はてなキーワード: あやふやとは
はてなが歯と口の健康週間なので便乗して今まで他人に言えないことを吐露おろろ。
高校卒業して一人暮らしを始めてから10年間、ほとんど歯を磨いてないです。(かあちゃんごめん)
おでーとの前とか磨くくらいで、平均したら月に1回?とかそれ以下。
人生一度も虫歯にもならず歯茎が痛いとか痛い目にあっておらず、歯を磨かなきゃならない危機感に襲われない。
年に数回くらい、職場の人やたまに会う親に口臭くない?って聞いてみるもののなんも臭わないよって返事に安心する。さすがにがっつり磨いてからだけど、だからなのか、キスする人にも臭わないよと言ってもらえている。(増美ごめん隠してるごめんごめんごめんごめん)
歯を磨くと歯茎(犬歯辺りから?だいたいいつも同じ箇所)から出血があるので環境は良くないんだろうなという程度の自覚はあるが、喫緊の対策が必要かというと環境悪化が進行してるわけでもなく常人も出血はあるみたいだし、行動を促される決定打に欠ける。
まずいかなぁと思って一昨年に歯医者はんにかかってみたけど、掃除して貰って、環境悪いですねーちゃんと歯を磨いて下さい次はいつ来ますか?って感じでえっなんで行かなきゃいけないんですかって定期的にみてもらうのがあれなんですよーってなんかもう金ヅルって感ある言い方だったので、あぁそんな酷くないんだってむしろ安心材料になってしまった。(とあやふやながら記憶してる。またいつか行こう…)
どっかの統計で昔の非人道的な研究で、歯を磨かない人を20年間追跡したら8%の人は全く健康だったとか見かけたので、自分は選ばれた8%の人間なのかとその可能性に安心してしまう。
そりゃリスクを抑えるなら毎食後の念入りな歯磨きなんだろうけど、くっそだらしない人間にとってはそれは高コストだ。気苦労なくそれができたら苦労はしない。風呂入るのも面倒マンだ。
クソみたいな箇条上げして一個一個駄々をこねるように否定して面倒臭い奴してるのにここまで読んでくれた方ありがとう。口は臭くないから許して。
でも、リスクを過小評価したリスクマネジメントの結果、歯を磨かないマンが野に放たれ、日本の人間の女性のリスクとなっていること、これは許されないかもしれない。
歯を磨かないとどうなるかっていうデータが欲しい。予期がしたい。いきなり歯を失うの?
昨今やたらと出来事やら創作の表現やらを指して「これは多様性にあふれている!」みたく主張する人を見かける。ええ見かけちまうんですよぉこれが。
(「多様性」の部分は男女平等だとか反差別だとか、まあ他のリベラル的ワーオに置き換えていただいて構わないが)
だが、彼彼女らがそう推す事象や表現は「…いやそこまででもなくね?過去に溢れかえってるもんじゃね?」と思ってしまうような
取るに足らない、別にそこまで持ち上げるほどでもないものがぶっちゃけ9割以上なのである。
何故こうも「多様性」という言葉を使って持ち上げたがるか?と考えるときに私は「多様性空回り現象」という言葉を考えた。
彼彼女らは正義感がムダに強いからネットにそこかしこある「多様性が大事だ!」というコラムみたいなのに感銘を受けて、
「そうだ!多様性だ!」「多様性は大事だ!」と錦の御旗に掲げるのである。まあそれは良いことだ。うん素晴らしいことだ。
だが普通「多様性」の定義を先にして、それに事象や表現を照合してこれは多様性あるものか?と考えるのがスジだろうに、
彼彼女らは違うのだ。
ただ自らが好んだ事象や表現について持ち上げたいためだけに、「多様性」の定義なぞどうでもよくあやふやなままで、
『多様性ってイマい持ち上げワードだなっ使おっ☆』な気分で「これは多様性にあふれている」と言っているだけなのである(大体自覚は無いので余計タチわろし)。
これも結局は「自分は多様性に理解ある人間である」というアッピルを強引にしたいモチベーションに他ならないのである。
とにかく「自分は多様性に理解ある人間だ!間違いない!」という思いだけが先行してひたすら空回りする…
まあ現状はまだまだ「多様性」という概念は世間に浸透していない(せいぜいネット論壇の範疇)…
だが今後10年くらいの間で教育やらニュースやらで世の人に知れ渡るようになればなるほど、
針小棒大に「これこそ多様性だ!」と叫ぶ人がどんどん増えていくと私は予想するよ。
お前ら、覚悟しといた方がいいゾ?
