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はてなキーワード: バンドデシネとは

2019-03-03

会田誠の件で解る人間が属するグループを巻き込んで敵を作る構図

最初アートに携わってる人の中でも当人責任を問う声と、公開講座って面と会田誠ってとこからの同情、大学も気をつけるべきではって声で意見分かれてたのに、声デカく現れた、人を傷つける表現はすべきでない、人を傷つける表現価値はない、芸術ではない、芸術は万人に向けられるもの、人を傷つけない表現可能なのに派閥によりメディアわずもの創ってる層が一丸になってハァ?ってなってて、更にそれまで何も言ってなかった層からまで被害訴えた女性への批判意見引き出してて、まさに彼女らの言うセカンドレイプ様相を招いてて何か解りやすい縮図を見てるような気になった

その女性本人でさえ会田誠否定しないけど大学ちゃんしろよってスタンスなのに、代弁者のフリで考えなしに、自分では代弁者として弱者の、女性のためにやっていると確信を持って拳振り上げたら逆に総叩きにあって、それがその被害受けたって女性にまで飛び火してるのほんとアレだなって

人を傷つける表現価値はない、って有名人に噛み付きに行ってお前が今やっとる事なんやって指差されてるのもやばくて笑った

どういう思考回路してんだろうか

主観客観ものが違うって事を知らないまま生きて来ちゃったのかなって心配になる

主観客観区別つかないって中二の症状なのになあって

それともむしろ逆に共感性が異常に低くて自分が口にする、批判する相手立場自身を当て嵌める事が出来ないのかもしれない

からこそ被害女性とは異なる意見を堂々と代弁してるかのように語る厚顔無恥さを何とも思わないのかもしれない

そういう人たちに限って自称フェミニストだったりするのもまた酷い

アート分野は洋の東西わず被害側の女性自分の傷と向き合い表現する場として顕著なものだし、性的表現も実は女性アーティストに多く見られるもので、それはフェミニズム的な性の開放という面でのものでもあるし、ヴァギナペニスモチーフインスピレーションにした作品だって有名どころから学生作品までごまんとあるどころかむしろ主要インスピレーションひとつと言っていいもので、また映画小説アメコミバンドデシネにおいても女性の苦境や逆境被害やそういう状況を敢えて描く事で啓発を促し、そこから立ち上がった女性を讃えるフェミニズム表現作品なんてある意味ひとつジャンルと言っていい程に存在してるのに、それらをどういう気持ち否定してんだろうって思う

否定してる気は恐らくないんだろうけど、それなら不必要に分母をデカくするのは自己顕示欲からなのか、自己承認欲求から自分意見サイズ感を補強してるのか何なのか

以前同じように人を傷つけるような、差別的表現はどんな場合でもすべきでない、なんて話見た時も思ったけど自身の想定の偏りに自覚が無いまま、もしくはある一定の層だけを指す自覚はあってもそれを口にする時の表現への無責任さがあまりにもって感じある

人を傷つける表現はすべきでない、と言う事は傷付いた人がその事を、傷付けられた人を他者が代弁的にも表現すべきではないという事にだって繋がるし、価値はないと切り捨てる表現対象が何であれ傷つけるものだなんて明白で、そこの矛盾に気付かないのはよほど無神経か傲慢かのどちらかに思える

過去批判して非難して闘って権利勝ち得て来たフェミニスト謝罪案件だよ

毒を持った近代芸術シーレを嫌った毒にも薬にもならないまさに誰も傷つけないであろう絵を描いたヒトラーを引き合いに出す人もいて、実際人を傷つける表現表現ではない、表現として価値がない、というならホロコーストで、当時何があったかを描く作品否定されてしまうのだし、自分は正しいと思ってそう言っている辺りもまさにナチス的だなと思う

声でかい一人にプロフィールフェミドイツ好き海外留学したいって書いてる人がいて皮肉過ぎてちょっと笑った

ドイツなんてナチス関連でショックや人の心を抉る事で痕を残して歴史を考えさせるって作品メッカみたいなとこあるのに

攻撃的で性的で毒のあるアート表現ヨーロッパの方が活発で理解日本に比べれば市民権もあって公共の場で明らかな性器モチーフ彫刻飾られてる事もあってそういうの知ってるのかな知らないとしたら知ってどう思うんだろうって思う

狂気性をアート表現する人間がいるだけで本来アートは人を傷つけるものじゃないみたいなリプも見たしやっぱり自身定義自分の外のそれの差異存在理解以前に認識出来てないのかもしれない

