はてなキーワード: 画期的とは
インターネットが交流する前は、そもそも「情報」にアクセスできる人間が少なかったし、情報の扱いに慣れた人間も多くはいなかった。報道機関は、スタンスとともにそれにそれに沿った報道をなしていれば、あとは思想の近い人間がそれを読み、近しい人間の間で広めるだけであった。
インターネットが広まるにつれて、情報を扱える人が増えていった。報道機関でなくとも、情報を広めることができる人も増えたり、情報に触れる機会が増えるにつれて、その読み方にこなれた人間も増えていった。
SNS全盛に当たっては、そもそもが皆が発信側に回ったと言っていい。もちろん、皆が発信をしているわけではないし、発信している人間がみなうまく発信しているわけではないけれど。
しかしながら、90年代の前半―インターネットが登場する前―と今では、そもそも情報の総量が違うし、人一人あたりが扱える情報の量も変わってきた。
既存メディアは、特に大手のテレビ局や新聞社は、それに気づいているだろうが、やり方が変わったとは思えない。せいぜい新しいチャンネルとしてインターネット・SNSを使うことはあっても、その使い方は既存の使い方―思想が近い人が読んだり、あるいは思想を近くさせるためのもの―である。
もちろん、各社の間にも情報の扱いの上手下手はある。いくつかの軸があると思うが、私が思う二つをあげてみたい。一つは「主張の強さ」である。
たとえば顕著なのは、文春と新潮ではないかなと思っていたりする。「文春報」と呼ばれるような比較的大きなうねりを生むような報道には、インターネットでの拡散が大きな役割を負っているように見える。これは文春の編集部が、インターネットにフィットした情報発信の仕方で、インターネット受けのする情報を発信しているからだ。
一方で、新潮はそこが弱い。スタンスを強く持ちすぎているように見える。特にコロナに当たっての報道などはその傾向が強く、西浦先生に対して強く当たってみたり、いまいち受けの悪そうな人の主張を拾ってきてはインターネット(の一部)を失望させている。
正直な話、文春の報道には、主張が見られない(もちろんすべてに対してではない)。彼らは淡々としているのだ。淡々と受けるものを発信しているのだ。いや、彼らなりにあるのはわかるが、それを周到に隠して見せている。これが、彼らのインターネットでウケるためのテクニックなのだ。
もう一つ軸として思うことは、「ソースへのアクセスが可能か否か」だ。
ニュースには情報源を秘匿しなければいけないような報道も多いが、そういうものはここでは含めない。たとえば、画期的な論文が発表された、あるいはなんらかの組織からの調査結果が出た、といったものには、明示可能なソースがあるはずで、そういったものについての報道である。
最近では、論文を元にした報道については、そのソースへのリンクを貼る新聞社のサイトも増えてきたように思う。一方で、どこの調査かわからない表現で、なんらかの調査結果について報道している記事もまだまだ大量にある。
そもそも、ラジオやTVなどは、そういったものについてのソースを明示しようと思っても、なかなか難しい。この点、媒体としてインターネット時代には合いにくい部分はあるのではないかと思う。
みたいなことを適当に書いていたのですが、この文章にソースはないという。それに私自身、別にメディア論とか勉強したりしたことがあるわけではないので、参考になる書物などがあれば、教えていただきたいです。現場からは以上です。
これは、およそ2000年の歴史の中で顕在化した現在の天皇家の問題を解消し、西暦4000年頃に同様の問題を起こさない為の、新提案である。
よって、現状の女系男系論争とは別物であることは最初に断っておく。
万世一系を証明するためには、遺伝情報が必須である。この時、父母両方からの由来の可能性があるものを前提にすると、2000年も経つと辿れなくなる。よって片方のみ受け継がれるものが良い、そこで最良の基準は母系のミトコンドリアであろう (父系遺伝の研究も存在するが、完璧なものはまだ無いように思える)
よって、天皇家 2.0 では現代の科学文明水準において、皇統を国内外に証明しながら公正に代を重ねる為、女系に切り替えるのが最善であると思われる。しかし、100年200年の範囲ではどちらでも良いだろう。
この、ミトコンドリアを基準にした女系の後継には公証の目的以外にも多くのメリットがある。それは今熱い話題となっている後継問題と結婚相手の問題である。
仮に、本家の血筋が途絶えてしまっても、ミトコンドリアの遺伝情報によって、より正統な後継者を分家から機械的に探し出すことが出来るのである。これは、1.0の歴史を振り返っても画期的である。揉め事が起きても、ミトコンドリアの遺伝子を判定するだけで瞬時にどちらが正当な後継者か、客観的に判断がつくのである。