版権物同人を売ってたり、版権イラストを月額性のサイトで上げたりしている奴ってなんで取り締まられないの?
有名所だと馬娘とか一部禁止といいつつも、二次創作でどこまでやってもいいのか境界線をあやふやにしているし
そういう半端な線引きは面倒臭くなるだけだし、そういう微妙な線引きするぐらいならいっその事二次創作全部禁止にすればいいのに。
的な事を某所で呟いたら「それをすると供給側と受給側が終わる」「同人界隈がエラい事になる」とか色々言われたけど
グレー行為を続けていないとバランス保てませんって時点で、それは根本的に崩れていない?
スポーツならルール違反しないと勝てない。会社なら労働基準法破らないと会社経営できない。みたいな意見じゃない。
そうしないとバランス保てないと言うのなら、いっその事崩壊してしまえばいい。
別にファンアートの一枚や二枚をピクシブやツイッターに上げた物まで、しょっ引けなんて言いやしないけど
二次創作で金取るのはどうよ。
「二次創作のエロ同人を読んだ事がない者のみが石を投げよ」なんて言われたら、何も出来ないけど。
正直な話、二次創作で食っているクセにデカい顔している同人作家ばっかりで嫌気が差すから。という半分私怨混じりの意見で言っている。
認知バイアス 認知の歪み 偏見や洗脳 偽の記憶 …… そんな知識を得て、自分が「当然」だと思っていることがいかに「あやふや」な「偏見」に過ぎないのかを知るほど、人は差別と偏見から遠ざかるのだろうか?
残念ながら、人間には「完全に歪みを排除してすべての物事をフラットに見る」などということはできない。「ものを見る」というのは、世界に意味というフィルターをかける行為だからだ。ロボット技術者なら、そのことをよく知っている。カメラがとらえた映像が、道路の模様なのか飛び出した子供なのか「解釈」できなければ、自動運転車が町を走ることは不可能だ。私たちの視界は常に「歪んで」いる。大切なのは「どう歪んでいるのか」に、一つでも気づくことだ。
では、社会は?
社会全体が認知の歪みを抱えているとき、個々人がそれに気づくことは大層難しいことになる。社会がその歪みの中で人を育み、歪みで満たされ、みんながその歪みを常識として再生産しているとき、その歪みによって不利益を被る人さえ同じ認知の歪みを抱えたりするからだ。つまり「認知の歪み」を指摘する人がいない(これを差別や偏見の「内面化」という)。外部の人間なら、そういう社会の「歪み」に石を投げることができるかもしれないが、そんな社会の内部から石を投げるのは、内部にいながら別の価値をもつことができる人ということになる。
たとえばアカデミズムというのは、そういう価値の一つだ。学者という人たちは、単なる「お賢い、お勉強ができる人たち」なのではない。現在の社会とは別の「価値」をもち、内部にいても「外部」となる役割をもつ存在である。学者がしばしば「空気の読めないご意見番」として振る舞うのは、大事なことなのだ。
「王様は裸だ!」と子供が声をあげたとき、周りの大人の目には王様が裸に見えていて、だからあの童話はハッピーエンドになる。でも、もし周りの大人には「認知の歪み」のせいで「本当に服が見えていた」なら、どうだっただろう? 子供は黙殺され、あるいはぶっ飛ばされ、パレードは続き、そして王様は裸のままだったかもしれない。「社会全体の認知が歪んでいるかもしれない」というのは、このように深刻な問題を社会に引き起こす。
「みんなの目に裸が見えないなんてあるわけないじゃん」と思う人は、申し訳ないが、少しは歴史を学ぶべきだと思う。近代にだって国民が全員どうかしていたとしか思えない民主主義(のはずの)国家の事例はいくらでもあるだろう。王様のセクハラや犯罪が誰にも見えないらしい国、王様の頭にのった電話機が誰にも見えないらしい国、私たちのすぐそばにさえ、認知の歪みは現に存在している。
