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はてなキーワード: メインストリームとは

2017-06-26

学閥

うちの会社選択的に東大法学部けが冷や飯食ってるんだよな。

なんでかと言えば、歴代経営幹部がそろって東大法学部以外だから

京大法、東北大法、一橋経済一橋商、九大法。たまに東大がいたかと思ったら工学部経済学部

なんだかんだで、みな一致結束して東大法卒をつぶしにかかるんだよね。

東大法学部卒で、頭が抜群にいい人は性格が悪くてリーダーシップないし、性格が良い人は仕事が甘々だし、

若手でも、企画ラインみたいなメインストリームからは何故か排除される。

18歳の時のコンプレックスって、60になっても治らないのな。

上場企業の中でも上位クラスに入る会社なんだけど、どこか分かるかな?

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519005845

ミスチルとかB’zが今の日本メインストリームを走ってるっていうのかよ。だったら海外だってGreendayとか持ち出すわ。

懐古中は黙っとけよオッサン

http://anond.hatelabo.jp/20170519003630

そうかな?ロックって日本でもメインストリームじゃないと思うけどな。ロック好き以外にロックの話ししても全然通じないぞ。

あと、売れ線の話をしてるなら全然ガラパゴスじゃない。ワンオクとか特にエモ系は。海外臭いロック日本流行るのって超違和感洋楽でいいじゃんっていう。コテコテのJROCKのことを言ってるんならわかるんだが、そのへんは割と「バンド音楽好き」にしか聴かれないしな。

たぶんロックという音楽ジャンルメインストリームに未だに残ってるのは世界日本だけだろう

これは時代の変化に遅れているのではなく、アメリカで生まれアメリカで死んだロック極東島国で生き残ってガラパゴス進化を遂げたと言うべきだろう

2017-04-24

岡村俊一騒動から見える人力飛行機ソロモン

2.5次元演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ特撮番組古参新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。

元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。

その判断製作側がしたのだから、仕方がないのだ――

自分観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。

渦中にいる演出家は、故つかこうへい系譜にある人なんだそうだ。

「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。

お客が望むパフォーマンス第一で、役者人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。

そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。

それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。

その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。

演出家自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。

客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人言い訳と何も変わらない。

ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。

演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。

でもそのうえで製作サイドは彼を必要としたのはなぜか。

それは既存ファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。

既存ファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。

その判断は間違っていないと、個人的には思う。

顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。

から客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。

作品世界観を壊す改変が、失礼な行為だという主張もある。

ただその考え方は諸刃の剣だ。

原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台のもの世界観破壊にほかならない。

ドラマ映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。

それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。

また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判はいっそう注意が必要だと自分は思う。

なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。

現在言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。

かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。

つかこうへい以前だが、日本演劇界現実虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。

例えば街角喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。

それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。

そう考えた作家名前は、寺山修司という。

街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。

エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇代表作の題名だ。

一般人生活狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。

突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。

からその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶるまりになることが多い)

ただその混乱そのもの価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。


そして電脳世界において、今回の炎上パフォーマンスでない保証はない。

演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動自演であると言い切ることも出来なくなる。

演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。

本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。

演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。

おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないか想像する。

そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。

もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか

逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。

そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。


と書いておきつつも、自分ファンでないので自由に書かせてもらう。

まず演出家が客に文句を付けるなんてのは論外だと思う。

俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。

それは自分自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険思想だ。

つかの舞台自分面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。

逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。

つかこうへい自身演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。

円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品俳優個性と密着している。そのため文字通り「その俳優しか演じられない役」なのだ

しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。

たぶんこの過程俳優自尊心という殻も破られるんだろうと、自分勝手想像している。

だが2.5次元作品の役はそうではない。

元々のキャラクターに近づこうと真摯努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。

それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。

おそらくこの辺のバランスもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。

つの舞台の中で俳優モブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。

演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優個性担保されて、俳優と観客にそれが共有される。

24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間必要なのだ


さて話題がそれたが、本題に戻そう。

演出家がああも自信たっぷりに「自分役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。

自分制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。

たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。

騒動がその状況をふまえた上で演出家自覚的燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。



じゃぁいったいどうすればいいのか?

それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。

本来であれば、製作者たちが客の望むもの提供するのが道理だ。

だけど真のファンであれば、その力関係あべこべになることに不思議がることもないだろう。

どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たち上演権を手に入れるほかない。

同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。

それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。

それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。

しかしその不満を演出家炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。









などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。

炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。


隣にいる人はその役を演じている俳優に過ぎず、自分が生きている世界は誰かが用意した箱庭なのかもしれない。

そうした疑念の風を受けて、SNS飛行機ソロモンゆっくりと空に舞い上がっていく。

2017-04-23

でもぶっちゃけ

フェミニズムの人たちに可愛いとか思われるキャラあんま好きになれない

そのキャラのものの可愛さの問題というよりもフェミニズム賛同する

あるいは誰かから許されている可愛さというところがウザいから、という

そのキャラクターに対しては失礼な感覚なんだろうけど

フェミニズムにはできる限り萌え文化から消え去ってほしい

少なくともフェミニズム用の萌え文化を築き上げるのは自由にやってもいいけど

萌え文化メインストリームはいないでほしいし

フェミニズムと両立するオタクが真のオタクだみたいな顔しないでほしい

2017-02-19

大好きだったとあるゲームシリーズ新規取り込みの名目古参ユーザー唖然とさせるような方針転換を行った。

ファンコミュニティは当然大荒れ。自分も到底受け入れられるものではなかったが、制作サイドに文句を言い続けるような気力もなかったので泣く泣くそシリーズから離れた。

それから数年後、二番目に好きだったゲームシリーズがこれまた新規取り込みの名目で同じようなことになった。ファンコミュニティは当然大荒れで以下略

三番目に好きだったゲームシリーズはそこそこの出来と評価された最新作の売上が伸びず、気がついたらシリーズごと凍結されていた。新作に一縷の望みを賭けていたが、生みの親のような立ち位置スタッフがとっくに退社したという情報を知った時、もう駄目だなと悟ってしまった。ちなみに未だに新作の報はない。

