はもっとごまんとあったと思います。
・刑務所ブチ込まれてすぐの徐倫の翻弄されっぷりがその「弱さ」の描写です。まー登場早々例の発言だし1部ヒロインみたいな超おしとやかなお嬢さんの弱さほどは判りやすくないかもだけど。
・語義広げすぎ。コアで狭義な「萌え」がメインの作品を正当化するためにわざわざそんな無理矢理共通点作らなくていいですから。
・ジョジョネタ混ぜたのは私だがわざわざそれを拾って広げたのはあなたです。
・じゃあジョジョはこれで打ち止めとしとこうか。ジョジョ絡めてるくだりにはもう反論とか要らないからね。
「お前のこの部分の論じ方は詭弁です」という風に書いてくれないと
どこについて異議があるのかわかりません。
自分で書いたことくらい覚えとけw行き当たりばったりでいい加減なことばっかり言わないでくださーい。
萌えるように売れるようにするのが「超いい加減」であれば
世の中は「超いい加減」な作品で満ち溢れています。
まず、私があるものを叩かれて当然と判断するか否かと私がそれを気に入っているかどうかはイコールではない。気に入っているものを叩かれたらイヤな気分がするし気に入らないものを叩いてる人間には加勢したくなるかもしれないが、その感情的なプラマイは叩きの土台にある批判の論理の正当性を保証しない。
「気に入っているものを批判されたのでその批判は不当」とか「気に入らないものを批判しているのでその批判は当然」という理屈ではないわけ。
そして、そもそも私はいち意見を述べただけで力説はしてないしw、私が気に入る気に入らないの表明はしていない。
それを
という風に表現しちゃうっていうのはあなたが思いこみが激しくてちゃんと文章が読めていないからだよ。
っていうか、マジ何でそういう理屈が浮かぶの?自分が普段そういう考え方でモノ考えてるからつい他人にも敷衍して考えちゃうの?
それで結局、『私モテ』の話ではなくオタク向けコンテンツ全般の話にしたいわけね?w
あなたは結局、『私モテ』が何故欠陥品であるかについては「感じ取れ」というスタンスです。
ですがあなたの感じ方を共有出来る人間は限られていて、そうでない人間がたくさんいます。
そのような”他人”に広く物事を説明する手段が論理です。
違うよ。でも詳細はもう冒頭で述べたし大体いいよね。
論理は他人に物事を説明する手段じゃなくて思考の妥当性が保証される法則や形式のことだよ。
説明する手段として使えるとしたら、それは論理が思考の妥当性を保証する法則や形式に則っているからだよ。
そして元増田記事は則っているし、わたしの主張も今のところ則っている。
あなたが受け入れられないでいるだけなんだよ。
違うよ。あなたが不当とか不誠実とかの表現を非論理的な言葉だと誤解しているからだよ。
不当とか不誠実ということばは「男の内面を女子高生の肉体に語らせている作品である、だから不当である」という用い方をされていれば十二分に論理的なんだよ。
あなたが目をつぶっているだけだよ。
何故そんな無意味な嘘を付くのかわかりません。
一から十まで全部私のトラバなんだってお墨付きがあった方が心地よくやりとりできるでしょ?
「ないがしろにする」の意味は不明なままでした。
読むところが違うのであれば具体的に抜書きで提示してください。
例は「大人をないがしろにする」っていうヤツだけど。
大人をないがしろにするっていうのは例えば、「この局面でこんな言動する大人いねーよ!」という大人を出すという事だ。
こんなに簡潔に書いてあるのに見逃すとか、見たくないもの見なさすぎでしょw
あなたが今肯定した論理であれば「基本ファッション雑誌なので」なんてことは言い訳にならないはずです。
「有意義な情報を摂取できる」っていうレベルは要求が高すぎ。「有害情報は掲載しない」程度が妥当かな。
で、心掛けてるかはともかくまあまあそう出来てるかな、という意味で「すべて女性向けで不当っていう感じでもない」と位置付けたの。「つーかananのがひどいので例として適当」というのが本題なので、そこと繋げるためにね。
cancamの紙面構成は広告で4割、ファッションスナップ・スタイリング例で5割(逆かもわからんが)、読者ページが1割ってところだよね。有害な可能性が最も高いのは読者ページで、理想の男像とか男はこんな女が好みとかが結構偏ってる可能性があるのでNG。
…くらいまで書いて気がついたけどごめんアレだMoreとかnon-noと勘違いしてた。ちょっとcancamのくだり全面的に撤回するわ。映画館が不当って話だけにしてちょ。
この基準に従えば確かに
ただ、私はこの基準には不賛成です。
あなたが賛成か不賛成かはこの基準が論理的に適当か不適当かを意味しないです。
感じ方は否定しないけどそれで反論になってると思ってるならそれこそ無意味だよん。
1.女性向け雑誌が女性向けの誌面を作って男性を読者層から除外するのが男性への攻撃だとは思えません。
そうかあ?