結婚相手の問題も同じように解消できる。父が誰になろうと母系のミトコンドリアしか影響しないという心理的安心感はさることながら、例えば天皇家にどれだけ近い血筋かを本人の申告や周辺情報ではなく、客観数値で判別することが出来るのである。つまり、親族かそれ以外という離散的な区別から、連続的な区別が可能になる。
どうだろうか、天皇家 2.0 の革新性と有効性はご理解頂けただろうか?これはただの提案であり、100年、200年の直近では意味のない話だ、しかし2000年以上先を見据えた時の唯一の解であることを理解してほしい。
最近、「人権感覚のアップデート」とか言われることが多い。しかし、人権思想は短く見積もっても200年~300年以上の歴史があるので、過去もアップデートがあったのは間違いない。
人権思想の走りと言うべきもの。いわゆるマグナ・カルタや権利の章典などで人権思想の基本となる考えが整備されていった。
いわゆる「国家からの自由」と平等。政府が令状なしに逮捕したり、法律の規定や裁判なしに刑罰を与えたり、特権階級をもうけたりすることを禁じた。
いわゆる「国家への自由」。要するに参政権。必然的にこれもついてきた。
人権における画期的なアップデートである「国家による自由」が実装された。19世紀末~20世紀前半に成立し、これにより近代的な人権制度が一応の完成を見たといってよいだろう。
単に自由なだけでは恵まれない人が割を食うばかりになるので、生存権、教育を受ける権利などのように最低限保障すべき権利を規定し、政府が施策により実現することを義務とした。もちろん、これが特権であり平等性に反するという主張もあったが、現実に劣位に置かれている人を、平等な水準にするということで理論的な解決を見た。
「かわいそうな人」の権利を守るために、そうではない人の権利を制約しようと言う思想。
アンチファによるヘイトスピーチ規制の主張や、フェミニストによる表現規制の主張、性犯罪に対する要件の緩和や厳罰化などが人権3.0。
しかし、これは当然に、権利の制約になるので、人権1.0と真っ向からぶつかることになる。
もちろん、人権1.0でも、他人の人権を侵害する行為は禁止する(=政府が処罰する)ことはできる。殺人を行う自由という人権は認められない。
しかし、これは同時に、他人の人権を侵害したことが明確に立証できないことは禁止(=処罰)できない、ということと等価である。これを問題視する向きが人権3.0を主張し、人権1.0を攻撃している。
今日の、立憲民主党本多議員の離党騒動はまさに、この人権1.0vs人権3.0という問題である。人権1.0の立場に立てば、明白な権利侵害があることに対して「のみ」規制されるべきと考える。だから、様々な限界事例を例示して、規制の問題点を指摘する。対して、人権3.0の立場に立てば、明白な権利侵害があるかどうかはっきりしない事例でも、加害者の処罰が漏れることが到底許し難い。これに対して人権1.0の立場からは「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜を罰する勿れ」「刑法典はならず者の権利章典である」といった原則が掲げられ、被害者やその周辺の感情に寄り添わないことが美徳とされる。
増田は、この人権3.0へのアップデートを、バグが多く、危険なものだと考えている。罪刑法定主義や法の適正手続きといった手法、権利の衝突の解決手段としての公共の福祉、明白かつ現在の危険、こういったさまざまな近代的な人権と法制度に基づく道具立てとコンフリクトをする思想は、最早、人権とは呼べないだろう。単なる魔女狩り裁判を正当化し、フォークデビルを火あぶりにする、俗情との結託である。こんなものは、全く「立憲主義」などではない。
前回
https://anond.hatelabo.jp/20210617075441
https://anond.hatelabo.jp/20210617192030
イベントが始まった。アプリのリリースから1周年記念ということで、例によってチケットの販売とイベントが始まっている。
チケットとは周回1回毎のアイテムドロップ率を上昇させる課金アイテムであり、ガチャとは違ってキャラクターの入手保証は存在せず使用タイミングは個人の自由に委ねられている。この事実によってゲーム中のキャラクターをいくら弱体化しようが「いや、キャラクターの弱体化とチケットは関係ありませんけど??」という立ち位置で返金を避けられる超画期的システムだ。
とはいえ因果関係が断絶されていてもユーザーの好感とは別の話で、毎度毎度不具合やナーフの度に申し訳程度の詫びチケが配られている。
バランスについては仕方ない。強すぎたら弱体化するのは当然。けれど今回やらかしたのは最速実装1日ナーフ告知。瑞麗というキャラが弱体化された。
前回の記事で「イベントが終わってから悠々自適にナーフすんなよハゲ」と言った立場ではあるのだが、さすがにイベント開始直前に実装して1日でナーフ宣言するようなキャラを実装するなよと言いたくなる。が、今回の主題はそこでは無い。そもそもこの運営はキャラクターの強弱を理解しているのか?
