はてなキーワード: 先入観とは
http://anond.hatelabo.jp/20161005192648
飼って良いのは飼われる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
「犬のおまわりさんって困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんだったんだって。で、メタモルフォーゼできる犬の出るカートゥーンが……」
「桃太郎に出てきた犬ってきびだんご一個で鬼退治させられたわけでしょう?それで、こんどPETAが……」
「渋谷駅の銅像のモデルになった、ハチ公っていう忠犬がいて……」
「N.W.Aてドクター・ドレーが所属してたんでしょ?それで、will.i.amのCD持ってきたんだけど……」
「『アーティスト』のアギーちゃんが出てた『俺たちスーパーポリティシャン』って映画……」
こういう「非犬好きの彼氏に勧める」「犬興味ない彼氏を」「散歩不精の」「雑種未体験の」「飼いたい犬を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の犬を紹介して、できれば一緒に飼ってほしいな」という願望に対して
オレは犬にも犬にも犬にも犬にも犬邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは犬がかわいそうでとっ散らかってる上に、全体的に「神経を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「科学の発展」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
「混合ワクチン接種は現在のペットを飼う上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界は徳川綱吉じゃねえから、病院のベッドの上でイヤイヤされたら二度と仲良くなれねえぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「犬出てなかったじゃん!」となっていること。
犬を嫌悪しない
犬に忌避感がない
犬なら付き合ってくれる
目標は「自分が勧めたら、アフガンハウンドでも一緒に飼ってくれる」ところに持っていくこと。
いきなり超大型犬かよ!とか言わない。
必要なのは「相手の飼いたいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
『アルプスの少女ハイジ』でもおなじみの犬種で、基本的に性格はおだやか。
こどもに対しては人間にも犬にもやさしくて頭のいい、よく出来た犬種だ。
大きいイヌは威圧感があった怖い……みたいなベタ先入観を茶化しつつ、ベタベタにじゃれてくる。
オタクとして観るなら「換毛期に落ちた毛をどうやって回収するか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなったデカい犬の一挙手一投足に注目するのもおすすめ。大型犬すげえぞ。
たまに大型犬が嫌いな女性もいるが、普通の犬なのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、イヌがのしかかってきたら配慮してあげること)
一見気品ある、気位が高そうな見た目ながら、実際飼ってみるとに(彼女にとって)親しみやすい要素を多く含む。
しなやかな肢体と、すらっとしたチャーミングな体躯で目をたのしませてくれ、
ガチャガチャとした被毛や、実は意外とヌケている性格をスッキリ見せる。
オタクとして観るなら「ロシア貴族に猟犬として愛されてたころの名残」を一つでも多く探そう。
彼女に「ボルゾイちゃんと今日も一日がんばるぞい」と言わせられれば目的達成。
オマエまた超大型犬かよ!とか言わない。
ドッグショー要素を排除しつつ、あくまで人間のパートナーとしての遺伝子を挟んでくる犬種。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーちゃんにもきっとやさしくしてくれる犬だ。
人見知りやすい割に、ちゃんと身内にはなついてくれて安心できる。
「『フランダースの犬』のパトラッシュとちょっと違うけど、みてて面白い」と相手が思えば目的達成。
「ブリアード」→「ボーダーコリー」→「オールド・イングリッシュ・シープドッグ」
(コーギーを完走できれば、ほぼ教化は完了している。ペンプロークとカーディガンを一緒に飼えるだろう)
ジャックラッセルのテリアじゃないけど、かなりのガッツもある。
「『デレステ』の渋谷凛のテリアとは方向性が違うテリア」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、飼い終わったあとに在りし日の思い出が言い合えればベストだけど、どうかな。
いまさら柴かよ!とか言わない。
偽装飼い犬になるバイトを憧れの人間から持ちかけられたわんこが、
人間の実家でかわいいかわいいと親戚一同にモミクチャにされながら
「かわいかったけど、犬は苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
皆様おなじみシベリア生まれの雪玉野郎だけど、ちゃんと血統をつなでいるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にじゃれにいかないけどじゃれも入れてくる、
紛れもなく犬オタ向けであり、歴史ネタ(最初に南極大陸を踏んだ犬)もちゃんと入ってる。
あとは好きにしろ。
犬から入って、犬、犬、犬、犬、そして犬。
おおよそ、20年~100年半ほどかけて、いわゆる犬オタの好む犬に寄せて行こう。
毛並みの綺麗な犬や上級者向きの野犬ばっかりの構成では意図するところが達成できず
ディンゴとの邂逅で絶縁されかねない。
ティーカッププードルとかカニンヘンダックスあたりですら「ちゃちゃい活発な犬種」ってだけで
いきなり見せたら、かわいい!マジで!このわんちゃん以外みんな(おまえも含め)死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(ボクサーとかブルドッグとか、その手のきもカワ犬からの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになる犬ってあるんじゃないかな。
シャーベイとかチャウチャウとか、非犬オタから見たらアビシニアンと同レベルだと思う。
(正直、ワイマラナーも一発目はムリ)
段階さえ踏めば犬は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆるオタク向け犬に慣れてもらうのって大変だと思う。
ポルテュギーズ・ウォーターとかオバマが飼いはじめたことで知名度あがったけどまだ貴重だし、
ペキニーズみたいなアクの強いのもアレだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に飼ってもらえる」信頼を得つつ、
『101匹わんちゃん』観てても「ああ、なんかダルメチアンばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついに犬のきぐるみを購入することに成功したらしいが。すげえな。
やべー。
うちの犬について書くの忘れてた。
おまえらにはやんないけどな。
健闘を祈る。
シドニアの騎士みてて、はたと気づいたんだけど
人間なんてねずみ算式に増やせる
謎の先入観で「絶対にどうにもならない」と考えていたが、中国の一人っ子政策並にゴリ押せば意外とどうにかなる
もちろん今はグローバル社会なのでそんなえげつない事はできない
いつかはどこかの国が実行するんじゃないかと思ってる
いずれペット感覚でホイホイ産んでもいい時代になるのではないかな?
