「解釈改憲」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 解釈改憲とは

2024-04-19

解釈改憲を支持しているある増田

憲法政府位置関係すら理解してない、義務教育未履修という本物の弱者だった。

2024-04-09

「第九十九天皇又は摂政及び国務大臣国会議員裁判官その他の公務員は、 この憲法尊重擁護する義務を負ふ。」

わたしはこの99条根拠そもそも国会議員改憲を口にすることすら憲法違反だと思っているんやけど、自民党クソカスどもは解釈改憲かい詐欺みたいなことばっかしている。

これが標準的模範的国民の考えですよ

憲法改正議論自体違憲行為だし、ましてや憲法解釈論なんて論外です

2024-03-17

anond:20240316113208

憲法同性婚を想定していないまでは同意なんだけどその先が色々おかしいところあるような。

社会情勢の変化での解釈改憲

法というもの社会の中で生きているものから解釈は変わっていくというのは法学の基礎だと思うんだけど。

社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。

例えば有名な尊属殺重罰規定違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)

と言っているけど、他の違憲判決社会情勢の変化を取り込んだ判決はあるよね。

婚姻外の日本人男性外国人女性の間に生まれ子供日本国籍を認めるかで争われた最大判H20.6.4は法制定時には一定合理性はあったけど社会通念、社会状況等の変化で時代遅れになっているとして、違憲判決を下している。

国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては……一定合理的関連性があったものということができる。しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており……社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ……今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。」

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=36416

非嫡出子法定相続分嫡出子の半分であることが法の下の平等に反するかで争われた最大決H25.9.4では明確に昔は合憲であっても社会の変化で違憲に変わることがあると述べているよね。

最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁は……その定めが立法府に与えられた合理的裁量判断限界を超えたものということはできないのであって,憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。

しかし,法律婚主義の下においても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては……時代と共に変遷するものでもあるから,その定めの合理性については,個人尊厳法の下の平等を定める憲法に照らして不断検討され,吟味されなければならない。……婚姻家族形態が著しく多様化しており,これに伴い,婚姻家族の在り方に対する国民意識多様化が大きく進んでいることが指摘されている。……当裁判所は,平成7年大法廷決定以来,結論としては本件規定合憲とする判断を示してきたものであるが,平成7年大法廷決定において既に,嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに婚姻,親子ないし家族形態とこれに対する国民意識の変化,更には国際的環境の変化を指摘して,昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ,その後の小法廷判決及び小法廷決定においても,同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた。特に,前掲最高裁平成15年3月31日第一法廷判決以降の当審判例は,その補足意見の内容を考慮すれば,本件規定合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。

……遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分区別する合理的根拠は失われていたというべきである。 したがって,本件規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していたものというべきである。」

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=83520

かに医療技術進歩妊娠判断がやりやすくなったため、女性のみ再婚禁止期間が6か月あった民法規定違憲とした最大判H27.12.16もあるよ。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85547

  

というわけで、札幌高裁判決社会情勢の変化を要素に入れても突飛な考えではないということだね。そういう法解釈の仕方は間違っているという考えはあると思うけど、最高裁が一顧だにしていない独自解釈ありがとうございます解釈ですべてと変えられると成文の意味がなくなるという指摘は同意できるけど、ここで言うことかという問題だね。

  

同性婚導入は違憲

少なくとも憲法上の婚姻制限されてるよ。

条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。

両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。

元増田ゴリゴリの文理解主義者っぽいので条文は一意に解釈して解釈変更はできないという立場かもしれないけど、そうではないというのが現実なわけで

インターネット上で見られる分かりやす情報として

国立国会図書館調査情報―ISSUE BRIEF―」No.1257(2024. 2. 6)の特集がちょうど同性婚日本国憲法ざっとまとまっているのでこれを読んでみるよ。