瑞麗は他の追随を許さない性能を持っていたから弱体化する……などと書かれているのだが、とてもそうとは思えない。
確かに瑞麗の持つ固有スキル『祈り』はこのゲームにおける必須スキルと言っても過言ではない。継戦能力を向上させる優秀なスキルであり、ネタパーティでもない限りはこのスキルを持ったキャラクターを採用する。そういう意味では他の追随を許さないのは間違いない。
しかしその場合他の追随を許さないのは『祈り』であって瑞麗ではない。他の祈り持ちである『アナ』の立ち位置が弱体化前の瑞麗によって危ぶまれたかというと絶対にそんな事はなかったはずだし、そうならないと言うことは他の追随を許さない瑞麗より強いアナの方が問題だ。もちろんアナを弱体化しろという話ではない。
強いから弱体化と言うのは構わないがあまりにも言い訳がゲームと乖離し過ぎている。とりあえずこれ言っとけばいいだろう、というようなバランス調整テンプレを他から持ってきたようにしか見えない。
以前からずっと思ってきた事だが、このゲームの運営はインディーズとメジャーの悪いとこ取りを目指してるのかとしか思えない程の悪手を繰り返す。他のインディーズゲームとのコラボ!と鳴り物入りで登場したスキルがあらゆる条件下で1ダメージになるというテストプレイ以前の動作確認すら行われていない疑惑どころか確証に近いレベルの根拠を生み出してしまった事もおかしいし、それが単なるかませにしか見えない程のバグが多発し、体調が悪かったですなどというあまりにもテンプレートな言い訳構文ですべての言論を封殺。公式アカウントと連結した個人アカウントで顧客のレビューに対する愚痴を連呼。
確かに世間でヒットしてるゲームの戦略は参考になるのだろうけど、参考にする所を間違えてません????あるいはインディーズだから叩かれにくいという世界のシステムを悪用しているのか?
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
府中市内の五輪自転車コースにアスファルトが撒かれていた廉で会社員が逮捕された件で、報道が警察発表の素通しな為にミスリードされてる人が多いので説明したい。
報道はこれ
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html
アスファルト舗装の為の建材の事を合材と呼ぶ。小石や砂とアスファルトを混ぜたもんである。石油精製塔で軽い方からLPG、ガソリン、灯油と抜いていって一番下に残ったのがドロドロのアスファルトだ。
冬にはカチカチだが真夏にはぐにゃぐにゃする、それ位のちょう度を持っている。屋根の防水には素のアスファルトを使うが、道路の舗装には砂と砕石を混ぜたものを使う。これが合材。
合材をそのまま撒いてロードローラーで固めても一応の舗装にはなるが非常に脆く直ぐにボロボロと崩れてきてしまう。だから舗装に使う合材は150度位のアチアチな状態にして現場に持って行く。
砂や砕石などの土木用資材を扱う卸業者を砂場と呼ぶが、アスファルトはこの加熱の要があるので専門の業者の扱いになる。砂場は結構あちこちにあるが、アスファルト屋は数が少ない。
合材は冷めたらいけないので直前まで取りに行けない。また持ってくるときもカバーをかけて冷めないようにする(量が多い場合は表面積/体積比が大きくなり冷めにくいので省略することもある。)
工事が終わらず通勤時間にずれ込むと渋滞の原因になり、工事許可を出す警察署に怒られるので前倒しの計画にする。つまり工事自体は3時とか5時に終わって合材待ちの状態にすることが多い。
この事件の場合、合材の散乱が見つかったのが明け方なのでばら撒きはその直前のやはり明け方だろう。
するとこれは通常の工事で合材を持ってくる時間である。なので意図的に撒いたとする可能性は低くなる。
日本で生活していて雨の日に車が跳ねた水被ったという経験がある人は居ないのではないか?少なくとも20年前からは無いと思われる。
また真夏の日にアスファルトがドロドロに溶けてしまったり、バス停で停車場所に出来た轍からバスが抜けられずに四苦八苦した事も見た事がないだろう。
雨の夜の運転で路面が光ってどこが車線だか全くわからんっていう経験も。
これは90年代の中ごろに合材の技術革新があり、浸透性舗装というのが開発され日本ではそれの採用例が増えてきた為なのである。