その際には人口増加率をコントロールできるようになるといいよね
過去の歴史を振り返ると、増え過ぎたり減りすぎたりというのが極端なのだ
そこを社会がコントロールできれば、人類は新たなステージに立てるのではないか?
とは言え問題もある
現時点の政治を見るとわかるが、人間は何だかんだ言って自分が死んだ後の事をあまり気にしない
少しは考えるが、優先度はずっと低い
FXってスプレッドを除けばゼロサムゲームだって言われてるじゃん?
あれはまあ正しいんだけど、実際よくよく見ると公平ではないんだよねって話
例を挙げる
今100万円でドル円100.00円をレバ20で20枚Lしたとする
スプゼロと仮定して、100pips上がれば120万円、100pips下がれば80万円だ
これはもちろん公平だが、それは足し算の世界での話だ
掛け算の世界だと、120/100=1.2と80/100=0.8だけど、これは公平じゃない
掛け算で公平なのは
わかるかな
レバ100Lで100pips上がった時2倍、100pips下がった時0ってのを受け入れてるけど
掛け算の世界だと100pips上がった時2倍、100pips下がった時1/2ってのが正しい
そうなるためには、枚数じゃなくてレバレッジ固定で取引できるようになればいい
(そんな業者は知る限り無いが)
で、重要なのは自分が足し算のゲームをしてるか、掛け算のゲームをしてるかっていう話だ
1回のトレードの変動幅が小さくなればなるほど、両者は近似状態となるので実質足し算のゲームをしているが
1回のトレードの変動幅が大きくなればなるほど、ゼロサムではなくなり掛け算のゲームになる
天才的に上手い人でもない限り、この負け確率の増大は無視できなくなるんだが
てわけで、一度低レバ短期でやってみるといいよ
とにかくレバを一定に保てるくらいの余裕がほしい
「おっ、障害者といじめがテーマの漫画か、それではこの私が直々にポリティクスにコレクトかどうかを判定してやろう」
という気持ちで作品に接すると、たいがい粗(のように感じられる要素)ばかりが見えてきます。
こういう人が想定している「正しさ」はめちゃくちゃ範囲が狭いから、というのもありますが、
そもそも人類は偏見や先入観にめちゃくちゃ影響される生き物だからです。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48487334.html
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48497760.html
(閲覧注意)
ヨッピーだったら炎上しないのかなあと思いつつ、もしそうだとすればはてなーも堕ちたもんだけどさ。
まあ、ヨッピーは他人を口汚く罵ることはなさそう。自分がいつその状態に落ちるかわからないから。「元アナウンサー」という肩書の有無でこうも評価が変わるとなると、やはり日本は先手必勝なのだなあと思うわけです。「とと姉ちゃん」でも「自己実現欲求のために働いているのに、貧乏だと後ろ指を指される」という一言があって、日本の「ちょっと人と違うことに嫉妬して叩く」というのも変わらないのだなあと。
そんな話がしたいのではなくて。
Weblogの方も一通り読んで、大体の主張理解。ただ、僕は長谷川某が耳を傾けるに値しないという先入観で読んでいるから、原則伝わらないと思うけど。
某のスタンスとして『炎上ってとても素晴らしい。だって拡散できる。』というのがあるわけで、炎上はある種意図的にやったと解釈。だとすれば、一次炎上すれば、某は目的を達成したわけで、その後のTwitterやブコメにムキになって反論することはないのだと思うのです。だって、『ピーチクパーチクとうるさい人』扱いだろ。つまり取るに足りない有象無象だと思っているのです。
別に彼らを無視するのはかまわないし、無視すべきだと思う。ネトウヨがうざいように。でも、某はそれも執拗に叩くのです。『なんなら、私を応援する現場の医師たち、15人くらい、呼んできてやろうか?参考になる話、たくさん聞けるぜ?』『ネットで私の悪口を書くしか能のないバカたち』などと。
これは某が本当に『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』と言いたいなら、彼らにムキになって相手にすることはないと思うのです。すればするほど、某も彼ら同様に「悪口を書くしか能のないバカ」扱いされてもしゃーないなと思うのです。かくいう私も度重なる某の煽りに対し、「長谷川某?あーまた人格破綻者がなんか言ってるわ」などと先入観で見てしまう。残念ながら、今回の一件も、たとえ某がどれだけ『ご自身に全く非もない中、腎臓を悪くされ、人工透析を行っている患者・またご家族の皆さん。』の苦しい思い、悲しい思いを取材していたとしても「人格破綻の長谷川某がなんか言ってるわ」と私は思ったので、「ご家族の皆さん」の思いは1mmも伝わらんかったんですよね。
(つーか、ちゃんと取材しているならわざわざ『あなた方の現実はちゃんと分かっています。』って予防線張らなくてもよくね?だって「長谷川さんは私たちのために、あの憎き不摂生透析患者を叩いてくれている。ネットではいくら叩かれようと、わかってるよ」と"あなた方"はわかっているのだから、それをわざわざアピールせんでも。)
まず、仮にも記者を自称するなら、伝えたいことが聞いてもらえない、伝わらないって致命的なことだと思うんですよね。存在価値の有無を問われるレベルで。
ただ、某には感謝しているんですよ。だって、「日本の若者たちの生活が「崩壊している」から言っている」「私たちの子供が大人になった時、あまりにも絶望的な国・日本を引き継がなければいけなくなってくる」から吠えているそうなんですから。私も30歳なので世間的には十分若者、なので某は私の味方のはずなんです。全然味方感ないけど。
いや、某が勝手に日本に正義感ぶってくれるのはありがたいんですよ。一銭の得にもならないのに、むしろバカどもからいわれのない謗りを受け続けても(いくら無視しても物理的な被害の可能性とか、精神的な澱はやっぱり溜まってくると思います。家族親族への謗りとかも)吠え続けているんですよ。でも、それだけエネルギー使うのもったいないと思うんですね。少なくとも家族はいい顔をしないでしょう。
なので、某にはマジでシンガポールか香港へ移住して、浮いた取材に係るエネルギーを私腹肥やすほうに使ったほうがいいと思うんですね。「まだ日本で消耗してるの?」などど言いながら。だって「こんなクズな保険・年金システムの国家」なのですから。少なくともあなたの家族は絶対にwinですし、あなたに多くのエネルギーを使って叩いている人々も別の活動に能力注げるからwin。朝から次の朝まで延々と仕事してる厚労省の職員も精神的な苦痛を受けずに済むしwinなんですよ。
おお!完璧だ。
追記。
なんか隊長っぽくなった。
「自業自得かどうかの判断システム」はどうやってやるんだ?という叩きもあるけれど、これはある程度まではできるように思う。まず先天的な糖尿病患者(ex.1型)は排除。それから遺伝子検査で腎臓を患いやすい遺伝子を持った人も排除できるだろう。(遺伝子検査の精度はさておき)また、生活習慣のチェックリストや、これまでの健康診断結果を基に評価するという方法もできそうだ。(個人情報保護法を乗り越えるのは少し大変だが。。。)これまでの診療歴を見てもいい。ストレスチェックよりかは遥かに評価は簡単そうだし。
とはいいつつも、
1.評価基準ってあるのか?ないならエビデンスに基づいた基準を最低でも学会レベルで定めないと。
2.システム構築に係る費用って、現状の透析システムを続けるのと比べてどれぐらいペイするの?