これまでの地裁判決では、次の点が確認できると指摘されている。憲法24 条は、異性婚のみを保障範囲に含んでいるが、同性婚禁止してはいないこと。性的指向に基づく区別取扱いが合理的区別差別的区別かが主たる争点であること。③憲法24 条(特に第 2 項)と憲法第 14 条第 1 項の議論相互に重なり合っていること。④いずれの地裁判決同性カップル保護のために何らかの法整備を求めていること。③については、憲法の各条項間の関係をどのように整理するかが問題となると考えられる。④については、地裁段階とはいえ、うち 2 つが違憲、2 つが違憲状態とし、合憲とした 1 つも将来的な違憲可能性を指摘したとして、「国に今後の対応を促したものといえる」とする評価もある。(強調は引用者)

https://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/index.html

最初に言ったように同性婚は想定していないまでは同意だけど

少なくとも憲法上の婚姻制限されてるよ。

は強く言い切れるほどの根拠あるのかな。この札幌高裁だけおかしいとまでは言えないよね。いや学説は違うんだと言いたいのかもしれないけど、地裁禁止説を取っていないってのも尊重されるべきじゃないかとは思うよ、まあ最高裁じゃないのでそんな参考にすべきじゃないと言われたらまあその通りでもあるけど。なかなか通説はどうとか確認しにくいので言い切られると違うとは言いにくいのが困ったもので、ちょっと古いけど下の総論でもそこまで言っていないよねで留めておきます

藤戸敬貴「同性カップルの法的保護をめぐる国内外の動向 : 2013年8月~2017年12月、同性婚を中心に」『レファレンス』₍2018.2₎

https://cir.nii.ac.jp/crid/1520854806028564608

2024-03-16

anond:20240316114029

しかにどのような条文にすればいいかと言うのは簡単ではないように思う。めんどくさいな。

それなら解釈改憲で、両性とは婚姻当事者2名のこととしてそのように法律を整備するのが楽だよなあ

anond:20240316113208

とはいえ解釈改憲して同性婚に関する立法をすることを否定はしないって姿勢には見えるよね

憲法同性婚禁止している」と言わずに「憲法同性婚を想定していない」って言ってるのはそういうことでしょ、って思う

憲法同性婚を想定していないのは本当

追記3

まりにも多すぎて取り上げられないので。

自己意見ではなく憲法学の通説的な見解はこうだって紹介してるものに対して「わたしの考えた最高の見解」が数多く。別にいいけど。

当初の記事は以下から

札幌高裁同性婚を認めないのは違憲だという判断が下された。

それに対して岸田総理は「憲法同性婚を想定していない」と発言し、はてブやX他のSNSなどで、主にリベラル左派から批判が集まっている。

これについて過去議論の経緯を記録しておく。

憲法規定

日本国憲法24条第1項)

婚姻は、両性合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

この「両性」というのは「男女」という二つの性を指すというのが政府見解、それに限らないというのが今回の札幌高裁判断だ。

憲法学見解

2004年11月17日参議院憲法調査会)

赤坂正浩参考人神戸大学大学院法学研究科教授

少なくとも同性婚に関して言いますと、これは議論がありますが、日本国憲法場合には二十四条法律上婚姻尊重されるべきであるという規定があって、そこには婚姻は両性の合意に基づくということになっていますので、通常の解釈は、法律上結婚男性女性と、両性というのはそういう意味だと。

 もちろん、ラジカルに、両性というのは二つの性ということなので、男性男性女性女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説がありますが、一般には日本国憲法の現行規定で同性の法律上婚姻を認める制度は設けられないことになっているんだと思う

樋口陽一東北教授等を歴任

憲法24条は(略)同性のあいだの結合をも『家族』とみとめるほどには革命的ではない

憲法国家」(岩波書店1999年

高橋和之東大教授等を歴任

婚姻自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である

立憲主義日本国憲法」 (有斐閣2017年

近年(2017年)においても憲法学会の通説では同性婚憲法保障するところではない、とするのが憲法学会の通説であり、政府見解は正しいと思われる。

どちらかというと札幌高裁の方が憲法解釈を変えようとしている、と理解した方が良いだろう。

ちなみに高橋先生は芦部門下として憲法学スタンダードだった「芦部憲法」の補訂を行っていた人物で、戦後憲法学の本流と言っていい。

また、樋口先生はよりリベラル立場で、立憲デモクラシーの会代表として安倍政権事実上解釈改憲(厳密に言うと政府解釈改憲はしていないという立場。ややこしいが。)を批判しており、同会はその後市民連合発展的解消をしている。