同じゲームが好きな縁で繋がった知人たち(ネットでもリアルでも)は、大体今は流行りのソシャゲに手を出しているかオタク界隈から姿を消してしまたかだ。元は同じ作品で繋がったのだから自分も楽しめるかなと流行っていたソシャゲに手を出してみたが、自分には合わなかった。どうしてもかつて好きだったゲームが頭をよぎってしまう。ガチャしなくてもキャラ手に入ったのになーとか、期間限定シナリオを読み逃すことに焦るなんてなーとか、そういうところから

別に面白い作品ゲームだけじゃないしと思ってアニメ漫画にも一通り目を通しているが、そもそも毎週の放送や連載の先の見えない展開に一喜一憂したくなくてある程度は一作でシナリオが完結しているゲームにたどり着いたこともあり、いまいちハマりきれない。

いくつか完結済みの作品面白いなと思える作品には出会えたので(大体古かったり世間的には駄作扱いで語れる場所は無いものばかりだが)、今はそういったもの自分なりに消化しつつ、好きだったゲームシリーズの旧作を時々立ち上げたりして遊んでいる。

オタク仲間と繋がっていたSNSアカウントは一応残してはいるが、すっかり顔を出さなくなってしまった。

未だに好きだったゲームシリーズには未練があるし、リアルでささくれだった時の息抜きや癒やしをオタク趣味以外でどうにか出来るとは思えない。だが、今のオタク界隈のメインストリーム自分の居場所を無理矢理作る気力もわかない。何となく寂しさや虚しさのようなものを感じつつ、それでもすっぱり卒業できない中途半端状態に時々自己嫌悪のような感情を覚えている。

2017-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20170205212800

「ヒットの崩壊」(?)っていう本の著者がいうには

ちょっと前までは

web社会に浸透するに伴いどんどん「島宇宙」化してニッチコンテンツばかりになると考えられていた。

しかし実際SNSで盛り上がった現代社会をみれば

言われていた通りニッチコンテンツが成り立つ環境にはなったもの

どれもビジネスにまで発展できないままである

一方元来メインストリームにいた側はCDという従来型の方法では利益を出さなくなったものの、WEBメディアを使い倒して、かつての、

まり音楽映像ネットで行き渡るようになる90年代半ば以前のレベル社会に影響を与えている。

欧米ではポップスター配信限定新曲リリースすることが相次いでいるそうだ。

これは音楽の話だけどアニメ漫画ラノベにも通じることじゃないか

君の名は。」のようなメガヒット

からある大手配給会社ツイッターなどネットの力を駆使して近年稀に見るヒットを記録したり

事情殆どテレビラジオで取り上げられない中、web上の活動だけでヒットさせた「この世界の片隅に」が出現した一方、

ヒットの権威のようなスタジオジブリ

「知る人ぞ知るオランダ人作家が手がけた全編セリフなしのファンタジー」というニッチ映画を公開し

収益は散々であったのに評価は高いという現象を起こしている。

こういったことは映画でないアニメでも、雑誌でもどんどん起こると思う。

アニメなら、従来通りのやり方で公開される「ラブライブ」や「刀剣乱舞」のようなものと、

web限定公開だったりOVAという形で公開されるけものフレンズカバネリのようなものに二分され、

漫画雑誌ならジャンプのようなものは残るが、コミックビームに居たような作家はみんなweb主体に移行すると思う。

皆が知っているが故に合言葉として機能しないコンテンツ

強い個性を持つが、それ故に不特定多数と共有することが難しいコンテンツ

この二つのどちらかに収まろうとする今では

増田の求めるようなコンテンツは出てこないのかもしれない。

2017-01-15

電子書籍派と紙書籍派の争いは不毛

将来的にメインストリーム電子に移行することが明白な以上、問題は時期だけであり、どっちのどこが良い悪いという議論不毛

電子派は、もう電子の良さを主張する必要などなく、いかに時期を早めるかに注力すべきだし、紙派は、電子が主流になった時代に、どう紙の文化保全していくかを考え始めるべき。

2017-01-02

抱負」は「計画」なのか?

辞書で調べると「抱負は」

心の中に持っている計画・決意。 「将来の―を語る」

年をとってくると、様々な計画が長期的になってくる

そうすると敢えて抱負なんて表現をしなくても計画なんて既に立ってるし

決意どころか既に実行中だ

 

なのでむしろ大人としては、年始の「抱負」を「計画見直し」と捉えたい

1年を振り返り、更に1年後までの計画を洗い出した上で

本当にそれでいいか、他にやるべきことがあるのではないかと自問自答する機会にすればよいのではないだろうか

 

例えば私なんかは、仕事方面計画は先々まである程度決まっているが

私生活の方はぼろぼろなので、私生活計画を練り直すべきだろう

 

ただそういうのは、今まで計画に組み込まれていなかったタイプのものなので

やや挑戦的(無謀)だったり、突拍子がないものが多くなるかもしれない

なので他人に言うときには、現在進行中の計画メインストリームであるという前提を述べた上での方がいいだろう

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209024419

やっぱオタクの中にもリアオタ非リアオタあるよなあ

前者はメインストリームに堂々のれて楽しめるタイプ

後者メインストリームに抵抗感もっちゃうタイプ(でも運良くメインストリームにのれたらテノヒラクルーでリアオタになる)