これを開発したのはアメリカの会社で水はけを良くするのが主目的だが多くの利点がついてきた、かなり画期的なものなのである。利点はこういう感じ。
路面に水が溜まらないので水撥ねもしない。雨が降ると従来型舗装では路面に水膜が張られ、それが対向車線のヘッドライトを反射するので車線がどうなっているのか判らず雨の夜の運転は危険だった。その危険も無くなった。
従来型舗装の上を車が走るとタイヤの水捌けの為の溝によりゴムの角が打ち付けられるのでゴーーというロードノイズが発生する。浸透性舗装では路面が穴だらけなのでそこに音が吸収され渋滞型と比べると無音に近いと言っていいほど静かだ。録音スタジオなどの吸音ボードに構造が似ているからだね。
従来型舗装が熱せられるとアスファルトのちょう度が下がり、砕石から遊離して表面の方に寄ってくる。この為酷暑では路面表面がドロドロ化するのが常態化しそこに重量のある車が止まると凹んでしまう。特に停止線前での轍が酷くバイク事故の原因になっていたりした。バス停では毎度同じ場所にバスの車輪が止まるので4か所が凹んでしまい、出発時にバスがそこから抜け出すのにシーソーのように何度も車体を揺するユーモラスな光景が良く見られた。浸透性舗装の技術評価では従来型に轍掘れ耐性は劣るとされているが、実際は酷暑のアスファルト緩みに起因する事が多いので段違いに浸透性の方が良い。
夏の日光も乱反射するから照り返しが穏やかだ。しかも路面の下の水分が蒸発する時の気化熱で路面温度も下がる。
摩擦表面はつるっぺたの方が表面積が高くてブレーキも理論的には良く効くのだが、実際はほこりや水など不安定要素が多く、浸透性舗装のように引っかかる角が連続するような構造の方が安定して制動力が得られる。
いい事ばかりだが欠点もあって
普通の合材はアスファルトと砂、砕石を混ぜただけだが、それでは浸透性のような雷おこし構造にならない。
そこでポリマーに水と乳化剤を吸わせ、それをアスファルトに混ぜて砕石にまぶすという方法で雷おこし構造を実現している。石同士が柔軟性のあるアスファルトで接着されているが、石同士が噛み合っているので転圧されても潰れないって状態だ。美味しんぼの銀五郎もこの構造真似すれば良かったね。
こんな特殊構造なのでかなり高額な上にホムセンなどには卸されていない。専門の卸業者からトン単位で買わなきゃならない。
道路は上から見るとアスファルト舗装しか見えないがその下には必ず50cm位の砕石層を入れなきゃならない。
一番下は砂でそれを転圧、その上に砕石を50cm入れて転圧、最後に合材を撒いて転圧だ。浸透性舗装では水が路面の下にじゃんじゃん行くので特にこの辺りをしっかりやっておかないと砂が流れて陥没してしまう。この辺もコスト高の原因だ。
https://www.asahi.com/articles/ASP7M6FXVP7MUTIL04W.html
見ると「豊島区の区道路整備課アホやろ」と思ってしまう。路面の下の砂が流れちゃってるのが原因なのだよ。それが路面下の施工不良のせいなのか水道管破損のせいなのかが問題。朝日の記者も突っ込めよ。
この合材を使ってるのは日本の他限られた国だけだから、外国に行った時には雨での路面水撥ねやスリップ、路面光りなんかは解消されていない事もあり注意が必要だ。雨の夜に特段の注意をしなくて済むのは日本他その合材採用した国だけなのだ。
合材の技術革新すげぇんよって事言いたくて長くなってしまったがNHKのこの映像の最後のシーンを見て欲しい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210722/k10013153791000.html
落ちてる粒と歩道の舗装の粒が同じじゃないか?歩道の舗装は浸透性だ。対比として従来型舗装がこれだ。
故に撒かれた合材も浸透性合材である。浸透性合材はホムセンとかじゃ買えずに専門卸でホカホカのを買うしかないから五輪嫌がらせの為に撒いたという可能性は低くなる。
しかも道路工事で合材取りに行く時間だ。これは工事業者が誤って落としたのではないかという気しかしない。
ダンプは普通のトラックと違い後ろアオリが上ヒンジになっていて、下側にロックがある。そのロックをし忘れると下側からザラザラーと流れ落ちてしまう。それで落としたんじゃないか?