例えば一時期の○○男子叩きは著しいものがあったでしょ。眼鏡だの理系だの肉食草食だの。今でもイヤだと思ってる人結構いる気がする。
あれは男性へのレッテル貼りが不当だったから男性の不快を誘って批判に至ったわけでしょ。
同じ事だよ。
あなたが楽しく笑ってるようには到底思えません。
無意味なやりとりはやめましょう。
まあぶっちゃけちゃうと、これまでのところ「(失笑)」って感じだからねえw
もうちょっと面白いこととか鋭い指摘とかしてくれればいいのに、滑ってばっかりなんだもん。
いいえ同意してません。「これはもてない女性ではなくコミュ障オタク男性だ」と指摘したのは大元の増田記事です。あなたじゃないです。
あなたの「嘘がある」「飛躍がある」という指摘に私は賛成しました。
作品についての指摘・認識はあなたと私はほとんど一致してるんですよね。
ただそこから展開する、
作品についての指摘・認識は私とあなたはほとんど一致していませんよ。
まず「描き直せ」とは誰も言っていません。あなたは私の批判をそういう方向の攻撃として捉えているわけですねw
描き直しは別に求めていません。「そういう描き方をしている限り叩かれるのは必至だよね」と言っているだけです。
「非である」という批判が生じることをあなたが理解できない理由は簡単です。
私が再三言っているこの作品の自己中心性とか身勝手さとか不当さについて、あなたは用語レベルで誤解していましたしスルーを決め込んできたからです。
「嘘」や「飛躍」の有無や奇形性はその自己中心性や身勝手さや不当さの論拠であるというのに、なんでそこが認められないんですかねー。という感じです。
力を入れるところが間違っている気がします。
えっ何?当たってた?当たってた?ww
だってすごい解り易いんだもんwww
あっごめんねwwこんなに笑ってるとまた傷ついちゃうよねww
別に音楽的には複雑なわけじゃないけど「傍から見ててカッコよく見えるような欧米風の」スタイルが氾濫してきてるが、
日本人テイストに組み直して自分のスタイルに取り入れられた唯一の成功例が安室奈美恵だからだ。
ネット上じゃあ韓国をニダニダ揶揄する風潮が強いが、ボケてんのか? 日本の文化もたいていが最初は欧米のパクりで始まってる。その是非は今は問わない。
ちょっとニュアンスが違うように思う。安室は「日本人テイストに組み直して」なんかいない。
むしろマルパク。
具体的に言えば、ティンバランドを筆頭に、ジェニファー・ロペス、マドンナ、ジャネット・ジャクソンなどなど。
だがそれがイイ! というのには完全に同意する。
アメリカブラックミュージックメインストリームの最先端を、誠実に日本のメジャーシーンで再現している、それはとてつもなく貴重だ((った。09年以降のK-POPブームで「アジア人が本気でブラックミュージックメインストリーム」の希少性は薄れてしまった))。クソのようなオリジナリティなんぞ、つまりは「ぼくがかんがえたさいきょうのちょうじん」にすぎない。
ついでに
安室ちゃんがフロアに手をついてクルクル回ってるのは見たことない。
さらについでに別の人のに
Photoshopについては「Past>Future」メインビジュアル(白飛びした自分の写真を破って、そのスキマから顔を覗かしてるやつ)を見た時、だいぶ自覚的……というか浜崎への皮肉がキッツイなーwという感じだったんですが、最近ツルツル。ちなみに、このビジュアルもパクリっす。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1130&f=national_1130_039.shtml 仕入先が豊富過ぎる。
俺ははてブを毎日チェックしている。数年前までは3user以上の新着エントリーを全てチェックしていた。アクセス稼ぎに使う奴らが多くなってノイズが激増したので今は10user以上の新着エントリーをチェックするにとどまっている。これでもノイズは多いけど、ノイズも含めて幅広く流行を追いたいのでお気に入り機能は意地でも使わない。
最近ブクマを集めているのがレシピサイトとグルメまとめだ。クッキーとかケーキとかのクックパッドのページとか、東京のおいしいお店のネイバーまとめとか。1000とか2000とかブクマを集めている。こういうの数年前は考えられなかった。で、どんだけ有用な情報が書かれているのかと、試しに「女子高生が作る激うまクッキー」とかいうエントリに飛んでみれば、なんてことない普通のクッキーの作り方しか書かれていない。どこにレシピ作者のオリジナリティがあって、それだけのブクマを惹きつけたのかがさっぱり分からない。お前ら、わざわざブクマしなくても手持ちの電子レンジの説明書にクッキーのレシピくらい書かれてるだろ。レンジなんて個々によって性能に差があるんだから、自分のレンジに同封されているレシピ通りに作るのが一番なんだよ!ネイバーまとめとかなんだよあれ。食べログやクックパッドの記事を適当に集めてるだけじゃん。どこに1000、2000もブクマ集めるほどの魅力があるんだよ。まとめるからには、すべての店やレシピに自分の行ってみた感想、作ってみた感想書きしるせよ。どーせ自作自演でブクマ集めてるだけだろ。
というふうに、一人で腐していたんだけど、これもものは試しなのでネイバーまとめを自分でも作ってみることにした。自分で作ってみたことがあってリピートもしている簡単レシピのまとめだ。「これさえ覚えれば大丈夫!簡単レシピまとめ」みたいな。自分でまとめを作るからには、立派なものを作ろうと張り切ったんだけど、ひとつふたつリンクを貼っただけで、途中でめんどくさくなって辞めた。ほんとはもっとたくさんレシピを貼りつけて、自分なりの工夫点も書こうと思ってたんだけど、ひとつひとつ文章考えるのが疲れるのだ。
でもせっかく途中まで作ったので、その中途半端なまとめでもうpした。釣りタイトルはそのままだったので、アクセス少しはあるかなぁ、と思っていたけど全然ない。そりゃそうだ。タイトルだけは立派でも中身は空っぽのようなものなのだから。
ところが、一晩寝て起きてみたら数百のブクマがついてるではないか。お前らこれまとめでも何でもないよ。メモ書き程度しかないぞ。ほんとに中身読んでブクマしたのか?この程度のことブクマするほどのことじゃないよ。作っといてあれだけど、申し訳ない気持ちになるからブクマしないで!