いずれにしても政府解釈に有利な人選ではない(と思う)。

札幌高裁判決とそれに対する所感

憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)

異性間の婚姻のみならず、同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障していると考えるのが相当である

社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。

例えば有名な尊属殺重罰規定違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)

同性婚可能とする国は多く、国連自由権規約人権委員会は、同性婚享受できるよう指摘している。国民に対する調査でも同性婚容認する割合はほぼ半数を超えている

地方公共団体により実施されているパートナーシップ認定制度自治体による制度という制約があり、本件規定が異性間の婚姻以外について一切手当をしていないことに鑑みると、 同制度によって同性婚ができないことによる不利益が解消されているということはできない。

以上によれば、本件規定は、少なくとも現時点においては国会立法裁量範囲を超えており、 憲法24条に違反する。

各国の状況や世論の動向で憲法解釈を変えるべき、とのこと。

法の支配とはかなり異なる考え方で個人的には危険なことを言ってるように思えるが、最高裁はどう判断するのであろうか。

(各国の状況で憲法解釈が変えられるなら9条周りは解釈改憲し放題だし、世論の動向で憲法解釈が変えられるなら刑事司法関係人権保護上かなり危険だろう)

札幌高裁判断と国の対応

札幌高裁判決形式だけ見れば国側全面勝訴となっている。

国会には立法裁量があるが、同性婚を許さない本件規定について、国会議論司法手続において憲法違反であることが明白になっていたとはいえない。同性婚立法の在り方には多種多様方法が考えられ、設けるべき制度内容が一義的に明確であるはいい難い。同性婚に対する法的保護否定的意見価値観を有する国民存在し、議論過程を経る必要があることも否めない。そうすると、国会が正当な理由なく長期にわたって本件規定の改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。

したがって、本件規定を改廃しないことが、国賠法1条1項の適用上、違法であると認めることはできない。

この場合、国側は裁判には勝っているという理屈最高裁に上訴できない。

今回の場合賠償が認められなかった点で原告側が上訴してくれたか最高裁判断が仰げるものの、原告側が「違憲判断が出たことに満足して上訴しなかったら議論が宙ぶらりん(高裁での違憲という裁判結果は残るが政府はそれに拘束されない)になってしまうところだった。このシステムも妙に思える。 

そして、最高裁判断のないこの時点で政府憲法解釈を変更するというのはまさに行政府による「解釈改憲」となる。(いわゆる戦争法案ときは、政府は「解釈改憲をしていない」と位置づけていたにも関わらず、樋口先生たちだけでなく立憲民主党共産党もそれを強く批判していたはずだ。それに比べても今回はド直球の解釈改憲になる。)

まとめ

憲法同性婚を想定していない、というのは憲法学会の通説であり、政府見解はそれを前提としている。
最高裁判断のない時点でこの解釈を変更するのは立憲主義的にかなり問題が大きく、岸田首相発言憲法学的に極めて穏当である

所感

普通に改憲すればいいんじゃね?