まず逮捕するには居場所が不定で逃亡や証拠隠滅の恐れがある時(罪状が重い場合も逃げる動機が大きくなるので加重評価される)に限られる。合材を道路に落とすと言うのはかなりの迷惑行為なのだが、それにしたって逮捕はないだろう。
この報道は「間違っている事を書いていないがミスリード」の典型だ。「アスファルトの粒が」となったら浸透性舗装合材だしそれは普通の人は買えない。そこは説明しないと視聴者の多数は判らない。未明に通行となったら道路工事で合材を取りに行く時間と重なる。これも説明なくば視聴者多数は判らない。
そこで「会社員が」と言われれば昼はスーツ着て働くリーマンが夜に撒いたってイメージになる。土木会社の作業員や運転手だって会社員だから間違ってはいないが視聴者の認識は間違いだ。
因みに植物油には植物性コレストロールが含まれるがこれは体内に吸収されずに排出されるのでコレストロール0と表記しても間違いではない。しかし全ての植物油はその故にコレストロール0なのでその表示を見て買う顧客は優良誤認している。
「間違っていないからミスリード起きててもヨシ!」みたいな報道は止めて欲しいもんである。それはまるで浸透性報道といった趣だ。浸透性舗装は優れているが浸透性報道は劣後なものだ。
最後にトリビアだが、昔のミシンや機械などは真っ黒の艶てか処理がされていたがこれにはアスファルトが使われていて「ジャパン/ジャパニング」と呼ばれていた。
チャイナが陶器でジャパンは漆器だったのでその延長で言われたのだが、アスファルトと日本は切っても切れない縁なのであった。そんな日本で足元のアスファルトに技術革新が起きてるのに気が付かないのはよろしくない。
秋葉原に勤めていたころ、eイヤホン の実店舗によく行ってた。
店内にずらっと試聴台が並べられていて、当時は、聴き放題なんて画期的だと思った。
数十万のヘッドフォンとかも、客の手元の端末に繋いで、気軽に試聴できるように配置してあった。
初めは冷やかしだった。
30才まで、音の聞き分けについて何も考えてなかった。
だから、店で、高価なイヤホンやヘッドホンを試聴してみて、知らない音がいろんなところからいろんな風に一斉に聞こえてくるのにビックリした。
いろいろな機種に繋いで、自分の気に入っている曲を再生して聴き比べていくと、値段だけじゃなくて、メーカーでも、機種ごとにも聴こえる音が違うのが判ってきて、楽しかった。
耳は一対しかないのになー とか思いながら、少しずつ、いくつも買い集めて楽しんでた。
オリンピックを開催しても、彼に負けはない、そう考えているんじゃないかと。
このまま開催すると、だいたい以下の3パターンが考えられる
もちろん勝ち。
無観客にした時点で負けだろとか、緊急事態宣言出しといて負けだろ、はいまぁそうなんですが
この状況でもしこうなったら自分の政治的手柄だと主張することは間違いない
勝ち。
感染者数は最大を更新するだろうが、超過死亡は他国よりマシだった、というくらいの、去年同様のパターンに落ち着くケース。
いやワクチンあるだから去年より抑えられてなきゃおかしいんだけど。
しかしこれは後出しで結局抑え込んだ、だって死んでないじゃん、だから勝ち。となると思う。
大勝利。
今回考えたのはこれ。
実は彼の望みは「世界に破滅的被害をもたらした五輪株を作った男」「近代五輪を終わらせた男」になることなんじゃないかと思い至った。
ネガティブなものになるが、自分でなにか画期的な成果を出さなくてもよく、現状をズルズルと続けるだけで歴史に名が残る可能性がある。
そして、だからといって殺されることは多分ない。何の罪にも問われない。
嫌われるだろうが、それは今でもそうだ。
Twitterのリベラルがよくやってるような、自民党を頭の中で悪魔化して陰謀論じみた事を言い出すのとは違った文脈だと思っている。
考えてみて欲しい。
もし自分が、前任者が逃げるように辞めて、気付いたら被害担当艦みたいな総理大臣になっていて、、、
しかし総理大臣になったのだからある意味上り詰めはして、次の目標が必要だ。
就任当時から国民からは期待されておらず、愛される総理、みたいなものになれる見込みはなく
となったら、自分にしかできないでかいイベントを起こして世界に自分の名を知らせてやろう、と考えてもおかしくないのではないか、、、そう思った。
どう思う?