http://anond.hatelabo.jp/20120303033517
本人だという証拠はないけどなんとなく。マジレス恥ずかしいというツッコミは歓迎。
悪いが私は中級にも及ばない初級者(初心者をようやく卒業できる程度の腕前)であり、だからこそささいなことが気になるのである。
そして箱ドットを「それなり」に見せるためのものこそテンプレであり、そのそれなりが気になる人間に10のTIPSを作れと言われたらもうTIPSではすまない修行が始まる。
超・上級者ならさらに最低限度の労力で魅力を上げる魔法か何かを持っているかもしれないがそれこそそんなこたー中級者にすら求めることではねーのである。
というかそもそも箱ドットの魅力はそんなところにはないと思っている。個人的にTIPSはほしいが。
テンプレの箱ドットで満足ができない人間は、テンプレから一歩踏み出して自作を始める。それでいい。
テンプレの箱ドットで満足できる人間は、テンプレを使って箱ドットを続けるんだろうし、それもいい。この二つはメインとする方向性に違いがあると個人的には思っている。
箱ドットがうけた理由の大きいところは、手軽さと共有性にあると思う。小さなテンプレから同じ企画の、でもちょっぴりオリジナリティの備わった「同じだけど自分だけの」アイコンなりが作れるわけだ。しかもシンプルゆえにそれなりのクオリティもついてくる。
それが楽しい。先も言った話だがその楽しさは自分にもわかるし、否定どころか賛成するところだったりする。
同じものだから皆で盛り上がれる。でも自分だけのものだから、しかも自分で作ったものだから愛着がある。そして比較的手軽。そこでクオリティを上げるために自分で試行錯誤するのはなお素晴らしい。が、あーだーこーだとお前のその箱ドットのクオリティが低いからこうしたらクオリティが上がるだの横から口を出すやつがいたとしたら、そんなものは例え親切心だろうが非常に余計なお世話だ。なっとらん。
私はそんなアホなことをしている奴がいたらそれこそ陰口を叩く自信がある。根性が曲がっているので。
だから、メインとは関係がないとは言わないが比較的少ない部分をいちいち気にしてしまう自分への自省でもあり、同時にそんな心の狭さを肯定はしていらないのでただそう心の中でこっそり思う人がいることは認めてほしいなあという独り言であり、それ以上でも以下でもない………わけではなく反応しているので多分こいつ心狭いなあがメインである。
そしてそれは別に上級者が箱ドットに手を出さない理由とかそんなバカみたいなことを言っているわけでもないこともわかってほしい。あのシンプルな造形をいかにドットで打ち上げるか試行錯誤するのもそれはそれで純粋に楽しい。
それにテンプレを使わなくともデザインの元になったグラフィグというテンプレートは存在するわけで、上手な人だって箱ドットのよさ(であると自分が思っている)同じだけど自分だけ、という楽しさに加われるのである。メインがあるからサブの楽しみを味わってはいけないなんてことはない。メインもサブも楽しめばいい。
そして自分から(←ここが試験に出る)もっとかっこよく魅せたいと励む初心者への上級者からのアドバイスや、あくまで独り言あるいはそういった人達に向けたものであることがわかるTIPSはとてもいいものだ、と言っておく。
こういったことは書いておいても誤解されるが、書いていないともっと誤解されるので。まあ増田な時点で誤解されないはずはないからそこは仕方ない。
そしてひょっとして元記事の人はTIPSが知りたいんだろうかと気になったので蛇足にしかならない話になると、多分箱ドットで違和感を覚える最大の原因は視点の不一致が理由ではないかと愚考。
もちろんドットと言う制限された技法(でいいんだろうか)なので実際と同じようにリアルに表現することは不可能だし、むしろデフォルメするべきだがそこが一致していないから首を捻ると言うか何と言うか。
目の位置と同じ高さに、まっすぐに見た時の目線と平行にある「面」は線に見えるが、目の位置より下にある目線と平行な面は面が映る。目線より下に面があればあるほど、見える面の「広さ」は増える。他に視界の手前にあるものの方が大きく、視界の置くにあるものは小さく映る、とかいう基本的なあれこれがある。箱ドットの場合は形状が角ばっているので、通常のドットだとそこまで気にならないその手の面や辺の表現が(個人的に)気になりやすい。
奥行きや面の広がりをドットで正しく表現するのはかなり難しいので、箱ドットの場合は見える広さを誇張するか、逆に全て同じ高さからの視点というか、見える面の広さを逆に全て同じに揃えるのもアリだと思う。どちらもメリットデメリットがあり、それぞれの良さがある。
ただ、デフォルメの方法というか、視点の取り方が一つの箱ドットの中で一致していない作品をいくらか見受ける。そこが気になる人間には気になるのではないかというのが今の所の予測。
細かい事を気にしたいなら、箱ドットを打つ時にどちらの視点を取ってもいいから全体の奥行きを一つの視点で統一してみるといいかもしれない。
DeNAが「ソースは公開するが勝手な改変禁止、用途限定」の極めてユニークなライセンスを打ち出して数時間後に撤回した。
https://github.com/DeNADev/Arctic.js/commit/b92eea0a83b9b01c53eb3f6fb65fdb8af6bc0aab#diff-1