正確な言葉は覚えてないけど「彼氏ができるのは普通のことだから、なんでおめでとうって返されるのかわからない」というニュアンスのことを言われてしまった。
そういう返しが来るとは思わなかったので、「おめでたいと思ったからそう言っただけだよ」などと咄嗟に返すこともできず、会話はあやふやに終わってしてしまった。
それが学生の時。
2、3年後、社会人になってからその友達から披露宴の招待状が届いた。結婚相手が上記の時の彼氏かどうかはわからない。
その時「彼氏ができることはおめでとうと言われることに値しないのに、結婚はお祝いするに値するんだな……」と思ってしまった。彼氏ができるのと結婚するのは別物だから当たり前と言われれば仰る通りなんだけど。おめでたい席なので出席した。ドレスを着た彼女はとても綺麗で可愛かった。
この前、上記の彼女とはなんの繋がりもない別の友人たちと飲んでる時、
友人A「そういえば彼氏できた」
友人B「わーおめでとう!」
友人A「ありがと!」
というやりとりを目の前で見て、「そうだよな、彼氏できた→おめでとう→ありがとうはそこまで外してないやりとりだよなぁ……」と改めて思った。
彼女のことは大好きだし、今でもたまに遊ぶけど、時々そのことを思い出してしまってどんよりとした気持ちになってしまう。
私はその時彼氏ができたことは一度もなかったし、はっきり話したかどうかも定かではないけどおそらく彼女もそのことを知っていたと思うので、「普通に彼氏ができないあなたは普通から外れている」と言われた気がしてなんか凹んでしまった。
ちなみに私は「彼氏欲しい」などとは彼女の前でも誰の前でも一度も言ったことがないし、特別欲しいわけでもないので彼氏ができるような努力もしていない。
というか、私は男性や女性に恋愛感情や性的な欲求を持たないアセクシャルと呼ばれるセクシャルマイノリティーなので、彼氏をつくるのも彼女をつくるのも無理だ。一度告白してくれた男性と付き合ってみたが、恋愛感情を向けられるのがどうしても駄目でやはり別れてしまった
彼女は他の友達に「おめでとう」と言われた時も同じように返していたのか?
もはや被害妄想の域だけど、あんな返しをしたのは私にだけなのでは?と思ってしまう。
もしかしたら私が気づかない内に上から目線でおめでとうと言ってしまったのか?でも上から目線で何か言える立場じゃないのにそんなことするか?何か彼女のカンに触ってしまったのか?とついつい考える。
彼女と海外へ旅行する予定だったけど、彼女が妊娠したので見送ることになった。
旅行の予定が入っているとわかっているのになぜ子作りしているのか?と思わないでもなかったけど、他者には入り込めない夫婦のデリケートな領域のことだし、単純におめでたいと思ったので「おめでとう!」と言った。彼女は「ありがとう!」ととても素敵な声で返してくれた。
もはやこうなってしまっては、妊婦さんになった彼女に学生時代を掘り返して「あれはどういうことだったの?」なんて聞けない。
一生答えにたどり着けないんだからもう忘れてしまえばいいのに、何年経ってもぐずぐずと考えてしまう。
まぁ誰でもそういう返しをしたくなる気分の時もあるよな〜と流せないのが嫌だ。心の狭い女だ。
twitterで流れてくるエロ絵、おっぱいは異常にうまく描けてるんだけど、腰あたりに来ると途端にあやふやになって作画崩壊してるの多くてつらい。デッサンが出来てない、人体の(特に女体の)構造を理解してない、基礎がなってないのに塗りだけは一人前。つらい…。