主張するなら、せめてこれぐらいのデータはほしいよねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20160917152918
ここで、オタサーの姫の話をした者です。
トラックバックのやり方がわからなかったので、うまくできていなかったらごめんなさい。
いただいたコメント、トラックバック先での感想なども拝見しましたが、自分にも反省点があるのだろうと
思いました。有意義なコメントを下さった方々、励ましてくださった皆様、叱咤くださった方もありがとうございます。
本来であれば、一度話してそれでやめようと思っていたのですが、コメントへの返信でお礼に代えさせていただこうと思います。
私も、これに関しては理不尽だと感じました。「オタサー」の意味をしっかり理解していなかったのですが、オタクの人が多いサークルという意味なので間違いないですよね。
前述の通り、専攻にはアニメやゲームの好きな男性は多いですし、女子も母数が少ないとはいえ、自己紹介でオタクだと言っていた子が多いと思います。
サークル活動に関しては、学業に専念するために今はほとんど参加していません。
ですが、大学全体から見ると女子部員がかなり多い方で、私だけが決して目立つような環境ではないと思います。
・男性が苦手と書いた点について
私情ですが、過去に怖い思いをしたのが後を引いて、未だにそこまで親しくない男性と話すのが苦手です。
(詳しくは割愛しますが、付きまといから発展した暴行未遂のようなものです。)
進学する際も、男性が多い学部で心配はありましたが、それよりも勉強したい気持ちが勝ったので今の学部を選びました。
男性による女性蔑視を無意識で受け入れていると指摘いただいて、思うところがありました。
男性から嫌なことや恥ずかしいことを言われることは当然起きてしまうことで、避けられないことだろうと思っていました。
相手を責めてもどうにもならないし、所詮異性のことは分からないので理解できなくても仕方ないのだろう、と。
女性から蔑視されたと感じて傷ついたのは、同性なのだから相手を理解してもらえて当然、味方になってくれて当然
という先入観があったからだと思います。その点に関しては私の考えが至らなかったのだと思います。
私は女性が男性の付属品だとは考えていません。本当に付属品だと思っていたら、主体的に研究もしていないと思いますし、海外に行く選択も選ばなかったと思います。
男性を過剰に立てているというつもりはありませんが、怒らせたら、或いは気に入られたら何をされるかわからないという恐怖心はあるかもしれません。
ですが、それらも少なくとも普段の生活では出していないつもりです。事情を知っている一部の友人、家族、恋人などを除いて、私に男性への苦手意識があると知っている人はほとんどいないと思います。
実験後・授業後は、用がなければ一人で帰るか研究室や図書館に残って資料をまとめています。
女友達がいれば、一緒にご飯を食べに行くこともありますが、親しいメンバー(ゼミ)以外との飲み会にはほとんど行きません。
ゼミには私以外にももう一人女子がいますが、彼女のこない飲み会には行きません。
休日は家で過ごしているか、親友たちと出かけるか、恋人といることが多いです。
・オタサーの姫ファッションじゃないのか/見た目について
多分、違うと思います。オタサーの姫への理解が足りないので、いまいち自信はないのですが…。
化粧はとても濃い訳ではありませんが、基本的にすっぴんでは大学にはいかないようにしています。
ファッション誌はRayとJJが好きです。一応赤文字系だと思います。
・ここに書いたことについて
すみません。どこか、匿名で愚痴を言えるところがないかと探していて最初に見つけたのがこのサイトだったので、ここに決めてしまいました。
エヴァにハマったある年の夏、アニメ映画を見まくっていた中オススメされていた「秒速5センチメートル」は当時の自分には輝きすぎてて予告編だけで辛かったし、何より現実路線の恋愛話なんだろうと思って距離を置こうとしていた。それでも調べてみれば聖地巡礼というまだ聖地巡礼という行為がそこまで一般化していなかったあの時代にそういう事をしている人が居るという事はそれなりに面白いのとリアリティがあるのだと感じ、見た。まず出た感想が「絵が凄い」だった。それからは考察や聖地巡礼を通じて「秒速5センチメートル」は遠距離恋愛という距離と恋愛で構成されている事を理解したし、小説版で補完もした。何度見直したか覚えていない。その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」と見た自分はいつの間にか新海誠作品のファンとなっていた。秒速もあってアニメ業界では有名だったけど一般人にはまだまだ有名では無かったからこの人の作品は凄いんだよと周りに言いまくった。
でも「星を追う子ども」で流れが変わったと自分は感じた。追っかけていた自分はまずあれをジブリに似た何かだと。それからは思考が停止したかのようにあの描写はジブリのアレ、これはあれ、みたいな感じで多くの描写を他の作品で出てきた物と捉えた。もちろん今でもそう言ってる人は居るし、初見であればあの光る石を見て飛行石だと感じる人も少なくないと思う。
それでも先日の配信で、2度目の「星を追う子ども」を見て自分はある事に気付いた。それは新海誠作品のテーマの1つに「生と死」がある事だ。自分が入った「秒速5センチメートル」では死というものはほとんど描かれず、生きるの辛いって言いながら生き続ける人の物語だったとも言えるので、これに気付かなかったのも仕方がない気はする。距離・恋愛という先入観から前の2作品ともこの状況下の恋愛はなぁ・・・みたいなのが無意識にあった事で、受け取る感情が制限されていたのかもしれない。ほしのこえは宇宙戦争、雲の向こうは昏睡状態(と戦争)が描かれ、星を追う子どもでは家族の生死が描かれている。だから自分にとって今まで新海誠作品というものは距離・恋愛・心理描写がテーマになっているものという意識をしていたけど、星を追う子どもを見たことで生と死というテーマもあるのだと気付かされた。また、星を追う子どもは公開が2011年とあの東日本大震災から間もない頃で正直な所、生と死なんてテーマを扱った時期が悪すぎたというか運が悪かった感じがあるのだと思う。自分にとってはあの出来事もあってそういった部分をシャットアウトしていたのかもしれない。断言しておくが被災者ではない。だから先日見た時は家族(または親友)を抱きしめたいという気持ちに一瞬駆られた。