札幌高裁判決文はすべて

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65f17930e4b01707c6d2759b

判決要旨から

追記

間抜けブコメがあったので(しかトップブコメ・・・

◯想定していない以上制限もしていないわけだから憲法解釈でごちゃごちゃいうよりも通常の立法措置OKなんちゃう

◯想定していないがだからダメというわけではないでしょ。だいたい両性っていうのは本人同士が決めるものって意味だし。

(他にも複数あったけど全部取り上げるのはめんどくさい)

少なくとも憲法上の婚姻制限されてるよ。

条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。

両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。

この観点では次のブコメリプライが正しい。というか

まっさら状態から自由可能ものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ」

ごめん、本当に出てきちゃったね。こんなに読解力に欠ける人が多いとは思わなかったんだ

コメントにある両性以外の同意法制化したら憲法違反になるよ。両性の同意のみなんだから。だから同性婚推進の方々は両性の意味をこねくり回している。

◯ここでの「同性婚を想定していない」は、結婚は異性の間でしか認識しない、同性婚というものはその存在を国は認知しないという意味であることの説明がいるんじゃないの。

そうでないと、同性婚については想定されてない、まっさら状態から自由可能ものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ。

追記2

“両性の合意のみに基いて成立”は“親など本人以外の合意が要らない”という意味で両性が“男と女”を強制しているわけじゃない、というのが憲法学者の見解なのでは。/

赤坂先生の言うところの

両性というのは二つの性ということなので、男性男性女性女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説

ですね、独自解釈ありがとうございます

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2023-12-11

やっぱりヤジって要らなくね?

anond:20231210080216

ヤジ要らないよねってエントリーブコメが人の話を聞かないヤジだらけでさ、じゃあやっぱり要らないんじゃねってなった。

安倍がどうのなんて一言も言ってないのに特定の人には(ただし安倍は除く)みたいな文言でも見えてんの?それ妄想だよ。

異論は辞さないなんてのもまっっったく書いてないよね。何で独裁がどうのとか言ってるの?何を勝手に見て勝手に憤ってるの?

その人の話をちゃん咀嚼しないで返してくる思い込み、早とちり、あのエントリー趣旨はそれが要らないって話だよ!

とりあえず人気ブコメレス

なるほどーヤジはNGだけど公権力による排除OKってことか。小学校は真面目に通ったけど中学校には行ってないとこういう思考になるんだな。義務教育大事

最も要らない何の生産性もないヤジ代表だね。

話も聞かず短絡的な文句つけてこいつ小卒って決めつけるのが義務教育の賜物なのか?ついでに言えば義務教育には中学校も入ってるわけで、イキるなら最低限の整合性を付けてくれ。

これに星つけた人、何を思ってつけたの?こんなヤジ、逆に恥ずかしくないのか?

こんな気に食わないやつに言ってやったぜみたいな唯の罵倒が支持されて、ちゃんと話を捉えて答えてくれてる生産性ある問答が埋もれてしまうのとかさ、正にヤジ要らないの実証なんだよね。

ヤジが要らない、というのはその通り。ただその考え方から、「公権力排除して良い」までの間には越えるべきハードルがいくつかあるはず。ここのバッファ大事だと思う。

これはそうだし、だから追記公権力排除ダメと書いたんだよね。

解釈改憲とかは要らないよ。公権力が動くなら法での明記が大前提だし、裁判判決が下った通り、公権力によるヤジの排除はアウトだろう。

でも、私は公権力による排除がどうのなんて話はしてないんだ。そればかりか全く政治に寄った話でもない。

そこは趣旨じゃないんだ。

「ヤジの要不要」と「ヤジった人を公権力排除することの是非」を切り分けないまま論じているのでぐちゃぐちゃになっている。子供にどんな社会を残したいかという話なら、ヤジの自由容認されている社会一択では