ロボットものって、男の子向け女の子向けがはっきり別れていた時代の、男の子向け魔法少女ものなんだと思う。
平凡な子に特別な力が与えられるが、でもそれは一時的なもので、魔法の力が無くなったり、魔法の国に帰ったりする、というのが物語としてのセオリー。
転生ものは、元の世界に戻らずに特別な力は失われることが無いという意味で、物語のセオリーから外れたのが画期的だったんだ。物語で元気をもらって現実がんばろうとかもうそういうのどうでもいいから、帰ってくるなら絶望しか無いから、ずっとそこに居たいっていう。
フィクションの役割が、現実を生きる勇気を与えるものから、現実逃避に完全に変わってしまった感じ。子供のためのものから大人のものになったということなのかもしれない。
自分の中で変わったなと思うことをまとめてみる。
今まではコンパクトデジカメを使っていたが、メディアを差しなおしたり、ケーブルに繋いだりするのが面倒だった。
スマホなら普通にケーブルをつなぐようになるし、そこから「PCから」操作していくらでも吸い出せる。
最近はさらにNASを購入して「スマホから」操作して画像データを共有フォルダに送ることができるようになった。
これが結構重要で、必要な画像だけを確認しながら転送できるので利便性が数段アップした。
もはやコンパクトデジカメはスマホ自身の画像を撮る以外の用途はなくなっている。
今までつけていなかったわけだが、せっかくアプリがあるのだからということで書き込んでいる。
入力が面倒にならないようにいろいろな分類やUIに工夫が凝らされており、6月分は飽きずに入力できている。
入力してみて面白いのは、やはり収支が一覧できたりグラフ化できたりするところだ。
今まで何の気なしに散財してきたな、と言うのがよく分かった。
これもアプリがあったので入れてみた。
毎日間隔で体重を入力していくだけなので、とくに入力が苦になることもなく1か月続いている。
先述の家計簿と一緒で、蓄積したデータがグラフ化できるのが分かりやすい。
YouTubeのマイミックスリストで好きな曲が勝手にリストアップされるので、気分よく聞くことができる。たまに広告が入って気分が害されるが。
ウィジェットでGoogleカレンダーを表示させるようにするとなかなか便利だということに気が付いた。
以前PCでも予定を組んで作ったことはあるのだが、確認するのにわざわざPCを立ち上げ泣けなければならず、結局放置してしまった。
スマホは基本的にすぐ見られるし、急な変更ならスマホからでも編集できるのでとても便利だ。
買い物系(Amazon・ヨドバシなど)はやっぱりPCの方が使いやすかった。品物を選ぶのも、購入するのもやはりPCの方がいい。
漫画ビューアも試してみた。片手で見られるのは画期的だったが、やはり画面が小さい。タブレットにしたい。
運用監視の現場で週末も心休まらない皆さんこんばんは。一人運用チームです。
さて、世間ではDevOpsだのイケてるクラウド監視ツールだの楽しそうですが、そうでない人もいますよね。
もちろん、「運用チーム(実態は俺1人)」なんてのは、ペイグレードに応じた責任感で粛々と業務を進めて理不尽には応じないのがプロフェッショナルな態度ですが、
お銭を稼がなければ生きていけないのも渡世の世知辛いトコロです。
これから金を生むんだ!という強烈な人間が金を引っ張ってこない限り、コスパの悪いサービスにリソースは割り振られません。
つまり、今もし運用監視体制が限界ギリギリで踏ん張っている場合、拡充される可能性はありません。諦めましょう。
今回のみずほ銀行の調査報告書(2021年6月15日発行分)p114-p116におけるヒアリング結果が悲哀に満ちているのも当然と言えるでしょう。
教訓は、「維持メンテの人員が不足したら、それ以上増えない」というものですね。
維持されている(ように外部から見える)場合、余剰人員は不要なコストです。
さて、みずほ銀行の調査報告書を読むと、今回大ごとになっている「通帳の取り込み」というのは何度か起きていますが、改善されていません。
まあ、やりたくないよね、「障害が起きた時の顧客影響を抑える」なんて後ろ向きな投資。
なお、盛大な怒られが発生した結果、再発防止策として、今回の通帳取り込み5244件のうち4915件をなくせる仕様変更が入りました。
直せないのではないのです。直さないのです。
教訓は、「障害が発生しても、予算を握ってる人に被害が及ばない限り、リソースは降ってこない」というものですね。
過ぎたことは過ぎたこと。いま維持メンテがギリギリのところに新たにリソースが投入されることは基本的にありません。
外圧があれば別ですが。
さて、ここまででわかる通り、いま1人運用やそれに近い運用をしている皆さんに、追加人員は来ません。
リソースは降ってきません。予算は通りませんし、人員は増えませんし、なんなら残業代も出ません。
もうわかりますね?障害は握りつぶしましょう。出しても一つも良いことないんですから。
慢性的に時間がない皆さんに朗報です。実は時間を生む画期的なテクニックがあります。
業務について最初に、毎日1時間を「斧を研ぐ時間」にするのです。
大丈夫分かっています。今あふれんばかりに仕事があって実際あふれているんでしょう?
どうせあふれるんです。あふれさせましょう。どうせ怒られるなら「仕事」したいじゃないですか。
WARNINGやERRORまみれのログが定常的に出ている状態は、たいへんよろしくないです。
握りつぶしましょう。
「そのエラーは概ねもっと深刻なエラーが吐かれるまでは気にしなくて良いヤツ」みたいなのがあるでしょう?