自分にとって「星を追う子ども」はターニングポイントであると感じていたがそれは全く違くて、ただ「生と死」というテーマを強く出した新海誠作品以外の何物でもないという事になるし、その後の「言の葉の庭」も考えてみればいじめの様な生死の関わる話が入ってきたりエンディングで距離が生まれるという事は、テーマに沿っていた訳でやっぱり新海誠作品は最高だという事が分かった。このテーマは建設会社やZ会のCMにも出てきている様に自分は感じるし、どういったコンテンツであってもポリシーを貫いている監督は素晴らしいと素直に思う。
今回の新作「君の名は。」には予告編を見る限り、恋愛や距離、そして生死という新海誠が描くテーマが備わっているように見えた。自分にとって最高の作品になっている事に間違いない。だからこそ新海誠作品に描かれるテーマを今更分かった自分が、見に行って自我を保てるか不安でならない。(隙あれば自分語り 執筆時間30分)
君の名は。観てきた。広島の小規模イオンでも客席は7割以上埋まっていた。
鑑賞後感は「すげえ」。泣きはしなかったが鳥肌が立った。シン・ゴジラも「すげえ」って感じだったがこちらも負けず劣らず。
しかし冷静に考えてみると内容は深夜アニメでよくあるセカイ系とかループものものとかいわれるものである。まあ実際は3年間の行き来しかしないのでループものというかは微妙だが(タイムリープもの?)、その系統ということで。ループものは観客に手軽に「なんとなく壮大な印象」を与えるには抜群の素材であるが、ちょっと映画やらアニメやら齧ってる層にとっては「またこれかよ…」と食傷気味の反応をされ兼ねない諸刃の剣でもある。
にも関わらず僕は「すげえもん観た…」と思った。既視感もシラけもなく新鮮な気持ちで熱中できた。僕がなぜそう感じたかをちょっと書く。
まずこの作品の構成要素をざっくりいうと次の3つになると思う。
・恋愛
・入れ替わり
・ループ
僕が「すげえ」と感じるのは「内容が予想を超えてきたとき」だ。だからこの作品をループものだと先入観があった上で観ていたらきっとマイチキンスキンはスタンドしなかっただろう。予想の範疇なんだから。
この点、「君の名は。」は予告の段階では「恋愛」と「入れ替わり」のとこだけをプッシュしていた。実際、僕はこの作品を入れ替わりものだと思って観たし、大多数の観客がそうだったと思う。そして途中で初めて気づく。これはループものだと。ここで僕の中で「内容が予想を超えてくる」わけである。「知ってた」と「気づいた」とでは受ける心理的効果が大違いで、「気づき」は観客に鳥肌を与えるし、急に目の前にループものを持ってこられたことでこっちは先入観なしでノーガードなわけなので「またこれかよ…」とならない。結果、ループものの効果が最大限素直に入ってくるので「俺今ものすごく壮大な物語を観ちゃってる…!」となる。
要するにこの作品はループものだが観客にループものという先入観を抱かせなかったのが上手いと思う。
この点、シンゴジラも予想を超えてきたのがよかった。最初に出てくるどう見てもゴジラじゃない生物によって観客は劇中の公務員と同じ視点になれるのだ。「一体このでっかい魚はなんなんや…!」と。
観客に悟られないように先入観を忍ばせて、それをドガーンと破る。これむちゃくちゃ効果的だなあと。僕もこの手法で小説でも書いてみようか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/298566450/comment/masara092
本当に「見て批判しているなら」その通りだと思う。
けど、「ビリギャル」「ヒロイン失格」「ストロボ・エッジ」「アオハライド」あたりは全部を見ていなくても「こういう作品なんでしょ」という先入観みたいなものを持ってしまうこともできる。
自分はこの中だと「ヒロイン失格」だけしか見てないけど、事前に思ってたよりも桐谷美鈴の変顔がおもしろかったという気持ちもあるものの、やっぱり想定の範囲を超えるほどではなかったという気持ちもある。
実際には見ていなくとも、ラインナップを見ただけで「なんとなくこういう傾向」と見なしてしまっている場合も少なからずあるのではないかな。
海から来る怪獣で、なんか水爆実験が関係してて、悪いだけのやつじゃないっぽい・・・とか、それくらい。
ガメラは2と3だけテレビでやってたの観たけど、あんまり覚えてない。
庵野監督のことも「エヴァの人」ということはわかるけどエヴァは観たことない。
使徒と戦うとか、シンクロが云々とか、「逃げちゃダメだ」とか「ありがとう」とか、なんとなくは知ってる。
特撮は日曜朝の戦隊ものをたまに観るくらい。ゴーバスターズは良いぞ。
(今、私が同じ映画を何度も観たり、映画館に年20回以上行ってるのも、すべてはパシリムがあったから)
そんな思いに駈られて、行ってきました、シン・ゴジラ。
最後列やや下手より。一席あけて右にはおじさん、左には若いカップル。
全体的な客層は男の人が多いような気がした。
「思ってたんと違う!!!!」
これにつきる。
断っておくけど、良い意味で。
良い意味で予想と期待を裏切られまくった。
以下、ネタバレ注意の覚書。
とはいうもののすでに記憶がかなり曖昧なので、間違ってるところもあるかもしれない。
シン・ゴジラのゴジラは、第一形態から第四形態まで「進化」する。
それを全く知らなかった私は、初めて巨大不明生物(=ゴジラ)がその姿を現したとき、驚いた。
なんかもうひたすらキモい!