結局「自分意思ファン第一人者として楽しめてる」っていう傲慢で贅沢な自覚必要なんだろうな

原理主義者っつーのか

から後追いせざるを得ない立場になった途端、抵抗感が出てきてしま

プライドが高いといってもいいのかも

その発露の最たるものコミケで、みたいな

2016-12-08

[]MSM

メインストリームメディア(MainStream Media)の略。

「主流のメディア」ということで、日本で言う「マスコミ」あるいは「マスゴミ」に近いか

その使われ方も日本での「マスコミ」「マスゴミ」を想定していただければ。

2016-12-03

カジノを作りたい論理

カジノ法案が成立しそうです。

http://www.asahi.com/articles/ASJD252NPJD2UTFK00Q.html

この統合リゾートの推進のための法案は、もとはといえば、日本維新の会(当時)と自民党生活の党が共同で国会議員提出した法律で、そのあたりにも橋下氏の影響を感じるとともに、もともとはこの3つの党は、そういう意味経済政策的に共通の根っこを持っていることが、統合リゾート法案のことを思い出してもわかるという、大変興味深いものとなっています

では、カジノに前向きな経済政策の発想って、どんなものでしょうか。


 小さな政府、強い財政

カジノは、基本的運営企業委託されます政府違法賭博の取り締まり治安維持のみを主にその役割します。国が認める賭博の中には、JRAのような特殊法人設立する場合もありますが、日本統合リゾート法案では、カジノ施設の設置と運営企業が行うことになります。そういう意味では、いわゆる「小さな政府」推奨の人たちの考えにきちんと沿った形になっています

 そして、カジノから収益政府一定程度持っていきます。国が賭博禁止する中で、例外的許可する施設から運営企業が暴利をむさぼるというのはいかにも利権的で、世論から受け入れがたいものです。運営企業にも一定利益は落ちますが、政府が特例的に認めているという性質上、国が相当の資金を吸い上げる仕組みに必然的になります

 いわば、カジノは、国の最小限の支出により、強力な税外収入を得られる仕組みです。



 誰のお金を吸い上げるのか

 外国人観光客です。それも、小金を使う客ではありません。がっつりお金を使う太い客です。おぼえていますか、シンガポールマカオカジノで負けて、製紙会社一つを手放さざるをえなかったオーナー経営者を。あれくらいのお金をかけるお客を吸引したいわけです。そして、東京あたりに来るそういう太い客はどこの国にいるかというと、中東アメリカヨーロッパではありえません。モナコとかラスベガスとか、もっと面白いところがあるんだもん。であるならば、答えは一つ、中国です。より正確に言うと、東アジア各国の中国系富裕層です。

 基本的東アジアカジノはどこもそうで、マカオだってシンガポールだってマニラだって中国系ターゲットです。ソウルだけは中国が貧しいころからありましたので、作られたころは中国人観光客ではなくおそらく米軍あたりをターゲットにしていたと思われますが、他はみな中国系富豪ターゲットです。まだ東南アジアカジノが少なく、中国本土が今ほど経済力を持っていなかったころでも、マレーシアカジノシンガポールマレーシアで富を事実上占めていた中国系富裕層が週末になると集まる場所でしたし、マカオ香港インドネシアフィリピン経済を牛耳っていた中国系富裕層を吸引していました。そして1990年代後半から中国本土の驚異的な成長とともに、大量の富裕層本土からマカオ東南アジアの数少ないカジノを席巻し、それを見たシンガポールマニラ中国本土富裕層好みのカジノ2000年代企画し、今になって結実しているわけです。中国系の人、どんなに金持ちになっても博打好きなんだよね。



 ギャンブル中毒対策必要なのか

 中国人富裕層ターゲットとあらば、基本的ギャンブル中毒対策はさほど必要ありません。

 カジノとか言うと、想像力が乏しい日本有識者は、すぐパチンコとか思い出して、貧困層ギャンブル中毒対策必要かいうのですが、大丈夫貧困層の中高年はすでにパチンコで、また若者FXギャンブル中毒になっていますから、いまさら対策必要ない、というかもう打つ手はありません。対策経費は無駄です。貧困層は、カジノが想定していない客で、せいぜい入口のスロットマシンで有り金すっておしまいなのですが、スロットならすでに街場のパチンコ屋にあるでしょ。入場料を取られてまでカジノにくる必要はありません。

 そして、大王製紙の元オーナー社長のような人がギャンブルお金をすって会社を手放すようになるのは、これは自業自得対策不要ということで、大半の有権者合意できるのではないでしょうか?

 というわけで、この辺の政策もたいへん新自由主義的で、要は身を持ち崩す奴は自己責任ってわけです。小池知事や橋下氏が好きそうな発想ですね!



 ところでネトウヨカジノ

 ちなみに、小池知事や橋下氏を支持しているとよく目されるネトウヨの人たちは、パチンコ半島系だから嫌いでカジノ反対というようなことをよく述べるのですが、小池知事や橋下氏は、このような意見は歯牙にもかけていないということも、このカジノ政策を見ればわかります

 もう一つ、ネトウヨの人たちは、中国人に頭を下げるのも大嫌いなはずですが、カジノを作るってことは、上記のとおり、中国系富裕層にかしずいてサービスするってことですので、これまた、このようなネトウヨ志向は完全無視されているということもよくわかります

 要は、小池知事や橋下氏に対するネトウヨラブコールが仮にあるとしても、それは基本的に単なる片思いだってことです。



 これからどうなる?