るみ子へ噛み付いたツイートなんかを見ると認知バイアスも入ってるように見える

そういう自分が解ってない、知らない範囲が何である自体にさえ自分理解が及んでいないというか、個人の狭い見識も無知さも罪ではないけどそれを自分の属する年代なり性別なりフェミニストなりのグループ代表として、客観意見として語るからやばいわけで、実際今回の事でもそういう人は「フェミニスト」という枠で語られ評価されてしまっていて枠ごと敵を増やす結果になっているのを見ているとタイトルのままこういう事なんだな~と何だかどこかで納得してしまった

無知もそれに無自覚なのも罪ではないけど無知無自覚に敵意を振りまく事に罪は無いとは言い切れないな、と思った話だった

2018-09-16

でもお前ら、仮に漫画作者やイラストレーターアニメーターが高給取りになってさ

漫画アニメ制作費が高騰

世に送り出される作品が激減したら嫌だろ?

 

今の日本コンテンツ産業を支えてるのはハッキリ言って薄利多売なんだわ

アメコミバンドデシネのように高付加価値になるとさ

富裕層しか買えないコンテンツになるし

そうなると当然、リベラルグロバリスト向けの作品が多くなるぞ? 

それでもいいの?

ジャンクフードが食えなくなるんだぜ?

2018-09-15

アニメーター漫画家イラストレーター低賃金に憤るオタク本音

製作者が高給取りになったら

漫画アニメアメコミバンドデシネ並みに高くなって

娯楽が少なくなっちゃうし

ぶっちゃけ彼らにはそのまま奴隷並みの境遇で働いて欲しいなぁ・・・)ボソッ

 

 

外国人労働者に頼ってるコンビニユーザーとかと根は一緒だよね

正直なとこ、自分の身に降りかかってくると思うと強くは言えんわ

2016-10-21

結局彼女がいないとね

↓を読んで

http://anond.hatelabo.jp/20161021120207

やっぱり異常者という扱いになるんだなぁと思いました。ブコメ勢が誰も同情しない。

あの文章を読むかぎり焦っているだけに思うんですが違うんでしょうか?

誰かと愛し愛される関係になりたいというのは

いたって普通欲求だと思えるんですが違いますか?

一般的恋人と友人の関係は違うとされている以上、その経験のない者(若しくは少ない者)が

恋人という関係に急いでしまうのは致し方ないことでは?

それの具体像がつかめないために、「誰でも良い」

「(あなたたちが非現実的非難する)理想は下げるから付き合いたい」、普通欲求だと思います

そして、増田の言い方のとげとげしさはともかくとして、「どうすりゃいいねん」という気持ちも良くわかります

これが分からないというのは、大変禁欲的な生活をされているのか、

いま現在充たされているという方だけだと思います

あと前にも言ったよな!てめえの恋愛定義してから恋愛を語れってよぉ!

(まぁ、あの投稿を読んでいるとは思っていませんが)

さて以下私の話、一応どうやって「作ったか」の話もするので参考にでも。


世間というやつが彼女を作れとうるさく

彼女いないの?」と聞かれたり、「彼女いないの!?」と人格を疑われたり、

世間ではヘテロ恋愛モチーフが溢れていますし、親戚から子供をつくって落ち着けといわれますし、

以前はここでもよく見かけた、そういったハラスメントに反駁しようという投稿も、残念ながら殆ど見かけなくなりました。

(昔、非モテがもうちょっと論じられていたときは良かったんですけど

 その声も「童貞」の一言で封ぜられると思っている人間が増えてしまったので、もうどうしようもないですね)

それで、私自身肌寂しく、ちょうど好きだった男性に愛想が尽きたので、彼女とやらを作ろうと思ったのです。


すぐさま作れました。それはなんでかというと、相手恋人を求めていたからです。

なぜか、忘れられる重要な条件だと思うのですが、相手恋人を求めていれば、

こちらがゲスだろうがゴミくずヒモ野郎だろうが、簡単にできてしまものです。

だって言葉の枠組みでしかないですから、私達ってそうだよね、ってなったらそうなのです。

セフレだって添い寝友達(で、あってましたっけ?)だって親友だって、やっていることは似たようなものです。

ただ恋人という言葉をもってして括っているだけです。

逆にそれだからこそ、それ以外の要素(例えば社会的地位など)を気にされる方が多いというのも当然のことで

一般的に求められる最低限の要素を満たすように生きるのは、交際できる女性の幅を広げる行為だともいえます

ただ、そんな“一般的価値観を持った”女性が好きというならば、そもそも彼女はすぐできるはずです。

残念ながら増田メインストリーム人間ではなかったのです。そこは意識する必要があります

まあしかし、最低要件として、タイミングが合えばポンとできるものと思っていただいて構わないと思います


さて、そいでもって、じゃあ具体的にどうすればいいかという話なのですが、

私の場合こうしましたよということだけお伝えしておこうと思います。確実ではありませんが私には有効でした。

婚活臭くはないが出会いのあるところに参加する

・狙うのはあまり社交性のなさそうな女性若しくは婚活女子

 (あなたと同じメインストリーム外の人間であるため)