さて、「内容は公開するが、内容の改変は許諾が必要」というオリジナリティ溢れるライセンスを、この記事では「DeNAスタイルライセンス」と呼ぶ事としたい。さて、DeNAライセンスの内容から、DeNAのたくらみが幾つか想像できる。
「ウチのソースを侵害しとるやんけワレぇ、出るトコ出てもらおかい」と中小ソフトハウスを牽制恫喝し、囲い込むために敢えてソースを公開し、他社プロダクトの類似動作やモバゲー参加ベンダーへの牽制に利用したかった、と読むことは難しくあるまい。それはDeNAスタイルライセンスの指針はOSSのそれではなく、明らかに特許指向であるからも伺い知れる。MicrosoftやAppleに範を取り、知財戦争における兵器兼防衛機構としてDeNAスタイルライセンスで守られたコードを行使したかったであろう事は想像に難くない。
多くの日本企業が製品のOSS化に踏み切れないのは、正に上記の一点に尽きる。
というのがエンタープライズエグゼグティブ様の本音であることを考えると、DeNAスタイルライセンスは、日本企業の欲望を満たす厚顔無恥なジャパニーズスタイルライセンスとして社畜や下請けの皆様の献身を一身に集めたであろう。仕事のない下請けソフトハウスが、DeNAスタイルライセンスの大手SIer謹製フレームワークを必死にカイゼンしてコネ作りに励む美しい光景が、数年後には見られたかも知れない。
DeNAスタイルライセンスの隆盛が、日本のIT企業に利益を齎したかもしれないのに。DeNAスタイルライセンスが、日本のIT企業を更に強固にガラパゴス化して守る鉄壁のゾウガメの甲羅になれたかもしれないのに。「Googleっぽいからいいよね」みたいなノリでMITライセンスに安易に逃げたDeNAの及び腰が残念でなりませんでした。まる。
何が面白いのかを手短に伝えられない企画は問題があるに決まっている
あなたの説明もだらんと長くて要領を得ないでしょ
「これ!」ってはっきりツボや想定用例を言えないでしょ
聞いてて目新しいアイデアや広がりの可能性やを感じられない
だいたい知らない奴にまで筒抜けになって炎上する危ないサービスが何で流行ってきたかって
危ないぶん風通しがよくて便利だからだよ
あなたがやってるのは便利さや快適性を放棄した窓がひとつも無い家作って「安全です」っていうようなもので
それは誰も思いつかなかったんじゃなくて、思いついてもやる価値がなかっただけなんじゃねえかな
更に言うと
俺がそんな不便なもののアカウント取ってまで秘密にしたいような
重大な打ち合わせがあるって言うとき
「ひそり」は使わないよ
秘密保護のためのサイトだって言いながら、誰がどういう風に秘密保持を保証してくれるのか不明って
シュールすぎるよね
それなら機密性でも便利さでも、普通にメールでやったほうがマシだよね
もしくは名の通った会社のレンタル掲示板なりブログなりをパスワードかけて使うんでも
あなたの言う”正規の使い方”に比べたらまだ
誰かの心無い誤解である
っていうのの方が存在意義とかオリジナリティを感じるよね(やっぱりシステムがよくわからんけど)
その誤解をした人達は別に根性曲がりだとか故意に曲解したとかじゃなく
「ひそり」の狙いが意味不明だったから、精一杯「意味を持ちそうな仮定」を持ち寄っただけでしょ
俺もダラダラ長く書いちゃったけど
短く一行で問題をまとめると
「コンセプトの欠如」だと思う。
だしも水もいっさい使わない肉じゃが by りょっぴー [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが107万品
これって実は小林カツ代の肉じゃがの作り方なんですよね。彼女の出すレシピ本に載ってるんですよ。フライパンで作りますって書いてあって衝撃だった。わたしがその本を知ったのは母経由で、このレシピの投稿者とほぼ同じ経路なんだけど、もし親がこのレシピを完全にモノにしていたら、何も言わずに肉じゃがはこう作るのよーと教えてくると思う。それで、こんなにいいレシピ、クックパッドに投稿しようってなるのは自然の流れだと思う。
しかしそうやってロンダリングしたってやっぱりそれ本に書いてあるののパクリじゃんとなる。このへんは微妙な問題で突き詰めるとそもそもレシピのオリジナリティというか著作権てどこまであるのよという話になる。極端に言うと「肉じゃが」を発明したひとしか公に肉じゃがのレシピを販売出来ないとなりかねない。となるとそこから現実味を増した地点に落とし所があると思うのだけど、現状はちと野放図なんじゃないか、と思わずにはいられないのでした。
というわけで料理研究家のみなさまにつきましては、パクリレシピの投稿を許すサイトを提訴して頂き、それでクックパッドと楽天が共倒れになってくれると面白いですね。
ライター雇ってそれなりのサイト作ったらほったらかし、みたいなサイトはそのうち稼げなくなるんじゃないかな。
Googleはサイトのオリジナリティ、信用度、ブランドパワーに重きを置き始めているからね。
Googleからもソーシャルからも一定のアクセスが流れるサイトを作るなら、やっぱり自分で書かないと。
自分で書くことで、そのサイトのオリジナリティ、信用が出来てくるんじゃない?