 さて、こういう思考的背景を持つカジノ政策ですが、これから前進するのでしょうか。私はすると思います。上記のような事柄は、実は例えば民進党政策形成メインストリームである大企業ホワイトカラー勤労者から見ても別に違和感ない世界からです。カジノ忌避感を感じているのは、むしろ貧困層に隣接している人たちの感覚、例えば最近話題社会底辺の人とは関わってはいけません|アッキー雑談ブログあたりへの共感にみられるメンタリティであって、その辺は時間をかけて説得するとともに、カジノ収益一定程度配分するようにすれば、最後は落ち着くものです。

 何より、アベノミクス基本的な発想は、上記に限りなく近いものです。金融緩和がその主力であるように思われていますし、実際経済的インパクトで目立つの金融緩和だったわけですが、一方で緊縮財政財政収支への配慮は言うまでもなく、規制緩和自己責任というのもアベノミクス通底するもう一方の考えです。

 とすれば、もう統合リゾート法案自体、何年も待たされているわけですから、そろそろ、そして規制緩和アベノミクスの三本目の矢)に向けての突破口として、カジノ、そろそろ実現に向けて大きく進むんじゃないかと思っているのですが、どうなることやら。

2016-11-23

さりげなくB'zが世間の売上マラソンから降りていた話

B'zがついにCDを売らなくなった。

10月11月ににリリースされた新曲デジタル配信だけだった。

まりオリコンランキングは乗らない。

中学くらいからのファンなのでかれこれ15年近く彼らの活動を追っているけど、個人的にはやっとランキング呪いから彼らが降りれた、という気持ちでほっとしてる一方、B'zですら日本音楽メインストリームから自ら降りる選択をとる世の中になって、最早日本に置いて音楽アーティスト文化の中心になることはもうないんだろうなと思うと寂しくなった。

今年のRADWIMPSしろ星野源しろピコ太郎しろドラマアニメMV中毒性といった付随効果があってのヒットだった。

アーティスト自身文脈で、アーティスト音楽を売ることがこんなに難しくなる時代が来ると思わなかった。

2016-11-19

この世界メインストリームで。

マイノリティどもがなんかうざいこと言っていやがる。

2016-11-04

本社から子会社へ出向、みたいな人事で今のセクションにいる。いつの間にかメインストリームから外れたんだけど、小さいながらセクションのリーダーなので、自分の思いがいろいろな所に反映できるのは嬉しい。あとは業績なのだがこれがまた苦戦・・いまのままで十分な収益だという評価なのだが、もっとやれるはずなのにという思いが募る。

2016-10-22

から!読めって!いってんだろうがよ!

てめえら本当にふざけるなよ!

この増田http://anond.hatelabo.jp/20161021190933から発生しているトラバリーで、

まともにエントリー読んでるやつ殆どいねえじゃねえか!


いいよ!これが「http://anond.hatelabo.jp/20161022022400」くらいならよぉ!

お答えするが、あの増田では、お互いが黒い感情にふたをするためのある種の共謀関係ていうのを「メインストリーム外での恋愛」だとして話してるの!

でもどんよりしすぎると大本増田実践しにくいからキレい目に語ってるのは確かで、こういう意見がでてきてもしょうがないとは思うよ!

ただ脱童貞したら急に語りだす奴のいう言葉とは意味合いが違うから

実際にはきれいごとじゃなくてさもしいだけだし、さもしいのも意識して、さらに祈るしかないってそういう話だから


さて問題なのはこいつ「http://anond.hatelabo.jp/20161022171840

かなりの遅レスになるが、それが正解だと思うぞ。煽りとかじゃなくてガチに。

特に三十路過ぎても異性との交際経験なしみたいな奴の場合、そこから彼女作って結婚するのも不可能じゃないにしても

得られるものと失うものバランスが取れないだろうし。

特に三十路過ぎても異性との交際経験なしみたいな奴の場合、そこから彼女作って結婚するのも不可能じゃないにしても

特に三十路過ぎても異性との交際経験なし

異性との交際

異性

異性

異性

本気で言ってる?

http://anond.hatelabo.jp/20161021190933

「結局、そこら辺を考えると疲れちゃうんだよねえ」ってのは、メインストリームじゃない人々にとってはすごくある

一度ならず何度だって考えることなんだよね

で、想像が先にできてしまって、嫌になって、面倒になってしま

まぁ、簡単にいうと、愛される努力より、人を愛する努力というか、人を愛すマインドを持たないといけないんだと思います

これは凄い真実で、これさえありゃもう細かいテクニックやら理念なんぞどうでも良いんじゃなかろうかと思う

他人を愛するなんて、エネルギー要るよ

他人自分生活に許容するなんて、とんでもねえよ

他人自分人生に触らせるなんて、げんなりするよ

それらについて問題いから、メインストリームなおかもとも思う

2016-10-21

結局彼女がいないとね

↓を読んで

http://anond.hatelabo.jp/20161021120207

やっぱり異常者という扱いになるんだなぁと思いました。ブコメ勢が誰も同情しない。

あの文章を読むかぎり焦っているだけに思うんですが違うんでしょうか?

誰かと愛し愛される関係になりたいというのは

いたって普通欲求だと思えるんですが違いますか?

一般的恋人と友人の関係は違うとされている以上、その経験のない者(若しくは少ない者)が

恋人という関係に急いでしまうのは致し方ないことでは?

それの具体像がつかめないために、「誰でも良い」

「(あなたたちが非現実的非難する)理想は下げるから付き合いたい」、普通欲求だと思います

そして、増田の言い方のとげとげしさはともかくとして、「どうすりゃいいねん」という気持ちも良くわかります

これが分からないというのは、大変禁欲的な生活をされているのか、

いま現在充たされているという方だけだと思います

あと前にも言ったよな!てめえの恋愛定義してから恋愛を語れってよぉ!