あのエントリーでどうしてその点を論じてるように捉えられたのかわからない。

まり貴方の子供は貴方含め人の話を好き勝手茶化したり遮ったりして聞かなくても良いってことかな。

異論が許される社会”と言う意味でそう言われてるなら私も異論はあって然るべしとしてるので、よく読んでください。

演説においてあまりにふざけた事言ってたらヤジることもありだと思うけど、集団シュプレヒコールよろしく合唱し始めたら選挙妨害よ。聴く側の権利もある。

そう、聞くの大事。まあ、政治に限った話じゃないんだけどね。

よく聞いて、理解して、返す。もちろん返すのは意見として対立してても良い。

ただ話し合いとしてのキャッチボールは成り立たせたい。

それにはまずちゃんと聞くの大事

安倍とか自分は散々国会でヤジってるのにヤジられたら公権力を使って排除するのはおかしい。自分がやられたら嫌なことを人にやってはいけない。

そうね。私もヤジ嫌いだからさ、与党だろうが野党だろうが安倍だろうがしょうもないヤジ許してないよ。

でもね、私のエントリー趣旨には掠ってもないのよ。

話聞いてくれ。

吉田茂に、コートを脱げっと言うヤジが飛んだ時に、「これが本当の外套演説」と言ったエピソードが良い。なんかそのレベルの大物感のある政治家がいなくてつまらない。

へー。昔は良かったんだね。

一見して不要ものをあえて権利として保護しなければいけない理由は、不要でないものまで不要とみなされて排除される危険があるからだ。恣意的な統制に利用される場合もあるし、巻き込まれ排除される場合もある。

ヤジって話の妨害じゃん。会話とかじゃなく暴力行為の類だよ。如何なる人の話においてもそれは要らないでしょ。

ついでに言えば不要とされ排除されてきたもの社会にたくさんあるのでは?犯罪行為なんてその成れの果てでしょ。

ヤジは民主主義にとって非常に重要プーチンに、「いよっ!負け戦!」ってヤジを飛ばせないから、戦争がだらだら続いてるわけで。民主主義のほぼ唯一の長所とは、誰もが失笑する政策を潰せることである

ヤジの過大評価がキツ過ぎる。ヤジは世界を救うって論文書いてヤジでノーベル平和賞でも狙う気なのか?

ヤジを飛ばせない云々じゃなくて独裁から批判できないだけでしょあれ。

法律禁止する場合必要ない」ではなく「害がある」まで行って初めて禁止できるのが自由主義なので。

辞書からして明らかに妨害”なんだよなあ。

やじ・る【野次る/弥次る】

読み方:やじる

[動ラ五(四)]《名詞野次」の動詞化》他人言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける。「演説者を口ぎたなく—・る」



自分必要なくとも「禁止せよ」には反対するのが権利というものだけど、嫌悪感で頭が埋め尽くされると突然記憶喪失になって「正しい選別」「子供に見せられるのか」とか言い出すやつどの分野にもいるんだよな

異論対立なども含めた話し合いを円滑に行う事を基軸に、コミュニケーションにおいてただ妨害に当たるヤジは要らないんじゃないかと言ってるだけであって、そこのところちゃん理解して貰えてんのかな?と思う。

大の大人が話も聞かずに喚き散らかす、怒鳴り散らす、話を逸らすって、そりゃ子供に見せるの恥ずかしいでしょ。そんなのOKしながら子供には『話を聞きなさい』なんて口が裂けても言えなくなるぞ。

2023-12-01

anond:20231201105111

安倍9条変えたいだけだったからね

それが解釈改憲で何とかなったか改憲する意味がなくなった

いまでも同性婚絡みの改憲とかは野党でも賛成してるんだから無理じゃないと思うけど

そっちは保守強硬に反対するんよなあ

2023-06-13

anond:20230613171252

ここがむずかしいですよね。科学的な根拠を出すなら日常的にポルノを見せた児童と見せなかった児童人体実験をしなければ分からないので、どうしても抽象論になってしまますね。

ただ私は成人であったとしてもわいせつ創作物公共空間で展示してよいかと決を採るなら、否定派が多数になると思います

採決したらそうなるだろう、という点は同意する。その上で俺は多数決で決めることに反対する。

日本人の80%がムスリムになったら、『公共の場所に同性愛コンテンツは一切掲示してはならない。異性愛コンテンツ露出次第で認められる』が多数になるかもしれないが、それでも今の日本国憲法の上では異性愛コンテンツ同性愛コンテンツ平等に扱われるべきだと考える。

これが一番よく分からないのですよね。

結局、条例法令ですので。

なぜ法律ダメ条例は良いのですか?