・観察すべきは、相手ネガティブな部分を愛せるか。

 (できれば、自分ネガティブ面もちょろっと出して相手が受け入れられるかも見ておく)

・人慣れしていないことを伝える

 (話しかけてくれたのなら、きちんと感謝する。「こういう場所なれていなくて…。有難うございます」みたいな)

・連絡先を交換するのは別れ際。惜しい、という感じで。

メールなんかもしつつ、ある程度期間を空いたらデートに誘う。我慢できなければ、数日でもよし。

 (自分相手と会いたくて我慢できないといういことが大事

デートもとにかくなれていないアピール。(男性らしさを求められる場合があるので、先につぶしておく)

デート先は自分キラキラできるところ(私の場合バンドデシネ美術展でした)

デートが終わったら感謝感謝

告白は遠回しというか、どうでしょう的な伺う的な感じで

そんな感じでうまくいきました。これからどうなるかは知ったことではないですが。私の少ない恋愛経験からでした。

まぁ、簡単にいうと、愛される努力より、人を愛する努力というか、人を愛すマインドを持たないといけないんだと思います

だってぶっちゃけ、女ってクソゴミウンコカスなんですもの

ジェンダー行方不明だって言ってるのに男らしさを求められるし、

弱者アピールするくせに差別を平気でする(というか勉強してない)し

不寛容敵対的な態度、少ない語彙、芸術に興味があるとかいって知識だけ集めて頭でっかちになるバカも多いし

会話はいつも共有するばかりだし、自分以外の女性を蔑む癖があるし、エトセトラエトセトラ

から、女と付き合うことを強要される社会において、

非モテや男が好きな人間ができることは、異性との交友率が低いデータをしめして、

「お前らの方がおかしいんだ」と声を上げるか、

それとも尊重しあえる異性を見つけて付き合いたいですって態度をだして

このゴミみたいな権力が牛耳る世界処世術として恋愛するかしかないわけで、

私みたいに洗脳され、ぬぐえない願望がある人間は今いるワイフを愛し続けるしかないのです。


増田も私もセカイ系みたいな生き方をするしかないわけで、

それはつまり残酷な結果しか待っていないように思えるのですが、

それでも生存戦略としての川村元気ごっこといいますか、

そうすることで、あたかも災厄を免れるだろうと信じ切るしかないわけです。

考えなしに書いたので全くまとまった文章にはなってないのでしょうが

取り敢えず生き残るために頑張る人として増田氏の発展を。なんつって。

2015-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20151224170702

挙げていないものを紹介するのは良心であって自慢ではないのだが、誤読しかできないのかな君は。

それとブックマーカーの中にはシロマサの別作品をひねってあげる奴がいたけど、一応カテとしては精神世界SFからな。

そして漫画でそれやる人は少ないのでね。小説なら結構見かけるが。

あとそれとさ、最近流行りのシドニア名前はしってるけどバイオメガを知らないって、にわか扱いされても仕方ないと思うけどどうなの?