目玉ぎょろぎょろで、エラから赤い液体ドバドバさせて、不格好に地面を這いずる姿は、キモいとしか言えなかった。
私の知ってるゴジラは二足歩行で、もっと無骨な、かっこいい怪獣というイメージがあったからだ。
「このキモい変なやつを倒しに来るのがゴジラなのかな」とか思ってた。
そんな私の目の前で、ゴジラは突然「進化」した。前足が生え、直立して、吠えた。
そんな私の想いをスクリーンの中で口にしてくれたのが長谷川博己演ずる矢口だ。
進化する未知のゴジラは、そんな両者の溝を埋めてくれた気がする。
あの瞬間の「そんなんありかよ」という気持ちは、間違いなく私と映画の中の人々との間で一致していた。
そして完全に「私の知っているゴジラ」になった瞬間に流れるゴジラのテーマ!これにはめちゃくちゃ興奮した。
ゴジラだ!ゴジラがやってきた!!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
応援上映とか絶叫上映とかなら確実に叫んでた。
というか叫びたいからどこかの映画館でやってほしい。やってくれると信じてる。
ゴジラに対する「何だそれ、すごい・・・」の瞬間は、完全体の第四形態になってからも何度も訪れる。
まずこのゴジラめちゃくちゃ硬い。
完全にノーダメージかつノーリアクションで、なんかもう絶望感がすごい。
そんな絶望がさらに増すのが、火炎放射からのレーザー光線発射のシーンだ。
米軍の攻撃が効いた!これでゴジラを倒せる!と思った瞬間、ゴジラは口から火を噴く。
この瞬間まで私はゴジラが火を噴くことを完全に忘れていた。
やはりここでも、ゴジラのことを何も知らない映画の中の人々と同じ驚愕と絶望を味わうことになる。
しかもゴジラは口からだけでなく背面から無数のレーザー光線を発射。
なぎ倒され爆発するビル群、あっさり撃墜される米軍機、理解の範疇を越えた圧倒的攻撃力。
もう東京は・・・日本は・・・人類はおしまいだ・・・という気持ちになってくる。
思ってたんと違う姿で現れたゴジラは、私が知らず知らずの内に抱いていた「ゴジラってこういうもので、きっとこういう話で、こういう映画でしょ」という先入観を完全に破壊した。
私はシン・ゴジラを、パシフィック・リムやマッド・マックス 怒りのデスロードを観に行くのと同じような気持ちで観に行った。
ドーンってなって、バーンってなってズダダダドカーンってなるのを楽しみにしていた。
そしたら、全然違った。
シン・ゴジラの破壊シーンや戦闘シーンは、全体的にとても地味だと感じた。
最初に上陸した第二形態のゴジラはずるずる移動するだけだし、第四形態のゴジラも積極的に街を破壊している印象はなかったし、対する人間の方にも必殺技や秘密兵器があるわけでもない。
というかそもそもゴジラは、そういうアクションがメインの映画ではなかった。
ド派手なアクションで魅せる洋画とは全く違う、上手く言えないけれど、とても「日本の映画」だった。
でもそれは決して悪い意味ではない。むしろめちゃくちゃ良かった。
東京に巨大不明生物が現れた。そんなとき動き出すのは巨大ロボでも特殊戦隊でもなく、日本政府。
「はやくドギャーンってなるとこ見せてくれよぉ」と思いながらも、堅苦しい言葉と、面倒くさい思惑が飛び交う会議シーンに釘付けだった。
正直、政治には明るくないし、次々と表示される役職名は全然頭に入って来ないし、聞き取れなかった台詞もあったが、でも入って来なかった情報はきっとなくてもいい情報だったんだと思う。
大事なのは、「今の東京に本当にゴジラ(のような巨大不明生物)が現れたらきっとこうなるぞ」という感覚だと思う。
前例のない事態に混乱しながらも結論を急ぐべく無理やり型に嵌めようとして結局対応が後手に回ったりして、そういう「上手くいかない」「そうじゃない」ってとこも含めて、リアルでとても良かった。
でも、もたもたして見える政治家たちも、みんな事態を解決し、東京(日本、国民)を救うために全力を尽くしている点は皆同じである。
そうして面倒な会議を経て、ゴジラの脅威を一通り目の当たりにして、ようやく立ち上がるのが、巨大不明生物災害特設対策本部、通称・巨災対だ。
この巨災対はいわゆるオタクや変人の集まりで個性派ぞろいなのだが、みんな論理的なことしか言わないのがとても良い。
きっとこんな事態じゃなければ日の目を見ることのなかった厄介者たちが活躍するロマン。
アツいのは現場で戦う者だけじゃないのだ。
だからと言って、現場で戦う者たちがカッコ良くないわけがない。
だからこそ、隊列を組んで飛ぶヘリや、次々と持ち場につく戦車のかっこ良さが際立つ。
作戦を練り「確実にやります」と言い切る自衛官や、黙々と遂行する自衛隊員たちのストイックさにも惚れる。
戦闘シーンといえば、私が一番興奮したのが新幹線爆撃と在来線爆撃だ。
ここでまたゴジラの有名な曲(曲名思い出せない)が流れるのもアツい。
とくに在来線爆撃は、色とりどりの在来線が同じタイミングでゴジラに突撃し、爆発と共に宙を舞うのが最高だった。
リアルを追求した今作の中で、実際にあるものを使ったありえそうな攻撃ながらいったい誰が思いついたんだというこの攻撃。