消し去りましょう。痕跡すら残さずに。
そのために、運用監視用のログが必要なら、生成しましょう。その生成途中で握りつぶせば良いのです。
「ドラえも~ん、大量にエラーが出たら処理しきれないよ~」「のび太君それ全部処理するの?」「え?」「え?」
当たり前のことなんですが、人間には概ね4本以下の手しかありません。俺は2本派です。
運用チームの対応者が一人の場合、対応できる時間当たりの処理能力には上限があります。人間はオートスケールしないんで、当たり前ですね。
つまり、「同じようなエラーで同じような処理をしないといけないが、違うエラーメッセージ」というのは、無意味です。
さっき、自分が理解ってるエラーを握りつぶすことを日課にしましたね?
次の段階です。対応できるエラーだけ残して握りつぶしましょう。
もちろん、裏では垂れ流しで大量のエラーログは取っておく必要はあります。見るエラーは一つで良いはずです。だってまずそれ対応するんだもの。
例えば、1人の時に100件のエラーが出ても、3人の時に6000件のエラーが出ても、処理できないことに変わりはありません。
つまり、それは「記録には残すエラー」ですが「対応のトリガーにするエラーメッセージ」じゃ無いんです。
例えば、幸せなことにショートメッセージやメールに自動発砲できる場合、初手だけ発砲して残りは握りつぶしましょう。
飛行機や宇宙船で機長が言うでしょう?事故が起きてアラーム鳴ってたら、アラームを切れって。
アラームは気が付かないと困るからワーワー言うんであって、処理してる最中は邪魔なだけです。
握りつぶしましょう。
多少手荒でも良いんです。エラー即再起動みたいな乱暴な奴でもオッケーです。
思い出してください。リソースは無く、対応するのはあなただけ、維持管理出来て当たり前。
どうせクレームの電話がかかってくるなら、一人一人に真摯に向き合って丁寧に応対するのも良いかもしれません。
身命を賭してクレームに寄り添って慚愧に堪えぬその思いを真剣に伝えましょう。
その間に、システムは自動的に再起動し、他のクレームの電話は保留音を聞くことに飽きてきます。
慣れてくると、鼻をほじりながら「誠に申し訳ございません、今誠心誠意全力で復旧に」と喋りながらチャートを引っ張り出して手順を追えるようになります。
復旧手順RTAチャートの作り方は、珍しく潰しの効く能力になるので磨きましょう。
しっかりとしたチャート、常にチャートを見直す向上心、日々の走り込み、本番での平常心。
出てきたモグラを叩くのではないのです。モグラの出現順序を覚え、練習し、効率良く叩くのです。
さて、最近も陰謀が話題になりましたが、情報を知るものが増えれば握りつぶすことは難しくなります。
人を減らしましょう。
レポートラインは一本に絞り、その障害が起きたことになると給料が下がるタイプを相手に連絡を取りましょう。
うっかりミスからメールのCCから落とすのでも、手順書を作ったときに気が付いたら項目が無くなっていたのでも問題ありません。
残念ながら、その時不思議なことが起こって、連絡先が増えることもあるかもしれませんが、そういう時も諦めましょう。
出来ることは変わりません。
みずほ銀行の場合、A2以下の障害ランクの場合、頭取は別にニュースで初めて情報を知っても良いのです。
システム障害というから、なんか大変なことになるのです。インシデントだの障害だのは無くしましょう。
それは「予定されていた手順」なのです。
納品されたハードウェアには不備があり、雷は落ちてコンセントまで到達し、ケーブルは間違えて刺さり、ココしかないというタイミングで停電になります。
ただでさえ維持メンテの人員が足りてないのに追加機能や新規バッチが走ったりすることもあるでしょう。
チャートです。RTAチャートです。復旧RTAチャートを作るのです。
そのチャートには不足しかないかもしれません。ハードウェア故障→上司に電話、停電→上司に電話、みたいなチャートもよくあることです。電話しましょう。
それは障害ではありません。事前に探しておいたルートを走る競技です。
李下に冠を正さず。
例えカンムリが傾いてると分かっていても、問題になりそうな場所で手をあげてはいけないのです。
繰り返しになりますが、ペイグレードに応じた態度がプロフェッショナルには求められるのですが、お給料はいただきたい。
必要なのは、まず個別最適化です。あなたの仕事を減らしましょう。
余裕が生まれたら「この仕様は修正した方が」とか「週末にバッチあてるなら前の週末に復旧訓練をしましょう」とか言い出せば良いのです。
まあ、次にみずほ銀行が日曜に新規バッチを当てるときに、その2週間前の日曜に頭取を含んだS懸念の緊急対策本部を立てた訓練をするかっていうと、しないんじゃないかな。
つまり、そういうことです。
https://anond.hatelabo.jp/20210617085455
これは本当にそうで、「Jホラーの傑作」ということになっている『リング』や『仄暗い水の底から』ですら主役の演技が酷い。