まあ俺は謙虚なのでいちいち俺のほうが知ってるぜー、なんて言うつもりはなく、まじめに補完しただけなんだがね。

疑問符つけてるでしょ。ブックマーカーがあえて挙げてないだけなのか? ってな。

バイオメガの項目も挙げられていないから挙げておく、と丁寧に誤解を解くように書いてる。

ほら、こうして丁寧に誤解のないようにだよ。


認識系・精神世界SF

バイオメガ弐瓶勉

ブックマークシドニアの名はあるが本作は何故か挙げられていない。

ウラシマ効果生物進化遺伝子工学に脳移植、複製された意識問題など山盛りで、エンキ・ビラルや宮﨑駿(※)に影響を受けたであろうビジュアルは才能を感じさせる。

惜しむらくは器用貧乏感があるところ。新しい物が生み出せず呻吟しているが、そうしながらも過去巨匠たちに対する絶大な愛とリスペクトを注いでいる。

シドニアと違って明らかに力んでる作品だが、むしろそこがいい。ちなみに『BLAME!』は完全にバンドデシネに憧れてる作品なのでそれ以上も以下もない。

正統派精神世界SFとは言いがたいが、エンタメとしても一級の面白さだ。

※よく知られたことだが、宮﨑駿はバンドデシネ帝王ジャン・ジローに影響を受け、かつ友人となった一人である

フリージア松本次郎

あらゆることが切れていて、世界観キャラも作りこみの緻密さも桁違いだといえる。

いわゆる精神世界SF系譜でこちらも認識問題に踏み込んでいるが、バイオメガのようにSF系譜をなぞる形で導入しているのではなく、むしろメインテーマだ。

狂っていることとは何か? 常識とは何かを考えさせられると同時に、読み手を鈍麻させてゆく。

最近完結した同作者『女子攻兵』もお薦め

攻殻機動隊1・2:士郎正宗

はてブ人達当たり前だからあげてないだけなのか? それとも最近ブックマーカーはこの作品知らないの? そんな複雑な思いを抱いてしまった。

80年台に突如現れたSF漫画界の巨星士郎正宗は、コンピューターによるヴァーチャル空間予言それから発生する自走的な人工知能存在を予知したばかりか、ヒロイン草薙素子エンディングで「あの扱い」にした。

その後2にて霊的世界インフラ化が語られているあたりもこの作者の非凡さを伺わせる。

認識SFの先駆は小説界では既に1950年台にその萌芽がみられたが、それを漫画界に持ち込んだのは間違いなく士郎先生であろう。

原作者の関わらない押井守監督版の出来も言うことはなく、スピンオフ作品どれもが巧妙に編まれた糸のように視聴者に絡みついてくる。

 

※『ファイブスター』は時間関係上、手が出ない。

※『銃夢』未読。いつか読む。

佐藤史生先生の『夢見る惑星』はこないだ国家と人物の関係表を作りながら読破したものの、多分にわかだと思うので口を挟む気がない。ただ一言述べるならば、確かな力量を持った作者による細やかな大河ロマンである、とだけ明言しておきたい。機会があれば関係表を公開するかも。

http://anond.hatelabo.jp/20160101212842

2013-06-20

VOMICとか!

MGSのほうのバンドデシネ形式とか!

もっと流行れば良い!

ドラマCD原作再現として難がある!(音声で全てを表現するから寡黙キャラ必殺技叫んだり)

アニメは金がかかる!

でも漫画キャラに声つくとかワクワクする!

そうだ!

漫画に声をつけよう!

そしたら電子書籍+αの値段で売れるぞ!

なんなら前後CM挟めばよい!

2009-04-18

ネトウヨ寝言

ボコられるのは仕方がないとして。

誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。

メンヘル寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。

さて、司馬遼太郎元ネタとして話を始めよう。

まず、司馬遼太郎戦車乗りでした。

戦後はともかく、戦前戦争中の日本戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。

エンジンディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。

なぜか?日本には資源がないから。軽油安いし。

で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。

アメリカはどうか?

当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。

司馬遼太郎戦車乗りの一人として、米国戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。

で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。

司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本サービスは優れているけれども、戦前日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。

戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベア採用したT型フォード生産とかから始まる、機械大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。

日本戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本航空会社スチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。

まあ、大体、アメリカ移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。

だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。

だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !

参考映像http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww

じゃあ、日本文化本質って何よ?という話になるわけだが。

まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。

結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。

じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人日本人たらしめている。

「禅的構造への落とし込み」の例。

例えば、日本庭園枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。

昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。

これが何を意味するか?

まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)

で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパン監督は、エヴァンゲリオン庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。

ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。

で。

ハッカーの話になる。

ソフトウェア工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT

http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html

つまり、まつもと氏は、名人主義だ。

まさに、ハッカーとは、名人主義だ。

そして、はてなでたむろしている連中も、名人主義だ。

だが、そこが彼らの、我々の、日本人限界性でもある。日本技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。

とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。

ソフトウェア工場は失敗だった?

どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?

正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?

そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?

大抵のソフトウェア適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。

俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。

現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者青息吐息ではないか。

多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?

そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆アメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。

果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米スポーツもか)。

もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨ勝手な思い込み))。

それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略ロジスティクスストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。

・・・・・・少し落ち着きました。

さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。

名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。

それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。

 
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