(まぁ、あの投稿を読んでいるとは思っていませんが)

さて以下私の話、一応どうやって「作ったか」の話もするので参考にでも。


世間というやつが彼女を作れとうるさく

彼女いないの?」と聞かれたり、「彼女いないの!?」と人格を疑われたり、

世間ではヘテロ恋愛モチーフが溢れていますし、親戚から子供をつくって落ち着けといわれますし、

以前はここでもよく見かけた、そういったハラスメントに反駁しようという投稿も、残念ながら殆ど見かけなくなりました。

(昔、非モテがもうちょっと論じられていたときは良かったんですけど

 その声も「童貞」の一言で封ぜられると思っている人間が増えてしまったので、もうどうしようもないですね)

それで、私自身肌寂しく、ちょうど好きだった男性に愛想が尽きたので、彼女とやらを作ろうと思ったのです。


すぐさま作れました。それはなんでかというと、相手恋人を求めていたからです。

なぜか、忘れられる重要な条件だと思うのですが、相手恋人を求めていれば、

こちらがゲスだろうがゴミくずヒモ野郎だろうが、簡単にできてしまものです。

だって言葉の枠組みでしかないですから、私達ってそうだよね、ってなったらそうなのです。

セフレだって添い寝友達(で、あってましたっけ?)だって親友だって、やっていることは似たようなものです。

ただ恋人という言葉をもってして括っているだけです。

逆にそれだからこそ、それ以外の要素(例えば社会的地位など)を気にされる方が多いというのも当然のことで

一般的に求められる最低限の要素を満たすように生きるのは、交際できる女性の幅を広げる行為だともいえます

ただ、そんな“一般的価値観を持った”女性が好きというならば、そもそも彼女はすぐできるはずです。

残念ながら増田メインストリーム人間ではなかったのです。そこは意識する必要があります

まあしかし、最低要件として、タイミングが合えばポンとできるものと思っていただいて構わないと思います


さて、そいでもって、じゃあ具体的にどうすればいいかという話なのですが、

私の場合こうしましたよということだけお伝えしておこうと思います。確実ではありませんが私には有効でした。

婚活臭くはないが出会いのあるところに参加する

・狙うのはあまり社交性のなさそうな女性若しくは婚活女子

 (あなたと同じメインストリーム外の人間であるため)

・観察すべきは、相手ネガティブな部分を愛せるか。

 (できれば、自分ネガティブ面もちょろっと出して相手が受け入れられるかも見ておく)

・人慣れしていないことを伝える

 (話しかけてくれたのなら、きちんと感謝する。「こういう場所なれていなくて…。有難うございます」みたいな)

・連絡先を交換するのは別れ際。惜しい、という感じで。

メールなんかもしつつ、ある程度期間を空いたらデートに誘う。我慢できなければ、数日でもよし。

 (自分相手と会いたくて我慢できないといういことが大事

デートもとにかくなれていないアピール。(男性らしさを求められる場合があるので、先につぶしておく)

デート先は自分キラキラできるところ(私の場合バンドデシネ美術展でした)

デートが終わったら感謝感謝

告白は遠回しというか、どうでしょう的な伺う的な感じで

そんな感じでうまくいきました。これからどうなるかは知ったことではないですが。私の少ない恋愛経験からでした。

まぁ、簡単にいうと、愛される努力より、人を愛する努力というか、人を愛すマインドを持たないといけないんだと思います

だってぶっちゃけ、女ってクソゴミウンコカスなんですもの

ジェンダー行方不明だって言ってるのに男らしさを求められるし、

弱者アピールするくせに差別を平気でする(というか勉強してない)し

不寛容敵対的な態度、少ない語彙、芸術に興味があるとかいって知識だけ集めて頭でっかちになるバカも多いし

会話はいつも共有するばかりだし、自分以外の女性を蔑む癖があるし、エトセトラエトセトラ

から、女と付き合うことを強要される社会において、

非モテや男が好きな人間ができることは、異性との交友率が低いデータをしめして、

「お前らの方がおかしいんだ」と声を上げるか、

それとも尊重しあえる異性を見つけて付き合いたいですって態度をだして

このゴミみたいな権力が牛耳る世界処世術として恋愛するかしかないわけで、

私みたいに洗脳され、ぬぐえない願望がある人間は今いるワイフを愛し続けるしかないのです。


増田も私もセカイ系みたいな生き方をするしかないわけで、

それはつまり残酷な結果しか待っていないように思えるのですが、

それでも生存戦略としての川村元気ごっこといいますか、

そうすることで、あたかも災厄を免れるだろうと信じ切るしかないわけです。

考えなしに書いたので全くまとまった文章にはなってないのでしょうが

取り敢えず生き残るために頑張る人として増田氏の発展を。なんつって。

2016-10-17

テレビ大麻吸引を公言する人を出演させるようになったの?

なんか巷では大麻関連のニュースがちょこちょこ出てきていますね。

栽培町おこし始めた社長逮捕合法化運動を始めた元芸能人高木なんとかさんが政治家になるとかかんとか。

この辺のコミュニティに詳しくはないですが、あまり恥ずかしい活動だけはやめてもらいたいかなという思いです。

それで掲題の話なんですが、いまラッパーMCバトルが流行していていろいろな番組があるらしいですね。

その人気にのってラッパー存在感を増してきているようで、深夜帯ながらも自番組なんかもっていて

先日はEテレに出ているのも見ました。すごい活躍ぶりですよね。NHKですよ?ムチャ振りされてグダグダでしたけど。

でも、出てる人たちは自分たちの曲の中で大麻吸ってることを公言してますよね?それってどいう扱いになってるんでしょうか?

ヒップホップは好きなので国内海外わず曲は買いますカルチャーも好きなので映画だったりメディア掲載された特集記事なんかもちょいちょい読みます

で、海外ではそのカルチャーの一つとしてドラッグ、とくにマリファナは切り離せない要素の一つですよね。スヌープなんて吸いながらライブしてません?