雇ってたライターが突然いなくなったらどうすんの?
代わりのライターを雇っても記事の文体は変わるだろうから、サイトの一貫性はなくなるし、信用度も下がるだろう。
それに、ライターが書いたコンテンツだらけのアフィサイトって、なんか「ウサンクサイ」臭いが出てる。
今は同業しか嗅ぎ分けられないのかもしれないけど。
記事を書いて貰ってアップすればいいという時代は終わるよ。
長年の非モテ生活に終止符を打った記念に書いてみる。
先日の誕生日には弟から元東大教員が恋愛を科学的に分析したとかいうノウハウ本を
プレゼントされて本気で死にたくなりました。
ただ、もう今更へんなかっこつけててもしょうがないので、
その中に書いてることをダメ元で全部実践してみたらあっさり彼女が出来ました。
その本はすごくわかりやすく最新の心理学の研究成果とかを書いていたし、
丁寧にその実践方法とか説明してくれたりもして
全体として見てみれば別にオリジナリティのあることを言ってたわけじゃありません。
それこそ自分が無礼に煽ってた増田エントリにも書いてたようなことだと思います。
大きく分けたら要するに以下の3つ。
1)好みのタイプの女子のニーズやライフスタイルやコミュニケーションスタイルを理解すること。
2)そこに合わせてイケメンぶった服装や振る舞いを身につけること。
その後のことも色々書いてましたが、この3つを実践しただけであっさり彼女ができました。
こんなことはみんなわかってるはずです。
でも実際自分たちは全くモテてなかったのは何でだろうと考えると、
物凄く当たり前のシンプルなところに行きつきました。
もう何ていうか、「やればいいとわかっていることをやるかどうか」なんですよね。
きっとこの文章を読んですら昔の自分は変な理屈をつけて拒絶すると思います。
どれだけ簡単に1)~3)を達成する方法を聞いても、
でもやりさえすれば上手く行くし、やらなければ何もおこらない。
やらなくてもいいのかもしれないけど、
気持ちはとても良く分かりますし、基本、学卒者として好ましい姿勢です。
そう思い続けること「野心」を持ち続けることは大切だと思います。
しかし、だからと言ってその姿勢が前面に出過ぎるとマイナスなこともあります。
学ぶことと働くことは違います。
どんな企業、職種にも必ず雑用も保守の仕事もあり、それはとても大切な仕事です。
そして心ならずもそのような仕事をメインに続けている人達もいます。
そのような人達を見下すような態度や姿勢がESや面接で出てしまうと
当然、好印象を持たれないのは分かりますよね。
それなら自分でアウトプットする計画でも立てた方がマシだったので、
自力で洗いざらい探した。
自力でインターンの企業を選んだあなたの姿勢を否定する人はいないでしょう。
しかし、もしその選んだ企業を希望する際に、少しでも”雑用程度のことはしたくない”
という気持ちを見透かされてしまうとかなりマイナスだと思います。
それは先に述べた”雑用”を見下していると思われるからだけではありません。
企業側がインターンに求めているのは、その”雑用程度”の仕事からでも、その企業とその業務の本質を知って貰うことだからです。
確かに企業によってはインターンを安い労働力として期待している側面もあるでしょう。
また、それが主の企業もあるかもしれません。
それでも僕は、そのキャリアセンターに募集のあったという”雑用程度”のインターンをやるべきだったと思います。
単に言われた雑用をこなすだけでなく行動し、あなたなりの目線でその仕事から他の人が気付かない何かを見抜くことが出来れば
就職にあたり大学名が武器にならないのならば相応の武器と作戦が必要ですよね。
別にだまくらかそうという事では無く、あなたの真の良さを企業側に伝える為の武器と作戦です。
インターンに落ちてしまったのは残念ですが今一番良くないのは腐ることです。
僕は人事の人間ではありませんが、以下ほんの少しアドバイス的なことを書いときます。
学生、特に一生懸命勉強して来た学生が陥りやすいのが、大学時代の専門が仕事の専門につながると考えてしまうことです。
一握りの例外はありますが、大半は新しいことへ挑戦することになる上に即戦力としても期待されます。
つまり、学生時代の成果は就職の一番の武器にはならないということです。
武器にすべきは学んだことを通して培った目線、洞察力、発想力などです。
どうすれば効果的に伝えられるか考えて下さい。
ストレートに伝えることを否定しませんが自慢に取られると効果が半減することもあります。