戦闘シーンで最も「思ってたんと違う!!!!」のは、ヤシオリ作戦だ。
物語の終盤、核兵器による解決をなんとか回避しようと急ピッチで進められたこの作戦。
無人機による攻撃や在来線爆撃、ビルの爆破によるゴジラの保定を成功させる流れは堅実ながら華があり、とても良かった。
工事用車両(建設機械)が好きな私としては、コンクリートポンプ車の活躍も嬉しかった。
そうしてゴジラの活動を完全に停止させ、ヤシオリ作戦は大成功に終わるのだが、何が「思ってたんと違う」かって、この作戦終了の瞬間が地味なのだ。
観ている側としては、
「やったーーーーーー成功だあああああああああああああああ!!!!!!」
と飛び上がってハイタッチして抱き合いたいくらいの気持ちなのに、映画の中の人々は一切そういうことはしない。
でも、あとから思うと、この映画の中ではそれで正解だったのだと思う。誰もが想像もしなかった巨大不明生物の来襲。大きすぎる被害、多すぎる犠牲者を出しながら、成功するかわからない作戦にかけた結果なのだ。
現実感がない中で、静かに「俺たちはやった・・・やりきったのだ・・・」と噛みしめるのが、似つかわしいような気がする。
「倒したぞやったああああああ」は、きっと、ゴジラが虚構だと知っている側の感想なのだと思う。
シン・ゴジラに対して言いたいこと、話したいことはまだまだたくさんある。
豪華すぎる出演陣どこにいたのか全くわからなかった、とか。
石原さとみやっぱりめちゃくちゃ美しい可愛いZARAはどこ?、とか。
巨災対のメンバーの活躍だけにクローズアップしてもう2時間観たい、とか。
でもまとまらないのでこれくらいにしておく。
そもそもこうして書き殴っているのは、こういうことを話したくても話せる相手が周りにいなかったからだ。
劇場を観たあと、複数人で来ていた人たちが口々に感想を言い合っているのが、とても羨ましかった。
その物足りなさを埋めるように、今まで封印していたネタバレブログやレビューを漁って、それでますます我慢できなくなって、この文章を書いている。
ネタバレブログを読んでいて気になったのが、「万人受けはしなさそう」とか「知らない人はわからないんじゃない?」みたいな意見だ。
とくに昔からゴジラが大好きで、新作公開を待ち望んでいた人たちが、よくこう書いていた。
とりあえず私は少なくともあと2回は観たい。
そして売り切れていたパンフをなんとかして手に入れたい。
何も知らなくても、なんかよくわからなくても、ゴジラはすごかったです。
おわり。
悪いけど俺理解力ないんでその「行為に含まれる暴力性」の例を一点でいいから教えてくれない?
追記:
「行為に含まれる暴力性」とは「よく知らない人から告白されたら怖い」なのかなと推測する。
確かによく知らない人から告白されたら怖いだろう。だからこそ恋愛においてはコミュニケーションが必要で「モテない人はそれをすっ飛ばしてすぐ告白してしまうからモテない」とはよく聞く。
で、書いた通り告白はコミュニケーションの問題で、「よく知らない人から告白されたら、その旨伝えて断る」というのも立派なコミュニケーションだ。
そこから「当初はよく知らない人だったけど、話してみれば楽しい人だった」と発展することもあるのが恋愛だ。怖いから何も言わず逃げちゃったってのはコミュニケーションではない。自分の恐怖心を相手の好意より優先するディスコミュニケーションだ。相手の心に与えるダメージを考えると暴力的ですらある(皮肉だよ)。
当然「断ったらストーカーになった」なら恋愛ではなく刑事事件だ。通報しろ。
さて「よく知らない人から告白されたら怖い」部分に暴力性を見出すことはできる。
しかしそのことが「告白してはいけない」理由にはならない。相手にびっくりされようがうまくタイミングを取れないまま告白してしまうことなど古今東西いくらでもあるからだ。
誰しも完璧な告白ができるわけではない。その試行錯誤で失敗を重ねつつも人は恋愛をし続けてきたわけで、完璧な告白以外してはいけないなんていうのは不可能だ。
あなたは告白したことがありますか?相手にとっても完璧なタイミングでの告白だったと自認できますか?そのときどういう返事をもらいました?「いや告白されたら怖いんでやめてください」と無下に断られることなんてなかったでしょう。それはそれぞれの人が先入観で判断するのではなく、きちんとコミュニケーションを取ろうとした結果です。
そして元記事で主に問題になっていることは「告白されたことを誰かれ構わずばらしちゃうって大問題だよね」ということだ。これは「だって怖かったんだもん」で免罪されるレベルの話ではないということだ。これは同性異性関係なく人としての矜持みたいなもんだ。
Zが親しい友人のみにひっそり相談していたらこんな問題には発展しなかったろう。
そして何より「俺はどう感じた、あなたはどう感じた」などの極端な例が不適当というならなお一層、「一般的」に考えればゲイに告白されることでの脅威は恐れられているほどではない、ネットのホモ動画なんて極端な例だという事実を知るべきだろう。