間違ってとらないでほしいのですが、大麻吸ってるやつをテレビに出すなとか大麻は悪いものだって言いたいわけではないんですよ。

逆に大麻がかっこいいとか、そいういうことでもないです。単純に疑問なんです。

もし俳優ミュージシャン大麻逮捕されたら大々的なニュースになりますよね。出演箇所のカットはもちろん

CM番組打ち切り、出したCDを回収されるぐらいまでの措置だって取られてもおかしくなさそうなこのご時世なのに。

なんで「いまこの時代」のラッパー達は許されているんだろうって。これって視聴者も「ラッパーならしょうがいかな」と感じてることなんでしょうか。

リリックに入ってるだけで吸ってないかもしれない」という主張はあるかもしれませんが、たぶんそれは期待を裏切られると思います

大麻の話からはずれますが、最近MCバトルの仕掛け人Zeebraサバエージェント藤田社長だという記事をどこかで読みました。

お二人は前から知人のようで、藤田社長はあのさんぴんキャンプにも観客として参加してたということなんで、根っからのヒッポホップ好きなんでしょう。

過去にもヒップホップメインストリームへ押し上げるための企画をいろいろとやって、それがいまやっと花開いたという話でした。

なので、このムーブメントカルチャーをよく理解した人たちが作り上げているしっかりしたものなのでしょう。

それゆえ、制作側(テレビ側)はこういった個々人のバックグラウンドをよく知らずに、企画先行で番組制作しているのではないかなという気もします。

いままで出演者の大多数だったタレントスポーツ選手文化人アナウンサーのように事務所もなければ個人プロフィールも少なそうですからね。

この先、逮捕者が出たりしたらテレビ番組打ち切りでしょうかね。残るのはAbemaTVだけでCA総取りという未来もありそうですが。

それとも大麻取締法違反程度ではテレビから消えることな時代が来るのでしょうか。

過去大麻逮捕された芸能人を調べてみるとびっくりするような大御所名前が出てきますしね。あれはなんでしょう、ヒッピー時代出来事なのかな。

とにかく、これはいい機会だと思うのでなにか事件が起こって良い方向に進んでいくのを期待しつつ、視聴者であるみなさんのご意見も知りたいです。

2016-09-28

コンテンツへの理解が浅すぎるkawangoにはまじで失望した

 ライトノベル主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。

――恋人能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。

 そうです。今は努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学世界でもそうなってきていると思います


http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html

カドカワトップのくせして、この理解はまじで浅すぎやしませんか?

本当にいい作品を送り出す気があるのかと、100回は問いたくなる適当な物言いにイラッと来た。


そもそも、最初からチートを持って最強になることを「俺tueee」と揶揄されていたりするのはここ数年だけで、ジャンプなら北斗の拳るろうに剣心バスタードにBOY、過去作品をあげればきりがない。みんな大好きガンダムアムロだって最初からワンランク上の人種だったわけですよ(あぁ、若い子的にはコーディネイターキラ・ヤマト君の方が)。最強主人公が昔から愛され続けているのは明らかだ。

「努力に対して気後れする」というのは、どう考えても浅すぎる考えなので、ただのサラリーマンオタクである俺が、超主観的にけれどkawangoよりはまともに、「最近ラノベ」っていうのを推論してやろうと思う。

ちなみに、全て根拠のない仮説だから、定量データ大好きなコンサルマンは読まなくていいぞ。己の中のロジックで書き殴っているだけだ。

正直こんなことすること自体、市場に対しての傲慢であることは理解したうえでだが、「カドカワトップの発言」に怒りしか沸かないため、久しぶりに筆を取る。


自己投影がしやすいのは「努力云々」ではなく「異世界転生」の方である

努力云々が拒否されているかは正直わからん。少なくとも言えるのは、将棋天才が努力する「りゅうおうのおしごと!」は最近ラノベではピカイチ面白いってことだ。そして、幼少期からガチ人生を変えようと努力を重ねて、家族を守るために死にものぐるいになる「無職転生」もまた名作であることを俺は支持する。

俺が言いたいのは、自己投影は「努力できる立派な人物」にしづらいのではなく、「異世界転生」にしやすい、ということである。しやすいなんて言葉も生ぬるいくらいに「ファンタジー自己投影出来る現代最強の装置」と言っても過言ではない。

ファンタジーという題材自体、本来は自己投影には不向きなものだ。なぜなら、今の自分と照らし合わせて「そこにいる」ことを想像することが難しいから、ということは理解できるだろう。

我々が住んでいる現代、つまり高層ビルが屹立し、夜も煌々と電気の光が輝き、インターネット交流を重ねる世界」と「石畳を馬車が走り、騎士団が剣を振りかざし、魔法世界の理である世界」では、あまりにも違いが大きすぎる。そこで生まれ育った主人公感情移入するのは、本来はしづらいもののはずだ。

ただし「異世界転生」は違う。

自分が今いる現代、と、異世界であるファンタジー世界が、まずつながるところからスタートする。たったこれだけ、これだけで高水準の自己投影を得ることが出来る。

それは突然足元に現れる魔法陣か、はたまた気づいたら目の前に迫りくるトラックなのか。きっかけはどちらでも良い。今の自分が、異世界に行けるという想像力カジュアルに補間してくれるのが「異世界転生」である

何故か。

第一に、主人公がまんま現代に存在してそうな、ふつ~~うな人物であることが重要だ。もちろん最初から古武術マスターして、スキルを盗む能力を授かるような人外主人公もいたりするが、基本は自分を重ね合わせられる主人公である高校生帰宅部で友人は少ないが仲の良い親友もいる。進学はどうしようと悩む2年生。趣味ラノベ。ほら、想像やすいだろう。

第二に、異世界転生ってほんとにあるかもしれないだろ?という、諧謔が含まれるちょっとした夢である。死後の世界なんて誰もわからんし、宇宙にある元素だってまだわからん。もしかしたらマナを利用した魔法陣は発生するかもしれないし、事故で死亡したあとには神様スキルを選ばせてくれるかもしれない。

「異世界転生」なんてねーよ、と鼻で笑うことは可能だが、誰もそれを証明することは出来ないのである。だからこそ、現代と異世界のつながりを、「ないな」と思いつつも受け入れることが出来ているのだと、俺は考えている。

ほら、スパイラルマタイすると本当の自分になれるんだろ??