憲法に反する条例は許されないはずですよ

正直なところ、R-18に関して現状追認となる国の法律ができるならば反対はしないよ。解釈改憲で通るでしょたぶん。

2023-05-03

anond:20230503133113

解釈改憲解決すればOK

自衛隊廃止すべきでそれでも安全は守れる

このどちらかを主張するつもりならそれでもいいよ

 

ちょっと追加するなら、そもそも憲法議論をまじめにするならこのくらいの話はすぐ出るはずなんだよ

何万回も繰り返した話なんだから

「なくせ」「こわせ」「とりかえろ」なんて出てくるのはしょせん憲法を「おもちゃ」としか思ってないか

この理解度解像度で止まってしま

anond:20230503105708

まぁ普段からまともな憲法議論なんかできず、「守れ」としか言えない人たちが、憲法記念日になったら急に建設議論をするようになるなんてあるわけもなく...

そもそも自衛隊合憲なのかすらはっきりしない(合憲だというならその「解釈改憲」は認めることになる)し、第9章に改正の取り決めがある以上、憲法を適切に改正する事もまた「憲法を守ること」になるはずで、「守れ」と念仏のように唱えるのもまた憲法軽視というものだが

2023-02-13

anond:20230213212513

同性婚憲法禁止していないものの、想定しているかどうかでしょう

憲法が想定していもの民法規定することは立法趣旨に反するのでは?

解釈改憲をするのであれば憲法同性婚を想定しているとすべき

anond:20230213211818

解釈改憲の一切反対しないの?

解釈改憲ではなく改憲すべきだと考えたことはないの?

どうして改憲が嫌なの?

2023-02-09

anond:20230209165250

両性の合意とか解釈改憲でいけるやろ すべての人間は全員違った個別の性を持っているんや

まぁ認める必要はないし、ワイ以外の人間が苦しむ姿に同情するのが気持ちいから認めないでほしいわ

2023-02-06

同性婚賛成派は欺瞞だらけだよね

婚姻制度そもそも差別的であることを無視する欺瞞

日本国憲法第二十四条第一項を変えなきゃならないのに、護憲を主張し解釈改憲OKと言う欺瞞

憲法改正原案の発議をはじめ行政の様々な制度の変更が必要でその費用の捻出が必要になるのに、同性婚に賛成しても何もデメリットはないと言う欺瞞

2022-12-18

同性婚違憲じゃないってそれ50年前の日本でも言えんの?

当時は同性婚なんてけしからんと言われる以前に眼中にすらなかった時代で「両性」ってのは当然男女と解釈されてたよね

なのに今は同性婚合憲になるんだ?

それって君らが強く批判してた解釈改憲じゃないの?

50年かけて国民意識が変わったからそれに合わせた解釈改憲OKだけど政府がする解釈改憲NGってこと?

私は同性婚に賛成だけど解釈改憲否定派なのでちゃん改憲するべきだと考えてる

 

改憲自民党案みたいに全部まとめてじゃなくて一条ずつやってくれればハードル下がるのにね

九条や二十四条なんて割と簡単に変えられそうなんだからやればいいのに

十四条自民党が変えたがらないか・・・

2022-12-17

平裕介弁護士大阪駅萌え絵ポスター擁護記事に学ぶ詭弁テクニック

大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事ブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。

はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。

この記事構成は概ね以下ようになっている。

1. 大阪駅掲示された麻雀ゲームエロイラストは法的には問題ない

2. 広告には表現の自由があり憲法により保障される

3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない

4. 広告自主規制安易に行うべきでない

「法的に問題があるか」という論点は誰も取り上げていない

記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的詭弁である

「とらわれの聴衆」判決引用することの正当性

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

 市営地下鉄列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。

記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的ポスター掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送性的広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。

ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝表現の自由保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。

およそ表現の自由憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由特定表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現自己意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定表現のみが受け手強制的に伝達されるところでは表現の自由保障典型的機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。