公開当時はそれらの大根芝居が散々叩かれたものだが(当時は人気映画でもきちんと悪い部分を批判する文化がまだあった)、時間が経つにつれてそこが忘れられて「これだけ低レベルの演技でもオッケー」な扱いになっていることも要因かも知れない。
松嶋菜々子が誰の目にも大根なのはもちろんのこととして、黒木瞳も宝塚?の大袈裟な演技をやるから、(日本ホラーご自慢の)「些細な怖さ」とやらがぶち壊しである。
狭い団地の一室で、一生懸命に両手を振り回してパニック演技をする彼女はシュールだ。
何より、黒木瞳とあの娘じゃ親子って年齢じゃねえだろなんなら祖母と孫の年齢差だろ、という部分も違和感が拭えず、「邦画って…本当にそっから駄目なんだよな」となるのであった。
香川照之や西島秀俊が好演していた最近の某ホラーサイコパス映画でも、観客側に最も近い立場のはずの女優が形式的な演技しか出来なくて、非常に残念な雰囲気だった。
この女優も黒木瞳式に「肘を立てて両手をパタパタさせて金切声をあげる」感情表現を繰り返すのだ。
それな、アメリカのコメディドラマですらベタなギャグなんだ。笑いになるぐらい大袈裟な芝居なんだ。
サイコパスがテーマの映画で、一般人役の女優がサイコパスよりも不自然な演技をしてたら、それはもう本当に台無しである。
話題になった『来る』も、妻夫木聡の演技がはっきり言ってゴミもいい所であった。
世間では謎に褒める声もあるが、繰り返す。あの演技はゴミである。
とにかくすべての場面で演技のレベルが低い。不自然だ。幼稚だ。表面的だ。過剰だ。明らかに周囲から浮いている。何よりマクドナルドのCMと同じクオリティの演技をホラーでしている。常識的に考えてゴミでしかない。
ネット上では柴田理恵を褒める声が多かったが、それを見る目があるならなぜ妻夫木のゴミ演技を見逃すのか意味が不明である。
『ウォーターボーイズ』ならまだ許されただろうが未だにこれで演技派扱いって、一体どんな特権を持っているのだろうか。後続でもっとイケメンでもっと演技の上手い人間なんて沢山いるのだが。
まあこの映画に関しては、内容を考えれば監督の演出でもあると思う。それにしても酷いが。
そもそもなんでこんなに役者の演技の話をするかというと、それが作品の本質に関わるからである。
Jホラーというものは、実話怪談ブームの流れで生まれたものだ。
(超大雑把な説明だが、一応これで済ませておく)
実話風なので、大袈裟なショックシーンや劇的な恐怖ではなく日常的で地味な怖さを追求することで「日本独特」と言われるホラー表現を作り出した。(できたのは90年代、割と最近)
エピソードも撮影方法も派手にせず、登場人物も何処にでもいそうな個性の薄い人間にする。
少なくとも、Jホラー制作の当事者たちは、そのような意識で作品を作っていた。
当然、演技の方も自然なものが求められるはずだし、制作者たちもそういう話を事あるごとに語っているのだが、実際はJホラーではなぜか大袈裟な大根芝居、形式的な恐怖演技、棒読みのカタイ演技で溢れかえっている。
これが本当に謎なのである。
「人間は本当に怖い時に叫んだりしない、だから登場人物に叫ばせてはいけない」とまで語っているJホラー脚本家が、ヒロインに「キャー」と叫ばせる作品をいくつも残しているのだから、根深い問題である。
しかし、当時はJホラー自体が時代の最先端、画期的過ぎて作品の本数も少ないわけで、質が内容に追いつかないのは仕方なかったのかも知れない。
未だにそれを引きずっているのは困った事なのだが。
バイリンガルの人間からすると、日本の映像作品は英語圏の国に比べてやはり演技が大袈裟、いかにも芝居っぽく感じるらしいという話を聞くので、もはや映像業界というか日本文化そのものの問題なのかも知れない。
露骨に「作り物っぽい」アメリカンエンターテインメンツから見ても作り物っぽい日本人の演技って、実は結構深刻な話ではないかと思ったりもする。
(と言いつつ『ヘレディタリー』の女優などは、内容を加味してもあからさまに演技過剰の域に達して暴走していたので、ホラーに関してはお互い様かも知れないが。
そんなものは寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな
裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから、本来その議論から生まれるものは計り知れない
何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない
哲学者という名の大学教授は論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな
でも金を与えられるような身分の人間は先入観でネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的な大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。