失敗談、短所なども上手く活用して伝えて下さい。
その上で、オリジナリティ以上に密かに一等アピールすべきなのは対応力、協調性、熱意です。
言うは易しで難しいと思いますが、少なくとも雑用や保守はやりたくないという気持ちは表に出すべきじゃないです
どんな仕事でもやる意欲があることを示して下さい
つい長々と書いてしまいました。
いや、書評と言えるほど内容があるわけでもないので、要点だけ転載していく書き方かな。
はてブで目につく「個人」だと、「わかったブログ」ttp://www.wakatta-blog.com/や、
「smooth@マインドマップ的読書感想文」ttp://smoothfoxxx.livedoor.biz/などがある。
ウケそうなフレーズを本から引用して、それに対して一言二言添えていくやり方。
まとめる人の能力ははっきり言って要らないし、その割に読む方からしたら楽しめるから、
なかなかニーズがあるみたいだ。まとめのセンス的なものは、2ちゃんのまとめとかに近いと思う。
これを組織でやってしまおうというのが、「ブクペ」ttp://bukupe.com/
ビジネス書の要点まとめサイトって感じなんだけれど、著作権的にも良いのか悪いのか分からんぐらい
まとめてある。記事書いた人には、アフィリエイトから収益を分配する仕組みになっているらしく、
いまいち人の来ないブログを運営している人から見ると魅力的なのだろう。はてブ層にもウケが良いみたいで、
最近目に入るようになってきた。
ビジネス書って、要点を例え話などで広げて一冊にしているようなものなので、
要点だけ抜き出すと、ある意味それだけで済む。この辺が、他のジャンルと違う。
漫画や小説など要点だけ書きだしてもつまらないし、料理本やIT本でも同じことだろう。
キャッシュだけでも有罪にできるように法改正されていた。ということは、著作物を買う資力の無い者でも、大量の著作物を保有・公開できるわけで、それをターゲットにしたビジネスが可能になる。
1)時代遅れのコンテンツを抱え込んだコンテンツ会社の株式を第三者割り当てで脱税したい人に売り、事実上のオーナーにする。
2)自己破産予定の人を用意する。
3)コンテンツをP2Pネットワークに流し、自己破産予定の連中にキャッシュさせる。
4)密告してガサ入れしてもらい、有罪が確定した後で、莫大な額の民事損害賠償を起こす。
5)自己破産予定の連中は欠席し、被告欠席の為原告の言い分が丸ごと通る。
6)判決が確定した後で、自己破産予定の連中に自己破産させる。
8)旧経営陣は責任を取って辞任、繰越欠損金を抱え込んだコンテンツ会社のオーナーを脱税したい人に書き換える。
9)7年後、繰越欠損金が償却し終わったら、コンテンツ会社を買い戻し、1)に戻る。
コンテンツ会社の売買は必要無いように見えるが、理不尽な額の民事損害賠償を起こすという悪名を金持ちが被るのは、世間体が悪いし、理不尽な額の民事損害賠償が確定すると、著作者に対しても配分しろという圧力が加わるので、それを踏み倒す為に、会社が破綻して身売りをしたという外形を整える必要がある為である。お金の世界は、お金持ちの人が自分でやると世間体が悪かったり前科が付いてしまうような事を、貧乏人を高給で雇って身代わりにやらせる世界である。
この手法では、会社を実質的に譲渡してから繰越欠損金が発生するので、租税回避にはならない。コンテンツは、動画でも写真集でもコミックでも、何でも良く、古いコンテンツは売れないゴミだったのに、この法改正で金の卵になったわけである。しかも、現行法では初公表後50年間の権利が保障されているから、最初の仕込みに1年かけて7回転させて49年間というスケジュールも可能になる。もう、コンテンツから儲ける必用は無い。その内容がどんなにくだらなく、売れる見込みが無くても、著作物でさえあれば、脱税の道具として使えるのである。売り上げの為に、無理してポルノコミックやポルノDVDを作る必用は無くなったのである。脱税したい人と自己破産予定者を探す能力さえあれば、コンテンツ会社の売り物はいくらでもあるので、美味しいシノギになる。
著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としていた筈なのに、著作者よりも著作権者の言い分を聞いている為に、文化とは無関係な方向に発展させてしまっているのであった。