「あなたには安全だった、私には怖かった」という主観ではなく「LGBTの割合から考えると、ほとんどのLGBTは他人に知られるほど存在感を出してすらいない。現在の評価は悪い方に偏り過ぎている」というのが統計的な事実だと思うけどね。
追記の追記:もしかしたらこの人はもてまくっていたのかもしれないな。だとしたら告白を断り続けてたら辛いしもうやめてくれとなるかもな、と思ったらそのような記事が。
「誰かに「好き」って言われることが、ずっと苦手だった。」
無知である事をよしとするポル・ポト主義者のくせに権威主義者でもある俗物がまた生き恥の上塗りを晒してやがる。
正しく伝えるのは「予備知識とか先入観のない素人」じゃ出来ねぇんだよ。的外れな編集するから。
知識がない人への勘どころを押さえた情報伝達もそれじゃ無理なんだよ。知識を得る過程での壁を乗り越えた上で、どこが壁かを知る必要があるから。
だいだい「予備知識とか先入観のない素人である必要がある」は傲岸不遜の極みだし、「報道は社会全体の利益」は特権意識と独善の極みだ。
しょせん報道なんぞただの配管。その配管が中を流れる情報を汚染する上に偉そうに自分たちだけの正義を振りかざし、両端をマウントしてくるんだ。
古い本だけど、『取材学』という本で著者の加藤秀俊氏はこう書いている。
第二に、ひとに話をきくときにはあらかじめ準備をしておくことがたいせつだ。
~中略~
取材されるがわに立ってみれば、本や雑誌に書かれていることをイロハからあらためて話さなければならぬというのは、相当にうんざりする経験だ
まったく予備知識なしにひとに会いにゆくというのは、準備体操なしに水にとびこむのとおなじようなもので、まことに無謀のことといわなければならぬ
かなり良い本だと思うので、ぜひ一度読んでみてほしい。
追記。
勘違いしてる人がいるけど、件のデイリー新潮の記事を擁護する意図はまったくない。記事へのクレームは新潮社へどうぞ。
個別取材でギャラが出る例としてタレントのインタビュー記事を挙げる人がいるけど、そういうのは普通に事務所にギャラを払っている。そういうコンテンツ制作のための取材ではなく、報道を目的とした取材でギャラが出ることはないという話。
「謝礼をもらった例もある」と挙げてくる人もいるので、お車代やらお茶代やらで謝礼を渡してるメディアがあるのかもしれない。
小難しいジャーナリズム云々報道倫理云々なんて説明を聞きたい人は、そういう説明をしてくれる人が現れるのを待つか、たくさん本も出てるので読んでくれたらいい。
ただ、「金目当ての情報が集まるから」という理屈はあんまり信じてない。そもそもメディアへの掲載を望む人間や企業は行列を成している。記事になれば、うまくいけば数百万、数千万円の広告に匹敵する価値が生まれるからだ(その内容はコントロールできないから当然その逆もあり得る)。それはまさに権力であるから、我々も真に報道すべき内容を選び、誤報を防ぐために裏取りするなど莫大なコストをかけている(誤報がゼロとは言わないが)。
ついでに言えば、「掲載前のゲラを先方に見せる」というのも報道ではあり得ない。ゲーム業界とか特殊なところを除いてね。
以下ブコメに回答。
評論家はコメントするのが仕事だからギャラを払う アスリートはコメントするのが仕事ではないのだから、ギャラは払わない そんなマスコミの身内ルールを押し付けて、どの口が対等とぬかすか
マスコミの身内ルールが嫌なら拒否してもいい。拒否するのも大変なら無視という手もある。ただ、報道する側としても裏取りした証拠を残すために「○○は取材拒否した」という事実を書かざるを得ない。
社会正義ねえ。スポーツと社会正義はまったく関係ないんじゃないの?フラットな社会正義を実現するならまず記者クラブを解体したほうがいいと思う
繰り返しになるけど、報道は社会全体の利益になるから単なるビジネスとはちょっと違うわけ。スポーツニュースや芸能ニュースがどういう社会正義を実現しているのか、みたいな議論に付き合ってる時間はないので割愛。
お前らが軽い気持ちで勉強もせず聞きに来てる知識や経験を、どれだけ時間と金と情熱をかけて手に入れたのか考えたことないのだろうか。私だったら吉田沙保里にお話を伺えるんだったら3万円どころかもっと払うよ
これも分かってない典型例。記者は読者の代表であり、変に予備知識とか先入観のない素人である必要がある。「俺なら3万円払う」とか言ってる人は、払ってみたらいいんじゃない。有料サロンってそれに近いことやってるよね。
対等というならば、記者側が取材内容を恣意的に改変する権利に対となる公開前の編集・修正要求権が被取材者側にあってしかるべきではなかろうか?
たしかにインタビュー時の条件として事前に原稿を見せることを求めてくるケースはある。ただ、たいていはインタビューの場に広報なりマネージャーなり第三者が同席し、さらに録音もしてるから、内容を恣意的に改変するなんて不可能。下手なことすればネットで暴露される可能性だってある。
まだ(あるいはずっと)公にされては困る情報を記事にされても被取材側には損しかない。公共の利益()に叶うのだから許されるとでも言うつもりだろうか?