重要なことだからもう一度言うけど、「現代」と「異世界」をカジュアルにつなげる「異世界転生」は紛うことなき物語の発明である最初トラック走らせた人には3,000ガバスあげたい。


いつかは覚める。「異世界転生」が流行っているのはブームでしかない

「異世界転生」がすごいものであることは説明した通りだ。かくいう俺も、毎日仕事帰りにはブックマーク登録しているなろう作品を消化しつつ、健気にスコップしたりもしている。本屋の棚にならぶラノベも、以前よりも増えたなと感じることはある。実数はしらん。マーケティング大好きくん調べてください。けれども、これは現代若者云々のような下らない推論なんかによるものではなく、あくまブームの1つだと俺は考えている。

ところで、俺は30代前半のおっさんだったりするわけだが、中学生にはじめてブギーポップを読んでこの世界に足を踏み入れた。かどちんの作品は今でも全部読んでいるけど、ハートレスレッドが俺は大好きなんだ。あの頃は「セカイ系」なるものが流行っていて、なんだか薄暗いイメージ作品が人気を集めていた。細かいこたぁいいんだよ!と言わんばかりに、世界観設定などをあえて曖昧にして、読者に考えを委ねるような作品だ。正直俺はTVアニメエヴァンゲリオンが嫌いである。新劇場版は好きだぞ。

まぁつまり、今とは確実に違った主流だったと考えてよいだろう。

オタクの狭い世界でいうとその後に泣きゲーメインストリームを走り、鍵と葉をプレイしないオタクオタクに非ず、と総括しはじめるオタクもいたハード時代だった。その後はいわゆる「新伝奇(この言葉あんまりきじゃないんだけどな)」と呼ばれる作品にわかに注目を集め、PCゲーでは月姫・Fateラノベでは戯言シリーズ禁書シャナが生まれていった。まだ少し薄暗さやきな臭さみたいなもの世界に漂いつつも「物語を曖昧にしない設定」が練られた作品が多かったイメージだ。そんな中、生まれでたゼロの使い魔最先端だったんだろう、異世界転生の走りだった。お悔やみ申し上げます

物語のムーブメントはここでもまた変わっていたわけだ。時代時代においてムーブメントはあり、「異世界転生」もその系譜の1つであると考えても不自然ではないだろう。美味しいものがあれば、それを食べ続けたいと思うのは至極当然の話しだ。最高の自己投影が出来る「異世界転生」をひたすらむさぼるのも、ただの欲求の発露だろう。

人間は成功体験にもとづき、欲望を繰り返し続ける生き物らしい。ソーシャルゲームの初期ガチャでURが引けるのは、その辺の心理ゲームに応用している可能性があるから気をつけるといいぞ。俺はFGOに毎月1万円課金している微課金兵だから、安心していい。

1つ面白いものを引き当ててしまったら、次に何かが来るまで、同じ成功体験を求めて同じものを摂取する。それは俺が辿ってきたオタク人生を照らし合わせてみても、超主観的に正しいと主張させていただく。

正直「異世界転生」は飽きてきたんだけどな。


コンテンツ消費にかけるカロリーの許容値は下がり続けている

最後にこれも超主観的な仮説だ。

エロゲisコンテンツの頂点。SF小説isオタクの原書。ラノベis心のフレンド。最高の1冊は「天冥の標」と豪語する俺だが、最近コンテンツの摂取にカロリーが高すぎて億劫になってきてしまった。

昔のエロゲと言えば、長いプレイ時間を経て没入感が高まり、最高のカタルシスを最後の最後にぶちかまされる、そんな作品に90点が付いたものであるゲームもそうだ。長時間プレイするRPGは食指が伸びない、仮に触れたとしても10時間ギブアップ。本気でコンテンツと向き合うのに気力が必要なのだ


なぜかと考えてみると、コンテンツとの向き合い方が昔と大きく変わってきてしまったことに気づく。

例えば、インターネット。不覚にも、kawangoのdwagnoが作り上げた「ニコニコ動画」は短尺でコンテンツを楽しめる世界観を作り上げた。1本5分~15分程度のユーザークリエイティブ動画が数多く投稿され、それをつまみ食いする時代2007年くらいから始まった。当時はアイマスのXBOX版プレイ動画をただただ見ていた記憶がある。その後に初音ミク東方、まぁニコ動周りは色々とブームが起こっただろう。id3万番台の古参だからたくさん見てきたけど、今はたまにはてブに上がる動画を見るだけである

アニメでいえば10分尺が増えてきた。ややもすれば5分。手軽に見れる極致と言って良いだろう。あいまいみー作品構成は完璧だった。神アニメと言って良い。

デバイススマホ利用がメインユースである。スキマ時間にいじって、Twitterを見たり、ソシャゲのスタミナ消費したり(最近スタミナ系減ったね)、もちろんニコ動Youtube商品宣伝見たりするのも楽しいだろう。若い子ならsnowとかsnapchatとかもあるな。comicoリライフが地味に好きだから、毎週土曜日更新が楽しみだったりするよ。