一番最初の公開者が権利関係を処理していると判断するのが消尽理論であり、ネット上に出ているコンテンツは、一番最初の公開者によって、その公開方法における権利関係が処理されている筈というのが当然の結論となる。権利が処理されていないという主張をするのであれば、ネット上において公開されているデータと、権利の対象となっているデータとが同一である事を証明する必要があるが、この証明の為には、権利の対象となっているデータを公開しなければならないし、訴人がオリジナルであり権利者であることを証明しなければならない。それには、ネットでの公開や継続して新作を発表し続けているという実績が必要となる。それらを裁判所が判定するというのであれば、裁判所は、オリジナリティの判断や、権利の対象となっているデータが公衆の要求を満たすだけの複製が公開されている事を最初に判定しなければならないとなる。
現代において、ネットによらずに公衆の要求を満たすだけの複製を公開する事はナンセンスであり、ネット上で無制限無条件の公開をしていない以上、公衆の要求を満たしていない著作物であると判定する事になるのだが、さて、裁判所にそこまでの判断を下せるであろうか。民事裁判は、損害賠償金を確定させる事が目的の連中しか出てこないから、民事で判例を作るというのは通用しない。
震災関連で増田にまとめ的なものを作ったら1000ツイートくらいされたんだけど
(内容にオリジナリティは全くないから、タイミングだけで伸びたんだろう)
この人たち、増田ってどーいうもんかわかってんのかなって怖くなる
わりと軽いノリで作ったから、1000ツイートされてるのをみて、
って欲望がすげーわいてきたの
っていうか今も戦ってる
なんでしないのかな
「こいつほんとにクソ野郎だな」って言われるのが怖いからかな
多分そう
お前のせいで匿名で有益なエントリを書きたい人に迷惑かかってんだよ
とか言われたらやだからしないんだと思う
誰か俺に「おちんちんびろびろーん」って書かない動機を与えてください
http://anond.hatelabo.jp/20110401162030
上記に目を通したのち、言及されていたブログを読みに行ってみた。
タイトル横には、
と、あったけれど、ブログには割と建前的なことが書いてあったので、
まず、最初にあなたがするべきことは、ブログの記事をやみくもに増やすことではない。
また、記事の中身を充実させることでも、はてブでホッテン入りしやすいまとめ記事を書くことでもない。
どんなにあなたが気合を入れて書こうが、誰も見にきたりはしない。
人気ブログのメソッドを利用して書こうと、成果はそんなに変わらない。
変わったとしても、気のせいだっつーの。まずは、そこを認めろ。
あなたが最初にすべきことは、Twitterで知り合いを作ることだ。
たた単に知り合うだけでは、意味がない。特に、「頻繁にブクマする傾向にある人」「リツイート大好きな人」
「フォローされている人の数が100人以上」を狙い内にして知り合え。
あ? どうやって探すかって?
ライフハックやITやまとめ記事で、ホッテン入りしているような記事のブクマコメント覗いて、
よく同系統の記事をブクマしていたり、Twitterと連携している奴を探せばいいだろ。
もし相手が何か記事を書いたらブクマしたことが相手に分かるようにして感想を送れ。
これを繰り返したら、相手は次第にあなたに信頼を抱く。そう、これは布石だ。
将来、あなたが記事を書いたときに、ブクマしてもらう、あるいは広めてもらうための布石だ。
嘘も方便。誉めろ。相手に価値があると、称えろ。そして、敬え。あなたに、価値を感じてもらえ。
そして、それを一か月繰り返せ。
そうすることで、下地ができる。今後、あなたが記事を書いたよ、とツイートしたら、
みんなが言及してくれる、ブクマしてくれる、リツイートしてくれるようになるだろう。
今まであなたがどんなに頑張って、ライフハック記事を書いても、せいぜい一桁ぐらいしかブクマされなかったのが、
当たり前のように、数十、数百軽くいくようになるだろう。そう、例え今までと同じ記事を書いたとしても、
ブログのアクセス数は軽く20倍は行くようになる。「・・の方法」「・・の理由」「・・のまとめ」のような
タイトルを連発しろ。何でもいい。ありがちでもいい。寄せ集めた知識で、「SEXで確実に相手をイカせる方法」なんてのを
書いたら、軽く300はブクマされる。中身はパクれ。そもそも、多くブクマされるような記事にオリジナリティなんていらない。
寄せ集めろ。寄せ集めて上げろ。あ? 効果なさそう? 貧乳でも寄せて上げれば、それなりに見えるだろ!?