報道なんだから、公共の利益にかなうならば公にされては困る情報でも当然公開していく。被取材側は一時的には損するのかもしれない。ただ、それを隠したり圧力をかけて潰したりすればもっと問題は大きくなるだけでは? そのダメージコントロールは広報の仕事。
ここまで極端では無いけどファッションがコミュニケーション障壁になるというこの感覚はすごくある。
ファッションって達成する目的があるようなものでは無いから、興味が無かったりそもそもファッションに投資出来る環境で無ければ全く関わらずに過ごしていくことも出来る。
元記事で「女性には先天的なもの」と言っていたけど多分これは語弊があって、女性はこの感覚を養う環境が比較的整っているというほうが近く感じる。
先入観もあるけど女の子はやっぱり子供の頃から気を配る印象があるし、女親もそれなりに手をかけてあげるだろうしむしろ自分の楽しみとして
お洒落させてあげることすらあるだろう。そもそも金のかけ方が全く違う。
男についてはこの辺りが全く無い。自分は偶然元記事と同じ 27 歳だけど、少なくとも小学生の頃に男でお洒落に意識のある同級生はいなかった記憶があるし
服を買って貰うくらいならむしろそれよりもミニ四駆やゲームソフトなど欲しいものがあり過ぎた。
小学校の女の子同士でファッションのコミュニケーションは成り経つかもしれないが、男では成り立たない。
そしてこれがなんらかの要因で、自分はスクールカースト底辺だったからだけど、周囲がファッションに関心を持つ頃に
それに関わること無く過ごしていくことで必要性を見出せなくなる。
周囲の環境も同じような人で構成されていくようになるから困ることも無い。
ファッション人にせよそうでないにせよこれで住み分けが出来てしまってる人は問題無いというか関係無いんだけど、稀にそうでない場合が出てくることがある。
例えば、あくまで例だけど、採用面接に向けてスーツを着るとする。スーツなんて誰でも着れるだろ、なんでもいいだろという話だろうけど
この誰でも、何でもはファッション人かそうで無いかで恐らく価値観が全く違う。自分の例で言うと多分ワゴンの 2 万しないようなスーツを
着ていたし、ネクタイも色とか適当で締めれればいいと思っていてタイピンは上着着てれば見えないから不要だと思っていた(いる)。
共感する人もいるだろうし常識が無いという人もいるだろう、多分後者のほうが圧倒的に多いはずだ。
もっと言うと住み分け的にはこういう人種はスーツを要求されないような職種に着くのが正しい。が、そうでない事情が発生するとこういうケースが起きる。
例えば、恋人が出来た場合。ファッションが趣味らしいがそれを自分に要求してくることは無い。無いんだけど、それと自分が意識しないかは別だ。
自分は学生の頃から衣替えも不要な程度の衣類を着回している。一緒にいて恥ずかしい思いをさせないんだろうか。
出来ることは改善したいがそういう環境で生きてきておらず知識が無い。価値観が無い。常識が無いと思われるのでは。
妄想乙など余計な茶々が入ると面倒なので書くと、これはほぼ実体験でこれを含めた様々な劣等感に苛まれているうちにふられた。
ファッションについての義務教育をやれとは思わないが、本人が決定出来ない環境でこういった障壁が出来るのは厳しいものがある。
だいぶ元記事から曲解している自覚はあるが、こういう障壁に直面した時に攻撃的な解釈をすると元記事のようになるんだろう。
先にも言った通り住み分け出来ている人間からはこういった価値観は理解されず、どちらかに倒した言及しかされないので分かり手が少ない。
トラックバックもブコメも(気持ちは分かるが)全体的に人格攻撃ばかりで本質的な言及が無かったので気になり、慣れないながら投稿した。
この際だから、三宅洋平が25万票も獲得したのは珍事件であるとはっきり申し上げておきたい。
はてなのブクマ界隈で言われる陰謀論とか数え役満とかはひとまず脇に置いといて、まずは彼が投票行動を地道に喚起したことは評価するべき点のひとつである。だから今回、初めて選挙で投票し、しかも彼に投票した有権者については何も言うまい。
そのうえで、愛でもって世界とユナイトしようぜヤーマン、といったポエムのような演説に聞き惚れた人が、SNSで愛の告白を垂れ流し、SNS上のノイズとなり果ててしまっている姿を見るのがいたたまれず、個人的には選挙期間中はろくすっぽFacebookやTwitterを見ることはなかった。そこには皮肉もユーモアもなく、とんちでレスを返そうとしてもまるで笑えない代物になってしまうので、レスも躊躇してしまうほど、連中はマジメになってやがる。
クソだなおい、という先入観はまあ俺の感想だから置いとこう。ただ、愛でもって世界とユナイトしようぜヤーマンという甘い言葉や理想で現実の政治できるのか、という問いには彼らは一切応えたがらない。トロけるような三宅洋平の演説(これはこれで芸としてスゴいと思う)を聞いた気分のまま、同じ夢、同じ理想を描く物語の上に自分を置いている。夢遊病者みたいなものだ。
それはアカンことやで、政治ってのはバランスやで、と言わなければならないが、そいつは物語の中に置いている自分が好きだから、そこは耳を塞ぐ。それだけ現実の政治ってのが耳を塞ぎたくなる目を覆いたくなるテイタラクだってのはそりゃその通りだが、しかし「お前の一票で世界を変える」という言葉は強靭で、ロマンに溢れすぎてる。目覚ませよ、頭冷やせよ。そんなんだから陰謀論に取り憑かれるんだぜヤーマン。
「徒党を組んで叩いてるわけじゃない、個々に批判してるだけだ」とよく言う。
でもその場の雰囲気を受けてコメントするわけで、完全にその対象の情報のみで批判してるわけではないはず。
どの程度の人数がどういったコメントをしているかはあらかじめある程度わかるし、たとえば「これはひどい」タグなんかは「叩いていい合図」と見ることができるし、そういうのも含めてかならずなんらかの先入観はあるはずで、完全な「個々に批判」ってのはあり得ないと思う。どこかでかならず他者とつながってしまう。
「俺は徒党を組んで叩いてるわけじゃない、自分で判断し批判しただけだ」と言うわけだが、他人の影響をまったく受けていないなどと言い張るのはまったくのんきなものだなあと思う。自分が参加する場の雰囲気に自分の判断が操作される可能性を微塵も考えていないとしたらあまりにも無防備だ。「これは本当の俺の考えなのか?」と反省することはないのか。とても無邪気でピュアな人たちに見える。だから有名なアカウントが誤読するとそれにつられてみんな誤読して流れが決まってしまう。みんな自分で判断しているようで判断していない。「誰々さんが言っているからそうなんだ、自分もそう思う」こういう態度の人は割とよくいるのでは。
Δのフレイアはランカと声が似すぎてて、そこで負けヒロインこっちなのかなっていう先入観が入っちゃってる。
確かにFほどの勢いはないかも。
とはいえ、Fもランカの星間飛行、2期OPライオンのでてきた中盤以降で伸びてきた感じなので、
Δも2期以降までみてみないことには早計かなと思ってる。
>VIVAゴケ
わろた。いい指摘だ。
カバネとカバネリの関係とか、カバネの合体した巨大なのがなんなのかってところをもう少し丁寧に描いてから
リゼロはテニスで放映ずれたり休止したりが響いてるかなと・・・2クール目に期待してる
ハイフリは脚本に難があるのもそうだけど、セリフとSEのバランスがおかしいのが気になる。
掛け合いに違和感感じてて、アフレコがほとんどオンリー録りなんじゃないかなと思ってる。
セリフちっせええな音量↑、SEでっかすぎるぞ音量↓の繰り返し・・・
これくらいがよかった。