それが気づくとスキマ時間だけじゃなく、家に帰っても弄っていたりする。これを読んでいる皆もそういうことが何度もあったはずだ。

そうやって俺たちは、気づけば「カジュアルに消費できるコンテンツ」ばかりを楽しみ、それに慣れてしまった。「うわ、これ疲れそう」なんて言いながら積んでいるコンテンツ、皆はないだろうか?俺はある。たくさんある。以前は何を差し置いても、翌日の仕事に差し支えたとしても、徹夜してでも、読む。プレイする。そんなコンテンツが、いまや時間のある時に消費するかと積み積み。

もちろん時間があればいい。気力を振り絞って得られるカタルシスが最高であれば、なお良しだ。ラノベ読んでてよかった、エロゲやっててよかった、この年になっても年1くらいで感じる瞬間だ。

でも、その時間はいつの間にか、生活を縛るカジュアルコンテンツ侵食されてしまっているのが現実であるカロリー計算をした瞬間に、さすがにラーメン二郎は無理、と避けてしまうのは年を取ったからではなく、現代生活カジュアルコンテンツに束縛されているからだと俺は考えている。

そんな中、最近ライトノベルやなろう小説には、カロリーに優しいコンテンツが多い。それが「安定して人気の出る作品であるというのが持論である。(爆発的ヒットではなく、一定数さばけるという意味である)


ポイントは2点である。「期待値を裏切らない」「スキマ時間に読める」

小説はそもそもコンテンツとして消費にかかる時間が長い。ハズレを引いてしまった時の時間的損失は読み手にとってつきまとう課題である。それを解決しているのが、昨今のラノベパッケージである理解している。

表紙、タイトル、帯、あらすじで、中身を想像出来る。そしてそれが期待値とずれないことが重要である。大ドンデン返しみたいな疲れるものはいらない。想像した快楽を得られ、時間というコストに対して最大限のパフォーマンスを出したいのだから。なろうの作品を読む前にタグをチェックして「ハーレム」を探しているそこの君。君だよ君。

そして、ここまで何度も述べているように、カジュアルに読み進められるパッケージとして、なろうの形式は最適化されている。1話あたり5,000~10,000文字の文量は便所でうんこしながらでも読めるだろう。通勤中であれば、2,3話読むことも出来る。区切りもつけやすい。はてブで糞みたいなエントリーを読むのと同じユーザー体験で、自分が好む小説を摂取できるのだ。そりゃあ楽な方楽な方に行きたくなるのが人というものだ。

kawangoの話はラノベのくだりだけはまじで許せなかったが、大筋同意できる意見も書かれている。

まりユーザー自分の好むメディア自分に都合のよい物語を選び始めているということです。もちろん昔から、人々は基本的自分にとって心地よいメディアを選んできたわけですが、まだ選択肢が少なかった。ところが今は、どんどんパーソナライズ化が進んできて、自分が信じたい情報、接したい情報だけが集まってくるようにするということが、ネットを通じてできるようになったということです。

心地よい作品を得たい、これは今に始まった話ではなく昔からそうだ。それを加速したのはネットであり、生活リズムによるものだと俺は考えている。

ジョブスのせいでエロゲをまともに出来なくなったから、あいつは地獄に行けばいいと思う。まぁiPhone7は買ったけどな。


次を作るのがあんたらの役目なのでは?

そうは言っても、先にも述べた通り、コンテンツムーブメントはいつか終わりがくると俺は思っている。あれだけ若いオタクの間で跳梁跋扈した東方ですら空気になりかけ、俺が大好きだったKeyだっていたるんが退社するんだ。時代は流れていく。それはもう人の手では止められるものではない。

その転換点は、代替となる成功体験でしかないだろう。

ブギーポップではじめて感じたライトノベルという時代の到来。雫、痕、ToHeartからはじまったビジュアルノベルの胎動。なろうで形作られた異世界への特異点

生まれ、壊され、生まれ、壊され。その繰り返しの中で、コンテンツは洗練されて進化を続けてきたのだから、今を変えていくのは強烈な快感を与える新しいコンテンツでしかない。

オタクコンテンツトップランナーであるカドカワもといKADOKAWAが、それを担わずして誰が全うするというのか。「努力できる立派な人物主人公だと、読む側が気後れする」だって?まじで言ってんのかあんたは?

そんな下らない仮説を振りかざして、閉じたコンテンツ世界を作り上げるのがあんたらのやりたかったことなのか?違うだろう?

今のライトノベルには面白い作品がたくさんあるぞ。エイルン・ラストコード読んだか?ライトノベルで熱血ロボットとか新しすぎだろ。最高にアガる作品だぞ。正直アニメ微妙だったけど、天鏡のアルデラミンも読んでて震えるわ。風呂敷たたみ始めるの早すぎてちょっとおっちゃん心配だけどな。

あんたの会社社員めっちゃチャレンジしてるんだぞ。わかってんのか?

にも関わらず、トップあんたがその斜に構えた態度でいるとか、作り手とユーザー舐めすぎだろう。看板背負っていることを、どうか自覚してほしい。一度御社ラインナップを洗ってみて、いかに自分の認識がおぽんちなのかを理解してくれ。ラノベ多様性があって素晴らしいものだぞ。

俺はあんたが作ったニコニコ動画という世界にはじめて触れた時、新しい時代の到来を感じたんだ。実際に、2000年台後半はニコ動時代だった。コンテンツのあり方を変えた1つの要因だったことは確かだろう。

サービスでもいい、コンテンツでもいい、もう一度それを作り出すくらいの気概を俺たちユーザーに見せ続けて欲しい。閉じこもった推論だけ振りかざしていたら、そこに未来はなくなってしまうんだから。



どうか。期待しています

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