 本件商業宣伝放送憲法上の表現の自由保障をうけるものであるかどうかに問題があるが、これを経済的自由行使とみるときはもとより、表現の自由行使とみるとしても、右にみたように、一般表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシー利益に劣るものとして直ちに違法侵害行為判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシー利益との調整を考える場合考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送一般公共の場所においてプライバシー侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである

広告批判することを憲法を持ち出して非難することの正当性

記事はここまで一応は法律にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧ものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告批判した内容についてではなく、批判したという事実のもの非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内民間活動経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから国会議員憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。

さらにいえば尾辻かな子氏は今は国会議員ではない。

広告自主規制はどうあるべきかという本来問題への無関心

記事広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である

また、松井茂記教授ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争犠牲者テロ行為犠牲者写真映像も、公表できないことになろう」と解説しています松井茂記インターネット憲法新版』(岩波書店2014年)169頁)。

このように、「ジェンダー構造再生産する」とか「女性人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。

記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告鉄道の駅掲示することは現在でも自主規制対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである性的広告鉄道駅掲示することの是非は、その自主規制ラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。

強い党派性

記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。

なお、国会議員等が、与党解釈改憲や検察庁法の改正問題批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家意見尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場意見合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。

常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から広告表現憲法で強く保障されている」という通常と真逆メッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。

2022-10-20

統一教会批判するにしてももう少し真面目にやれってば

https://twitter.com/sakurauchikoshi/status/732177510520098816

打越さく良 りっけん 立憲民主党@sakurauchikoshi

信教の自由守れ、新宗連が小冊子 解釈改憲危機感朝日新聞デジタル

午後8:54 · 2016年5月16日

新宗連・・・新日本宗教団体連合会

立正佼成会を中核とする新興宗教団体

元々自民支持してたけど自公連立以降は民主党系を支援してる

https://www.sankei.com/article/20221019-GFOIEZC7YRIO5EI5WR3ESI63I4/?outputType=amp

立民・打越さく良氏、国会審議で山際担当相の信仰をただす 参院予算委で質問

2022/10/19 15:28

これじゃ人権も信教(内心)の自由統一教会問題も単に政府批判できるから使ってるだけで、本音ではなんの関心もないみたいやん

2022-08-17

統一協会規制信教の自由的に無理!!!ってネトウヨが騒いでるけど

そこまでして信教の自由とやらを守る必要あるん?

憲法とか改正して自由とかなくせばいいじゃん。それこそ「解釈改憲」して実質的になくせばいいじゃん。

そして特高警察的なのを復活させて、信仰調査して明確に否定しない人は「強く取り調べ」とかすればいいのでは

今のままだと「よくわからないので明言しません!」とかが野放しにされてるやん。

2022-07-29

anond:20220729151045

日本はやるとなったら別件逮捕だろうが解釈改憲だろうがあらゆる手段をつかうの。

普段そういうやり口否定してるくせにずいぶんとご都合主義だな

anond:20220729150345

この論法もあちこちで見るわ

献金信者自由意思から規制できない」

で、次はたぶんこんな論法も出てくるわ。

「他の宗教を巻き込まず統一教会だけを狙いうって規制することは出来ない」

あのな、国民全体が統一教会排除する、という覚悟をもてば

法律なんか問題にならんの。

日本はやるとなったら別件逮捕だろうが解釈改憲だろうが

あらゆる手段をつかうの。

お前らみたいな寄生虫排除するためだったらな。

2022-07-08

anond:20220708201845

加計オリンピック

赤城は死んで国は責任を認めて税金から賠償金を払った

まり安倍政権が悪かったって事じゃん

安倍が死んで忖度する必要がなくなったかワンチャンまた証拠が出てくると思ってるよ

だってこないだ新証拠が出てきたじゃん。サントリー飲み物提供してた

国会うそをつきまくり解釈改憲民主主義破壊公文書改ざん統計偽装日報破棄

消費税増税個人消費激減、貧困層拡大で無敵の人増加

まあその無敵の人にやられるなんてふさわしい最後ですね

本当に日本のガンでした

冥福祈りません

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