あなたも、騙されたことや騙したことの1つや2つあるだろ? 童貞と処女は部屋でスルメでも齧ってろ。
就職活動を成功させたいのなら、就活塾や説明会にいくよりも、エントリーシートを書くよりも、やるべきことがあります。
人助けをしたいのならば、デマツイートをドヤ顔でRTするよりも、「僕にできることはないだろうか(キリッ」とドヤ顔で呟くよりもやるべきことがあります。
それはどんな努力よりも効果的で、短期間で出来て、就職活動を成功に導く方法です。
それは地震災害ボランティアに参加することです。災害ボランティアは考えられる限り最強の就職活動対策です。
理由は三つあります。
(1)日本企業が求める「誠実さ」「協調性」「行動力」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」ほぼ全てを一発でアピールできます。
今の地震は安西先生も裸足で逃げ出すレベルです。その余震リスク、放射能リスクを物ともせず、今、困っている人を助ける為に行動する人間を評価しない人間はおそらく日本企業にはひとりもいません。他人を助けたいと思う「誠実さ」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」は日本の企業が喉から手が出るほど欲しい能力です。
震源地に赴く行動力は「チャレンジ精神」「行動力」として企業に高く評価されます。
(2)マグニチュード8・8のインパクトとオリジナリティがある
「塾講師」「サークルの副リーダー」「飲食店バイト」なんていう自己PRは、アルマゲドンのシナリオ級にありきたりです。
誰でも出来て、誰でもやっているので何のインパクトもなく、就職活動で有利になることはありえません。
しかし、地震ボランティアなら、誰もやりたがりませんし、誰でも出来ないので、インパクトがあります。
インパクトがある行動は記憶されやすく、選考に通りやすくなります。
(3)わかりやすく、ケチがつけにくい
様々な学生時代の活動は、オリジナリティがあればあるほど、周辺条件を説明するのに手間がかかります。
特別な経験であるほど、説明コストがあがるのです。また、面接官によっては「他にやるべきことがあったんじゃないの?」
「ボランティアが好きならなんで民間企業に就職するの?」とケチをつけられることもあります。
しかし、地震ボランティアなら、日本人全員が周辺状況を共有しているため、一発で伝わります。
また、まともな大人なら公衆の面前で地震ボランティアにケチをつけることは出来るわけがありません。
この三つの理由から、地震災害支援ボランティアは数ある就職活動対策の中で、ほぼ最強の就職活動対策です。
この自己PRがあれば、トヨタだろうと、パナソニックだろうと、どんな難関企業の面接も屁ではありません。
どんな面接官もハンカチで涙をぬぐって、あなたを採用することでしょう。日本人にとっていい話は「TOEIC900点のアメフト部主将」を上回ります。
デマ情報をRTしている暇があるなら、 全国社会福祉協議会 03-3581-7851にボランティアを申し出ましょう。
中には、「そんな不純な動機でボランティアなんかするな!」と憤る方もいるでしょう。
しかし、凍える夜に配給される、飢えた胃を癒すおかゆに純も不純もありません。
乾いた喉を潤す、おいしい水に純も不純もありません。
ヘレン・ケラーですら見えない・聞こえないフリをするレベルのこの大震災の震源地に、善意だけで支援を申し出ることのできる人はほんのわずかです。
ほんのわずかな人ができる善行もほんのわずかです。ほんのわずかな行動では恐らく、今、困っている人達を救うことはできません。
偽善による善が行われないならば、善行が将来的に自分の利益になるものでないならば、世の中の善行のほとんどは死滅します。
ハリウッドスターのチャリティーなんかほとんど広報の一環ですが、多くの富を寄付しています。
純粋な善行ではなく、自分の利益の為に打算的な考えで、ボランティアを申し出る普通の人はたくさんいます。普通の人が自分の為に行動することが、今、救える命を救うことにつながるのです。
だから、今救える命を救う為なんかではなく、「一流企業に内定して、ブランド社名をチラつかせて合コンで美人OLをお持ち帰りするために」「一流企業の内定で、自分の自己顕示欲を満足させるために」「就活武勇伝を後輩に自慢するために」こそ、ボランティアをするべきです。
救助を受けている人達にとって、ボランティアの人が何を考えているのかなんてどうでもいいことです。たとえ、あなたが「このボランティア経験をアピールして、一流企業に内定して、合コン無双して、童貞を捨てるぜ!うひゃっほう!」と思っていたとしても、温かい毛布は毛布で、おいしい炊き出しは炊き出しです。
いろいろ書いたんだけどなんだか蛇足な気がしてシンプルにまとめてみる。
>一瞬『もう差別化を図ることが難しいんだろうなぁ』とも思ったけど
いーや、全然可能だよ。だってラノベ世界って極めて閉鎖的で小さいじゃないか。
芸術は借り物・パクリの文化なんだから、他からパクってくればいいわけさ。
具体的に言えば、谷川流がお遊びじゃなくて本気でSF好きなオタだったからこそハルヒが目新しい作品になってヒットしたように。
差別化図れないのは、例えるなら谷川流の真似をしてる本人が実はSFなんて全然好きじゃなくてせいぜいスペオペアニメをちょっと見た程度だったりするから。それじゃラノベの閉鎖空間から抜け出せない。
>そしてこの状態から突出した作品を書ける人が、本当に才能ある人なんだろうな、と
あなたに限らず一般人は才能にたいして幻想を持っているようだから言うけど、
ようはたくさんのネタを知っていてそれを上手くパクリまくれる根性があればいい。別にオリジナリティ溢れまくる神のごとき才能なんていりませんよ。
これはもう、ラノベの体質としてどうしようもなくなってる。
多分ああいう気色悪い(というのは俺の主観だが)絵をやめようと思ってもやめられない。
電撃文庫だとしたら、電撃文庫は表紙は「ああいうテイスト」の絵っていう指示があって、そこから抜け出したら「売れないからダメ」になるだけ。
別に絵がアレじゃなくても売れるものは売れるはずなのに、ライトノベルという不確実な存在を無理やり定義づけるためにはあの絵がないとどうしようもないし売れなくなる(つまり、ラノベというジャンル買いを惰性でやっている消費者が離れてしまう)
というわけで、一度売れに売れなくなってラノベというジャンルが衰退するか、どっかのレーベルがああいう絵から脱却して頑張るか、何かをしない限り永遠にあの萌え絵のままだと思う